生命の唄~Beast Roar~ 作:一本歯下駄
『貴様、何者だ……』
『クヒッ、誰かだって? ナイアル様の忠実な
『死んだと聞いていたが』
『馬っ鹿じゃねぇの? 死ぬ訳ネェっての、こんなクッソ楽しい演劇前に死んだらツマンナイだロ?』
『演劇……だと?』
『おバカな主神様が狂って狂ッテ、振り回サれる団員が可哀相すギテ笑エるよ。ま、アと少シで全員ぶっ殺されルシ、カエデ・ハバリって奴も壊レテお終いカぁ。はぁ、超楽シみだナぁ。ソうだ、前にナイアルが壊し損ネたペコラって奴モ招待してルンだった。早ク会場に送り届けてあゲナいとイけないナ」
迷宮都市の地下には迷宮が存在し、その迷宮を避ける様に地下には汚水を処理する為の地下水路が作られている。
例外があるとするならば奇人の異名を持つ職人ダイダロスによって生み出された通称『ダイダロス通り』ぐらいであろう。あの区画だけは地下方向にも無数の地下通路があり、地下水路開発の妨げとなった結果、あの辺りだけは地下水路が存在しない。
全体で幅6M、石造りの隧道の左右にある人用の足場を全力で駆けるのは猫人と狼人が二人。
先頭を走る猫人、ウェンガルが小走りに走りながらも手を動かしてトラップ類の無力化を図り、後方を走るケルトが次々に通り過ぎた後の罠を元通りに戻せるものだけ戻して追ってを巻こうとしていた。
間に挟まれたカエデが幾度も周囲を見回しては生唾を飲み込む。
「ケルト、絶対に罠起動させないでよね」
「わかってる。お前こそ変な失態すんなよ」
ウェンガルとケルトのやり取りを聞きつつもカエデは耳を澄まして状況の把握に努める。
地下水路の貯水槽から逃げ出す事に成功したカエデ達は二組に分かれる事となった。
一組目が足手纏いにしかならないレベル1のステイタスしか持たない団員五名と負傷度合いが酷いアリソン、そしてグレース、ヴェネディクトス。彼らを率いて即座に撤退の選択を行うジョゼット組。
次いで二組目が今回の標的であるカエデを連れて敵を攪乱しつつも逃走するケルト、ウェンガル、カエデの三人。
危険度はどちらが高いとも言い難い。足手纏いばかりをかかえたジョゼット組と標的を抱えた組、狙われるのは間違いなくカエデの方ではあるが、罠の量とジョゼットの疲労具合。そしてイサルコの行動次第である。
「カエデ、敵はどう? 近づいてきてる?」
「いえ、特には」
不思議な事に【ハデス・ファミリア】はカエデ達を追ってこない。
目の前に立ち塞がった強固で複雑な罠に足止めを食らって舌打ちをするウェンガルの尻尾がピンッと立ち、警戒状態を露わにしているのを見たケルトが後ろを振り返って舌打ち。
「おかしいぞ、あいつら全然追いかける気がねぇ」
「監視者が南の方に侵入者って言ってたわね。誰かは知らないけど合流したいわ」
地下水路の地理情報を把握しているのはウェンガルとケルトの二人。カエデは残念なことに地下水路の
そして地下水路の地理、ある程度の区画について察しているケルトとウェンガルの二人が眉を顰めた。
「糞、此処も塞いでやがる」
「ダメ、此処の罠だけは通れない。向こう側からなんとかしないと……」
設置された通路の右手側、鉄格子の扉の向こう側で赤く輝く鉱石が幾つも石材の床に散らばっているのを見たウェンガルとケルトが悪態をつく。
「糞、あの鎖で移動してるからか罠の設置が徹底的過ぎるだろ。降りるのは良くて上がるのはダメって、いったいどんな性格の悪い奴が罠しかけたのよ」
仕掛けられているのは片側から通る分には無害で、反対側から通ろうとすると途端に凶悪な罠を発動させるという性格の悪さの滲み出ているもの。それも今まで通り過ぎてきた地上へと通じる階段通路には全て仕掛けられていた。
壁や物質を透過して移動する事ができる【
「どうしましょう」
「どっかに出れそうな場所でもないか探さないと……もしくは、あの化け物を倒すか」
ウェンガルの言葉にケルトが苦い表情を浮かべ、カエデが困った様に眉を寄せる。
「倒すっつっても、あの化け物を? 無理だろ、アイツ腐ってもレベル6だと、相手になんねぇ」
「倒せなくはないでしょ。カエデの装備魔法、
別の地上に通じる通路を求めて歩きながら罠を無力化していくウェンガルの言葉にカエデが俯く。
ウェンガルの言う通りである。
しかしカエデ本人はあまり乗り気ではないどころか、考え込んで首を横に振った。
【ハデス・ファミリア】に恨みがあるか否かで言えば、ある。恨む事は出来る。しかし殺す為に刃を握れるかと言うと疑問が浮かび、カエデは素直に頷けずに唸るのみ。
カエデの様子を見たケルトとウェンガルが困った様に肩を竦めて前を見据えた。
「ともかく、ロキにこの件を報告しなきゃ。ジョゼットの方は大丈夫だと思うけど……」
リヴェリアの傍付きとして様々な技能を持つジョゼットならこの程度の罠なら平気だろう。しかし地上との連絡路に仕掛けられた性格の悪い罠はどうしようもない。
正面の罠を解除し、足元の
「いや、ほんとどうでもいいけど罠多すぎ。【ハデス・ファミリア】が全部仕掛けたって言っても限度があるでしょ」
ウェンガルとケルトが請け負ったのは『地下水路全域に無差別に設置された罠の排除』である。
ギルド職員が護衛の冒険者を伴ってのモンスターの増加状況調査に乗り出た際、今までは一定範囲の区画を歩いて出会うモンスターの数を調査していたのだが、その調査中に設置者不明の罠が発見された。
その罠についての調査を進める内に地下水路の隧道内も含めたいたるところに数えきれない程の罠が仕掛けられている事が判明し、ギルドが緊急でモンスター駆除ではなく罠の無力化の依頼を出したのだ。
原因は言うまでも無く【ハデス・ファミリア】であるのだが。
「在り得ない。数が多すぎる」
【ハデス・ファミリア】の現在所属数は4名。片手の数以下である。
【
【
【監視者】については不明、そもそも彼の素性もステイタスもいまいちわからず。ヒューマンである事以外は何もわかっていない。高確率で性格も趣味も悪い罠類は彼が仕掛けたものだろう。
そして最後の無名の狼人。彼についても不明だが、どう考えても二人がかりで仕掛けたにしては罠の数が多すぎる。なんらかの協力者がいなければこの数の罠をたった数か月で仕掛けるというのは考えづらいのだ。
「ああ、糞っ。此処もダメ。次」
目の前の地上に通じる階段。若干差し込む光から一瞬希望を見出すも階段の上の方から降り注ぐ光は禍々しい火炎石と呼ばれる魔剣の素材ともなる爆発性の鉱石。下層の四十四階層辺りで採掘される鉱石であり、
先程から地上に通じる連絡路に設置された罠には執拗に火炎石が目もくらむ量が仕掛けられている。
起爆すれば連絡路が崩落するのは間違いなく、第一級冒険者でも生き埋めにされかねない危険な罠。ウェンガルが気付いては下がっているから良いものの、もし気付かずに足を踏み入れていれば三人纏めて仲良く生き埋めになっていたであろう。
何度目かの舌打ちと共に別の地上への連絡路を探す為に足を踏み出そうとしたウェンガル。
その様子を見ていたカエデが鎖の音に気付いて声を上げた。
「鎖ですっ」
「っ! ウェンガル」
「わかってる。とりあえず走るわよ」
ウェンガルが走り出し、罠を的確に無力化していくさ中にも遠くに響いていた鎖の音が徐々に近づいてくる。
つい先ほどまで不思議な程に追ってこなかった【ハデス・ファミリア】がついに動き出した。
追われている。ケルトが仕切りに後ろを振り返り警戒するも隧道内には姿が見えない。カエデも時折振り返るがやはり姿は見えない。しかしひしひしと感じるのはあの鋼鉄で作られた
その感触に背筋を震わせながら頸筋を撫でるカエデが前を向いた瞬間、尻尾を思いっきり引っ張られる感触を覚えて咄嗟に叫ぶ。
「後ろに跳んでくださいっ!!」
カエデの言葉に即座に反応したウェンガルが今しがた無力化しようと手をかけた罠から手を放して後方に全力で跳ぶ。地を蹴り、安全な場所へと飛び退ろうとするも
カエデが飛びのいたちょうどその目の前の空間。つい先ほどまでカエデの体があった所を通り過ぎる鈍色の塊。回避の為に跳躍して距離を稼ごうとしていたウェンガルを直撃して壁と鈍色の塊が激突し合い、間に挟まれたウェンガルが悲鳴を上げる間も無く潰れた。
「っ!?」
「下がれっ、追いついて来やがったっ!」
目の前で即死したらしいウェンガルの残骸が壁に広がる。飛び散った血が水路に落ちて浄化された清水を緋色に染め上げていくのを見たカエデが悲鳴を飲み込みつつも魔法を詠唱する。
「『
詠唱の途中、破砕音と共に飛び散る石材の破片をケルトがカエデの前に回り込んで叩き落とす。
────月亡き夜に誓いを紡ごう。名を刻め、白牙は朽ちぬ』【
発動するのは氷の
次の瞬間、二度の破砕音が響き渡り、カエデの魔法による氷塊が砕けて飛び散った。
壁をすり抜けて繰り出される必殺の鉄塊。容易くウェンガルの命を奪った巨大な
「くっ」
「糞がっ! 全く防御できてねぇぞっ!」
響く破砕音。回避の為にしゃがみ、水の中に飛び込んだケルトが水の中から身を出そうとして──カエデがケルトの顔を蹴り、再度水の中に蹴落とした。
瞬間、通路の上を薙ぎ払う一撃が水面スレスレを通過して水路の水を波立たせる。ケルトが水から身を出していればその軌道上には胴体があった事だろう。ケルトの死を回避したカエデは破砕された浄水柱の破片を浴びながら全力で駆けだした。
「ケルトさんは一人で逃げてくださいっ」
「おいっ! 糞っ」
ケルトに迫る一撃を傾斜をつけて呼び出した氷塊が逸らす。水面から顔を出していたケルトが再度水に潜れば水面を弾けさせる強烈な一撃が叩きこまれて水中を掻きまわしてケルトを攪乱する。
走り抜けるさ中に発動する罠の音が遠ざかっていくさ中、ようやく落ち着いた水面から顔を出したケルトは舌打ちと共に水を滴らせながら顔を上げた。
走るさ中に感じる
殆どの罠が鋭い針や杭等を打ち出したり地面から勢いよく飛び出させたりするだけのものばかり。駆動部らしき部分に冷気を詰め込んで氷塊を生み出してやればギシギシと言う音を立てて上手く起動しなくなる。
とはいえそれだけでは全てを無力化できるわけではない。
浄水柱の陰から飛び出してきたクロスボウの
頭を下げて回避。地面にべたりと張り付く様な勢いで倒れ込めば後方で凄まじい轟音と共に
背筋の泡立つ感覚。死がすぐ真後ろを通り過ぎて行った恐怖に手足が硬直しかけるが、そのまま地面に寝ていれば格好の的。起き上がり走り出すほかない。
目の前でウェンガルという猫人の女性が死んだ。回避するのが遅れて
それなのに、カエデは未だに武器を抜けずにいた。
「殺すべき、なのに」
殺すべきである。カエデの内心もそう定めた。あの男【
【
殺すべきだ。腹の内に溜まった黒くてドロドロしたモノはそう言っている。濁り切った目をした誰かは、殺せ殺せと呟いている。カエデの腹の内に溜まる醜い感情、外に飛び出ようと暴れ狂う感情。
その感情を抑え込んでいるのは『丹田の呼氣』だ。
二度目の
体の不調は心の乱れ、心が乱れれば体は不調を訴える。逆説的に心が乱れなければ体に異常は現れず、体に異常が無ければ心は乱れない。
心と体が伴うのであれば、其処に技を乗せる事が出来る。技を極める為の基礎中の基礎にして戦闘力を乱されぬ呼氣法の基礎。
あれだけ走り回り、回避を続けながらも肩で息をするまでも無く逃げおおせているのは、其れのおかげであるのと同時に剣抜き放ち万敵打ち払わんとする事が出来ないのもまた、それの所為でもある。
浄化柱が砕けて飛び散る。中に宿っていた淡い魔石の光が粉々に砕けて破片がまき散らされるのを感じながらも、カエデは自身に問いかけ続ける。
──この人達は殺すべきでしょう? なんで剣を抜かないの?
わからない。
──アリソンさんが冒険者として死んだ。もう二度と迷宮に潜れない程の傷を負った。恨めしくないの?
恨めしい。
──ウェンガルさんが弾けて死んだ。原形もとどめないぐらいにぐちゃぐちゃにされた。憎くないの?
憎い。
──殺したくないの? 殺したいの?
わからない。
一歩踏み出した瞬間、目の前の通路の遥か先に人影が見えた。
頭巾をかぶって顔を隠した男と槍を担いだ
咄嗟に右手側に見えた別の隧道に逃げ込むべく水路を飛び越えようとすれば、足が地面から浮いた瞬間を狙いすましたかのような鈍色の一撃が壁からすり抜けて現れる。
冷気を足裏に集わせて氷塊を生み出して蹴る。体を掠めて鈍色の塊が隧道の壁面を粉砕して破片散らすのを尻目に右の水路に飛び込んだ直後、勘に従って罠の一つを起動させた。
轟音と共に隧道そのものが振動し、後ろの隧道を崩落させていく。巻き込まれない様に全力で疾駆するさ中、振り返った後ろに槍を担いだ
カエデの想定以上処か、
爆音と共に複数の火炎石が視界を塞ぐさ中に水路に飛び込んで水の流れに身を任せる。
水から身を引き摺りだして身を震わせて後ろを確認すれば、隧道が完全に崩落して槍を担いだ
崩落した隧道の所為で水の行き場が失われたのか徐々に水位が上がってきている。本来なら足場となる歩行路から10Cは余裕があったはずの水位がいつの間にか歩行路の上すらも濡らしている。湿り気を帯びた足場は若干滑るがそれよりも問題は下がってしまった体温である。
いつの間にか吐く息は真っ白で体がカタカタと震えだして寒さを訴えている。しかしカエデ本人はそう寒いと感じている訳ではない。
鈍痛効果、『
腕に擦り傷。足には痣、頬には傷があるのかべっとりと血が零れている。
痛みにも、寒さや熱さにすら鈍くなったカエデが自分の体の動きがあからさまに遅くなっているのに気付いて一度魔法を解除する。瞬間、歯の根が合わなくなりガチガチと音を鳴らして歯が打ち合わされる。
寒い、死ぬ程寒い。指先が氷の様に冷えており、首も冷たい。一瞬で眩暈を覚えて膝を突きかけ──いつの間にか足首の辺りまで水に浸かっているのに気が付いて足を動かす。
「此処、水没しないですよね」
水に濡れた上で冷気など纏っていた所為で一瞬で体力を奪われたカエデは震えながらも濡れたポーチから道具類を引っ張り出した。
火打石はある。燃料が無い。閃光弾はある、体を温められる代物ではない。
発熱薬などの体温を上昇させる系統の液薬はあいにくと持ち歩いておらず、現在ポーチの中にはない。
このまま此処に居るわけにもいかず、水位が上がった事で罠が作動したり作動を阻害されて起動しなくなっていたりする罠塗れの隧道内を歩いて行く。
水位は少しずつ上がっている。もしかしたら此処は行き止まりで水の出口が失われて入ってくるばかりになっている可能性を考えてカエデは首を横に振った。
「違う、何処かに空気の通り道がある。じゃないと水が入ってこれない」
石造りの暗闇に沈む隧道を歩きながら、近場の浄水柱の魔石を覗き込んで眉を顰めた。
光源代わりに
「……はぁ」
溜息と共に魔石を元の場所に戻すが再起動せずに魔石がころりと転がる。壊してしまったかと一瞬身構えるも、これまでの逃走劇の中で数えきれないぐらい粉砕されていたのを思い出して一つぐらい良いかと並ぶ浄水柱の側面を軽くたたいた。
「……殺すか、殺さぬか」
殺すべきだと鎖に繋がれた自分が言う。正しいことだとワタシもそれに頷く。
けれども剣を握る事が出来ず、カエデは浄水柱から漏れ出る薄明かりに照らされた隧道の奥を見据えた。
【ロキ・ファミリア】最速ではないかと噂される
場所は南東のメインストリートから外れて東のメインストリートの間にある区画。ダイダロス通りの中、オラリオに何か所か存在する地下水路への連絡路である小屋を訪れたベートとフルエン。
フルエンは罠が仕掛けてあるのに気付いて解除しようと手をかけた。
瞬間、地下水路の底の方で爆発が発生し、爆風で小屋そのものが吹き飛んだのだ。
ベートがフルエンの首根っこを掴んで咄嗟に飛び退かなければフルエンはその爆発に巻き込まれて重傷を負っていただろう。それ程までの威力の爆発に毛を逆立てたフルエンが震えながら引き攣った声を放った。
「ベートさん、ありがとうです」
「チッ、なんで爆発しやがった」
舌打ちと共に手放されて尻餅をついたフルエンは尻を撫でながら立ち上がって残骸となっている小屋に近づいて呟いた。
「一人目が入った時点で二人目が何か手をかけようとすると起動する性格最悪のド屑が作った罠です。この罠仕掛けた奴は相当趣味悪いですよ。きっと汚物みたいな性格した奴が作ったんですよ」
吐き捨てる様に言ったウェンガルは近場の歓楽街で起きているらしい騒ぎの音を聞きながらもベートの方を伺う。
「どっかの馬鹿が
歓楽街方面で引き起こされているらしいファミリア同士の抗争らしき戦闘音。何処かで聞き覚えのある怒声も響いてくる気がしたのを『気のせいだ』と聞き流したベートはフルエンの胸倉を掴んで睨む。
「他の出入り口は?」
「ちょっ、まっ、わかりましたっ。今すぐ案内しますってっ」
フルエンが慌ててダイダロス通りから外れて北東方面へと走りだしたのをベートが追おうとして、先程爆風で吹き飛んだ小屋を見て首を傾げた。
「ベートさん急いでくださいよっ、急かしてるのベートさんじゃないですか!?」
フルエンの叫びにベートは鼻を鳴らすとすぐにその後ろにピタリと張り付いて走り出す。道案内の様に走るフルエンが何気なく細道に飛び込んでそのまま三角跳びの要領で屋根の上に飛び上がった。それを難無く追ってくるベートに対しフルエンは声をかけた。
「何か気になる事でも?」
「あん? ああ、さっきの小屋の辺り、ペコラの匂いがした」
【
ただ、小屋の入り口は常に施錠されているはずなのに何故か鍵の部分だけが綺麗に破壊されていたのは覚えている。
「ペコラさんがアレをやったと? 無理無理、あの人ふわふわしてる不思議な子ですけど、中身はハンマー振り回すしか能の無い脳筋ですよ? あんな綺麗に鍵だけ壊すなんて出来ませんって」
フルエンの失礼な評価は、正しい。ふわふわとした優し気な雰囲気の彼女だが、中身は
ベートもその事を知るが故にあの鍵については疑問を覚えていた。だが、罠の説明からペコラが誘い込まれたのは間違いなさそうだと溜息を零す。
「ペコラが誘い込まれただろうな」
「マジか、あの人……死にそうには無いですけど普通にヤバいな」
ひた走るさ中にフルエンが屋根の上から無造作に飛び降りる。場所は北東のメインストリートの途中、工場の立ち並ぶ工業地帯の一角に作られた地下水路整備用の小屋。
其処の鍵がかかっているのを見てフルエンが面倒くさそうに
フルエンの手からフックピックとダイヤモンドピックが零れ落ち、ベートの足に踏みつけられてねじ曲がった。
「うわぁっ!? 何するんすかベートさんっ?! めっちゃ高かった奴なんですけどぉっ!?」
「うるせぇ、道具使うよりこっちのが早いだろ」
無造作に繰り出されたベートの蹴りによって扉が粉砕される。鍵諸共
「ギルドに
「知るか」
また、ベートの
「放せ、邪魔だ」
「ちょい待ってくださいよっ! また罠ですっ!」
ベートの舌打ちを聞きながらもフルエンが破壊された扉を踏み越えない様に中を覗き込み、直ぐに腰に吊り下げた調査用の木の棒を手に取って小屋の壁面を指し示す。
「あそことあそこ、後そこの所に罠。うわ、あの魔石灯、電源入れたら爆発しますよ。本当に性格悪い奴が罠仕掛けてますねこれ」
「解除は?」
「5分で」
「30秒でしろ」
無茶言わんでくださいよと冷や汗を流すフルエンが素早く罠を解除していく。どの罠も仕掛け人の性格の悪さを示す様に連鎖する様に仕掛けられているのを見てフルエンの手が震える。
一つでも解除に失敗すると連鎖的に全ての罠が軌道して小屋を爆散する事だろう。ついでに地下水路に通じる連絡路である螺旋階段も容赦なく吹き飛ばして瓦礫の山が出来上がるに違いない。巻き込まれれば迷宮の罠なんか目じゃない程に確実に命を奪いに来る罠である。
「出来ました」
30秒よりは大分かかってしまったが、3分で罠を無力化したフルエンは額に溜まった汗をぬぐいながらもベートに振り返ればベートはフルエンを睨み返した。
「よし、進むぞ。お前が先に降りろ」
フルエンが顔を引き攣らせて呟く。
「勘弁してくださいよ……」
この性根が腐り落ち、性格がねじ曲がった邪悪な仕掛け人が用意した罠の中に飛び込めと言われてフルエンの目が死んでいく。生きて帰れるのかすらわからないこの罠の数々に震え、覚悟を決めたフルエンが頬を叩いて足を踏み出した。
「これ終わったら
「わかったから早くしろ」
「ほんとに最高級の奴頼みますよ?」
失った二つだけでも数千ヴァリスはしたのにと吐息を零したフルエンが地下水路の入り口に足を踏み入れた。
地下水路の隧道内まで足を運んだフルエンは後ろを振り返って呟いた。
「不味い、戻れなくなった」
「あん? どういうことだよ」
フルエンの言葉に水路内の湿った空気に苛立った様子のベートが振り返ればフルエンは震えながら入ってきた連絡路を指さす。
「其処、入ってくるときには絶対に見えない位置に罠。こっちからじゃ解除できないタイプです」
「…………つまり?」
「こっちから出ようとするとドカン、生き埋めですよ。第一級のベートさんも生き埋めは不味いでしょ!?」
焦ったようなフルエンの言葉に眉を顰めたベートは舌打ちしてから周囲を見回して口を開いた。
「帰り道は後で探せばいい。それより【ハデス・ファミリア】は何処に居やがる」
汚水を浄化する浄化柱が一定間隔に並ぶ隧道内。歩行用の足場を見据えて言い切ったベートの姿にフルエンは肩を落とそうとして──遠くで聞こえた破砕音に気付いて顔を上げてベートと顔を見合わせる。
「今の音は」
「間違いねぇ、あの糞牛の斧の音だ」
【
二人の目の前、音の聞こえた通路の先から白い毛並みの小柄な影が全力で疾駆している姿が見えて息を呑んだ。
「なっ、カエデェッ!? なんで此処にっ」
「どうなってやがる、おいお前、此処で何を────
ベートが声をかけた瞬間。カエデがベートとフルエンの姿を確認するや否や即座に分岐していた横の隧道内へと逃げ込もうとし──壁をすり抜けて振るわれた
「何してんだあの馬鹿はっ」
助けに来たのに姿を見た瞬間に逃げ出したカエデの姿にベートが舌打ちしながらも罠を無視して突っ込む。体に食い込む
降り注ぐ粉砕された石材を無視してカエデに近づいて腕を掴む。
「おい、お前は────ッ!」
瞬間、カエデが全力でベートの腕に噛みついた。痛みと驚きで手を放した瞬間、ベートの腹を蹴ってカエデがベートから逃げ出し──別の罠を起動させてベートを置いてけぼりにしたまま崩落の向こう側に消えて行く。
追いかけようとした瞬間に目の前に振り下ろされる鉄塊。回避するために後ろに飛び退こうとするも崩落して隧道を塞ぐ土砂で回避しきれずに迎撃せざるを得ない。
鉄塊、
後ろを塞ぐ土砂を肩越しに見てから正面の通路を塞ぐ土砂を見る。前後が崩落して孤立したベートは舌打ちしながら叫んだ。
「おい【
本来なら隧道内に響くはずのベートの怒声は、前後を土砂に挟まれている所為で全く響かない。
聞こえていた鎖の音も消え去り、無音になった次の瞬間、後ろの土砂の一部が少し崩れてフルエンの顔が見えた。
「ベートさん、カエデは? つかなんでアイツ逃げて……とりあえずこの土砂退けるんで少し待っててください」
フルエンが手早く土砂を片付けるのを尻目にベートは正面、カエデが逃げて行った方向の土砂を睨みつけた。
「……あいつ、光の玉みてぇなの飛ばしてたな」
最後、カエデがベートの腕に噛みついた時にカエデの周囲をふわふわと漂う怪しい光を放つ光の玉があった。カエデの魔法かと一瞬考えるもすぐに否定してベートは舌打ちした。
少なくともカエデは
とはいえこのまま何もせずに見殺しという選択は在り得ない。【
「あいつが殺される前に、さっさと片付けるか」
全員、一人残らず潰す。そう宣言したベートはばっと後ろを振り返って土砂を退けようとしているフルエン諸共土砂を蹴り飛ばした。
「……酷くないですかねぇ」
「お前なら平気だろ」
ベートが振り向いた瞬間に土砂の前から飛び退いて水路に飛び込んで事なきを得たフルエンの言葉にベートが肩を竦める。信用されているのは嬉しいが、荒々しい信用は勘弁だとフルエンが溜息を零すさ中、ベートがフルエンの首根っこを掴んで水路から引っ張り上げる。
「さっさとカエデを追うぞ」
「ついでに【ハデス・ファミリア】を潰す訳ですね、了解」
あの邪神様が本当の事をペラペラ喋るわけ無い訳で……。