生命の唄~Beast Roar~ 作:一本歯下駄
『大丈夫だと思うよ……それより君、ほんとに心配性だな』
『五月蠅いわね、と言うかアンタはアタシなんかに付き合ってて楽しい訳』
『楽しいかどうかは別として、君と居るのは悪い気はしないね。気を使う必要も無いみたいだし』
『アンタの言う
『……言葉を選ぶ必要が無いって意味だね。迂遠な言い回しは嫌いだろう』
『まあね、率直に言って貰う方が気楽でいいでしょ』
『はぁ……まあ、あの二人なら大丈夫だよ。きっとね』
ダンジョン第四十階層の時点で迷宮都市『オラリオ』と同等の面積を誇ると言われており、その調査は全体の数%しか完了していない。
そして、その先の四十一階層は現在、【ロキ・ファミリア】が中継拠点として野営地を設営した
フィン率いる第一班の調査領域は野営地から階段に続く通路の内の北東部。ガレス率いる第二班が北西部で、ベート率いる第三班が北部領域。
調査するのは主に
それは前身である【ゼウス・ファミリア】【ヘラ・ファミリア】の合同遠征の際にも悩まされたモノであり、数百を超える遠征の内に出現割合の割出を行い、どれだけの割合で
過去の二大ファミリアの調査中に確認された罠の数は数百を超え、多大な犠牲を生む様な罠も多数確認されている。その中で危険度の大きい種類の物の殆どは
その上、複数の
例えば、複数の毒系の罠が重なり合った猛毒領域。警報型とモンスターの出現型が重なる
「っつー訳だから、ここらでは一つ罠が有ったら終わりって訳じゃないんだよ。だから気を付けろよ」
得意げな表情で先頭を歩くフルエンの言葉に頷くカエデを横目に、ディアンは後ろをちらりと振り返れば、一瞬の内に姿を消し、横道から顔を出したモンスターを突き殺す【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの姿があった。
目を剥いた瞬間には既に隊列に合流して何事も無かったように歩いている【剣姫】の姿に一瞬顔を引き攣らせてから前を向きなおる。
現在位置はダンジョン四十一階層、【ロキ・ファミリア】が野営地を設営した地点より北部に広がる領域。二大ファミリアが調べつくしていない
先頭を歩く
最後尾を歩くベートは時折鼻を鳴らして眉を顰めるといった仕草を繰り返し、アイズは思い出したかのように姿を消し、横道から飛び出してくるモンスターを膾切りにしては元の位置に戻るという動作を繰り返す。
カエデもディアンも最初の頃は一瞬の内に前に飛び出してモンスターを切り伏せるアイズの姿に度肝を抜かれていたが、ついに慣れが勝り始めた頃。
調査開始から一時間程。調査指定範囲の5割程が調査完了し、出現したモンスターもそう危険度の高いものは少なく、なおかつ罠の類も二度見つけたのみ。解除もすんなりと完了した為、特に消耗も無く進行できている。
「……ん? おい、なんか臭うんだが、なんだ?」
荷車が通れるだけの広さの通路を選別しつつも進んでいると、唐突に最後尾のベートが口を開く、地図を記していたドワーフの男性が顔を上げ、首を傾げる。
「俺にはわからん。獣人の者はわかるのか?」
「んー……モンスターの臭いだな」
「種類は、蝙蝠か? おかしいな、この階層で蝙蝠のモンスターなんて出たか?」
カエデもつられて臭いを嗅いでみれば、確かに蝙蝠型モンスターに似た臭いが薄らと漂っている。だが、記憶違いでなければこの階層には蝙蝠型のモンスターは出現しないはずである。
本来の出現階層とは別のモンスターが出現する。そういった罠も存在する為、この先にその手の罠が存在するのだろう。
「この先はー、大部屋になってるみたいだな」
しばらく進んだ先、フルエンが掲げたランタンによって照らされているのは通路が途切れ大部屋になっている光景であった。漂うモンスターの臭いは薄く、フルエンとウェンガルが同時に首を傾げ、同時に顔を見合わせて小声で言葉を交わし始める。
「おかしいな……」
「だよね、どうなんだろ」
その様子を見ていたベートが眉を顰め、前に出てきた。
「どうした」
「あー。ベートさん。ちょっとおかしいんですよね。俺の勘違いじゃなければこの先にある大部屋はあと一つだけなんですけど……。通常は階層に居ないモンスターが出るのって
要領を得ないフルエンの言葉にベートは眉を顰め、ウェンガルを見れば、ウェンガルも困った様に肩を竦める。
「地図見せてくれ、地図」
「あいよ」
ドワーフの男性が手書きしていた精確な地図を見たベートが難しそうな表情を浮かべ、フルエンとウェンガルに地図を見せる。
フルエンとウェンガルが悩んでいるのは一つ。この先に存在する大部屋は一つのみ。他は二大ファミリア利用していた大きな通路が一つと、小部屋が数個。
故に大部屋を警戒すべきだが、目の前にまで迫った大部屋からはモンスターの臭いが微かにしかしない為、目の前の大部屋に罠があるとは考え辛い。だが目の前の大部屋に罠が無い場合はこの臭いの説明がつかない。
「……どうします? 引き返します?」
調査完了まで後3割と言った所。現在ベート班が調べた領域は荷車と共に進むのに苦労しない程度の広さの通路が其れなりに存在し、この先の大部屋が通行可能な空間であれば二大ファミリアが利用していた進路を進むより大幅に時間短縮が可能である。とは言え危険な臭いが漂う現状、戻って団長の指示を仰ぐという選択肢を選ぶのも悪い選択では無い。むしろそうすべきであろうが。
「……進むぞ」
「良いんですか?」
「はん、この程度にビビってどうする。何が出て来ても問題ねぇ。蝙蝠型モンスターなんてどうせ
「わかりました」
ベートが進む選択をしたのを見て他のメンバーが吐息を零す。
ディアンはそれとなくカエデの方をちらりと流し見る。これまで、カエデが『危ないかもしれない』等と不穏な事を口にする度に危険な罠等を発見していた事から、カエデの
ディアンの視線の先のカエデは眉を顰め、何か言いたそうにしているが口を一文字に結んで閉ざしている。
「どうしたんだよカエデ」
「……なんか、危ない気がします」
「危ない? どんな感じでだ?」
「…………ごめんなさい。よく、わかんないんですけど、なんか、危ないです」
言葉を区切るカエデの様子にディアンが不安を覚え、前を向けばフルエンとウェンガルが大部屋の入口から中に向かって何度か石ころを投げ込む様子が見えて顔を引き攣らせる。
「……反応無し。問題無さそうだな。臭いは変だけど、とりあえず侵入します。ウェンガル」
「はいはい、武器構えね。了解」
フルエンが剣を抜き、ウェンガルがメイスを握りしめ、大部屋の入口から前に進んで行く。警戒心を研ぎ澄ませ、一歩踏み込んで────二人が同時に後ろに跳び退ろうとして、
違和感に気付いた瞬間にリディアが縄を引き──虚空で不自然な形で縄が途切れ、フルエンとウェンガルを引き戻す事が出来ずに縄だけがリディアの手元に戻ってきた。
「っ!? 不味いっ! 分断型の罠っ!」
各々のメンバーが驚くさ中、ベートとアイズだけは目を細め、瞬時に二人を庇う様に前に飛び出る。フルエンとウェンガルが慌てて立ち上がり、後ろを振り返って顔を引き攣らせる。
「ヤバイ、一方通行の壁」
「後、
フルエンとウェンガルの視線の先、つい先ほどまで歩いてきた通路は消え、そこには
振り向いた二人の言葉に通路に残ったメンバーが慌てて顔を見合わせる。
一方通行、一度通ると後方の入口が消え去り、戻る事が出来なくなる、または大部屋の中に閉じ込められる罠である。解除までは一定時間経過するか、または
フルエンとウェンガルが武器を構えるさ中、ベートとアイズが大部屋に侵入して警戒態勢に入る。二人は即座に武器を構え、ベートが鼻を摘まんで呟く。
「くっせぇ……」
「っ……この臭いは」
本来なら嗅覚に優れていないはずのヒューマンであるアイズですらむせ返る程のモンスターの臭気。あまりにも濃密な臭いに一方通行の罠を超えて薄らと臭いが漂っていたのだろう。それに気付くがもう遅い。
「おい、入ってくるな」
ベートが後ろのメンバーに大部屋に侵入しない様に指示をだし、周囲を見回す。フルエンとウェンガルも立ち上がって警戒するさ中、アイズが首を傾げた。
「……襲ってこない?」
本来
しかし、フルエンとウェンガルが侵入し、ベートとアイズが侵入したはずなのにモンスター側の反応は無い。
それ所か、モンスターの臭いが酷く籠っているにも関わらずモンスターの気配も無い。明らかに異常な状態である。
そんな中、後ろからディアンとカエデが慌てたように大部屋に入ってきた。其れを見たベートがカエデとディアンを睨みつける。
「おい、入ってくんなって──
「後ろから
「モンスターが一杯っ!」
後方で大部屋に入ったメンバーを心配そうに見ていた通路待機組のカエデ達の方で起きた問題に目を見開き、ベートが舌打ちをして周囲を見回し、フルエンとウェンガルに指示を出しつつもアイズの方に近づく。
「おい、出口を見つけろ。今すぐにだ。それと此処から離れるぞ。後ろの奴、聞こえてるならこっちに来い」
「はい」「了解」
「アイズ、とりあえず後ろは任せる」
「うん」
後ろ、通路の入口のあった壁の方にアイズが向き直ると同時に、残りのメンバーが飛び込んでくる。転がり込む様に入ってきたリディアが血に塗れたモーニングスターを片手に状況を報告しはじめる。
「後ろからモンスターっ! 数二十五以上、ドワーフの大盾がへしゃげて使い物にならなくなった!」
リディアの言葉通り、最後に飛び込んできたドワーフの持っていた大盾はへしゃげ、くの字になって持ち手である鞣し革が千切れてドワーフの腕にぶら下がっていた。
「うわっ、何この臭い」
「くっさ」
狼人の男とアマゾネスの少女が入ってきて直ぐに鼻を摘まむ中、ドワーフの男は大盾をメイスで叩いて元の形に戻し、千切れた掴み手の部分をリディアの持っていた縄で簡素に修理しはじめる。
後ろの壁から、まるで壁を擦り抜ける様に現れ始めたモンスターはアイズが一瞬で膾切りにしはじめ、メンバーはその様子を窺いつつも部屋の出口を探す為に動き出した。
ドワーフの男、アマゾネスの少女、狼人の男が周囲を警戒し、サポーター二人を中心に円陣を組み。ベートが戻ってきたフルエンとウェンガルに尋ねる。
「おい、おまえらはそこに居ろ。出口は見つかったか」
「いえ、何処にも無いです。罠突破しないとダメっぽいですね。この部屋、
「こっちも無かった。どうします? 臭いは酷いけどモンスターが居ないっておかしいですよね」
左右の壁沿いに大急ぎで調査を終えた二人の言葉にベートが眉を顰める。そんな中、バックパックから
真っ暗で見通せない暗闇の揺蕩う天井付近。カエデの尻尾が引っ張られ、直ぐにドワーフの腕に
「持ってください」
「おう、どうした」
「……天井、沢山、びっしり……張り付いてます」
カエデが天井を見ているのに気付いたドワーフが上を見上げる。カエデとドワーフが天井を見上げ始めるさ中、アイズが首を傾げながら呟く。
「数、少ない……」
「どうしたアイズ」
「リディア、モンスター、言ってた数より少ないけど……」
リディアがアイズの足元に転がる魔石の数を数え──入ってきたのが十匹も居ない事に気付いて眉を顰める。
「あれ、でも確かに二十五ぐらい居たんだけど……」
アイズの数え間違え、というのは有り得ない。魔石ごと斬り裂いて数が足りない、というのも有り得ない。この大部屋にモンスターが入ってこない。不思議な現象に首を傾げるアイズとリディア。
不安気に周囲を見回していたディアンは唐突に肩に感じた液体の感触に悲鳴を上げた。
「うわっ!?」
「ディアンっ! どうしたっ!」
自身の肩に滴った粘土の高い液体に驚き、悲鳴を上げたディアンに対し、ウェンガルが即座にディアンを押さえつける。
「動かないで、毒性を調べる」
肩当に滴った液体は、運の良い事に素肌に触れてはいない。ウェンガルが臭いを嗅ぎ、眉を顰め、呆れ顔を浮かべて呟く。
「毒性はない、モンスターの……よだれ?」
「え? うわっ、きったねぇ……」
肩に滴った液体が
既に天井を見上げたまま固まっていたカエデとドワーフの姿に気付いたベートが眉を顰め、口を開いた。
「どうした」
「……あの、天井に」
「あん?」
「天井に、モンスターが……」
震える声で答えたカエデの様子に通路側を警戒していたアイズ以外のメンバーが上を見上げた。
揺蕩う暗闇、そのさ中に一つだけ、赤い点が浮かんでいる。時折瞬くその赤い光は、夜空に瞬く星にしては不気味な輝きを灯している。ベート達が見上げ始めたさ中、その輝きが唐突に一つ増える。
一つ、二つ、三つ────十、二十────五十、百。
数えきれないその輝きが、つい先ほどまで天井でじっとしていた蝙蝠型モンスターの目の光だと気が付いた瞬間。一斉にその輝きが愚かにも大部屋に侵入した冒険者達、【ロキ・ファミリア】四十一階層調査班、第三班ベート達に降り注いだ。
「っ! 全員固まれっ! サポーターを中心に円陣をっ!」
即座に反応したフルエンが小声で叫ぶ。即座にカエデとディアンを中心に
「……襲ってこない?」
「どうなって……いや、待て」
ポタリ、ポタリと液体の下たる音が響きはじめる。リディアが嫌そうに眉を顰めるさ中。狼人の頭にその液体が滴ったのか声を上げた。
「うわっ、汚ねぇな。モンスターの唾液かよ……まて、唾液?」
「……ねぇ、凄い嫌な予感がするんだけど」
狼人が耳についた液体を払い、何かに気付いた様に顔を上げる。アマゾネスの少女が剣先を震わせ、涙目で予感を知らせる。
「おお、奇遇だな。俺も嫌な予感がビンビンしとるぞ」
ドワーフが引きつった笑みで冗談を零すさ中。カエデはサポーターバッグを地面に下ろしてウィンドパイプを構える。嫌な予感を通り越し、今すぐ逃げてと尻尾を引っ張られる感触が続いている。
滴る音が雨音もかくやという程になり、モンスターの唾液の雨が降り注ぐさ中、ついに一匹のモンスターが動き出す。暗闇に浮かぶ赤い目が動き出して──一斉にモンスターの羽ばたく音が響く。
本来、蝙蝠型モンスターの羽ばたきの音は小さく判別し辛いはずである。だが、大部屋の天井一杯に張り付いていた蝙蝠型モンスターの羽ばたきは一瞬で部屋を埋め尽くし、音の衝撃として冒険者達を襲う。
獣人であるフルエン、ウェンガル、狼人の男、カエデが耳を塞ぐさ中。
その光景に、誰しもが言葉を失った。
一斉に羽ばたいた蝙蝠型モンスター達は、あろうことか
地上で円陣を組み、待ち構える冒険者達には目もくれず、自身の最も近くに居る者に
飛び散る血と肉片が地上に降り注ぎ、唾液によってぐちゃぐちゃになっていた大部屋を真っ赤に染め上げる。
天井付近で巻き起こる
「喰らいあってる?」
「……仲間割れ?」
天井付近で巻き起こる壮絶な共食いに殆どの者が呆気にとられるさ中、
「不味いです」
天井から降り注ぐ血の肉、骨の雨のさ中に口を開くディアン。既にベート達は逃れる事の出来ない血肉の雨に染まり、真っ赤に染まっている。頭に振ってきたモンスターの骨を払い退け、肩を竦める。
「不味い? 何がだよ、モンスター同士殺し合ってくれるなら行幸……ぺっ、糞、血が口に入った」
「いや、カエデの言う通りだ。ベートさんっ!」
「糞、血で汚れた……んだよ」
「このままだと不味いですっ!」
慌てた様子のフルエンに対し、ベートが眉を顰める。血で汚れる所為で最悪の気分ではあるが、モンスター同士が殺し合うのであれば問題は無い。そう言いたい様子のベートに対し、フルエンが叫ぶ。
「
「あん、何が──おい、待て。モンスターは確か」
ようやく考えに至ったのかベートが天井を見上げる。未だに共食いを繰り返すモンスター。罅割れる音も微かに響いている事からモンスターが湧いているのだろう事は想像に容易いが、それだけではない。
モンスターは魔石を喰らう事で冒険者同様に
本来なら別のモンスターの魔石を摂取する事でステイタスを更新する様に、強化種と呼ばれる個体が発生するが、数が嵩めばその能力値は想像を超える程の代物にもなる。
トロールが多数の魔石を摂取した事で、通常種ではあり得ない程強大な力を手に入れ、数多の冒険者を屠った事件。強化種である『血濡れのトロール』が出現したあの事件は、オラリオでも有名である。
「っ! お前ら武器を構えろっ!」
現在、この大部屋に存在する蝙蝠型モンスターの数は数えきれない程である。そのモンスター達が喰らいあい、最終的に残るのは──いったいどれほどの強化種になるのであろうか。
ウィンドパイプを振るい、目の前に迫ってきた
そんな感想を抱きつつカエデは周囲で戦う仲間の様子を確認する。
ベートが縦横無尽に大部屋の中を走りまわり、アイズが魔法を駆使して天井付近で血肉の雨を加速させているのが見えるが、それ以上に数が多すぎる。薄暗い大部屋の中、迫ってくる蝙蝠の動きは非常に不規則でカエデにとっては非常にやり辛い空間となっていた。
他のメンバーからそんなに距離をとらずに蝙蝠型モンスターを一撃で切り伏せる。
この蝙蝠型モンスターの名前は確か『ライダーバット』であったはずだ。少なくともカエデの知識の中にある名称はそのはずだが、カエデが今まで目にしてきた個体よりも強いのだが、見た目は全く違う。
痩せ細り、骨が浮かんだその姿で、酷い飢餓に襲われて動く物すべてに喰らい付くという状態に陥っている。
『ライダーバット』は通常種は
この大部屋に存在した
部屋の入口に存在した進んだら戻る事の許されない『一方通行』の罠。これ単体であれば何の問題も無いのだが、他の罠との組み合わせが恐ろしい代物。
もう一つが『
この二つだけであればよくある罠である。しかし現在は更にもう一つ、ある意味ではどうでもよく、時と場合によっては最悪とも呼べる罠が存在した。
『特別個体化領域』と呼ばれる罠は一定範囲、通路や大部屋等も含む特定の範囲に湧くモンスターに特殊な『状態』を付与する罠の一つ。攻撃力を引き上げる『鋭利』や、耐久を引き上げる『鉄壁』等、モンスターが有利になる物が殆どだが、現在置かれている罠に合わさっているのは『飢餓』である。
『飢餓』はモンスターのステイタスの一段階の低下を引き起こし、本来なら
其の為、カエデやディアン等の
この『飢餓』の最も厄介な特徴は一つ。冒険者、モンスターの区別なく
冒険者はモンスターに
モンスターが魔石を喰らう事で、ステイタスに変化が生まれ、場合によっては冒険者の
つまり『飢餓』状態の付与される『特別個体化領域』の中では他の場所に比べ、
つまり、強化種が生まれるより前に、モンスターを片付ける必要があるのだ。しかし、現在は
しかも一方通行によって退路は断たれ、撤退も出来ない。その上で強化種が発生する危険性の引き上げられたこの大部屋の危険度は非常に高い。
本来なら冒険者を集中的に狙うはずのライダーバットだが、自身の方へ真っ直ぐ突っ込んでくると思って構えていれば唐突に矛先を変えて別のモンスターに喰らい付いていき、自分を狙っていないはずの個体が唐突に自分に狙いを定めて喰らい付いてくる。
まるで予測不可能な『飢餓』に狂うライダーバット達に辟易しながらも、何とか応戦していく。
他のメンバーは各々『飢餓』によって能力の下がっているライダーバットに対応しているが、天井を見上げればまるで蚊柱を連想させる濃密さを誇るライダーバットの喰らいあいの場が広がっている。
【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインが
余裕が失われ、血と肉片、骨の降り注ぐ場の所為で鼻も利かない。耳は常に羽ばたきの音で潰され、視界は何度拭っても直ぐに滴る血によって塞がれる。濃密な血と臓腑の臭いに吐き気すら催すこの最悪な坩堝。
ウィンドパイプが血で滑り、油で切れ味が落ち始めている。
縦横無尽に動き回りモンスターを潰していたベートの動きが変わる。強化種のライダーバットが生まれてしまった様子であり、ベートが苦戦し始めている。
ライダーバットの本来のステイタスは
『飢餓』の状態異常が消え去った強化種が発生しつつある場で、カエデは尻尾を引っ張られた感覚を覚え、叫ぶ。
「きますっ! 避けてっ!」
カエデの周囲で戦っていたのはディアン、フルエン、ドワーフの男、アマゾネスの少女、狼人の男。反応できたのはフルエンとアマゾネスの少女の二人のみ。
カエデの叫びと同時に、天井付近で狂った様に喰らいあう個体の中から、飢餓の狂気が払われ、冒険者に対する恨みに染まった強化種のライダーバットが自身に喰らい付く通常種のライダーバット達を跳ね除けながら真っ直ぐに突っ込んでくる。
フルエンはディアンの首根っこを掴んで飛び退り、カエデはアマゾネスの少女が掴んで退避する。ドワーフの男が遅れて気付き、大盾を構えるがそのまま跳ね飛ばされて吹き飛んでいき、一切揺らぐ事無く真っ直ぐ突っ切った強化種のライダーバットが狼人を咥えて飛んでいく。
「ぐぁっ!?」
「離しやがれっ! 糞っ!」
ドワーフの方は壁に叩き付けられ、地面に倒れ伏して動かなくなる。直ぐに飢餓に狂う個体に狙われるが運よく近くに居たウェンガルが保護に走る。
ベートの怒声とアイズの困惑の声が響き、カエデの視線は強化種に咥えられている狼人に吸い寄せられた。
「アイズっ! 強化種が一匹抜けてんぞっ!」
「っ! 三匹、居るっ!」
ベートの方は既に強化種二匹を相手に大立ちまわりをし始め、アイズの方も三匹の強化種、それも
アマゾネスの少女が焦る様に近づいてくる個体を殴り殺し、カエデの腕を掴んだ。
「こっち、皆で集まらないと」
「でも、あの人が」
カエデの視線の先、強化種に咥えられていた狼人がショートソードで強化種を何度も突き刺してなんとか拘束から逃れた姿があった。だが、彼が転落した地点はカエデ達から相当に離れており、獲物を逃がした強化種は彼を再度捕食しようと迫っている。ベートとアイズの援護は期待できず、他の面々も援護に向かえない。
剣を片手にしているが叩き付けられた拍子に足を痛めたのか壁を背に剣を握りしめて苦々しい表情を浮かべている狼人の男。援護に向かわねばあのまま喰われて死ぬ。嫌な想像が脳裏を過ぎるカエデに対し、アマゾネスの少女は苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべて呟く。
「ごめん、無理」
「え」
「見捨てる。助けるの無理そう。私も限界だから……」
見捨てる。その言葉にカエデが彼女を振り返れば泣きそうな表情を浮かべている姿が目に入った。
「ほら、行くよ……」
肩には歯型がつき、血に塗れたアマゾネスの姿にカエデは震え、それから狼人の男の方に視線を向ける。
視線が合った。彼は此方を見て目を見開いてから、笑みを浮かべた。
左肩から腕が千切れかけ、血に塗れて青い顔をした狼人の青年の姿。
諦めてる。見捨てるのが正解だと思う。
彼は──近づいてきた飢えたライダーバットをへしゃげた剣で切り払った。足に齧りついた個体を殴り殺し、飛び掛かってくる強化種を腕の力だけで飛び退いて回避する。
歯を食いしばる。
「ごめんなさい」
「ちょっと、何処行くの」
「…………
たとえ、嫌いな者であっても、どれだけ不愉快な思いをしても、助けの手を伸ばす様に。師に言われた言葉を脳裏に思い浮かべる。
「無理だよっ、アイズさんもベートさんも援護に行けないんだよっ! 無茶したら死ぬんだってっ!」
「『
アマゾネスの少女の忠告を無視して魔法を詠唱する。近づいてきていた飢えたライダーバットが氷漬けになったのを見て、カエデは彼女を見た。
「ごめんなさい。行ってきます」
「っ! あぁもうっ! 私知らないからねっ!」
彼女は、そのまま他の面々の方に走って行く。助けようと手を差し伸べる気は無いらしい。
当然と言えば当然の選択だろう。一人を救う為にもう一人が行動を起こして、そのまま二人が死ぬ等という事になるのは、冒険者達の中ではよくある事で、見捨てるという選択肢も悪い選択肢では無い。
だからこその彼女の選択は責められない。
むしろ、力も無いのに手を差し伸べようとするカエデの方がおかしい。
「っ!」
ウィンドパイプを構える。カエデだけを狙う個体は少なく、魔法の発動条件である『カエデの敵視を向けている事』『カエデが負傷する可能性のある
それでも、見捨てる事はしたくない。
だって、まだ
『
カエデちゃんらしい理由ではあるけど……推定
大部屋内部が血塗れなだけに。
・
『特別個体化領域』
大部屋、小部屋、通路全ての範囲内に効果適応。
ダンジョン内の階層、一定範囲内の壁から産まれる個体に特殊な能力(または状態異常)を付与する領域。階層を超えて別の階層へ効果を齎す事は無い。
主に下層、深層で見られる罠であり、その付与される能力には様々な種類が存在する。
『鋭利』(攻撃能力の上昇)
『鉄壁』(耐久能力の上昇)
『怒気』(力能力の上昇・怒り付与)
今回登場したのは『飢餓』の状態異常。
『飢餓の狂気』は動く物すべてを
『ステイタスの低下』は
上記の欠点からモンスター同士の同士討ちによって勝手に片付く&弱くて倒しやすいと勘違いされがちである。
しかし、この状態異常の恐ろしさは魔石を喰らう事でモンスターが強化種へと至ると言う特性によって恐ろしいモノへと変貌を遂げている。
レベル3のモンスターが『飢餓』によってレベル2程度の強さになっているが、『強化種』になる事でレベル4以上の能力を得てしまう事である。
勝手に同士討ちしてくれるからと放置していると恐ろしい事になる為、最初期に発見された当初は危険度は『低い』とされたが、モンスターの特性の判明と共に危険度は『最高』にまで引き上げられた。。
ちなみに、モンスターをおびき寄せる為の道具である『血肉』などの道具を使うと楽に対処できる。