日本の宮城県にある大きくも小さくもない、でも歴史はそれなりにある街。
そこで俺は中学を卒業し、あらたな気持ちで高校に入学した春が過ぎ去り、次第に夏へとよそおいを変えていく梅雨の時期。
空には薄暗いのっぺりとした雲が広がり、ちょっぴり冷たい雨がしとしとと静かに降る朝のことだ。
男子高校生である俺はズボンとワイシャツな制服に身を包み、教科書が詰まったカバンを持ってから自宅を出て30秒ほど歩いてやってきたのは2階建ての一軒家。そこは幼馴染で姉のような人が父親とふたりで暮らしている。
平日の朝は毎日やってくるから、父親であるオットーさんとは仲がいい。今だって『今日も娘をお願いするよ。あぁ、なんなら胸を揉んでも構わない』と強い信頼の言葉をもらっている。
でも毎朝のようにだらしのない格好を見ていると女としての魅力がゼロに感じてしまう。いるのがあたりまえという慣れは恐ろしいものだ。
昔は心がときめいたのに、とため息をついて2階にある部屋へとつく。コンコンと軽くノックをし、何の反応もないから静かに部屋へと入る。
女性特有の甘ったるい匂いと、閉め切ったカーテンから漏れだす弱い朝がある部屋に入る。
床に散らばっている日本語やドイツ語の様々な大きさの本を踏まないように気をつけつつ、ベッドへとたどりつく。
そこにはかぶっていた毛布を放り投げ、灰色のパジャマを着ている幼馴染のビスマルクがいた。
小学生の時に引っ越してきたときに公園で寂しそうにしてたのを俺が強引に遊んだのが始まりだった。ビスマルクははじめ、日本語がうまくなかったが一緒に過ごすうちに上達していった。
昔は年下である俺の後ろをついてきて可愛いものだったが、あまり頼られなくなるようになった時は少しさびしいものだった。
そんな彼女は俺より年上で高校3年生。名前が明らかに男性名だが、ドイツ語なんてのは日常的に聞かないから大きな違和感はない。両親共にドイツ人で、白人な外国美少女成分が高いから、名前とのギャップの差に驚く人は多い。
ビスマルクは俺より4cmほど身長が高い173cm。身長が高いからか胸も大きく、ブラのサイズはD70って言っていたがそう言われてもわかりづらい。
金髪は絹糸のようにキメ細かく色鮮やかで、みじろぎするたびに腰まである髪が白い肌の上でさらさらと揺れるのは目を奪われる。
小さく吐息がもれる唇。目鼻立ちはきりっとして、寝ている姿は上品さを強く感じてしまう。……目が覚めてしまうとやかましくなるが。
美人は3日で飽きるという言葉があるが、そんなのは嫉妬から出た言葉だと思う。綺麗なものを見て飽きるだなんて人として疑うものだ。
「朝だ。起きないとコーヒーを角砂糖まみれにしてやるぞ」
ベッドに片膝をつき、肩を強くゆすりながら起こすと、すぐに目を開けては深い青の瞳で一瞬だけ俺を見てくるがすぐにぼんやりとした目つきになってしまう。
「おはよ、ユウ。抱っこしてー」
「おはよう、ビスマルク」
ユウと呼ばれた俺は、ビスマルクが両手を伸ばしてくるのをかわしてカーテンを開ける。そうしてからベッドの上にある毛布を床に敷いてから、ビスマルクを床に転がして落とす。
ビスマルクは「ぐぇ」と美少女らしくない声を出して落ちた。それから緩慢な動きで立ちあがるのを見ると、俺はクローゼットに行って引き出しを開ける。
「今日のパンツの色は?」
「白よ。単純な白」
その言葉を聞いて、デザインがごてごてしない白色のブラを取りだしてベッドにぼんやりと腰かけていたビスマルクへと手渡す。
「ん」
俺から下着を受け取るとまだ意識がぼーっとしているらしく、動きが活発化していない。
朝が恐ろしく弱く、俺が中学生になったあたりからはブラも任されるようになった。
あの時は思春期に入った俺は美人な姉のような人のブラをさわるなんてのは興奮したもんだが、今ではまったく喜ばなくなってしまった。枯れた男のようだとか、生気のない男と言われても仕方がない。
時々パジャマから見える下乳だとかそんなのも見慣れてしまった。もうブラをつけて寝ろと言いたくなるが、寝づらいから嫌だと言う。将来の独り暮らしが心配になる。それまでは俺が世話をしなきゃいけないかと深い悲しみのため息をついてしまう。
……もし、俺がこの先ずっと恋人が作れなかったらビスマルクのせいにして飯をたかってやろうと思う。今は恋人が欲しいとも思わないから、特に文句はないが。
「きちんとつけてこいよ? それじゃあ下で待っているからな」
「つけてくれないの?」
上目遣いで見上げてくるという仕草は、見慣れているビスマルクの顔を50%増しで美人にしてくるから気をつけないといけない。さらに言葉を続けられると薄弱な俺の精神がコントロールされてしまう。
俺はビスマルクに目線を合わせ、おでこへと手を伸ばしてデコピンをする。
「2度寝したらタンポポコーヒーになるからな」
親指を立ててサムズアップしながらベッドへと仰向けに沈んでいくビスマルクに声をかけ、俺は部屋を出て扉を閉める。
扉に背を預け深く深呼吸を何度もする。
落ち着いているように演技できているはずだが、恥ずかしさやいやらしいエロ視線を出さないようにするのがちょっと辛い。
毎日見れば少しは慣れはするが、うなじとか寝顔とか普段見ることのない無防備な姿は純粋な心の持ち主には試練だ。高校入試をやるぐらいには気を使う。
気分が落ち着いたところで階段を下りて行く。
リビングのテーブルの上には3人分の食事である洋食と和食が置かれ、俺用の制服にべたつかないサンドイッチとコーヒーが置いてあるところへと椅子を引いて座る。
朝飯なら自宅よりもこっちの家で食べることが多く、第2の我が家な存在だ。
ビスマルクの父親であるオットーさんは髪をポマードで後ろへと固め、口元には立派な髭があるかっこいい人だ。バーのマスターといっても充分通じるほどに。
そのオットーさんは紺色のスーツを着ていて、俺へとコーヒーを持ってきてくれた。
ふたりで朝食を食べつつ、日本経済だとか政治。それに近頃の高校生のブームはなんだとか色々な話をする。
そうして楽しく話をしていると、ビスマルクが2階から降りてくる足音が聞こえてくる。
「
「
オットーさんが挨拶をすると眠そうなビスマルクの返事。
「おはよう。でも俺にはさっき言ったろ」
「2回したって何の問題もないじゃない。私が言いたかったんだから感謝しなさい。こんな美少女に挨拶されることをね」
「わかったわかった」
俺は食事の手を止め、ビスマルク用にコーヒーを淹れようと立ちあがる。ドリップコーヒーに砂糖とミルクを入れるだけの簡単なことだけど。
キッチンに立ち、準備をしていると背中に大きく柔らかい二つのものが押し付けられてきた。
それはパジャマ越しのブラの感触がまったくない乳だ。
腹が出ている格好を見ても何も思わないが、こうして感触を感じてしまうと俺の理性に深刻なダメージがある。
俺が青少年らしい悩みを抱えているというのに、ビスマルクは俺の胸へと両腕をまわしては強く抱きついてくる。密着だ。今なら髪から感じる甘ったるいビスマルクの匂いに負けて、お願いごとをなんでも聞いてしまいそうになる。
必死の理性で抱きつかれたままコーヒーを作り終えると、マグカップを持ってビスマルクと一緒にテーブルへと行く。
「ほら、座れ」
「はぁ~い」
足で椅子を引くと、俺からゆっくりと離れて座る。その前にコーヒーを置いた途端、すぐにマグカップを掴んではちびちびと飲み始める。
毎朝精神力に多大なる試練が与えられることにため息をつくとまた食事へと戻る。
俺とオットーさんは洋食だが、ビスマルクは和食。納豆と豆腐が置いてあると本当にドイツ人かと思ってしまう。
そんなふうに思っている俺の視線に気づいたのか、胸を張って俺へと強気な笑みを向けてきた。
「私はドイツ人であり日本人よ」
「二重国籍?」
「22歳までなら選ぶのを待ってもらえるから」
それがなに? と不満げな視線を向けてくると俺は目をそらす。聞いた理由を聞かれると呆れるに違いないからだ。だって金髪美少女が嬉々として納豆を食べるのはいまだに違和感を覚える。もう10年ぐらいその光景を見ているというのに。
「ブラはつけてこなかったのか?」
そらした目を戻すと、今度はビスマルクが俺から視線をそらした。面倒らしく、制服に着替えるときまでブラをつけないことがほとんどだ。男として見られないことに悲しむべきか、信頼されてるからブラなんかいらないのだと喜ぶべきか。
「ユウだから別にいいのよ。今さら私の体を見ても興奮しないでしょ?」
「そうだけど」
「……自分で聞いてなんだけど、そう言われると腹が立つのはなぜかしら」
口を開きかけ、『匂いと胸の感触はいいよ』だなんてフォローしようとしたがそんなのを言ったら変態だ。ふたりから変態扱いされてしまう。
すると食事が終わったオットーさんは「ユウくんはビスマルクを見慣れているからね。だから僕と亡くなった妻と同じぐらいな関係性なんだよ」と謎な言葉を言っては立ち上がり食器を片づけていく。
「どういうことなの、お父さん」
「それはだね……いや、答えを出すのは簡単だけど2人で考えてごらんよ。近い将来に出来ることだから」
微笑んでは困り顔なビスマルクと俺を置いてオットーさんは2階へと行った。
今の言葉を解釈するのなら、俺に結婚しろというのか。だらしない姉であり生活力が乏しいビスマルクと。
結婚するのなら料理も掃除もできて、朝にきちんと起きられる人がいい。でも今までの人生で告白を受けたどころか、女の子と仲良くできたのなんてビスマルクしかいないことを思い出すと悲しくなる。
なぜか理由はいまだにわからないが、自分の欠点というのは自分ではわからないものなのだろう。
「ユウはお父さんの言ったことがわかった?」
「ビスマルクが大人になって俺を養ってくれるという話じゃないか?」
「そういうのならお姉ちゃんに任せなさい! 大学行かないで就職するわ!」
「冗談だ。お願いだから予定通りに大学へ行ってくれ」
ふざけて言うと真面目に言葉を受け止められ、少しだけ焦ってしまう。養われるのなら必然的に俺は主夫になってしまいそうだ。俺よりビスマルクのほうが稼げそうだし。
いつもの朝より妙に元気よく会話を振られながら俺達は食事を終え、俺は食器を洗いはじめビスマルクは登校の準備をする。そのあいだにオットーさんは俺に声をかけて仕事へと出ていった。
俺はオットーさんを見送ると、そのまま玄関先で外からの雨音を聞きながらビスマルクが来るのを座ってぼーっと待つ。
何分経ったかわからないが、少しするとドタドタと慌ただしく階段を降りてくる音がする。
ビスマルクの服装は白のブラウスに濃緑色の夏用ベスト。同じ色のスカート。赤色のパータイという制服をしっかり着ていた。
女性の身支度はいつどんなときでも長くなるものだが、今日は早いほうだったなと思っていると手に櫛を持っていて、悲しげな表情で俺の前に立つ。
俺とビスマルクの関係は長い。だから何を伝えたいか、そんなものは言葉がなくても通じる。
「ね、髪をやって欲しいんだけど」
「先に行ってる」
すぐに家から出ようとすると、ビスマルクは俺の腰にしがみついてきては逃がさないとばかりに力を入れて家の中へと引っ張ってくる。
「私を捨てていなくなるってどういうことなの!?」
「むしろ、そっちが捨ててるだろ。家と外だと態度が違うじゃないか」
ビスマルクは学校では人気者で生徒会長もやっている。だからか、立派な自分を見せたいためにクールビューティーな感じになっている。
今ではこんなべったりしてくるが、高校生になってからは中学の時と違って外では声をかけても冷たく対応される。
その成果が出て、学校でのあだ名は『騎士姫』だなんてかっこよく呼ばれている。
なんで家と外で違うのか聞いたことはないが、高校生になってからずっとこうだ。理由があると思うが、俺には何もわからない。聞こうとも思ったが、なんとなく聞きたくない気がする。
もし、俺と外で会話したくないとか思われてたら心が折れることは確実だ。1週間は引きこもりたくなる。
「それは、その、ね……?」
どこか恥ずかしげで悲しげな表情と言葉。
なぜそういうふうになる、と疑問を覚えたところでさっきの自分の発言が遠まわしに理由を聞いたのだと気付いた。
「待っ―――」
「ユウと一緒だと邪魔になるから」
止める前にそんなことを言ってきた。それは俺には辛く、こうして朝にやってきては起こしたりしてるけど、外で世話を焼いたり仲良くするというのは嫌ということか?
詳しいことを聞こうとする気さえも起きず、俺は深く落ち込む。
俺という存在自体が恥ずかしい? 勉強はできないけど、外見はそこそこいいし、清潔感を保つのも忘れていない。それが原因というなら、ビスマルクと一緒だと俺は世話を焼きすぎるからだろうか?
ビスマルクが他に何かを言っているようだが、言葉が言葉として聞こえず、ただの音として耳を通り過ぎていく。
ショックのまま時間が過ぎ去り、いつのまにか目の前には靴を履いたビスマルクがいた。俺が櫛を通す予定だった髪は自分でやったらしく、綺麗になっている。
「ほら、行きましょ?」
「ああ」
たとえ落ち込むことを言われても、このままではいけない。ビスマルクだって何事もなかったかのようだ。つまりは俺の重く受け止め過ぎだ。そう、今は悪く考えすぎているだけだ。
玄関の傘立てから自分の傘を取ると、ビスマルクより先に玄関を出る。
でも傘を差さず、雨に打たれるまま。そうするとじんわりと頭やワイシャツに雨が染み込み、体が冷えてくる。
熱く、ぐるぐるとしていた思考は冷えてくるも、気分は深く沈んだまま。
「ちょっとなにやってるのよ!」
後ろから傘を差しだされ、ビスマルクは慌ててハンカチで俺の顔をごしごしと力強く拭いてくる。
今はこうやって触れてくれるが、学校だと会話なんてない。ビスマルクだって作りたいイメージがあるのはわかるが……。
「精神を落ち着かせようと思って」
「なんなのよ、突然。……あ」
そう言ったビスマルクの顔を見ると慌てた様子から一転して静かになり、なんだか後悔している様子に見える。
「えっと、さっきのは違うのよ。ユウが嫌いじゃないのよ? 確かに高校生になってから家とは違うようにしてるけど、それには理由があって……」
「理由があるなら、はっきりと言ってくれ。わからないままってのは嫌だ」
不機嫌な俺はきつくにらんでしまう。
今は自分の感情がコントロールできない。
俺ににらまれたビスマルクはおろおろしていたが、あきらめたように静かに小さくつぶやき始めた。
「ユウの邪魔をしたくなかったのよ」
「何の邪魔だよ」
「あなたの……あなたの恋愛よ」
あまりの唐突的なことに考えることがぱったりと止まり、言っていることが理解できない。
なんで俺と学校で冷たい関係になるのが、恋愛云々な話になるんだろうか。
「恋愛?」
「そう」
「別に邪魔とは思ってない」
「でも中学の時はユウに浮いた話なんてなかったじゃない。私がべったりくっついてたから、同級生の女の子とあまり話せなかったし、美人すぎる私がいたから恋人だと勘違いして周りが遠慮しちゃってあなたが恋愛なんてできなかったのよ!」
「おい」
「だから私は高校生になったら、気をしっかりと持つって決めたのよ。孤高に生きるのよ。そういうことなのよ、さっき言ったことは」
もう呆れてしまう。高校で俺に対して気を使っていた? 俺に恋人ができないのは自分のせい? 自分が美人すぎる?
まったくもってふざけてる。この姉みたいなビスマルクは!
「だから私はあなたのためを思っ―――」
「このバカ姉め」
両手でビスマルクのすべすべほっぺをそれぞれ掴むと左右にひっぱる。
「ふぁにふんのよ!」
「そんな気遣いはいらない。俺にとって邪魔だったら邪魔だというし、そもそも同じ高校に入ったんだぞ? 嫌だったら入らない。それと美人でも中身がぐうたらすぎるお前とは恋人みたいな甘い雰囲気は出るわけがない。だからそんな勘違いされるのはありえない」
言いたいことを言って気分がすっきりした俺はほっぺたをそのままひっぱったまま、ぐねぐねとこねくりまわすようにして遊んでいるとビスマルクは何かを言おうとしているがうまく言えず、傘を持った手を離して俺の手を掴んでほっぺたを守る。
俺たちを雨から守るのはなくなり、ふたりして雨に濡れていく。
「そういうなら高校でも中学と同じようにするわよ! まとわりつくし、ちょくちょく話に行くんだからね!?」
「いいぞ。俺はもっと話していたい。同じ学校にいれるのはあとちょっとだけだからな」
ちょっぴり怒り顔だったビスマルクは深呼吸をすると、弱々しい顔になり、微笑みを向けてくれる。
「……こんなことなら早く言えばよかった」
「お前が勝手に勘違いしたんだ。話も解決したところで家に戻るぞ」
「なに、さぼり? さぼるの? 生徒会長である私の目の前で?」
「雨に濡れてるんだから着替えてこい。俺は男だし、面倒だからドライヤーとタオルで乾かせばいいし」
「ちょっと、わかったからもっと優しく、お姉ちゃんに甘えるように、や、優しくしてぇ!」
色々とうるさいビスマルクを無視し、腕を掴んで無理に家の中へと連れていく。
手間がかかる姉みたいな人は目を離すことなんてできない。向こうは俺に恋人ができないのを気にしていたが、そもそも恋人なんてのはダメ姉がいるからといってできないわけじゃない。
今の俺は恋人よりも気楽で楽しく話せるビスマルクのほうがずっといい。
そんな大事なことをこれから少しずつ理解しあい、家の時と変わらないように仲良くしていきたい。
俺にとっての青春、高校生活とはそういう楽しいものにしていきたいと願う。