[chapter:パラレル:嵯峨政宗の場合]
「ねえ律、いつ俺と付き合ってくれるの?」
『図書室の君』に好きと言ってしまってからの俺は少し変だ。あの瞬間から俺の中で何かが壊れて新しく何かが生まれた。
それは言葉にするならば執着とかいうものになるのかもしれないけど、おそらくそんな軽いものではなくて、もっと傲慢で強烈で自分でもコントロールできないほどの強い想いだった。
ああ、妄執か?そっちの方がしっくりする。
とにかく迷惑だろうと鬱陶しがられようと今は俺を知ってもらって言質を取るしかない。俺は見かけるたびに傍によってはそんな言葉を投げていた。
「嵯峨君、付き合うのはいいんだけど俺と付き合ってどうすんの?先輩と後輩のままでも同じだと思うんだけど?」
しかし図書室の君、小野寺律は毎回そう言って俺の髪を撫でて軽くかわしてくる。嫌だと拒絶されないから俺は期待を持ってしまうのだけど、今はその態度にイラつきを覚えてしまう。
「嫌なら嫌ってはっきり言って。」
そう言えたらどんなに楽だろう。でもあの綺麗な顔で、あの優しい言葉を紡ぐ口で、俺を拒絶する言葉を告げられたら・・・。
そう思うだけで怯えてしまう。だからいつも本気を隠したふざけたような態度で接してしまう。いつも冗談としか取れないような自分の態度にイライラが募る。
かっちりと詰まった襟元から春になって、初夏になって、梅雨に入り夏が来た。
初めて近くで触れ合った時のその身体を覆っていた黒い制服は消えた。
白いワイシャツの襟は一つだけボタンが外され時々つつっと汗が襟足から流れ身体を這う。
その行く先を艶めかしい想いで見つめる俺が、単なる後輩でいられるはずがない。心がだめなら身体だけでもと何度思ったことだろうか。
でもそうすれば本当に何もかもを失ってしまうだろう。なんでこんなに苦しい恋をしてしまったんだろう。
そんな風に思いながら時に請われて女の子と付き合ったこともある。律のことを忘れられるのではないかと相手を一生懸命好きになろうとした。
でもだめだった。
なんで俺の目には律しか映らないんだろう。この人の何がそんなに俺を引くのだろう?
ずっとそんな風に思ってきたけど最近それがわかって来た。
この世界は律の世界なんだ。俺はそこに登場する Moving object、所謂モブ・・・。
だから俺がどんなに自分中心で物語を完成させたいと思ってもだめなんだ。俺が想いを遂げるためにはやっぱり律を手に入れるしかない。
俺の人生の主人公は俺じゃなかったんだから・・・。
「嵯峨君、俺と付き合ってどうすんの?」
何度目の問答だろう、今日も律がそう俺に聞いた。でも今日の俺はイチャイチャしたいとかふざけた言葉で場をごまかすようなことを言わずに律の視線をきちんと受け止めて答えを返した。
「律と一緒にいたい。友達でも先輩後輩でもなく律の物語の中の一番大事な時にいつでも隣に居てかかわれる立場になりたい。律の心も身体も全部が欲しい。だから付きあって下さい。」
俺がそういうと律がいつもと同じようににっこりと笑ったのだが、今日は続く言葉が違った。
「やっとちゃんと答えてくれたね。じゃあ俺は嵯峨君と付き合うよ。」
律はそういうと交わっていた視線を俺からすっと離した。
いつもきちんと視線を合わせて話をする律には珍しいしぐさに、先ほどのイエスの答えにざわめいている心がさらに躍る。
「でもこれだけは覚えておいてね・・・。」
ためらいがちの言葉は少しだけ語尾が揺れて言うべき言葉に戸惑いがあることがうかがえる。
「俺の全部が欲しいんだったら嵯峨君も俺に全部をくれなきゃね。勝手な自己完結でフラフラしたら駄目だから。」
言われている言葉の意味を理解するのに少し時間がかかった。
俺がきちんとした答えを返せない間、律もまた思うところがあったのだろうか?俺がこの間にほかの子と付き合っていたことも知っているのだろうか?
これは律の独占欲なのだろうか?
急に居たたまれなくなって、付き合っていない間のこともまるで自分の不貞のように感じ後悔すると律が俺の髪をいつものように撫でながらにチュっとキスをした。
「髪の毛へのキスの意味知ってる?」
髪の毛へのキスの意味?
知らない・・・。
「ずっとそのつもりで髪をさすって来たんだけどね。調べておいてね。」
律はそう言って広げていた参考書を片づけ始めた。帰る準備だと悟りそれはこの話の終わりを意味する。
「待って。」
そう言うと同時に身体が動いた。
俺の目には律の桜色の唇だけがスポットライトを浴びているように浮き上がって見えてぶつかるように自分の唇を押し当てていた。
女の子とキスした時は手順に沿ってかっこ悪くないスマートなキスの仕方を脳内に浮かべる余裕があった。そして妙にねっとりとしたグロスの感触が気持ち悪いなとか、化粧の匂いが臭いとか、息って鼻ですればいいのか?とか、つばがつくのってあんまりいいもんじゃないなと、冷めた自分がいて思ったより気持ちよくないことにがっかりしていて変だった。
でも今はそんな余裕はない。
カッコイイとか悪いとかより目の前の律の唇を奪いたい一心だった。
長机の上に押さえつけられている律が、苦しそうに吐く息が艶めかしくて、脳の中心がピリっとしびれるほどに気持ちいい。鼻の奥に律の香りが感じられて今律の一番近くにいることに感動さえしていた。
もっと、もっと近くに・・・。
今となってはそれほど俺と体格の差がないように見えた律は、しかし腕に収めてみると存外華奢だった。
その細い肩を抱いた瞬間、妄執の中の独占欲が征服欲と入れ替わる。
「嵯峨君!待って!」
律が小さく悲鳴じみた声を上げる。
「待てない・・・。」
俺の声は低くて冷酷だっただろう。
律の都合なんて、もはや俺の中からすっ飛んでいた。うるさい口はもう一度とふさいでしまえと、緻密に先を計算する冷静な自分の他に、獣のように捕食者を放さじとしている自分がいる。
これが同意の上での行為ではないことなど百も承知だ。夫婦間でさえレイプは存在する。わかっているけどどうにもならない。
何より男とはなんという生き物なのだろう?さすりあげれば律のそれはきちんと反応を示したのだ。
「どうして・・・。こんな乱暴な・・・。」
ふと冷静さを取り戻したのは律が腕の中で小さくそう言って泣いたから・・・。
うろたえた俺の一瞬の攻撃の手の緩みで腕から逃れた細い腕は、俺の頬に強烈な痛みを与えた。
俺はその瞬間急激に今に引き戻されて、腕の中のつい今恋人になると告げてくれた人物の乱れた姿を目にしたのだ。
『この綺麗な人を汚してしまうところだった?』
後悔は底なしの羞恥を引き起こし、自分がどれほど穢れた存在かを思い知らされた気がした。
触れるわけには行かない。心の奥に巣くう深いカオスは律まで浸食してしまうのだろうか。
居たたまれなくなってその場に律を置き去りにして俺はひたすらどこへかと逃げ出した。目的地もなく、求めるものが何なのかを棚上げにして飢え切った欲だけを孕んだまま。
▽
その日から俺は図書室へは行かなくなった。
せっかく欲しくて欲しくて夢にまで見た律が俺を受け入れてくれると言ったのに、もう顔を見ることもできない自分になってしまった。
ひどいことをした。怖がらせて泣かせた、男同士だからそんなことを予想もしていなかっただろうに・・・。
少なくとも嫌われてはいなかっただろう。
そして自分を慕ってくれている可愛い後輩がずっとそう言ってきていたのだから、優しい律ならば俺の望みをかなえてもいいと思ってくれたとしてもおかしくない。
近づかなければよかった。
なんであの時傍に行ってしまったんだろう。
いや、あの後だって冗談のふりのままいればよかった。
この絶望は、まるで身体が四方から強い力で引かれ裂けていくような痛みだ。
暗闇はいつだって簡単に人を溺れさせる。
その居心地の良さが誤りだと気づいても、もはや一人ではその深淵から抜け出すことなどできない。
がっつりと俺を咥えきっている。
▽
「あなたは誰ですか!?」
騒がしい。
遠くで聞こえるのは言い争いの声・・・。
「いいからもう出てってください!この子は未成年ですよ!わかってるですか!?」
律・・・、の声に似ている・・・。
とうとう幻聴まで聞こえるようになったのかな?
ふらふらと夜の街をさまようと、案外自由に飲み食いさせてくれる『お優しい人』が多いことが分かった。
俺の見てくれがそれなりにそれらの代価になるらしい。
こんな親にも愛されない器の何がいいんだか。
あの人が欲しいと言ってくれないならなんの価値もないのにな・・・。
ぼんやりとした意識はアルコールのせいだと分かっていた。
どうやらアルコールは人を苦しみから解放してくれる作用があるらしい。魔法のような飲み物だな・・・。
いろんな人が俺の身体をさすったり舐めたりしたような気がするけどどうでもいい。
嫌なこと全部忘れることができればどうでもいい。
パシッ!
今までの花園のような空間から一気に重苦しい世界に引き戻したのは頬に与えられた鋭く冷たい痛みだった。
ハッとして目を開くと目前にはやさしさのかけらもない冷たい緑の双眸があった。
もう一振りと振り下ろされた手が、星が飛ぶような激しい衝撃を俺の頬に与える。
「君は!なんで!」
大きく見開かれた目から滴がパタパタと垂れて俺の頬に落ちる。
「律・・・。」
間抜けな声は自分でも呆れるほど切迫感がなく、いつも優しい笑顔しか見たことのなかったその人の眉間に深く皺を刻ませた。
「『律』じゃない!」
ほぼ裸同然の身体の上に馬乗りになった律は、肩に手を置いてまるで叫ぶようにそう言ってワッと泣きだしたのだった。
「女の子の方がいいならそう言えばいいだろ!?なんでこんなことを・・・。」
先ほどの激しさとは打って変わってヒクヒクとしゃくりながら尚も発する言葉はもはや意味不明で、俺は相変わらず言葉を発することはできなかった。
「付き合ってくれって言いながらほかの子と付き合ったり、キスをしたと思ったらいきなり消息不明になってほかの女の子とこんなことしてたり。君は俺をどうしたいんだ!」
女の子がいいなら?女なんていいわけない。律がいいんだ俺は・・・。でも・・・。
「律が嫌だって泣くから・・・。」
あの時律が泣いたから俺は恐ろしくなって逃げたんだ。律からも現実からも。
「嫌だなんて一言も言ってない!待てと言っただけだ!あんな場所でいきなりそんなことできるわけないだろ!」
怒っている律の声は語尾こそきついけど震えていて俺の胸を苦しくさせる。俺はまた何か間違えたのだろうか。
見ているだけでよかった。
でも触れてしまった。
いつもふざけた態度しか取れなかった。
でも好きを手放せなかった。
あふれる気持ちは止められなくて泣かせてしまった。
でももう気持ちを止められない。
逃げた、沈んだ、自棄になった。
優しい人を心から怒らせた・・・。
「どうやればいいの!?言えよ!」
ひたすら困惑に言葉を失っている俺をにらみつけたまま律が俺にそういうけど言われている意味が解らなくてまた言葉が発せない。
床に転がっていたミネラルウオーターのボトルをベッドから降りた律が拾い上げて、俺の腹にそれをバシャリと撒いた。
「!」
冷たさに驚いて上半身を上げようとすると律が膝で俺を押さえつけながら上着を脱いだ。みぞおちに入った律の膝が思いのほか痛くてすきっ腹に響く。
「動くな!」
低い律の声が耳よりも腹に響く。
「お前俺を抱きたいの?抱かれたいの?どっちだ?」
「え?」
「男同士なんだからどっちかがどっちなんだろ?お前この間俺のを勃たせたよな。やられたいの?」
上品な律の口からあれれもない言葉が出て驚いていると「男なんだからやりたいんだろ!?いいよ、相手してやるよ。」と尚も俺を責めるような言葉が続く。
「やったばっかりで勃たない!?」
裸の俺の股間を律の手がまさぐりつかんで扱く。
「な!」身を引こうとするとグイッと力いっぱい握られて、快感より痛みで身体に力が入る。
「動くなって言ってるだろ!」
緑の瞳に睨みつけられて何もできずにいると、今度はヤワヤワと握られて先端の敏感なところを割るように摩られてあっという間に身体が律に反応していく。
律が腰骨に齧りついて内またまで舌で舐められて、質量を増す下半身につい「クッ」っと声が漏れてしまう。
おもむろにズボンを片足だけ脱いだ律が俺にまたがり、それを自分の尻にあてがいツルツルと格闘をし始めるけど、どうやら思うようにいかないようでいままでの怒りに満ちていたきつい顔がどんどん歪んでいき、とうとう上げていた腰をぺたりと俺の腿に落とし「だめ・・・。やっぱり無理・・・。」とつぶやいたのだ。
困惑して気づかなかった俺だけど、パタパタと腹に落ちる涙を見ているうちに、実は律が必死で行為をしようとしていたことを悟った。
「もうどうしていいかわかんないよ。」
いつも涼しげに余裕の笑顔を見せる大好きな人は、今は顔を覆ってしくしくと泣いている。
震える肩は頼りなげで、それはとても年上には見えなくて同じようにぐるぐると迷い悩む人間なんだと思えた。
「動いていい?」
律にお伺いを立てると律は顔を覆ったままスッと身体を横にずらした。重さの無くなった腿には律の片足がまだ乗っていて、その白い露わなった脛をさすると律がやめろよとでも言いたげに片手でそれを払った。
「ごめん、俺いっぱい汚れた・・・。」
それは実質的な不潔という意味だけではない。律を汚しそうな自分への不快感からさらに自分を貶めようと人の手で身体を汚しまくった、そういう意味での汚れだ。
「さっき清めた。」
律が短くそう言った。
「清めた?」
なんのことだ?と思いながらそれと同時に律に水を掛けられたことを思い出していた。
「だからもう汚くない。」
律は赦してくれたということなのだろうか?今汚くなければあなたに触ってもいいのだろうか?せっかく清めてもらっても、あなたを汚すかもしれない俺なのに・・・。
いや、律は穢れないんだ。この崇高さをもってすればどんなに俺が今汚染されていても浄化されるのだろう。
「もっと律に清めてもらいたい。」
顔を覆っている手をつかんで覗き込むように律に顔を寄せると、伏せられている目が少しだけ上目遣いに俺を見た。年齢より童顔に見えるのはきっとこの清浄な瞳のせいなのだろう。
涙と鼻水でぐずぐずの顔なのにとてもかわいくて、やはり律を前にして俺は理性など保てるはずもなかった。
俺はゆっくりと唇を合わせ、優しく肩を抱き、その弱々しい恋人の身体に強く激しく身を沈めた。
初めての逢瀬はひどく汚れたベッドの上なのに、まるで毛をはがれた白うさぎが蒲の穂綿に包まれた気分はかくもと言わんばかりのゆったりとした至福を感じられたのだ。
▽
目が覚めると腕の中に恋人の姿はなかった。
そもそもなんで律がここに来たんだろう?
ここは女が俺を連れ込んだ安いホテルなのだ。
外から勝手に侵入なんてできないはずだしましてや行為の最中かもしれないのに店が人を踏み込ませるはずはない。
夢・・・?
身体を起こしたらギシリとベッドが鳴って後ろから「起きたの?」と声がかかった。
「律!?」
飛び上がって驚くと目の前の律も俺の反応に驚いたようで
「なにをびっくりしてるのさ?」
と少しだけはにかんだ顔をしていた。
律はシャワーを浴びたようで髪をタオルで拭いている。
「夢だったのかと思ってた・・・。」
ああ、と納得したような顔をしつつ「君はそうかもね。でも俺はとてもとても夢とは・・・。」と恥ずかしそうに視線を逸らす。
律はめったに視線をそらすことをしない。恥ずかしいことや言いにくいことがあるときすっと一瞬そらすのだとここ何回かの出来事で知った。
「君にもいつかこの感じを味わってもらってもいいかもしれないと思うぐらいには身体がダメージだ。」
と、今度はいたずらっ子のように笑った。
それはあの行為での痛みということだと悟って少しだけ俺もきまりが悪かった。
「一人で自己完結しないでって言ったから、もう暴走は赦さない。言いにくいことも聞きにくいこともたくさんあると思うけど、こんな思いをするぐらいならそれを受け止める。」
律がベッドの俺の横にギシっと腰かけてそう言った。
それはいつもの優しい瞳だった。
「なんで俺がここにいることを知ってたの?」
「ふふ、蛇の道はベびだからその筋にちょっとね。」
律がまたいつもの優しい顔で笑ったのだけど・・・。
その蛇の道がどんな道なのか、早速聞くことができず、また一人でぐるぐるとしてしまう俺だったのだ。
<律>-------------------------
いつ近寄ってくるんだろう?
来ないのかな?
可愛いな。
んん、なんだろうどっかで見たことがあるような・・・。
ああ、小さいころに飼っていた黒いラブラドールレトリバーに似てるんだ。
▽
付き合ってくれと言ってからも嵯峨君がずっと何かをぐるぐるとしていたのは知っていた。
そして俺がそれを見て見ぬふりをしたことも事実だ。
べたべたとした付き合いなんてまっぴらだ。どちらか一方が寄りかかって付き合うなんてありえない。
お互いを尊重しあって欠けているところを補い合って、そしてともに高めあう。そんな付き合いでなければ価値がない。
俺は聖人君子ではないから理想だけを押し付けられるのも嫌だった。
俺に寄ってくる人は皆そんなやつばかり。俺を個人としてみようとしない。
▽
君は俺の何が好きなの?
俺じゃなくてもいいなら他に行けばいい。
いつだってそう思ってたはずなのになぜだろう。あの視線がないと調子が狂う。
相手は男だ。なのになんでこんなに浮足立っている自分がいるんだろう。
君が俺に好きだという前から、俺は君の事を知っていたのだと言ったら君はどんな顔をするのだろうか。
髪の毛へのキス:アナタを恋しく思う
まだそれを君は知らない。