市原仁奈の寵愛法   作:maron5650

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6.それをまだ待っている

「また、用事……ね。」

 

淡いピンク色のメモ用紙をひらひらと揺らしながら、私はもう一方の手で頬杖をついた。

 

最近、きらりが家を空ける頻度が増してきた。

時間は決まって、昼頃から夕飯前までの6~7時間ほど。

別にそれを咎める気はない。

きらりは元々私よりもアウトドア派だし、彼女にだって外出する権利くらい当然ある。

詳しい行き先や内容を書かないのも、きっと知られたくないからで。

だから余計な詮索をする気にはならなかった。

 

「……何か、抱え込んでなきゃいいけど。」

 

きらりは滅多に他人に助けを乞うことをしない。

何か悩みがあったとしてもいつも通りに笑って、そして1人で考える。

考えて考えて、どうしようもなくなったとき。

その時になって、ようやく静かに涙を流す。

それは彼女のプライドによるものではなく、彼女の優しさが引き起こすものだった。

他人に心配や迷惑をかけたくない。故に彼女はそれを隠そうとする。

 

だからこそ、心配になる。

 

彼女が残した飴を見つめる。

あの不安定な表情が、脳裏に映し出された。

 

「今日もきらりおねーさん、いやがらねーですか?」

 

私が持つ紙を見て、仁奈が寂しそうに尋ねてくる。

 

「そうみたい。今日は何がいい?」

 

仁奈の前で、不安げな顔を浮かばせるわけにはいかない。

私は頭を切り替え、いつも通りの眠そうな顔を作った。

 

「オムライス!」

 

即答である。そしてこの笑顔。

 

「好きだねぇ……いいけどさ。」

 

時刻は11時とちょっと。

そろそろ作ろうかと、私は重い腰を上げる。

ふと足元から、ぶちっ、と音が響く。

 

「「……あ。」」

 

座布団代わりにしていたうさぎのぬいぐるみのポケットが、足の指に引っかかって。

ただでさえ少し剥がれかけているそれの縫い目が、また1つ少なくなっていた。

 

「……あーあ。」

 

ちょっとだけ肩を落としながら、うさぎの耳をむんずと掴んで持ち上げ、状態を確認する。

普段から雑に扱っているから、この程度のことならそう珍しくはない。

むしろ良くしがみついてくれているとポケットを褒めてやりたいくらいだ。

 

「う、ううううさぎさんのお腹があわわわわわわ」

 

しかし仁奈はそうではなく、ぬいぐるみの周りをあたふたと走り回っていた。

 

「大丈夫、うさぎはこんなことじゃへこたれないよ。多分。」

 

それを適当に流し、私は冷蔵庫へと手を伸ばす。

ご飯は昨日炊いたのがある。

卵は……ギリギリ足りるか。

帰りにきらりに買ってきてもらおう。

 

「……うさぎさん、治せねーですか?」

 

背中に声がかかる。

それが随分と湿り気を帯びているのに気付き、振り向くと。

「しょんぼり」という単語がこれ以上なくしっくりとくる仁奈の姿があった。

 

「……そうだねぇ。」

 

私は再び、ぬいぐるみを見つめる。

綺麗なピンク色だった布地は様々な汚れを吸収し。

ふかふかな触り心地を与えてくれた綿はその殆どが外へ漏れ出し。

その表情はクタクタに疲れ果てていた。

本当に、ボロボロだ。

 

「……うさぎさん、かわいそうでごぜーます。」

 

お母さんを思い出す。

このぬいぐるみを買ってもらって間もない頃。

汚れないように、傷つかないように、細心の注意を払って私はうさぎに接していた。

しかし、所詮は四捨五入すればゼロになる程度しか生きていない小娘だ。

心とは裏腹に、私はうさぎをすぐに傷付けた。

その度に、お母さんに泣きついた。

お母さんは笑って、針と糸を取り出して。

ちくちく。ちくちく。

そしてお母さんが再び私の所に来ると、うさぎはすっかり元気になっていた。

 

「直せないことは、無いけれど。」

 

もう、直してはもらえない。

そんなことは分かっている。

きらりに頼めば、きっと元通りにしてくれる。

そんなことは分かりきっている。

でも、それでも。

うさぎを直してくれるのは、お母さんなのだ。

過去の私を治してくれるのは、お母さんだけなのだ。

 

「なら……っ!」

 

だからこうして、無意味な自傷を繰り返す。

お母さん。うさぎはこんなに傷付いています。

だから、治してください。

あの日のように、頭を撫でて。

泣き止むまであやしてください。

そんな、報われようのない主張を繰り返す。

 

「……でも。」

 

そうしていたら、いつか。

いつかお母さんがやって来て。

また笑って。

また頭を撫でて。

しょうがないわねぇ、って。

針と糸を持ってきてくれる。

 

「でも、いいんだよ。これで。」

 

そんな夢を、まだ、待っている。

 

仁奈はもう、何も言わなかった。

私も、淡々と準備を進める。

少しだけくたびれた、仁奈のウサギの耳を見て。

この子が気兼ねなく、キグルミを使えるようになったらいい。

傷付いても治してもらえる、確かな場所があればいい。

そうやって、いつか脱げる日が来ればいい。

 

ただ、そう願った。

 

 

 

 

「……ね、杏ちゃん。」

 

日付が変わる2時間前。

布団の中で丸くなって眠る仁奈の背中をトントンと優しく叩きながら、きらりがふと口を開いた。

 

「ん?」

 

「仁奈ちゃんが泣いてるとこ、見たことある?」

 

これまでの仁奈の顔を思い出す。

不安げな顔。嬉しそうな顔。驚いている顔。ほっとした顔。涙を溜めた顔。

 

「……無い、かも。」

 

しかし、きらりが指しているであろう、仁奈がわんわんと声を上げて泣いている姿は。

一度たりとも見た記憶が無かった。

 

「きらりもね。見たこと、無いの。」

 

そう語る彼女の声色は、それを喜んではいなかった。

 

「まだ、緊張してるのかな。」

 

「……それなら、いいんだけど。」

 

それ以上、きらりは何も言わなかった。

この時、きらりが何を言いたかったのか。

きらりは何を危惧していたのか。

 

 

 

 

 

それを私が理解するのは、すぐ後のことだった。

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