生命の唄~Beast Roar~ 作:一本歯下駄
『隷属の刻印ねぇ、
『黙れクトゥグア。あ奴はアレで縛らねば命令を聞かぬのだ』
『……ヒヅチの事を道具かなんかだとでも思ってんのかね』
『何を言う。あ奴も
『あぁ、そうだったな』
『全ての神を殺し尽くす。地上は神々の遊び場ではない、我々人の世界だ』
セオロの密林の領域内。
怪物避けの結界と人避けの結界の施された黒毛の狼人の隠れ里。
既にほとんどの家屋が焼け落ちて廃村と化しているその村に現存している数少ない家屋の一つ、小さな村にしては不相応に大きな鍛冶場の隣接した家屋。
踏み荒らされた形跡はなくとも数か月間放置された事でうっすらと埃の積もっていた。
ヒイラギが最低限一部屋だけ掃除をして皆を招き入れたその部屋の中には家主たるヒイラギに加え、彼女の護衛として雇われた傭兵のシェト、そして【ロキ・ファミリア】の面々と【恵比寿・ファミリア】のモール一人が入っていた。
大きめのテーブルに椅子が四脚。座っているのはヒイラギ、フィン、モール、そしてカエデだ。
不機嫌そうにモールを睨むヒイラギとシェトに代わり、フィンが口を開く。
「それじゃあ情報交換をしようか」
「アタシは別に構やしないけど、そっちの恵比寿ンとこの奴、お前はどういう積りでアタシらを追いかけ回してたんだ」
ヒイラギではなくシェトが代わりに口を開き、モールを睨みつける。交渉するというよりは今すぐにでも殴りかかりそうな雰囲気にカエデが胡乱気な視線をシェトに向ける。
此処はあくまでも話し合いの場であるにも関わらず殺意や害意を隠そうとしない彼女の行動はいささか度が過ぎる。
「あはは、悪かったよ。君たちとはぜひお話がしたかったんだ。本当はもっと落ち着いて話したかったんだけど、【クトゥグア・ファミリア】や【ナイアル・ファミリア】には先を越されるわけにはいかなくて少し強引に捜索し過ぎたんだ。謝るよ」
「……なあ、なんでアタシを追うんだ? 確かにこの村がアンタ等の管理下にあったのはわかった。それはつまりなんだ、アタシもアンタ等の所有物だって言いたいのか?」
ヒイラギの警戒しきった発言にモールが頬をポリポリと掻きながら呟く。
「警戒されるのもわかるけど、僕らは決してキミを物として扱う気はないんだ。信じて……はくれなさそうだね」
自身のふわっとした緩い雰囲気の身形等は商売人としてモールが身に着けたモノであるが、それが彼女の警戒心を引き上げる原因だと気付いて表情を引き締めてヒイラギを真っ直ぐに見つめてモールは再度口を開いた。
「悪かった。事情があるとはいえキミを追い掛け回す真似をして……その事情について洗いざらい話すよ」
「当たり前だ。全部教えろ、アタシが
ヒイラギがカエデに声をかけた後、カエデがどう返事をしようか迷っている間にモールはカエデとヒイラギの間に入り込んで言葉を交わす事を禁止した。というより言葉を交わしたら大暴れすると宣言し二人が会話を交わす事を妨害したのだ。
それが気に食わないと言い切ったヒイラギ。対するカエデは逆にありがたいと思っていた。自身の血の繋がった妹とはいえ、カエデからすれば見知らぬ他人と変わりはしないのだ。
「んー……わかった。理由を話す、というか今この場で君の言葉がどれだけ危険なモノか把握してもらわなきゃいけない」
「アタシの言葉が危険……?」
モールの言葉に狼人の少女が明らかに不愉快そうに眉を顰めるのを見たシェトも警戒心を強める。彼女の身になにかあればホオヅキに殺される。というか封印されて行動不能だと言われても彼女なら何とかして抜け出してきてぶっ殺しに来るだろうと予測するアマゾネスの過剰な警戒はモールにも伝わり、呆れの笑みを浮かべさせた。
「あー、協力者としてカエデちゃんが必要だ。カエデちゃんさえ良ければ今この場で試す事もできるけど、どうする? ……保護者のフィンの許可もいるかな?」
「カエデに危険が及ばないのならそれで構わないよ」
伺う様にカエデとフィンを見るモールの言葉にフィンは少し考えてから返事を返し、カエデは迷う様にヒイラギとモールの間に視線を泳がせる。
その様子を見たモールは尻尾でテーブルの端をトントンと叩きつつも笑みを浮かべた。
「命の危険はないという事を保障しよう。信じるかは別としてだけど……」
モールの言葉を聞きながらもカエデは自分の尻尾を抱き寄せてヒイラギを見据えた。
平気だと訴えかける様に尻尾を優しく撫でられる感触もするし、危ない感じもする。何よりヒイラギを見る度にゾワゾワとした不思議な感じがする事に気付いたカエデは若干の警戒心を持ちつつもしぶしぶ頷いた。
「別に、協力してもいいです」
何をやらされるのか警戒心を抱きつつもモールを伺うカエデに対し、モールは苦笑を浮かべた。
「あー、カエデちゃんは何もしなくていい。
「……なんだそりゃ? ふざけてんのか?」
「まさかまさか、ふざけてなんていないさ」
ベートの言葉にモールは両手を上げて降参を示す。その様子を見ていたヒイラギが首を傾げつつもカエデの方を見て何を頼むか考えこみ始め、モールが補足した。
「あ、死ねとかは絶対に禁止。後はカエデちゃんが傷つきかねないお願いも絶対にダメ。そうだね……『三回回ってワンと鳴け』とか『語尾にニャを付けろ』とかかなぁ」
「そんなお願いで良いのかよ……じゃあ、カエデ姉ちゃん、悪いけど三回回ってワンって鳴いてくれ」
「わかりました」
しぶしぶと言った様子でヒイラギがカエデに声をかけるとカエデが即答し、椅子からさっと立ち上がってくるくると小さくその場で回ってからワンと大きく鳴いて首を傾げた。
「これでいいですか?」
「…………なぁ、なんの意味があったんだ今の」
「カエデちゃんが三回回ってワンと鳴いただけですけど」
「馬鹿じゃねえのか?」
胡乱気な視線をモールに向けるヒイラギ。不思議そうに首を傾げるペコラ、カエデの行動を鼻で笑うベート、三人の反応にカエデが首を傾げる中、フィンは顎に手を当てて考え込む。
今のヒイラギの頼みではカエデが『とりあえず自分の意思で実行した』のか『命令に逆らえずに実行したのか』がわからない。もっとカエデが絶対に行わないであろう事を頼まなくてはどちらなのか判別がつかないのだ。
「ヒイラギ、だったかな。君にお願いがあるんだカエデに僕を叩く様にお願いしてくれないかな?」
「はぁ? アンタを叩かせる?」
カエデは無暗やたらと暴力を振るう事を良しとしない。きっと
「意味わかんねぇ。姉ちゃん、そのフィン・ディムナって奴を叩いてくれ」
「わかりました」
先程と一切変わりない即答。
雰囲気も特におかしな事はない。だというのにカエデは真っすぐフィンの前に行ってフィンの頬をパンッと叩いた。
「これでいいですか?」
「あー……今ので何がわかったんだ? そいつが
「申し訳ないけど僕に
フィンの否定の言葉を聞きつつも意味がわからないと首を傾げるヒイラギを他所に、ペコラとベートは眉を顰めてカエデを見ていた。
「カエデちゃん?」
「おい、お前変なモンでも食ったのか?」
「……? 何がですか?」
変わりない様子で普段の言動から考えられないような行動にでたカエデに対し違和感を覚えたペコラとベートの言葉にカエデは意味がわからないと言う様に首を傾げる。
叩かれた頬を撫でていたフィンは顔を上げ、ペコラを見た。
「もう一度、今度は……そうだね、ペコラ、少し痛い思いをするかもしれないが、確かめたい事がある」
「痛い思いですか……? まぁペコラさんはそうそう怪我なんてしませんし何をするのか知りませんが団長の言う事なら別に構わないですよ」
「あぁ、すまない。それじゃあ今度は、カエデにペコラを斬ってくれと頼んでくれないかい? ああ、手加減する様にも頼むよ」
「はぁっ!? お前正気かよっ!? 意味わかんねぇんだけどっ?!」
フィンの理解不可能な頼みにヒイラギが目を見開いて驚き、ベートも眉を顰める。
カエデがペコラを攻撃するというのは鍛錬以外ではありえない。この場で鍛錬をしろとでも言うのかとカエデがフィンを伺えば、フィンはカエデを見て口を開いた。
「カエデ、君は
「はぁ……えっと、どういう意味でしょうか?」
「言葉通りの意味さ。キミはペコラを攻撃しない様にしてくれ」
大きく首を傾げるカエデに笑みを向けてから、フィンはヒイラギを見据えて大きく頷いた。
「頼むよ」
「はぁ……アンタ何処か頭でも打ったんじゃね? まあ、
「わかりました」
先程と変わらぬ即答。ジョゼットやベートがカエデの違和感に気付くも遅い。
ペコラは目を見開いて驚きながらも狭い室内で小器用に大剣を抜刀しざまに自身に振り抜かれんとした大剣の一撃をその身で受け止めた。
ポスンッという軽い音。手加減されていたらしくペコラの腹に当たった大剣はほんの少しだけペコラに衝撃を与え、スキルの効果で無力化されて
『────はぁ?』
一同が驚愕を示すさ中、カエデ只一人が何事も無かった様にヒイラギを伺い、口を開いた。
「これでいいですか?」
「おいカエデ、テメェどういうつもりだ」
「……? 何が────あれ?」
ベートに詰め寄られ、自身が大剣を抜き放ってペコラに向けた事に気付いたカエデが一瞬で青褪める。
その様子を見ていたペコラが両手を振って健在を示す横でヒイラギが口を開けたまま呆然としており、シェトがおかしなものを見たとでも言う様に肩を竦める。
「なんだいそのガキ、頭おかしいんじゃないかい? たかが妹のお願いで仲間に斬りかかるなんて、信じらんないね」
「僕も、正直信じられないね。嘘じゃないみたいだ」
青褪めた顔でペコラに頭を下げるカエデ。ペコラは気にしていないと口にするさ中にベートが椅子の一つを蹴り壊してヒイラギを睨みつけた。
「テメェ、カエデの妹だかなんだか知らねぇが、コイツに何しやがった」
明らかにおかしかった。鍛錬として武器を向ける事はあれど、無抵抗の相手に唐突に斬りかかるような真似をする性格でもなければ、血が繋がっているとは言え妹の頼み如きで仲間に武器をむけるはずがない。だというのにカエデは
「ま、まってくれ、アタシも意味がわかんねぇよ。なんで姉ちゃんは斬りかかったんだ、そいつは斬るなって言って────」
「ストップだ、それ以上ヒイラギちゃんは何かを口にするべきじゃない」
気が動転しているらしいヒイラギが慌てて言い訳を口にしようとした瞬間、モールがそれを止める。彼女が危惧しているのはこのままヒイラギが口を滑らせ、結果的にカエデの暴走を招く事だ。
明らかにおかしいと気付いたヒイラギも口を閉ざし、青褪めたカエデがペコラに謝る声とそれをなだめるペコラの声のみが室内に響く。
「……今ので理解できたかな? カエデちゃんは気にしなくていいよ。ペコラちゃんも怪我してないみたいだし、今のはフィンが悪いだろうしね」
「そうだね、頼む様に指示したのは僕だ。カエデは気にする必要はない」
「でも……」
「おい、今のはどういう事だ」
声を上げたベートに視線が集まり、ベートはヒイラギを強く睨んだ。明らかに
「はいはいストップストップ。後は僕が説明する」
「どういう事だい?」
シェトの言葉にモールは肩を竦め、
説明を聞いたカエデが青褪め、明らかにヒイラギに対して怯えた表情を浮かべ、次の瞬間にはヒイラギの言葉を聞かない様に耳を塞いで部屋を飛び出して行ってしまう。それを見たヒイラギが口を開こうとし、閉ざした。
二人の様子を見ていたペコラが困った様に頬を掻き『カエデちゃんを追います』と言って出て行き、ジョゼットとベートが警戒を露わにする。フィンだけは静かにモールを睨んで牽制しており、モールは肩を竦めて口を開いた。
「まあ、ここに居ても仕方ない。とりあえず船に戻ろう……ヒイラギちゃんはさっきも言ったけどカエデちゃんに余計な事を言わない方が良い。例えば────敵を倒してくれとか、そんな簡単なお願いも、しない方が良い」
もし、『死ね』と冗談で口にしようモノなら。カエデ・ハバリは先程自らの首を短刀で抉り死んだヒヅチの式の様に自らの首を抉って死ぬだろう。そういった事を防ぐ為にもヒイラギを預かるとモールが口にした瞬間にフィンはモールを見据えて首を横に振った。
「それは出来ない相談だ。彼女は僕らが預かる」
「……どうしてだい?」
「ヒイラギ・シャクヤクを通じてカエデを操るつもりかもしれない」
フィンの言葉にモールは困った様に笑みを浮かべた。
カエデは乱れた『丹田の呼氣』を必死に整えながら大木に縋りついていた。
自身の生まれ故郷、ヒヅチと過ごした小屋、荒れ果てた隠れ里、血の繋がる妹との再会。
様々な出来事が走馬燈の様に脳裏を駆け巡り、最後にたどり着くのはペコラに斬りかかる己の姿。
なんの疑問も抱かなかった。ヒイラギの言葉に、逆らおう等という意思は生まれなかった。
ただ、ただお願いされたから
斬ってから、ベートに詰め寄られてようやくカエデは自分の仕出かした事に気付いた。
妹にお願いされた事を何の疑問も抱かずに聞き入れる自分に気が付いた。
恐ろしい。彼女の言葉が、何よりも恐ろしい。
自分が抱いたモノが、自身の掲げる目標が、何もかも全てが、自身の命ですら彼女の言葉の前では塵と化す。
意味が無い。フィンに言われた通り、最初は攻撃しない様にしようと思っていた。それが何処かに消え去った。ただの頼み事一つで、カエデの思考の端に引っかかっていた『攻撃するな』という指示は消え去り、ペコラに剣を振り抜いた。
ペコラに申し訳ないと思う。だがそれ以上に恐ろしい事に気付いてしまった。
「もし、もしも……
背筋が凍り付き、氷柱を差し込まれた様に足が震えた。呼氣が乱れ、立っていられなくなる。
文字通り
────違和感なくそれを受け入れてしまうかもしれない。
ペコラ・カルネイロに武器を振るう様に。
カエデ・ハバリという
何よりもそれが恐ろしかった。
血の繋がった妹。余裕があれば少しは助けてもいいかもしれないとほんの少しだけ考えた彼女が、何よりもカエデ・ハバリという存在を脅かす存在だと知り、どうすればいいのかわからなくなってあの場から逃げ出してしまった。
自分自身の全てを脅かす敵だと認識した。けれども彼女に武器を向けようと思えない。そもそも、彼女に
守るべき対象であり、命を賭して守護し、命令に従い、そして我が身を砕かれるのを良しとする。そんな思いが何処からともなく溢れてくる。
「ワタシはっ、ワタシは……生きる為に、だから……」
彼女に関わるべきではなかった。モール・フェーレースの言葉は正しかった。
カエデ・ハバリはヒイラギ・シャクヤクと出会うべきではなかった。
溢れ出てくるわけのわからない思考。これは自分のモノか? この考えは、師の教えを真っ向から否定し、自分の意思を、考えを全て投げ捨てて彼女に従う事が本当に正しいのか?
「カエデちゃん、大丈夫ですか」
荒い息を吐きながらも巨木に縋りついていたカエデに追いついてきたペコラが背中に声をかけてくるも、カエデは二重の意味での申し訳なさから振り返る事は出来なかった。
斬りかかった事、そして斬りかかっておきながらその後の話で真っ先に自分の心配をした事。ペコラに合わせる顔が無いとカエデが彼女に背を向けたまま震えていれば、ペコラがカエデの真後ろにまで歩み寄ってきて静かにカエデを抱き締めた。
「大丈夫です。ペコラさんは強い子ですのでカエデちゃんの攻撃程度ではびくともしませんし」
カエデが振るったのは攻撃能力が普通の『百花繚乱』である。それに加えてちゃんと手加減されていた。其の為、ペコラが受けた衝撃はほんの少しお腹を叩かれた程度の軽いモノ。斬られたという程ではない。
もしこれが『薄氷刀・白牙』であったのなら、ペコラは重症を負っていた可能性すらあるが、そうはならなかった。
だからこそペコラは気にしていないとカエデを優しく抱き締めるが、カエデは首を横に振った。
「違うんですよ、ワタシは、ワタシが、今気にしてるのは……ワタシの事なんです」
ペコラに斬りかかっておきながら、自分は自分の心配をしている。謝りはした、けれども人に斬りかかるという行為をしておきながら相手の事を忘れて自分を心配するのは、人としてどうなのか。
それ以前に────
「ワタシが、寿命を手にした暁には、どうすれば良いのか考えたんです」
捕らぬ狸の皮算用である。無駄な行為だ、けれども考えずにはいられなかった。
順調、というにはいささか山や谷が多かった様に感じるものの、わずか半年にも満たない帰還で
それを得た暁には何をしたいのか。
「妹が生きてるって聞いて、ほんの少しだけ────あの子なら受け入れてくれるんじゃないかって」
森の中、
その際に共にいた少年はわからないが、少なくともヒイラギはカエデを嫌う仕草をしていなかった。他の者なら、自身の存在に気付いた時点で悲鳴を上げて逃げ出すか、礫を投げつけてくる。それをせずにいてくれただけで、嬉しかった。
もし、もしも寿命を得る事ができたのなら。その暁には彼女と共に暮らしてみたいとも、考えた。
家族と呼べる者なんてヒヅチしかいなかったから。彼女と共に、なんてほんの少しだけ考えた。
しかし。
「怖い、あの子が怖い……ワタシがワタシでなくなるのが怖い……」
ペコラ・カルネイロを斬ったあの時、自分は自分でなかった。何故、どうして、理解できない。それが当たり前だと受け入れていたあの瞬間の自分自身を受け入れる事ができない。
「ワタシじゃない、でもワタシが、ペコラさんを斬ったんです……」
信じられない。信じたくない。
ヒイラギの言葉一つで、カエデという全てを打ち壊して別の何かにしてしまう。何かになってしまう事が恐ろしい。その恐ろしさが────他でもないヒイラギに向けられている。
恐ろしい、怖い、恐怖が体を縛り付け、息が出来なくなる。
「ワタシは────ヒイラギが怖いです」
この世界で唯一、血の繋がった存在。カエデを受け入れてくれるかもしれない稀有な存在。
だというのに、その存在はカエデの
「妹なのに、怖いなんて思うのが、申し訳なくて」
涙が溢れ出てくる。後ろから抱き締めていたペコラが優しく拭っても、拭っても溢れ出てくる涙は枯れる事なく零れ落ち続ける。
「なんで、なんで
家族を殺され、傷を負った妹。家族と離れて生活していた自分。
もし普通なら、再会を喜び、無事である事に互いが安堵し合い、抱き締め合い、分かち合う事が出来たかもしれない。
けれども、カエデとヒイラギは普通ではない。普通ではいられない。
「もっと、普通の人だったら良かったのに」
類い稀なる比類無き戦闘への才能なんていらない。特別なんてモノはいらなかった。
ただ、普通に家族が居て、温かな家庭があって、怯える必要のない、そんな生活が欲しい。
「どうして……」
どうして自分が、ヒイラギが普通ではないのか。
響く慟哭を静かに聞き届けたペコラは優しくカエデを抱き締めた。
セオロの密林へ続く街道。横転した馬車と轢き潰された馬の死体、飛び散った肉片が日に照らされて怪しく輝くその場所。
【トート・ファミリア】の団長である【占い師】アレイスター・クロウリーは手にした【タロット】を振るい、火球を生み出して敵を攻撃した。
「しっ」
「ふむ。符術とは違う様じゃな。興味深いぞ」
生み出されたのは人の頭程の大きさの火球。それも一つや二つではない無数の火球が敵として立ちふさがる人物に降り注ぐも────その人物は懐から札を数枚取り出して投げただけで火球を打ち消した。
「極東の退魔札か」
「ほう、なかなか造詣が深い様じゃな」
体躯に対して非常に多き過ぎる古臭いローブ姿にぼさぼさの髪。巻き角についた羽飾りを揺らすアレイスターに対し、対峙しているのは極東の民族衣装姿の
両手に持てるだけのタロットカードを手にしたアレイスターは引き攣った笑みを浮かべつつも目の前の女性を観察し、呟く。
「魔剣かと思っていたが、術符を張り付けた鉄剣とは恐れ入った」
極東で使用される刀という武装。切れ味こそ鋭いモノの、耐久はオラリオの一般的な剣に比べて脆いのが特徴であるその刀から、バシバシィッと紫電が迸っている。
「ふむ、属性符と言ってな、武器に張り付けてつかうのだ。この様にな」
新たな符を取り出して刀に張り付ける。それだけで彼女の持つ刀から炎が迸り、刀身が深紅に染まった。
燃え上がる刀身に照らされ、足元に滴っていた血がジュウジュウと音を立てて焼けていく。
「あぁ、火はやめてくれ。私の仲間をこの場で火葬されるのは困る」
抗うアレイスターと対峙する
二人の周囲には【トート・ファミリア】の精鋭たる情報収集を担当していた冒険者の屍が散乱していた。
胴体を切断された者、頸を斬られた者、胸に風穴の開いた者。
一人とて例外なく即死させられた仲間の姿をちらりと見ながらもアレイスターは盛大に焦りながらタロットを切った。
濁流の如き勢いで溢れ出した白い霧が周囲を覆い尽くし、アレイスターとヒヅチの視界を潰し────ヒヅチの刀が振るわれ、一瞬で霧が払われる。
「霧掃いの太刀、か」
目くらましを一瞬で破られたアレイスターは目を細め、次の行動をどうすべきか思考する。
唐突に襲撃をしかけてきたヒヅチに対し仲間に逃げる様に指示をだしたモノの、結果としてアレイスター以外の者は一瞬で斬り伏せられて生き残ったのはアレイスターただ一人。
そのアレイスターも持ち得る手札を全て切り尽くす勢いで切ってなお、まるで手も足も出ないかのように追い詰められていた。
「まてまて、極東の戦士はそんな化け物揃いなのか。恐ろし過ぎるだろう」
さしたるアレイスターも飄々とした態度を崩さざるをえない。
目の前に立つのは────千年前、神の恩恵無くして怪物と渡り合った英雄の一人。それも神々が熱狂した彼の大穴を塞ぐ蓋の建造劇を繰り広げた英雄。
彼女の持つ技術も、そして彼女が扱う道具もどちらも現代では失われた代物ばかり。
剣一つで霧を
それに付け加えるのなら────
「もう終わりかの」「あ奴は警戒しろと口をすっぱくしておったのだがな」「警戒し損というやつか」
目の前に立つヒヅチのほか、全く同一の姿形をした人物が三人、アレイスターの左右と背後に立っていた。
四人のヒヅチに囲まれたアレイスターは無数の切れ込みの入ったローブから残りのタロットを全て掴み取る。
「あぁ、式神、確か現代では式とだけ呼ばれるんだったかな。全く、昨今の時代においてそんな古臭い技術を、それもかなりの精度で行えるなんて冗談はよしてくれ」
自身を取り囲む四人の
首に取り付けられた頑丈な首輪。頬にまで及ぶ入れ墨の様な模様。アレイスターは確信と共にヒヅチ・ハバリを見据えて呟いた。
「隷属の刻印で抵抗できなくされて命令に従わざるをえなくなっているのか。哀れだな……」
自身を囲む四つの式。それを操るヒヅチ・ハバリ本人は
「ははは、操り人形が人形劇をするだなんて洒落がきいてるよ……」
取り出したタロットが独りでに灰となってボロボロに崩れていくのを見たアレイスターは悲し気に空を見上げた。
「あぁ糞、この運命は読めなかったな……しくじった」
周囲の式が左手に符を持っている。この領域内の魔道具を全て無力化し破壊する結界の内に囚われたアレイスターは抵抗の手段を失い立ち尽くす。
「トート、愛してる……」
ニヤリと笑みを浮かべ、アレイスターは小さな短剣を取り出して構えた。