なにもみえない   作:百花 蓮

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エンド『約束』

 幻だということはわかる。ただの願望で、想像であることくらいはわかっている。

 澄み切った空気に、ただただ遠く、どこまでも広いだけの空間。

 

 そこは、満天の星空で彩られていた。

 なにもない世界。なにもない草原に、私とイタチは二人だけ。

 

「いつか、また、星空のもとでって〝約束〟、しなかったっけ?」

 

「ああ……あのとき、オレはお前に、あの星空を見せてやりたかったんだ」

 

「そう……」

 

 星座も、星の名前も……現実と同じ配置かどうかさえ、まるでわからないけれど、ただ星々は私たちを天高くから見つめている。

 

「ねぇ、イタチ。アナタが私のこと、あんな風に見てたなんて知らなかった」

 

 過去の追憶。イタチの記憶を遡った。初めから、そして今まで。どれだけのものをイタチが抱えてきたのか、私はようやく知れたのだった。

 

「ミズナ、お前のこともだ」

 

 そして、それは、イタチも同じだったのだろう。私の人生の全てが見られてしまった。

 『写輪眼』とは心を写す瞳であり、〝チャクラ〟とは人と人とを繋ぐ力だ。こんなことも、あっておかしくないのかもしれない。

 

「とりあえず、浮気はしてなかったみたいね」

 

「当たり前だ……」

 

 そんなこと、今言うのかと、イタチは渋面を浮かべる。私はそれを見て。ふふっと笑った。

 

「そんな顔しないで。私にとっては、とても重要なことなの」

 

 心音を聞くようにして、私はイタチの胸に寄りかかった。そっと抱きとめてくれる優しさは、どんなに嬉しいことか。

 

「ミズナ……。お前の……」

 

「むず痒いものね。隠してきたもの、全部見られちゃったんだから……」

 

 私はついつい遮ってしまう。イタチが何を言い出したいかは、今の私には理解できてしまうのだから。

 今が永遠に続けば良いと私は思った。それでもイタチは時を進める。関係を進める。

 

「お前の過去も、オレのものにしたい」

 

 その意味は、私にはわかる。

 目を瞑っていた。盲目のフリをしていた私だが、今まで私について回っていた想いがあった。

 

「ダメ……。変わらない。私は変わりたくない」

 

「もう、いいんだ。オレがいる」

 

 私を抱きしめる腕に籠る力は、私を誰にも渡さないという意思表示のように感じられる。

 

「私は……〝家族〟と、穏やかな日々を暮らしたいだけだったの……っ」

 

「その〝夢〟が、お前を苦しめるなら、オレは――( )

 

「アナタは私の想いを踏みにじろうってわけ!?」

 

「お前が、お前自身の想いを踏みにじっているんだ。ミズナ」

 

 私には、イタチの言っていることがわからなかった。わかりたくなかった。

 それでも、愛する人にこうして抱きしめられているんだ。まともでいることなんてできない。

 

「オレの『眼』を見てくれ」

 

 そうすれば、楽になることがわかった。なんとかして、イタチが私のことを楽にしてくれるのだと。

 

「……できないよ。……そんなの」

 

 でも、でも、だって、私にはプライドがある。今まで積み重ねてきた人生があるのだ。だから、身を委ねることなんてできない。そんなことをしたら、私は私を許せない。

 

「なら、こうだ」

 

 少し、私のことを突き放すと、くいっと私の顎を持ち上げる。むろんのこと、私は頑張って目を閉じた。

 

「絶対に開けないもん!」

 

「強情だな……」

 

 そんな声と共に、唇に触れる感触があった。しっとりとしていて、柔らかくて、暖かくて、私の全てを奪っていきそうな、そんな感触だった。

 

 ――否。そうじゃない。

 

 指を添えて、気の緩んだ私のまぶたをイタチは開ける。バッチリと目が合った。

 

 唇に触れる感触は、私の全てを奪っていく、そんな感触だった。

 

 私の心が、想いが変わっていくのがわかった。

 子どものころ、私がイタチをどう思っていたか。どうしても〝家族〟を優先していたあの時、私がイタチに抱いていた想いを、フタをしていた想いを。

 

「ねぇ、イタチ……。私、イタチのこと、ずっと、ずっと、大好きだった。アナタにあのとき会えて、心から救われたの。ずっと輝きを失った世界に、光が射したみたいに……。どん底だった私にとっては、アナタの存在が希望だった。アナタが……ずっと、私の中で一番だった……。大好きだった……」

 

 過去は変えられないと、誰もが言う。ただ、過去に感じた物事の受け取り方は、考え方一つで変えられる、改竄できる、修正できる。

 

 故に、私は家族以外の一番を認めてしまった。私の過去は……これで正真正銘イタチのものになった。

 

 アイデンティティの崩壊を感じる。自分の足元が崩れ落ちてしまったような不安感が私を襲った。

 

「オレもお前のことは昔から……。昔から、オレのものにしたかった」

 

「ふふ……なにそれ……。いいわ……。そう……私は、私は、昔から、ずっと、アナタのものだった。そうなの……。そうだったんだわ……! 気づかなかった……だけなの!」

 

 まるで酩酊しているような、それでいて高揚しているような、そんな不思議な感覚が私を襲った。

 なにもかもを吹っ切って、イタチに私の全部が吸い込まれて包まれるような、そんな優しい感覚だった。

 

「ミズナ、愛してる……」

 

「私も……いいえ、これじゃ、言い尽くせない……」

 

 もう、ダメだった。今の私は完全にイタチのことを土台にして、前提にして成り立っている。もし、離れ離れになったなら、きっと私が成り立たなくなるだろう。

 そこまでのことを、イタチは私にしてくれたのだ。

 

「ねぇ、イタチ……私……私ね、ずっと、ずっと」

 

「知っているさ。……昔からお前は、オレのために……」

 

「……そ、そう……アナタのために……。アナタのためよ……。それが私の生きがいだった……っ」

 

 

 そっと、イタチは私の頰に触れた。そして、微笑んで言った。

 

 

「偉いな……ミズナ。よく、頑張った」

 

 

「うん……わたし……がんばったよ……」

 

 

 ずっと、こうして欲しかったんだと、私は理解した。嬉しかった。心が解れていくのがわかった。

 

「ミズナ……オレは、ずっと」

 

「わかってるよ、イタチ……。私のこと、好き?」

 

「ああ……」

 

「大事?」

 

「そうだな」

 

「子ども、ほしい?」

 

「当たり前だ」

 

「いなくなったら、泣いてくれる?」

 

「お前をなくしたりなんかしないさ……」

 

 私は泣き出してしまった。

 体のどこもがじんわりと暖かくて、もう、私の人生がここで完結してもいいくらい、幸せで、幸せで、私は泣くことくらいしかできない。

 

「だから……ミズナ……」

 

「それ以上は……ダメ……」

 

 振り絞った。

 その一言を言わせてしまえば、全てが終わってしまう。それは絶対にダメだった。

 

 それでも、イタチは言い淀まない。

 

「これからの話をしよう……。オレたちの未来の……」

 

 このままでは、私の願う通りになってしまうとわかった。でも、それは、私の思惑とは違う、許されないことだった。

 

「ええ、わかったわ。なら……」

 

 世界が崩れていく。

 ここの役目は、きっと、過去の回想、そして解消。役割を終えた世界はバラバラと崩れ落ちる。

 足元が、崩れ落ちる。私は崩壊に巻き込まれる。

 

 私の過去がイタチのものになったのなら――( )

 

「ミズナ!」

 

 手を伸ばされる。

 

 伸ばされた手を掴んだ私は、こちら側へとイタチを引っ張る。

 私は、覚悟を決めた。

 

 

 ***

 

 

 戻ってきた。

 幻術世界の崩壊から、覚めた目。夢が覚めたような気分で、余韻がまだ残っているが、そうも言ってはいられない現実がある。

 

 幻術をかける前は、絡みついて、こちらの動きを封じていたはずの彼女だが、いない。

 『影分身』だったのか。繋がった幻術の中での感情の起伏により、維持できなくなって消えてしまったという線が妥当か。

 

 彼女の姿を探し、見つける。

 

「ねえ、イタチ。本当にアナタを殺すわ……。本当よ……?」

 

 手裏剣を二枚、三枚と宙空に放ちながら、彼女はそう言った。

 今日、何度も彼女が言ったその言葉には、説得力がまるでなかった。

 

「いいや、お前の狙いがやっと読めた。お前はオレにお前のことを殺させるつもりだったんだろう?」

 

 彼女は拗ねたように頰を膨らませる。あたり、と言ったところだろうか。

 

「なんでそう思うのよ……!」

 

「お前の、その『夜刀』にかけられた後、〝お前を殺さなければならない〟という意思が残ったからだ。たしかに強力な幻術だが、人を操るという点においては『別天神』ほどではないようだな……顧みれば、自分の意思でないことくらいはわかるさ」

 

 彼女はたじろいだ。

 厄介な瞳術ではあったが、それでも万能ではない。そのために、自我の削ぎ落としこそがフェイクで、取り戻す際に異物を混ぜ込んだのだろう。

 彼女の妙手だ。気が付くのにここまで時間がかかってしまった。

 

「で、でも、そうよ……。私が『別天神』でイタチに幻術をかけたっていうのは……? シスイの奴の意思を裏切って、アナタの想いを捻じ曲げたのよ! 私、酷いことしたでしょ? 許されないでしょ? だから、アナタは……」

 

「いや、あいつはオレたちの関係を望んでいた節があった。きっと、本望のはずだ……。それに、オレも、お前のことは昔からだ。そんなもの、キッカケに過ぎない」

 

「なによ、それ……。シスイの奴……ぅ」

 

 恨めしそうに、彼女はシスイの名前を零す。彼女とシスイの仲が良くないことは、というか彼女が一方的にシスイのことを敵対視していたことは知っている。

 それはただの可愛い嫉妬だろう。今ならば、見当がつく。それだけに、シスイのことを不憫に思った。

 

「だから、そうだ。お前の目的は、ここで犯罪者として討たれて、オレを里に残すことだ。いや、それだけじゃないな……」

 

「な、なによ……」

 

「オレの弱味を消す。それが、お前の一番の目的だな……?」

 

 なんとなく、察しはついた。

 彼女の考えそうなことだ。

 

 彼女の当初の予定では、おそらく『月読』で詰みだったのだろう。『月読』の勝負で競り勝ち、オレがミズナを殺して終わる。だが、そうはならずに、心が通じ合った。

 

 心の奥底で、誰かが祈った結果かもしれない。

 

 だから、今、こうなっている。

 

「はぁ……。これ以上は、ムダね……。そうよ、私はアナタに近すぎたの。だから、弱味になってしまった。アナタは忍で、アナタの〝夢〟には、私はいない方がいい。だから、私はこうしているってわけ」

 

 投げやり気味に、彼女は認める。だが、その言には反論せずにいられなかった。

 

「そんなことはない。お前は、お前自身を過小評価しているだけだ。たとえ、里に残り、火影になろうと、お前がこの世界にいなければ意味がないことくらいわかれ」

 

「いいえ! 過小評価なんてしてない。アナタが私を殺せれば、誰だってアナタは慈悲を持たずに切り捨てることができる。その試金石になれることくらい、私にだってわかるわ……っ!」

 

「いいや、わかってない……」

 

「わかってるわ……!!」

 

「わかってない……」

 

「わかってる……っ!」

 

 もはや、無意味な押し問答だった。

 こうなってしまえば、いったん頭を冷やすまで、話し合いには決してならない。ただ、そんな時間はなく、であれば、取れる手が一つということは容易に想像がつく。

 

「いいわ……。じゃあ、アナタに私を殺させればいい」

 

「なにをするつもりだ……?」

 

「ま、こうゆー、こ、とっ!」

 

 おもむろに、吐いた息から風遁の刃を纏わせた手裏剣を飛ばす。

 一枚の手裏剣は、さしたる速度もなく、こちらへと襲いかかる。

 

 躱すことに苦はなかった。

 続けざまに、二枚、三枚と『月読』から復帰した際、彼女が事前に宙に放った手裏剣が襲う。

 一枚一枚が迫るごとに、方向、角度、間隔が巧妙になり、躱しづらさが増していく。

 

 死角に入った手裏剣への対応。同時に正面から襲う手裏剣への対応。回避先を通過している手裏剣への対応。

 いくら回避をしようが、手裏剣は軌道を変えて、こちらへと戻ってくる。

 

「ミズナ……いい加減にしろ」

 

「ふふんだ。なら、やめさせてみて!」

 

 クナイを使い、手裏剣を弾いた。

 

「……くっ!」

 

 結果は変わらない。風遁の刃に守られた手裏剣は、弾かれようが安定した回転を保ち、またこちらへと舞い戻る。

 

「うーん……。『風遁・飛裏(トリ)(かご)の術』と言ったところね」

 

 十、二十と手裏剣が覆い尽くす。

 対応に追われて、思い通りに動けない。そして、一歩、一歩、意思とは関係なく、避ける際の動作により、動かされていた。そして、その先に待つ結末は理解できる。

 

「ミズナ……。止めろ」

 

「いやよ。そのまま、アナタは私を刺し殺しに来るのっ」

 

 このままでは、彼女の思い通りになってしまうことがわかる。なぜ、ここまで回りくどい手を取るのか。それは後回しに、とにかく今はこの手裏剣をどうやって退けるか考えなくてはならない。

 

 火遁――いや、二度の『月読』、そして『天照』の多用。チャクラは心もとなく、これ以上に術を使用してしまえば、木ノ葉からの逃亡がままならなくなってしまう。ダンゾウは必ずや追っ手を放つだろう。

 チャクラの消費を最小限にする方法をとる他ない。

 

 簡単な話だった。

 攻略法は見え透いていた。

 

 手裏剣の纏う風の刃が、手裏剣の安定した回転を守っている。だからこそ、何度躱そうとも、弾こうとも、回転は乱されず、また、こちらに襲い来る。

 どんな術にも、弱点となる穴はある。この手裏剣の風遁が纏われていない部分――( )すなわち、中心をクナイで穿つ。それだけでいい。

 

 指の股にクナイを挟む。

 右に四、左に四。計八つのクナイで、手裏剣の連携の間隙を突き、態勢の整う一瞬を狙い、放つ。

 

 クナイは寸分も狂うことなく、手裏剣の中心を撃ち抜き、縫い付け、ぴったり八つ、動きを止める。

 

「あぁ、懐かしいわ……」

 

 なおも、囲い込む手裏剣の攻撃は止まらなかった。彼女は変わらず追加を続けているのだから。

 彼女の追加する速度を超えて、こちらは手裏剣を止め続けなくてはならない。

 

 クナイを投げ、そして時には直接振り抜き、手裏剣を一つ一つ、機能停止に追いやっていく。

 一歩一歩、手足の動き、そして僅かな重心の移動さえ、間違えてしまえば、それは、死に繋がった――( )

 

「…………」

 

「死のうなんて思っちゃダメよ? アナタが死んだら私も死ぬわ……」

 

 ――彼女の死だ。

 彼女は彼女自身を人質にできる。それをされてしまえば、自身の命を蔑ろにすることなど不可能だった。

 

 絶え間ない手裏剣の攻撃に、気を緩めることもできない。手裏剣をこうして迎撃することも、彼女の計算内か。このままでは、悪い方向に進むと直感できた。

 

「ミズナ……。もういいはずだ……お前が居れば、オレは……」

 

「ダメよ! 全然ダメ! 私を殺して、アナタは完璧になるの!」

 

 言葉は届かない。

 手裏剣の数は減っている。彼女の放つ速度より、こちらの処理する速度の方が上だという証左だろう。

 

 心に余裕が生まれるが、油断は禁物だった。隙を作れば、彼女に付け込まれる。

 

 だからこそ、言葉は途切れさせない。彼女とは理解し合った。ならば和解ができるのだと、根拠のない自信があった。

 

「お前は家族を望んでいたはずだ。それが、もう叶うんだ……」

 

「アナタこそよ! アナタこそ、ここを乗り切れば、必ず火影になれる。そうしたら、世界から争いをなくすことだって……」

 

「それは、お前が望むべきことでは――( )いや……」

 

「…………」

 

 彼女は〝家族〟を、そして自身は〝平和〟を望んでいた。

 〝夢〟が、願いが入れ替わっている。

 相手と自分の境界がわからなくなり、その上で相手のことを大切に想った結果には違いない。

 

「……とにかくだ。オレは、お前にいてもらわなくては困る」

 

 彼女を殺して、そうやって前に進むことには、意味がなかった。まともでいられる保証がなかった。

 

 空中に舞う手裏剣も、数を減らした。

 そして彼女は次の手を打つ。

 

「イタチのウソつき!!」

 

 ――『手裏剣影分身の術』!

 

 そうやって、無理に数を増やしたが、『影分身』たる手裏剣は、普通の手裏剣よりも脆い。中心を正確に射抜く必要はなく、中心付近に衝撃を与えるだけで済む。

 

 クナイ一つにつき、手裏剣の『影分身』を五つ削る。弾いて、弾いて、弾いて、弾いて、弾いて、本物の手裏剣を貫く。

 (まと)ひとつに、クナイひとつ。確か、そういうルールだった。

 

「ミズナ……ッ!!」

 

「私のことなんて、なんとも思ってないくせに……っ」

 

 そう糾弾される理由がわからなかった。

 彼女への愛しさは、伝わっているはずだった。

 

「そんなことはない……」

 

「いいえ、そうよ。なら、なんで、私に頼ってくれないのよ! 私だって……力になりたかったのよ!」

 

「それは……」

 

 巻き込みたくなかった、というのが第一にあった。そして、頼れる部分は頼っていたはずだった。

 だが、それで納得してくれるのならば、彼女とはこうして争っていない。

 

「私の過去はアナタのものになったわ。だから、次は、私の未来を、私の命をもって、アナタに捧げる」

 

「やめろ、ミズナ……。お前は間違ってる……」

 

 『天照』の炎を背景に、彼女はこちらに背を向ける。

 そして、彼女は手裏剣を投げた。いつかと同じく、高く上がった手裏剣は、何枚かが重なって、ぶれて、わかれ、こちらへと襲う。

 

「いやよ……。これが、私にできる、唯一の、精一杯の恩返しだから……。お願いだから、奪わないで……。こんなことでもしないと……私はアナタのために……」

 

 今更になって、後悔に囚われる。

 ああ、そうだ。彼女は頑張っていたのだ。

 

 彼女にとって、大切なことは、その頑張りが認められることではなく、報われることだった。

 彼女の、〝うちはイタチの力になりたい〟という願いを無下にしてきた結果がこれだった。

 

 思えば、彼女は自身の存在に価値を見出せていなかったのかもしれない。彼女は、自分の命のことを軽く考えているのだろう。だから、こんなこともできてしまう。

 

 彼女に助けを求めなかった理由は、果たして、巻き込みたくないというものだけだったろうか。それだけではなく、彼女には頼りたくないという意地があったのではないだろうか。

 

 幼少の頃より、実力を競い合って、彼女の自身に勝る部分はいくつも見てきた。

 だからこそ、彼女には負けたくなかった。自身の存在意義が揺らいでしまうようで、耐えられなかった。そんなくだらない意地のために、彼女を自身の思い通りに燻らせて、腐らせていた。それがなにより心地よかった。

 

 やはり心のどこかで、彼女を自身の言いなりにしたいのだという考えがあったに違いない。縋ってくる彼女はとても可愛らしく、カラダを委ねてくれたときは、彼女を思うがままにできているという実感で酷く心が満たされていた。

 

「やめてくれ……。頼むから、もっと、自分を大切にするんだ……」

 

「ダメ! どうしようもないの! 私では何も成せないから……っ」

 

 ときおり、彼女が自身の自己評価を低く見積もっている時があった。彼女の生い立ちから、その原因がどこにあるかくらいはわかる。

 

 そして、自身の存在も、その一因であったことくらい。それが、この事態を生んだのなら、責任を、取らなければならない。

 

「ミズナ。お前は、オレの先を行っていたさ。お前はもっと、自信を持っていいんだ」

 

「なによ、今更……! 全然頼ってくれなかったクセに……っ!」

 

 後悔はしている。自身の抱えるものを全て、彼女に打ち明ければ、何かが変わっていたかもしれない。

 見栄を張ることなく全てを、そして彼女は受け止めくれただろう。

 

「お前を、ちゃんと頼るべきだったとは、今でも思う。だからこれからは、二人で話し合っていきたい……」

 

「嘘よ! アナタは根本的なところで他人を信頼できてないの! だから、私以外の女じゃ、裏切られるかもって、冷めた目で見てずっと萎えてるわけ。……男っていうのは面倒ね」

 

「いま、それは関係ない。お前のことは特別だと、それはわかるだろう……?」

 

「じゃあ、じゃあ、なんで私……夜、いつも下なの?」

 

「……はしゃいで、お前がすぐにバテるからだ」

 

「バ、バテてないもん! ジンッてなって、クラッときたとき、私のこと、イタチが、ゴロンってさせるだけだもん!」

 

 彼女の扱いに関して言えば、独善的な部分があったことも否めない。独占欲と征服欲が先行して、彼女のことを好き勝手にしていたには違いない。

 

「お前のことを蔑ろにしてしまっていたというなら、謝る。これからは、お前の意思も――( )

 

「ち、違うわよ……。私は……そういうの……好きだけど……。今は、アナタが他人を信用なんかできないって、話」

 

「…………」

 

 顔を赤くし、半泣きになりながらも彼女は言った。ならば、夜の情事を例に出すべきではなかっただろうに。

 だが、彼女の言い分は一理あった。今まで、自分は自らすすんで人に頼り、任せるということなどありはしなかった。そして、人は、その根本は、そう簡単に変われるものでもない。

 

「それでもだ。これからは、お前のことを一番に考えて、力を合わせて、()()で――( )

 

「いいえ。アナタの一番は、この世界の〝平和〟よ? それが叶いそうになくなったから、消去法的に私のことを選んだってわけ。これからも、アナタの頭の中には、アナタが選べなかった〝夢〟が、未練として残り続ける。……そんなの……私は、イヤよ……!」

 

 いつだって、彼女は逃避先だった。ストレスを大きく感じたとき、彼女に慰めをもらい、心の平穏を保ってきた。

 そのときだけ、彼女が常に味方であると、彼女に甘え切っていた。大切にしていると、そう自分に言い聞かせながら、いざという時は都合良く使っていた。

 

 もし、どちらかに振り切っていれば、こうして彼女を追い詰めることもなかったのかもしれない。

 

 クナイを投げる。金属音と共に手裏剣が動きを止める。

 宙を飛ぶ手裏剣は、もう残ってはいなかった。

 

「ミズナ……。もう、終わりだ」

 

「ま、まだよ……!」

 

 指の先に乗せて回転させた手裏剣を彼女は投げようとする。彼女のその動きは、よく知っている。

 狙いをつけ、タイミングを合わせ、クナイを放つ。

 

「終わりだ……」

 

「っ……!?」

 

 手裏剣が手を離れたその瞬間に、クナイがその回転の中心を穿つ。

 それは、もう彼女には何もできないことを示すに他ならない。

 今の瞳力なら、逆光も障害ではない。

 

「もう、終わりなんだ。ミズナ……」

 

 

「……何度もよ」

 

 

 俯いて、震えた声で彼女は言った。

 

「何度も……何度も、何度も、何度も、何度もっ!!」

 

 苛立ちに任せてか、彼女は地団駄を踏む。繰り返し、繰り返し、今まで溜め込んできた全てをぶつけるように。

 

「アナタは私のことをコケにしてきた!! いい加減……私を勝たせて……っ!! 私を切り捨てなさい!!」

 

 その叫びは、懇願にも似ていた。

 彼女と勝負をし、負けたことは一度もなかった。

 

「それは、無理だ。オレの唯一が、お前だからだ」

 

 勝負はほとんど決したはずだった。だが、彼女ならば、この状況からでも逆転できる。そんな信頼がある。

 

「どこまでも、どこまでも……アナタは……っ!」

 

「だが――」

 

 言い切る前に、全てを聞かずに、彼女は消えた。

 

 ――『夜刀』。

 

 〝有を無に、無を有に見せかける幻術〟だったか。

 いつの間にか周りを飛んでいる手裏剣が、目に映る。当然、それに意味がないことくらいわかる。

 

 目を閉じる。

 幻術に嵌っていることは明白だった。だからこそ、頼るのは五感ではない。

 

 記憶だ。

 彼女のことは誰よりも知っている自負がある。彼女の意図や行動を、間違えるわけがなかった。

 なにもみえなくとも、彼女の打つ手はハッキリとわかる。

 

 まず、一手目は、小手調べ。単純な軌道で、正面から。

 

 二手目は、多方向からの同時攻撃。右、左に真後ろ。一手目から僅かな間で。

 

 三手目は、もう一度、正面。二枚重なり、不意を突くように分かれ、三次元的な攻撃をしかけてくる。

 

 四手目は、不規則な軌道で。上下に左右、そして緩急。四次元的な変化によって、絶対に撃ち抜かれないという執念が、そこに込められている。だが、厄介なのはそこではない。

 

 最後の一手。四手目に気を取られている隙をついて、最速で投げられた(まと)が襲いかかる。

 

 (まと)の数は合計で八つ。彼女なら、そうすると、確信があった。

 (まと)一つに、クナイ一つ。クナイ八つで八つの(まと)を処理し切れなければ、こちらの負けか。

 

 一手目、二手目、三手目を処理する。

 できるだけ早く四手目に対応するが、ギリギリ。

 

 直接的にこちらを狙う五手目の的を、一歩退き、上半身を逸らして躱す。

 そうだった。いつも、投げるのではなく、直接クナイを突き刺すことで、最後の(まと)を迎撃していた――( )

 

「――な……っ!?」

 

 踏み込んだ床が抜けた。

 何度も『天照』を放ったわけだ。この闘いで、脆くなった床があるのは、当然だろう。そして、彼女が、今までの攻撃で、ここまで誘導したことも。

 

 焦りが生まれる。

 だが、クナイを突き上げ、(まと)に当てれば、こちらの勝ちだ。

 幸いにして、体勢が崩れただけであり、リカバーが利かないほどではない。

 

 ――いや、彼女ならば……。

 

 クナイを上に放り投げる。こんなものはもう、必要ない。

 

 手を伸ばして、掴むだけでいい。

 

「やん……っ!」

 

 崩れかけた体勢から、巻き込み、できた穴に落ちないように倒れ、勢いよく二人で転がる。

 受け身を取り、慣性を調節し、もれなく彼女を下に組み伏す。

 

「オレが手裏剣をクナイで迎撃するに乗じて、間に飛び込み、殺されるつもりだったなら、オレがそれを警戒しないわけがないだろ?」

 

 それを聞き、彼女は微笑む。どさくさに紛れ、彼女は手足を絡みつかせ、こちらの自由を奪っている。

 

「く……っ。ふふ……時間がないわよ? わかってるのでしょうけど、こうなることくらい、私は読んでた。この位置に私を留めておけば、私は死ぬわ。まあ、できれば、アナタの手で殺されたかったけど、死因はアナタの力不足って、ことで……」

 

「それは、どうだ?」

 

 クナイが落ちる。

 それは、最後に彼女を掴むため、手を自由にするために、放り投げたクナイだった。

 

 こちらに向かう手裏剣があった。それは最後の(まと)で、放たれなかった八つ目の(まと)。苦肉の策として、彼女が用意したそれだ。

 

 重力に従うクナイは、丁度、その手裏剣の中央を突く。だが、手裏剣はあっさりとクナイを弾く。重力だけでは、その手裏剣の回転に、若干の不安定さをもたらすことしかできない。

 

 そして、手裏剣の軌道は変わった。

 

「なに、何のつもり……」

 

「死ぬときは一緒だ。ミズナ……」

 

 密着する。その手裏剣の軌道の上に、その手裏剣が二人の命を奪うように。

 これが、最善なのだとわかった。

 

「ふ、ふざけないでよ!! 私なんかと一緒に、死なないでよ! アナタは、諦めるっていうの!? これからの全部! アナタの救えるはずの命を!!」

 

「オレの未来を、お前にだ。オレも、お前も、一人にはならない。お前が死ぬなら、それ以上に救える命はない」

 

「じゃ、じゃあサスケはどうするのよ? あの子はまだ一人で生きて行けるほど強くない。私たちが死んだら、いつ上層部に殺されるか……」

 

「もし、ここでお前を見捨てたりしたら、あいつはオレに失望するだろうな。一緒に死んだ方が、まだ格好がつく」

 

「な、なに言ってるのよ? は、早く躱しなさい……!! ……ぐ、うぅ」

 

「動くな……」

 

 もとより、こちらが上だ。彼女を組み敷いて、逃がさない術ならよく知っている。

 彼女に手段は残されていない。

 

「やめて……っ! イタチっ! 私は……私は……こんなつもりじゃなかった!!」

 

「オレと一緒に死ぬのは不満か?」

 

「そういうわけじゃないけど……。違う……違うけど……。違うの……っ!!」

 

 その慌てぶりに、彼女が追い詰められていることがわかった。

 風遁をかろうじて纏った手裏剣は、もう、すぐだった。彼女と一緒ならば、最後の一瞬まで幸福でいられる。死ぬそのときまで幸せならば、死も悪くはなかった。

 

「オレはそれで、満足だ」

 

「うぅ……」

 

 泣いて彼女は、全てを諦めるように抱きついてきた。

 抵抗も、もうここまでくると意味がない。なら、最後の生で、どれだけ幸福を得るかに思考が移ったのだろう。

 

 そうして、彼女は目を閉じた。

 

 愛しい彼女を目一杯に撫でる。彼女と歩んで来た人生は、苦難に満ちて、希望もなく、それでも幸福なものだった。

 そして、そんな人生も、彼女と共に、閉じる。

 

「――だが、それは今じゃない」

 

 クナイが落ちる。

 一度、手裏剣に弾かれたクナイだが、もう一度、弾かれたときに奪った風遁のエネルギーで高く上がり、重力を味方にして、一度目で不安定な動きになった手裏剣の中央を、再度、穿つ。

 

 今度こそ、完全に手裏剣はバランスを崩し、風遁の刃が奪われ、地に落ちる。

 彼女の首筋近くに、勢いを失った手裏剣が地面に刺さった。

 

「ミズナ、オレの勝ちだ」

 

 惚けた顔で、彼女はこちらを見つめている。

 しばらくしてから、手裏剣と、こちらの顔を、交互に見て、状況を把握して、拗ねたように、顔を背けた。

 

「なによそれ……。ずるい……すごく、ずるい……。同じクナイで、二回も同じ(まと)に当てるなんて、反則じゃない? 断固、抗議するわ」

 

「勝ちくらいなら、譲ってもいい。だが、お前だけは譲れないんだ」

 

 力を込め直す。マウントから抜け出そうと、彼女は身体をよじるが、それは、まだ、許せない。彼女に全てを伝えきれていないのだから。

 

「なんで、あんな、芝居掛かったことをしたのよ? 一緒に死ぬだなんて」

 

「別に本気だ。失敗したら、潔く死ぬつもりだったさ。それに今……生きていて良かったと、思ってはないか?」

 

「当たり前よ……。あんなことされれば……誰だってそう思うわ……っ!」

 

 彼女は、自分の命の価値を低く見積もるキライがあるのだとわかっていた。だからこそ、どうにかして、彼女に彼女自身の命の価値を実感させてやりたかった。

 人間、差し迫らない限り、実感などしない。

 

「お前が死んだら、オレも死ぬ。もう、覚悟はできてる……それでもお前は、死にたいか?」

 

「ずるいわ……!」

 

「先に言ったのは……お前だ」

 

「ぐぬぬ……」

 

 なんとか彼女をやり込めることができたようだ。

 最初から、こうできればよかった。こうできる覚悟が、自分にあればよかったのだ。

 

「とにかくだ。もう、お前に死ぬなんて言わせないさ」

 

 まっすぐと、見つめて。

 彼女は相変わらず綺麗だった。もう自分の相手は、ここにいるミズナしかいないと確信を持って言える。

 

 それほどまでに、心奪われて、愛した彼女だった。

 

「わかったわよ……そういうことね……」

 

 ようやく、彼女は力を抜く。

 もう、抵抗はしないという意思表示だろう。わかってくれて、助かった。

 

「これからの話なんだが……」

 

「ふふ、その前に……イタチ、約束、覚えてる?」

 

「約束……?」

 

「そうよ? 今日の朝のやつ。イタチの願いは、私に生きて欲しいってことで、いい?」

 

 確か、互いに互いの願いを叶えるという約束だった。

 彼女にやって欲しいことと言われても、特に思い付かなかった。それほどまでに、彼女はよくやってくれてるからこそ、なのだが。

 

「ああ、構わない」

 

「じゃあね、私はね――」

 

 一息入れ、もったいぶる。

 どんな願いを彼女は言うのか、僅かながらに戦々恐々としながらも待つ。

 彼女の願いだ。どんな無理難題でも、彼女を害する必要が生まれない限り、できるだけ叶えたいと思うことが、当然だ。

 

 

「――キス、して欲しいな……」

 

 

 恥ずかしがりながら、遠慮がちに、彼女は言った。

 

「それで、そんなことで、いいのか?」

 

 もっと、私を犠牲にしてだとか、火影になりなさいだとか、そういう無茶を願われるのだと思っていた。肩透かしを食らったような、それでも、ささやかな幸せを望む彼女らしいような、そんな願いだった。

 

「いいの……。だって、だって、ずっと前から、決めてたんだよ? 今さら、変えられないもん」

 

「ふっ……。そうか」

 

 彼女の願いに応えるべく、唇を近づける。

 

「あ、ダメ……! ちゃんと唇にして?」

 

「あ……あぁ」

 

 咄嗟に気の無い返事をしてしまったせいか、彼女は胡乱げな目で見つめてくる。

 それに、思わずたじろいでしまえば、それを見て、彼女はおかしそうに笑った。

 

「ふふ、だって……いっつも、首とか、そういうところにしか、してくれないじゃん。さっきは、幻術の中だったし……。私たち、ちゃんとキスしたこと、ないでしょう?」

 

「確かにな……」

 

 現実で、彼女の唇を奪ったことはなかった。

 そうしなかったのは、彼女を選び切れていないという、心理的な抵抗感があったからだろう。彼女と関係を持ってしまっている以上、今さらのような気がしないでもないが、それは重要なことだった。

 

「だから、お願い……」

 

 今ならば、それが叶えられる。覚悟の証か、もう躊躇はいらなかった。

 

「いいか?」

 

「うん……」

 

 彼女は目を閉じて、そう。

 そして、唇を重ねた。

 

 柔らかさを感じるとともに、全身が震えた。ずっと欲しかったものを手に入れたときのような歓喜に体が震えて、脳は高揚に満たされる。

 腕の中にいる彼女が、間違いなく自分のものであるのだと、強い実感が込み上げてくる。

 

 唇を離す。

 頰を紅潮させて、彼女は名残惜しげにこちらを見つめていた。そんな表情の彼女は、よく知っている。

 

「ミズナ……これで、満足か?」

 

「……ううん。……イタチ……もっと。……もっと、愛して」

 

「……あぁ」

 

 もう一度、唇を。今度は深く。忘れられないよう、焼き付けるように。

 

「ん……。……あ、あ」

 

 もちろん、それだけで終われるはずがない。彼女には、求められる以上に、()()()を与えた。


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