フランは成長するのか?   作:天澤星三

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第三十話 ~プロポーズ~

 永琳が気を利かせて二人きりになった病室。

 開け放たれていた窓からは冷たい空気が入り込んでくる。熱気であふれていた先程までとはうって変わり、冷たい空気はその余韻さえ残さず奪っていく。

 それは騒がしい連中がいなくなったこともあるだろうがもう一つ理由があった。

 

「フランちゃん、どうかした?」

「え?」

 

 いつもなら新之助に話しかけ、尽きる事のない話題で楽しむフランが黙りこくっているのだ。

 

「あのリグルって子がでてきたあたりから様子がおかしかったから」

「そ、そんなこと……ないよ」

 

 と、フランは俯きがちに返答するが少し元気が無い。

 本当に何も無ければ可愛らしく首をかしげ、分からないという表情を見せ、新之助の心配は杞憂に終わるのだが、今の挙動は明らかに何かある。

 

「そっか」

 

 それを気付けない新之助ではないがフランが隠そうとしていることを問い詰めるような愚行は犯さない。

 隠し事をされるのは少し辛いがフランが話したくないというのなら新之助はそれはそれでよかった。

 だが、そんな新之助の優しさをよそに、フランの頭の中には暗い渦が渦巻いていた。ずっと昔の、フランの失っていた記憶が蘇ったからだ。「おじさま」と小島当主を称したリグルの一言で。

 その一言だけで思い出したのではない。新之助を撃ってしまいそうになった時にも予兆はあった。それがリグルの一言でより鮮明になり、暗い記憶が頭の中で渦巻き始め、フランを苦しめていたのだ。

 自分が人間との平和を願っていた事。その願いとは裏腹に犯してしまった悲惨な出来事。その人間を自らが殺しに殺した事。そしてその人間である新之助を前に自分はまた愚かな理想を抱いてしまっていた事。

 人間である新之助に優しくされればされる程、フランの胸が締め付けられ、罪悪感に見舞われていたのだろう。

 自分は新之助と話す資格などない、自分は人間を惨たらしく殺した殺人鬼。人間に優しくされる資格などないのだと。

 『人間が好きだ』、『人間と平和に暮らしたい』、フランがそう望めば新之助は二つ返事で快く賛同してくれるだろう。しかし周りの人間達は恐らくこう言うはずだ。

 

『大勢の人間を殺しておいてなんて調子のいい奴だ。また同じ事を繰り返すに決まっている』

 

 と。

 フランもその問いを明確に否定することが出来ない。

 小町に挑発された時も小島当主を襲撃した時も、吸血鬼ハンターを皆殺しにした時もそうだった。憎しみを抑えることが出来ず、何もかも壊したい、という衝動を止める自信が無いのだ。

 ならば人間など関係なく新之助という一個人を好きになったのだと開き直ったらどうか。そうなったらもう目を当てられない状況になるのは目に見えている。フランは昔、想い人である人間まで殺しまっているのだから。

 

「そういえばフランちゃんはもうすぐ帰っちゃうんだよね」

「……うん」

 

 フランは新之助と目を合わせられない。もうこのまま極力沈黙し、人里を去り、二度と来たいなどと思わないように、未練の残らないようにしようとまでフランは考えていた。

 

「よかったね。やっと帰ることができて」

「うん……」

 

 だから新之助が話しかけてもそんなそっけない返事しか返ってこない。フランに話すつもりがないのだから当然だ。

 

「僕のせいで祭りいけなくてごめんね」

「別に」

 

 だが新之助も諦めない。心を閉ざすフランに食い下がる。

 新之助は過去のことなど知りもしない。だがフランのことは好きだ。だからフランに振り向いてもらうまで言葉を止めはしない。

 

「祭りが終わればもう夏も終わりだよね」

「うん」

「そうだ、林檎飴」

「え?」

「あまってたら持って行ってあげるよ」

「本当!?」

「紅魔館だっけ?」

「うん」

「袋一杯に詰め込んでさ」

「うん!」

 

 余程楽しみにしていたのだろう、魔理沙に血の塊と教えられていた林檎飴。

 自分の気持ちに正直なフラン。ぱっと顔をほころばせるがはっと何かに気付くように体をびくつかせ、「やっぱりいい」と言い直して黙ってしまう。ただ目はきょろきょろと動いていて挙動不審だ。林檎飴には多少は未練がある様子。更にちょっと恥ずかしかったのだろう、フランの頬が林檎飴のように赤くなっている。

 新之助はそれを心の中でくすくす笑い、フランにばれないように微笑みの仮面を表情に貼り付ける。

 

「やっぱり心配? 皆が受け入れてくれるかどうか」

 

 フランの態度から、新之助が思い当たるふしといえば紅魔館を出る時にしてしまった失態くらいだ。

 

「別に……」

 

 これにはフランは明確に顔を背けてそっけなく言い捨てる。忘れていたわけではないがその問題もフランは抱えていた。フランの周りには問題だらけのようだ。

 しかしいつまでもそんなそっけない態度を見せていると新之助が少し可愛そうに思えてくる。

 

「……ちょっとだけ」

 

 フランは別に新之助に意地悪がしたいのではない。だからフランはそむけた顔を少し戻し、頬を膨らませてこんな事を言う。これがフランの出した妥協案だとすれば失笑ものだがその仕草はなんとも可愛らしいものだった。

 そしてほんの少しだがいつものフランに戻ったので新之助はまた軽く微笑む。そしてそんな気丈に振舞うフランがやはりおかしかった。

 だから新之助はその笑顔のままでフランにある提案をする。

 

「ならこのまま僕と一緒に暮らさない?」

「へ?」

 

 不意を突かれたとはこのことだ。

 その提案に思わずフランは振り返ってしまう。その真偽を確かめるためか新之助の目を見つめるために。

 新之助が放った言葉はフランが今抱えている問題が一気に解消できてしまう魔法の言葉だった。

 自分を嫌っているかいないか分からない紅魔館の皆に会わなくても済み、過去の事を黙ってさえいれば平穏に暮らすことが出来るのだ。

 新之助の瞳とフランの紅の瞳が互いの姿を映し出す。

 新之助の目は真剣だ。表情は柔らかな微笑みだが冗談ではない。

 しかしながら二人が見つめ合う最中、フランの頭に浮かび上がった言葉は「逃げ」だった。そんな甘い提案に乗ってしまったら罪悪感が先行し、フランは無邪気に新之助と会話することが出来なくなってしまうだろう。新之助だってそんな無邪気なフランが好きになったはずなのだ。

 その純粋な想いが逆に邪魔をしてフランの視線は引き下げられてしまった。

 

「あっ……その……ずっとじゃなくてもいいし、帰りたくなったら帰っても全然いいし、でも遊びに着たくなったらいつでも来てくれてもいいっていうか……」

 

 新之助の提案にフランは顔を背けた。それはその提案に乗るか乗らないかと言えば誰がどう見ても後者だ。

 フランの心境を知らない新之助は視線をそらされたことで言ったことを後悔し、恥ずかしがっているようだ。傍から見たらプロポーズにも見えなくもないそんな言葉なのだ。恐らくフランは気付いてはいないだろうが。

 

「もしフランちゃんさえよかったらなんだけど」

 

 だから新之助も視線をそらし、上手くいかないもどかしさで頭をぽりぽりと掻きながら恥ずかしそうに付け加えてそう言い繕う。

 

「新之助はばばぁと同じ事言うんだね」

「え?」

 

 今度はフランが不意を付く。独り言のように小さな声で。

 その時フランの口元が笑った。それはその新之助の挙動がおかしいからではない。

 それは嘲り笑うような笑み。

 

「新之助は私のこと好き?」

 

 だが、その流れを無視し、フランは自分の道を突き進む。脈絡の無い道を。

 

「うん。好きだよ」

 

 不意打ち気味なフランの問いに即答し、真剣な面持ちでフランを見つめる新之助。

 好きだといわれたフランはもう驚きはしない。それだけ多くの経験と時間を共有してきたのだ。互いの気持ちは互いに分かっている。

 だがそれに相反してフランの表情は不気味な笑みが浮かび上がってくる。フランの牙ちらりと見えるほどに。

 

「ちょっと聞いて欲しい事があるんだけど」

「ん?」

 

 その脈絡の無い道は暗く先の見えない分かれ道だった。

 

「私ね、紅魔館にくる前の少しの間、記憶がなかったんだ」

「記憶が?」

 

 新之助とフランの決別の道。

 

「うん。それでね、その記憶をさっき思い出したの」

 

 女性に過去を聞くのは野暮、なら自ら自分の過去を語ってくれるならどうか。それが好いている女であれば男は大手を振ってその話に聞き入るしかない。

 

「へぇ。どうだったの?」

 

 フランは形だけの笑みを浮かべているが新之助は気づかない。自分自身の過去話など信頼されていなければそうそう話してくれるものではない。だから新之助はそれがただ単純に嬉しかった。

 だがそれはフランが吊るした、過去話という餌でカモフラージュした釣り針だった。

 

「いっぱい人間が死んでた」

「……え?」

 

 釣り針が新之助の喉の奥にぐさりと音を立てて突き刺さる。

 あまりの痛さに新之助は笑顔のまま固まってしまう。

 釣り針を上手く引っ掛けたフランはとても満足そうな笑顔だ。その笑顔が段々と悪魔の笑みに変わっていく。それが分かったところで新之助はもうどうする事もできない。返しが付いた釣り針はもうすでに深く突き刺さっている。身を引き裂かねば取る事はできない程に。

 

「それは吸血鬼ハンターっていう人達なんだけどね、皆血まみれになってて、バラバラで、ぐちゃぐちゃなの」

 

 言って『あはは』と狂ったように笑うフランに新之助は息を呑むことしかできない。

 だが小島酒蔵襲撃の際にフランの狂った様子は目の当たりにしている。それで耐性がついたのか、せめてもの抵抗とその釣り針の付いた糸を引っ張ってみる。

 

「……ふ、フランちゃんは……大丈夫だったの?」

「私も血まみれだったよ。全部返り血だったけど」

「返り血?」

「全部私が殺したんだもん」

 

 ここでフランは楽しそうに声を上げて笑った。それは無邪気な笑顔だった。怖いほどに無邪気すぎる笑顔。

 新之助は糸を引けば引くほど引っ張り返される。

 

「襲ってくるハンターも、逃げるハンターも、許しを請うハンターも皆ぐちゃぐちゃにしたの」

「で、でもそれは……ハンターだったから……仕方なかったんじゃ」

 

 フランは自分との結び付きを断ち切ろうとしている。

 それに気付いた新之助はどうにかして話しについていこうと必死だった。だが苦し紛れに、かすれた声でそんな事しか言い返すことができない。

 自分の命を狙うハンターだからと言って逃げる者、まして許しを請う者まで殺していいわけがない。と言うのは人間である新之助の、戦争を知らない者達の甘い考えなのだろうか。そんな場面に遭遇した事も戦争を経験したこともない新之助が訴えるのはフランに対し、少しでもそれを肯定し味方である形を作りたかったから。

 だが、傍から見ても新之助の取り繕う言葉は途切れ途切れで力がない。力なき言葉はフランの言葉の前ではあまりにも力不足だ。

 

「昔ね。ハンターの中に私の好きな人がいたの」

「ハンターに?」

「うん。その人も私が殺しちゃってたみたい」

 

 これがどつぼにはまる、と言うことだ。新之助の言葉は全て二人が決別の道を歩むための足がかりとなってしまっている。

 

「……それはフランちゃんの意思?」

「……そう……だよ。私の意志」

 

 あれは事故のようなものだったがフランは少し迷ってそう言った。そして自分に言い聞かせるようにもう一度小さく呟く。

 あがけばあがくほど新之助の喉に突き刺さった針は深く突き刺さっていく。

 岸も近い。後は打ち上げられ、何の抵抗も出来ぬままフランに調理され、別れを待つだけ。

 

「楽しかった……とっても楽しかった! 気持ちよかった! 人を殺す、あの感触が!」

「……」

 

 そうして「ケラケラ」と不気味に笑う。こんな自分を笑ってくれと言わんばかりに。

 フランはもう歯止めが掛からない。

 自分は大量殺人をしたどうしようもない殺戮者。だから一緒に暮らそうなどと言ってくれるなというメッセージに他ならない。

 新之助にもその想いは痛いほど伝わっただろう。

 

「……分かったでしょ? これが本当の私なんだよ……笑っちゃうでしょ……頭がおかしいでしょ? 怖いでしょ? こんな私……嫌いでしょ?」

 

 その言葉は全部フランが自分に言う言葉に置換できる。フランはそんな自分が嫌いで、笑ってしまうくらいに怖かった。それで新之助に嫌われてしまうことも。

 

「僕は好きだよ」

 

 食い込んだ針に結び付いた糸が逆にフランを引きずり込む。

 新之助の即答という反撃にリズムを崩す。丘の上ではバランスを崩し、体勢を立て直そうと必死だろう。

 それを示すように、追い討ちをかけようとしたフランの口が何かを言おうとして沈黙する。

 今フランの頭にはある風景が浮かんでいた。

 薄暗いベンチで二人きり。楽しく話していたあの時の記憶。

 ハンターである自分の事が嫌いじゃないのかと聞かれ、好きだと即答するフラン。それにダリスが面食らったようにフランもまた面食らっているのだ。

 今の新之助の気持ちと全く同じ。昔フランがダリスに抱いていた純粋な恋心と全く同じ想い。

 

「それは昔のフランちゃんでしょ? 記憶が戻ったからって昔のフランちゃんに戻るわけじゃない。違う?」

「ち、違う……」

 

 フランもすぐさま抵抗をするが抵抗すればするほどバランスを崩し新之助のいる場所へ引きずりこまれそうになる。

 

「そう……」

 

 一瞬、諦め色が滲んだ言葉が新之助の声調と表情に出る。

 自分を引き込もうとする糸は緩んだ。その隙に上手く体制を整えたフランだが、その糸の意図は押してだめなら引いてみろだった。

 

「ならやっぱり一緒に暮らさない?」

「え? は? ど、どうしてそうなるのよ! 全然会話が成り立ってな――」

 

 フランは言葉を途中で切って顔を俯かせて隠す。それはその顔につけた薄っぺらな薄ら笑いが剥れ落ちてしまったからだ。

 今までフランの能力に怯えて、自ら進んで近寄る者などいなかった。

 紅魔館にいる者も優しく接してくれる者はいる。しかし皆どこかでフランを恐れていた。だから自ら進んで一緒にいようという者はいなかった。

 フランの周りにはいつも誰かいてくれる。

 なのにいつも一人だった。

 それはフランが一番感じていたし理解していたことだった。だから自ら進んで外に出ようとも思わなかった。外に出たら皆が恐れ傷つくだけだから。

 フランは誰かを傷つけたいとは思っていなかった。むしろ仲良くしたいと思っていた。しかし自分の能力のせいで皆恐怖し、放れて行く。結果周りの者を傷付け、自分も傷つき、そんな願いは叶わなくなっていった。

 だが今は違う。ただの人間である新之助がフランと一緒に暮らしたいと切望してくれた。それはフランが、フランの両親が、更には昔自らの手で殺してしまったダリスが想い描いた理想だった。

 自分の酷い過去を聞いたうえで受け入れてくれた。あまつさえ一緒に暮らしたいと言ってくれた。

 フランは頭の中で自問自答する。自分は本当にその提案に乗ってもいいのかと、こんな自分を快く受け入れてくれるのかと。好きな人と一緒に過ごしてもいいのかと。

 

「わかった……わかったよ」

 

しかし、それでもやはり多くの人間を殺してきた罪の意識はそう簡単に頭の中から消し去ることができない。人間である新之助たちと暮らしてきたから尚更それが反動の波となって襲ってくる。

 人里で暮らすわけにはいかない。

 フランの中でそれは不動のものとなっていた。

 だからフランは最後の賭けに出ることにした。

 一つあったのだ。フランが人間と暮らすことが出来ないくらいの犯罪を犯しているのなら人間と暮らさなければいい。そしてこれを言えば新之助と何の罪悪感もなく、ずっと暮らしていける唯一のリクエストが。

 

「じゃあこのままでいてよ……」

「え?」

 

 フランは顔を上げて真っ直ぐに新之助を見る。はがれかけの不敵な笑みを貼り付けて、紅の瞳を見開いて。

 

「このまま私と同じ、吸血鬼になってよ!」

 

 人間とではなく同類とならば一緒に暮らしていける。人間を何人も殺したということになんの負い目も無く。しかも同じ膨大な時間を好きなだけ共有することさえ出来るのだ。

 新之助は即答することが出来ない。それは先程のように糸を緩めるでもなんでもなく、ただ純粋に即答することが出来なかったのだ。

 人生を左右する重大な選択だ。そう簡単に返事など出来ないのだ。

 それはフランも分かっている。だからフランも強気で、薄ら笑いの仮面も徐々にフランの表情を蝕んでいく。

 

「私のこと好きなんでしょ!?」

 

 フランは言い訳のない子供のように身を屈めたまま思いっきりそう叫んだ。まるで床に八つ当たりするように。

 永琳が言うには吸血鬼化は止められるとのこと。だが新之助はまだ吸血鬼化を止める薬を投薬されてはいない。

 

「だったら簡単なことじゃない!」

 

 更にたたみ掛けるように追い討ちをかけて考える暇を与えない。

 新之助は沈黙し、そしてこの沈黙がフランに反撃の隙を与える事になる。

 

「ほらね! やっぱり口先だけじゃ――」

 

 と思われた。

 

「太陽になってくれるんだよね?」

「……ふぇ?」

 

 フランに反撃の隙はなかった。それは身から出た錆だった。あの時、フランが新之助の吸血鬼化に際して出した引換券。

 

「フランちゃんが太陽になってくれるなら僕は吸血鬼になる」

 

 その引換券を新之助が受け取った。

 墓穴を掘ったフランはこの難問を突破されてしまった。

 新之助は覚悟を決めたようだ。ならばフランも覚悟を決めるしかないのだ。

 フランはもう逃げられない。

 

「そん……な、うぅっ」

 

 フランは体が揺れるほど大きく息と鼻を吸ってぐっと息を止めた。更に嗚咽のようなうめき声と共に歯を食いしばる。

 被っている帽子をしわができてもう戻らないのではないかと思うくらいに強く、両手で掴むと震える手でずり下ろし、表情を全て隠してしまった。

 終いには脇を閉め、完全に守りの体勢だ。

 フランは新之助になんて言えばいいのか分からなかった。いや、答えは分かっているはずなのに言う事ができなかった。

 フランの計画では新之助がもう何もできないように釣り上げばらばらに調理しサヨナラするはずだった。勝利を確信したはずだった。

 計画とは裏腹に、フランの姿は岸から消えていた。フランはいつのまにか水の中へ引きずり込まれていた。のた打ち回ってもがいても岸は遠ざかっていくばかり。

 今はもう、ただ流れに身を任せ、漂うだけ。

 だがそこは今まで自分が傷つき傷つけを繰り返していた、一人寂しくたたずんでいた殺風景で肌寒い岸とはまるで違う。とても暖かくて、心地よくて、柔らかいものがまとわり付いて放れない、素敵な場所だった。

 

「フランちゃん!?」

 

 心の底から言いようのない熱い感情が溢れ出してくる。

 思いっきり瞑ったはずのその目から、熱い感情が瞼を掻き分けて這い出してくる。その感情はフランの長いまつ毛を伝い、鼻や頬、更に唇を伝ってぼろぼろとスカートへ落下していく。落ちたそれは弾けて飛散し、無色透明の花を咲かせていく。

 

「どこか痛いの!?」

 

 どうやらフランが何故泣いているのか理解できていなかったらしい。それもそのはずで、溢れ出る涙をどうにか止めようと歯を食いしばるフランの様子はとても嬉しさのあまり感極まる、という様子ではなかったからだ。

 今までフランが思い描いていた事。昔叶うことのなかった、自らの手でぶち壊してしまった理想。

 その理想がこの人里にはあった。

 

「ふらんちゃ――」

 

 震えながら泣くフランの細い肩をいつものように掴み、抱き寄せようとするが新之助の両手が空をきる。

 フランが体をひねって逸らしたのだ。そのせいでバランスを崩した新之助の体が前のめりに倒れていく。

 

「ん」

 

 バランスを崩した新之助の体をフランが支えた。

 フランの内に溢れ出る感情が涙だけでは収まりきらなかった。それがフランをこの時、こんな行動に走らせたのだろう。

 支えたものはとても柔らかく、少し湿っていてしょっぱく、少し甘い。それが新之助の唇に押し当てられた。

 

 新之助はその場で固まってしまい動く事ができない。

 

 驚く程に柔らかく、甘い感触に二人はしばらくの間酔いしれていたことだろう。

 

 そしてフランのクスクスと笑う声でその夢のような時間は終わりを告げる。

 

「ふふっ、だ~まさ~れたっ」

「へ?」

 

 先程の涙を嘘泣きにするには潤いすぎた真紅の瞳をフランは妖艶に細めて新之助に微笑みかける。

 

 

「私のファーストキスだぞっ」

 

 顔をよく熟れた林檎のように真っ赤に上気させた意地っ張りなフランが小悪魔な笑みを持って微笑みかけてくる。だから新之助はいつまでも呆けているわけにはいかなかった。そんなフランを抱きしめずにはいられなかったのだ。

 

「僕と一緒に暮らそう!」

 

 新之助はフランを力の限りフランを抱き寄せて強く抱きしめる。意地っ張りな小悪魔を。

 

「うぅ~、新之助ぇ……痛い……」

「あ、ごめん」

「女性はもっと優しく扱わないとダメなんだから」

 

 昔フランが大人ぶって女性の扱いを新之助にも言って聞かせる。そんなフランに新之助は頭が上がらないが背の低いフランを見るにはちょうどいい関係かもしれない。もし一緒に暮らすのなら新之助はフランの尻に敷かれることだろう。

 

「でもチューは気持ちよかったよ」

 

 偉そうに説教を垂れていたかと思うと急にもじもじしながら上目遣いでそんな事を言うのだから新之助はフランがそうだったように自分の感情もフランへぶつける。

 

「君の事をもっと知りたい」

 

 新之助は優しい声でフランに語りかける。新之助の目は優しいが真剣だ。だからフランも新之助の目を真っ直ぐに見上げる。

 

「君の過去も、君の生い立ちも……君が歩いてきた道で起こった出来事も全部。そしてこれからある未来の事も」

 

 多少欲張りな物言いだが言われた方は嬉しいのだろう。フランの目からはとめどなく涙が溢れてくる。しかし今度はその泣いている顔を新之助にしっかりと披露する。

 

「うん……嬉しい……」

 

 もう涙を我慢する必要も隠す必要もない。涙するそんなフランの声はかすれていた。

 見詰め合った二人はもう一度顔を近づけ合う。そして

 

「WAWAWA、忘れ物~♪」

 

 永琳が場違いな歌を口ずさみながら戸を開き、病室へ入ってきた。

 

「きゃぁああ!」

「ぐふっ!」

 

 フランは突然の訪問者に驚いて思いっきり新之助を殴り飛ばした。

 新之助はフランの熱烈な愛情表現に舞い上がり、しばし滞空した後ベッドの上で昇天した。幸せそうな表情のまま気を失ったのだった。

 

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