「にょわーーーーっ☆☆☆☆☆☆」
うん、知ってた。
そりゃこうなりますよね。
好きですもんね、ちっちゃいの。
きらりは私を左腕に抱え、ぐるぐるとその場で回転し続ける。
彼女がこうなったら落ち着くまでハピハピさせ続けるしかないことを、私は経験から学んでいた。
「ぐるぐるでごぜーまぁぁぁぁぁ!?」
右側から悲痛な叫びが。
すまない少女よ。私にはどうすることもできない。耐えてくれ。
それから30秒ほどして。
ちっちゃいものの片方が見慣れぬ子供であることに気付き、きらりは回転運動を止めた。
「ご、ごめんねぇ?……大丈夫?」
「世界が……世界が回ってやがります……。」
申し訳なさそうにしゃがみ込んで目線を合わせるきらり。
仁奈は、漫画だったら目が渦巻になっているんだろうなと思わせるふらつきっぷりを披露していた。
「後で説明するからさ。取り敢えず、シャワー浴びてくるよ。」
一方私は慣れたもので、今では殆ど酔うことはない。
鍛え上げられた三半規管。ムキムキである。
両目をなるとのようにした仁奈の手を引き、脱衣所へと向かう。
その時。きらりが一瞬、寂しそうな、不安そうな。
そんな、不安定な表情を浮かべた理由が分からなくて、私は気付かないフリをした。
「はい、バンザイして。バンザーイ。」
仁奈のキグルミを脱がしやすいポーズを取ってもらおうと、自ら両手を高く掲げて見せる。
しかしウサギは、拒絶するようにフードを深く被り直した。
「……仁奈は、大丈夫でごぜーます。
うさぎさんだけ入ってくだせー。」
「いや、大丈夫なわけないでしょ。
この真夏日にそんなもん着て。肉まんにでもなるつもり?」
半ば冗談のつもりで発した言葉。
仁奈はそれを聞いて、それが名案であるかのように食いついた。
「そ、そうでごぜーます。仁奈は肉まんの気持ちになるですよ。
肉まんは水浴びしねーです。だから……、」
真夏に一日中キグルミの中で蒸されたんだ。
きっと身体中ベタベタして、すぐにでも拭き取ってしまいたいはず。
それでも、こうまでシャワーを拒む理由。
「……身体のことなら、誰にも言わないよ。」
1つ、最悪な予感があって。
確かめるようにそう言うと、仁奈はびくりと身体を震わせた。
何でそれを知っているのか、と、怯えた顔で私を見る。
……ああ、大正解か。畜生。
「言わない。あのお姉さんにも。仁奈のママにも。誰にも。
……ベタベタして、気持ち悪いでしょ? 汗疹になっちゃうよ。」
やはり、シャワーを浴びたいのは確かなようで。
私の言葉に反応するように、仁奈は浴室の方を見た。
「ほ、ほんとでやがりますか? ほんとに誰にも……、」
それでもまだ不安がる仁奈に、小指を差し出す。
「うん。ほら、指切り。」
きっとこの子の中で、指切りは絶大な効果を持っている。
それこそ、指切りをして交わした約束は、必ず守られなければならないような。
そんな、絶対的な意味がある。
事務所での仁奈の行動を思い返し、私はそう推測した。
仁奈は私の指を、じっと見つめる。
それから。数十秒か、数分か。
長い長い逡巡の末に。
自らの小指を、恐る恐る絡ませた。
「……よし。じゃ、脱がすよ。」
私がそう言うと、仁奈はまだ表情を曇らせながらも、素直にバンザイの形を取ってくれた。
これから見るであろうものを心の中で覚悟して、私は仁奈に手を伸ばす。
背中のチャックを下ろし、脱皮するように脱がせる。
「──ぁ、」
精一杯だった。
衝動に身を任せないように。
声を出さないように。壁を殴らないように。
仁奈を怯えさせないように。
平常を見せかけるので、精一杯だった。
綺麗な白い肌に滲むように浮かぶ、青、紫、赤。
おびただしい数の打撲傷、擦り傷。
それが、服によって自然と隠れるであろう部分を中心に、
ああ、そんな、こんな、
冗談かって、くらい、たくさん、
「……うさぎさん?」
仁奈が不安そうに私の顔を見る。
駄目だ。気付かれる。
今すぐに感情を殺せ。
無理にでも笑え。笑顔を貼り付けろ。
練習しただろう。得意だっただろう。作り笑いは。
「……じゃ、さっさと流しちゃおうか。」
声を明るくして、仁奈に笑いかける。
その顔を見て、ウサギはやっと、安心したように柔らかく笑った。
……仁奈に見られないように、ほっと胸を撫で下ろす。
きらりに任せようかとも思っていた。
きっと、きらりの方が子供の扱いは上手いだろうと。
任せないで正解だった。
こんな姿を見たら、彼女はどうなっていたか、分からないから。
「あ、シャンプーハット使う?」
「……おねげーします。」
泡が目に入るのは嫌だけれど、シャンプーハットを使うのは恥ずかしい。
その2つを天秤にかけ、使うことを選んだ少女の表情は、私の心境とは場違いに可愛らしかった。
これはきらりが使ってるやつだから、恥ずかしがらなくていいんだよ。
……彼女の尊厳を尊重して、この言葉は心にしまっておくことにした。
疲れていたのだろう。
シャワーを浴び終わり、傷が見えないように見繕った服……つまりは私のパジャマを着ると。
夕飯が出来上がる前に、仁奈は静かに寝息を立て始めた。
「……杏ちゃん。」
仁奈について知っていることを、教えて欲しい。
きらりの顔には、そう書かれていた。
「多分、いや、ほぼ確実に。……親から虐待を受けてる。」
感情を込めずに、淡々と告げる。
そうしなければ、八つ当たりしてしまいそうだった。
「書類を持って、事務所の前で立ち尽くしてた。
住所と、保護者の名前だけ、綺麗に空欄な書類を持って。」
それが何を意味するのか、分からない彼女ではない。
きらりはそっと目を伏せる。
膝の上で眠る少女を起こさないように、その髪をゆっくりと撫でた。
「今、プロデューサーが手続きをしてる。
この子が生きていけるように。
それが済むまでは、ここで……。」
「杏ちゃんは、それでいいの?」
きらりに許諾を取ろうと話していると、逆に問いかけられる。
彼女の顔を見ると、プロデューサーと重なって見えた。
きらりも、彼ほど完全にではないにせよ、私の過去を知っている。
彼と同じような心配をしてくれているのだろう。
「この子がして欲しいこと。されたくないこと。
……多少は予想がつくからさ。」
だから、同じような言葉を返す。
私がやった方が、合理的であるからと。
「……杏ちゃんが、いいなら。
きらりも、お手伝いするにぃ。」
「……ありがとう。」
この子のために、何か。
自分と似ているこの子のために、何かができるのなら。
その本音は、まだ、身体の外側に出すことができなかった。