Fate/Grand Order―頽廃腐敗都市新宿― 作:ばるく品
常夜の新宿の薄暗い路地裏で、藤丸立香は窮地に立たされていた。そこにいるのは彼の他に、見るからにガラが悪いですと自己主張してやまない奇想天外な髪型をしたチンピラ達。壁を背にした立香を取り囲み、一様に下卑た表情を浮かべている。まんまと捕らえた獲物をどういたぶろうかと舌なめずりをしている。ようするに、サーヴァントのいない立香にとってはどうしようもない状況だった。
取り囲むチンピラのうち一人が、彼の腕を掴んだ。ニタニタと嫌な笑みを浮かべながら、もう一人がドレスの襟に手をかけ、無理矢理に脱がせようとする。殴られるとか、金を強請られるとかならまだしも、予想していた仕打ちとはかけ離れたチンピラの行動に、立香は腕を振りほどこうと必死に暴れた。身を捩りながら蹴りを放つが、すぐに残りのチンピラに足を抑えられる。その様子に、男たちが嘲るような声を上げた。
いくら薄暗いからって女装した男と女を間違えるな!という心からの叫びは、何故か声にならず、代わりにか細く漏れ出したような短い悲鳴が出ただけだった。声が出ない、という事態に彼は目を白黒させた。声にならぬ激情と困惑が脳内を跳び回り、パニックになりかける。声だけではない。そもそもが今回はおかしなことが多すぎた。
地下室を出た立香は、自分の身体の異変に気が付いていた。まず、脚に力が入らない。歩きにくいのは、目覚めたときから履いていたヒールだけのせいではない。右足のふくらはぎから踵にかけて、痺れるような不快な無感覚が巣くっていた。外傷があるわけでもなく、気にせず歩けばいいのか、それとも庇うように進めばいいのか、なんとも扱いに困った。
そして、頭だ。正確には髪だ。カツラでも被らされているのかと思って肩甲骨のあたりまでかかっている髪を引っ張ったら、痛かった。訳もわからず試しに指で髪の毛を一本辿ってみたら、頭皮まで行きついてしまった。つまりは、完全に地毛だった。
目が覚めたら見知らぬ怪しい世界に呼ばれていた、というのは初めてではなかったが、目が覚めたら女装していたうえに身体に異常が出ていたのは初めてだった。現実感が遠のくよう気がして、悪寒が背筋を這い上がる。
そうしてさすがに平常心が危うくなるのを感じつつ、ふらふらと歩いていたところを、チンピラの集団に出くわし、あっさりと捕まったのだった。
立香は全力で暴れながらなんとか暴漢達の手を焼かせていた。隙あらば相手の腕に噛みつこうとし、拘束から逃げ出そうと必死で身を捩った。何故か声を出すことができず、助けを求めることすらできなかったが、このまま服を脱がせたチンピラ達が、この赤いドレスで着飾っていた少女が実は男だったとわかったらどのような行動に出るか、さすがに予想がつかない。
最初のうちは獲物の抵抗に嗜虐心を煽られていたチンピラ達も、次第に苛立ちを募らせ始める。
立香は頬を張られ、ついには前髪を掴まれ顔を上げさせられると、拳が顔面に飛んできた。視界が一瞬明滅し、痛みとともに顔が白熱したように熱く感じる。けれど、怒りと恐怖で思考が真っ白になるのを感じながら、それでも立香は停止しない。掴まれた髪にもかまわず、再び飛んできた拳に思い切り額をぶつけた。ぶつりと何本か髪が抜け、そして額から殴った相手の手がひしゃげるのを感じる。思わず立香はにやりと笑った。獲物の予想外の抵抗に、一瞬チンピラ達の表情は能面のようになった。
しかし、それも束の間。予想もしていなかった反撃に、暴漢達のまとった空気が変わった。弱者をいたぶる享楽から、白熱した殺意へと塗り替わる。懐から得物を取り出し、立香へ突き立てようと予備動作へと移る。
直後、怒りで凶悪に表情を崩したチンピラの頭が、咲いた。
びしゃりと、弾けた果実のような元チンピラの頭部は、立香も、他のチンピラ達にも等しく降りかかった。突然挿入された冗談のような光景の後に、むわりと生暖かい異臭が立香の嗅覚を犯す。
そして仲間の突然の死に、ようやく反応しようとしたチンピラ達の頭が、同じように立て続けに爆ぜ続けた。同じリズムで一つ、二つ……。その度に立香に果肉交じりの果汁のような脳漿が降りかかる。
そして一瞬のうちに、路地裏に立ち尽くす影は、立香一人だけとなった。
呆然と立ち尽くす立香の耳に、不気味なほどの静寂のなかから、どこからか足音が響いてきた。この夜の路地裏にふさわしいようなゆったりとしたリズムで、徐々に音は近づいてくる。
暗闇のなかから、1人の男が現れた。血溜まりを踏み抜き、びちゃりと跳ねさせたその男は、薄闇に溶けるような暗い肌をしていた。短く刈り込んだ白髪に目が行き、ついで白く濁ったような瞳が印象に残る。
「こんな夜更けに女の一人歩きとは、どんな目に遭ったとしても文句は言えんと思うがね」
皮肉気に男が言った。突き放したような言葉とは裏腹に、その目は立ち尽くす少女、らしき人物に興味深げに向けられていた。
「……あ、ありが……と……?」
目の前の出来事に動揺しつつも、立香はとりあえず助けてくれたらしいこの男に礼を言った。言った後で、また、固まった。
立香は目を覚ましたらいつのまにか女装させられ、髪まで伸びていたうえに脚に原因不明の障害が宿り、挙句の果てにはさっきは声を出すことが出来なかった。そして今、自分の喉からソプラノが響いたのを聞いた。
確かに声は出るようになった。けど、これは違うだろう?
いかに世界を救ったマスターといえども彼自身は平凡な人間に過ぎず、その情報処理能力は並みでしかない。当然の帰結として、彼の頭脳は現実への対処を放棄した。
男は礼を言ったかと思えばまた固まった少女を訝しむような目で見ていたが、ふと路地の先に顔を向けた。少しのあいだ暗闇の向こうを見通すように目を細めていたかと思うと、不意にくるりと背を向けた。
「今夜は妙に街がざわついている……直にここも騒がしくなるだろう。その前に、俺は行く」
男はそう言って、元来た方へと歩き出した。そして二、三歩進むと、立ち止まり振り返った。未だに呆けている立香を確認すると、彼は立香の傍まで戻ってその手を取った。そのまま、立香の手を乱暴に引いて歩き出した。立香はされるがままになりながら、とりあえず状況を棚上げすることに決める。
「助けてくれて……ありがとう、」
おぼつかない足取りで歩きながら、立香がぎこちなく改めて礼を言った。その内心はやはり自分のものとは思えない声音に、違和感で荒れ狂っている。男は、言葉を返すこともなく淡々と歩き続けた。
彼らの足音もやがて暗闇の中に溶けて消え、後には血の惨状だけが残った。