ちょっ、ブタくんに転生とか   作:留年生

7 / 13
#07.雑多×不安×試練

 

 突然だが、ミルキ=ゾルディックがこの世で嫌いな言葉が3つある。

 

 一つは、殺人。

 聞くのも吐き気を促す単語だが、なぜか殺人現場を見る事は平気という不思議。

 精神は前世のものであることと、肉体は今世の暗殺者の系譜である断ち切れない因縁を意味する事からも嫌悪している。

 

 一つは、贅肉。

 動作を阻害される上に、汗を掻きやすく息も荒くなる。念願の武闘超人となる道に絶対必須な理想像を破壊する贅肉は、まさに自分自身に課せられた最大の敵だと断言する程。

 更に体に限らず、質素倹約な貧乏性であることからも“心の贅肉”という型月的な意味もある。

 

 そして最後の一つが、脆弱。

 贅肉と重なる意味合いもあるが、如何なる故事、熟語にも、弱者は常に“悪”として記されているのが弱者だ。

 

 ミルキはずっと弱者として縛られ続ける運命にあった。それは自分の才能云々だけではない。ゾルディックという名前もまた然り。

 脆弱な自分を打破するため、贅肉を淘汰するため、誰も殺さぬ強さを手に入れるため、ミルキはずっと念じて来た。

 

 だが、果たして今自分は強くなっているのだろうか?……と、疑問に思う。

 流派東方不敗という最強の師の弟子となったことは、今でもそしてこれからも疑心を抱く事はないだろう。

 だが……自分はどうだ? 強くなっているのだろうか? 脆弱な自分と決別できたのだろうか?

 

 修行を終え、真っ赤に焼けた空を見上げる余裕もない今、ミルキは改めて考えさせられる。

 

「ゼェ、フゥ……ゼェ、フゥ……」

 

 考えなければ、倒れてしまう……という理由からでもある。ネガティブな思考になっているのは、根暗な前世からの要らない遺産だ。

 

 今日も今日とて修行漬けの一日を終えたミルキは夕食を獲りに森の奥へと進んでいるのだが、しかしミルキの体はもうとっくに限界を通りこしていた。

 一度踏み出す度に悲鳴が上がる。息が荒くなる。早く体を眠らせてあげたいのが正直なところだが、腹が減っては床にも着けない。

 未だに脆弱な己を省みて、ミルキは下唇を噛みしめながら罵倒を繰り返するしかない。

 

(あー、くそっ! 体が重い! なんで、俺はこんなにも貧弱なんだよ、ッと!)

 

 呼吸をするに精一杯でその文句はミルキの思考の壁を越える事はなかったが、それでも今すぐ何かに付けてがなり散らしたい気分だった。

 東方不敗シュウジ・クロスという憧憬の師に教えを乞うているというのに、当の自分は相も変わらず駄目なまま。

 前世では仕方のなかった事だと言い訳を考えつけるが、現世でもというのは我慢ならない。

 

 一応、ゾルディック家という高スペックの身体を手に入れ、地獄の約7年間を生き抜いたという根性と忍耐はあると自負できる。

 だが……それだけだ、と。魂魄も前世の物という変わらない現実。さらにシュウジへの崇高の情が大きいからこそ、比例して己を下卑た存在だと思ってしまうのも仕方のないことだった。

 

 しかし、そんな疲労困憊なミルキにお構いなどするはずもなく、“向こう”はミルキの前に現れた。

 

「グルァァァァ!!」

 

「ん……アレは……」

 

 森の中から一直線に、地響きを鳴らして突進する大きな生物を確認する。

 茶色い毛並みと朱い鬣の全高3メートルはあろうかという巨大なイノシシ。

 突き出た牙の隙間から流れ落ちるヨダレが、眼光鋭くミルキを睥睨しながらミルキ目掛けて突進する様は、彼を獲物として認識していることに疑いの余地を持たせない。

 

「バンブロー……今日は群れじゃないのか」

 

 肉食猪、バンブロー。普段は群れを成しているのだが、どうやらハグレらしい。

 一応の食肉。若干の臭みはあり、筋張った肉質だが、ここ数日ミルキの主食を飾っている所為か、すっかり慣れてしまった。

 

「グルァァァァ!!」

 

「………」

 

 バンブローが咆哮を上げると、ミルキの中で“カチッ”という音が彼にだけ聞こえた。

 

 ミルキの雰囲気が変質する。まるで別の部屋に入ったかのような明確な温度差。

 今まで呼吸を荒く、顔色悪くしていた疲労困憊な少年はどこにも居ない。

 暗殺者育成された頃と同一とまで言わないが、これも類似。瞬時に戦闘用への意識転換により精神を鎮静させ、同時に自然のエネルギーたる外氣を取り込む技法。

 

 外氣とは、言ってしまえば食さず得られるエネルギーである。

 ただし、内氣とは水と油。決して混ざり合う事はない。

 人間が自然と一体化できない事と同じだ。

 

 流派東方不敗最終奥義【石破天驚拳】をはじめ攻撃に転化する用法の他に、全身に行き滞らせれば、肉体は一時的に活性化し、ある程度なら疲労を回復することも可能だ。

 

 つまり――、

 

「フ、ッ――」

 

「グ? グガ「シャイニング」っ!?」

 

 決着は一瞬だった。互いの間合いが30メートル。バンブローの速度なら2秒と満たない距離をミルキは一瞬で埋める。

 突如として目の前に現れたミルキの右手は、淡い炎が揺らめくような“氣”が練り込まれてた。

 

「フィンガァァッ!」

 

 タン! とミルキの右手がバンブローの額に直撃する。

 

「っガ、ブガ、ガっ!?!?」

 

 ミルキの右手が直撃するとバンブローが痙攣を起こし、その場に倒れ伏した。

 死んだか?……否、生きている。今のバンブローは小脳にある運動を司る神経組織を刺激された麻痺状態にあるのだ。

 

 ミルキの放った“シャイニングフィンガー”は3本の指先に“氣”を集中させ、対象の額にぶつけることで脳神経を麻痺させる流派東方不敗の技。

 

 もちろんそのまま額を突き破り、殺傷することも可能。また氣弾を放つことで接近せず、中距離からの攻撃もできる。

 だが、流派東方不敗ではそれを禁じ手としている。

 

 それは流派東方不敗が釈尊を護るためにその弟子達が編み出したインド拳法の流れを汲む流派であることに由来し、故に感情の赴くままの破壊を禁じているからだ。

 

 練り込んだ外氣を自然に還し、ミルキはバンブローに歩み寄る。

 

「バンブロー……ありがとう」

 

 ミルキは倒れ、痙攣するバンブローに向かって膝を折り、感謝の一言と共に合掌を捧げた。

 その一言に、今日の糧となり、明日の血肉となってくれる獣と、この巡り合わせと、獣を育んでくれた自然への敬意と感謝を示している。

 これもまた、シュウジより教授された流派東方不敗の心構えの一つである。

 まるで……というのは錯覚だろうが、ミルキが文句を吐き終わると、バンブローが痙攣を止め、ゆっくりと安心したかのように、意識を落としていった。

 

「ミルキよ」

 

 その背後に音無く現れたシュウジが、バンブローを一瞥してからミルキを見下ろす。

 

「まだ縮地の入りが甘いな。精進するのだ」

 

「はいっ!」

 

 縮地とは仙人の特殊能力で、端的に言えば瞬間移動を指す。

 ただ流派東方不敗の縮地は、足に氣を集中して爆発的なスピードを生見出し、あたかも瞬間移動したように見える歩法を言う。

 シュウジが唐突にミルキの背後に現れたのもそれだ。

 

 もっとも、ミルキは外氣を“把握”している。身に纏って疲労回復するには役立てられるが、しかしそれ以上を扱うことはできないため、オーラを一ヶ所に集める応用技法【硬】を用いている。

 それでも修行不足は否めないが、実戦で一度きりならば……合わせてミルキが今日まで育てて来た肉体の瞬発力を相乗させれば、余程の実力者でもなければ初見では間違いなく動きを見失う加速が可能となる。

 

(最早体力の欠片も無い状況であそこまでの縮地……実に見事、と言いたいところだが……)

 

 ミルキ当人は貧弱と思っているが、しかしシュウジ・クロスを相手に“疲労”程度で済んでいることが、どれだけ凄いことなのかを知らない。

 だがシュウジはその称賛をグッと呑みこまなければならない。

 決して称賛しないというわけではないが、今のミルキにはシュウジの称賛は逆効果……気休めにも成らないと見えているからだ。

 

「ミルキ。これはワシが捌いておく。お前は汗を流してこい」

 

「そうですか? では、お言葉に甘えます」

 

 普段は違うのだが、珍しいこともあるものだと言われた通り、近くの小川で汗を流すべく、フラフラとした足取りで向かった。

 

「……やれやれ」

 

 その背を小さく溜息を漏らし見送ったシュウジは、猪肉を血抜き、捌きながら最近の日課となった問答をする。

 

 題目は、弟子ミルキの精神強化だ。

 

 流派東方不敗の弟子として師事して幾月日。ある程度の基盤が出来ていたミルキは、身体能力の高さも相俟って、それはもう綿が水を吸う勢いで成長している。

 シュウジの驚嘆を呼ぶ勢いの成長速度。だが、当のミルキはそれを知覚していない。

 その理由は、ミルキの精神面に問題があった。

 

(貪欲なまでの向上心……その反面ネガティブ。常に不安を抱えている、か……)

 

 向上心が現状で満足することを阻害する。それは師として育てやすい精神状態なのだが、度が過ぎる向上心が不安心に変質してしまっている。

 丁度イイところで停まって欲しいのだが、そう巧い話はないということだ。

 

 しかもその原因はミルキでなく、シュウジにあるのだから笑い事ではない。

 ミルキは理想の師であるシュウジを神聖視している。その弟子である故に強く強く有らねばと焦燥に駆られ、自身が満足する成果が得られない事が「俺はダメな奴だ」と追い込む結果になっている。

 実際に聞いたことはないが、そうなのだろうと推察は容易だった。伊達に半世紀も生きていない。

 

(ミルキの不安……何とか払拭してやりたいものだが……)

 

 だがシュウジとて人間。更には、武闘家である。

 武闘家とは己の拳をブツけることでしか理解し合えない不器用な存在――との認識が当たり前だったシュウジも例外ではなく、どんな言葉を掛けてもミルキは慰めや気休めとしか受け取らないと思えてならないのだ。

 

 それでも、その資質は素晴らしいものだとシュウジは思う。

 もう間も無く10を数えるミルキが現状の強さなら、20歳になる頃……否、1年を数える毎に大きく成長する見込みは十分にある。

 今後の成長が実に楽しみだとシュウジに思わせる理由の一つが、ミルキの異能【気配透過】だ。

 はじめは、武闘家の頂点を極めたと誉れ高いシュウジ・クロスをしても理解できなかった程だ。

 

 気配を絶つのは、武闘でも虚を突く術として一般的。

 だが、気配を完全に断つことは不可能。必ず何らかの痕跡を残す。シュウジは【円】を使えるようになってから、「絶対に」と断言できうる探索能力を身に着けた。

 

 ……それでも。

 

(ミルキの気配透過は……それすら欺く)

 

 不可解だった。

 所謂、皮膚感覚の延長と言える【円】の内側に入るということは、肌を延々押している感覚にも似ている。

 それを欺いて内側に一定時間居続けることが実際に在り得ている。

 

 そんな奇奇怪怪を体現していたミルキだが、しかし師匠として弟子の動向を把握できないなど笑止千万。

 東方不敗マスターアジアの威信と名誉に賭けて、シュウジはとうとうその能力を理解するに至った。

 

 そのヒント……否、それ自体が答えでもあったが、ミルキの気配透過の正体は……外氣であった。

 

(気配透過は……一種の念能力だった。精孔を閉じたままでもオーラを使えるよう肉体が編み出した……まさに妙技)

 

 シュウジの導いた答え……それはミルキの過信していた答えとは真逆。

 

 気配透過は念能力。

 

 ただし、当然だが普通の念能力ではない。もちろん特質系に目覚めていたわけでもない。

 気配透過は“外氣を用いた念能力”なのだ。

 

(外氣はワシでも視認できん。圧縮せねば触覚でも感知できん。……成程、それならば納得するしかない)

 

 ミルキは操作系念能力者だ。オーラを操作することを伸ばす事に長けた才の持ち主。

 精孔を無理に開けることを拒んだ本能が生存のために外氣に注目したと考えるのは、決して飛躍した考察とも言い切れない。

 

(しかし……氣を扱う事に長けていると言うなら、ミルキの外氣制御力の高さも頷ける)

 

 ミルキは更に一つ、シュウジをしても舌を巻くような現象に片足を踏み入れていた。

 それが、外氣内包のコントロールである。

 

(先程の戦闘……ワシがあの域に行きつくまで、どれほどの歳月を要したか……)

 

 驚くべき成長速度。天才シュウジ・クロスですら、その域に辿り着いたのはずっと後の頃のこと。ただしこれは独学だったことも大きい。

 もっとも、シュウジに師が居ればミルキなど及ばぬ早さで習得したに違いないが。

 

 しかし……だ。天然自然を父母とし、その大いなる力を借り受けるという精神の下に外氣を受け入れるのが流派東方不敗の理念だが、果たしてそのような事を本当にできるだろうか?

 

 通常、内氣と外氣は、本来混ざる事無い水と油。

 更に自然を受け入れる……ということは、己という個を捨てていること。つまり、死を受け入れるに等しい。精神が植物よろしく変質しても、そのようなことは到底不可能。

 故に、大半の“出来のイイ者達”は、外氣をコントロールするに内氣を用いる場合も分離した状態のまま。

 

 だが、ほんの一握りの才有る者達は確かに可能……かもしれない。

 その域に辿り着く事で放たれる流派東方不敗の最終奥義【石破天驚拳】こそが、最終奥義たる真の姿。

 ミルキもその素質は十分にある。その“証拠”が気配透過なのだ。

 

 外氣と内氣は、確かに水と油の関係だが……それが“全て”に言えるわけではない。

 

 人類が一人として同じ存在が居ないように、自然もまた千差万別。

 水の一滴、弾ける火花、咲いた花弁、土の一粒に至るまで、全てが違う。

 世界にはそれだけ多くの外氣を宿す物質がある。

 ならば、その中の僅かばかりでもミルキの“内氣と同調してくれる外氣”も当然あるに違いないではないか。

 

 無論、外氣を体内に吸収することは無理。……だが、体外に“吸着”させるなら?

 例えるなら、泥水に飛び込んで全身を泥水で汚すようなものだ。そうすれば体臭も容姿も判らなくなる。

 

 無論、精孔が閉じたままでオーラを操作することは無理。……だが、体内で“明確な意思”を練り込んで置けば?

 オーラに意思を籠めるなら【燃】を繰り返すことで既に完成していたと十分に考えられる。後は垂れ流しだろうと体外に出すことができればいいのだ。

 

「ミルキの内氣(オーラ)波長に合う外氣は……やはり、水性質か」

 

 自然は千差万別とは言ったが、念能力のように大別できないわけではない。

 四大元素のように、空、火、土、水の4種に別けられる。

 その中でミルキは【纏】を使う際に「揺蕩う水の中に居るようだ」と言い表すことからも、性質は水に近いと考えられる。

 

(……未練だな。ワシは正直、ミルキの向上心が失われるのが恐いのだ)

 

 シュウジはミルキに多大な期待を寄せている。

 幼くして外氣に触れて来た。そんな繰り返し直向きに行われた訓練が、流派東方不敗の真の姿へ……否、ミルキならば“更に先”へと行きつく事もできる。流派東方不敗を更なる高みへと昇らせてくれるに違いない……と、シュウジは何時までも基体を膨らませ続けられそうなのだ。

 

 前人未到の“極地”を……ミルキを通してシュウジも是非に見たいと我欲が湧いている。

 それは今のミルキでなくば行き着く事ができない。そんな妄想が、ミルキを矯正することを半ば躊躇らっている自分をシュウジはハッキリと知覚していた。

 

「フフ……まったく、死んでもバカは直らんと言うが……相変わらず、ワシは哀れよな……。まさか、一人の弟子に此処まで心乱されようとは」

 

 弟子に翻弄されるのはこれで2度目。1度目と2度目では意味合いは違い、また1度目と違って負の感情を抱いていないが、結果論で見ればシュウジは自嘲せざるを得ない。

 

 だが、自分の判断も師匠として間違っていないと断言できるのも確か。

 今のミルキ壊れるか渡り切れるか五分五分という危険な橋を渡っている。

 下手に手を差し伸べると踏み外す可能性すらあるため、今のままで間違いないのだと己を納得させるしかないのだ。

 

 ――と、丁度思考の区切りが良かった。シュウジは背後からミルキの接近を感知した。

 

「戻ったか」

 

「はい。それから、幾つか木の実を採って来ました」

 

 ミルキが服を風呂敷代わりにして大量に抱えて来た大きく白い果実は、柔らかい果肉と甘酸っぱい果汁が滴る森が育む天然の水筒。

 シュウジの隣に腰掛けたミルキに手渡された果実を受け取ると、見た目に判らぬずっしりとした重みが伝わる。

 肉の焼け具合はまだかかる。前菜には丁度イイと、シュウジは口をいっぱいに広げ、被りついた。

 

「うむ、美味い」

 

 森が育まれ幾星霜、人も獣も分け隔てなく口と喉を楽しませ、潤してきた森の恵みが、今己を満たしている。

 喉を鳴らしたシュウジは、隣でシャリシャリと果実を噛み砕くミルキを見下ろす。

 

「……ミルキ」

 

「?……なんです、師匠?」

 

 ごくんと喉を鳴らしたミルキは、シュウジの雰囲気に姿勢を正す。その様子に、小さく笑みながらシュウジは語る。

 

「ワシら武闘家の振るう拳は、何のためにある?」

 

「……それは」

 

 武闘家となる人間にとって、もっとも基本的な原点。それをあえて問うシュウジの意図は、さて置くとしても、ミルキは最も道理と思う解答を口にする。

 

「相対する者を、打倒するためです」

 

 起源は、獲物を狩る事だった。そして同族から奪い従える事と目的は変わっていくが、屈服させること……己が生きるためという目的は、変わっていない。

 

「そうだな。……だが、ただ相手を打倒するだけで終わりではないぞ」

 

「……はい」

 

 打倒するにしても、ただ殴って蹴ってでは武闘家ではない。そんなことは獣にも赤子にもできる。

 武闘家とは、武闘術こそが全て。それしか無い。ミルキも分かっている。だが……。

 

「ワシらは常に武闘家で在るため、こうして修行する。……そして、見よ」

 

 シュウジは燃え上がる焚火の中へと手を伸ばし入れてゆく。武闘家としての在り方を見せるために。

 

「ミルキ。我ら武闘家の拳とは、ただ相手を倒すためだけにあるのではない。……よいか、繰り出す拳の一つ一つを研ぎ澄ませるのだ。然れば、それは己の魂を伝える道具となる。……いつ如何なる時も、努々忘れるでないぞ?」

 

 枝串を掴み取り、焼いていた肉を火の中より生還する。

 火傷一つ無い武骨な手。その拳こそ、シュウジの生き着いた証(こたえ)なのだろう。

 

「魂の……表現。……師匠、俺の拳は……その域に至れるでしょうか?」

 

 ミルキは、その理念を聞くと不安に駆られる。

 一流の武闘家が拳を交えた瞬間に互いの心情が言葉無く伝わるとシュウジは言うが、ミルキはその域に達していない。

 シュウジも……兄弟子ドモン・カッシュですらも、その域に辿り着いたのはまだ先のこと。その考えは傲慢かもしれない……とは思うが、シュウジとの修行で、そのような感覚には一度も巡り合った事がないミルキは死ぬまで辿り着けるのかと不安を拭えない。

 元は一般大衆雑多の一人にすぎないが故に、物語の主人公のような事が起こり得るのかと……。

 

「ガハハ! 何を弱気になっているのだ、ミルキよ」

 

 だがシュウジはミルキの不安を哄笑で吹き飛ばす。

 

「己を信じよ。信じて進み続けた己だけが、真の強者となる」

 

「……」

 

 ミルキはシュウジを一瞥し、そして日の中にくべられた串肉へと手を伸ばす。氣も何も纏わない、ただの手を――。

 

「フフフ……できるではないか」

 

 ミルキは串肉を取り、そして己の手中へと納めた。満足げに笑むシュウジに、ミルキはそれでも不安げな顔を止められなかった。

 

 ミルキは過去、ゾルディック家の私刑にも使われる数々の折檻部屋……炎獄、雷獄、冷獄、毒獄を幾度となく経験した。

 何時間……場合によっては何日もの間、痛み、苦しみ、悶え、惨めにも糞尿漏らして泣き喚いた事も一度や二度ではない。

 その経験が、ミルキにこの程度の炎を物ともしない肉体へと強化させている。

 

 もちろん、今でも少なからず痛みはある。

 今……ミルキはシュウジとの修行で更なる強靱を得ているらしいとしか思えなかった。

 

「そんな顔をするな。今のお前はただ無理に難しく考えすぎているだけだ」

 

「でも……」

 

「強い心は強い肉体に宿る……逆もまた然り。お前は十分に強くなる。ワシが、保証しよう。この東方不敗マスターアジアが」

 

「ッ……師匠ォ!」

 

 じん……と目頭が熱くなる。

 保証される。見込まれている。夢にまで見た東方不敗マスターアジアに、面と向かって言われた事をミルキは生涯の宝としたいと思えるほどに感動していた。

 

「さあ食べるぞ、ミルキ。お前はどんどん食べ、大きく、立派な武闘家となれ。その拳で、己の歩んできた人生(みち)を表現できるようにな」

 

「はい!」

 

 確かに、難しい事を考えるのは……俺には無理だったと、ミルキは苦笑する。

 もともと頭がいい方ではない。なのにアレコレと考えるより修行をした方がずっと有意義なのだ。

 ……きっと、今後も不安の種は芽吹く。幾度狩ろうと絶やそうとしても、種はどこからでもやって来るだろう。

 でも、その度に思い出そう。シュウジ・クロスの言葉を。想いを。願いを。

 いつも己を信じてくれている自分自身を、感謝の限り鍛え上げよう。

 この不安にも負けない強い精神と肉体を鍛え上げる事こそ、己へ課された試練。

 

「佳い顔だ。では改めて問おう、ミルキよ」

 

 そして、

 

「流派、東方不敗は」

 

「王者の風よ!」

 

「全新系列!」

 

「天破侠乱!」

 

「「見よ! 東方は赤く燃えている!!」」

 

 師匠そして兄弟子が信じた流派東方不敗に出会えたという奇跡は、疑いようの無い真実なのだ。

 

 絶対に負けない。ミルキは固く己に誓約し、肉に被りついた。

 

 




 ちょっぴりシリアスで、師弟愛の物語でした。

 気づいた方もいるかもしれませんが「バンブロー」はトリコとのクロスです。……これもタグ載せるべきですかね?

 気配透過に関する改変を行いました。何度も設定変更して申し訳ありませんが、ご容赦の程。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。