市原仁奈の寵愛法   作:maron5650

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7.静かな夜

仁奈もきらりも、共に寝静まった真夜中。

私は毛布の中で、小型のノートパソコンを起動した。

 

仁奈と接することは、私の中のあまり良い気のしない記憶を呼び起こす。

それは仕方のないことだと割り切ってはいる。

だからこそ引き取った、とも言える。

年月は問題を解決こそしなかったが、それに慣れさせることはやってのけた。

今更私の昔のことで、感情を高ぶらせることは無い。

 

だが。

仁奈の姿を見てどう思うかは、別の話だ。

仁奈がこれまで受けた仕打ちを垣間見る度に、私の記憶の類似している部分が照合される。

その結果、その時仁奈がどう思っていたか。

どんな気持ちでいたのか。

それを推測することは、私にとっては容易なことで。

 

どうしようもなく、腹が立つ。

 

私のことは別にいい。

私の問題は、私に原因があったから。

双葉杏がおよそ年相応の反応を見せなかったせいで、事態は発生してしまったのだから。

 

しかし、市原仁奈は違う。

市原仁奈は私とは違う。

仁奈は何もしていない。

仁奈は何も間違ったことをしていない。

 

その仁奈が何故、私と同じ仕打ちを受けなければならない。

 

ああ、腹が立つ。

仁奈の母親に腹が立つ。

理不尽だ。

あまりにも理不尽だ。

 

何故あの子を愛さない。

仁奈は愛されるに足る存在だろう。

何故あの子を見捨てておける。

仁奈はまだ1人じゃ何も出来ないのに。

何故あの子を閉じ込めた。

キグルミなんかに閉じ込めた。

 

愛されなかった確かな証拠に、市原仁奈を閉じ込めた。

 

キーボードを乱雑に叩く。

文字が画面上に広がっていく。

それは仁奈の発言を纏めたものだった。

それは仁奈の身体的特徴を綴ったものだった。

市原仁奈が被害を受けた、虐待の記録だった。

 

仁奈が受けた扱いが、医学心理学的に子供にどのような影響を及ぼすとされているか。

法的に虐待と認められた行為の中に、仁奈も受けているものが入っているか。

平均的な同年代の子供と比べて、仁奈がどれだけ逸脱しているか。

それらを1つ1つ。論理性を欠かないように、感情を混ぜ込まないように。

慎重に、慎重に書き連ねていく。

 

これはただの八つ当たりだ。

誰にぶつけることも叶わない激情の捌け口だ。

これを完成させたところで、何がどうなるわけでもない。

それでも、こうしてでもいなければ。

思わず振り上げた拳を、どこにでもいいから叩きつけなければ。

私は理性を保てそうになかった。

 

布団の中で、カタカタと音が反響する。

ふと、私が立てた以外の生活音が聞こえたような気がして。

私は反射的に手を止め、画面を消した。

これを見て、良い気分になる人は誰もいないから。

 

注意深く耳をそばだてる。

きらりの静かな寝息が1つ。

それに隠れるように、もう1つの、何か。

特定にまでは至らないが、人が寝ているときに発する音以外のものがあった。

 

「……仁奈?」

 

きらりでないのなら、もう1人しか残されていない。

布団から顔を出した私が小さく尋ねると、仁奈の布団はびくりと震えた。

 

「……すー、すー。」

 

そして、仁奈は寝息を発し始める。

……と、私が勘違いするのを期待しているのであろう、狸寝入りを始めた。

 

「……。」

 

仁奈に気付かれないように、そっと布団から抜け出す。

そのまま音を立てずに仁奈の布団の前まで移動すると、仁奈に包まっている毛布を一気に持ち上げた。

 

「…………仁奈。」

 

きらりの言葉が反芻される。

仁奈が泣いているところを見たことがない。

彼女は不安げにそう言っていた。

当然のことだった。

私達がそれを目にするはずがなかった。

 

「ち……ちげーでごぜーます、これ、は、」

 

仁奈は、それを隠していたのだから。

誰の目にも触れないように、声を殺していたのだから。

 

「仁奈、泣いてなんか、ねー、です。

だい、じょーぶ、で、」

 

仁奈はぐしぐしと目元をこする。

その目が赤いのは、単に寝付けていないからではなかった。

 

「……仁奈。」

 

私が仁奈の名を呟くと、再びびくりと肩が震える。

……これは、まさか。

そういう、ことなのか。

 

「大丈夫だよ。」

 

顔を見せまいとする仁奈の両腕を掴み、少しだけ力を入れる。

大した抵抗もなく、それらは引き剥がされた。

涙でぐちゃぐちゃになった、怯えきった顔。

決してしてはいけないことをしてしまった。

仁奈の表情は、そう泣き叫んでいた。

 

「怒ったりなんか、しない。」

 

掴んだ両腕を引き寄せる。

仁奈は身体に力も入れず、私の胸にぽすりと入る。

私はそのまま、仁奈の頭に手を触れる。

これ以上怯えてしまわないように、そっと髪を撫でた。

 

「私やきらりの前では、泣いたっていいからさ。」

 

私は仁奈を抱きしめる。

ずっと、ずっと。

いつかきらりが、私にしてくれたように。

それがどれだけ暖かかったか、思い出すように。

 

「声を出して泣いたって、誰も責めやしないから。」

 

拭った涙が、再び溢れ出す。

人肌のものが布から染み出して、私の身体に触れるのを感じた。

 

「……だから、泣いたっていいんだよ。」

 

仁奈は、泣き続けた。

私の服を力いっぱい掴んで、顔を思い切り押し付けて。

今まで貯め続けてきたものを、全部流しきるように。

泣いて泣いて、泣き続けて。

涙も声も気力も、その全てが枯れ果ててしまうまで、泣いた。

 

 

 

 

「……落ち着いた?」

 

座布団の上にちょこんと座る仁奈に、電子レンジで温めたミルクを差し出した。

 

「……はいです。」

 

仁奈は目を真っ赤にしたまま、両手でそっと受け取る。

カーテンから光が漏れている。

今から寝直すにしては、空はあまりにも朝だった。

 

「今日はこのまま起きて、きらりをびっくりさせようか。」

 

私が意地悪そうな笑みを浮かべて提案すると、仁奈はやっと笑ってくれた。

じゃあ、きらりが起きるまでお話でもしよう。

私の言葉に、仁奈はマグカップを傾けながら頷いた。

 

「……事務所に連れてこられたとき。

家からタクシーに乗ったって言ってたけど、どんな景色が見えた?」

 

「あんまり覚えてねーです……踏切がカンカンうるさかったですよ。」

 

踏切。あの事務所の周辺には1つしか無い。

 

「タクシーの料金は、いくらくらいだった?」

 

「んー……数字は百の位まででごぜーました。」

 

そこまで長い距離を走ってはいない。

 

「……仁奈、お友達をお家に誘っちゃいけねーって、言われてるです……。」

 

仁奈が申し訳なさそうに下を向く。

流石にバレるか。

 

「ただの雑談だよ。大体、なんで行くのさ。仁奈はウチにいるのに。」

 

私がパッと思いついた適当な嘘をつくと、仁奈はなるほど確かにといった顔をした。

どうやら、誤魔化せたみたいだ。

 

「じゃあ、特にここは見せちゃダメ、って言われてる所とかは?」

 

「ママの机の引き出しは、絶対に開けちゃダメでごぜーます。」

 

その言い方から、仁奈の友人だけでなく、仁奈本人も開けてはならないものだと推測する。

 

「へー、何が入ってるんだろーね。」

 

大して関心もなさそうなフリをして、私は眠そうにあくびを1つ。

それを見た仁奈が、ムッとして私を咎めた。

 

「まだ寝ちゃダメでごぜーます、きらりおねーさんをびっくりさせるですよ?」

 

ごめんごめん、と頭を撫でる。

仁奈が嬉しそうに成すがままにされていると、きらりの布団がもぞもぞと動いて。

私達の姿を見て、「にょわーっ!? なんでぇー!?」と、本当に期待通りの反応をしてくれるものだから。

ドッキリ大成功、と、ハイタッチしながら2人で笑い合った。

 

 

 

 

 

ああ。本当に、腹が立つ。

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