「ん……」
外は灯をつけるかつけないか悩むような茜色。キキキキキとヒグラシが鳴く時間に、フランは目を覚ます。そこには薄暗くなった天井が映し出されていた。
下には布団は敷かれておらず、い草のいい匂いがする畳でフランの体には薄い毛布を掛けられているだけだった。
フランは体を起こし、ひとつ欠伸をしながら体を伸ばす。
辺りを見渡すとそこはテレビや机が置いてある部屋だった。それらは全て、夕焼けの柔らかい光を吸収した空に当てられて、茜色に染められている。
(……新之助まだ帰ってないのかな)
フランは枕の横に置かれていた帽子をかぶり、眠り眼で店へつながる扉の方へ歩いていく。
新之助はフランを起こすのをためらって店で仕事をしているのかもしれないと思ったのだ。今の時間なら店には誰かいるはずで、そこにいなくても誰かが新之助が帰ったかどうかを知っているはずだ。
「おや、ちっこいの、起きたのかい?」
フランが扉に手をかけようとした時、後ろから声をかけられる。新之助の祖母だ。
「新之助は?」
フランはよっぽど待ち遠しいのだろう、第一声がこれだ。
「まだ帰ってないねぇ。あの馬鹿はどこをほっつき歩いてんだか」
「そう……」
茜色ににじんだフランの顔がうつむいたことで表情が曇る。祭りに行こうと誘っておいて待たせるとはいったいどういう了見だ、といつものフランなら怒るだろうがまだ寝起き。だが小さな唇は刺されたら痛そうなくらいにとがっている。
祖母はため息混じりで呆れ顔だったが、そんなフランの様子に気付いたのか、フランに声をかけた。
「あんた暇かい?」
「え?……うん」
「じゃあちっと洗濯物を入れるの手伝ってくれないかい?」
新之助が帰ってこなければ特にやることも無い。もうすぐ帰ってくるなら祭りに行くので呼子の仕事もやらなくてもいいだろうと、フランは黙って頷く。
日の当たっていた庭には空に反射された、茜色で染まった洗濯物がびっしりと干されている。この量を取り込むのはひと苦労だろう。
庭は高い垣根によって囲まれており日の光はもう届かない。フランでも安心して作業が出来る。フランは自分の足には大きすぎるサンダルを履いてパタリパタリと音を立てながら祖母と共に外へ。
干された洗濯物を取るにはフランの背はあまりにも低すぎるので、祖母が取り外した物を順々に預かっていく。
前が見えないほど洗濯物を積み上げると二人が少し前に座っていた廊下へ乱暴に放り投げていく単純作業だ。
その従順に手伝いをしてくれるフランを満足げに見る祖母だったが当のフランの顔はさえない。新之助が帰ってこないのと寝起きという事もあいまってテンションが上がらないのだろう。
「そんな顔せんでもじきに帰ってくるさぁ」
そんなフランを見かねてまた祖母が声をかける。
「うん……」
しかしフランの言葉はそれだけだ。
祖母はため息を一つつくとフランの頭に手を置いて、目線の低いフランに合わせてしゃがみこむ。
「んな顔してたらぁ、新之助に嫌われるよぉっ」
「え? 新之助嫌いになる?」
うつむき、フランの元気のない表情が心配そうな表情に変わって祖母を見上げる。嫌われる、と言われた事に反応してしまったのだろう。
それを見て祖母は声を上げて笑う。
「あんた本当にあの子のことが好きなんだねぇ」
「うぅ……」
そしてまたフランはうつむいてしまう。今度は恥ずかしそうな表情で。更に茜色の色も加わって林檎飴のようだ。
しかしそれが嬉しかったのか祖母はフランの頭を軽く撫でてやる。
「あの子がそんな事で嫌いになるわけないさぁ! そんな浅い男に育てた覚えは無いからねぇ!」
フランはその嬉しそうな祖母の顔を見る。しわくちゃな顔をより一層しわくちゃにしてフランに微笑んでいる。
「あんただってそんな浅い男を好きになった覚えは無いだろう?」
そんな祖母が笑ってつぶれた目をフランに向けてそんな事を言う。
「うん!」
そしてフランはそんな祖母に今度は元気良く返事をするのだった。その顔には元気が戻り、更には笑顔も戻っていた。
「さて、じゃあ新之助が帰ってくる前に全部片付けちまうよぉ!」
「うん!」
全ての洗濯物を取り込むと、廊下には洗濯物がうずたかく積み上げられていた。
それを満足げに見る祖母とフラン。洗濯物取り込めば次にする事は決まっている。
部屋の中で隣に洗濯物を置いて正座する祖母。
「ほら、これをこうしてこうやって畳むんだ」
「う~……こう?」
祖母によって畳まれた洗濯物は端が綺麗に揃えられ、まるで服屋にきっちりと畳まれて置かれている服のようだ。一般の主婦でもこれほど綺麗に畳むのは難しいかもしれない。
しかしフランの畳むそれは客が服を見るために開いた後乱雑に置いていったようなそれ。
「不器用だねぇあんた。ここをこうやるんだよぉ」
「む~……」
もちろん初心者のフランには上手く畳むことが出来るわけが無く、フラストレーションだけが徐々にたまっていく。
「そんなんじゃお嫁にいけやしないよ」
素直で無邪気なフランは祖母にとってはいい嫁候補なのだろう。本気で嫁に向かいいれようなんて思ってはいないだろうが冗談めかして言うそれは少なからずともその気持ちがこめられているようだ。
しかし遂に底の浅いフランの器からフラストレーションが溢れ出した。
「うるさいばばぁ! こんな事できなくたっていいもん!」
「何だってぇ!? 誰がババァだい! あたしゃまだぴちぴちの75さね!」
「……」
自分よりも何倍も低いその歳に「十分ババアじゃん」とは言えず、ネタでいったであろう祖母もフランの歳の認識の甘さからか、フランの予想しない反応に困っている。
その何とも微妙な空気に何やら猫の鳴き声が。
フランが横を見るとさっきまで洗濯物が干されていた庭にあの子猫が座って顔を洗いながら鳴いていた。
「ニャ~」
「ニャーだ!!」
フランは洗濯物を投げ出して猫にまっしぐらだ。
「あ、こら待ちなぁ!」
フランは下瞼を人差し指で引きながら舌を出し、祖母に悪態をつきながら廊下の方へ走っていく。
そして廊下の下に飛び降りて自分の足には大きいサンダルを履いてパタパタと音を立てながら子猫の方へ近づいていく。
しかしその音に驚いたのか子猫は垣根を辿って逃げていってしまう。
「まてまて~」
フランは顔をだらしなくほころばせて、その追いかけっこに乗り、その後を追い姿を消したのだった。
「やれやれだねぇ……全く」
そんなフランの姿に祖母も苦笑いだ。
その時、店の方から誰か大声を張り上げる。
「大変だ! 若がっ若がっ!」
それは大島酒蔵の従業員だった。その声に気がついて祖母が扉を開けて店に入っていく。
「どうしたね、騒がしい。お客様の迷惑になるだろう」
必死に走ってきたのかその従業員は息切れ切れになって倒れこんでいる。しかしその顔は真剣で、更に苦痛で顔を歪めている表情も併せ持っていた。
「新之助がどうかしたのかい?」
その従業員の只ならぬ雰囲気に祖母も表情を歪め、問いかける。
「下校中に何者かに狙撃されました……」
「なっ!?」
「心臓を打ち抜かれて重体です……生きているのが不思議なくらいで……恐らくっ……助からない……そうです」
言葉が終わるか終わらないかの間に祖母の体が崩れ落ちる。
「女将!」
従業員達が慌てて祖母の体を支える。
「女将! しっかりしてくだせぇ!」
「そんな……嘘だろぅ……新之助が……そんな……」
「おい! 部屋ん中運ぶぞ!」
「おう!」
祖母は目を見開いて何やらぶつぶつ言っている。
息子は他界し、祖母に残されているのは実の孫である新之助ただ一人。その実の孫が今死に直面しているのだ。この年でそんな事実を突きつけられれば発狂しかねない。
従業員達はそんな祖母を机などが置いてある部屋に運び入れる。
誰もいなくなった店には換気の為だろう、小さく開けられ、木の格子が備え付けられた小さな窓があった。そしてそこには赤く光る二つの瞳が覗いていた。
(ばばぁ……それに新之助が狙撃されたって……どういうこと……?)
フランは猫が逃げてしまい追いつけなさそうなのであきらめたのだが、面白そうなので普段日に照らされて行けない場所へ行ってみようと、垣根沿いに歩いていっていたのだ。
その時大きな声を聞きすぐそこにあった窓にぶら下がって中を見ていたのだった。先ほどあった一部始終を。
「くそっ!」
従業員の一人がガンッと床を殴り悪態をつく。そしてそのまま足早に酒が飾られている棚の方へ歩いていく。
棚の向こうには何やら木箱らしきものが。従業員がその木箱を取り出し、床に置く。金属でできた留め金を外すと中からでてきたのはニ丁の銃だった。
「そんなものどうするつもりだっ!?」
それを見て従業員の一人が怒鳴る。
「決まってるだろ! そんなことするのは小島酒蔵のやつら以外にいねぇ!」
そしてそれに負けじと銃を持ち出した従業員も怒鳴り返す。
「落ち着け! 今そんなことしたってどうしようもないだろう! しらをきられておわりだ!」
「じゃあこのまま黙ってろっていうのかよ!」
「若がまだ死んでもいないのに俺たちが勝手な行動をとるわけにはいかねぇ!」
銃を持っている従業員はその言葉に苦しそうに頷いて銃を置く。
「とりあえず若の意識が戻るまでおとなしくしてようぜ」
銃を置いた従業員の方をぽんと叩いて優しい声調で言う。しかし銃を置いた従業員は納得がいかないようだ。
「でも、もし若が……」
死んでしまった時はどうするのだろうかと。その言葉に先程肩に手を置いていた従業員も顔を険しいものに変える。
「その時はその時だっ」
「……」
周りでその光景を見ていた従業員達も真剣な表情で頷いた。
「それとフラン御嬢にはこの事は言うな」
「ああ、若になついていたからな」
とフランを気遣うような部下の発言。しかし換気の穴にあった二つの赤く光る瞳はもう無かった。 フランはその壁をはさんだその穴の下にうずくまっていたのだ。
(なんで? 何で私から奪うの? 自由も、大事な人も、何もかも……また)
このままでは夏祭りにいけないどころかずっといてもいいと言われた大島酒蔵にいられなくなる。大島酒蔵にいる者はいてもいいと言うだろう。しかし新之助のいない大島酒蔵にフランはその価値を見出す事はできない。
(なんで)
フランの紅の瞳が更に赤みを増していく。そしてその顔からは次第に表情が消えていった。
夕日は完全に落ち、辺りは真っ暗になる。BGMがヒグラシの鳴き声から鈴虫の鳴き声に変わる。
これからが書き入れ時という時間帯にもかかわらず、店はもう閉められている。
テレビや机がある部屋には従業員達が集まって何やら話している。それはわきあいあいといった雰囲気には程遠く、ずん、と重い空気の中行われていた。
新之助の事や今後の店の事について。更には小島酒蔵の事について。
そこに祖母の姿は無い。恐らくはフランに気付かれないように二階に運ばれているのだろう。
時には怒鳴り声が聞こえてくるその部屋に今までどこにいたのかわからないフランがふらっと顔を出す。
「お、お嬢……」
従業員は皆フランを見て一瞬息を呑む。フランにはまだ気付かれていないと思っているのだから当然だろう。話の中心にいた男が皆に目配せし新之助のことを言わないよう釘をさす。
だがそんなあからさまな従業員の行動でフランに感付かれてしまうと思った従業員の一人が口を開こうとする。
しかし一瞬早くフランが先に口を開いた。
「ねぇ……」
「え、ん? どうしたの?」
口を開こうとした従業員がそれに答える。
「新之助は?」
帰ってくるはずが無いと分かりきっている新之助の所在を聞くフラン。
「あ、ああ……えとね……その……学校の皆で旅行いくんだって。それでしばらく帰ってこないよ」
「そう……」
フランは隣の部屋で練習でもしてきたのだろうか。その言葉を聞いて思いっきり残念そうな顔をする。
その従業員もそのまま黙ってしまう。
フランはその従業員の反応を見れたら十分と、その部屋から出て行く。従業員達は安心したような安堵の表情になるがまた険しい表情へ戻っていった。
フランが新之助の所在を聞いたことで新之助の身にあったことは知りえないと従業員の頭に植え付けられたことだろう。
「小島酒蔵……」
だがこれが悪かった。大島酒蔵、そしてフランの今後を左右する事件が起きることになるのだから。
その会議も一通り終わったのか、従業員達は皆して黙り込んでいる。その表情には疲れの色が滲み出している。
そこで従業員の一人がお茶を入れてくると言って席を離れる。そして別の従業員がフランも呼ぼうと言う。祭りにもいけず寂しがっているだろうフランを気遣ったのだろう。
しかしそのフランの姿がどこにも見当たらない。
「ねぇフランちゃん知らない?」
「御嬢はさっきまで隣の部屋にいたはずだが」
「そう……おかしいわねぇ」
「まさかさっきの話聞かれてたんじゃないのか?」
「え?」
「だって小島酒蔵の場所さっきバイトに聞いてたぞ?」
「何!? 馬鹿野郎! 何でそれを早く言わねぇ!?」
従業員の一人が飄々と言い放つその従業員の胸倉を掴み上げる。
「い、いや、何でそんな事聞いたのかって聞いたんだけど……パーティで見たって言ってたから……」
その後続けて従業員の叫び声にも似た大きな声が大島酒蔵に轟く。それはこの計画を破綻させる以外の何ものでもない事を明示する事象だった。
「拳銃が二丁なくなってるぞ!」
その従業員の手には空になった木箱が。