夏の夜、少しだけ欠けた月が咲く夜空を、ニヤニヤしながら記事を書きに戻る文が機嫌よく、十回転ひねりを決めながら飛んでいた。
「さあ記事記事! どう記事を書こうかなぁ~」
先程書き溜めたメモを元に、新聞記事を面白おかしく書き上げるのだ。
「人に危害を加えてしまったフランドール=スカーレット! 小島当主を攻撃した時の表情は気持ちよかったという表情! これは自分の欲求を満たすためなのか!? しかし死者はなく、更に妖怪である小島酒造の当主捕縛に成功! いったいどうなるのか!? 黒か白か!? う~んこれなら今後も考えて記事を書きやすく――」
そんなご機嫌な文に世にも奇妙な現象が起こった。
頭の中で何かが弾けるような、何かが落ちて壊れるような音が聞こえたのだ。それは別に文の脳が弾けたわけではない。まるで頭蓋骨を壁にして跳ね返るように頭の中で反響するのだった。
不思議に、それは文にとって耳障りな雑音ではない。逆に頭の奥の何かに語りかけるような今までに味わった事のない響きに似た感覚だった。次第に不思議な反響が文の頭に染み渡っていき、今まで想像していた記事がいったん壊され、また組み上げられていった。
文は飛んだままその不思議な感覚にされるがまましばし飛行する。
不意に、今まで忘れていた動作を今思い出したように一瞬き。
「……そう……だ」
紅魔館
同時刻、紅魔館では深夜だというのに椅子から立ち上がり窓の外の月で照らされる景色を眺めるレミリアがいた。
吸血鬼は苦手な太陽を避けるため普通は夜行性なのだが、不思議なことにレミリアやフランは昼に動く事が多い。それは幻想郷の住民に合わせて本来の習慣とは逆に夜眠るという吸血鬼にあるまじき生活習慣を送っているからだ。夜皆が眠っている間、起きていても暇なのだ。
そんな夜更かししているレミリアに咲夜が慌てて駆け寄る。それはレミリアが今まで飲んでいたカップを落としてしまったから。
咲夜が暴走しかけた人里で開かれた会議の時のように。
「私もまだまだ青いわね」
そう小さく呟くと、月明かりの下で輝く景色を眺めるレミリア。
「お嬢様! お怪我は!?」
落として砕け散ったカップの破片でレミリアが怪我をしていないかを確認しに来る咲夜。 カップを落としたくらいで負う怪我などすぐ治ってしまうのだが従者の立場として一応聞いておくようだ。
「大丈夫よ」
そう一言言うと慌てて駆け寄った咲夜に、ニコリと満足げな笑顔で見下ろしている。そんなレミリアを屈みながら見上げつついつの間にか手に持った放棄とちりとりで割れてしまったカップの破片を片付ける。
「それよりも準備なさい」
「へ? 何の準備ですか、ってまさか……」
少し前、人里
「そういえば、大島酒蔵の人たちが見えないけど?」
姿が見えなくなるまでほんの数秒だっただろう、文を見送った永琳が振り返って霊夢に問う。フランにやられた小島酒蔵の負傷者を運んで来てれたのは大島酒蔵の従業員達だ。
目が回るほど忙しかった永琳は新之助の病室の方へたむろしていた大島酒蔵の従業員達をちらりと見てはいた。
しかしいつの間にかいなくなっていたのだ。従業員達が自分達の当主を、しかも大丈夫と宣言してしまったがまだ気を失っている当主を放っておくとはどういう了見なのだろうか。
「ああ、あの人たちならずいぶん前に帰って行ったわよ?」
そう言いながらまた長椅子に腰を下ろす霊夢。
「自分達の当主を置いて?」
怪訝そうな顔をして聞き返す永琳に何か合点がいったらしい霊夢。軽く何度か頷きながら優しく微笑む。
「他のお客さんの迷惑になるからって、早く帰って明日の準備しておくんだってさ。若ならきっとそう言うからってね。それに」
今日はフランが来て丁度一ヶ月。だから従業員達は自分達は邪魔だろうとフランに気を遣って帰って行ったのだった。
「なるほど」
「しかも深々とフランに頭を下げるんだから驚きよね」
永琳は備え付けられていた棚から毛布を取り出しながら、霊夢の言葉に振り返る。呆れて笑っているかと思われた霊夢はフランの寝顔を見ながら無表情だった。
「自分達のするべきことを、フラン一人に任せてすまないって……」
そこで霊夢は少し表情を曇らせる。
フラン一人に任せる。つまり危険人物のフランを一人にしてしまったこと。それは幻想郷の管理者の霊夢とて同じ事だ。この一大事に何も知らずに祭りに行き、浮かれて遊び、仮面までつける始末だったからだ。
新之助が撃たれた事をもっと早く知っていればフランが復讐しに行く事もなかったかもしれない。恐れていた最悪の事態を防げたかもしれないというのに。
最終日だというのに気を抜きすぎていた。これは監督不行き届きの霊夢の責任でもあるのだ。霊夢はそれをとても後悔していた。
今まで何事もなく計画が進んでいたから気を抜いてしまうのも仕方がないのだが、結果はこの有様だ。フランは天界で幽閉されてしまうという事になってしまった。少しの自己嫌悪も起こさないならば博麗の巫女を名乗る資格はないだろう。その自己嫌悪が発生するしないに限らず、結果は変わらないのだが。
「あなたがそんな顔をするなんて珍しいわね」
気弱な霊夢の表情を一瞥して、永琳は天使のように眠るフランの背中にそっと毛布を掛けてやる。
「そりゃあ……私だってちょっとは責任を感じて――」
「違うでしょ?」
そう言ってうつむいて座っている霊夢の目の前で立ち止まる永琳。霊夢はわからないというふうに不可解な会話をする永琳を見上げている。
「あなたは起こった事を後悔して、くよくよするような女の子じゃないはずよ?」
永琳はくよくよするなと励ましているのだろうが、裏を返せば先のことを見据えてどうすべきかを考えろともとれる。
優しくも厳しい言葉。
しかし、幻想郷の管理者とは皆の視点から見ればそう思われているのかもしれない。だから永琳もそれが本来の霊夢のすがたなのだと、らしくないことをするなという目に見えないエールなのだろう。
「それって無神経って事?」
ただ、幻想郷の管理者はひねくれていた。そんな手痛い永琳のエールに霊夢は片眉を下げて苦笑いし、更に憎まれ口を叩いてささやかな抵抗をしてやるほどだ。
「今日は泊まるんでしょ?」
その永琳は笑顔で毛布を霊夢に向けてくる。その顔は放って帰るなんていったら張り倒すぞと言わんばかりの笑みに見えないこともない。
「もう見たい番組終わっちゃったからね」
永琳はそれだけ減らず口が叩ければ上等と、フフッと鼻で笑いながら霊夢に毛布を手渡してやる。
霊夢はリングの封印から開放されたフランを見張らなければならない。更に横には瀕死になった小島当主もいる。目が覚める頃には傷も治っている事だろう、と手当てはしてもらえなかった小島当主。拘束しておくのに勝手に直るものを元気にしてやる必要もない
永琳は長椅子に座っている霊夢の横に腰を下ろす。
「怪我した人達はもういいの?」
それを目で追いながら負傷者はいいのかと永琳に疑惑の目を向ける。
「ええ、粗方治療は終わったわ。後は勝手に直るでしょ」
「そう」
安心したようにため息混じりに言う霊夢は少し疲れているようだ。無理もない。祭りではしゃいでいたのが大半だろうが、もう日付も変わってしまっている。今日一日で色々な事がありすぎた。さらにあの霊夢が自己嫌悪に陥るような状況だ。自己嫌悪とは心身ともに疲れるものだ。
「あなたも少し眠ったら?」
「寝ずに見張っておけ、なんていうかと思ったけど」
「それじゃあ私が鬼みたいじゃない」
「青鬼なのか赤鬼なのか悩みどころね」
「私は優しい看護婦さんなのよ?」
もぞもぞと毛布をかぶり、顔を出した霊夢が優しい看護婦さんにため息混じりに言った。
「全く……厳しくするのか甘くするのかどっちかにしてよね」
疲れている霊夢に少し優しくした矢先に憎まれ口を叩かれる永琳。
「あなたはどちらがお好み?」
だからそんな霊夢にぐうの音もでないほどの言葉を打ち込んでやる。
修行をまともにしない霊夢には厳しさなどお呼びではない。だからと言って甘々などむずがゆくてしょうがないのだろう。これもお呼びではない。
永琳はそんな霊夢の性格を逆手に取って、そんな事を言うのだからたちが悪い。
霊夢は肩をすくめてぐったりと壁に背を向けてもたれかかる
。
「好きにして……」
「そのつもり」
永琳はニコリと笑って掌サイズの本を開いて黙読し始めた。あれやこれやを小うるさく指摘してきたくせにのんびりと本を読む永琳を横目で一睨みした後、ため息をついて霊夢はフランの見張りに戻るのだった。
計画の終わりの夜が、そして夏の終わりの夜がしんしんと更けていく。
少し欠けた月も輝き疲れて地平線のベッドへ倒れこもうとする頃。
病室では霊夢が永琳にもたれかかるように眠っている。身長差からか、ずうずうしくも霊夢は永琳の肩を枕代わりに。永琳もさすがに眠くなったのか、丁度良い高さにある霊夢の頭に頭を置いて眠っている。その様子はまるで恋人同士のようだ。気持ちよさそうに寄り添って眠っていた。
虫も眠ってしまい、鳴き声が聞こえないとても静かな夜。
その小さな寝息さえこの静寂を舞台に演奏できそうなほどに静かな夜だ。
二人を照らすように真っ暗な病室に真横から月のスポットライトが差しこんでくる。
と、ここでそのスポットライトに反射して光り輝く小さな二つの玉が現れる。それは未だ恋人同士のように寄り添って眠る二人のものではない。そしてフランの瞳の紅の光でもない。
「ん……」
そこで目を覚ましたのは一日に心臓を二回も撃たれたにもかかわらず、フランに噛まれた事によって吸血鬼化し、助かった大島酒蔵当主、大島新之助だった。
真横から差し込んでくる月の光に気付き、眩しそうに目を細めている。光から目を背けたその視線の先は天使のような寝顔を皆に披露していたフランが居た場所。そこには小島酒蔵での激闘で付いたと思われる赤い血の斑点がポツリポツリと付いている帽子。フランがいつも被っていた白い帽子だった。
「フラン……ちゃん? そんなっ……」
新之助は目を丸くしてそう呟く。
そして二発の弾丸を受けた心臓がその音を段々大きくして力強く鼓動する。更に力いっぱい見開かれた新之助の目から涙が零れ落ちてきた。月の光でその涙がきらりと光って落ちる。フランが被っていたその帽子を握り抱きしめて。
新之助は気がそんなに強い方ではない。しかし泣き虫でもない。ならば何故その新之助が泣いているのか。
それは消えていたからだ。今新之助の手に握られている帽子の持ち主が姿を消していたのだ。
「僕の……せいだ……」
新之助も知らないわけではないだろうこの計画の契約を。フランが人を傷つけたらどうなるか。
そう、フランは永琳と霊夢、そして新之助が眠っている間に天界に連れ去られてしまったのだ。それは新之助の仇、というしなくても良い復讐のせいで。
だから新之助は涙を流しているのだ。
新之助はフランを守ると約束した。震えるフランをきつく、強く、抱きしめて約束したというのに、それはフランを安心させてやるためだけに行った儀式的なもの、見せ掛けだけの飾り。まさにそれ以外の何者でもなくなってしまった。
しかしそれは仕方のない事なのだ。新之助は気を失っていた。そして連れ去られた事にさえ気付かなかったのだから。
だからと余計に悔しいのだ。何もできないというこの無力感。それはずっと昔、フランを守ってやる事ができなくなったレミリアと同じような感覚だろうか。
レミリアの時は助けがきた。しかし今回はもうフランは連れ去られていなくなっている。運命は残酷でもうどうする事もできない。新之助には何もしてやることができないのだ。
レミリアがフランを強奪する、と言う覚悟が本物ならば今頃フラン達は幻想郷の外だろうが。
「くそっ!」
体をくの字に曲げて、ベッドが揺れるほどに声を張り上げた声はその静寂の夜を一瞬にしてぶち壊した。普段そんな怒鳴り声を上げた事がないせいか、はたまた病み上がりだからかゲホゲホとむせる新之助。
静寂を破ったその新之助に不満の声がどこからともなく聞こえてくる。この病室には永琳と霊夢もいるのだ。深夜にそんな大きな声を出せば不満の一つや二つは出てくるだろう。
「うるさいなぁ……」
そんな不満の言葉が聞こえる。
しかし新之助は妙な感覚に襲われる。その声は霊夢や永琳達に当てはめるにはあまりにも幼すぎる。
ふと自分の脇の布団を見てみるともぞもぞと何やら動いている。新之助は軽くめくると白い肌が露になる。続けて眠たいのか半分になった紅の光を手でごしごしこすっている少女が新之助を見上げている。
色素の薄い金髪をくくり上げている髪留めを外し、更に両肩を露にした下着姿で完全に寝に入ろうとしている。
「起きちゃったじゃない!」
いつも自分勝手で、天真爛漫で、だから純粋で。今まで新之助を心配していた事など微塵も感じさせない、そんな言葉を吐き捨てる生意気な悪魔。紅の瞳を真っ赤に燃やしてたらす不満の言葉さえ元気に変えてくれるその少女は紛れもなくフランだった。
新之助はもう考える暇もなかった。それくらいに嬉しく、愛おしく、そして激しい感情が新之助をそうさせた。
「うぁ!?」
「よかった! 本当によかった!」
新之助はきょとんとしているフランをただ強く抱きしめるのだった。