「きらりおねーさぁぁぁぁぁぁん!?」
お昼ご飯の準備をしていると、仁奈ちゃんが目をまんまるにしながらドタドタとやってきた。
「んゆ? どしたの?」
持っていた包丁をシンクの奥にそっと置き、エプロンで手を拭きながらしゃがみ込む。
目線を合わせると、仁奈ちゃんは先程まで杏ちゃんと一緒に見ていたテレビを指差した。
「テレビの中で杏おねーさんが踊ってやがるです!
でも杏おねーさんはあそこに居やがります! どうなってやがるです!?」
私達が所属している事務所は、この業界には珍しく、夏休みがある。
しかし夏休み中全くメディアに露出しないというわけにもいかないので、春から初夏のうちにその分の撮り溜めを行う。
きっと、そのうちの1つが放映されていたのだろう。
あまりに混乱しているのか、仁奈ちゃんはやたらと「やがる」を連呼する。
そう言えば、まだ説明していなかった。
少女の慌てっぷりに思わずくすりと笑いながら、私はどこから教えたものかと口元に手を当てる。
「えっとね、仁奈ちゃん。
きらりと杏ちゃんは、アイドルなの。」
「アイドルでごぜーますか、仁奈もアイドルになるですよ!」
それを聞いて嬉しそうに笑う仁奈ちゃんの頭を、ウサギのフード越しにそっと撫でる。
先日色々なキグルミを買ったが、元から着ていたウサギのものが一番のお気に入りのようだった。
ウサギ、他の何か、ウサギ、というローテーションで着回しされている。
「うん、仁奈ちゃんと同じ、アイドル。
それでね。アイドルのお仕事の1つに、テレビに出るお仕事があるの。」
仁奈ちゃんは再び目をまんまるにして、口をあんぐりと開ける。
表情がコロコロと変わるのが可愛らしくて、つい顔が綻んでしまう。
「アイドルになったら、テレビに入れるですか!?」
テレビに入る、という表現。
きっとまだ、テレビ番組が放映される仕組みを知らないのだろう。
「んっと、あれは杏ちゃんが前もってテレビに入っておいたのを、後から映してるの。
勿論テレビに入っているのをそのまま映すこともあるんだけど、それは生放送って言って……。
あれ? ええっとぉ……。」
なるべく難しい言葉を使わないように説明しようとするが、言っているうちに自分でもよく分からなくなってくる。
話を中断して仁奈ちゃんを見ると、案の定頭の上にはてなマークを浮かべていた。
「……杏ちゃんは?」
杏ちゃんに助けを求めようと、その所在を尋ねる。
仁奈ちゃんと一緒に居たはずなのにわざわざこちらまで聞きに来たことから、大体察せてしまうけれど。
「テレビを付けてすぐに寝やがりましたですよ。」
やっぱり。
杏ちゃんが起きたら、一緒に教えてもらおう。
心の中で彼女に謝りながらそう告げて、何とか事なきを得た。
時計の短針が真上を指すまでの間。
ご飯の準備が終わった私は、うさぎのぬいぐるみを抱きしめて眠る杏ちゃんに毛布をかけてから。
仁奈ちゃんと並んで座って、テレビを眺めていた。
画面には、自然の中を元気に走り回る動物の姿が映し出されている。
「……アイドルになったら、仁奈も、テレビに入れるでごぜーますか?」
ふと、仁奈ちゃんが、ぽつり。
テレビから視線を外し、隣を向く。
視線を少し下げ、私の膝の辺りを見つめて。
そう問う少女の表情は、初めて会った日の彼女だった。
「うん、入れるよ。
仁奈ちゃんは、テレビに入りたい?」
だから私は、努めて明るく言葉を返す。
仁奈ちゃんは、ゆっくりと。
しかし、確かに頷いた。
「テレビの杏おねーさん、いろんな人に囲まれてやがりました。
すげー、嬉しそうだったです。
仁奈も、仁奈も……。」
言葉の途中で、少女はフードを両手で引っ張る。
可愛らしくプリントされたウサギと目が合った。
「……仁奈も、杏おねーさんと同じです。」
「同じ、って?」
ウサギは、杏ちゃんが抱えているぬいぐるみを見つめながら。
私に伝えるべき言葉を探しているようだった。
「…………仁奈のキグルミ、モフモフで気持ちいーです。」
随分と時間をかけて、少女が発した言葉は。
一見、これまでの会話との脈絡が無いように見えた。
「うん、お洗濯するときに、きらりもついモフモフしちゃうにぃ。」
それの意味するところを探るように会話を続ける。
テレビの動物番組は、ウサギの生態に差し掛かっていた。
「……だから、モフモフしてもいーですよ。」
消え入りそうな声。
テレビの音に掻き消されてしまいそうな声。
例え、私に無視されても。何の反応もなくても。
仕方ないと言い聞かせてしまえそうな、小さい声。
「……ね、仁奈ちゃん。」
聞き逃すわけにはいかなかった。
間違えるわけにはいかなかった。
私はウサギを抱きしめる。
私の大きい身体の中に、すっぽりと入る、小さい少女。
その柔らかい殻の奥にまで、気持ちがちゃんと伝わるように。
強く、強く。
「仁奈ちゃんのキグルミも、モフモフで気持ちいいけれど。」
この子は。そうしなければならなかったのだ。
キグルミを利用しなければ。
他人がキグルミを抱きしめる際に生じる副産物。
それに頼らなければならなかったのだ。
「きらり、仁奈ちゃんも、ぎゅってしてみたいなぁ。」
そうしなければ、抱きしめてすらもらえなかったのだ。
「……仁奈、モフモフじゃねーです。」
自分にそんな価値は無い。
ありのままでは、抱きしめてもらえない。
愛してなんてもらえない。
だから自分を着飾った。
「抱きしめても、気持ちよくねーです。」
それはきっと、珍しくもない普通のこと。
みんな、何かを隠して生きている。
でも。それはある程度、大きくなってからの話だ。
ましてや、親に愛されるために、何かを頑張らなければならないなんて。
「だから、仁奈を抱きしめても、いいことなんて、」
杏ちゃんの顔が脳裏によぎる。
愛されることに失敗した。彼女はそう言っていた。
違う。そんなのは違う。
間違っているべきだ。否定されるべきなのだ。
子供は親に愛されて。
親は子供を愛して。
それは、何の対価も無く、無条件で。
「それでも、抱きしめてみたいなぁ。」
与えられるべきものだから。
「……んあ。」
目を覚ますと、毛布の中。
きらりがかけてくれたのだろうそれからのっそりと抜け出すと、時刻は12時を少し過ぎていた。
「……あれ?」
辺りを見回すと、きらりに包まれた仁奈の姿。
珍しくキグルミを脱ぎ、私服を着て。
二人共、穏やかな寝息を立てていた。
「……寝るかぁ。」
付けっぱなしのテレビから流れるのどかな音声を聞き流しながら、あくびを1つ。
仁奈の幸せそうな寝顔を、まだ、そのままにしておきたくて。
今日の昼寝は、いつもより少しだけ長くなった。
『──は寂しいと死んでしまう、という話が有名ですね。さて、次の……』