元はただのしがない剣士。
いや、恐らくは剣士と自称することすら烏滸がましいのかもしれない。何故なら俺は、自身の研鑽のために引き留める家族が残る故郷を捨てた。そしてその折に、いっそとばかりに両親から与えられた名すらも置いていく。
そうまでして行ったことも、やはりお世辞にも良いとはいえないもの。各地を歩き回り、行く先々で剣と己の身を振るったのみ。それはいつか出会う、あの野蛮なヴァリヤーの剣士とさして変わらない。己の腕だけを信じ、奪うことで生きてきた。やはり愚かな生き様だったと、今ではもはや自嘲する他ない。
そんな日々が変わったのは、徐々にではなくむしろ突然に。俺がイタリアのとある町の片隅で、まさしく行き倒れていた時のこと。
幾年経っても慣れることない旅路での疲労に、度重なる戦闘での少なくない怪我。故郷を出て旅をすること数年、一度に返ってきた報いともいえるそれら。俺はその時すでに這いずるだけ、立ち上がることすらできなかった。
『あんた、うちにおいでよ』
そんな時に声をかけたのは、一人の女性だった。
自らの事をジッリョネロファミリーのボス――アリアと名乗ったその女性。後に聞いた話では、お忍びで歩いていた所を偶然見かけたとのこと。
それが今に至るまではぐらかされていた謎。出会って早々、人の気配に視線を上げた俺にその一言だけをアリア様は告げた。見るからに厄介ごとでしかない俺に向けた、その何もかもを省いたような一言。なんだこいつは――それが正直な俺の思いだった。
だが謎というのなら、きっと俺もそのうちに入るのだろう。死すら覚悟していた時の、初めて出会う女性からのその言葉。俺は見つめてくるその女性の瞳を見返し、気づけば首を縦に振っていたのだから。
それから送るのは、とても満ち足りた日々。
端的に言って余所者な俺を、それでも知ったことかと構うジッリョネロの仲間たち。一人の時間が長かったせいか、囲まれる俺はひたすら戸惑うばかりだった。
ガンマという男と出会ったのも、そんな日々の中でのこと。ジッリョネロの中でも同年代の彼は、慣れぬ生活を送る俺にとても良くしてくれていた。ただ俺がファミリーに入った経緯を聞いた時、何故だか暫くの間目の敵にされてはいたが。
『そういえば、あんた名前なんだっけ』
すでにファミリー内でも打ち解けつつあった時。用あって入ったアリア様の自室の中、そう声をかけられたことがある。
場所はアリア様の自室。そのため人は俺とアリア様だけだったのだが、他に誰かいたならば今さらかと驚いていたことだろう。そんなことを考えながら、俺は頭を悩ませた。正確に言えば捨てたのだが、今さら堂々と名乗れるはずもない。結局は他に聞いて来た仲間たちにも話した通り、思い考えるままにそう語った。
すればアリア様は俯き出す。もしやお体に障ったのかと思ったが、否定するアリア様の言葉通りならそうではないらしかった。そうして手持無沙汰に、かといって勝手に部屋を出るわけにもいかない。
それから一時間近く経っただろうか、流石にそろそろと再び声をかけようとした時の事。顔を上げたアリア様が、表情に笑顔を浮かべながら言った。
『よし、決めたよ。今日からあんたは――』
その日俺は新しい名と、その意味を与えられた。
今となっては俺以外に誰も知らぬその意味。それは何も欲しかったわけでも、願ったわけでもない。裏の人間として生きるのに、無駄な恨みを買わぬよう名がない者は少なくない。そしてそれは俺としても同じこと。拾われた恩を返すのに、名声など必要ないのだから。
ただそれでも何故か、俺の内心は暖かな心情に埋め尽くされていた。ファミリーを思うのならば、名を貰うというのはきっと違うはずではある。だが自分で自分のことが分からないと言う、今までにない初めての感覚。そしてやはり、最後に感じたのがいつかすらも覚えていないその感情――。
「……俺が剣を捧げたのは、あなたお一人です」
次に感じるのは、いつになるのか。
眠る様に横たわるアリア様に、俺はそう告げた。
朦朧とした意識の中、遠くから声が聞こえた。
「感染レベル……5だ」
「残念だが、この患者も」
「ああ、旅行者とは気の毒に……」
聞こえてきたのは、お世辞にも良いとは思えない事。恐らくは管を繋がられながら横たわる俺に、医者辺りが防護服越しに眺めながら話しているのだろう。そのお陰で意識が多少戻ったことに、俺をして何とも言えない虚しさだけが残る。
アリア様が病によって亡くなられたあの日から、およそ数週間が経ったといったころ。俺は仲間たちに断りを入れ、また各地を回る旅を始めた。そのせいでワクチンの発見されていない流行病にかかる、などとは思いもよらなかったが。
ただ、たとえそれが分かっていたとしても俺は旅に出ていたことだろう。無論、回る地域を変えるの自体は当然ではある。そしてそれはひとえに、今のジッリョネロファミリーに疑問を抱いてしまったことから。
亡くなられたアリア様に実の娘――ユニ様がいたという事実。DNA鑑定からも間違いのないそれに、誰一人知る筈のなかった仲間たちは驚愕を隠しきれなかった。
それは俺も例にもれず、その中の一人として。だが裏の世界の住人であるアリア様が、短い間だろうが一人の女性としての幸せも送っていたということ。そのことに喜ばないファミリーは少なくない。そして俺は、その例にもれた少ない一人であった。
ユニ様が悪いわけではない。ただ時期が悪かった。今でなければと、思わずにはいられない程に間が悪すぎた。
何故ならボスのいなくなったジッリョネロファミリーは、掟として直ぐにでも次のボスにユニ様を据えなくてはならない。話を聞く分には、つい最近までアリア様がマフィアであることすら知らなかった一般人。それも未だに少女の域を出ることのない、まだ幼い身であるにもかかわらず。
そんな少女にファミリーがまとめられるとは思えない。そしてそれ以前に、アリア様がユニ様を一般人として育てていたということ。それらから、俺はユニ様をボスに据えるのは反対であった。
だが掟とは、それこそファミリー結成時に作られたもの。破った前例を容易くつくってしまえば、それこそ将来ファミリーの崩壊を招く恐れがある。それに俺はアリア様直々のスカウトとはいえ、他のファミリーと比べれば入ってからの日も浅い。厳粛な掟に対する影響力は、俺にはなきに等しかった。
だから、ガンマだった。生まれつきということもあってファミリー内でも古株。若くこそあるが、それでも実力については申し分ない。そしてアリア様に特別な感情を持っていたように見えたガンマなら、恐らく彼女をボスにしようとは思わない。
どれも、そう考えての言葉だった。全てはファミリーの、そしてなによりアリア様の娘であるユニ様の未来を思って。そのためにガンマを煽り、危ない時は身を挺してでも庇うつもりではあった。
『俺があんたを、命がけで守る』
その筈が、ガンマがユニへ向けた言葉。それによって全てが無に帰した。推し進めるかのような発言をしていた俺に、もうそれを止めることはできない。
足りぬ頭を振り絞るべきではなかったのだろう。その結果がファミリーに対しての疑問を感じさせ、何よりガンマに対してそれを強く思わせた。さらにはそこから少しの間ファミリーを離れようとして、結果は今のような生き地獄。
体の所々から滲み出てくる血に、また意識を失わせんと暴威を振るう高熱。痛みこそないが、むしろだからこそ恐ろしい感覚のなさ。見かけにしても、体中は音に聞く怪物のように包帯まみれ。感覚から包帯によって片方だけ見えている俺の目、恐らくは充血に赤く染まっていることだろう。それはいつか倒れたときよりも惨い、まさに生き地獄といった言葉に相応しく感じる。
しかも情けないことに、ここにきて涙が止まらなかった。熱による生理現象以上に、片方の目だけから溢れるそれ。止めようとは思っても、初めてのことに何をどうすればいいのかも分からない。
いつだって覚悟はあった。それこそアリア様に拾って頂くよりも前から。剣をふるって、剣を握りしめたまま果てるのだ――と。だが、今はどうだ。剣を振るうどころか、持つことすらもできない。それに情けなさを、悔しさを感じずにはいられるはずもなかった。
ただ、それでもだ。今の俺には、もっと情けないことが別にある。そもそも俺は、この街に何故来た? それは考えの掴めないファミリーから離れ、自身の頭を冷やすため。行動はどうあれ、ファミリーのことを考えてだ。
だが、今の俺はただ怖い。
このまま死んでしまうことが、ただ恐ろしい。
ファミリーの心配など欠片もなく、ただそれだけが占める俺の内心。仲間に最強の剣士と謳われた俺が聞いて呆れる。旅に行き倒れた時すら、確かそうは思いもしなかったことであるはずなのに。
そしてそうまで考え、俺はふと思い出した。
それはアリア様も、病によって亡くなられたということ。果たしてそれは、どのような気持ちであったのか。気を遣って終ぞ、連想するようなことも聞いたことのないそれ。それが突然気になった。
何故なら俺とは違い、アリア様にはユニ様がおられた。マフィアのボスにしてお優しいあのお方、そんな人間が実の娘をマフィアの世界に一人置いていく。たとえ本人が望んでいるとはいえ、俺達がいるとはいえのその行動。一体どれほどの、覚悟と心の強さがあったというのか。
事が起こってから今になって。それも少しの間とはいえ、ファミリーから離れた俺の思いではある。だがもし過去に戻ることが出来るのなら、せめてその最期に立ち会えたのなら。一言だけでも言わせて頂きたい。今までの感謝と、これからのこと。安心して俺たちに任せて頂きたい――と。ただそれだけでも、アリア様に伝えたかった。
だが、またこの意識が薄れようとしていく感覚。恐らくもう、さっきのようにまた目覚めることはない。結局ファミリーには帰れなかった。行き先は告げていないのだから、ガンマ達が報せを聞くのは恐らくは時間の経ったあと。
きっとその時、怒るのだろう。
アリア様にも、怒られるのだろうな。
意識が戻ってくるのを感じた。
再び意識が戻ったということ、それに少しの動揺を覚えながらも目を開かせる。鉛のように思い瞼を上げ、見えたのは不思議な光景たち。
それは用途の分からない、複雑な多くの機械。ダルさのある体の代わりに視線を動かせば、俺の体に包帯ではなく真っ白な病院服も映った。
「あの世というのは、存外近代的なのだな」
呟くように出した、自分でもそこまで本気ではない言葉。思いのほか掠れていたが、それでもあの状況から出せた言葉ではある。ただそれだけに、意識を失ってから随分と時間の経っていることが分かった。
「それは、ちょっと物騒過ぎないかな……」
聞こえて来た、呆れたような声の方へ視線を向ける。独り言を聞かれていた事。それに少しの気まずさを感じながら、移ろう視界に映ったのは一人の男。
防護服こそ着ていないが、それでも白一色に染められた上下の白衣。一見医者のように見えるが、目を引くのはその髪色。白衣と同じに際立つその白。それを視界に収めた俺は、驚き以上の警戒心をもって目を限界まで見開いた。
「えっと、初めましてだよね?」
男は俺達ジッリョネロファミリーが近頃その動きを警戒している、ジェッソファミリー――そのボスを名乗っている白蘭という男。その白蘭が今、敵対しているファミリーの幹部である俺の前にいる。動けない俺は何の抵抗もできないだけに、警戒するのは当然と言えた。
だがその警戒も直ぐに収める。何故なら今の俺の体調、どう考えても何をされようが抵抗のしようがないのは確か。なおかつ未だ酷いとはいえ回復に向かっている体調に、あからさまな思惑が見て取れる白蘭の服装。
「俺を……治したのは――」
「うん、僕だよ」
言い辛くしている俺に気づいたのだろう。わざわざ俺の言葉を遮り、白蘭がそのまま語り続ける。
「別に何も気負うことはないよ。偶々僕が担当してる所に君がいただけだし」
「担当……?」
回復してきているとはいえ、やはりまだ弱っていることには変わりないのだろう。瞳から嘘偽りがないのを確信した俺は、けれど疑問に思った単語そのままを気づけば口にしていた。だが白蘭は、そんな疑問にひとつ微笑むと分かりやすいよう説明をし始める。
端的に言ってしまえば、それはファミリーを挙げての慈善事業。俺のかかった病を完治させるワクチンが見つかったため、流行る町に赴いては無償でワクチンを配り回っているという。
「重ねて失礼だが、あのジェッソファミリーが?」
我ながらではあるが、こう尋ねてしまうのも無理はない。何故なら近頃勢いに乗るジェッソファミリーは、マフィア界においてその黒い噂に事欠かない。中でも際立ったものが、最近になって注目され出した死ぬ気の炎。その兵器実験を数多の企業を買収して行い、素質ある難病者や孤児の兵士化なども行っているという。
それらはジッリョネロファミリーお抱えの情報屋からの。ジェッソファミリー自体からそんな悪評を流したものでもない限り、その真偽は限りなく確か。間違っても慈善活動などをするファミリーではない。
「まあ、そう思われてるのは知ってるよ。だけど、話は変わっちゃうんだけどさ。実は僕、今までとんでもない失敗を何度も繰り返してきたんだ。あと一歩間違えたら、大切な人がいなくなってしまうような――本当に大きな失敗をね」
「相手を思いやるのは確かに大切だと思う。それだけは、絶対に忘れちゃいけないことだ。だけど、しなくちゃいけない時があった。無理やりじゃなくても、動くことで変われたこともあったはずなんだ」
「だから――僕は決めたよ。一線は守るけど、もう絶対に自重だけはしないってね」
この活動もただそれだけだよ――そう語る彼の表情はとても苦く、心からの悔しさを表している。だがその瞳には、それ以上の強い意志や決心が見て取れた。
そしてその瞳は、以前もどこかで見た覚えがある。ただ思い出すのはすぐだった。他の誰でもないこの俺が、その瞳を通して見る誰かを忘れることのできるはずがなかった。
――
あることを決心して直ぐ。会話の中で戻って来た、なけなしの力をこめて横たわる体を起き上がらせようとする。それによって数こそ減っていたが、それでも繋がられていた幾つかの管が自然と離れていった。
それを見ていた彼は俺の事を慌てて止めようと動きだす。それに思った通りの男だと、嬉しく思うがこそ止められるわけにはいかない。止めてくれるな――そう、今にも閉じてしまいかける視線だけで訴えた。
彼はそれに動きを止めた。視線を察してくれたのだろう、それにひとまずの満足を覚える。そしてその後、また再び悲鳴をあげる体を無理やり動かし始めた。
脛の部分で体重をかけて基点を取り、彼に向かって面と向かいながら足を揃えて腰を下ろす。両手は自分の前へ、肘を僅かに曲げ伸ばしそのまま。
「恥を承知で、お願いさせて頂きたい」
視線同士を交差させながら言葉を出していく。遊びなど一欠けらもない、誠心誠意をもっての言葉。
「どうか――」
言葉を、相手へ語りかけながら状態をおもむろに倒していく。筋肉が、関節が叫ぶように悲鳴を出そうが関係ない。それら一切合切を無視し、ただひたすらに心から浮かぶ言葉を繋げた。
「我らジッリョネロと合併して頂きたい」
それは、『土下座』というもの。
極東の島国にて、最上級の懇願を意味する一つの礼儀作法。いつだったかアリア様に教えられた、俺の出来る文字通り最高の懇願法。
ただそれだけで、いきなりで何のことか分からないだろう。そんな彼に向けて、頭を下げたそのままでどういう意図があるのか説明をする。
「ボスであったアリア様が数週間前に死去され、今は一人娘であるユニ様にボスを務めて頂いています。しかし、ユニ様はあまりに幼い。裏の世界にて。あのような御心では耐えられるとは思えませぬ。叶うのであれば、アリア様のご息女には人並みの幸せな人生を送って頂きたい」
「そのためどうか、お願いいたします。せめてユニ様が成年なさる頃まででも、合併もしくは同盟でも構いませぬ。我らジッリョネロに、ユニ様に助力をお願い頂きたい」
「であれば、このようなことをボスのおらぬ場で話すような我が身。どのような苦行だろうと受け持つ――貴方だけの剣となりましょう」
そう言い切り、少しの間を無言の空間になる。自分から言い出したことはいえ、何とも心落ち着かない時間。幾度となく死線を潜り抜けて来たが、恐らくこの時以上に緊張した瞬間は今までにないだろう。
「顔を上げなよ」
ほどなくして声をかけられ、その言葉通りに軋む体に鞭打って動かす。図らずも見上げる形となった彼の顔は、どこか心苦しいように見えた。
「何でもするんだよね」
俺は僅かな間を開けることなく、すぐさまに首を縦に振り肯定した。発した言葉を変えるつもりはない。それは文字通り、どんなことだろうと受け入れる覚悟で言ったのだから。
「なら、マーレリングとってきてよ」
そうしたら、君なら分かるよ――言い残した彼は、それ以外に言葉はないとばかりに俺のいる病室を去っていった。俺は一人で、下された命令について心の中で反芻する。
――マーレリング。
代々ジッリョネロの守護者たちに与えられる、かのボンゴレリングとも力や価値が同等のリング。ジッリョネロの紛れもない宝であり、象徴そのもの。
それを盗む。一つだけなら今も俺が持っている。だがそれを知っているだろう彼は、恐らく全てのことを言っているのだろう。
迷うことはない。条件を下されたと言うことは、それすなわちこちらの提案にのって頂ける余地があるということ。全てはファミリーのため、ユニ様のため――アリア様のために。
ただもし今度こそ死んでしまえば、怒られるだけでは済まないだろう。それだけが、俺の中で唯一の不安だった。
決まればことは早い方がいい。そうして体を癒した後、彼と接触したという噂の流れる前にジッリョネロへ帰る途中。
そのとき偶然ヴァリヤーの剣士と出会ったが、これは逆に都合がいい。幻術を用いてある程度善戦したように敗北し、怪我を負ってしまったという体でジッリョネロの拠点に着いた。
「どうした!?」
「お前ほどの男が一体誰にやられた!?」
ガンマたちファミリーの仲間が口々に俺の容態を心配する。これから行おうとしている裏切りを前に、心苦しいがそれでも背に腹はかえられん。
少々手荒にはなるが、恐らく駆け寄ってくるだろうユニ様を人質に。その後リングを持つそれぞれから差し出させる形が理想的だろう。
そう考えれば、案の定ユニ様が駆け寄ってくる。
「姫、申し訳ありません……」
紛れもない、本心からの言葉。ただそれは独断でヴァリヤーの剣士を倒そうとした、ここに来る前に考えておいた嘘偽りではない。これから行うことへの、本人へ向けた前提の謝罪。
伝わる筈もないだろう。万が一に伝わったとて、ふざけるなと罵られることだろう。だが俺の中にいるせめてもの、今さら良心とすら言えないちっぽけな何か。それに俺は、言わざるをえなかった。
「何も話さないで、傷に良くないです」
駆け寄ったユニ様は、幻術で作られた偽りの傷を負う俺にそう言葉をかけた。お優しい、口から溢れかけた言葉を必死に押しとどめさせる。
今バレてしまっては、俺はただの裏切り者として始末されるのみ。一歩とは言わない、せめて後半歩ユニ様が近づいた時。それだけの距離ならば、確実に身柄を抑えることができる。
「それに――」
踏み出した。ユニ様が、言葉と共に俺の方へと一歩踏み出した。
それをしかと認めた俺は、悟られぬよう手に死ぬ気の炎を集める。霧の炎で構築するは、俺自身日頃から慣れ親しんでいる一振りの剣。その剣をもってして、ユニ様の身柄を抑える
「あなたの気持ちは分かりました」
体が硬直する。偶然とは決して思えない、紛れもなく俺がせんとすることに対して語った言葉に。俺は手に集めていた霧の炎を離散させ、体を固まらせた。
一体いつから、どこから漏れたのか。いや、それ以上に何故――何故分かっているのに放って置く。俺が行おうとしたことは、決して許されざること。たとえ元は一般の出だったとはいえ、それさえ分からない筈もないだろうに。
「そうさせたのは、私ですから」
内心で混乱する俺へ向けたその一言。それは先ほどとは違う。俺だけに聞こえるような、とても小さな声。
だがそれで分かった、ようやく気づけた。
俺は、勘違いしていたのだ。アリア様の娘は、我々が何に変えても守り抜く存在だ――と。一般家庭出身のユニ様には、マフィアの裏世界にはとても耐えられないのだ――と。
そんなことがある筈もない。何故なら俺は目の前で俺を見つめる、そこから見える面影を知っている。拾われたあの日から、それこそ嫌というほどに。
ただ、面影だけではなかったのだ。その苦悩と覚悟をたたえた瞳。そしてそこから伝わる心の在り方。彼女は俺が思っていたよりも――ずっと強かった。
たとえ足りない部分があったとして、それがどうしたというのか。俺が、俺たちが支えればいいだけだ。それがファミリーなのだから。
ああ全く、今日ほど霧の属性をもって生まれたことに感謝したことはないだろう。
「本当に、申し訳ありません……」
きっと今の俺の顔は、見れたものではないから。
「ただいま戻りました」
ミルフィオーレ日本支部、メローネ基地から本部へ。ことの報告をするため急ぎ戻った俺は、目当ての部屋にて膝をつき言葉をかける。
「あ、おかえり。十年前のボンゴレⅩ世はどうだった?」
俺はあの一件でユニ様のことを改めて知ることが出来たが、それでも一度は誓ったこと。
それに元々合併はするつもりだったらしい。もういいとも本人から言われたが、押し売り気味に合併に向けて色々と奔走した。そしてその結果と言っていいのかも分からないが、本物の霧のマーレリングも預からせてもらっている。
ただ、元ジッリョネロの仲間たちからすれば裏切り者に変わりない。ガンマ達の視線や言葉に、時に耐えがたく思う時もある。
だが失いかけた命を救ってもらい、見失いかけた忠義に気づかせて頂いた。これを返さねば剣士だけでなく、ただの人としても名乗ることができなくなってしまうだろう。
「未だ力及ばぬところはありますが、修行次第で近いうち期待にも応えられましょう」
「うん、君がそういうのならきっと大丈夫だね」
俺は白蘭様の行おうとしている、その計画の全てを知っている。それは他の
そしてだからこそ、やはり思ってしまう。俺にもっと力があれば――と。いつだったか手に入れた、献上した際に封印されたヘルリング。それが使用できたのならもしくは――と。何もあれがなかったとして、今の俺なら十分に大戦装備を扱うことはできる。だがやはり、あるのとないのとでは明らかに差が出るもの。どうにか使用の許可を得られないだろうか――と、そう切に思う時がある。
そんな俺のことを見透かしてか、葛藤している俺に白蘭様が声をかける。
「君は十分よくやってくれてるよ。それは他のみんなも同じ。だから実力を疑ってるわけじゃないんだ。でもやっぱり僕は、主人公にはなれないから」
「全く、本当によく出来た世界だよ。主人公でもなけりゃ救える気にすらならないなんてさ」
「ごめん、話がそれちゃったかな。ただこれだけ話してなんだけど、言いたいことは本当に少しだけだよ。それも全部知ってる君に言っても、きっと全然説得力なんてないんだろうけどさ――」
「無理だけはしないで欲しいんだ。それだけでも、覚えてくれると嬉しいかな」
言葉通り白蘭様の言葉は、俺をして少しだが説得力がないと思わせるもの。そしてとても弱々しく、今にも砕けてしまいそうな表情だった。
そのためアリア様、申し訳ありません。俺はまだ、そちらにいく事はできそうにありません。まだやるべきことが残っているため、お会いするにはまだ時間がかかりそうです。
それに新たに二人、忠誠を誓ってしまいました。
ただ俺には――。
四つも剣がありますから、少しはいいですよね。
幻騎士。
敵を欺く忠義の騎士。
あなたに頂いたこの名前。
今は新しき主たちの為に振るってみせましょう。