「ああ、ムッシュさんなら今ちょうど里に来てるわよ」
あら。なんてラッキー!私は走り出そうとした。しかし足を1歩踏み出したところで母に引き止められ、
「待ちなさいよ、どこにいるか知らないでしょうが」
と静められた。
「このまま真っ直ぐ進んだところに、池があるでしょう?今の時期は池に氷が張っていないから、ムッシさんは魚釣りに行ったわよ」
「??魚釣り?」
「ええ、知らなかった?あの人結構なんでもするのよ」
「ムッシュさん、魚を食べるの?」
「うーん、食べないでしょうね」
「じゃあなんで釣るのよ」
「キャッチアンドリリースよ。ムッシュさんは年だけど、寝てばかりも苦なんじゃない?趣味よ、趣味」
「ふーん」
私はまず、里の池に魚がいるなんてことを今初めて知った。単純に感心。
とにかく、私は急いで池に向かうことにした。
歩き出すと、おばあちゃんの家が見えてきた。おばあちゃんがいなくなってから、どれだけの時が経っただろう。里を出た頃の記憶はすっかり色あせていて、それはきっと柊二君と居た数日間が濃すぎたから。もちろんおばあちゃんとの思い出はたくさん、たくさんあるけれど、なんだか本当に昔のことのよう。
今もまだあの時の形のまま残っているおばあちゃんの家からは、木のいい香りがした。おばあちゃんの匂いはもうあまり分からない。ほんとに"木"って感じ。
そっと触れてみると、木のぬくもりが感じられた。生きているって、すごいことなんだ……なんとなく考えた。おばあちゃんが「頑張れ」って、微笑んでいる気がした。
ゆっくりと歩みを進める。小道で小さな子供たちが遊んでいた。雪に命を吹き込ませておままごとでもしているのだろう。私の幼い頃よりも、ずっとずっと幸せそうで、少し寂しくなった。けれど、今の私はあの子達が知らないくらいのたくさんの幸せを抱えているんだから。
……こうしちゃいられない。私は走り出した。
しばらくして、私は池にたどり着いた。静かで心が安らぐ場所だった。
以前ここに来たのは、まだ私がすごく小さい頃のことだった気がする。おばあちゃんに連れられてやってきた。池が凍っていなかった時に、ここの水をこっそり凍らせて、スケートをした。そのあと来た老夫婦がびっくりして大声をあげかけたので、急いで隠れたのを覚えている。
目を瞑ると、おばあちゃんのいたずらっ子のような顔が思い出される。……大丈夫、まだちゃんと、ここにいる。
というか、池に魚がいるんだったら、私たちが池を凍らせた時、魚達はどうなっていたんだろう……?ふとそんな考えが頭をよぎる。口元がひきつる。なんてこったい。申し訳ない、手を合わせて心の中で謝る。
すぅっ……息を深く吸い込んで、私は口を開く。
「ムッシュさぁぁん!」
池全体に響き渡る私の声は、びぃぃぃんと耳に残った。魚達は驚いてあっちへこっちへ泳ぎ回る。木々はざわざわと枝を揺らし、安らいでいた人々は私の方を睨む。
「すみません……」
小さく謝ると、今度は
「なんじゃああああああ!」
とどこからか叫ぶ声が聞こえた。あぁムッシュさんか。やっちまったな。
今度はムッシュさんに視線が集まっている……多分。そのお陰で、私はムッシュさんの居場所がわかった。
少し走ると、ムッシュさんが木陰で本を読んでいるのが見えた。
「ムッシュさんっ、」
「おや、お前さんは確か」
「釣りはっ!?」
「お??……あぁ、釣りならもうやめたさ」
はっはっは、とムッシュさんは高らかに笑う。
私が幼い頃会ったあの頃よりも、ずっと年老いたムッシュさんの笑顔。本当に不思議だなぁと思った。
「お前さんの声で魚達が逃げてしまったからな」
恨めしそうに見られても…自分だって大きな声を出したくせに。
「そうだそうだ、お前さん……ロレンダのお孫さんじゃろ?」
「あっ……そうなの!聞きたいことがあってきたの!」
「なんじゃ?」
「動物として、生きるようになった妖精がいるって、おばあちゃんから聞いたことがあるの。それについて知りたくて」
「ほほぉそうか、ロレンダそんなことを教えておったのか。いいぞ教えてあげよう……」
──あれはそう、わしがまだロレンダとも出会っていない頃のこと。
「暇だなあ!!」
大きく輝く空を飛びながら、独りごちていた。
ふと目を落とすと、いつの間にか夏の始まりが来ていたようで、せっせせっせと植物の妖精が働いているのが見えた。その横では羊やらウサギやらがもしゃもしゃと餌を頬張っていた。
いつの間にか自分の住んでいた雪原からとても遠いところまで飛んできてしまったようで、見覚えのない景色が広がっていた。それにしても暑い。
目が覚めると、そこは小さな小屋の中だった。体を起こすと、
「あら、目が覚めた?」
声が聞こえる。声の主を探しキョロキョロすると、椅子に座っている妖精が見えた。
「覚えてないの?あなた、空から急に落ちてきたのよ」
……そうか、慣れない暑さに気を失って、そのまま落ちてしまったのか。
「ありがとう」
ぼそりと呟くと、
「どういたしまして!」
まるで満開の花のような笑顔が返ってきた。
「ここには妖精は私しかいないの。寂しいわよね……あなたは?どこから来たの?その様子だと雪の妖精かしら」
「うん、暇で空を飛んでいたら、いつの間にか雪原を離れてしまってて……」
「雪原?また随分遠くからやってきたのね」
やはり、相当遠いようだ。落ち込んでいると、
「ねぇ、せっかくだから私の話を聞いていってよ!久しぶりに妖精に会って、私嬉しいのよ。私はサラ!よろしくね!!」
ニコリと笑顔を向けられ、こくこくと頷く。……まぁいいか。どうせ暇だったんだし。
「私ね、羊になりたいんだぁ」
「へ?」
「自由じゃない、羊って。モコモコの毛に包まれたからだ、愛らしい顔、太陽の下で照らされて生きる羊がもう……これでもかってくらい、大好きなの!」
この子、頭大丈夫か?……そう思った。
「それでね私、いろいろ調べて、シャルロット様を見つけたのよ!」
誰だそれ。
この不思議な発想をした妖精は、赤くなった頬に手を当てて身をよじりながら、興奮気味に話す。
「えっ、シャルロット様を知らない!?……うそぉ、そんな人もいるのね!彼女は私の神様みたいなものよ、お母様から彼女の話を聞いていたから、私はもうすっかりファンになっちゃって!!」
だんだん高くなる声のトーンに気圧される。
「彼女なんでもできるの!本当に魔法使いなのかしらねー?すごい人がいるってお母様は言っていたけれど、本当だったわ!私が羊になりたいってお願いしたら、彼女、快くオーケーしてくれたの!」
シャルロット……魔法使い……?そんな話、聴いたことがない。
「その……シャルロットさん?は、どこにいるの?」
「空の上よ」
「……は?」
「あら、信じられないのなら行ってみる?雲の上に城があって、そこにひとりで住んでいるの」
「いや!いい!!!」
なんだか危なそうな話になってきたのでとりあえず断る。
その植物の妖精─サラは、本当に羊として暮らし始めたようだ。あの後、自分が暮らしていた雪原へ、無事に変えることが出来た自分は、もう1度サラとあった場所に行ってみたのだが。そこにはサラの姿はなく、代わりに羊が一匹増えていた。
近づいてみてみると、一匹だけなんとなく違う羊がいた。その羊は、彼女の綺麗な茶髪によく似た毛が何本も生えていて、彼女と同じ、青い目をしていた。
不思議な出会いだった。違う生き物になっただけで、全然別のもののようだった。もとはあの子なのに……
「あら、この前の!本当に羊になったのよ、いいでしょう?」
メェェェメェェェとなくその羊は、自慢しているようにも聞こえた。
シャルロットか……世界にはまだまだ知らないことが沢山あるのだな。
──という、幼い頃の思い出。
「あれからわしは、たくさんのことを知るため、多くの地へ足を……羽を運んだ。そこで出会ったのが、お前さんのおばあちゃんであるロレンダじゃ。……どうか?参考になったかな?」
「シャルロット……空の上……ありがとう、ムッシュさん!すっごく参考になった!」
「……もしやお前さん…?」
「やりたいことが出来たのよ!ムッシュさん、本当にありがとう!長生きしてね!」
(なんだか、ロレンダの若い頃を見ているようじゃな笑)
走り去るセツナの後ろ姿に、ムッシュは呟いた。