「おまちなさい」
その一言を壁にしてフランを追おうと駆け出した者を止めたのは八雲紫だった。しかし今はフランが結界を壊しに奔走している。早く止めなければとんでもない事になってしまう。
皆を止めているのは紫一人。一人を犠牲にすれば簡単に通過できるはず、という考えの者は一人もいない。この八雲紫という妖怪はは境界を操る程度の能力を持つ。あらゆる空間に隙間を空けて移動する事ができる妖怪だ。横を通過した時点で振り出しに戻る、の選択肢を強要されることになる。
咲夜ならば時を止めて素通りできるだろうがレミリアの腕で静止されている。それは紫は大妖怪の肩書きを持つため。隙間という壁以外にも大妖怪という肩書きの壁は大きい。
だから皆足を止めざるをえない。
「なんだよ紫! フランが行っちまうぜ!? お前だって困るだろ!?」
だが事態が事態だけに悠長なことも言っていられない。魔理沙の言った通り、フランが壁を壊すと紫にとって非常にまずい事態になる。更に慧音が先程した改変も意味を成さなくなってしまう。
「そうね。でもここは、幻想郷の管理者である霊夢に任せてもらえないかしら」
焦る魔理沙達に紫はゆっくりと言い聞かせるように言う。
霊夢は弾幕ゴッコではフランに勝利した。しかしそれはフランが遊びでやっていたから。本気を出せば、能力を使ってしまえば霊夢でも厳しいものがある。
だから魔理沙はそのリスクを背負ってでも止める価値はあるのかと紫を睨みつける。一方の紫はすまし顔でピクリともしない。しかしいつものように不適に笑ってもいない。何か考え事をするように視線は俯きがちで扇子は表情の下半分を覆って隠している。
いつも裏で何かを企み、不適な笑みでそれを行使する紫とは違う様子に、魔理沙は眉を歪めざるを得ない。だからといって強行突破も出来ず、ただそこで立ち尽くすことしか出来ない。
紫は幻想郷を愛しておりその危険を脅かす者が存在するなら、どんな冷酷な手段であってもそれを行使する。その紫が自ら幻想郷を危険に晒すフランを止めようとせず、霊夢に任せようとするのは一体何故か。何か意図があるのだろうが魔理沙はその紫の意図が全く分からない。
強行突破も無駄、抵抗も無駄、おそらく論破することも無駄だろう。だから皆そこで留まり黙る。
すると紫は首を傾げ、ゆっくり瞬きをしてニコリと微笑む。理解を得てくれた事と、無駄な力を使わなくてすんだ事への礼のつもりだろう。しばしの沈黙を経て、ゆっくり目を開けると続けざまに口を開く。
「あなた達は……今まで不思議に思った事はないかしら? この幻想郷の管理者が何故人間なのか」
「は?」
幻想郷の管理者とは霊夢の事。幻想郷の異変や今回のような計画のごたごたした厄介事を解決する者だ。更には幻想郷と人里の境界である結界の管理も任されている。それが人間である霊夢であるということ。そこに皆何も疑問を持っていなかったようで顔を見合わせている。
その中で唯一顔を見合わせていないものがいた。
「確かに」
口を開いたのは紫と同じか、それ以上の膨大な時を生きていたであろう永琳だった。
「代が変わる度にいちいち面倒な引継ぎや修行しないといけない。それなら妖怪にずっと任せればいい」
人間と友好的な妖怪は大勢いる。今日来た慧音にしてもそう、紫もいる。幻想郷を探せばいくらでも見つかりそうではある。
「成程、何でなんだ? つっても教えてくれないんだろ?」
紫は普段自分から発言することはあまりない。しかも大事な所はお茶を濁すか黙して話さず、その先を問えば自分で考えろという沈黙で迎え撃ってくる。
自分で考え、行動する事は大切だ。だが紫に限ってはそれが少なすぎて伝わらない事が多い。
しかし今日の紫は普段とは違い、少々口数が多いようだ。
「戒め」
と一言。
魔理沙は紫が発言した事とその言葉の意味が分からず、驚きと困惑を不器用に交互に顔に出している。恐らく永琳でさえも分かっていない。
「これは初代博麗の巫女の考えで私の考えではない、とだけ言っておくわ」
と、ここへきて、もったいぶって前口上。いつもならここで話が途切れるだろうが今日の紫なら続けるだろうと、魔理沙は「いいからさっさと言えよ」と一言。
「ふふっ……今回の計画でも分かったように、人間と妖怪が近すぎると必ず争いが起こる。だから初代の巫女は幻想郷を創った。妖怪を人間界から隔離し争いが起きないように」
フランを人里で常識を学ばせる計画。一応は成功したという形になったが争いは起きた。そしてこの言い回しは以前にも同じ争いが起こったことを示す。その争いとは今紫の視線がレミリアに向けられている事から予想は付く。
「更に管理者である者も人間にしたのはさっき言ったように戒めよ。人間と交わる事で身近な存在になり、知り合いになり、親しい関係になる。やがては互いに必要とし離れる事が出来ない関係になるでしょう」
紫は目を閉じる。それははここにいない者を示すから。
「そして最後に訪れるのは別れ。それは必ず人間だけがいなくなるという一方的な別れ。ほぼ、永久に変わらない関係であり運命……だから皆、その関係に耐えられなくなり、人と交わる事を避けるようになった」
人間の寿命は妖怪に比べてあまりにも短い。親しい仲になればなるほど、それに比例して別れは辛くなる。
「もしも妖怪が管理者になれば人に興味を持つでしょう。そうなれば妖怪が人里へ出たいという願望を抱く。お預けされた子供のように、それに興味を惹かれるように。ここに集まっている皆がそうであるように。そして互いが交われば摩擦が起き、争いが起こる」
人と接する事の厳しさと悲しさ、そして難しさを擬似的に教える為、幻想郷の巫女は代々人間が行ってきたということだ。それが紫の言う「戒め」なのだろう。
「ふ~ん、初代巫女は上手くやったもんだな」
色々計算しつくされているそのシステムに魔理沙は素直に感嘆の意を示す。
「そうね……でも初めて争いが起きそうになった事があった。その代の巫女は今まで人間と妖怪を隔ててきたこの幻想郷のシステムにずっと疑問を持っていた」
「ふんっ、粋な巫女もいるもんだ」
初代の教えに背き、人間と妖怪の調和を望む巫女とは魔理沙にとって「粋」らしい。トラブルメーカーのお墨付きをもらってもその巫女は嬉しくないだろうが、道を外れたその生き方が魔理沙は気に入ったようだ。
その魔理沙の言い草に紫は短く鼻で笑う。それは不思議なことに嘲笑ではなく紫には珍しい、暖かく、そして自分もその意見に賛成だと言う楽しそうな笑い。
魔理沙は怪訝そうに「なんだよ」と問うが紫は「別に」と返すだけ。
「その子は稀にみる、非凡な才能を持った巫女だった。だから修行もろくにしないんだけど、一丁前に師匠である先代巫女と私に意見してきたの」
「へぇ、なんて?」
「妖怪と人間、どうして仲良く出来ないのって。それはまだまだ子供だったからか、妖怪である私とその先代巫女が親しくしてたからか」
と紫はまたレミリアに視線を向ける。今度はいつものように胡散臭そうな笑みを浮かべて。それでレミリアは俯いてしまうのだが、そうなっても紫の表情はにやにやとして止みはしない。
「だから人間と妖怪が仲良くできるとでも思ったんでしょうね」
「って、お前の思い出なんてどうでもいい。私はフランを追いたいんだがな?」
そういえば魔理沙はフランを追っていて、その止めた理由を聞くはずだった。これではもはや紫の昔話になってしまっている。そんな事を聞くために大人しくここで足止めされてやっているのではない。理由しだいでは突破は出来ないが強行を試みるぞと、魔理沙は軽く苛立ちを見せる。だが紫は魔理沙のことは眼中になかった。
「フラン……ドール……スカーレット、そしてレミリア・スカーレット。昔を思い出すわねぇ」
「そう……ね」
「ん?」
「あの子もその巫女と同じく、人間と仲良く出来たらって思っていた」
それは昔、戦争が起こる前の城でダリスと共に思っていたフランの願い。
「まっさかぁ、人をぐちゃぐちゃにしてたやつだろ?」
紫はそれも全て見ていたらしい。
だがその願いは崩れ、逆にフランは大勢の人間を殺してしまう。そのせいで情緒不安定になり、地下室に閉じ込められてもあばれていた。
流石の魔理沙もフランの話を聞いているだけに少し想像できない。
「あの子とよく遊んでいる人間であるあなたが酷い言い草ね」
「わ、悪るい……」
レミリアは魔理沙を見ずにそんな事を言う。レミリアは澄まし顔で、すこし茶化したつもりだったのだろうが魔理沙は平謝りだ。
魔理沙はその辺りの空気は読める。だからレミリアも魔理沙を睨まず茶化すように言ったのだろうが。
と、ここで紫がさらりと普通に聞いていたら聞き逃してしまいそうな声でポツリと驚くべき発言を呟いた。
「まさか霊夢も妖怪と仲良くできたら、なんて考えるなんてね」
「ふ~ん霊夢がなぁ~……はい?」
「霊夢が!?」
急な紫の告白に魔理沙とレミリアは素で驚いてしまう。
「霊夢は今まで幻想郷に入ることが出来なかった妖怪を人里に入れるようにした。もちろん自分が選定した妖怪だけだけど」
紫の言う、そして魔理沙が粋だといった巫女とは霊夢のことだった。だから紫は嬉しそうに笑ったのだった。
「今まで目で見えないほど奥にあった幻想郷も、あなた達が弾幕ゴッコをしているところを肉眼で確認できる所にまで範囲を広げた。あなた達がやっているその弾幕ゴッコやスペルカードなんていうのも……ふふ、よくやるわよね」
弾幕ゴッコは妖怪の争いにスポーツ性を持たせた遊びにしたものだ。
妖怪と何度でも楽しみながら遊ぶ事ができるように、どちらかが死ぬまでの争いを避ける為、という名目だが裏では人間である霊夢と妖怪の差を縮めるものでもあったのかもしれない。現にレミリアの紅魔館の住民、四季や永琳達ともこのフランの計画を実行できるほどに関係を深めている。
「今でも昔の言いつけを守って妖怪と自ら進んで関わろうとはしていない……ふうを装ってはいるけど、本当のところはどうなのかしらね。私もよく分からないわ」
普段は飄々としていて妖怪と関わりたがらないが、それは嫌いだからではないだろう。フランを退治しろと言われた時、拒否の意を示したり、レミリアに相談したりしているのだ。嫌いとは対極に位置すると言っていい。
かといってそんな霊夢が人間と妖怪の調和を望んでいたなど、少し考えられない。
そんな考えが皆の頭に注ぎ込まれ、今までの霊夢と照らし合わせて矛盾が生まれ、水と油のように跳ねたり散ったりしている頃合にまた紫が口を開く。
今度は夜空に光る満月を眺めて楽しみながら。
「初代巫女はここに幻想郷があることをおおっぴらに公表したわ。全世界に響き渡る程に……その理由は二つ。人間への警告と各地に散らばっている妖怪の収集。近くに来た妖怪を私の能力でここに連れてくる。あの頃は骨が折れたわ」
「全世界に発信したら幻想郷があるってばれてるだろ?」
全世界に公表などしたら人間と妖怪を隔てるために創った幻想郷の筈なのに興味を持った人間がやってきてしまうかもしれない。それはまた人間と妖怪との摩擦を起こし、戦争が起きる。
それは博麗の巫女の意図するところではない筈だ。それに紫は笑みを浮かべながらため息をついて「そうね」と「でも」を少し間を空けて言った。その空白の間に何か色々な面倒ごとが起こったのだろう。
「気が遠くなるよう様な昔の話よ。公表したのは初代だけだし、時がたてば人間は徐々に忘れていくでしょう。でも妖怪は死なない限り覚えている。これは初代が企画した長いスパンの計画だった。今じゃさっき歴史を消した人里くらいしか覚えてないでしょう。それに今後は、何らかの書物を辿ってこの人里にまで来たとしても、近くの人間が知らないとなれば諦めて帰るでしょう? ただの物好きならさようなら、妖怪だったら神隠し。何て上手いシステムなのかしらね」
紫に改めてそう言われると何だか少し寂しい、と幻想郷に住むものは思わないだろう。今までどおり何か入用の場合、霊夢に言えば入れてもらえるのだ。更に今やすぐそこの人里と深い関わりを持つ者などフランくらいしかいない。
人里と友好な関係を持っている慧音も、寺子屋で教鞭を振るってはいるがあくまで教師と生徒の関係だ。長くて五、六年の関係なのだから少ししてすっと居なくなる、という計画で慧音も了承しているのだろう。
逆に幻想郷の住人にとって人間からは見えない特殊な結界の中で伸び伸び出来るので願ってもいない事だ。
「私、少し霊夢さんを誤解してました」
紫が全て言い終えると妖夢がポツリとそんな事を言う。
「傍から見たら修行サボってやりたい放題のアホ巫女だもんなぁ」
それに賛同するように魔理沙もそんな言葉を吐き捨てる。酷い言われようだが、それは皆から親しまれている証拠でもあるのだ。なんだかんだ言いつつ皆霊夢には一定の信頼を置いているようだ。
「それと、ああいう性格だから。こんな事私が喋ったなんていわないでね?」
と、一応念の為トラブルメーカーである魔理沙に釘を刺しておく。
「ああ、でも霊夢がそこまで考えていたとはな」
「今回の事で身に染みたでんしょう」
今回の騒動で不安に思う人間は絶対にいる。そうなれば人里の住人は妖怪を怖がり、溝を深める事になるだろう。ならばその溝にぴたりとはまる仕切りを築き、完全に隔てれば済む事。
それは霊夢の意に反して。
かくして霊夢は歴史を改変した。自分の考えの甘さと歴代の巫女の考えの正しさを改めて思い知らされたから。
「そういうわけで霊夢は歴代の巫女の意思を継いで自分の使命を果たそうとしてる。私としてもそれは嬉しい限りだわ。だからここは霊夢に任せてくれないかしら? と言うのが私があなた達に待ったをかけた理由よ」
「結局お前の思い通りになったわけだな」
初代の意向は古くから付き合ってきた紫の意向とも言える。それを霊夢が果たそうとしているのだから邪魔するなということらしい。
「隔離されたところで私は別に関係ないし、この幻想郷のためって言うのならここで待っててやるよ」
「そうね、霊夢が決めた事なら私は意見しないわ」
魔理沙とレミリアは納得し、それに釣られて回りもうなずいている。
「これはいい情報を聞きました。すぐに記事に」
「紫に殺されるぜ」
「八雲紫、あなたの歴史も一度聞いてみたいな」
「あなたはあの方と同じ匂いがするからお断りよ」
「あれ、幽々子様寝てる……」
妖夢がため息をつきながら毛布を幽々子に掛けに行く。それを目で追った小町が途中にいた鏡を覗き込んでいる四季に視線を止める。
「あれ、四季様何見てるんですか?」
「フランドールと霊夢の動向だ」
四季はずっとフランと霊夢を監視していたらしい。幻想郷の起源など四季も当然知っているのだろう。だからそんな話そっちのけで鏡を見ていたようだ。その鏡は全てを見通せる鏡でフランと霊夢の姿が映し出されていた。
「いい御趣味をお持ちで」
と、紫の皮肉に四季はふんっと鼻を鳴らして「お前も把握しているのだろう?」と一言。それに紫は「もちろん」とニコリ。
「お前ら趣味悪いな……」
「あら、あなたは見ないの?」
「見るに決まってるぜ」
と魔理沙の一言を合図にでがやがやと紫が開けた隙間に皆集まってきた。