「……ママと、会ったんでごぜーます。」
家に帰った後。
仁奈は、泣き続けた。
泣いて泣いて、泣いて。
赤い目で床を見つめながら、ぽつりぽつりと話し始める頃には。
月が反射する淡い光が、窓を通して2人の横顔を撫でていた。
「ママは仁奈を、仁奈の家に連れて行こうとしてやがりました。
1人で外に居るのには、あぶねー時間でごぜーましたから。」
仁奈は一度、家の前まで辿り着き。
そして鍵を持っていないことに気が付いた。
それを無くすということが、どういうことか。
どれだけ重大なことなのか。
仁奈は、理解してしまっていた。
「でも、まだ、鍵を見付けてやがりませんでした。
でも、ママに言ったら、怒られちまいます。
だから、ママに引っ張られながら、探してたんでごぜーます。」
仁奈は自分の腕を掴む母親の力に逆らいながら、辺りを見回した。
自分が落とした鍵を探すために。
「きらりおねーさんはきっと、それを見たです。」
きらりはその場面を目撃した。
人の目の付かない路地裏で。
1人の大人が、少女を無理矢理に歩かせていた。
そして仁奈は、それに抵抗しているようだった。
そんなものを見たら。
「さらわれちまうと、思ったんでごぜーます。」
誘拐。
それ以外の可能性がどこにある。
仁奈が家の鍵を持っていないことを知らない彼女が。
仁奈の母親が、苦しみながら、それでも仁奈を愛そうとしていることを知らない彼女が。
それ以外を思いつく可能性が、どこにある。
「きらりおねーさんは、仁奈を助けてくれやがりました。
……助けてくれたんで、ごぜーます。」
きらりは選択を迫られた。
目の前の誘拐犯に対し、彼女が取れる行動は2つしか無かった。
助けを求めるか、自分が助けるか。
きらりは他者に暴力を振るえない。
だから、頼りになる誰か。
プロデューサーに連絡を取るのが、私のよく知るきらりだった。
しかし、きらりは意外にも、2つ目の行動を取った。
彼女は自ら、その脅威を退けようと立ちはだかった。
「助けてくれたんでごぜーます。仁奈のためでごぜーます。
だから仁奈は、ありがとうって、言わなきゃ。なのに。」
仁奈の安全のために、勇気を振り絞った行動だった。
それを仁奈は理解していた。
危機的状況にある自分を、救出しようとしたのだと。
「……なのに! 仁奈、怖くってっ!
やさしいきらりおねーさんなのに!
ぎゅってしてくれた、きらりおねーさんなのに!」
理解していたからこそ、感情との差異に困惑した。
目の前に居るのは、自分に安心をくれる存在だ。
そこに在るのは、自分を守ってくれた存在だ。
それに恐怖を感じる必要はない。
理性がそう訴えても、感情が否定する。
「なんで仁奈、怖かったんでやがりますか!?
きらりおねーさんは怖くねーです! 怖くねーんです!!
なのになんでっ! なんで仁奈は……!!」
それは救世主に対する、これ以上無い非礼だった。
仁奈は笑顔で礼を言わなければならない立場にあった。
しかし仁奈は、それに失敗した。
自らを救ってくれた存在を、感情が怪物と認識した。
「……仁奈を見て、きらりおねーさん、笑ってやがりました。
寂しそうに。兎さんみたいに。笑ってやがりました。
仁奈は、きらりおねーさんを、兎さんにしたんでごぜーます。」
仁奈の表情を見たきらりは、それを受け入れた。
仁奈に怪物と認識された事実を。
拒絶するでもなく。取り繕うでもなく。
ただ、寂しそうに受け入れた。
「きらりおねーさんもキグルミを着てるって。
そう言ってたんでごぜーます。」
ずっと明るく振舞って。
その裏に隠していたのは、怖がられることへの恐怖だった。
自分は背が高いから。
怖がられてしまうから。
優しい彼女は、他者に恐怖を与えることを恐怖した。
「きらりおねーさんは、隠してやがりました。
キグルミを着て。兎さんなんだってことを。
ずっと、ずっと隠してやがりました。」
しかし仁奈を助けるには、怖がられるしかなかった。
きらりは暴力を振るえない。
暴力的な語彙だって無い。
だから、明確な戦闘状態になる前に、敵を退けるしか。
彼女が取れる、彼女自身が仁奈を救う行動は。それしかなかった。
──出来ればキャラ作りで……いや、素であって欲しい。
初めて会った日のことを思い出す。
素なんかじゃなかった。
あの口調は、きらりが張った防衛線だった。
自分の姿を見ても、誰も怖がらないように。
きらりと関わる他者を、そしてきらり自身を。
守るために作ったキャラクターだったのだ。
「仁奈はそれを、脱がしたんでごぜーます。」
キャラクターを演じない自分は恐怖の対象である。
それはもう、単なる思い込みなどではない。
被害妄想ではあり得ない。
その確固たる証拠を、きらりは手に入れた。
演じていた時には確かに笑顔を向けてくれた少女は、同じ目で自分を見てはいなかった。
「……どうしよう。どうしよう。どうしよう。
杏おねーさん、どうしよう。
仁奈、どうしたらいいでやがりますか?
どうしたら、どうしたら……!」
仁奈が私に縋り付く。
どうしたら。
どうしたらこの状況を打破できる。
きらりと仁奈の問題を、どうやったら解決できる。
仁奈と仁奈の母親の関係性は、まだ完全には終わっていない。
まだ、取り返しがつく。
でも、その方法が分からない。
きらりに頼るしか、思いつかない。
しかし、きらりはそんな状況じゃない。
では、どうやって。
どうやって、きらりを助ける。
どうしたら、きらりを助けることができる。
「……まずは、少し寝よう。仁奈も私も、疲れてる。」
そんなの、分からない。分からないよ。きらり。