彼を思う   作:お餅さんです

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第一章 諦めて始まり
プロローグ


 意識が戻ったのを、他人事のように思った。

 

 戻って一番に感じたのは、体のだるさや精神的な疲れ。それでもふらつきながら、ゆっくりとでもベッドから降りる。着ていた服は滴るぐらい汗ばんでいて気持ち悪い。それはこのまま立ち止まれば水溜りが出来るんじゃ、なんて意味もなく考えてしまうぐらいに。

 なんとなく肩越しに振り返れば、そこにはついさっきまで寝ていた自分のベッド。ネットで評判だったシーツは、寝ている間に暴れていたのかと思うぐらいしわくちゃ。むしろ所々引き裂かれてるみたいに破れた箇所、もう使い物にならないのが一目で分かった。

 

 だけど、そんなことはどうでもよかった。幸いと言っていいかは分からないけど、別にお金には困ってない。だからもうこのシーツが使えないとしても、それでもまたどこかで新しい物を買えばいい。どれほど質が良いと言っても、所詮はお金で買えるもの。もし力を入れて探せば、これよりいい物なんて幾らでも手に入る。

 そんなことよりも体の方が問題だった。それこそ鎖か鉄球か、すごく重い何かに体中が雁字搦めになっているのかってぐらいに動き辛い。全身が今までにないほど重たくて、それでも痛む関節に無理をして一歩。体に鞭を入れてなんとか歩こうとする。

 

 ――世界がひっくり返ったのかと思った。

 

 背中側が何故かさっきよりも痛くて、次に立っていた自分が寝転びながら天井を見ているのが分かった。転んだことに気づいたのは、視界の端で空のペットボトルが転がっていたから。

 ろくに床も見ないまま歩こうとしてた。多分気づかずにペットボトルを踏んで、そのまま滑って転びでもしたんだろう。とりあえず寝転んだ状態から何とか腕をついて、ベッドに上半身の体重を預けて座ろうとする。その時に転んだのも当たり前だと、床一杯に落ちているペットボトルを横目に自嘲した。

 

 空のペットボトルは全部同じメーカーの水。見れば空いた段ボールが部屋の隅に積み重ねられている。それに自分がネットで大量に箱買いしたことを、回らない頭で何となく思い出した。

 今は埋もれてるのか目につかないけど、探せば一緒に買った缶詰の空もそこらに落ちてると思う。空腹に死にそうになりながら、手づかみで必死に胃袋へ叩き込んだ覚えがある。

 

 それから何もせず、ただそのまま座って動かない。いや、トイレや食事ぐらいは流石に動いた。危ない時もあったけど、足元にさえ気を付ければどうにかなりはした。

 ただやっぱりその後は、何となくまたそこらに座って動かない。動かずに、締め切ったカーテンの隙間から漏れ出る光を眺めてた。そうしてたらそのうち光が見えなくなって、また気づいたら隙間から光が差し込み始める。それを見てようやく、自分が一日座り続けていたことに気づいた。

 

 それを何回も、何十回も続けた。意味もなく時間を使い潰して、それでも光はなんの支障もなく差し込んでくる。たまにどこからか工事の騒音、人の騒めき。防音を最条件に選んだはずなのに聞こえて来るそれら。カーテンの向こう側で当たり前に送られている日常と、高級ホテルの限界を知った気がした。

 それはもしかしたらこの世界に、自分っていう存在なんて必要ないと言われているみたいな感覚。自分を置いて、自分が何をしなくても、変わらず進んでいく幸せに満ちた日常。

 

 それらを感じられる時間が、とても心地よかった。

 

「……そろそろ、か」

 

 久しぶりに出した声は掠れてた。最後に出したのはいつだったか。あまり覚えてないけど、意識しない間に何か言っていたような気もする。

 この部屋には自分一人しか住んでない。でももし傍から見たら、きっと不気味極まりないのかもしれない。それでも言葉を忘れることがなかったのは、そのお陰でもあるのかな。また意味もなくそんなことを考えながら、未だに重い体を部屋の一角に動かした。

 

「あー、アー」

 

 部屋の一角――そこに立て付けらた姿見に立って声を出す。異常がないかを確かめるように、思い浮かべる理想に重ねていくように。

 生まれて十何年か、使うたびに違和感を感じずにはいられなかった声。それを今さら、慣れない自分に染み付けていく。やっぱり何度も、何十回でもそれを繰り返した。

 

「うん、これで大丈夫」

 

 違和感は、まだ取れてない。きっとこれから先、ずっと取れることはないんだと思う。それでも、今までずっと付き合って来た声には違いなかった。

 それもあって始めてから半日ぐらい。馴染んだのは考えていた最低限だけ、でも予想していた時間よりは全然早い。ただこの体の性能を改めて実感して、少しだけ憂鬱になりはした。

 

 一旦シャワーを浴びてから、その後外に出るために服を着替える。今までずっと着ていた服は脱ぎ捨てた。多分もう使わないだろうし、文字通り部屋にあった空っぽのゴミ箱に捨てておいた。

 普通のホテルなら怒られるかもしれないけど、ここの買い占めはもう何年か前に済んでる。部屋のゴミ屋敷みたいな惨状に嫌がられそうだけど、連絡するホテルマンが手を抜くとは考えられない。そんな考え方の変わった自分に、また少しだけ憂鬱になる。だけど部屋の扉を前にして、これほどではないなと逆に気が楽になった。

 

 扉はシンプルな木製だけど、簡素ってほど手抜きなわけでもない。無駄に豪華な飾り付けのないそれは、自分の好みによく合ってた。それはきっと、自分で手配したんだから当たり前なんだろうけど。

 でもそんな自分で選んだ扉を前に、中々取っ手に手を付けることが出来なかった。時間もないんだから早く行かなきゃならないのに、その一歩がどうしても踏み出せなかった。

 

 結局、なんとか外に出た時には日が暮れていた。

 

 昇っていた太陽はとっくの前に落ちていて、空には代わりに満点の星々と大きな三日月。ホテルを出て見上げたそれに、なんとなく落ち込んでため息を吐いた。

 それから昼間と比べて人のいない街を、自分のペースで歩き始める。歩いていく先、詳しい場所は決まってない。というよりむしろ、行きたくない場所だけが決まっていた。だから見覚えのある、候補の場所以外をゆっくり見て回るつもりだった。

 

「あなたが、マーレリングの適応者ですね」

 

 遠い昔に、聞いたことのある声に立ち止まる。

 

「やっと見つけました」

 

 また自分の背中へ続けてかけられた言葉に、今度は不思議そうな顔を作って振り返った。するとそこには二人の女性。二人ともベールを被って、その下には黒い仮面と占い師みたいなお揃いの服装。

 そんな二人が、()()()()歩く自分に声をかけて来た。何となく、そのことに少しだけまた気が楽になる。だけどそれも現実逃避なのだと直ぐに気づいて、また何となく嫌になった。

 

 夜に歩けば、声をかけられないんじゃないのかって。記憶にあるあの場所以外を歩けば、無視してくれるんじゃないのかって。かけられたとしてもその時その場所なら、違うんだと自分に言い訳できたのかなって。

 結局声はかけられた。言い訳も、他でもない自分が違うのだと直感で分かってしまった。そのことに――主人公とは違って中ボスの自分は持っていないのにと、自分にしか分からないことで少し嗤った。

 

「……何がおかしいのです」

 

 話は聞いてなかった。元から知っていた内容ではあるけど、それ以前に意味もない反抗として聞いてなかった。彼女たちがそれに気づいていたのか、それとも気づいてないまま言ったのかは分からない。

 それでも嗤ったことは見過ごされなかった。勘違いしてるかはやっぱり分からないけど、気分を悪くしてしまったことには違いなかった。

 

 だからってわけじゃないけど、()は――。

 

 

 

「やっと、きたと思って」

 

 思ってもないことを、言うことにした。

 

 

 

 

 これは、少年が成長する物語何かじゃない。

 

 理不尽への復讐でも、暴君の怒りでもない。

 

 世界が玩具に見えた筈の僕が、諦めた物語だ。

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