生命の唄~Beast Roar~ 作:一本歯下駄
『ワシの助けに頼るな。常に傍に居るとは限らんからな。ん? どうした? そんな泣きそうな顔をするな。傍に居ったのならこの身を盾にしてでも助けるに決まっておろう』
師は
オラリオの
ダンジョンに潜る前に体を温める意味も兼ねて朝食の前に【ロキ・ファミリア】の敷地内に存在する鍛錬所で鍛錬を行うのは毎日の日課であり、朝早く剣を振るう為に鍛錬所に出向くのだ。
アイズがいつも通りに身支度を整え、愛用の片手剣を持って鍛錬所に向かっていた所、鍛錬所に人の気配がある事に気が付き、アイズは首を傾げる。
ベートさんでも居るのだろうか?
時折、アイズと同じ
鍛錬所の使用は団員であれば誰しも認められており、レベルや入団歴関係なく早いモノ勝ちと言う
アイズ・ヴァレンシュタインにとって、ベート・ローガと言う人物は苦手な人物に分類されていた。
ウェアウルフ特有の鼻に掛けたような態度もあるし、口の悪さも相まって暴力的な印象を受ける部分がアイズにとって苦手とする部分だ。
一応、照れ隠しが口の悪さに繋がって……口の悪さは元からだが、照れ隠しがやや過激な発言に繋がっているだけであり非常に仲間想いの男である事はアイズも知っている。
それでも苦手と言う印象を拭いきる事が出来ない相手でもあるのだ。
鍛錬所に続く扉の近くまで来たところで、アイズは足を止めた。
「ベートさん?」
「……アイズか」
鍛錬所に続く扉の前にベート・ローガが立っており、少し開いた扉の隙間から向こうを見ていた。
「何をしているんですか?」
「……テメェには関係ねえだろ」
ベートはそれだけ言うと、そのまま早足で何処かに行ってしまった。
「……?」
よく分らないベートの行動に首を傾げてから、鍛錬所の中の気配を探る。
鍛錬所に人の気配がある。
でもベートさんじゃなかった。じゃあ誰が鍛錬所に居るんだろう?
アイズはベートが少し開けていた扉の隙間から、鍛錬所の様子を見てみる事にした。
「……カエデ?」
広い土がむき出しの場所に弓の練習用の的が隅に置いてあり、打ち込み用の人形もある。
そんな鍛錬所の中央で真っ白いウェアウルフの幼い少女がボロボロの剣を振るっていた。
ゆっくりとした動作で、型を確認するかのように振るわれているソレにアイズは見惚れた。
それなりに剣を振るってきたアイズからしても美しいと言える剣舞の様に振るわれる剣
真っ白い尻尾も使いバランスをとり、獣人特有の体の柔軟性や筋力を最大限に使用した剣舞
ウェアウルフと言えばベートが思い浮かぶが、ベートの荒々しい足技も含めた武術とは全く違う。
ちらりと見えた目はただひたすらに真剣に何かを見据えており、力強く何かを求めるその姿。自己紹介の場で見たカエデ・ハバリの緊張した印象を全て塗り替えるのに十分だった。
『アイズに似てたよ』
ティオナ・ヒリュテが言っていた印象を昨日は感じられなかったが、剣を振るう今のカエデはアイズに近いモノがある。
何か目的を持って剣を振るっている。
カエデ・ハバリが入団試験の際にロキに放った言葉について、昨日の夕食の際にロキから聞いていた。
『ワタシは絶対に
『ワタシは
少ない命を伸ばす為
理由を知り、アイズ自身が抱くモノとはまったく違うその理由に複雑な思いを抱いた。
居なくなった両親を探す為、力を求めたアイズとは全く違う理由。
カエデの両親は、カエデを捨てたそうだ。忌子と言われ生まれ落ちると同時に殺されそうになった子。
カエデが師と呼ぶ『ヒヅチ・ハバリ』と言う親代わりの人に育てられ、その『ヒヅチ・ハバリ』と死別してなお、生きようとする姿勢を崩さないその姿はアイズとは全く違った。
「…………」
ただ見惚れていたその剣技は、レベル4のアイズの目から見れば非常に遅い剣である。
ファルナを貰っていない一般人であるカエデ・ハバリの剣舞は、レベル4のアイズ・ヴァレンシュタインの目には止まって見えるぐらいに遅いモノである。
それでも、いや、むしろそれだからこそ
剣舞の、剣閃の振るわれる先がアイズには手に取る様にわかるのだ。
鋭い振り下しから、唐突に剣が跳ねあがり、鋭い弧を描き逆袈裟へと移行し、そのまま緩やかな円を描く様に剣先は真横に振るわれる。
淀み無く行われるソレは、アイズの目からすればやはり遅い。だが美しい剣閃であると言える。
レベル4の目から見ても一切淀み無く振るわれている。無理な体勢をとる事も無く無駄な筋力を使う事も無い。
そんな剣舞は唐突にピタリと止まり、終わった。
剣舞を終えたカエデは、剣を鞘に納め、軽く深呼吸をして呼吸を整えている。
アイズは自分も朝の鍛錬の為に来たのを思い出し扉を開けて鍛錬所へと入った。
カエデ・ハバリの朝は早い。
目覚めてすぐに、神ミアハが用意してくれたと言う薬を飲む。
体の異常をほんの少し良くしてくれる薬らしい。
凄く苦い。匂いが無いのが唯一の救いである。
部屋に備え付けられていた水差しは、なんといくらでも水が出てくる魔法の水差しだった。
無限に、と言うわけでは無いようだが、ダンジョンでとれる魔石を使った水差しで、魔石が無くなるまで綺麗な水が出続けると言う素晴らしい道具だった。
他にも光を放つ道具、火を出せる道具だけに飽きたらず、なんと洗濯も出来る道具もあるのだとか。
朝食も用意があるらしく、自ら作る必要はないそうだ。
夢のようである。
朝、目を覚ましたら水瓶を確認し、水瓶の水が少なくなっていれば川まで水汲みに行かなければならなかったのに。
村に井戸はあったが、村の井戸を使うと村人と顔をあわせてしまう。村人が良い顔をしないので川まで汲みに行っていた。水汲みが無くとも洗濯をする為に洗濯物と洗濯板を担いで川に向かう事もあった。
一度で足りぬので幾度か往復して水瓶をいっぱいにしてから、床下収納に入れられた保存食の中で腐ったり腐る兆候が出ているモノを探してあるのならそれを取り出しておく。
それから剣の手入れを行う。ここでようやくヒヅチが目を覚まし、カエデが取り出しておいた食材を使って朝食を作り始め、朝食が完成する頃にカエデが剣の手入れを終える。
そしてヒヅチと共に朝食をとってからヒヅチが剣を腰に差し、師になって一日が始まる。
昨日、非常に満足できる夕食をとった後、ロキと軽く話をしてからカエデは与えられた自室で早々と眠りについた。其の為か朝早く、何時もの如く日の出より少し前に目が覚めた。
今まで行っていた用事をする必要が無いとくれば、カエデ・ハバリは朝から時間を持て余す。
師を失って以降も寝起きに関してはしっかりとしていたカエデで、朝起きればいつも通りの作業を行っていた故に、今日も日の出前に目覚めたのだ。
旅路のさ中は昼間は歩き、足が疲れれば適度に休み、時間を見て干し肉や乾燥野菜を齧り、水場で水を補給し、夜は早々と眠り、日の出の少し前に目を覚まして歩きだす。
そんな生活だったが故に、目を覚ます時間だけは体が覚えていた。
薬の入った箱を備付の机の上に置き、もう一杯だけ水を飲んでから、無造作に壁に立てかけられた『大鉈』が目に入る。
今日から、ダンジョンに関する勉強を始めるので、朝食後にリヴェリアの所を訪ねる様にロキに言われていたが、朝食の時間はまだ先である。
時間まで何をしようか考えながら、『大鉈』を手に取り、自分の服装を確認する。
灰色のシャツに裾を畳み長さを調整してベルトで止めたズボン姿。
リヴェリアが用意したワンピースのままで、スカートのせいでどうにも足回りに違和感がある上、動くと足にまとわりついて邪魔でどうにかならないかとリヴェリアに相談した所、男物で良ければシャツとズボンがあると言っていたので昨日の内に受け取っておいたのだ。
動きやすい恰好であり、剣も手にある。
鍛錬所と言うファミリアに所属する人ならだれでも利用可能な鍛錬を行う場所もある。
ならば一か月ほどサボっていた鍛錬を行わなくてはと、カエデ・ハバリは部屋を後にした。
薄暗い鍛錬所には誰もおらず、カエデは剣を抜き放ち構える。
構えは全ての剣閃につながる基礎である。五行の構え。
一つ、正眼の構え
攻防共に隙が少ない構えで、ヒヅチが好む構え
一つ、上段の構え
攻撃を主眼に構えで、カエデが好む構え
一つ、下段の構え
防御を主眼に置いた構えで、カエデが苦手とする構え
一つ、八相の構え
一対複数を主眼に置いた構え、カエデが得意とする構え
一つ、脇構え
反撃を主眼に置いた構えで、ヒヅチが嫌う構え
カエデは短期決戦を主眼に置いて戦おうとする、体力・筋力共に劣るカエデが師に打ち勝たんが為に編み出した戦術が上段の構えを使った先制攻撃だが、師には幾度となく怒られてきた。
正眼の構え、もしくは下段の構えで相手の出方を窺い、他の構えに移行して討ち果たすのが基本であると教えられていたカエデは、主に正眼の構えで様子見、攻撃できそうなら上段の構えへ、難しい、もしくは無理と判断すれば下段の構えへと移行して隙を窺う。
師が絶対にやるなと口を酸っぱくして言っていたのは初見での脇構えである。
『初見の相手に脇構えでの反撃を狙えば下手を打てば屍を晒しかねん』
師の言葉を思い出しながら、幾度と構えを変えていく。
正眼、上段、下段、八相、脇構え
どれも場と相手によって素早く切り替えて戦うのが大事である。
無構えなるモノがあるそうだが、それは正眼の構えに近いらしい。
師曰く
『構えをとれば敵に手を読まれる。ソレを嫌い無構えを編み出す剣士は数多い。だが無構えとはつまり攻撃も防御もどちらを行うか相手に読ませないと言う意味において攻防安定している正眼の構えが最も近いと言える』
との事。
よく分らないが、無構えと言うのは要するに正眼に見えない正眼の構えだと言う事なのだろう。
さっぱりわからない。
構えの確認が終われば次は剣を振るっていく。
師がカエデに教えた剣は、止まらずに剣閃を描き続ける剣である。
遠心力、重力、筋力、三つをうまくまとめ振るう事で筋力の少ないカエデでも大鉈の様な剣が振るえる。
と言うよりは重心が切っ先に傾き切った剣は振るい始めこそ重いものの、一度速度が乗れば後は描く剣閃を意識して剣先を導いてやればすさまじい速度を持った一撃となる。
それこそ、カエデの手をもってしてもオークの首を刎ね飛ばせる程の一撃が繰り出せるのだ。
しかし、弱点も大きい。
一度剣を振るい始めればいいが、受け止められると途端に不利になる。
一度止められれば、もう一度勢いを乗せなければならないがそれが叶う事は少ない。
故にカエデは一撃必殺、もしくは止まる事のない剣閃を意識して、鋭い斬り返し等の細々とした剣技を習得している。
剣が受け止められたら、剣を受け止めた対象の上を這わせるように自らの剣を導き逸らす。
逸らした先で斬り返しを行い剣閃を相手に叩き込む。
カエデが基本とするそれらは、カエデが一切勢いを殺す事無く振るわれなければならない。
カエデは自身の非力を理解している。幾度か、モンスター退治に同行した際に危機に陥る事があった。その度に師に救われた。師が助けてくれた。
『ワシの助けに頼るな。常に傍に居るとは限らんからな。ん? どうした? そんな泣きそうな顔をするな。傍に居ったのならこの身を盾にしてでも助けるに決まっておろう』
もう、師は傍に居ないのだ。
次に危機に陥った際には、師の助けは無い。覚悟しなくてはいけない。
六ヶ月、それがワタシに残された時間だから。
ふと気が付けば、一通りの振るいを終えており、慣れ親しんだ動きでカエデは剣を腰の鞘に戻した。
跳ね上がる心臓の鼓動が響き、生の喜びを唄う。熱を帯び、火照る体が心地よい。
こんな風に息を整えていると、何時もなら師がやってきて評価を下してくれるのだが……
何時の間にやら薄暗かったはずの鍛錬所は朝靄と共に日の光が差し込み始めている。
呼吸を整えていると、誰かの足音が聞こえた。
慌てて足音の方へと振り返れば、それは師ではなく【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインだった。
美しい金髪を靡かせ、人形の様に整った容姿を持つ幼い少女。
片手には片手剣を持ったその姿を見て、カエデは頭を下げた。
「おはようございます」
「……? おはよう」
アイズはカエデが唐突に振り返ってアイズを見た途端に落胆の表情を浮かべた事に疑問を覚えつつも挨拶を返す。
ベートさんが来る事を期待してたのかな?
先程、ベート・ローガが密かにカエデを見ていたのを思い出し。
同じウェアウルフとしてベートに憧れていたのかと考え、アイズは頭を振る。
「場所、借りるね」
「あ、どうぞ」
ここは【ロキ・ファミリア】の団員なら誰しも利用可能な鍛錬場であるはずなのに、何故かカエデに許可をとるアイズ、アイズに許可を出すカエデ。
ロキがカエデは一対一なら人見知りしないと判断したのはある意味で正解だが、ある意味で不正解であった。
カエデ・ハバリは目的を持って人と対話するのであれば何処までも強い意志を持ち言葉を放てるが、そうでない場合は口下手になってしまう。
カエデは鍛錬所の隅により、改めて『大鉈』を抜く。
抜き放たれた剣を改めて近くで見たアイズはあまりの剣の酷さに眉を顰めた。
「その剣」
「え?」
剣を構えたまま、カエデはアイズを振り返る。
「ボロボロ、新しい剣を買わないの?」
「明日、剣を買いに行く予定ですので、今日の所はこの剣を振るおうかと」
「鍛錬用の模擬剣は使わないの?」
鍛錬所に隣接する倉庫には模擬剣が仕舞われている。
それを使わないのかと問いかけられ、カエデは首を横に振る。
「ワタシの剣はコレですから」
「……そっか」
納得し、アイズは自らの片手剣を抜き放つ。
視線がそれたのを確認したカエデも剣を振るい始める。
二人が剣を振るっている。
片や
片や
二人の鍛錬は、珍しく早く起きたロキが来るまで続いた。