2017/05/07
段落ごとに字下げしました。
ご報告感謝致します。
とある年の、とある秋の終わり。
そのある日、私は人を殺した。
なんてことのない、ただの雨の晩。
そうだったと、私は思っている。
どんなに特別な晩になるかは、そのときの私は知るよしも無かったのだから。
●
ショウが終わった。メンバーは皆居なくなった。私はうら寂しい楽屋の中で、ライブハウスのマスターと一緒に片付けをしている。マスターは半袖で、筋骨隆々とした偉丈夫。こんな肌寒い秋の夜でも夏気分な、暑苦しい感じの彼。
全体的にヤニ臭くてベタついた部屋。
そこの椅子を退けたり、茶色くてヘタレたソファーの座面同士の隙間を探ったり。それに、あとは目につくところ、つかないところを手当たり次第。
片付けというには少し変。
何を隠そう、私はものすごくおっちょこちょいなのだ。そしてもの忘れの達人。少し疲れるとそれがまた酷くなってしまって、こうして人の手を借りて探しものを探している。そのリストが自分の頭の中に残っている保証もないから、結局文字通り”何も出てこなくなるまで”こういう作業をしているのだ。
「――――――――さん、これもあんたのものだろ」
茶色の化粧台の真ん中にあった、べっこう色の櫛を手に取って私に見せる。ちょっと目立ちにくいけれど、十分見えるはず。でも、私にとっては新鮮な感覚、それと慣れた感覚が同時にやってくる。
こんなところにあったんだ、という驚き。これを何度繰り返すだろう、という煩わしさ。
複雑な顔をした私、一方でマスターはうんざりした顔。何度もループするようなやり取り。ともかくそれは、
「……あれ、うん、そうだ、私のです」
櫛をばつの悪い顔になって受け取って、椅子の上に載せたカバンに乱暴に引っ詰める。パンパンになってるけど、多分要領のいい人がやればぺしゃんこになると思う。こんな不格好に膨れ上がるはずなんて無い。そのはず。
……ショウが終わったあとの楽屋は散らかっていた。大体私のせいだったりする。化性とか、着替えとか、出演前のアレコレをあれやったっけ、これやってなかったや、とか忙しなく動き回ることになったり、それで部屋中に私の衣装とか化粧品が散逸してしまったのだ。
ちなみに、ステージで使ってたドラムセットとスネアの片付けまではメンバーが手伝ってくれて、マネージャーの手配したバンに積載して東京へ向かってるところ。
ここは北関東のどこか。追いかけてくる人なんてあまり居ない街。来たなら行くか、そんな感じの集客状況で、こじんまりとしたライブハウスは一応満員になった。そしていつも通り、自分でも言うのも恥ずかしいくらい真顔で荒れ狂って、疲れ果てた私がここにいる。
そんな私は、こうしてあちこちを散らかしてあっという間に忘れ物で部屋が埋まってる。掘り返せば、本当ならこのカバンに入るものだったはずのものがきっと出てくるに違いない。でも、マスターはそれをやられると迷惑だからきっちりと部屋の隅々まで精査して私の私物を掘り返してくれた。
ところでバンドのメンバーたちだけれど、最後を私に任せて、片付けまでしていってよ、みたいな雰囲気になって出ていった。そのあたり、結構ドライだったりする。いや、ウェットだからこそこういう遠慮のなさがあるのかも。ともかく、その任されてしまった楽屋の片付けには結局マスターが動員されてこう、私の尻拭いをさせられているのだ。
「ほら、これもあんたのだろ」
「あー、うーん、はい……」
また見つかった。今度は口紅。金メッキが眩しくて目につくはずのそれ。でも、なんだか私のザルな注意力だとそれを見つけられないのだ。おかしいなぁ、派手なものならなくさないと思ったんだけれどな、と思いながら、それもカバンに詰め込む。
これで探す限り探した。私だとそれをやってもきっと無駄だから、マスターがそれをやった。やらなくてもいいことをやらされて、ちょっとうんざりしているけれど、芸術的なまでの私のおっちょこちょいでむしろ関心顔になっている。
「あんた、本当にものなくしの達人だろ」
「まぁ、よく言われます……あはは」
こんなキャラじゃないのになぁ、と思いながら苦笑いする。化性もまだ落とせてない顔は、きっとドロドロで滑稽だったろうと思う。まるでピエロみたい。
それにマスターはなんとなく気の毒に思ったのか、
「化粧、落とすか直すかしていってもいいぜ」
「うー……ん。そこまで甘えさせてもらうのは、ちょっと」
「いいや、ここまで来たらきっちりしていきな」
そう言って、楽屋を一旦出ていった。化粧中、あるいはすっぴんになっていくのを見るのはなんとなく気が引けるとか、そういう気遣いだったと思う。……気風のいい人だ。
そんな配慮に甘えて、私は化粧を落としていくことにした。
カバンの奥に詰まった化粧落としシートを取り出して、すぐに他のものは元通りに詰め込んでいく。またカバンが変に嵩張った。
それで椅子を化粧台の前にどんと置き直して座り込む。
前を見る。鏡の中の自分、やっぱり想像通り、化粧が崩れてピエロみたいだった。可笑しくて、
「はは」
私は、情けなく笑った。
●
私は、とあるバンドのとあるドラマー。
どこにでもいる、では通用しないから、どっかにはいるだろう、そんなドラマー。
アイドルバンドとしてデビューして、ポスト・ロックやポスト・ハードコアやらをやって脚光を一度や二度浴びた、そんなバンドのドラマーだ。タイアップもちょっとならある。ちょっと。泡沫バンドの中を微妙にくぐり抜けて存在している感じ。一応音楽だけでご飯を食べている。生活は、まぁ、慎ましいけれど。
仲間はギタリストが二人とベーシストが一人、それに気弱なマネージャー兼ローディが一人。全員女で傍から見れば華やか所帯な感じだけれど、そうでもないと私は思う。だって、女しか居ないところが華やぐはずもないじゃない。男が、土や肥料がいない世界に花は咲かないんだから。
今のところ私達は、何にしても”程々”という言葉が似合う状態。それなりにスケジュールは埋まって、それなりのギャランティーが得られて、それなりの充実感が得られる。それの繰り返し。なんとなくで生きているにしては恵まれているだろうと思う。けれど、伸びしろはもうあまり見えていない。そもそも、どこのバンドにしたってそれが定かになることはないんだけれども。上昇の気配はない。けれど凋落の兆候もない。巡航状態そのもの。順風満帆には未満だ。
それがいいか悪いか、って聞かれると、私は答えに困る。だって、それなりのことをしてそれなりのお金が貰える、それなりのやりがいがある。だったらそれはずっと割りに合った生き方だと思うし、それが続けばいいと思う。だけど、人生はそうも行かない。人生楽ありゃなんとやら。絶対に今のままじゃ居られない。どこかで、どこかで変わる必要がある。変わる選択を迫られる。それか、落ちぶれるかだ。
けれど、でも、だって。
今の生き方は楽だから。それがとても楽だから。この状況に甘え続けていたい。それは私達の総意だった。誰も口にすることはなかったけれど、きっとそうだった。
だって、こんなに理想的な芸能生活を送っているんだ。それを維持したいのは当然だ。だって誰だって落ちこぼれになりたくはない。トップアーティストならそれでも構わないと思う。もうそんな域に達しているなら。
でも、私達は生憎トップ集団からは程遠かった。
そうでもないのにここで向上を望まなくなってしまったなら、社会からははじき出されてしまう。変わらないことが理想だとしても、変わり続けなくちゃいけないのがこの世界のルールだから。それを破れば、きっと観客にはバレる。そして離れていくだろう。最後に待つのはステージの孤独。何もない、があるだけ。
私達は地獄にはまった。
長く浸りすぎてしまったのだ。
安穏という地獄。その言葉は矛盾しているようでも、あまりに正しかった。
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化粧が落ちた。いろんなアレコレで飾り付けた自分が剥がれ落ちて、鏡の中には疲れで呆然とした、本当の”ただの”自分がいるだけだ。
そう、ただの人。私は結局ただの人だ。一応芸能人の肩書があったところで、結局肩書は外れればいち人間。なんだかわからないけれど、すごい、なんていう人間じゃあない。
私は、ただの文学少女だ。それに芸能人としてもそういうキャラだ。……そっちは”あからさまな”が付くけれど。実際そういう風に振る舞っているんだから、仕方のないこと。
無口なふりをして、けれど実際は文学のことを話したくって仕方がない。内心が饒舌なのだ。そして実際に口を開いても。好きなものは語りたいのだから。そう、私はただの文学少女だけれど、ただならぬドラマーで、そういうギャップでキャラを作った。儚く歌うように見せかけて、激しく弾け飛ぶドラムを響かせる。私はボーカリストではなくって、あくまでドラマー。歌えないわけじゃないけれど、私の感情は声一つでは欲張りすぎて伝えきれない。ドラムセットは私の要塞。そして進撃する戦車。砲を轟かすように叩き、雷が落ちるように打ち鳴らす。そういう、私の感情を表現する手段。そして寄る辺。
ドラムは良い。私には、それが必要だった。
こんな、鏡の中で縮こまるただの人には。
それに一つ溜息を吐くと、私は一杯一杯のカバンに化粧落としシートを突っ込んで楽屋を出た。
お気に入りのモッズコートに袖を通して。
ドアを開けると、ほの明るい廊下。
そのコンクリート打ちっぱなしの壁に背をつけて煙草を蒸すマスターが居た。こんなところで吸ってもいいのかな、と思ったけれど主がそうするなら別にいいんだろうと思う。私はここでは吸わないけれど。
「もういいか?じゃあ出るからな」
「はい……ご迷惑をお掛けしました」
深く頭を下げて陳謝。本当に頭が上がらない。こんな間の抜けたドラマーに最後まで付き合ってくれるマスターもそうそう居ない。だから、その分お辞儀は急角度。
「ま、いいってことよ。面白いもんが見れたと思えば別にな」
「面白いって……あはは」
苦笑いがまた漏れる。皮肉でもあり、気遣いでもあるそれは心地よい。つっけんどんにされるより、馬鹿丁寧に対応されるより、そのどっちよりもずっといい。
「まぁ忘れ物してく奴らは珍しくもなかったけどな、今回は結構頑張っちゃったぜってところだな。放っとけないくらいやらかされると目覚めが悪い」
「そう言ってもらえると、助かります」
「いや、いい」
本当に気風の良いマスター。ここで演ってよかった。本当にそう思う。会場が小さいって漠然とした不満なんて裏返すようないい出会いだった。またここで演ってみたい、ってそう思う。マスターにとっては溜まったもんじゃないだろうけれど。自分で考えてちゃザマぁない。
……実のところ、この辺でももっと大きなハコは押さえられるかも知れなかった。でも気弱で押しの弱いローディ・マネージャーはそれをする勇気はちょっとなかった。事務所からバンド一つを任されるんだから結構な実力があるもんだと思っていたけれど、私達は所詮色モノの域を出ない。ローディを兼ねているのもその証拠かも。人を割くだけの価値は無いって言われてるのと同じ。
イマイチ。有能とも、無能とも言い切れない半端者。そんな感じなのだ。スターとは言い切れない私たちにはお似合いの彼女だ。
けれど、今回のブッキングは悪くなかったと思う。少なくとも、私には。一応満員には出来たし、観客からの手応えも決して悪くなかったから。
そんな悪くない、むしろ良いライブハウスのマスターは、
「降ってっから傘持ってきな」
心遣いの行き届いた、いい男だった。
●
……結局傘は遠慮した。きっと無くすから。それを無くしたことできっと私はかなり凹んでしまうから、私自身のためにもう気遣いはいらなかった。
「じゃあな、雨が弱まることを願うぜ」
体に不似合いなビニール傘を掲げながら、ぺたんこのショルダーバッグを担いで彼は私と別れた。持ち物は最低限。そういうところもなんだから羨ましい。私なんてあれもこれも忘れてしまうから、逆にカバンがパンパンなんだから。私のショルダーバッグは右肩に食い込むくらい重くて、皮膚に紐が沈み込んでいくよう。
手を降って見送る私は、勝手口に申し訳程度についた幌の下で雨宿り。ここまでしてもらった私に、屋根を借りるという慈悲を頂いたわけだ。
私は右手をコートのポケットに突っ込む。ひとしきり探って、ようやく小さな箱を見つける。煙草の箱。ショートホープ。そしてついでに気持ちいいくらい早く見つかった百円ライター。色々入ってゴチャゴチャしているけれど、無くすことはない。失わない代わりに、見失うことは多々あるけれど。
箱から一本取り出して口にくわえて、火を付ける。強い喫味が口で広がる。それを吸い込んだ空気で薄めながら肺に飲み下す。くらり、と来ちゃうけれど、それが好き。脳が冴えていくような鈍っていくような不思議な感覚だけれど、私はこれが好き。
秋の雨、時雨の下で吸う煙草も悪くない。月なんてどこにもないけれど、なんかいい。そういう風情もあるのかと意を得る感じ。
それで、雨宿り中の私はどうしようかと迷うわけだ。一応ホテルは押さえてあるし、そこまでの道もなんとなく分かってはいる。けれど雨に当たるのはなんだか嫌だ。上着が濡れるのは嫌。いや、下が濡れないためにあるというのも分からなくはないけれど、明日の朝に着心地が悪そうで嫌なのだ。だから激しすぎる雨の中には入りたくない。
時雨は続く。バケツを引っくり返したような、とはよく言ったもの。でも、こうも思う。テレキャスターを掻き鳴らしたような、シンバルをぶっ叩いたような、それじゃ頭上の幌はタムみたい。ドコドコと、ジャリジャリと、ジャンジャカと降りしきる雨は音楽のよう。凄く前衛的だけど。
それにしてもなんてドジなんだろう、私。物忘れ、物無くし、それの達人ウルトラC。クールキャラを装うにはあまりにお粗末さん。だから片付けは憂鬱で仕方がない。上手くいかないから。実家に居たときは本棚があったからまだマシだった。本を手当たり次第詰め込んでいけばいい。そのうちはみ出てきて瓦礫みたいにもなってしまうんだけれど。それに怒ったお父さんが本棚を取り上げてしまったから、本の瓦礫は増大した。反省の色無し、ってもっと怒られた。……その本棚の行き先である下姉ちゃんは喜んだけれど、私の惨状を見るとかなり気の毒そうだった。一方で見下される感じもちょっとあったんだけれど。それで私は逆ギレして、一ヶ月に一度上姉ちゃんに掃除してもらう、なんて言ってしまったのだ。おかげでお小遣いは上姉ちゃんに上納することになったけれど。でも、色素欠乏で日中外出があまり出来ない彼女はそれを安請け合いして、月イチの掃除を請け負ってくれた。毎回酷いことになっていたけれど、そつなく無駄なく瓦礫を本に戻してくれた。積み上がる本の塔は気持ちが良いくらい。取り出しにくかったけれど、棚がないから仕方ない。ちなみに一人暮らしの今はそういう助けもないから荒れ放題。
無駄に凹んでいても仕方ないから、煙草を蒸す。それにしてもこの時雨は止む気配が見えない。暇潰しには何がいいかな、と思って、私はスマートフォンを取り出して電子書籍アプリを開いた。文学少女を自称するだけあって読書家なのだから。
今回のお供は何にしようかな。好きな作家はたくさんいる。夏目漱石、夢野久作、太宰治、三島由紀夫。プロフィールにはそれが載っかってる。それに加えて、現代のご存命の作家の方々も私のお気に入り。でもそれは公開しない。だってステレオタイプな文学少女は文豪の作品を読むものだから、ってイメージのお質でそうなっている。でも実際はオスカー・ワイルドだって好き。”好きな作品”に載せるものに”サロメ”も加えようとしたらカットされてた。事務所の意向で、”ディープすぎるのはNG”なんだって。”金閣寺”は許してくれたのにね。”人間失格”は一番最初に来てる。本当に文学が好きならそんなライトな作品群じゃ済まないってのに。というわけで、私の趣味は純正サブカルチャー、ってことになってる。
本当に一番好きなのは……なんだろう。好きとは違う気がするんだけれど、とにかく人生を変えたのはこの一作品だろうと思う。私を今の私のした、そういう作品。
”ドグラ・マグラ”。
その、”胎児の夢”。
あの作品の中に出てくる巻頭の詩文。
”個体発生は系統発生を繰り返す”……だったかな。それをモチーフにして、命というものにパンクする。それがアレなんだと思う。私は近代文学を覆う全体的な雰囲気、陰鬱さと仏教思想の闇の部分――――後ろ暗い、じゃなくて直視すべきもの――――――に惹かれる質なのだけれど、そういうこともあって、命の尊さではなく、命というものの闇、それと親という存在ののエゴ。それに魅入られて、私は”ドグラ・マグラ”の都市伝説の餌食になった。
狂ったのだ。命の恐ろしさに。私がいずれ孕む命の想うことに。
私は今でも思い出せる。思い返せる。忘れられなくなった、呪いの言葉。
”胎児よ
胎児よ
なぜ踊る
母親の心がわかって
おそろしいのか”
背筋が震える。ぞわりと。
いずれ私がこの腹に抱くだろう命が、こんなことを考えているんだろうか?そんな馬鹿げたことも考えた。これを読む以前までも抱いていた命への恐れ、恐怖が増幅されて、私は狂って、死にたくなって、死にたくなくって、苦しくて仕方がなくなった。バカな例えで言うなら、仮死状態で溺れていればよかったのに、目覚めてもがいてしまったみたいな。生きていることに気付いてしまって、生きている苦しみも分かってしまったのだ。
それで色々と破滅的に私は壊れた。
手首を切った。回数は四、五回。今でも左の手首にはその痕が生々しく刻まれている。変に盛り上がった肉と、赤みがかった線の塊。それがある。
そしてメンタルがヘラった女に付き物の擦った揉んだが――――――――
なく。
これっぽっちもなく。
よくあるでしょ、メンタルがおかしくなった女の股のユルさがあれだとかこうだとか。そういうことは全く無くって、リストカットだけで気が済んでしまって、私はこうして純潔のままだ。アイドル信仰万歳。
今はそれで患ったパニック障害を抗不安薬でやり過ごしながら過ごしている。穏便すぎて、私は結構幸せな方なんだと思う。ミュージシャン生活も、決して不順ではないし。
そんなイマイチ幸せな私は、手首の傷を眺めながら煙草を蒸すのが日課なのだ。気の迷いを戒めるでもなく、ただそうしているのが自然なのだ。
煙草を吸うと肺に良くない、なんてわからないわけがない。けれど、今はこれが自傷行為の代替。そうなんだと思う。吸いすぎてやってくる目眩とか、頭痛とか、冷や汗とか、胸の痛み、そういうものが。
喫煙とは毒を飲む作業。文字通り。痛みを得なくては、私は存在できない。そうなってしまったんだから。幸いにも、今は手首を切るより肺にタールを塗るほうが落ち着くから、やっぱり私は幸せなんだと思う。
……雨が止まない。雨宿りのお供も決まらない。煙草は減っていく。チェーンスモーカーだから、十本入りじゃ足りるかどうか心もとないくらい。ライブ前は降っていなかったし、ライブ後もまだ降ってはいなかった。少なくとも、私が機材車のバンを見送った時にはまだ曇り空だったから。
これも、私のドジが招いたことだ。自業自得、というには違和感があるけれど、
フィルターだけになった煙草をモッズのポケットに入れて、次の煙草に火を点ける。
私は集中しいだから、あまり長い作品を読んでいると夜が明けてしまう。だから、短い作品がいいと思った。なら、――――――――梶井基次郎。短編作家だし、こんなデカダンの雨風吹く中ならお似合いの作家だと思う。時雨が鳴らすBGMはマイナーキー。近代の文学には実にお似合い。
そうして、私はまず、彼の丸善爆破の戯れの風景へと没入していった。