私は目を覚ました。どうやらここは病院らしい。隣のベッドでは、イタチが寝ているのがわかる。
日の当たり方から、今は午前。どうやら少なくとも、一日は経っているようだった。
「ねえ、イタチ」
試しに話しかけてみる。
カーテンで仕切られているが、声は届くはずだ。
「……なんだ」
「どうして……私は死んでないの?」
単純な疑問だった。
こうして生きているのが、とてもよくわからないことだった。
「…………」
「ねぇ、答えてよ!!」
私は、母を自分の手で殺した。母こそが、私の生きる意味だったから、それで私が死んでいないなど、おかしな話だ。
昨日のことは、正直よく覚えていない。けれど、あの絶望だけは、忘れられずに、頭の奥に張り付いていた。
「オレが……守ったからだ……」
誇らしげな、迷いを含んだ声が流れてくる。
そうだった。守られたんだ。きっと、あれから、イタチはどうにか逆転をして、私をあの仮面のやつの魔の手から救い出したんだ。
「まるで、ヒーローね」
「そんな、格好いいものじゃない」
皮肉を込めての私の台詞を、イタチは即座に否定した。
別に助けてと言ったわけでもない。なのに、強引に助け出した。そんな意味を、私は込めていたのに。
「これから私はどうなるの?」
孤児院にでも行って、実験動物みたいに扱われるのか。いや、そうだった。眼を失った私は、そんな選択肢さえなかった。
まぶたに手を当てる。眼球のようなものが入っている感触はある。義眼でも入れられたか。それでも変だ。どう頑張っても、まぶたが開くことはなかった。
手を使って、無理やりこじ開けようとしてみる。
けれど、痛いだけだった。瞬間接着剤で貼り付けられたか、それ以上にくっついていて、剥がれなかった。
それにしても、絶望的だ。
両親は他界。そして、両眼も失われている。
もはや、
これは、退院したら、自殺するしかないかな。
「
「えっ……?」
私の思考は固まるしかなかった。
どうして、イタチがそんなことを言っているのか。その場の気まぐれか、イタチの口から発せられていい言葉とは思えなかった。
「なんで私が、イタチの家に……?」
「いや、なのか?」
いいや、そうじゃない。
あの夢みたいな記憶は、今まで忘れたことがない。だからこそ、こんな嘘みたいな話を、容易には信じることができなかった。
「ううん。ダメだよ。迷惑でしょう?」
真に受けるわけにはいかない。そんな都合のいい話が、あるわけがない。
期待するだけ、きっと損だ。どこで落とし穴が待ち受けているか、想像しただけでも恐ろしい。
「いや、ではないんだな?」
私の心の機敏を見透かしたように、そうイタチは言った。
思いっきり布団を頭からかぶる。
「酷いや、イタチは……」
頰が熱を持っていた。
言葉とは裏腹に、拒絶感はなく、心地よさで満たされている。
そんな私を知ってか知らずか、イタチは続ける。
「ああ、母さんは乗り気だぞ? これなら、断れないんじゃないか?」
「うぐぐ……」
確かに、ミコトさんが前に出てきたら、私はかたなしだ。凝り固まった私の心を、あの人は溶かしてくれた実績がある。
どう抵抗しようと、本心が引き出されて、首を縦に振らされてしまう気がした。
「わかったなら、今日からミズナ、おまえはオレの妹だ」
「でも、たった二ヶ月だけの違いじゃん。今更、兄も妹もないんじゃない? 嫌よ。イタチのこと、お兄ちゃんって、呼ぶのとか」
「いや……」
悲しそうな声が聞こえてきた。
もしかしたら、本当に呼ばせたかったのかもしれない。
それはそうと、生まれた年はお互いに近い。そうすると少し問題が出てくることに気がつく。
「サスケくんにはどう説明する?」
誕生日と、年齢さえ知られてしまえば、私が養子だということなどバレバレだ。隠すなんて手は通用しない。
「時期を見計らって言うしかないな……」
真剣な声色だった。
でも、サスケもきっと聡い子に育つ気がした。なら、そんなに長く後ろめたさを感じている必要はないのだろう。
「そうね……」
あの子の未来に想いを馳せる。どんな子に育つのだろうか。楽しみだ。
「ねぇ、イタチ」
「なんだ?」
いや、違った。
この呼び方ではいけないんだった。
「ねぇ……お兄ちゃん」
「……やめてくれ」
切実に、そう言われると、心に痛みを感じる。
もうやめよう。お互いにいいことがない。
「今日って、私の誕生日でしょ?」
「そういえば、そうだったな……」
だからそうだ。今日くらい、都合のいいことが起こったって、べつに構わないじゃないか。
きっと、誰かが頑張った私にご褒美をくれたんだ。
――でも、もう少し、わがままを聞いてほしいな。
「祝って?」
一拍の間、そしてイタチは惜しみなく……
「あぁ……おめでとう」
今日で私は七歳になる。
五たす、二は、七で七歳。まだまだ子どもだ。まだまだ未来はある。希望を失うには、きっと早すぎる。
イタチのその言葉を聞けて、私はとても幸せだった。まだ生きていて良かったと思った。
言い表せないこの気持ちに、私は涙を流した。
***
「どう? 具合は」
「もう、明日には、退院できるって言われました」
「また、口調、戻ってるんだけど……」
「あ、ごめんなさい」
今はミコトさんがお見舞いに来てくれている。
イタチのやつはもう退院して帰った。単純にチャクラ切れだったから、そんな
「もう荷物とか、運んでおいたわよ?」
「あ、ありがとうございます」
仕事が早い。ミコトさんの、もう、断れないようにしようっていう魂胆が見える。
どうして、こうも私の扱い方を理解しているのだろうか。
「こんなことを訊くのは、酷だと思うのだけれど……」
ミコトさんは真剣な表情で、私の顔を見据える。いったい何を言われるのか、私には見とおすことができなかった。
「……お母さんのこと、どう思っていた?」
どうしてそんなことを訊いてくるのか、私にはよくわかった。どうやってこの場を凌ごうか、私は思索をはじめる。
「もう……言っていいのよ」
私の手に手を重ねて、彼女はそう後押しする。逡巡。そして私は、正直に虚飾なく本心を語ることにする。
「私は母が大好きでした」
だからこうして、今も私は失意の中にいる。立ち直るにはきっと時間がかかるだろう。
「ちゃんとできたら、褒めてくれる。私のために、どんな面倒なことでもしてくれた、労力を惜しまずにいてくれた。母が大好きでした」
思い出すだけでも嫌になる。もうそんな母はいない。いない。
ないものねだり。それはもうやめなければならなかった。
憐憫、同情、慈悲、博愛。一言では表せない感情を秘めた瞳で、彼女は見つめる。
私の答えに何を思っただろう。
「……そう……。辛かったのね」
もしかしたら、彼女は知っていたのかもしれない。私の母が、今までどんなことをしてきたのか。
それでも変わらない。私の母への評価は、ずっと一定で、揺らぐことはないんだ。
ミコトさんは、私を抱きしめてくれる。
落ち着く。安心する。昔を思い出す。
何をされようと、私の母への思いが変わることはない。だけれど、私はこの人からの愛情を受け取ることに決めた。
「あの、一ついいですか?」
こちらが訊かれてばかりじゃ、フェアじゃない。
私だって、気になったことの一つや二つ、質問をしておきたいのだ。
「なに?」
躊躇。しかし意を決し
「どうして、私を引き取ろうだなんて思ったんですか?」
大方、予想されつくされていたのだろう。至極当たり前の質問だった。彼女は穏やかな笑みを浮かべる。
「ただ気が向いたからってだけで、べつに理由はないのよ?」
信じられないことを言われた。
そんな人生を変えるかもしれない決断を、どうやら彼女はそんなふうに気分だけで下したらしい。
そこにどんな葛藤があったかは知らない。そこにどんな苦悩があったかは知らない。そこにどんな障害があったかは知らない。
「信じられないでしょ? 私も信じられない。でも、放って置けなかったから」
だが、そんな全てを乗り越えて、彼女は進んだ。
敬服する。思慕する。憧憬する。尊崇する。讃美する。
持てる全ての言葉をもって、彼女の在り方に感心を持つ。
彼女は無自覚に、善心的に私の人生をもてあそんだ。私はそれに感謝しなくてはならない。報いらなければならない。
「なら、私はただ、運が良かっただけなんだ……」
悪戯に私はそうつぶやく。けれど、ミコトさんは、慈しむようにそっと私のほおを撫でる。そして、力強く、確信でもあるかのよう
「そうじゃない。私は、ミズナちゃんじゃなければ、引き取ろうなんて思わなかった。ミズナちゃんじゃなければ、あの人は多分、首を縦には振らなかったわ」
なぜそんなことが言えるのか、私にはわからなかった。私がなにかした覚えはなかった。どこまでも無価値で、どこまでも無意味な行いを繰り返していた私には、褒められる点など一つもなかった。
ただ、そうだ。外から私を見たときに、一つ枠にはめられた見方がある。
「もう私は、忍になったりできないと思うし、目も見えないから、もうできることなんて、ほとんどないでしょ……。それなのに」
将来有望とか、そういった、期待を込められた目で私は見られていた。
もちろん私は私のために、小狡い話だと思う、そういう風に見られるような、そんな浅ましい努力を続けてきたつもりだ。
私の根は、真面目とは天と地ほどにかけ離れている。
「初めて会ったとき、私はあなたのことを、なんて思ったか……わかる?」
「えっ?」
「可哀想って思ったの」
それは侮蔑にも近い感情だ。私は私の思う限りに生きてきた。そんな私を可哀想、の一言で切り捨てるのは、あまりにも分からず屋で、あまりにも不躾な行為で、あまりにも私を軽んじている。否定している。
「――でも、今は違う」
ああ、そんな相手に、私が心を開くわけがない。こうして、余計なことまでぐちぐち言って、甘えているわけがないのだ。
そう、甘えている。私は今、思いっきし甘えている。
ミコトさんは私の抱き寄せ、頭を撫でてくれた。
「偉いわ。あなたはよく頑張ってる。私はあなたを尊敬してるわ」
褒めてもらった! うれしい!