生命の唄~Beast Roar~ 作:一本歯下駄
『はぁ……なぁ、となりに居たあいつら』
『あん? あの盛ってたやつらがどうしたよ』
『気のせいかもだが、どっかで嗅いだ臭いがしたんだよ』
『アタシは匂いには敏感じゃないからわからないけど、何処で嗅いだ臭いだい?』
『…………【ナイアル・ファミリア】のアルスフェアって奴の匂い』
『気のせいだろ。第一、隣の部屋でアタシらを探し回ってる奴が盛ってるなんて馬鹿な話ある訳ない』
『だよな……』
飛行船は雲より高い領域を飛ぶ事が多い。というよりは地上から視認できない範囲を飛ぶことで奇襲を避けるという意味合いが強い。
飛び立つ時と、着地する時。この二つのタイミングで襲撃される事が多く、【恵比寿・ファミリア】の団員達は誰しもがその瞬間に息を呑み、祈る。
機関が動き始め、船が浮く。そのさなかの言い様のない不安感にカエデが大地をジーっと見つめる。
今すぐ地上に飛び降りたいと思うし、同時に『此処に誰かが居る』という勘の様なモノも感じる。けれども今回の依頼の関係上、此処で彼女が飛び降りれば行程は酷く遅れる事になる。
この街で【トート・ファミリア】の面々は全員降りた。この街の長であった人物が依頼偽装をした結果、【
そのホオヅキがカエデの知る『ワンコさん』だという事も教えて貰った。
遠ざかる地上を見下ろすのをやめて船内へと続く扉に手をかけようとしたところで、酷く草臥れた声でモールが呼び止めた。
「やぁ、少し、話さないかい? 嫌なら、良いよ」
へにゃりと耳が力なく垂れ、疲労感の漂う顔色で声をかけてきた彼女にカエデは困惑しつつも頷く。
前方の甲板の上、手摺りに凭れ掛かって深い溜息をついたモールは力なく尻尾で手摺りを叩きながら口を開いた。
「いやぁ参った参った……物資の輸送でこんなに疲れるなんて。帰りにまた彼らを回収しないといけないのは本当に面倒だよ。彼女達って悪い人じゃないんだけどねぇ」
「……話ってなんですか?」
会話を弾ませようとでもしたのか無関係な話題を口にした彼女に対してすげなく本題を話せとせっつくカエデ。モールはその様子に苦笑を浮かべつつも広がる青空に視線を向けながら口を開いた。
「キミは、自分の立場ってのを理解してるかい?」
「……どういう意味でしょう?」
カエデの立場。【ロキ・ファミリア】の
カエデの立ち位置を示す言葉は数多あれど、カエデ自身にはそれは何ら関係の無い事である。
しいて言うなれば『生きる為に
「あー、わかってないっぽいね」
モールは肩を竦めると悩まし気に口をもごもごと動かし、意を決した様子で口を開いた。
「キミは妹と会わない方が良い」
「はぁ…………?」
生返事の様な返答を零すカエデに対しモールは顔を引き攣らせて頬を掻いた。
カエデには血の繋がった妹が一人居るらしい。
カエデ自身、彼女について知っているのは『珍しく自分を毛嫌いしない村人の一人』程度だ。村を出る前に少し会話を交わした記憶はあるが、親しい間柄でもないので実感なんぞありはしない。
話によれば未だに生きている様だが、カエデはその事に関して特にいう事は何もない。自分が生きるので精一杯であり彼女に構う余裕は毛ほども無いからである。
「キミの血筋が関係してるんだけど」
困ったような表情のモールがぽつぽつと語り始め、カエデはそれを聞きながら眉を顰める。
カエデ・ハバリの血筋。正確に言うなれば『黒毛の狼人』が引き継いできた血筋。
古代、神々が降り立つ神代以前の頃、彼らは一つの部族として纏まっていた。しかし熾烈を極める部族争いや世界の『大穴』、ダンジョンから溢れ出すモンスターによって住処を失い、滅びに瀕した彼らは精霊の加護を受けた。
精霊の加護は、古代版ファルナと言われるモノであるが、実際の所は神々が与えるファルナとは全く異なる代物である。
各々がもつ精霊の特権、その一部を切り分けて分け与える。自らの血を分け与える事で精霊の力を人の子に与えるというモノが加護だ。
精霊を助け加護を授かる事もあれば、精霊と恋仲になり加護を授かった英雄も居る。
かつて精霊と交流し、友好を深めた彼らは加護を受けた。
『黒毛の狼人』が受けた加護は、特殊なモノだ。
力無き彼らを守る強力無比な加護。力そのものであり、同時に代償を必要とするモノ。
『鋭き白牙』そう呼ばれる個体を生み出す加護。
「……白牙?」
「そう、精霊が黒毛の狼人に与えた加護は『白牙』を与えるモノだった」
その当時において、人々の平均寿命は30歳まで生きれば上出来。50を超えたら長老と呼ばれる程だったのだ。
怪物の襲撃、部族同士の抗争。その中で彼らは熾烈な生存競争を生き抜くために精霊に加護を与えられた。
寿命を削り、代わりに比類無き戦闘の才を持つ個体を産み落とす加護
生れ落ちたその瞬間から、その肉体は戦闘する為に成長していく。
成長する過程で、比類なき戦闘への才能を開花していく。
その才能を活かし、部族を、ひいては種族そのものの守護を任せられる個体。
「『白牙』または『白き禍憑き』。かつて古代の時代において最強の個を名乗る事を許された存在」
得られる力の代償に、その個体は寿命は半分程度に削り取られ、凡そ40年か50年でその肉体は朽ち果てて死に絶える。
戦闘の才を持ち生まれる白い毛並みの個体────精霊の加護を受けた一族が産み落とす戦闘用個体。
「それがキミな訳だ」
彼らはその『最強の個』である『白牙』を戦力の要として部族抗争を勝ち抜いた。
現代における
其処はあまり問題ではない。
「根底にあるのは否定しないけど、まぁ其処はどうでもいいんだよね」
『最強の個』である『白牙』、もし反旗を翻されれば『黒毛の狼人』達すら潰滅を免れ得ぬ精霊の恩恵の生み出した歪んだ個体。
精霊はそれを見越して『白牙』に小細工を弄した。特定の個体の命令に対する服従心という小細工を。
「何を話しているんだい?」
「おっと……保護者が来ちゃったか」
「団長……?」
話を遮ったのは微笑をたたえたフィン。
モールとフィンが視線を交え、モールは両手を上げて降参を示した。
「あー、場が悪かった。本当は此処で伝えておきたかったんだけどね」
「カエデ、キミは部屋に戻るんだ」
「えっと……」
まだ話の途中だとカエデが口にするより前に、フィンが肩を竦めて口を開く。
「ペコラが呼んでいたよ」
「…………わかりました」
逆らうべきではない。そう判断したカエデがモールに頭を下げて船内に向かう。その背を見送り、見えなくなったところでフィンはモールの方に視線を向けた。
「続きを教えてくれないか」
「【
モールは降参の意を示しながらも溜息を零して空を見上げた。
「『黒毛の狼人』達には別名が存在するのは知ってるよね。『黒き巨狼』って奴さ」
彼らは『頭脳』を通じて思考を共有できる。戦闘中に比類なき連携で
「ま、今は無理だけどね? え? 全滅したからじゃないよ。血筋の劣化さ」
問題はその『頭脳』。この個体の命令に対して『白牙』は拒絶できない。
どう足掻いても、『白牙』は『頭脳』の命令に逆らえない。
それは魂そのものに刻まれた刻印であり、同時に取り返しのつかない
「『
その『頭脳』となっている個体が────ヒイラギ・シャクヤク。
『黒毛の狼人』の最後の一人。『白牙』を使役する能力を得た人物。
「
【恵比寿・ファミリア】の目的は一つ。ヒイラギ・シャクヤクの保護。
理由は────カエデ・ハバリを守る為。
他にも【クトゥグア・ファミリア】や【ナイアル・ファミリア】なんかに彼女を奪われ、結果的にカエデ・ハバリを利用されるのを避ける為でもある。
「以上さ、他に聞きたい事は?」
「無い。それよりももう少しで到着だろう?」
そうだったと思い出したかのように手のひらを打ってからモールは笑みを浮かべてフィンの前から去っていく。着地点を探しているらしい見張り台に立つ団員を見つつもフィンは風に揺れる【恵比寿・ファミリア】のエンブレムの刻まれた旗を睨んだ。
「カエデを守る為……? 笑わせないで欲しいね」
カエデに対する絶対命令権を持つヒイラギという少女。
もしそれが事実であるのなら、面倒な事になる。
カエデ・ハバリが敵に回る可能性もあり得る。
ヒイラギ・シャクヤクを押さえられればそうなる。むしろ【恵比寿・ファミリア】の狙いが最初からソレであるとしか思えない。
カエデはすさまじい速度での急成長を遂げている。それに戦闘能力でいえば第一級冒険者相手にも食い下がる程だろう。それが敵に回る?
それも、仲間として内に迎え入れた状態で唐突に反旗を翻る可能性が出てきた。
「ヒイラギ・シャクヤクはなんとしても
保護、もしくは拘束を視野に入れてフィンは静かに目を瞑った。
飛行船の着地場所として選ばれた草原。
セオロの密林を見下ろす高度で静止している飛行船から半日ぶりに大地に降り立ったベートが悪態をついた。
「まだ揺れてる気がするぞ」
「慣れませんねぇ」
船酔いこそなかったものの、【ロキ・ファミリア】の面々は飛行船に乗った経験が無い、または少ない者ばかり。慣れない飛行船の感覚が抜けきらないせいか、しっかりと踏みしめられる大地に立ったというのにふらふらと体が揺れている。
「あはは、困ったねぇ」
「……それで、村の調査に同行するのは誰なんだい?」
「僕と、えっとそっちの八人かな。後は飛行船で待機だよ。あ、燃料勿体無いから一度完全におろしちゃうね」
飛行船の完全着地準備をしている【恵比寿・ファミリア】の団員達を尻目にカエデは森を眺めて吐息を零した。
その様子を見ていたペコラが彼女に忍び寄って呟く。
「懐かしいですか?」
「……別に」
驚くでもなく静かに返す姿にペコラが眉を顰めるが、直ぐに気を取り直した様にぐっと拳を握り締めた。
「話によれば隠れ里っていうじゃないですか。ペコラさん『隠れ里』って聞くとわくわくするんですよ」
「襲撃されて潰滅してますけどね」
すげなく、当たり前の事を口にしたと言わんばかりに感情のこもらない返答を返すカエデ。対するペコラは自身の故郷が滅びたかもしれないというのに冷たい反応しか返さないカエデに怯んで口を閉ざした。
カエデは此処まで冷たい人物であっただろうか。頸を傾げつつもペコラはなんとかカエデから何らかの返答を受けようと声をかけ続ける。
その様子を見ていたジョゼットは痛まし気にカエデを見てからフィンに近づいた。
「団長、【恵比寿・ファミリア】についてですが」
「何かわかったかい?」
「積み荷の中に
ジョゼットの報告にフィンが静かに頷く。
怪しいという勘を頼りにジョゼットに調べさせた結果を聞いて考え込む。
「どうします?」
「いや、その武装は僕らに向けられるモノじゃないね」
その武装船に積まれた武装はせいぜいが中層域のモンスターを討伐する程度の威力しか持ち合わせていない。その程度の威力では第一級冒険者どころか、第二級冒険者すら倒せないだろう。
つまり現在同行している【ロキ・ファミリア】メンバーの中では最も弱いジョゼットですら倒すのは難しい。
それに、彼らは内側よりは外側に対し強い警戒心を持っている。
「とはいえ、オラリオに帰り着くまでは油断しちゃダメだね」
最悪、船諸共雲の上から落とされて全滅という事も考えられる。船の一隻と数人の団員を纏めて落とすという事で【ロキ・ファミリア】のメンバーを始末するという荒業も存在するのだ。
「わかりました、警戒を厳重にします」
「ったく面倒臭えな。話し合いは終わったかよ」
割り込んできたベートに対しジョゼットが不満げな視線を向けるもベートは気にした素振りは見せない。それ以上にベートは森の方を睨んで不愉快そうに鼻を鳴らした。
「人の匂いがこびりついてやがる」
「……なんだって?」
「【恵比寿・ファミリア】共の匂いがこの場所に染みついてんだよ。何度も足を運んだみたいだな」
周囲の匂いを嗅いでそう判断したベート。フィンは静かに船の方に視線を向ける。
三隻の船は淀みなく近場の高台の上に着地して鎮座しており、よくよく見れば他にも数隻分の着陸跡が見て取れる。
最大で五隻だろう。三隻のほかに二隻分の着陸跡を見つけたフィンの元にモールがやってきて口を開いた。
「やぁ、何を観察しているんだい?」
「よくここにきてるみたいだね。其処の着陸跡がね」
「まあね。いつもは五隻で来るんだけど……」
船が落とされちゃってね。そうおどける彼女に対しフィンは肩を竦めた。
ベートがモールを睨み、ジョゼットが注意深く彼女を観察するも不自然な点は見て取れない。
警戒心を残しつつもモールの言う通りに【ロキ・ファミリア】の面々は森の奥に続く小道に足を踏み入れた。
馬車一台が通るので精一杯の広さしかない道幅。木々の根が邪魔して進むのにも苦労する道。
覆いかぶさる木々の天蓋の下、薄暗く湿った空気の密林の中を歩むこと凡そ20分程。
先頭を歩くカエデが眉を顰めるさ中、村の入り口が見えてきた。
「……此処がカエデちゃんの故郷ですか」
ペコラが惨状に塗れた村を見ながら呟けば、カエデは静かに頷いた。
立ち並んでいたらしき家屋の残骸。木製のソレらは火を放たれたのか焼け落ちており、一部残っている建造物は石造りの村長の家と、石材で作られた鍛冶場、隣接する家屋程度でその他のモノの殆どは焼け落ちるか朽ちている。
僅か半年ほど放置されただけの村の惨状にカエデが言葉を失うさ中、モールが歩み出て静かに両手を合わせた。
「少し、調べさせてもらうよ」
【恵比寿・ファミリア】の団員達が慎重に村に足を踏み入れるさ中、ベートはカエデの後姿を見つつもフィンに声をかけた。
「この村、なんか変だぞ」
「変って?」
「んな密林の中だってのに、モンスターの匂いがしねぇ」
密林を進むさ中、幾度かのモンスターの襲撃にあった。ハーピィ等の飛行型も居たのだが、不思議な事にこの村、焼け落ちた村の跡地だというのにモンスターの気配処か匂いすら感じ取れない。
此処まで放置された村なら、ゴブリンが集落を築いていてもおかしくはないのに。
「此処は、ヒヅチの結界で守られてますから」
「……結界?」
「はい。強いモンスターは近づけません。弱いモンスターもよほどの理由が無いと近づけない様になってます」
常に森を警邏し、結界の綻びの修繕を繰り返して村の安寧を図っていたのがヒヅチ・ハバリであり、その弟子のカエデの仕事でもあった。
守り人として村の結界を超えて入り込む異物、怪物を始末する。誇りこそ持っていなかったものの、カエデにとってみれば慣れた日課である。
村人たちに押し付けられていたといえば、そうであるのだが。
「……カエデさん、カエデさんの住んでいた小屋まで案内してもらっても良いですか?」
「何もないですよ?」
「構いません。少し、見てみたいと思ったので。もちろん、カエデさんが不愉快でなければですが」
村を見てもどう反応して良いのか困っている様子のカエデに対し気を利かせようとしているジョゼットが案内を頼めば、カエデはしぶしぶといった様子で足を動かし始める。
「僕とベートは此処で待ってるよ。ペコラ」
「あーはい。わかりましたー」
カエデに続いてペコラとジョゼットが歩いて行く。既に住む者が失われた廃村である村をほぼ無視して通り過ぎるさ中、カエデはしきりに村にふさわしいとは思えない大きさの鍛冶場の方に視線を向けていた。
廃村の中を歩き回ってメモを取る【恵比寿・ファミリア】の団員に交じりフィンは小さな村にふさわしいとは思えない大きな鍛冶場に足を運んでいた。
後ろに続くベートは不思議そうに鍛冶場の煙突を見上げて呟く。
「でけえな」
「そうだね、此処が彼の有名な【
忙しそうに動き回る【恵比寿・ファミリア】が近づかないその鍛冶場に足を踏み入れようとしたとき、モールがフィンを呼び止めた。
「【
「……理由は?」
カエデが『近づくな』というならまだわかる。だが彼女が言うのは少し変なのではないかとフィンがモールに視線を向ければ、モールは軽く肩を竦めた。
「ヒイラギ・シャクヤクが帰ってきた時に其処が荒らされてたらどう思う? 僕らだって其処には近づかない様にしてるんだ、頼むから余計な事はしないでくれ。カエデ・ハバリがうろつくぶんには好きにしてくれていいんだけどね」
カエデが同行していないのなら、余計な事はするなと釘を刺す彼女にベートが不機嫌そうに眉を顰めるもモールは気にした様子も無く近場の畑の中に足を踏み入れて荒らしている。
元々人の手を離れた影響か雑草が生え茂り、作物がほぼ壊滅している畑を踏み荒らしながらモールが何かを探しているのを見つつもフィンは鍛冶場に再度視線を向ける。
何故かこの鍛冶場だけは荒らされた形跡が少ない。他にも村長宅らしき石造りの建物もあるが其方もあまり荒らされた形跡がない。
殆どの家屋が焼け落ちている中、なぜかその二か所には荒らされた形跡が非常に少ないのだ。
「燃やした犯人は、襲撃者とは別だったって事かな」
「どういう事だよ」
ベートの質問にフィンは肩を竦める。
村外れというには少し離れすぎた場所に存在する小屋。
小屋の前には薪割り台と薪置き場。広い空間に無数の巻き藁の残骸が散らばる鍛錬場らしき場所。
カエデの記憶とほぼ相違ない景色の広がるその小屋の前で彼女は静かに小屋の扉の前で立ち止まっていた。
随分と荒れている。というよりは密林にのみ込まれかけた小屋だ。
小さく、人が二人暮らすには多少手狭なぐらいの、本当に小さな小屋だ。
「此処で住んでたんですか?」
「……弓用の的もあるんですね」
ぼろっちい小屋を見上げたペコラの言葉にカエデは頷く。
鍛錬場である巨木。常に師であったヒヅチと向かい合ったその場所にはうっすらと草が生え茂っていた。
カエデの記憶の中では、其処は禿げ上がった土地であったはずだが、人が居なくなってしまえば森にのまれるのも当然かと無視して扉に手をかける。
ギシギシと、整備不良で滑りの悪い引き戸を力業で開き、小屋の中に視線をやってカエデは眉を顰めた。
うっすらと埃が積もった室内。もしかしたら師が帰ってきているかもしれないと薄らと期待していたソレが霧散するさ中、カエデが室内を見回す中で見つけたモノがあった。
「……ワンコさんの仮面」
足を踏み入れ、落ちていた仮面を手に取る。覗き穴が存在しない白塗りの犬の面。
「それ、は」
「ワンコさんのモノです」
入り口から恐る恐るといった様子で眺めていたペコラに仮面を示せば、ペコラが困った様に頬を掻く。
カエデの淡々とした反応。明らかに時がこの場所を壊していくというのに、壊れかけのこの場所を見ても嘆くでも悲しむでもなく淡々とした態度を貫く彼女。
もしペコラが同じ目にあったら、涙の一つでも零すだろう。それをしない幼いカエデにペコラがどうすべきかと腕組をしたところで、ジョゼットが口を開いた。
「お二人とも、此方へ」
「何ですか」
大木を見上げていたジョゼット。彼女の視線は見上げる程の大樹に刺さった一本の剣に向けられていた。
片刃の反りのある大太刀。刃渡りは90C程、鍔や塚頭等に錆の浮いたその剣は人の手では届き得ない高さの所に水平に突き刺さっていた。
「あれは?」
「……? あれ? あんな剣、見た事ないです」
「え? あの剣かなり前から刺さってる様に見えますよ?」
錆の浮き具合。刀身の曇り具合等から少なくとも数年は突き刺さっていたのではないかという程の古い刀。しかしカエデの記憶にそんな刀がこの木に刺さっていた記憶は存在しなかった。
不思議そうに首を傾げながらもカエデはその刀を抜く為に足を踏み出そうとして────足を止めて振り返った。
「…………ヒヅチ?」
目を見開き、驚きの表情を浮かべたカエデ。
その様子を見たジョゼットとペコラも急ぎ後ろを振り返る。
ぼろっちい小屋の入り口。其処から顔を出したのは、美しい金髪を腰の辺りまで伸ばした和装の女性。
頭にピンとたった狐耳に太い狐尻尾。カエデの記憶にあるヒヅチ・ハバリその人が小屋から出てきてペコラとジョゼットに視線を向け、最後にカエデを見据えた。
「ふむ」
言葉を失うジョゼットとカエデの横、ペコラは目を細めてヒヅチ・ハバリを睨む。
ペコラが見た小屋の内部に隠れられそうな場所は存在しなかった。だというのに彼女は小屋の中から出てきた。
不自然極まりない彼女の登場にペコラが強く警戒心を抱くさ中、その狐人の女性は腰の刀の柄を撫でながら静かにジョゼットとペコラに視線を向けて口を開いた。
「貴様等は何者だ」
「……【ロキ・ファミリア】所属【魔弓の射手】ジョゼット・ミザンナです。貴女は……ヒヅチ・ハバリで間違いないですか?」
ジョゼットが丁重に返答するさ中、カエデが静かにジョゼットの前に出る。
「カエデさん、何を」
ジョゼットの前に躍り出たカエデが静かに剣の切っ先を向けて睨み付ける。
「貴女は、ヒヅチじゃない」
カエデの言葉にペコラとジョゼットは眉を顰めつつも武器を構える。ペコラが大槌を握り締め、ジョゼットが弓の弦を引く。
「…………ふむ。お前がカエデ・ハバリか、見事だな」
ヒヅチ・ハバリの姿をした何者かが静かに自らの顔を撫でる。
警戒心を剥き出しにして武器を向けるカエデ達に対し、その人物は目を瞑ると静かに腰の刀を鞘ごと手に取り、捨てた。
「この通り、私は抵抗する気はない。話を聞け」
「……貴女は、誰ですか」
姿、形はヒヅチ・ハバリそのものである彼女は、けれどもカエデの記憶の雰囲気とは程遠い別人であった。
故に、見た瞬間に偽物と断じた。師の姿はしていても、師ではない。
記憶にない幼い頃からヒヅチと共に過ごしていたからこそ、その呼吸一つで見分ける事が出来るが故の判断。
彼女はその事に一切気にした様子も無い。本人ではないと明かされてなお平然とした振る舞いをする彼女は顎に手をあてて呟く。
「私の生まれた理由は様々だが────この姿の元となった人物の伝言を伝える為だな」
「……貴女は」
「人ではない。式神と……いや、今はただ式と呼ばれるモノだな」
式、極東の
ヒト型と呼ばれる紙切れを使い呼び出すオラリオで言う『使い魔』の様な存在。
作成者によって特徴が出るソレ。
彼女の言い分が正しければ────ヒヅチ・ハバリの伝言を伝える為に生み出された『式』らしい。
「伝言? ヒヅチの? 教えて、ヒヅチは何処に」
「……カエデ・ハバリ、お前に言う事は何もない」
ヒヅチの形をした式の言葉にカエデが目を見開く。
師の形をし、伝言を持っていると口にする彼女はカエデに微塵も興味を持った気配はない。
「どうして?」
「何故、等と問いかけられても困る。私の創造理由にカエデ・ハバリに関するモノは何もないのだからな」
姿形はヒヅチ・ハバリを模していたとしても、彼女はあくまで『式』でしかなく。特定の目的の為に生み出されたモノだ。そうであるが故に、彼女は目的以外にはひどく機械的な反応しか返さない。
師と同じ姿をした彼女に冷たくあしらわれたカエデが酷く傷ついた表情で凍り付く。
「……貴女は、どうして其処から出てきたので?」
「ふむ? あぁ、
条件は『この小屋に見知らぬ者が二人以上やってきた場合』。
ジョゼット・ミザンナとペコラ・カルネイロという見知らぬ二人がやってきたことで条件が満たされ、彼女は目覚めた。
「……伝言とは?」
「ふむ。私を殺してくれ。いや、違うな────ヒヅチ・ハバリを殺してくれ」
彼女の言葉に、カエデ達が息を呑んだ。
「それは、どういう?」
「言葉の通りだ。私の創造主であるヒヅチ・ハバリを殺して欲しい。私はそれを伝える為に創造された」
ペコラとジョゼットは困ったように顔を見合わせ、カエデの表情を伺う。
驚きと困惑の混じった表情でジーっとヒヅチの式を見つめるカエデ。彼女の事をちらりと伺ったペコラが一歩前に出て口を開いた。
「理由を、理由を教えてください。いきなり殺してくれなんて言われてもペコラさん達には難しいですよ」
「……理由か、知りもしない。私の創造主はあくまでも『殺してくれ』と伝える様に私に組み込んだのみで理由を書き込みはしなかった。故に私は創造主の考えは理解できない」
あくまでも、彼女を生み出した人物が『殺してほしい』と伝える事のみを重視していたためか、理由の一つも知らないと口にし、被創造物であるがゆえに創造主の考えは理解できないと口にした彼女。
作り物でしかない彼女は言いたい事を言い切るとジョゼットとペコラの顔を交互に見てから頷く。
「私は、必要な事は伝えた。これ以上語らう理由は無いな」
「なにを────」
「創造された理由を失ったのだ。故に、此処までだ」
その動きは、酷く滑らかであった。
懐から徐に取り出した短刀。その短刀が流れる様な滑らかな動作で自身の頸に押し当てられ、そのまま喉を切り裂いてしまう。
カエデ達が息を呑む目の前で、彼女は喉からボタボタと
「なにが……」
「ちょっと、ペコラさんわけがわからないんですけど……」
慌ててカエデが駆け寄るも、彼女がその体に触れるより前にそのヒヅチの式は霧散して消えてしまう。
残ったのは地面にぶちまけられた真っ黒な墨とその墨に浸り真っ黒になったヒト型の紙切れのみ。
訳が分からないとペコラとジョゼットが困惑するさ中、カエデは墨に沈んだ紙切れを手に取った。
「ヒヅチ、なんで……」