生命の唄~Beast Roar~   作:一本歯下駄

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『ヒイラギはまだ見つからないのか』

『そう騒ぐな。酒が不味くなる』

『アマネ。貴様、酒なんぞ何処で』

『んむ? あの赤髪から貰ったが?』

『クトゥグアァァァアッ!! アマネに酒を渡すなぁぁっ!!』

『いや、だってつまんなそうにしてたし? そう怒るなって』

『中々美味い酒じゃな』

『貴様らは……』

『そうカッカするな。ヌシも酒を飲めばよかろう』

『いらん。神が用意した酒なんぞ死んでも飲まんぞ』

『…………それ、地上で買った(こども)が作った酒なんだがなぁ』



『余裕』

 大火事の痕跡が未だに残る西のメインストリート。封鎖された一線の先に広がるのは未だに黒焦げのまま手付かずの焼け残った建造物の残骸。

 その残骸をぼんやりと眺めながらグレースはカエデの耳を引っ張る。

 

「ねぇ、もう飽きない?」

 

 火事場となった場所は、たかが十日経った程度では修繕しきれない被害を被ったのだ。死者、行方不明者の数も相当数に上り、原因となった【ナイアル・ファミリア】の主神も既にオラリオから退去済み。

 怒りの矛先を何処に向けるべきかわからなくなった街の住民からは、その場に居合わせた【ロキ・ファミリア】の準一級(レベル4)冒険者【甘い子守唄(スウィートララバイ)】ペコラ・カルネイロに対して『もっと早く鎮圧できなかったのか』といった文句が出てくる始末。

 神ロキは『ペコラは関係ないやろ』とキレていたが、それでも鬱憤の溜まった者達から漏れ出る不満の矛先は最も目に付く者に向きがちだ。

 

 例えば、今回の一件で器の昇格(ランクアップ)を果たした、果たしてしまい目立った【生命の唄(ビースト・ロア)】カエデ・ハバリ等。

 

 『禍憑きが居たせいだ』という言葉を何度も聞いたし。街中で突然声をかけられ『お前の所為だ』と騒ぎ出す狼人(ウェアウルフ)に遭遇した事だってある。その場にいたフィンがそれとなく仲裁しはしたが、最近では外を出歩くだけでカエデは周囲から怯えられる様になっていた。

 

 あの大火事、【強襲虎爪】アレックス・ガートルの引き起こした事件より十日。カエデ・ハバリへの風当たりは強くなる一方だ。その事が気に食わないのはあの場にもいたグレースもそうだし。

 【ロキ・ファミリア】全体からも非が無いにも関わらず、まるで【ロキ・ファミリア】が犯人であるかのように騒ぐ街の人々に苛立ちを覚え始めている。

 

「ねぇ、聞いてる?」

「聞いてます」

「じゃあ、行きましょ。うざったいのも集まってきたし」

 

 焼け焦げた建物群を眺めていれば、その焼け焦げた建物から煤塗れになった使えそうな荷物を抱えて出てくる人々の姿が見える。そんな彼らは【ロキ・ファミリア】の団員にして噂の渦中にあるカエデの姿を見て怯えたり、睨んだりしはじめている。

 その様子を悲し気に眺めていたカエデは、頭を下げてから踵を返す。

 

 その背にぶつけられる悪意ある囁きに身を縮こまらせながら歩くカエデを見て、グレースは一緒に来ていたフィンを睨んで呟いた。

 

「あいつら全員殴っていい?」

「ダメに決まっているだろう。抑えてくれ」

 

 僕だって同じぐらいムカついてる。そう呟いたフィンの言葉にグレースが思いっきり眉を顰め、肩越しに燃え残った建物群の方に視線を向ける。

 カエデを睨む者。未だに誰かの死を嘆く者。活気溢れる住宅街とは程遠い陰鬱とした雰囲気にグレースは溜息を零した。

 

 

 

 

 

 街を歩けば、不当とも言える評価に晒され。ギルドに足を運べば他の冒険者に煙たがられ。本拠に戻れば励まそうと積極的に接してくる狼人(ウェアウルフ)達や他の団員達と、敵意すら抱き始めた少数の狼人(ウェアウルフ)達。

 ベート・ローガとはあの日の一件以降、声を交わす事も無くなり。居ない者として扱われる。

 

 ギルドに続く北西の大通り、通称『冒険者通り』を歩いてギルドに向かうさ中、カエデを避ける様に動く冒険者の動きに傷ついた様に耳と尻尾を垂らしていると。あからさまに避けていく冒険者達をすり抜けてカエデの前に一人の羊人(ムートン)が現れ、気さくそうに片手を上げた。

 

「久しいなカエデ・ハバリ。それと【勇者(ブレイバー)】。後は【激昂】か」

「……アレイスターさん」

「久しぶりだね【占い師】。何やらこそこそと動き回っている様だけど、何をしに来たんだい」

 

 グレースがあからさまに引いた様な仕草をして身をのけぞらせるさ中。カエデが沈んだ表情のまま返答し、フィンは軽く羊人(ムートン)。【トート・ファミリア】の【占い師】アレイスター・クロウリーを睨む。

 【トート・ファミリア】が発行している新聞によって、【ロキ・ファミリア】へ不満感が高まったとも言えるのだ。無論、【トート・ファミリア】にその意図はなく。公平な記事を書いていたのだが。

 

「そう睨むな。【勇者(ブレイバー)】。少し話があるだけだ」

「……何の用だい?」

 

 君はいつも私を邪険に扱うな、そう苦笑を浮かべつつ。アレイスターは手招きをして歩き出す。

 

「此方へ。こんな大通りの真ん中で睨み合っても仕方がないだろう」

 

 カエデがフィンを伺えば、フィンが軽く頷いてその後に続き。グレースがあからさまに嫌そうな表情を隠しもせずに続く。

 

 アレイスターが足を運んだ先は、小さな冒険者向けの酒場の一つ。真昼から酒盛りをしている冒険者が数人見受けられるが、殆どの席が空席となっている小さな酒場である。店主らしき男に片手を上げて『いつもの』とアレイスターが呟けば、店主の男は嫌そうな顔をしてからカップを用意し始める。

 アレイスターが席に着き、フィン達に座る様に示すが、グレースだけは首を横に振り近くの柱に凭れ掛かって口を閉ざした。

 

「グレースさん?」

「あたし、こいつだけはダメ」

「………………?」

 

 嫌いだ。関わり合いになりたくないぐらいに。そう吐き捨てる様に言い放ちグレースがそっぽを向く。その様子を楽し気に見ていたアレイスターが『そうだろうね』と呟いた。

 訝し気にカエデがグレースとアレイスターを交互に眺めるさ中、嫌々といった風体で店主の男が人数分のティーカップとティーポットを運んできてアレイスターを見て呟いた。

 

「此処は酒場なんだから酒を飲め」

「酒は控えていてね。紅茶の気分なんだ」

 

 気さくそうなアレイスターに対し、店主の男はあからさまに気色悪いモノを見たとでも言う様に引き、テーブルの上に無造作にカップとポットを置くとそのままカウンターの中に逃げ込んでいった。

 置かれたティーポットの中身をティーカップに注ぎながら、アレイスターは口を開いた。

 

「いやあ、すまないな。奴は無愛想でね」

 

 照れた様な笑みを浮かべつつも紅茶を注いで各々の前にティーカップを差し出すアレイスター。まるで良い事でもあったかの様に微笑んでいるが、背筋がぞわぞわする様な感覚にカエデが何度も身を震わせて自身の尻尾を抱き締めて警戒した様にティーカップを睨む。

 グレースは差し出されたティーカップを受け取ると同時に、中身を床にぶちまけてテーブルにティーカップを戻した。

 店主の男が一瞬だけグレースに視線を向けるも、溜息一つ零してモップを片手にカウンターから出てきてグレースの足元にこぼれた紅茶の後始末をし始めた。どうやら過去に何度も同じ行為が繰り返されているのか、彼が掃除する場所にはしっかりとしみが刻まれている。

 

「さて、本題に入ろう」

 

 グレースの突飛な行動が目に入らなかったのか、それとも意図して無視しているのかアレイスターがにこやかな笑みを浮かべて紅茶に口をつけ。カエデを見据えた。

 

「君は幻影に踊らされることのないようにもう一度後ろを振り返るべきだ」

 

 アレイスターの言い放った言葉に、カエデが目を見開き。フィンが目を細める。

 グレースだけは腕組をしたまま微動だにせず口元を引き締めた。

 アレイスターの言い放った言葉は、過去にカエデがアレイスターの占いを受けた際に言われた言葉である。不幸を暗示する内容が提示されたタロット占いの内容を読み取り、カエデに『トート・タロット』を授けたのだ。

 

「さて、あの時渡したカード。まだ持っているだろう? 貸してくれ」

 

 差し出されたアレイスターの手に対し、カエデが眉を顰める。最後にあのカードを手にしていたのは何時だっただろうか。確か、そういつの間にかなくなっていたはずだ。そう考えたカエデが口を開こうとすると、アレイスターは微笑んだ。

 

「君はまだ、あのカードを持っている」

「……?」

「手を出してくれ」

 

 アレイスターが右手を差し出し、まっすぐとカエデを見据えて言い放たれた言葉に、カエデが困惑した様にフィンを伺えば、フィンが軽く頷いた。その様子を見てようやくカエデがそっとアレイスターの手に自身の手を重ねた。

 温かな体温を感じさせるアレイスターの手のひらの感触に戸惑いながらも、カエデがアレイスターを伺えば、アレイスターはいつの間にか左手にカードが一枚現れていた。

 まるで手品の様な有様にカエデが驚く間に、アレイスターはそのカードの表面を上にしてテーブルに置いた。

 

「あれ……真っ白」

 

 カエデの呟き通り、そのカードには本来描かれていたはずの絵柄が失われ、真っ白い白紙のカードになり果てていた。カエデの記憶通りであるならば、其処には【月】を示す絵柄があったはずである。

 不思議そうに首をかしげるカエデの前で、アレイスターは手のひらでそのカードを覆い隠して小さく呟く。

 かすかな魔力の流れにカエデがアレイスターを見据えるも、アレイスターの呟きはカエデの耳ですら捉える事が困難な程に小さく、何を言っているのかは理解できなかった。

 耳を震わせて声を聞き取ろうと耳を澄ますが、アレイスターは既に詠唱を終えたらしく。小さく呟いてカードから手を退けた。

 

「『導きのタロット』っと、よし。返すよ」

 

 そう言ってテーブルに置かれたカードをカエデに差し出すアレイスター。カエデが困惑した様にそのカードを受け取れば、つい先ほどまで白紙だったはずのその表面に、記憶と相違ない【月】を示す絵柄が描かれていた。

 困惑するカエデに対しアレイスターは悪戯が成功した子供の様に微笑んでから、表情を引き締める。

 

「未だに幻影に踊らされている様だ。早く後ろを振り返りたまえ」

 

 唐突な言葉にカエデが眉を顰め。どういう意味かと問いかければ。アレイスターは首を横に振った。

 

「私の口から言うべきではない」

 

 はぐらかす様な答えに対し、カエデが意味がわからないと何度もカードとアレイスターを見比べている間に、アレイスターは紅茶を飲み干してからフィンの方に笑みを向けた。

 

「それで、【勇者(ブレイバー)】」

「なんだい?」

「何か良いネタはないかな」

 

 アレイスターの気さくそうな言葉にフィンが眉を顰め、残念ながらないねと肩を竦めればアレイスターはグレースの方に視線を向けた。視線を向けられた事に気付いたグレースがアレイスターを強く睨み。アレイスターは苦笑を零す。

 

「【激昂】は私が嫌いな様だ」

「気持ち悪いから話しかけないで」

 

 直球に言葉をぶつけ、グレースがそっぽを向けば。アレイスターが肩を竦める。相当嫌っているのか足を揺すり始めているグレースに対し、カエデが再度首を傾げた。

 

「アレイスターさんと、グレースさんは仲が悪いんですか」

「悪い訳ではないよ」

「嫌いなだけ」

 

 それぞれの言い分を聞き、訳が分からなくなりカエデが再度首を傾げれば、アレイスターはティーカップをソーサーに戻して口を開いた。

 

「そんな事はどうでもいいだろう。今話すべき本題とは無関係だからな」

 

 まるで先のやり取りはどうでもいいとでも言うような様子にカエデが更に困惑を深める中。フィンが優しくカエデの肩を叩いて呟いた。

 

「あまり深く考えない方が良い」

 

 アレイスターという人物は、こういう人物なのだとそう呟いてフィンがアレイスターに視線を向ける。

 

「それで、本題は?」

 

 睨むと見つめる、二つの仕草が混ざり合った様なフィンの視線に、アレイスターは目を細めてからカエデを見据えて口を開いた。

 

「『必ず会いに行く』だそうだ」

「……なんですかそれ?」

 

 思わずと言った様子のカエデの呟きに対し、フィンが片目を閉じる。

 ()()()()()()()という言葉。アレイスターの口から放たれた脈絡のない言葉にカエデが再度困惑し始め、フィンが代わりに口を開いた。

 

「どういう意味だい?」

「言葉通りの意味だが?」

 

 誰が、誰に()()()()()のか。思考を巡らせるフィンを他所に、カエデが呟く。

 

「誰かが、私に? ……ヒヅチ?」

 

 カエデに会おうとする人物。カエデが思いつくのは世界でただ一人のみ。行方不明になっていて、つい最近オラリオの街中で見かけた恩師。ヒヅチ・ハバリの事かとカエデが目を見開きアレイスターを見据えれば、アレイスターは呆れ返る様に肩を竦めた。

 

「キミは……いや、何でもないよ」

「ヒヅチから? 何処にヒヅチは」

「ヒヅチという人物からの伝言ではない」

 

 きっぱりとカエデの期待を否定し、席を立つアレイスター。何が目的でその言葉をカエデに伝えたのか意図を読み取ろうとフィンがアレイスターを睨む中。アレイスターは肩を竦めた。

 

「私は、伝言を頼まれただけだ。キミに対してね」

「ワタシ? 誰からですか?」

 

 カエデを示したアレイスターの言葉に、カエデが目を細めて聞き返せば、アレイスターは息を一つ零してカエデを見据える。

 

「誰からかは、言わない」

「何故、聞いてもいいかな」

 

 フィンが横からアレイスターに問いかければ、アレイスターは軽く手を振るい、否定の言葉を放った。

 

「伝言を伝えて欲しい。そうお願いした本人が()()()()()()()を伝えないでくれと言ったからだよ」

 

 私は約束を守る方なんだと胡散臭い笑みを浮かべて微笑むアレイスター。グレースが反吐が出るとでも言う様におぇっとえづく仕草をするのを流し見てから、アレイスターは再度カエデの方を見据えた。

 

「最後に、もう一度言う。幻影に振り回されるな。後ろを振り返れ、もう一度、な」

 

 言い聞かせる様にカエデに言い放ち。アレイスターは片手を振って店を出て行く。その途中、店主の男が無言のまま彼女の肩を掴み、店の奥へ引きずっていった。

 その様子を唖然と見つめていたカエデ。舌打ちと共に『死ね』と呟いたグレース。フィンはテーブルの上に置かれたティーカップの中身をちらりと見てから、カエデの前に置かれたティーカップをそれとなく自分の元に引き寄せて中身を確かめる。

 

「……毒は入ってない。か」

 

 軽く匂いを嗅いで、舌先で舐めてみても毒らしき感じは一切しない。至って普通の紅茶である事にフィンは軽く吐息を零した。

 

 

 

 

 

 

 午前中は町中をさ迷い歩き。午後からはダンジョンの中層まで下りて只管にモンスターを狩る。

 あのアレックスを斬った感触を忘れようと、モンスターを斬って、斬って。それでも手に残る感触が染みついた様で、忘れられない。

 最近の迷宮探索において激しく負傷する事が何度もあった事もあり、フィンやリヴェリアから注意されて、此処二日は細心の注意を払って怪我をしない様に闘い、漸く本調子とも呼べるものがかえってきた。

 未だに斬った感触が腕に染みついているものの、あまり、気にならなくもなった。

 湯浴みを終え、絡んでくる狼人(ウェアウルフ)達を避けて自分の部屋に帰ってきて、無機質な部屋を見回す。

 

「予期せぬ危険や不運を暗示している。君は幻影に踊らされることのないようにもう一度後ろを振り返るべきだ。手遅れになる、前に」

 

 『初めての迷宮探索(ファーストダンジョンアタック)』の日。偶然、冒険者ギルドで出会った【占い師】アレイスター・クロウリーに占ってもらった際。アレイスターが口にした言葉。再度自分で同じ言葉を呟いてみるが、意味が解らない。

 

 幻影とは何か。後ろを振り返るべきとは。

 

 既に、何度も後ろを振り返っている。前だけを向き続けろとヒヅチに言われた言葉を守れず。何度も、何度も後ろを振り返り、ヒヅチが居た()()()を脳裏に思い描いてはベッドの中で涙をこらえた。

 あんな事さえなければ。こんな事さえなければ。ワタシがこんな風でさえ、なければ。

 溜まりに溜まった後悔の数々を脳裏に描き、首を横に振る。

 

 ワタシは、前に進まなければいけない。そうしなければ、死んじゃうから。

 

 言い聞かせる様に心の中で呟き、剣を鞘から抜き放って手入れを始める。剣の手入れ道具をテーブルの上に並べて、しっかりと、念入りに剣を手入れしていく。

 コンコンというノックの音が聞こえたのは、カエデが手入れを終えて鞘に剣を収めているさ中の事だった。

 

「カエデちゃん、遊びに来ましたよー」

 

 扉越しに聞こえる陽気な声。ペコラ・カルネイロの声に気付き、カエデが慌てて扉を開ければ。もこもことしたパジャマを着たペコラが笑顔で廊下に立っていた。

 

「今日も一緒に寝ましょう」

 

 ここ十日程。あのアレックスの事件の後から、ペコラ・カルネイロは毎晩カエデの部屋を訪れては添い寝をしていた。子守唄こそ歌ってあげられないが、傍にいる事は出来ると。

 あの日、【ナイアル・ファミリア】の主神。神ナイアルの言葉を()()()()()()()カエデは、狂気の種と呼べるものを埋め込まれたらしい。カエデにも、なんとなくわかる。心の中に湧き上がる不安感や焦燥感。身を焦がす様な何かが心の内に差し込まれた様な感覚があった。

 それを抑える為に、ペコラが毎晩添い寝をしてくれている。もしペコラの添い寝が無ければ、悪夢を見ていた。なんとなく、それがわかり、カエデは困った様な表情を浮かべた。

 

「あ、はい。お願いします」

 

 堅苦しいカエデの言動にペコラが苦笑を浮かべ。気にしなくていいのですと呟いてカエデの部屋に入る。入るなりペコラが眉を顰め、カエデの方を伺う。

 

「ペコラさん的には、ここ最近は毎日言っていますが。もっと女の子らしい買い物をしてくると良いのです」

 

 部屋の中は、相も変わらずに壁に飾られた『師の形見である打ち刀』と、武具を収めておく箱。そして最近追加された回復薬類を収めておくためのケースにクローゼット。他には武具の手入れ道具があるのみ。

 女の子らしい、と呼べる装飾品の類は一切置かれておらず。子供っぽさを示す玩具の類もない。冒険者に必要な道具類を取り除いたらベッドとクローゼット以外何もない。そう言い切ってしまえる部屋に呆れ顔を浮かべたペコラに対し、カエデが困った様に頬を掻いて視線を逸らす。

 

 此処何日か、添い寝に来る度にペコラが『女の子らしく部屋を飾るべきだ』と口にし続けていた。カエデにしてみれば、もともとの生活から余計な買い物をするという考え自体が無く。武具の破損、修理で収入の殆どを使い切っている事もあり買い物の余裕もなかった。

 結果として一か月半程この部屋で寝泊まりしているのみで、女の子らしさというのが皆無になりかけている。

 

「こんな部屋で過ごしてたらアイズちゃんみたいになっちゃいますよ」

 

 彼のアイズ・ヴァレンシュタインも初期の頃は部屋には最低限の冒険者セットが置かれるのみ。ロキが買い与えた衣類を除けば、ほぼ一着を着回す生活を送っていたのだ。

 カエデの方も、グレースやアリソンが買い与えた衣類を除けば、自身で欲して購入したのは丈夫そうな衣類一式のみ。下着類が何着か。後は着回しで何とかしようという考えが透けて見えていたのだ。

 同じ女として、アイズにはティオナとティオネが注意を重ね、少しずつではあるが部屋に女の子らしい雑貨を飾る様になった。

 同じようにカエデにも女の子らしい雑貨、人形類を買う様に勧めるも、カエデは困惑するのみで手を伸ばさない。

 

「確かにアレックス君については悲しい事です。ですがそういう時にこそ余裕を持つべきですよ」

 

 今のカエデには余裕がない。心を追い詰める要素が多すぎる。未だに短過ぎる寿命の事、行方不明のヒヅチの事、アレックスの死の事。距離を置かれてしまったベートの事。急に関わりを持って距離感を掴めない狼人(ウェアウルフ)達の事。

 少しでも、何らかの気を逸らす様な事をしてあげなくては、心が潰れてしまう。ペコラが危惧するその事に関して、カエデが困った様に眉根を寄せて俯く。

 

「余裕、どうやって持てば」

 

 常に思い悩む様な有様で、心に余裕を持とうにも、次から次へと湧き上がる悩みが余裕という言葉をどんどん遠ざけていく。斬った感触の染みついた手も、居なくなったヒヅチの事も、何もかもを忘れる事が出来るならば、カエデ自身もそうしたいと思えるほどに。積み上がったモノが多すぎる。

 

「では、明日はペコラさんと買い物行きましょう。リヴェリア様も連れて。ほら、一緒に寝ましょう」

 

 今日も良い夢を見れる様に、一緒に居ますので。そう言ってカエデの手を優しくとり、ベッドへと連れ込む。

 カエデを優しく抱き締めながら布団にもぐり込み、ペコラはニコニコとした笑顔でカエデを優しく撫でる。

 ヒヅチと同じ様に、カエデを掻き抱いていながらも。ヒヅチと違って、優しく髪を梳くペコラの行動に困惑しながらも、ペコラに胸に抱かれ、カエデはふと呟いた。

 

「キーラさんが、行方不明ですけど……」

 

 【ミューズ・ファミリア】の準一級(レベル4)冒険者にして、ペコラ・カルネイロの姉である【呪言使い(カースメーカー)】キーラ・カルネイロが行方不明になっているという。その話を聞いたのはアレックスの事件の後で、その日からペコラは一切変化なく微笑んでいた。

 

「心配じゃないんですか」

 

 なんの揺らぎも見せず、何時も通り微笑んで添い寝に来るペコラ。不思議そうにカエデが問いかければ、ペコラはふふんと鼻を鳴らして口を開いた。

 

「ペコラさんのお姉ちゃんは最強なので。其処らの奴なんかに負けないですよ」

 

 最強無敵のお姉ちゃんが、誰かにやられるなんてありえない。きっとどこかで居眠りでもしているに違いないと、胸を張って言い放ったペコラの言葉に、カエデが眩しそうに目を細める。

 カエデも、ヒヅチが絶対無敵で、死んで等いないと口に出来れば良い。しかし、何処かで『もうヒヅチは死んでいて、あの日見た姿はワタシの思い込みだったのではないか』という不安がぬぐえない。

 

「どうして、断言できるんですか」

「だって、お姉ちゃんは強いですから」

 

 ペコラが優しくカエデを抱き締め、耳の付け根の辺りを優しく撫でる。

 擽ったそうにカエデが首を竦めれば、ペコラは優し気な表情のまま、明かりを消した。

 

 窓から差し込む月明かりの中、ペコラは唄う事こそ出来ないものの、優しくカエデに髪を撫でて、安心して眠れるのだと教えてあげる。

 不安げに震えるカエデを抱き締め、ここは安全だと伝えてあげる。

 

 カエデの体から力が抜け。ようやく眠りについたのを確認し。ペコラはゆっくりとカエデをベッドに寝かせて、手を握ったまま身を起こして窓の外に視線を向けた。

 

「心配、してない訳ないじゃないですか。凄く、心配してますよ」

 

 どこかに消え去った姉の姿を思い描き、不安そうな表情を浮かべたペコラは。空いた手で自身の頬を強く抓る。

 

「って、ペコラさんが不安そうにしてたら皆まで不安になってしまうじゃないですか。笑顔笑顔……いつもニコニコなペコラさんなのですから」

 

 不安そうにしている人が。誰かの不安を取り除いてあげる事なんてできるわけがない。

 だから、自分は常に微笑むのだ。子守唄を歌う時も。そうでない時も。不安なんて何一つない。いつも笑みを浮かべて、余裕ある行動をとる。急がず、慌てず、マイペースに、あるがままに歩み続ける。

 皆が慌ててる時に、優しく止めてあげる為に。皆が困っている時に、手を引いてあげられる様に。

 

 ペコラ・カルネイロは何時だってマイペースで、ゆったりとした雰囲気を持ち続ける。

 

 キーラ・カルネイロがそうであった様に、いつだって自分のペースを崩す事だけはしない。

 

「ペコラさんは、強い子なのですから」

 

 静かに寝息を立てる姿に目を細める。静かな、耳を澄まさねば聞き取れないカエデの寝息に耳を傾けつつ。ペコラは静かにカエデの髪を梳き続ける。一晩中ずっと、不安を抱かぬ様に。

 甘ったるい夢をあげられない、自分が出来る最大限を、してあげるのだと。

 

 

 

 

 

 薄暗い部屋の片隅で膝を抱えてぶつぶつと文句を零す黒毛の幼い狼人(ウェアウルフ)の少女を見据え、アマゾネスの傭兵でもある彼女は深々と溜息を零し、テーブルの上に乗ったグラスを煽る。

 

「はぁ、ったくアタシが何言っても聞きゃしない。いい加減にしてほしいもんだよ」

 

 文句を零しつつも、空になったグラスになみなみと酒を注ぎ、溢れた酒がテーブルを汚すのも気にせずに一気に呷る。なんども繰り返し、褐色の肌が真っ赤に染まる程になっても飲むのをやめない。

 その様子を見ていた黒毛の幼い狼人(ウェアウルフ)が、同じように溜息を零して口を開いた。

 

「また、断られたのか」

「あぁ、昔馴染みだからって事で【恵比寿・ファミリア】に情報を漏らしはしないが。手伝う事だけは出来ないってな」

 

 何度も、過去に所属していたファミリアの伝手を頼りにオラリオへの侵入を試みるも、現在のオラリオでは厳重な警戒網が敷かれており近づくだけでも危険極まりなく、ましてや謎の襲撃犯がうろついている現状、街の外を歩きたがる奴もいない。十人以上の冒険者の護衛を引きつれていた商隊が壊滅するという出来事も合わさり、雰囲気は最悪である。

 木製の窓の閉められた部屋。魔石灯の照らす薄暗い部屋。現在時刻は真昼であるというにも関わらず、外から喧噪は一切聞こえず、何処の家も窓を閉め切って怯え切っている。

 

 次に襲われるのはこの街かもしれない。と

 

 厳重な警戒を敷き、オラリオ程ではないにせよ防壁に囲まれたこの街を襲撃する阿呆が居るわけない。そうであってほしいと願い、街の住民は誰しも家に閉じこもる。宿の主人も『窓は決して開けるな』と何度も注意に来る程なのだ。

 

 陰鬱とした雰囲気を吹き飛ばそうと酒に頼るも、腹に溜まる苛立ちは消えない。

 

 傭兵のその様子に眉を顰め、幼い狼人(ウェアウルフ)はすっと立ち上がってテーブルのグラスに手を伸ばした。その様子を見て眉を顰め、傭兵は口をへの字に曲げて呟く。

 

「やめときな。子供の飲み物じゃないよ」

「一口ぐらいいいだろ」

「……好きにしな」

 

 幼い狼人(ウェアウルフ)の持つグラスに酒を少し注ぎ。傭兵は残りを自分のグラスに注ぎ切ってグラスを差し出した。

 その様子に眉を顰めた幼い狼人(ウェアウルフ)の様子に傭兵は鼻を鳴らす。

 

「はん、乾杯も知らないのかい」

「いや、知ってるけどよ」

「ほら」

 

 差し出されたグラスに、軽くグラスを打ち合わせ、カランという音を鳴らすと同時に傭兵が酒を呷る。その様子を変なものを見る目で見ていた幼い狼人(ウェアウルフ)も意を決して酒を口に含み、渋い表情を浮かべてグラスから口を放した。

 

「まっず……」

「だから言ったろ。子供の飲み物じゃないってね」

 


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