彼を思う   作:お餅さんです

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一話 「従順な雲」

「ふざけるなぁ!」

 

 罵声と共に頬に衝撃が走る。まさか殴られるとは思わなかった私は、驚きこそすれなんの気構えもしていなかった。そのためいきなりの動きに受け身をとることさえ叶わず、無様に勢いよく顔から床へと倒れる。

 普通なら、ここは他の人に助けを求めるかやり返すのだろう。だが生憎と、ここは某国某所の高層ビルの社長室。部屋の中にいるのは倒れる私と、その私を殴った――この会社の社長しかいない。

 

 助けを呼ぶことはできない。なら、やり返すか? 出来るものならいくらでもしてやりたい。今日に限らずとも、取引先と上手くいかなかった際は当たり前。酷いときには機嫌が悪いというだけで殴られるのだから。

 しかし、やり返すなんてそんな事は出来ない。いくら低能、厚顔無恥、人として屑と言えるような人間でも私が勤める会社の社長。それも秘書として勤めている私の直属の上司なのだから。

 下手に逆らえば直ぐにクビを切られる。それは社会的には勿論、物理的にも同様だ。たとえ海外に飛んだとして、行く先々で執拗にいたぶられるのだろう。

 

 そしてその他にも、この男がマフィアと繋がっているらしいと言う噂。そんなものが、社内ではバイトの清掃員に至るまで公然の秘密として広まっている。

 コーヒーを社長の目の前で溢したという前任の秘書などがいい証拠だ。見なくなったかと思えば、しばらく後に海外のスラムで撃たれていたとニュースで流れていた。社長がマフィアと繋がっているという噂はまず間違いないだろう。

 

 だから逆らうことはしない。

 出来ない。

 

 私にはこの男とは違い、マフィアとのコネなんぞ欠片もない。大学で新入社員応募の説明会を聞き、ノコノコとやって来てしまった極普通の一般家庭出身。さらに数か月前に最後の親族すらいなくなった私は、男にとって何時でも切り捨てられる駒の一つでしかない。

 

 けれど、今日の様子はいつもより少し可笑しかった。

 

 昨日の取引では、私がプレゼンを行った事で上手く承諾を取り付ける事ができた。男はそんな当日や翌日は一日中ニタニタと笑い、自身の机で取引によって得るであろう金額を計算している。だが、さっき殴られる前に出た電話からいきなり様子が可笑しくなったのだ。

 いきなり室内で鳴り響いた悪趣味な金塗りの固定電話に、男は楽しみを邪魔されたとばかりに顔を歪めた。だがその電話は男の机に固定された、社長への緊急連絡用の物。

 仕方ないと言わんばかりに受話器を耳に当てた途端、机をけ飛ばす勢いで立ち上がり、見ていた私が驚くほど表情が真っ青になったのだ。そして終わったのか受話器を置いた後も、顔色を変えず呆然とした様子で立ち尽くす。

 

 だがそこで、つい気になって何があったのか尋ねてしまったのは失敗だった。

 男は一瞬体を震わせると、私の顔を見て今度は青から赤へと徐々に顔色を変えていく。それを見て私が失敗したと思った時には、男は既にその拳を振り上げていた。

 

「何の許しもなく尋ねてしまい、申し訳ありませんでした」

 

 殴られた後何時までも倒れてはいられない。サンドバッグになるつもりのない私は、男から何を言われるでもなしに立ちあがり腰を折る。

 その際にチラリと男の顔色を伺うが、その色は残念ながら変わらず赤一色だった。

 

「貴様だな! 貴様の仕業に違いない! あれほど目をかけてやったというのに、この恩知らずが!!」

 

 男は尚も声を荒げて怒鳴るが、一体何があったというのか。

 

 私が何かしでかしたと思っている様なのは間違いない。なにかあったかと、私が秘書になってからのここ半年の事を思い返す。だが思い当たる事と言えば、三ヶ月前に最後の家族だった祖母の葬儀に出る際に休暇を頂いた事ぐらい。

 あのときは申し出た途端、根性がないと殴る蹴るの酷い有様。銃こそ出しはしなかったものの、最後には飽きてもう終わったものと思ったのだが。

 

「ッ、貴様聞いているのか!!」

 

 思い返しているとそれを聞いていないととったのか、さらに怒り私の胸ぐらを掴む。そこまでならまだいい。決して歓迎できたものではないが、多少の暴力には既に慣れている。

 だが今回の男はそれだけでは終わらなかった。私の胸倉を掴んだままの男は、自身の胸元へと手を伸ばす。数秒しない内に出てきた物は、黒光りする武骨な一丁の銃。

 

 ――死ぬのか。

 

 男に何があったのかわからないが、どうやら私の人生はここで終わってしまうようだった。それは無残に、理不尽に。男の指が少しでも動いた瞬間に、終わってしまうのだろう。

 順風満帆とはお世辞にも言い難い人生だった。だが親戚家族は私一人だけ、友人は昔から内気であり就職してからは仕事ばかりで誰もいない。

 私が死ぬことで、悲しむ者など誰もいない。いたとして精々、私の後任として選ばれる秘書ぐらいだろうか。恐らくいつだったかの私のように、損な役が回ってきたと嘆くのだろう。

 

 別にこの世に未練もなければ、後悔もない。ただ来世があるなら、いい上司の下に就きたいとは思う。誰に覚えられることもなく死ぬのではない。その上司の下で、誰かの記憶に残る一生を送りたい。

 

 ――なんだ、あったじゃないか。

 

 未練も後悔も、叶えたいと思う願いさえ。今さらと思わないでもないが、死んでやっとと言うよりは幾分ましなのだろう。でもそうか、それなら――。

 

 

「死ねるものかぁぁあ!!」

 

 

 私の叫びに驚いたのか社長は動きを止め、その隙を逃さず銃を遠くに弾き飛ばす。その一連の出来事に、男の顔は受話器を置いた後のように呆然とした。

 その後直ぐに顔を真っ赤にしたかと思えば私の後ろに目を向け、また直ぐにその顔を真っ青に変える。百面相をし出した男に何事かと、注意しながら後ろを振り向き、驚いた。

 

 いつの間にか人が四人、扉を開け放ちそこに立っていた。それもただの人ではない。内一人は髪も服も真っ白の少年。そしてその後ろの三人は、シルクハットにボロボロのマントで体中を白い包帯で覆っている。

 文字を並べれば仮装した可笑しな奴らだ。だが今はハロウィンではないし、何より後ろの三人は見てるだけで寒気がするほど恐ろしい。

 

「助けてくれ、お願いだ! 私は何もやっていない! 全部あそこにいる秘書が、私の知らないところで勝手にやった事なんだ!!」

 

 異様な四人に呆気に取られていると、男は私よりも先に現実へと戻る。四人の前で膝を着きながら、脇目もふらず必死に何かを懇願していた。

 

「証拠はとれている」

 

 男の言葉は何の意味もなかった。ただ一言を真ん中の包帯が言い、左右の他二人が懐から鎖を取り出す。その後次いで投げ出された鎖は、まるで生きているかのように男の首へとかかった。

 男は恥も外聞も捨てたように、全力を持って抵抗していた。嘘や懇願、果てに脅しをかけるも、包帯の三人は気にも止めない。首元の鎖で呻く男を引きずりながら、見せつけるかのようにゆっくりと部屋を出ていく。

 暫くもすれば、あれほど大声を上げていた男の声が聞こえなくなった。部屋には立ち尽くす私と、全身真っ白の少年のみ。

 

「ごめんね、少し遅れちゃった」

 

 部屋に二人だけになると少年が話しかけてきた。言葉の内容からして、あの包帯の三人を連れてきたのはこの少年らしい。

 

「いや、助かったよ。お陰で命拾いした」

 

 確かにもう少しで殺されかけたが、実際この少年が連れてきた三人によって助かったのは事実。何より、今私は生きている。ただそれだけでも、礼を言うには十分すぎるほどだ。

 

「それは、僕は違うと思うよ」

 

 いきなりの否定に私は驚くも、少年は気にせず続ける。

 

「あなたはあの時、少しだけど諦めてた。けどもしあのとき本当に諦めていたなら、あなたは間違いなく死んでいたよ。僕はあなたの危機に、間に合わなかったんだ」

 

「だからきっと、僕があなたを助けた訳じゃない。かといって、あの三人が助けた訳でもない。ただ貴方が生きようとしていたから、今もこうして話すことが出来てる。……遅れてあれなんだけどね、少なくとも僕はそう思うよ」

 

 聞いて頭に浮かぶのは、最後の家族。三か月前に亡くなった祖母の――その最期の言葉。

 

 私は仕事だからと、祖母が病気で衰弱しているにも関わらずろくに見舞いに行かなかった。休むことが出来なかったのは本当だ。葬式の際に休暇を取ることすら命がけだった。

 会えたのは本当に死ぬ間際。文字通り血反吐を吐く思いで向かった私に、それでも祖母は笑ってくれた。

 

『ああ、やっと会えた』

 

 嬉しそうに、笑って逝った。ただあの時は、ろくに見舞いに行こうとしなかった自分を心のなかで罵った。

 

 本当は行けたんじゃないのか――と。

 仕事を言い訳に使ったんじゃないのか――と。

 

 今でもそれは変わらない。私は酷い孫なのだろう。だけどただ少しだけ、あのときの祖母の気持ちが分かった気がする。

 必死だったのだ。生きることに。生きて最期に、私に会うことに。他でもない私などに、自分を覚えていてほしくて。

 

 死にゆく中、誰かに自分を覚えていてほしい。これを死にゆくものの傲慢だと、一体誰が言えようか。少なくとも、私はそうは思わない。死にかけた際、真っ先にそれを願った私にできるはずもない。

 生きた証を願うのは、人として当然なのだ。そしてその相手に選ばれた私は、やはり祖母を傲慢だとは思わない。

 

 私とは違い、他にも知人はいたはずだ。

 苦しい中、見舞いにすら行かない孫だ。

 私には、何故祖母が私を選んだのか分からない。

 

 

 だが、誇らしく思う。

 

 他の誰でもない、私を選んでくれたことに。

 私の一生が、意味あるものだったということに。

 

 

 涙も鼻水も流れ出る私に、それでも少年は構わず喋り続けた。

 

「僕は、あなたを助けられるほどすごくはないよ。良く言っても、漫画で言うと中ボスぐらいかな。最初は強いけど、終盤の方じゃ弱く見えちゃって、突然目覚めた主人公達の新しい力で倒される。きっと今はそうでも、その内弱く見えてくるんだと思うよ」

 

「だけどあなたは違う。生きようとしたあなたは、僕何かよりもよっぽど強い。諦めることのなかったあなたは、僕なんて比べ物にもならない。そんなあなたはとても――とてもすごい人なんだ」

 

 

「だから良ければ、ついて来てくれないかい?」

 

 

 少年はそう言うと、自嘲気味に笑った。いきなりの連続のせいか、前半は特に何を言ってるのかさっぱり分からない。だけどきっと、私はあのとき本当に死んでいたのだろう。

 

 何故なら私は――。

 

 

 

 

 

「私の名前は桔梗と申します」

 

「どうか貴方様に、一生お供させて下さい」

 

 こんなにも素晴らしい上司に出会えたのだから。

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