なにもみえない   作:百花 蓮

9 / 47
びょういん

 私は目を覚ました。どうやらここは病院らしい。隣のベッドでは、イタチが寝ているのがわかる。

 日の当たり方から、今は午前。どうやら少なくとも、一日は経っているようだった。

 

「ねえ、イタチ」

 

 試しに話しかけてみる。

 カーテンで仕切られているが、声は届くはずだ。

 

「……なんだ」

 

「どうして……私は死んでないの?」

 

 単純な疑問だった。

 こうして生きているのが、とてもよくわからないことだった。

 

「…………」

 

「ねぇ、答えてよ!!」

 

 私は、母を自分の手で殺した。母こそが、私の生きる意味だったから、それで私が死んでいないなど、おかしな話だ。

 

 昨日のことは、正直よく覚えていない。けれど、あの絶望だけは、忘れられずに、頭の奥に張り付いていた。

 

「オレが……守ったからだ……」

 

 誇らしげな、迷いを含んだ声が流れてくる。

 そうだった。守られたんだ。きっと、あれから、イタチはどうにか逆転をして、私をあの仮面のやつの魔の手から救い出したんだ。

 

「まるで、ヒーローね」

 

「そんな、格好いいものじゃない」

 

 皮肉を込めての私の台詞を、イタチは即座に否定した。

 別に助けてと言ったわけでもない。なのに、強引に助け出した。そんな意味を、私は込めていたのに。

 

「これから私はどうなるの?」

 

 孤児院にでも行って、実験動物みたいに扱われるのか。いや、そうだった。眼を失った私は、そんな選択肢さえなかった。

 

 まぶたに手を当てる。眼球のようなものが入っている感触はある。義眼でも入れられたか。それでも変だ。どう頑張っても、まぶたが開くことはなかった。

 

 手を使って、無理やりこじ開けようとしてみる。

 けれど、痛いだけだった。瞬間接着剤で貼り付けられたか、それ以上にくっついていて、剥がれなかった。

 

 それにしても、絶望的だ。

 両親は他界。そして、両眼も失われている。

 もはや、()()()としての将来もない。

 これは、退院したら、自殺するしかないかな。

 

(うち)に来ればいい……」

 

「えっ……?」

 

 私の思考は固まるしかなかった。

 どうして、イタチがそんなことを言っているのか。その場の気まぐれか、イタチの口から発せられていい言葉とは思えなかった。

 

「なんで私が、イタチの家に……?」

 

「いや、なのか?」

 

 いいや、そうじゃない。

 あの夢みたいな記憶は、今まで忘れたことがない。だからこそ、こんな嘘みたいな話を、容易には信じることができなかった。

 

「ううん。ダメだよ。迷惑でしょう?」

 

 真に受けるわけにはいかない。そんな都合のいい話が、あるわけがない。

 期待するだけ、きっと損だ。どこで落とし穴が待ち受けているか、想像しただけでも恐ろしい。

 

「いや、ではないんだな?」

 

 私の心の機敏を見透かしたように、そうイタチは言った。

 思いっきり布団を頭からかぶる。

 

「酷いや、イタチは……」

 

 頰が熱を持っていた。

 言葉とは裏腹に、拒絶感はなく、心地よさで満たされている。

 そんな私を知ってか知らずか、イタチは続ける。

 

「ああ、母さんは乗り気だぞ? これなら、断れないんじゃないか?」

 

「うぐぐ……」

 

 確かに、ミコトさんが前に出てきたら、私はかたなしだ。凝り固まった私の心を、あの人は溶かしてくれた実績がある。

 

 どう抵抗しようと、本心が引き出されて、首を縦に振らされてしまう気がした。

 

「わかったなら、今日からミズナ、おまえはオレの妹だ」

 

「でも、たった二ヶ月だけの違いじゃん。今更、兄も妹もないんじゃない? 嫌よ。イタチのこと、お兄ちゃんって、呼ぶのとか」

 

「いや……」

 

 悲しそうな声が聞こえてきた。

 もしかしたら、本当に呼ばせたかったのかもしれない。

 

 それはそうと、生まれた年はお互いに近い。そうすると少し問題が出てくることに気がつく。

 

「サスケくんにはどう説明する?」

 

 誕生日と、年齢さえ知られてしまえば、私が養子だということなどバレバレだ。隠すなんて手は通用しない。

 

「時期を見計らって言うしかないな……」

 

 真剣な声色だった。

 でも、サスケもきっと聡い子に育つ気がした。なら、そんなに長く後ろめたさを感じている必要はないのだろう。

 

「そうね……」

 

 あの子の未来に想いを馳せる。どんな子に育つのだろうか。楽しみだ。

 

「ねぇ、イタチ」

 

「なんだ?」

 

 いや、違った。

 この呼び方ではいけないんだった。

 

「ねぇ……お兄ちゃん」

 

「……やめてくれ」

 

 切実に、そう言われると、心に痛みを感じる。

 もうやめよう。お互いにいいことがない。

 

「今日って、私の誕生日でしょ?」

 

「そういえば、そうだったな……」

 

 だからそうだ。今日くらい、都合のいいことが起こったって、べつに構わないじゃないか。

 きっと、誰かが頑張った私にご褒美をくれたんだ。

 

 

 ――でも、もう少し、わがままを聞いてほしいな。

 

 

「祝って?」

 

 

 一拍の間、そしてイタチは惜しみなく……

 

 

「あぁ……おめでとう」

 

 

 今日で私は七歳になる。

 五たす、二は、七で七歳。まだまだ子どもだ。まだまだ未来はある。希望を失うには、きっと早すぎる。

 

 イタチのその言葉を聞けて、私はとても幸せだった。まだ生きていて良かったと思った。

 言い表せないこの気持ちに、私は涙を流した。

 

 

 ***

 

 

「どう? 具合は」

 

「もう、明日には、退院できるって言われました」

 

「また、口調、戻ってるんだけど……」

 

「あ、ごめんなさい」

 

 今はミコトさんがお見舞いに来てくれている。

 イタチのやつはもう退院して帰った。単純にチャクラ切れだったから、そんな大事(おおごと)でもなかったらしい。念のためって、わけだね。

 

「もう荷物とか、運んでおいたわよ?」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 仕事が早い。ミコトさんの、もう、断れないようにしようっていう魂胆が見える。

 どうして、こうも私の扱い方を理解しているのだろうか。

 

「こんなことを訊くのは、酷だと思うのだけれど……」

 

 ミコトさんは真剣な表情で、私の顔を見据える。いったい何を言われるのか、私には見とおすことができなかった。

 

「……お母さんのこと、どう思っていた?」

 

 どうしてそんなことを訊いてくるのか、私にはよくわかった。どうやってこの場を凌ごうか、私は思索をはじめる。

 

「もう……言っていいのよ」

 

 私の手に手を重ねて、彼女はそう後押しする。逡巡。そして私は、正直に虚飾なく本心を語ることにする。

 

「私は母が大好きでした」

 

 だからこうして、今も私は失意の中にいる。立ち直るにはきっと時間がかかるだろう。

 

「ちゃんとできたら、褒めてくれる。私のために、どんな面倒なことでもしてくれた、労力を惜しまずにいてくれた。母が大好きでした」

 

 思い出すだけでも嫌になる。もうそんな母はいない。いない。

 ないものねだり。それはもうやめなければならなかった。

 

 憐憫、同情、慈悲、博愛。一言では表せない感情を秘めた瞳で、彼女は見つめる。

 

 私の答えに何を思っただろう。

 

「……そう……。辛かったのね」

 

 もしかしたら、彼女は知っていたのかもしれない。私の母が、今までどんなことをしてきたのか。

 それでも変わらない。私の母への評価は、ずっと一定で、揺らぐことはないんだ。

 

 ミコトさんは、私を抱きしめてくれる。

 

 落ち着く。安心する。昔を思い出す。

 何をされようと、私の母への思いが変わることはない。だけれど、私はこの人からの愛情を受け取ることに決めた。

 

「あの、一ついいですか?」

 

 こちらが訊かれてばかりじゃ、フェアじゃない。

 私だって、気になったことの一つや二つ、質問をしておきたいのだ。

 

「なに?」

 

 躊躇。しかし意を決して―( )―これだけはどうしてもきいておきたかった。

 

「どうして、私を引き取ろうだなんて思ったんですか?」

 

 大方、予想されつくされていたのだろう。至極当たり前の質問だった。彼女は穏やかな笑みを浮かべる。

 

「ただ気が向いたからってだけで、べつに理由はないのよ?」

 

 信じられないことを言われた。

 そんな人生を変えるかもしれない決断を、どうやら彼女はそんなふうに気分だけで下したらしい。

 

 そこにどんな葛藤があったかは知らない。そこにどんな苦悩があったかは知らない。そこにどんな障害があったかは知らない。

 

「信じられないでしょ? 私も信じられない。でも、放って置けなかったから」

 

 だが、そんな全てを乗り越えて、彼女は進んだ。

 敬服する。思慕する。憧憬する。尊崇する。讃美する。

 持てる全ての言葉をもって、彼女の在り方に感心を持つ。

 

 彼女は無自覚に、善心的に私の人生をもてあそんだ。私はそれに感謝しなくてはならない。報いらなければならない。

 

「なら、私はただ、運が良かっただけなんだ……」

 

 悪戯に私はそうつぶやく。けれど、ミコトさんは、慈しむようにそっと私のほおを撫でる。そして、力強く、確信でもあるかのように―( )

 

「そうじゃない。私は、ミズナちゃんじゃなければ、引き取ろうなんて思わなかった。ミズナちゃんじゃなければ、あの人は多分、首を縦には振らなかったわ」

 

 なぜそんなことが言えるのか、私にはわからなかった。私がなにかした覚えはなかった。どこまでも無価値で、どこまでも無意味な行いを繰り返していた私には、褒められる点など一つもなかった。

 

 ただ、そうだ。外から私を見たときに、一つ枠にはめられた見方がある。

 

「もう私は、忍になったりできないと思うし、目も見えないから、もうできることなんて、ほとんどないでしょ……。それなのに」

 

 将来有望とか、そういった、期待を込められた目で私は見られていた。

 もちろん私は私のために、小狡い話だと思う、そういう風に見られるような、そんな浅ましい努力を続けてきたつもりだ。

 

 私の根は、真面目とは天と地ほどにかけ離れている。

 

「初めて会ったとき、私はあなたのことを、なんて思ったか……わかる?」

 

「えっ?」

 

「可哀想って思ったの」

 

 それは侮蔑にも近い感情だ。私は私の思う限りに生きてきた。そんな私を可哀想、の一言で切り捨てるのは、あまりにも分からず屋で、あまりにも不躾な行為で、あまりにも私を軽んじている。否定している。

 

「――でも、今は違う」

 

 ああ、そんな相手に、私が心を開くわけがない。こうして、余計なことまでぐちぐち言って、甘えているわけがないのだ。

 そう、甘えている。私は今、思いっきし甘えている。

 

 ミコトさんは私の抱き寄せ、頭を撫でてくれた。

 

「偉いわ。あなたはよく頑張ってる。私はあなたを尊敬してるわ」

 

 褒めてもらった! うれしい!


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。