「本日はー、見事な月でしてー。」
公園の真ん中で立ち止まり、芳乃は空を見上げた。
「……芳乃、実家に居たんじゃなかったの?」
夏休みに入ると、所属アイドルの殆どは実家に帰省することを選んだ。
私は、お父さんのところに行くこともできたけれど。
でも、やっぱり止めておいた。
なんだか、まだ、それは早いように思えたから。
今まで通り、たまに手紙を送るくらいが、私には心地良かった。
きらりも、当然のように私と一緒に暮らし続けた。
しかし芳乃は、間違いなく帰省を選んだ1人だった。
彼女の出身は鹿児島だ。そう簡単に来れる距離じゃない。
「はいー、電車を乗り継ぎ、つい先程到着致しましてー。」
電車。
飛行機ではなく、新幹線ですらなく、電車。
まさかガタンゴトンと揺られてきたのか。丸1日以上かかるぞ。
せめて普通列車ではなく急行であってくれ。
「……それで、何でわざわざ?」
私が問うと、彼女はこちらに振り返る。
着物の袖の、ふわりと浮かぶ姿が、月光に照らされて。
これまで何度この感想を抱いただろうか。
彼女は、まるで神様のようだった。
「悩みごとが、お有りでしょうー?」
芳乃は柔らかい笑みを浮かべる。
他者の気を読むことが出来る彼女。
趣味が石ころ集めと失せ物探し、そして悩み事解決の彼女。
彼女はきらりと仁奈に関する問題の為にここに居た。
「……助けて、くれるの?」
藁にも縋り付きたい状況だった。
仁奈とその母親との関係性が、異常だということは私にも理解できた。
正常にしなければならなくて。それはまだ、まだ手遅れではなくて。
でも、何が正常なのか。
何を以ってして、親子の関係は正常と判断されるのか。
この異常な関係性を、どうすれば正常に直せるのか。
一般的に異常とされるだろう家庭で育った私には、分からなかった。
きらりを頼るしか、思いつかなかった。
「……助けてよ。」
しかし、そのきらりにも問題が発生した。
きらりは、これまで避け続けていたことを。
自分は怪物であるという認識の。
確固たる証拠を得てしまった。
仁奈の母親は彼女の姿を見て逃げ出し。
仁奈にすらも、恐怖を覚えさせてしまった。
その事実を、認識してしまった。
「何とか、してよ……!」
どうすればいいんだよ。
だって、きらりは見てしまった。
恐怖に歪む仁奈の顔を。
例えそれが本人の意志によるものじゃないとしても。
それでも、見てしまったんだ。
もう彼女に励ましは通用しない。
もう彼女に、それは思い込みだと。
そう思い込ませることは、できない。
いくら私が弁明したって、事実は決して変わらない。
その事実を、彼女は決して軽視しない。
そんなの、どうすればいいんだよ。
「いいえー。
わたくしが出来ることなどー、ほんの少ししかありませんー。」
しかし芳乃は、ゆっくりと首を横に振る。
私が食い下がろうとする前に、彼女は言葉を続けた。
「ただ、思い出させて差し上げるのみー。」
ゆっくりと、美しさすら感じさせる動作で、芳乃は私の前へ歩み寄る。
その両手は私の頬に触れ、少しだけ持ち上げる。
「そなたに助けなど、最早必要ないということをー。」
小柄な、しかし私より12cm大きい少女。
その瞳と、目が合った。
「さあ、よく見てくださいませー。」
その瞳は、私の目を見てはいなかった。
私の目の、その奥にあるものを。
彼女の瞳は、それを映し出していた。
彼女の瞳を通して、私は私自身を見ていた。
「そなたはー、きらり殿をどうお思いでしてー?」
──優しいし、可愛いし、フリフリな服だって似合いそうだ。……というか、私服がフリフリだ。
「きらり殿はー、アイドルには向いていないと感じましてー?」
──確かにきらりには、アイドルはぴったりだと思う。
「きらり殿がそなたの元を離れても、そなたは何とも思いませんかー?」
──きらりが居ないのは、嫌だ。
「そなたが1人で歩けるならばー、そなたはきらり殿から離れましてー?」
──胸を張って、きらりに会いに行けるように。
「きらり殿が、もし怪物に成り果ててしまったならばー。
そなたはきらり殿を見捨てましてー?」
──どちらかが失敗したときには、どちらかが支えよう。
「きらり殿を救う方法が、もし何一つ思いつかなかったならばー。
そなたはきらり殿を諦めましてー?」
──思いっきり、我が儘を言ってやる。
「きらり殿とそなたはー、全てが異なる存在でしてー?」
──私と同じように、怖いのだと。
「それら全てをー。きらり殿は知っておいででしてー?」
──彼女の表情にあったのは、喜びだけではなかった。
「……そなたはー。きらり殿を、どうお思いでしてー?」
──これが、私の一番の親友。諸星きらりとの出会いだった。
「……できるかな。」
不安は、無かった。
「私に、できるかな。」
ついさっきまで、確かに私を蝕んでいたはずのそれは。
私を押し潰そうと躍起になっていたはずのそれは。
影も形もなく、消え失せていた。
「……わたくしはー、そなたのことを、ほんの少ししか知りませぬー。」
決意だけがあった。
助けなきゃ。助けられる。助けたい。
そのどれでもなかった。
きらりを、助ける。
その決意だけが、胸の底にずしりと鎮座していた。
「しかしー。ほたる殿を救おうとしたそなたはー。」
芳乃は私の頬から手を離し、私の右手を掴む。
それを2人の胸の前まで持ってくると、両手で包み込む。
「短い手足と知りながら、それでも必死に走り続けたそなたはー。」
その姿は、祈るようで。
「悩み続けたその先が、四方を囲まれ八方に塞がれていても。
それでも尚、もがき続けたそなたはー。」
その姿は、信じるようで。
「とても無様でー。矮小でー。痛々しくー。無力でー。」
その姿は、称えるようで。
「そして、格好良かったですよー。」
その姿は、勇気をくれた。
「……それ、気でも読んだ?」
軽く笑いながら、私は目の前の少女に問う。
彼女が私にかけた言葉は、的確に私を鼓舞したから。
私自身無自覚だった、欲しかった言葉をくれたから。
「内緒、でしてー。」
芳乃はただ、柔らかく笑った。
「芳乃。」
どちらでもよかった。
それが私の望むものだと分かっていたか。
彼女が放った言葉が、偶然私の望み通りだったのか。
そのどちらが正しいかなんて、どうでもいいことだった。
「でしてー?」
この言葉を伝えることを、心の底から望んでいた。
素直な感情を、素直に伝えたかった。
「助けてくれて、ありがとう。」
私は確かに、彼女に救われたのだから。
「……でしてー。」
芳乃は先程と同じように笑う。
その笑顔は、先程のものとは違っていた。
双葉杏がその場を去った後。
「そなたらはー。実に、実に奇異な気をしておりましてー。」
芳乃は再び空を仰いでいた。
「何もかもが異なりー、そして何もかもが同じー。」
その瞳は月を映し、月ではない何か別のものを見ていた。
「正反対で、対照的で、そして同一の存在ー。」
その何かに向けて、芳乃は1人呟く。
「……気付いて、おいでですかー。」
何もかも違うものを持って生まれ。
何もかも同じことを悩み。
何もかもを互いに求めた2人。
芳乃が見据えるその先は、果たして、そのどちらか。
「そなたはもう、かつて望んだ御姿に成られているのですよー。」