Pちゃんから連絡を受けて、私は事務所から家までの道を辿っていた。
正確には、その道から少し外れた周辺を。
Pちゃんは私達の家のある場所を知っている。
そして私に連絡した時、既に彼は走り始めていた。
だから、事務所から家までの最短ルートのどこかに仁奈ちゃんが居るのなら。
遅れを取り、足に怪我をして走れない私よりも、彼の方が先に見つけることになる。
よって私が考えるべきは、彼が見付けられなかった場合のこと。
つまり、仁奈ちゃんが途中で迷子になってしまった可能性を考慮することだった。
ズキズキと脈打つ片足を引き摺るように進む。
ただでさえ捜索範囲が広いのに、この足枷は痛手だった。
闇雲に辺りを探すのでは、あまりにも終わりが見えなかった。
何か、仁奈ちゃんの所在地を絞り込む方法は無いか。
景色がよく似た道。
方向を間違えそうな三叉路。
思わず駆け寄ってしまいそうな魅力のあるもの。
様々な可能性を脳内で検索するが、どれもこの辺りには存在しない。
それだけ分かりやすい道だった。
だというのに、彼からの連絡は未だ無い。
まだ彼は、仁奈ちゃんを見付けられていない。
歩く少女と走る大人。
その速度の差ならば、とっくに追いついてもいいはずなのに。
道を逸れるような要因も無い。
最短ルートにも居ない。
だとしたら、仁奈ちゃんはどこに居る?
来た道を辿るしかないはずの少女が、それ以外の行動を取る。
そんな状況は、どうやったら起こり得る?
「……ゆう、かい?」
ゆうかい。
誘拐。
考えるより先に口から出た言葉を、脳内で反芻する。
そうだ。誘拐。
誘拐されたとしたら。
仁奈ちゃんは最短ルートから逸れる。
来た道を辿らない。
他の道に、連れ込まれる。
「……!」
この周辺。誘拐が発生する場所。
小さな少女を攫うのに適した場所。
人目の付かない場所。
一般人がおおよそ、立ち入ろうと思わない場所。
ある。一箇所だけ。すぐ近くに。
足に怪我をしたことも忘れて走り出す。
何度も転びそうになりながら、壁に手を付いて進む。
大通りから伸びた、細い細い道。
建物と建物の間。
大人が1人通れるか通れないかの隙間まで辿り着く。
この先にある、裏路地。
この道を通ったら、もう戻れない。
「…………え?」
私の足が動きを止める。
今のは、何?
それは確かに私の思考だった。
それは確かに私の心が発した言葉だった。
それは確かに、私自身が発した警告だった。
言いようのない恐怖。
ゾクリと背筋が冷やされる。
でも。
それでも、この先に仁奈ちゃんが居るかもしれない。
助けを求めているかもしれない。
だから。私は裏路地へと続く細い道を進む。
窓の柵に引っかかり、髪飾りが地面に落ちた。
ギリギリ通れる程度の隙間しか無い道だ。
しゃがみ込んで拾うことは出来ない。
第一、そんなことをしている時間はない。
髪飾りを残したまま進み続け、ついに視界が開ける。
仁奈ちゃんが居た。
駆け寄ろうとした足が止まる。
仁奈ちゃんは1人ではなかった。
引き摺られるように移動していた。
移動、させられていた。
30代前半から半ば。
酷くやつれた顔の女性。
それが、仁奈ちゃんの腕を掴んでいた。
無理矢理に引っ張って、歩かせていた。
家とは違う、どこか別の方向へと。
どうしよう。
仁奈ちゃんが攫われてしまう。
どうしよう。
プロデューサーを呼ぶ暇なんて無い。
どうしよう。
私が、私が何とかしなきゃ。
でも、どうしよう。
どうすれば、仁奈ちゃんを助け出せるの。
「怖がらせればいいじゃない。」
また、声。
その発生源へと視線を向けると、やはり。
「あいつが逃げ出すまで、怯えさせればいいじゃない。」
窓ガラスに映った諸星きらりが、当然のように言い放つ。
「簡単でしょう? あなたには。」
諸星きらりの顔をまじまじと見る。
自然と口角が上がる。
諸星きらりが醜く笑った。
ああ。確かに、簡単だ。
私が何をする必要もない。
これまでだってそうだった。
その気が無くても尚、周囲を怖がらせた。
望んでいなくとも、それでも私から逃げた。
だったら。失敗するはずがない。
足の痛みが消えていく。
妙な自信が身体に溢れていった。
大丈夫だ。何も恐れなくていい。
恐れるのはあっちの方だ。
私はただ、あの場所に行くだけでいい。
しっかりとした足取りで、2人の元へ向かう。
女が私の接近に気付く。
酷い顔だ。
『諸星きらり』がこれを見たら、足がすくんでしまうだろう。
「放せ。」
でも。
私はそんなことで怯まない。
安心感だけがあった。
答えを前もって知っているテストの問題を解くような。
これから何が起こるかを予知しているような。
そんな、絶大なまでの安心感。
「……な、何だよ!? この子は……!」
あるとしたら、1つだけ。
仁奈ちゃんには、見られたくなかった。
仁奈ちゃんにだけは、怖がられたくなかった。
こんな私を慕ってくれたから。
こんな私に、いつも笑顔を向けてくれたから。
仁奈ちゃんの怖がる顔だけは、見たくなかった。
「聞こえなかった?」
身体は女の方へ向けながら、視線だけ仁奈ちゃんへ移す。
……想像した通りの表情が、そこにあった。
胸を抉られる。吐き気すら込み上げた。
駄目だ。動揺するな。顔に出すな。
弱みを見せるな。見せちゃ、駄目だ。
やっぱりやめておけばよかった。
プロデューサーを呼んで、隅で震えておけばよかった。
そんな後悔も、もう遅い。
心の中で謝罪を繰り返す。
ごめん。ごめんね。
私はもう居られない。
もう側には居られない。
私はあなたを、怖がらせてしまうから。
でも、杏ちゃんが居るから。
杏ちゃんはもう、1人で歩けるから。
きっと、後のことは杏ちゃんがやってくれるから。
だから。
「その子から。手を。放せ。」
ここで、お別れ。
「はぁ、はぁ……っ、は……!」
肺にある空気全てを交換する勢いで、私は荒く呼吸する。
きらりからメールで連絡があった。
連絡、というには、あまりにもそっけない。
彼女の携帯の位置情報を転送しただけ。
その他に何のメッセージもない、ただそれだけが送られてきた。
嫌な予感がした。
彼の言う通り、きらりの様子が変だ。
彼女がよこしたメール1つを取っても、それは明らかだった。
少ない体力の全てを使い果たして、私はやっとメールにあった場所まで来た。
辺りを見回す。
建物に背中を預けるようにして、仁奈が座り込んでいた。
「……仁奈! 大丈夫!?」
少女の元へ駆け寄り、肩に触れる。
びくりと震え、ゆっくりと上を向き、こちらを見る。
消え入るような声が、微かに鼓膜に届いた。
「……どうしよう。」
震えていた。
仁奈の身体は、何かに怯えるように。
カタカタと、細かく震えて。
呆然と目を見開いて。
目尻に涙を溜めていた。
「仁奈、仁奈……、」
うわ言のように呟く。
何かがあったことは明白だった。
しかし、分からなかった。
何故きらりが居ないのか。
何故きらりの髪飾りだけが落ちているのか。
何故仁奈がこんなところに居るのか。
何に怯えているのか。
何も、何も分からなかった。
砂利に晒され傷が付いた髪飾りを握りしめる。
状況を理解できない不安から、私は仁奈から聞き出そうと口を開ける。
私が声を発するより前に、仁奈は涙と共に懺悔を吐き出した。
「きらりおねーさんのキグルミ、脱がしちゃった……!」