生命の唄~Beast Roar~   作:一本歯下駄

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『貴方は、イサルコ・ロッキ……?』

『お? 声だけで判る? 流石兎人(ラパン)だねぇ。ま、特徴的な装備魔法使ってりゃわかるか。さて、そっちのエルフ君。兎ちゃんをこれ以上傷つけられたくなきゃ、カエデ・ハバリを此処まで連れて来い』

『なっ!? 裏切れと言うのかっ!!』

『嫌ならー、そこの兎ちゃんの腕が()()()()()()()()()()()ぞ?』

『くっ……すまないアリソン……』

『……こりゃダメか。腕一本斬り落としてやったのに意味ネェし。殺すまでやるのは不味いんだよなぁ……あ、別の奴連れてくるか。確か──エルフ君は【激昂】って奴と付き合ってるんだってなぁ?』

『っ!! グレースに手を出したら許さないぞっ!』

『そう喚くなって。すぐ連れてきてやるから……んで、【激昂】って何処に……お、あの糞エルフと一緒にいるって? 丁度良い、あの糞エルフは殺そう。んで【激昂】は、そうだな、両足からいっとくか』

『やめろっ!!』


『百花繚乱』

 メギャッと言う肉と骨の軋む音。大柄なドワーフの体躯が数C浮き上がり無防備な胴体を晒す。次いで狙われたのは無防備に晒された胴体、ではなく赤らんだ鼻。顔面の中央に叩き込まれた拳により数Cだけ宙を舞っていたドワーフの体は、砲弾もかくやと言う勢いで吹き飛んで食堂入り口の扉を突き破って廊下に飛ばされた。

 フゥフゥと獣の様な吐息を零し、ファミリアの仲間のドワーフの鼻っ面を殴り飛ばしたグレース・クラウトスはミシミシと音を立てて拳を握りしめて叫んだ。

 

「もういっぺん言ってみろ。次はその太鼓腹ぶち抜く」

 

 怒気に塗れたグレースの言葉だが、投げかけられた方のドワーフは既に扉の向こう、廊下の壁に叩きつけられて鼻血を零しながら意識を失っていた為、その言葉は届かない。

 壊れた扉の陰からカエデが堂内を覗き込んで恐る恐ると言った様子で状況を確認していた。

 

「一体何が……」

「グレースちゃんをキレさせちゃったんですかねぇ」

 

 壁に叩きつけられて昏倒しているドワーフの男の容体を確認していたペコラは鼻を摘まんで『酒臭いじゃないですか……』と呆れ返る。

 食堂に集まっていた団員達がそろいもそろってグレースの怒りの矛先を向けられぬ様に口を閉ざすのを見て、ペコラが肩を竦めながらも食堂に入っていく。カエデは酒臭いドワーフの男性団員をちらりと見てから運ぶか迷うが、横から狼人(ウェアウルフ)の女性がカエデの肩を叩いて『そいつに触るとグレースに殴られるからやめときな』と忠告を受けて戸惑いながらも食堂に入った。

 

 食堂中央。グレースが苛立った様子でガツガツと朝食のパンを貪っており、彼女を中心にぽっかりと空席が目立っている。傍に倒れた椅子が直される事無く転がっているが、誰もそれを直そうともしない。グレースはそもそも椅子が倒れている事にも気付いているかどうか。

 グレースから漂う雰囲気は『近づくなぶん殴るぞ』である。言葉の必要はない、近づけば殴られる。それが伝わる程に苛立っている様子のグレースは無造作にパンを掴み口に詰め込み。噛み砕いて飲み込む。付け合わせの野菜も口に突っ込んで噛み砕いて飲み込む。繰り返される動作は少なめの朝食だから故にか、瞬く間に終わりを迎えた。

 ガチャンと食器が音を鳴らす中、トレーを返却する為にグレースが立ち上がり──返却用の台までの道中の団員がさっと道を空けた。

 

 今触れれば殴られる。目線があっただけでもきっと殴りかかってくる。確信できる程のグレースの怒気が団員たちを退け、グレースはそれに気づいているのかいないのかわからぬままにトレーを乱雑に台に置いてそのまま食堂を出て行った。

 

 暫く沈黙が流れたのち、団員達がそろいもそろって安堵の吐息を零し、漸く朝特有のざわめきある食堂へと戻りゆく。

 そんな中一連の流れを眼にしていたカエデは大きく首を傾げた。

 朝食をとるべく顔を洗ってから食堂にやってきてみれば、入り口の扉に手をかけた所でなんとなく其処に居ると危ないという()が働いた為、同じく食堂の扉の前に居たペコラの手を引いて扉の前から退いた瞬間。扉を突き破ってドワーフの男性が吹き飛んできたのだ。

 一体何があったんだろうと戦々恐々としつつも、今のグレースの声をかけたら危ないなと首を傾げるに留める。いくら会話(コミュニケーション)能力に欠陥があると言われるカエデでも、先程のグレースに声をかけるのは不味いと理解できたのだ。

 

 不思議そうに首を傾げつつも、トレーに盛られた朝食を受け取った所で先程の狼人(ウェアウルフ)の女性が気さくそうに声をかけてきた。

 

「おはよ」

「おはようございます」

「今日も真っ白ね」

 

 その尻尾の毛並みは羨ましいわぁと尻尾をじろじろと眺めつつも手招きしてカエデを誘導する彼女に大人しく従って食堂の隅に足を運ぶ。

 彼女はケルト率いる狼人(ウェアウルフ)の派閥に属する女性であり、白毛の狼人(ウェアウルフ)であるカエデにも友好的に接してくれる者達の一人である。そんな彼女に連れられてやってきた食堂の隅には同じようにカエデに友好的な狼人(ウェアウルフ)の派閥の者達が楽し気に朝食をとっている光景があった。

 

「お、カエデちゃん。おはよー」

「うっす。今日はダンジョンか?」

 

 気さくそうに話しかけてくる彼らを見てカエデは居心地悪げに尻尾を揺らす。

 苦手、という訳ではない。嫌っている等とは決して口にしない。此処まで友好的な態度をとってくる狼人(ウェアウルフ)達と言うのが今までいなかった事もあり、どう接して良いのかわからずに戸惑っているのだ。

 その様子に気付きつつも、距離を積極的に詰めてきて『嫌っていない』と言うアピールをする彼らの派閥。

 カエデはちょっとした気疲れを起こして距離を置こうと避けたりしていたが、やはり好意的な態度をとられるのは悪い気分ではない。少し距離が近いなと感じつつも女性の隣に腰かけて朝食を食べ始めた所で、カエデはふと気が付いて顔を上げた。

 

「ケルトさんは居ないんですか?」

 

 いつもなら積極的に頭を撫でまわそうとしてくる気のいい茶髪に鳶色の瞳、口元に八重歯の覗く狼人(ウェアウルフ)の青年。今日は彼の姿が見えないとカエデが口にすると横に居た女性がニヤニヤと笑みを浮かべて口を開く。

 

「ケルトの事気になるの? 残念、既に(つがい)候補が居るから貴女にチャンスは無いわよ」

「その候補はお前か? 笑えるな」「無理無理、お前二回断られてるんだからいい加減諦めろよ」「ちょっと黙りなさいよ」

 

 ざわざわとしたやり取りの中、赤茶っぽい色合いの髪に赤黒い色合いの瞳の首元にスカーフを巻いた男性の狼人(ウェアウルフ)、共に深層遠征に向かった人物が『カエデの質問の答えになってないぞお前ら』と呆れつつもカエデの質問に答えた。

 

「ケルトは冒険者依頼(クエスト)で昨日から出払ってるから居ないぞ。ウェンガルと一緒に行ってるからな。ウェンガルは知ってるよな?」

「はい、遠征の時にお世話になりました」

 

 【ロキ・ファミリア】が誇る精鋭。戦闘方面と言うよりは探索方面で役立つ技能を数多習得した猫人(キャットピープル)のコンビの片割れ。深層遠征中に同じ班に編成された彼女の事を脳裏に浮かべつつ頷くカエデ。

 その様子を見つつも答えを教えたスカーフの狼人(ウェアウルフ)は首を傾げつつも呟いた。

 

「しっかし、受けた依頼自体は簡単なモンだっつってたのに。昨日から帰ってないっぽいんだよな」

「あいつ、時々妙なポカやらかすし納品依頼なのに依頼品無くしたとかやらかしたんじゃね?」

「あー、ケルトってそういうとこあるある」

 

 派閥の長として君臨していながらも、派閥内から軽く扱われているケルトと言う男性。本人も気さくな性格故にか長と言う立場にありつつも高圧的な態度は一切とらない事から、派閥内の関係は良好である。そのケルトの話題で盛り上がる中、一人の狼人(ウェアウルフ)が身を震わせながらつぶやいた。

 

「にしてもさっきのグレースの様子はヤベェよな」

「あー、ありゃあのドワーフが地雷踏み抜きに行ったからだろ」

「あの馬鹿ドワーフ、昨日から今朝まで酒場で飲んだくれてきたんだっけ? 遠征直後だって言っても限度があるでしょ」

 

 朝食を食べながら先程のグレースが暴れた一件について聞き取るカエデ。

 

 

 

 

 事の始まりは昨日の昼前、グレースがカエデを訪ねてくる少し前にヴェネディクトスがアリソンと出かけた事から始まる。その姿を見ていたドワーフは昨日の昼前から今朝になってもまだ帰っていない二人の事をグレースに揶揄したのだ。

 遠征を終え、気が緩み、久々の地上という事で羽目を外して酒場で一晩飲み明かすといった事をしたドワーフの男は、あろうことがグレースに対する地雷を盛大に踏み抜いた。

 

『クラウトス、お熱いエルフ様は帰ってないみたいだなぁ』

『……そうね。で?』

『グラスベルの奴と出かけたんだろ? もしかして浮気されてんじゃねぇか?』

『無いわよ。ヴェトスに限ってそれはない』

 

 そのやり取りの時点でグレースが眉間に青筋を浮かべていたにも関わらず、ドワーフは言葉を続けた。

 

『いやいや、絶対浮気してるだろ』

『…………無いわよ』

『お前考えてもみろよ。グラスベルの胸をよぉ』

『何が言いたい訳?』

『お前の貧乳(ペチャパイ)なんかよりグラスベルの揉み応えの在りそうな胸に浮気すんのも男なら仕方な──ゲブァッ!?』

 

 次の瞬間、乙女の尊厳を傷つけたドワーフの男はグレースの鋭い蹴り上げを股間に喰らい、数C程地面から浮き上がり、次の瞬間には流れる様な動作で顔面中央の鼻っ面に拳を叩き込まれて吹き飛ぶことになったのだ。

 周辺の女性団員、グレース同様に胸にコンプレックスを持つ女性団員達の蔑む視線を一身に浴びながら昏倒しているドワーフの男は、それとなく通り過ぎざまにガシガシと無遠慮に蹴飛ばされている。

 本人の能力的に怪我らしい怪我はないだろう。股間に喰らった一撃によって()()()()()()()可能性はあるが。

 

「痛そうだよなぁ」「あれは痛いっつーか」「死んでね?」「酒に酔ってるからってありゃねぇよ」

 

 男にしかわからぬ痛みを想像して震えあがっている狼人(ウェアウルフ)の男性陣に対し、カエデを除く女性陣は呆れ顔を浮かべた。

 

「胸を揶揄したらああなるでしょ」「私もキレるわ」「武器を使わないだけマシ」「わたしなら半分ぐらいの長さで切り取るけど」

 

 『なにを?』『ナニを』等と言うやり取りを見ながら、カエデは首を傾げた。

 

「ヴェトスさんとアリソンさん、帰ってないんですか?」

「ん? あぁ、そうみたいだぞ」

 

 昨日の昼前にグレース本人に『アリソンと出かけるけど良いかい』とわざわざ許可を取って出かけたヴェネディクトス。帰りは昼過ぎ頃になるからその後は一緒に夕食にでもとグレースを誘っていた様子だったが、昨日はそのままアリソンと二人で帰って来なかったらしい。

 外泊届けを提出していないにも関わらず帰って来ない。と言うのは珍しいなとカエデがうんうん唸っていると猫人(キャットピープル)の男性、フルエンが同じ席に固まった狼人(ウェアウルフ)達に声をかけてきた。

 

「なぁちょっと良いか?」

「おう、どうしたよ」「うっす、なんか用か?」

「用って程じゃねえよ。ケルトって居るか?」

 

 寝癖で跳ねた髪を撫で付けながらフルエンが質問を飛ばすも、カエデも含め全員が首を横に振ったのを見て『うへぇ』と面倒くさそうに呻く。

 

「どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたも、ウェンガルの奴探してんだよ」

 

 フルエンは酷い寝癖を直すのを諦めて揺れるカエデの尻尾の先端をチラ見してから肩を竦める。

 ベートさんが調べたい事があるから付き合えと言われて一晩中ダンジョンの中を走り回らされて限界に近いのにも関わらず、あろうことか今日も今から行くから付き合えと言われた為、同じく探索技能に満ちたウェンガルを生贄(だいやく)に捧げようとしたが姿が見えない。

 周りの話ではケルトと共に冒険者依頼(クエスト)を受けて出て行ったとの事なのでもしかしたらと考えて探しに来たが見当たらないと。

 

「はぁ、しゃーねぇ。ベートさんに付き合うかぁ……。人使い荒いんだよなぁ」

 

 まぁ、モンスターの相手はベートさんが全部してくれるから良いけど。そう呟いてフルエンが欠伸交じりに諦めの言葉を呟いてから、ケルト派閥の狼人(ウェアウルフ)に手を振って去っていく。

 カエデ達がその背を見送っていると、唐突にベートが現れてフルエンの首根っこを掴んでそのまま走って出て行ってしまった。死んだ目をしたフルエンが助けを求める様に近くにいたエルフに手を伸ばしていたがエルフの団員が反応する間も無く消えて行った。

 

「何があったんでしょうか?」

「ベートさんはなぁ」

 

 狼人(ウェアウルフ)は排他的故に同じ派閥に属する者以外には基本的に冷たい。一応、同じファミリアの括りである仲間には友好的だが狼人(ウェアウルフ)の派閥同士は非友好的な場合が多い。

 ケルト派閥とそれ以外は犬猿の仲とまでは言わずとも、互いに睨み合いをする仲である。

 そんな中でどこの派閥にも属さず、一匹狼でいる狼人(ウェアウルフ)は本来なら周りから軽蔑の視線を向けられるのだが、ベート・ローガと言う男はどの派閥の誰よりも強い。故に派閥に所属するまでも無く一定の敬意を持たれる人物である。

 とはいえ人当たりが悪いのであまり関わろうとする者はいないが。

 

「なんか遠征終わってからずっとなんか探ってるっぽいぞ」

「あー、探索系技能持ったフルエンとかウェンガルとか引き連れて毎日の如くなんか探し回ってるらしいな」

 

 カエデも遠征前までは交流があったが、遠征後の出来事から疎遠となってしまった彼。ベートは最近は何かを探し回っているらしく本拠に居ない事が多い。そう噂する狼人(ウェアウルフ)達を見てから、カエデは朝食を食べ終えて両手を合わせて呟いた。

 

「ごちそうさまでした」

 

 

 

 

 

 ダンジョン探索の準備を終え、エントランスで今日ダンジョンに行くメンバーを待つカエデ。その前を苛立った様子でドスドスと足音を鳴らして過ぎ去っていこうとしたグレースの姿を見て、カエデは恐る恐ると言った風体で挨拶を飛ばした。

 

「おはようございます」

「……あぁ、カエデか。おはよう」

 

 視線が合った瞬間、灰色の瞳の中に燃え上がる業火の如き怒気がカエデに向けられ。即座に霧散して消え去ったが、その怒気に驚いてカエデの耳と尻尾が跳ねてブワッと毛を逆立たせる。一瞬で膨れた姿を晒したカエデに眉を顰め、グレースは言葉を続けた。

 

「んで、何? ヴェトスが浮気とか言い出すならあんたも殴るけど? それともリヴェリアみたいにお説教? 喧嘩なら喜んで買うけど?」

 

 朝食時に酔っ払っていたとはいえドワーフの男性を吹き飛ばしたグレースはつい先ほどリヴェリアにお小言を言われたらしい。とはいえ怒り心頭な様子の今のグレースは話が通じないと判断したのか即座に解放された様子ではあるが。

 

「っ! 違いますっ、そうじゃなくて、なんでヴェトスさんは帰ってないのかなって」

 

 グレースの怒気に慌てて言い訳しながら一歩後ずさる。近くを通りかかった団員が慌てた様子で助けを呼びに行ったのを尻目にグレースは鼻を鳴らした。

 

「知るかってのよ。恋人だからってアイツの事なんでもかんでも知ってるわけ無いでしょ」

 

 隠しもしない怒気をまき散らしながら『用がそれだけなら行くわ』とカエデの返事を待たずに立ち去るグレース。その背を身震いしながら見送ったカエデは、膨れ上がった尻尾を強引に撫でつけつつもグレースが出て行ったエントランスの入り口を見た。尻尾を撫で付けている感覚とは別に『彼女を一人にするべきじゃない』と言う勘が動くが、カエデはこれからパーティを組むメンバーと一緒にダンジョンに潜る為、グレースを追う事が出来ない。その場でどうすべきか身じろぎしていると声をかけられた。

 

「おはようございますカエデさん」

 

 横合いから声を掛けられて危うく飛び上がりかけた所でカエデはゆっくりと其方を見れば、金髪にヘッドギアをつけて革製の軽装鎧を身に着けたジョゼットが弓を背負って立っていた。

 なんとか落ち着けながらジョゼットに返事をすればジョゼットは軽く頭を下げてから口を開いた。

 

「団長とロキが呼んでいましたので今から団長室まで行ってください。パーティの者には私から伝えておきますので」

「え? えっと……ワタシ、何かしましたっけ……」

 

 最近やった出来事を脳裏に浮かべ。アレクトルを殺さなかった事が脳裏に浮かんで焦るカエデに対し、ジョゼットは首を横に振って否定し、言葉を続けた。

 

「いえ、何やら渡す物があるそうです」

「わかりました」

 

 注意やお叱りではない事に安堵したカエデが頷いてエントランスから団長室に向かう為に足を進めようとし、ふと立ち止まってジョゼットに声をかけた。

 

「あの」

「どうしました?」

「グレースさんが、その……」

「グレースさんですか。朝食の席で暴れたとは聞きましたが。今はそっとしておくべきでしょう」

 

 【激昂】の二つ名は伊達ではないと続けたジョゼットに対し、カエデは首を横に振って呟く。

 

「いえ、グレースさん一人だと、危ないんじゃないかなって」

「あぁ、なるほど。分かりました、パーティメンバーに伝えた後は彼女の方に行きますのでご安心を」

 

 大きく頷いてグレースの様子を見てくれると言ったジョゼットの様子に安堵し、カエデは今度こそ団長室に向かうべく足を動かした。

 

 

 

 

 

 執務机に置かれた木箱を挟み、カエデは緊張した面持ちでフィンの前に立っていた。

 執務机に腰かけたロキと、椅子に腰かけて笑みを零すフィン。木箱が気になるがそれ以上に部屋の隅に置かれた無数の『玉手箱』と、一つだけ別の場所に置かれている『玉手箱』も気になるカエデがそちらをチラチラと見ていると、フィンが口を開いた。

 

「さて、急に呼びつけて悪かったね」

「カエデたんに渡すもんがあったんよ」

「渡す物、ですか?」

 

 ロキがもったいぶる様に木箱を撫でる横から、フィンが無造作に木箱の蓋を取り払って中を示す。

 

「フィン、もうちょいサプライズ風にさせてくれてもええやん」

「カエデはこれからダンジョンに潜るんだよ? ま、今すぐ使えってわけじゃないから安心していいよ」

 

 二人の軽いやり取りのさ中、カエデは木箱の中に視線を吸い寄せられて外せなくなっていた。

 中に納められていたのは一本の片刃の特大剣。切っ先に行く程に太く、幅広になる片刃の刀身。長さは1.5Mとカエデの身長以上の長さであり、背負って運ぶ以外に取扱が難しい大きすぎる剣。だが目を奪われたのはその大きさではなく刀身に刻まれた紋様。血溝として刻まれているであろうその紋様は刀身の側面一杯に広がっている。

 数えきれない程の花や植物が彫り込まれた美しい刀身。それ以上に感じるのはその不可思議なまでの面妖な雰囲気。見ただけで理解できてしまう、それが()()の範疇から外れた代物であると。

 

「これは……」

「【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】っちゅう鍛冶師の生み出した最高傑作。オラリオ処か下界(セカイ)においても正真正銘一本しか存在しない唯一無二(ワンオフ)不滅属性(イモータル)特殊武装(スペリオルズ)『百花繚乱』」

 

 ロキの説明を聞きながらも、カエデは静かにその刀身を撫で、震えた。切れ味の方は第一級武装に届かないだろう。下手をすれば第二級武装にも劣るかもしれない。だが、触れれば理解できる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()。どんな扱いをされても変わらない想いの込められた一本の剣。

 

「すごい」

 

 感嘆の吐息を零す。芸術品なんぞ興味も無ければ学も無いカエデにはわからない領域だ。けれどもこの刀身に刻まれた装飾は美しいと思う。其の上でこの刻まれた紋様は微塵も剣の持つ重心を狂わせていない。

 むしろ紋様は振るう際に発生する微弱な重心の揺れを抑える役割すらあるだろう。

 どうすればこんな剣が打てるんだろう。どうやってこの剣は生まれたんだろう。

 

 剣はあくまでも道具でしかなく。斬る事に握る事以外に思い入れを抱かないカエデですらも見惚れたその剣。

 

「これ、どうしたんですか?」

「ふふふ、カエデたんの為にってヘファイストスが貸してくれたんよ」

「貸して……?」

 

 首を傾げるカエデに対し、ロキが軽い調子で口を開いた。

 

「ファイたんの最愛の眷属がファイたんの為に打ち込んだ剣や」

 

 自らは女神の元を去る。だが剣として女神に向ける想いだけは残してゆく。約束した通り()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 故に、この剣は砕けない。壊れない。そしてたとえ傷ついたとしても再生する。

 元の特殊武装(スペリオルズ)としての効力は再生、傷ついたりした場合に微弱な速度で武装が蘇る効果。代わりに耐久が減りやすく、壊れやすくなるという欠点を持つものであったが、【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】の二つ名を授かった鍛冶師、ツツジ・シャクヤクはその欠点すら乗り越えて見せた。

 神の恩恵(ファルナ)を失う直前に作った、準一級(レベル4)鍛冶師の最初で最後の作品。

 

「こんなもの、振るって良いんですか?」

 

 愛した女神に贈られた、不変の愛を証明する為の剣。特大剣と言う扱い辛い種別の剣であるというのを差し置いて、そもこの剣は戦場にて振るわれる姿が相応しいとは思えない。カエデがそう口にすればロキはニヤリと笑みを零し、フィンは頷く。

 

「女神ヘファイストスが許可を出したんだ。問題ない」

「特大剣やし、調整は必要やろうけど、カエデたんが良ければ今日からでも使ってええで」

 

 二人の言葉に戸惑いつつも、カエデは背負っていた今の大剣に分類される剣を見る。『ウィンドパイプ』を失って以降、何本か修理不可能なまでに破壊してきたカエデが購入した物。思い入れは無い。

 目の前の木箱に納められた特大剣。扱い辛いだろうが、その威力は太鼓判付きなのは間違いない。其の上で『壊れない』『多少の傷は自己再生する』と言う他にはない最高峰の能力。

 素直に心の声を口にするならば『欲しい』の一言で済む。今まで手にしてきた剣が全て玩具に思えてしまう程に素晴らしい剣だ。

 鍛冶師の強い想いが込められて、不変の在り方を示す剣。けれど、この剣を振るうのにカエデが相応しいかと言うと疑問を覚える。

 

 今まで壊してきた大剣や長剣を脳裏に描く。どれもこれも村に居た頃に握っていた『大鉈』よりも優れた剣であった。悔しい程に、カエデが愛着を持った『大鉈』よりも優れている。けれど、どれにも共通して言える事がある。

 全て、砕いてきた。折れてきた。カエデの歩み方が悪いのか、カエデの道が険し過ぎるのか。道半ばでどの剣も悲鳴を上げていた。

 もしこの剣なら、悲鳴一つ上げる事なくカエデの道を切り開いてくれるだろう。けれども──戸惑い、カエデはゆっくりと首を横に振った。

 

「すいません。受け取れません」

「……何でか聞いても良いかい?」

「ワタシ、決められていないので」

 

 斬る相手を見極められない。目の前に立ち塞がる対象を、殺す(斬る)べきか生かす(斬らぬ)べきか。判別の付けられない半人前の自分がこの剣を握る事は出来ない。せめて、どちらかを見極めると決めてから、この剣を受け取りたい。

 そう言ってカエデは静かに頭を下げた。

 

 

 

 

 

 苛立ち交じりの足音を聞きながら、ジョゼットは静かにグレースの後ろを付いて歩く。

 オラリオの南東のメインストリート近辺の第三区画、第四区画が主な一帯に広がる世界中の様式の娼館が広がる、あらゆる異国情緒が溢れかえった街並み。

 その中を歩むグレースの姿を見た客引きの娼婦達が眉を顰めて道を空けてゆく。あからさまに『浮気中の男を探してます』と言った雰囲気の女性。オラリオではよく見る光景であり、娼婦達も巻き込まれては面倒だと黙って視線を合わせて怒れる獣を刺激しない様にする。

 ヴェネディクトスを見つける為に連れ込み宿等もある区画を一つ一つ回っていき結果的にグレースが辿り着いた歓楽街。グレースの後ろを黙って付いていくジョゼットは周囲の淫靡な雰囲気に辟易しながら軽く吐息を零した。

 本来ならこんな『醜い』場所からは即座に離れたいジョゼットではあったが、グレースの歩みを止める方法を持たない以上どうしようもないと周囲の道沿いで鼻の下を伸ばす男性相手に際どい衣装を身にまとった娼婦が真昼から客引きをしているのを見ない様に進む。

 

「何処に居んのよアイツ」

「グレースさん」

「何?」

「そろそろ昼食をとるのはどうでしょうか」

 

 声をかけたジョゼットに鋭い視線を向けたグレースだったが、舌打ちと共にお腹を撫でて呟く。

 

「ま、お腹は減ったし良いか」

 

 昼食をとる為に一度歓楽街を抜けようとしたところで、ジョゼットは見知った顔を見つけて眉を顰める。

 【超凡夫(ハイ・ノービス)】ラウル・ノールドが娼婦に胸を押し当てられて鼻の下を伸ばしデレデレした表情で娼館に入っていく光景を目にしてしまったジョゼットは一瞬だけ弓に手を伸ばしかけてやめる。

 男性と言う生き物は、()()()()()もする。それは食欲や睡眠欲と同列に語られる性欲と言うモノゆえに。だからこそ、汚らわしいと思っても否定してはいけないと自分に言い聞かせつつも、ジョゼットは盛大に舌打ちをしてからグレースの背を追う。

 

 背後から聞こえた舌打ちの音に苛立つより前に『え? この人が舌打ち?』と疑問が先立ち後ろを振り返ったグレースが見たのは、能面の様な無表情の整った顔立ちのエルフの姿。立ち振る舞いも上流階級と言える彼女が、立ち止まり振り返ったグレースに対し静かに首を傾げて呟いた。

 

「どうか、しましたか?」

「いや、なんでもない」

 

 先程自分が抱いていた苛立ちが一瞬で消し飛ぶ様な雰囲気を漂わせたジョゼットに対し、グレースは心の中で呟く。

 

 ────怒ると怖いって言われてたけど、本当(マジ)だったんだ。


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