沈む夕陽と昇る月が同時に見れるときはそうない。
だか季節は偏りのない春、空には雲の姿もなくそのときがやって来ていた。
右を見れば深い蒼に染まった空にまだ光を帯びていない月が。左を見れば真っ赤な夕焼けが景色を茜色に染めている。そしてその丁度真ん中、双方の色が混じり合い、紫色になっていた。
人間の里も人気が消え始めて、歩く霊夢の足音だけが異様に霊夢自身の耳の中で反芻している。人間の里に来ることは多くない。週に二、三回買い出しくる程度だろうか。神社を長く薄にできないということもあるが、特別興味を引かれるものない。目を離しすぎると危ない貸本屋が一軒あるだけで、霊夢が長いする理由は何処にもなかった。
よってもう買い物を済ませてしまった霊夢は他の物に見向きもせず神社に向かう。
しかし霊夢が見なければ必ずしも帰れるわけではない。
「あっ、霊夢さん」
他の物の方から霊夢に寄ってくる場合もある。
霊夢に話しかけた長く綺麗な緑がかった髪の少女、東風谷早苗は純朴な笑みを霊夢に向ける。声に振り返った霊夢は少し陰鬱な表情を浮かべた。
早苗は決して悪い子でない。巫女の仕事も真面目にこなし、異変が起これば解決するために力も貸してくれる。だがどうにも波長が合わないのだ。話すことが楽しいと思う早苗に対して、霊夢は一人で空を眺めている方が楽しく感じる。
ひとえにこの違いかもしれない。
今度永遠亭の兎にでも見てもらうか――霊夢がそんなことを考えていると、早苗が一歩近寄った。
「どうかしましたか?」
「いや、別に」
素っ気なく返す霊夢に早苗はクスクスと口に手を当てて笑う。
笑顔が絶えない。それも早苗が苦手の理由の一つ。
笑っていても、その笑い方でどんな意味の笑いか分かることがある。けれども早苗はいつも楽しそうに笑う。その笑いの中にどんな意味があるのか計りかねる。本当に楽しくて笑っているのか、それとも心の中では違うことを考えているのか。そこがはっきりしない。
人一倍警戒心の強い霊夢にとって、腹の中が読めない相手は必然的に苦手の部類に入ってしまう。同様の理由で化け狸も壁抜け仙人も苦手だった。
でもそんな霊夢のことを早苗は知らない。なにせ知ろうとして話しかけているのだから。
早苗にとって霊夢は同職の先輩にあたる。幻想郷に二社しかない神社の巫女同士、仲良くしたいのが早苗の本心だ。とは言え差し向かいに話すことなどあまりない。異変の時に話かけるとはできないし、かといって普通のときに話しかけても煙たがられる。
それでも霊夢に話しかけるのは、霊夢と仲良くなりたい一心だから。
つまり霊夢が早苗を知ろうとすれば、全て解決なのだ。
「今からお帰りですか?」
「まあ……そんなとこ」
「ならよかったです。実はお話したいことがありまして。これなんですけど」
早苗が袖の中から見覚えのある封筒を取り出す。霊夢は昨日見つけた二通の手紙を思い出した。「3」「2」と見つけたからには「1」もあるだろう。そう考えてはいたのだが、手紙の中に場所を記した記述がなかったため、もう出会うこともないと思っていた。
「中身、読んだんですけど、内容的に霊夢さんにもお見せした方がいいかなっと」
どうぞ、早苗は霊夢に手紙を手渡す。『顔も知らない誰かへ』の宛名。間違いない、あの手紙だ。霊夢は封筒の端に「4」と書いてあることを確認すると、封の切られた便箋の中から手紙を取りだした。
顔も知らない誰かへ
おはよう、こんにちは、こんばんわ。
自分の知らない場所に行くのは楽しいですね。知らない街、知らない人。私の見ている世界の外にある世界。でも自分がいなくても世界が廻っていることに気づくと、少し寂しいです。自分がいなくなった後でも世界は自然に、支障なく回り続ける。自分がちっぽけに思えて、なんだか余計なことまで考えちゃいます。今日、人間の里へ来てそんなことを思いました。
でもだから私は手紙を書くのかもしれません。何かが残るように。
人間の里を出た後は、神社に向かいました。幻想郷を守る博麗の巫女が住むという博麗神社。その巫女さんを一目見たかったのですが、どうやらもう寝てしまったみたいで。もっと明るいときにこれたらよかったのに、残念です。境内も綺麗だったし、こんなに規則正しい生活をされている方なら、きっと素敵な人なのだろう。そう勝手に想像しています。
ただ一つ心残りなのは三通目の手紙をお賽銭箱に入れてしまったこと。なんだか罰が当たりそう。でも今日は別の場所を案内して貰う予定なので、明日足を運ぶときに会えたら謝らろうと思います。
そして今日はもう一つ神社に行く予定です。山登りは大変そうですが、高い所から見る幻想郷はきっと私の心を躍らせてくれる。そんな予感がします。
それじゃ、待ち合わせなので。
「罰なんて当たんないわよ」
「そうですよね。面白い子です」
何を気にしているんだか。なんだか可笑しくて、霊夢は小さく笑いながら手紙を封筒の中に仕舞い早苗に渡す。だが早苗はそれを受け取らなかった。それは霊夢さんが持っていた方がいい、そう言ってきかなかった。
「なら貰っておくけど」
「この手紙を見つけたのは今日の朝なので、今夜くらいに来るんじゃないかと。それをお伝えしたかったんですよ」
――今夜か。
その誰かのことを考えたとき、霊夢はあることを思いつく。
「それじゃ私は失礼しますね」
「あっ、待って」
早苗は踵を返して立ち去ろうとしたが、霊夢に呼び止められ振り返った。
なんだか喉に物がつっかえたように口ごもる霊夢を見て、少し頬を緩める。
「どうかしました?」
「ちょっと……その、買い物に付き合ってほしいんだけど」
意外な言葉に今度は目を白黒させる。霊夢の方から早苗を誘うなど、知り合ってから一度も無かった。早苗の中で驚きと喜びが混じり合っているなか、霊夢は言葉を続ける。
「買いたい物があるんだけど、そのお店が何処にあるのか分からなくて」
「それでしたら是非案内しますよ。何をお探しですか?」
霊夢が小さくそれを告げる。
聞いた早苗はたちまち笑顔になって「それは良いですね」と返した。
「それでは急ぎましょう。こちらです」
――もしかしたら、ただ表裏のない子なんじゃ。
前を走っていく早苗を見ながら霊夢はそう思った。単に自分が深読みしているだけではないかと。向こうで急ぐようにと手を振る早苗に、霊夢は言葉を返して地面を蹴った。
もう夜はそこまで来ている。夕陽は今にも落ちそうだ。人気の少ない人間の里に再び霊夢の足音が広がる。
しかし霊夢の耳に自分の足音が反芻することはなかった。