「……どうかな?」
私が話を締め括ると、目の前の少女は難しい顔をした。
杏ちゃんから、今私達が直面している問題についてを聞いた。
話を聞く限り、これが一番だと思う。
性急に解決を目指しては、かえって事態が悪化する。
腰を据えて、じっくりと向き合っていくべき問題のように見えた。
「……理にかなってる。
きっと、失敗することも無い。」
手はテキパキと私の足の応急処置を続けたまま。
目をつむって思考を巡らせた彼女は、私の提案をそう評価した。
「でも。……本当に、いいの?」
杏ちゃんが心配そうに、私の顔を覗き込む。
この方法は、『諸星きらり』にはできないことだから。
怖がられなければいけないことだから。
それを前提としたものだから。
「……うん。もう、大丈夫。」
だからこそ、やりたいと思った。
これは杏ちゃんにはできないことだから。
私の嫌いな私には、できることだから。
「私は、私にできることをしたいから。」
向き合うって、決めたから。
「だから、杏ちゃんは、仁奈ちゃんの側に居てあげて。」
それは今の私にはできないことだから。
髪が黒いままで仁奈ちゃんに会ったら。
きっとまた、傷付けてしまうから。
「……仁奈、泣いてたよ。」
彼女の手が動くたびに、足が固定されていく。
「うん。」
テープが巻かれていくたびに、痛みが消えていく。
「助けてくれたのに、怖がっちゃったって。」
言葉が包み込むたびに、不安が溶けていく。
「うん。」
彼女が居ると思えるたびに、身体が軽くなっていく。
「だから。抱きしめてあげて。」
終わったよ、と、足を軽く叩かれた。
「……うん。」
私はゆっくりと立ち上がる。
足元は確かだった。
ふらつきなどしなかった。
少し背伸びして上を見上げると、天井が髪を掠めた。
ずっと、上を見るのが嫌いだった。
遠くにあって当然のものが、すぐ近くにあったから。
でも。
今は不思議と、嫌じゃない。
これは杏ちゃんにはできないこと。
私にならできること。
私の憧れの、その助けになるのなら。
この大嫌いな身体も、存外悪くはない。
「ああ、ちょっと待って。」
声のする方を見ると、杏ちゃんが私を見上げていた。
可愛らしい手に、可愛らしい包装の袋を乗せて。
私へと差し出していた。
「……本当は、誕生日にあげるつもりだったけど。」
開けてもいいの? と聞くと、少女は頷いて。
私は促されるままに、その中身を手に取った。
「前のは、傷が付いちゃったでしょ。
……それ付けて、仁奈に会ってあげて。」
髪飾りだった。
パステルカラーの、可愛らしい髪飾り。
私が好きな色、私が好きな形の。
髪飾り、だった。
あの日落とした髪飾り。
拾えなかった髪飾り。
もう付けられないと思っていた髪飾り。
視界が、滲んだ。
「……何泣いてんのさ。」
杏ちゃんが、仕方ないなぁ、と笑う。
その声色が優しくて。
私は包みを抱きしめる。
強く、強く。
その感触を確かめるように。
もう落としてしまわないように。
「ごめん、ね、なんで、いまさら、」
今更、涙が止まらない。
「つけてて、いい、のかな。
変じゃ、ない、かな。」
今更、安心してしまう。
「選んだ私のセンスが悪いって?」
よかった。
「ううん、かわいい。かわいい、よ。
かわいくて、かわいいから、だから……っ」
よかった。
「うん。可愛いからさ。だから。」
よかった。
「……だから、似合うよ。きっと。」
私、可愛くても、いいんだ。
「……ただいま。」
家に帰ると、ぬいぐるみを抱えた仁奈が、角からぴょこりと顔を出した。
私しか居ないことに気付き、表情を曇らせる。
「きらりは、キグルミを着てから帰るってさ。」
本当は、それだけではないのだけれど。
仁奈がほっと顔を綻ばせながら、私の元へ駆け寄ってきたから。
それだけということにしておこう。
「ぬいぐるみ、大人しくしてた?」
仁奈が私にぬいぐるみを差し出す。
冗談のつもりでそんなことを言いながら、私はそれを受け取った。
「……ずっと、寂しそうにしてやがりました。」
しかし、仁奈が真面目な顔をして返すものだから。
少しだけ面食らってしまう。
「……そっか。寂しかった、か。」
うさぎの表情を見つめる。
ごめんね。
私は心の中で話しかける。
でも、できたよ。
私にも、できたんだ。
きらりを、助けられたよ。
フェルトで作られたぬいぐるみの、フェルトで作られた表情。
変わるはずのない、固定された表情。
一瞬だけ。
笑ったような、気がした。
「……ねえ、仁奈。」
うさぎから仁奈に視線を移す。
確認しなきゃならないことがあった。
仁奈は、例え嫌われていたとしても、母親の側に居たいと言った。
「仁奈のママが、仁奈をどう思っているか。
分かるとしたら、どうする?」
でも。もしもの話と、実際の話は違う。
嫌われていると仮定した上での選択と。
本当に嫌われているという事実を突きつけられるのは、違う。
「このまま、分からないままで居たい?
……それとも、正解が欲しい?」
このまま、不明瞭なまま。
あやふやなままで居ることもできる。
そうすれば、傷つくことはない。
希望を持ったままで。期待したままで。
前に、進めないままで。
「……わからねーです。」
答えを出せば。
正解を知れば。
理想が、手に入るかもしれない。
でも。傷つくかも、しれない。
「わからねーですよ。」
僅か9歳の少女には、あまりに酷な質問だった。
逃げたくて当然で。
逃げることが許されるべき年齢だった。
「今すぐに、分かるわけじゃないんだ。」
この正解が分かるのは、ずっと先。
1年後かもしれないし、10年後かもしれない。
でもいつか、確実に答えは出る。
「……うさぎさんなら、どうするでごぜーますか?」
仁奈はうさぎに問いかける。
失敗した双葉杏に。
私はぬいぐるみに口を押し当てる。
『……とても。とっても、怖いです。』
私は、逃げた。
お母さんからも、お父さんからも。
逃げて、独りで部屋の中。
見えないように、逃げていた。
『もし嫌われていたら。一生、愛されないとしたら。』
お母さんに、愛されることを失敗した。
私はお母さんに殺された。
そう思って生きていた。
私は確かに、拒絶されたから。
『でも。嫌われてなかったら。』
仁奈の母親のように。
お母さんも、悩んでいるのなら。
私のことで、悩んでくれているのなら。
また愛そうと、してくれるのなら。
『きっと、明るくて。きっと、暖かくて。』
お父さんの感触を思い出す。
不器用で。必死で。だからこそ。
『きっと、嬉しいから。』
ぬいぐるみから顔を離す。
きらりは、こうするべきだと言った。
きらりの言葉なら、信じられるから。
「……だから。」
確証なんて無い。
全部私の思い上がりで。
勝手に期待しているだけで。
ひどく自分を傷つけるだけかもしれない。
だから。
前向きになんて、なれそうにないから。
「駄目だったら、2人で泣こう。」