「こらっ、離れるんじゃないの」
日も傾き、薄暗くなる時間、二人の巫女が町中にやってきていた。仕事終わりの人々が行き交い、それを狙った居酒屋の灯がともる。軒先にはアルバイトだろう若い呼子が、客を引き込もうとしのぎを削っている。
「あっ、うん」
フランは好奇心旺盛だ。居酒屋は楽しそうな人々の声で溢れ、外に漏れ出してくる。フランの興味を惹かないわけがない。中でどんな楽しい事が起こっているのかといても立ってもいられないのだ。
若い、と言うよりも幼いフランを呼子が引き止めているわけではないのだが、その前を通るたびにフランは足を止めてしまう。中で楽しそうに騒ぐ人々を垣間見ようと、必死にしゃがんだり体を左右に振ったりしてのれんや窓の隙間からのぞき見ようとしている。
日が傾き、通る道は両端の建物に光を遮られている。もう傘をさす必要もない。そのためフランは折り畳んだ傘を片手に歩いているのだが、あらわになった上方、二階の方へも目が行ってしまう。
そこにはこれから飲めや歌えや踊れやを、客と共にするであろう女性達、いわゆる芸妓と呼ばれる者達が、二階から艶やかな着物を着て、妖艶な声で客引きをしている。中には幼くして巫女の姿をしているフランに手を振ってくるものもいるのだ。
半分からかっているのだろうがフランはまたその度に足を止め、更に手を振り返す。それが芸妓達のハートを掴んだのか、キャーキャー言いながら仲間内ではしゃいでいるのだ。
フランはその反応がとても楽しい様子。しかしながら霊夢にとっては迷惑以外の何者でもない。
フランは注意されてまた霊夢の後に駆け寄ってくるが、いつまでたってもそんな調子のフラン。霊夢も流石に面倒になったのか、妙な事を言い出した。
「手でもつないどく?」
親がフラフラする子供をどこか行かないように拘束する技だ。いつでも自分の監視下における便利な技。とはいえ、それは霊夢とフランの間にある関係性では成り立たない。見た目は姉妹で一見成り立つように見えるものの実際の歳は真逆だ。
「はっ? ば、馬鹿じゃないの!? わ、私は子供じゃないんだから!」
「なぁにきょどってるのよ」
この楽しそうな雰囲気に当てられたのだろか、霊夢はからからと笑って「冗談冗談」と楽しそうにフランを茶化す。
フランはムキになって霊夢を怒鳴っているが、赤い瞳が睨みつけているのは歩けば土ぼこりが舞いそうな乾いた地面だ。怒りよりも恥ずかしさが先行し霊夢を凝視できないのだろう。普段白い顔が真っ赤っかになっている。
霊夢はそれを認めると、一つニヤリと八重歯をちら見せして意地悪く笑う。。
「ほら、いくわよ」
霊夢は踵を返すがその手はフランに向かって差し出されている。するとどうしたことか、フランの手が差し出された霊夢の手を掴んだ。まるで条件反射のように、子供が差し出された母親の手を掴むように。
「あ」
あまりにも自然で、あまりにも子供っぽいその動作。まるで母親が不意に出した手にしがみ付く子供のようにフランは霊夢の手を握る。
「ぷっ」
霊夢もそこまで上手く行くとは思っていなかったのだろう。思わず噴出してしまった。熟女だ何だと強がるフランがこうもあっさり引っかかってしまうのだから腹を抱えて笑わないてはない。
フランは急いで手を振りほどくがもう遅い。霊夢の表情から意地悪な笑みが消えることはないのだから。
霊夢は片手で口を押さえて笑いを堪え、もう片方の手はフランの前でひらひらさせて「ぷぷっ、どうしたの? ほらほら」などといってフランのプライドをバリバリとぶち壊していく。
その手をフランははたき返そうとするが霊夢の手が先に引っ込められ、空を切る。それによってフランの機嫌はますます悪くなっていった。
「ふふ、あんたも可愛いとこあるじゃないっ」
「馬鹿霊夢! 皆には言わないでよね! 特に魔理沙には!」
皆には言うなと言う割りに、ご氏名で「魔理沙」とは、霊夢の事を信じていないのか。
子供扱いされる事を嫌うフランのことだ、子供だガキだと言われるのが心底嫌なのだろう。それがいつも遊んでくれる魔理沙にさえ言われているのだ。過敏に反応するのも当然といえる。
「それは今後のあんたの行動によりけりねぇ」
ただそれだけに扱いやすい。霊夢はその弱みに付け込んで上手くフランを転がしている。
「べ、別に悪い事なんてしないもん」
「どうだかねぇ」
霊夢はそう言うと足を止める。そして中腰になってフランに顔を近づける。
「一つ質問なんだけど」
「な、なによっ」
「ただ別れを言うだけなのよね?」
霊夢はフランの目をじっと見つめて問う。
フランは霊夢と合わせていた視線をずらしてから「そうだよ」と一言。霊夢はそんなフランの顔を舐め回すように見て「ふ~ん」と言うだけ。フランが目を逸らす素振りで何をどうしたいかばればれなのだが、この質問をした時点で霊夢も分かっているのだろう。
霊夢が頬に何が慕いか書いてあるフランの顔から視線を上げ、ふと前方を見る。と、丁度角から見知っている人物が出てくるところだった。少し距離が離れ、薄暗くなっているが特徴的な青と赤のツートンカラーだ、見間違えるわけがない。
八意永琳だ。
「あ」
「あら」
永琳も霊夢達に気付いたようで、思わず声が漏れる。
永琳を見つけた当初、霊夢の表情は驚き、その後忘れ物の件が徐々に思い出されていき、怒りの色が強くなっていた。やがてどう仕返しをするか、そのイメージが霊夢の頭の中で形成されていき完成された頃、表情を笑みに変えていく。
博麗神社に永琳は忘れ物をした。返す物は返さなければならない。しかし忘れ物は霊夢が全て壊してしまった。だから同等の対価で永琳に返さなければならないのだ。
霊夢は唇を吊り上げるとほぼ同時に走り出す。永琳もニコリと微笑み返すとその笑顔を保ちながら、ムーンウォークで自分が出てきた角に消えて行った。
「待ちなさい!」
霊夢は永琳が消えた角に姿を消した。
「ちょっと霊夢!?」
離れるなと忠告しておきながら自分から離れるのだからフランは怒りを隠しきれない。
「なんなのよ! もう!」
フランも二人が消えた角に行ってみたがもう姿はなかった。
「……先に行ってようかな」
一人呟き、辺りを見渡すフラン。だがここがどこだか分からないらしい。
キョロキョロして、見覚えがあるものを探そうとするが、町とはいえ広い。全てがご近所さんと呼べるほど狭い町ではないのだ。
「新之助の家どこだろ……」
空を飛ぶことができれば町を見渡すことが出来るが生憎羽は切られている。道を聞こうにも帰宅ラッシュのこの時間、人々の足は速い。フランは聞くに聞けない状態にいた。今現在のフランの状態は「迷子」という物になったらしい。
だが渡る世間は鬼ばかりではない。ちゃんとそんな迷子を心配してくれる者もいるのだ。
「お困りかしら? お嬢さん」
そんな迷子の後ろから優しそうな女性の声が。
「just now!!」と、ぱっと振り向くとそこには先程角に消えていった筈の永琳がいた。
「ってあれ、永琳? 霊夢から逃げてたんじゃ?」
「ぐるっと回って巻いてきたわ」
「はやっ、てか霊夢どんくさっ」
「それよりフランさん。こんな所で何してるの?」
永琳は優しくフランに微笑んでくる。永琳はフランが人里へ行こうとした時のために博麗神社に忘れ物をしている。その辺りの事はきっと想像がついているだろうが、フランの面目をつぶさないため、黙っているのだろう。
フランもそれを知る由はない。だからごまかすように「別に」と答えるだけだった。
「永琳こそ何してるのよ」
「私は近々医者の方々を集めて説明会をするからその打ち合わせをね」
「ふ~ん」
永琳も慧音同様、いずれ幻想郷へ引き上げなければならない。その為、自分の持てる知識を周りの医者に広めておこうという事で引継ぎを行っていたのだ。
だがそんなことにフランが興味を持つ筈もない。
そのフランに優しく微笑みながら永琳がフランに問いかけてくる。
「新之助さんの所へ行くのよね?」
「うん! ……え? 何で分かったの? 永琳って伊藤?」
「エスパーね。そう、私は何でも分かるのよ、ふふ」
「おおー!」
普通につっこんで返してくれたことに感動したのか、それとも何でも分かるという永琳に素直に感動したのか、フランは尊敬の眼差しで永琳を見上げる。
「あ、もしかして新之助さんに記憶を思い出してもらおう何て考えてるでしょう?」
「うん!」
エスパーを呼ばれたのだから知らないフリをする必要もない。フランもエスパーに隠しても仕方ないと判断したのだろう。素直に頷いた。
「何か策があるの?」
「ない!」
自信満々に答えるフランに笑って「でしょうね」と相槌を打って笑う永琳。たぶん行けば何とか成ると思っているのだろう。
「ねぇねぇエスパー! 新之助が思い出す方法ってないかなぁ?」
「え? ……急にそう言われてもねぇ」
「エスパーなんでしょ!?」
「え、ええ」
永琳は今更ながらエスパーだと言ったことを後悔する。
「そうねぇ。例えば、記憶を失った患者の記憶を取り戻す時に使われる治療法なんだけど」
「うんうん」
「時間経過を待つ。つまり気長に直るのを待つとか」
歴史の改変と記憶を失った患者とは症状が本質的に違う。エスパーだと言われた手前黙っているわけにもいかない。だから搾り出した答えがそんなものだった。
これには流石のフランも眉を歪ませ不満顔だ。
「後は過去に起こった事、その人にとってとても印象が残っていることを話したり、実際にして見たり、その場所に連れて行ったり、とかかしらねぇ」
「前にしたことをすればいいの?」
「そう」
「それで思い出さなかったら?」
「う~ん……そうねぇ」
そろそろネタも切れてきた永琳。暗くなってきた空を仰ぎながらしばし思案する。後は医療用語を連呼してフランの頭を混乱させようとでも企んでいるのだろう。
しかしまだ治療法はあったようだ。「あ」と何かに気付いたようにフランに視線を戻すと
「殴っちゃうとか?」
と大胆発言。フランはその意外な言葉に目を丸くするが、その後真剣な眼差しで「お、思い出すかな?」とおずおず聞き返すのだから永琳にしてみればこれほど面白いことはない。
「ふふ、ショック療法ってやつね」
ショック療法とは医療でも少なからず使われているが安全性に問題ありだ。そして今回のようなケースでは役に立たないだろう。むしろフランに殴られでもしたらそれこそ全ての記憶が飛びかねない。別れ際の殴りは置いておいて。
「そう、これで忘れ物も思い出すってわけね」
突如、永琳の後ろから霊夢が現れた。その霊夢は正拳突きの構えをしている。
「チェストー!」
人目もはばからず盛大な掛け声で繰り出された霊夢の正拳突きは見事に空を突く。
永琳は体を反らし霊夢の正拳突きを交わした。その反らした体の体重移動と同時にそのまま華麗なステップで舞うように霊夢から距離をとる。
「危ない危ない」
「逃がさないわよ!」
追いかけようとする霊夢に永琳は妖艶に笑って呪文を投げかける。
「それはいいけど、このままだと新之助さんに会うのはいつになるのかしら?」
「そんな事しったこっちゃな――」
「知ったこっちゃない」などとはずいぶんだが、それを言わせず、永琳を追いかけようとした霊夢の動きが止まる。
「フラン!?」
「霊夢! 新之助に会わせてくれるんでしょ!? 早く行こ!?」
永琳が発した呪文は霊夢ではなくフランに届いていたようだ。フランが霊夢の手を掴んだ事より霊夢は拘束される。
「うぅ……」
「じゃあねぇ」
永琳は手を振りながら、縛った銀髪を振り乱して振り返り際、軽く流し目を二人に向けると、軽やかにステップを踏みながら悠々自適に去っていくのであった。
霊夢は口惜しそうに永琳の後姿を睨みつけているがフランの拘束から逃げれそうにない。永琳の姿が見えなくなるとため息、そして肩を落としてうなだれるのだった。
二人はまた大島酒蔵に向かって歩き出していた。
フランは霊夢から、永琳に何を吹き込まれたか聞かれたが「別に」としか答えなかった。
フランが「思い出す?」と言った辺りから聞こえていた、というので恐らく何を聞いていたのかは察しがついていることだろう。しかし霊夢はそれ以上、深くは追求しなかった。
霊夢は人里と幻想郷が上手く関わっていければと思っていた。 本当に改変した人里と幻想郷の今の関係をぶち壊そうとは思っては居ないだろう。だがそんなことで元に戻ってしまうようなシステムなら元に戻ればいい、そのぐらいに思っているのだろう。
「あ、そうだ」
「ん?」
周りがフランも見知っている所になってきた。そろそろ大島酒蔵が近い。ここで霊夢が口を開く。
「新之助さんは昔のこと覚えてないんだから、それでぎゃーぎゃー泣くなんてみっともない事しないでよね」
「そんな子供みたいな事、するわけないじゃん」
「泣いたら即帰るからね」
「泣かないも~ん」
霊夢の方を見ずに軽く流して歩くフラン。もう大島酒蔵が見えてきた。霊夢の憎まれ口にいちいち反応していられないのだ。
フランの歩が早くなる。もうすぐそこなのだ。はやる気持ちを抑えても歩の速度はぐんぐん速くなっていく。
霊夢は早くなったフランに合わせて歩を早くするが、今まで後ろを歩いていたフランは今は霊夢の隣に居る。
そのフランの横顔はこれから起こる楽しい事に期待しても仕切れないとい様子。
霊夢がそんなフランの横顔を横目で見ているとフランが急に歩を止めた。
霊夢がフランの視線の先を見るとそこはもう大島酒蔵だった。
結構時間が掛かってしまった。寺子屋からは少し遠かったようで、辺りはもうすっかり暗くなっている。更に空には一番星が輝いていた。
「あら、霊夢さん、こんばんは」
そこで大島酒蔵の呼子に声を掛けられる。前はフランがやっていた仕事。今は青を基調としたはっぴに着物姿の若い女性が行っている。
「こんばんは」
「珍しいわね。霊夢さんがこんな所に」
霊夢に気付いた大島酒蔵の部下の一人が慌てて店の中に入っていった。
酒蔵にとって自分の酒を神様が飲むということはとても縁起がよいとされ、業績向上、躍進を祈願して霊夢には無償で差し出されるのだ。神に捧げるとはいえ、実際に飲むのは神ではなく、神の使いである巫女、つまり霊夢が飲む。
巫女の胃袋にも限界がある。だから新之助と同業の者達は競うように霊夢に酒を差し出すのだ。
その霊夢が自らやって来たのだ。慌てないはずがない。
だがその呼子は特に慌てる様子も無い。ただのアルバイトなのか、それともそこらへんを理解していないのか。
「ちょっとね」
「それでその子は?」
霊夢は考えていなかった。だがそれは考える必要がないからだ。フランは今巫女の服を着ている。
「ふふん」
と霊夢は鼻を鳴らして不適に微笑みフランの後ろに回って両肩に手を置く。更に自分の娘を自慢するようにぐいっと前へ押し出した。
「この服装、そしてこの身長差。どう思う?」
霊夢とフランの身長は約頭一個分の差がある。そして同じ巫女の装い。
霊夢は相手に考えさせるつもりだ。そして相手が言った答えに乗っかればいい。そう考えていたのだ。だがその呼子の方が少し上手だったらしい。
「う~ん……霊夢さんの子供?」
普通ならば姉妹、または親戚と予想しそうなところをこの呼子は親子と抜かした。
「そう、この子は私の子供よ」
霊夢ははじめから便乗する気だったので思わず乗ってしまう。
「と言う事は旦那さんは外国の人? 金髪だけど」
「そう、マイケルと言って五歳の頃、私をスカウトしに来た外人よ」
「成程、じゃあこの子は十歳くらいってことね。納得」
「……そろそろ突っ込んでくれてもいいのよ?」
「どこまで即興で設定を考えれるのかなと思って」
「あっそう……」
フランは自分の事を子供と言う霊夢に怪訝そうな顔をしていたが、意図は分かっていたのでずっと黙っていた。
「お嬢ちゃん」
そのフランに呼子が膝に手をついて支えながら身を低くしてフランに声をかけてくる。
「お名前は?」
「フランドール!」
「あら、可愛らしい名前ね。よく出来ました」
呼子はフランの頭を軽く撫でてやる。しかしフランはそれが気に入らなかったようですぐにその手を払いのけた。
「子共扱いしないでよ!」
「あらら、最近の子供はおませさん? ごめんなさいね……そうだ、これあげる」
その呼子は少しおっかなびっくりといった感じで手をさするも、何かを思い出だしたようにパッと表情を明るくし、飴玉を取り出しフランに渡してやる。
「ひゃっほぅ!」
飴玉をもらったフランは大喜びし早速口に含む。そんなちょろいフランを見て呼子も一安心だ。
「霊夢さん。いいお酒入ってますよ」
すると中から別の従業員が出てきて霊夢に声をかけてくる。
「あらそう? うふふ、頂こうかしら」
従業員について店の中に入っていく霊夢。だがそこで急に立ち止まって振り返り、呼子に一言。
「あ、その子の面倒お願いね」
そんな爆弾を残して店の中に入って行ってしまった。
「え? れ、霊夢さん!? ちょっと私子供は――」
苦手らしい。
霊夢への対応を見ると普通の客には慣れているようだ。よく看板娘といわれるが、呼子に使われているあたり、そうなのかもしれない。もしくはどこからか引き抜きにあったか。
大人相手の対応なら軽く相手できるのだろうがフラン相手にそうは行かない。大人と子供では対応の仕方がまるで違うのだ。呼子は飴をもらって上機嫌のフランを見てどうしようか困っている。
フランはフランでそんな困っている呼子を眺めながら飴を口の中でのんきに転がしている。歯に当たっているのかカチカチと立てる音が余計に呼子を追い込んでいく。
少しして、霊夢と入れ違いにある男が店から出てきた。黒髪に眼鏡、青いはっぴの姿は以前と変わりない。
「あ、若」
従業員からは若と呼ばれるその男は大島新之助だった。
キョロキョロしている辺り霊夢でも探しているのだろうが、霊夢は店の中に入ってしまいもう居ない。
困り果てた顔をパッと明るくして新之助に駆け寄る呼子。フランからは呼子が壁になって新之助の姿が見えない。
「お客さんですよ」
「ん? ボクに? 霊夢さん?」
「いいえ、でも女性の方ですよ」
「えっ?」
なんという偶然か、その呼子は子供を新之助に押し付けただけではある。だがそれはまるで新之助の恋人でも来たかという様な取次ぎ方だ。
新之助は襟を正し、はっぴのしわを伸ばして呼子に誘導される場所へ向かうが、そこに居るのは誰がどう見てもまだお酒の味も分からないであろう年端の行かぬ少女。しかしその容姿は東洋の者とは違う、人形で出来たような可愛らしさだ。
その人形は新之助を見つけると恥ずかしいのか、急いで視線を逸らす。
別れ際、殴る前は口付けを交わした仲だ。それが少し恥ずかしかったのだろう、手は新之助に見えないように後ろ手に組んでもじもじしている。
一方そんな事を覚えていない新之助は呼子の言うように大人の女性と思っていた為、少しがっかり気味で振り返り、呼子を睨みつける。
見れば呼子は店の入り口の戸に隠れて新之助の様子を伺っている。そしてその呼子の言い方も悪かったのだろう、他の従業員も呼子の後ろからこっそり様子を伺っていた。
「全く……」
これにはもう新之助うなだれるしかない。だが一人ぼっちのフランを放っておくわけにも行かない。それは巫女服を着ていたから霊夢に失礼があってはいけない、ということもあるだろうが自分の店を訪ねてきてくれたのだからそれ相応の対応はしなければならないのだ。
それにいたいけな少女をほうって置けるほど新之助は非道徳的ではない。
振り向いた体をフランに戻そうと顔を回転させた時、丁度横目にフランが見えるその角度。
「し、新之助」
もじもじしているフランの口から思わず新之助の名前がでてしまう。
「え?」
フランの白い頬が徐々に赤く上気する。俯いて新之助からはフランの赤い瞳を見れないくらいに。
だがそんな新之助の口から思いもよらない一言がフランの目を見開かせる事になる。
「何で僕の名前を知ってるの?」
新之助は記憶がない。聞いただけでは実感できなかったこともいざ目の当たりにしてみると、意外にショックが大きかったのだろう。この言葉にフランは開いた口がふさがらない。信じられないと、新之助をまじまじと見つめるが首を傾げられるだけ。
危うく呼子がくれた飴が口から転げ落ちそうなところで顎をひょいっと上げ、口を閉める。
フランは何か言いたそうに歯を噛み締めると、諦めるように新之助から視線を下げて俯いてしまった。
「どうかした?」
フランの異変に気付いた新之助はしゃがみこんでフランを見上げるような格好になる。これでフランの表情が見えるようになったがそれに気付いたフランは今度は顔をそっぽに向けてしまう。そしてコロッ、とフランの口の中で飴が音を立てて一転がり。
「君のお名前は?」
新之助は笑顔で、更に優しい声でそんな事を聞いてくる。しかしこれは新之助はフランの事を覚えていないということの証明に他ならない。
「フラン……」
それは自分は君を覚えていませんと宣言されたも同じ。フランは部下に言ったよりも明らかに小さな声で名乗る。しかもフルネームではなく略称。
にこやかな顔でそんなことを聞いてくる新之助の表情など、フランは見たくなかった。それによって酷い表情をしてしまった自分の顔も見られたくはなかった。
「へぇ~、可愛い名前だね」
フランはそっぽを向いたまま喋らず少し唇を尖らせている。自分は新之助の事を覚えているのに新之助は自分の事を覚えていない。だからただ単にすねているのだろう。傍から見ても少し恥ずかしがっているどこかよその子供に見える。
「どうかした? フランちゃん」
そのフランを呼ぶ新之助の言葉。それは以前フランを呼んでいた呼称だ。
だからフランはその呼び名にぴくりと肩を弾ませ思わず反応してしまった。
少し顔を上げると「べ、別に」と一言言ってまた俯きがちになる。
「そう、何か欲しい物ある? と、言ってもお酒しかないんだけどね、あはは」
「お酒嫌い……」
これにフランは眉にしわを寄せて実に嫌そうな顔をする。更にそっぽを向けていた顔を新之助に向けて。
フランはワインのことを言っているのだろう。新之助と一緒にパーティに行って一緒に踊ったあの日のことだ。吐き出してしまうくらいにフランの口には合わなかった酒。フランの顔はそれを思い出してか、とても苦々しい表情だ。
「あっはっは、その歳でお酒の味が分かったら立派な酒豪になれるよ」
それに新之助は楽しそうに笑ってそんな事を言うがフランは新之助が思っているような「その歳」ではない。フランは恐らく酒豪にはなれやしないだろう。
和やかな雰囲気がフランの心境を変えたのか、口は以前として尖らせてはいるが紅の瞳は新之助を捉えている。
しかし新之助は自分の事を覚えては居ない。ならどうするか。と、ここでフランは少し前のことを思い出す。永琳から聞いた記憶を取り戻す方法だ。
「ねぇ、私が今、何が欲しいか当ててみて」
そして突如尖った口を笑みに変え、そんな事を新之助に問いかける。
「え? クイズ? そうだなぁ……ヒントとか欲しいな」
ヒントが欲しいという乞う新之助にフランは得意になって胸を張る。
「ヒントはねぇ、赤い物!」
「赤?」
まさか血とか言わないだろうなと、心配になって出てきた霊夢が呼子や従業員と同じように店の入り口から盗み見る。その手には試飲用のワインが入ったグラスが握られていて口に少しだけ含んでいるようだ。
「うん! 赤くて甘いの!」
「う~ん、なんだろ」
答えは林檎飴だった。祭りに行って買ってくれると約束したもの。それを匂わせて新之助の記憶を取り戻そうという算段なのだろう。
だが新之助はそれも分からない様子。どうやら前の記憶は欠片も残ってないらしい。
いつまでも応えることができない新之助に、フランは口の中にある飴を不満げにコロコロと転がし、また不機嫌な顔に戻っていく。飴がフランの歯に当たってカチカチいう音を立てる。その音で焦った新之助はフランに向き直り「わからないなぁ」とすぐに根をあげる。
これによりますますフランの顔が不機嫌になっていく。口は尖らせ、新之助を睨みつける。
その視線に新之助はたじたじだ。思わず立ち上がってしまうほどに。
「え、ご、ごめんね。答え教えてくれるかな?」
「……あっ」
「ん?」
フランはしばし思案して何か思いついたのか口を突いてそんな言葉がでる。そして新之助に表情が見えないように顔をそらす。しかし牙が見えてしまうくらいの忍び笑いをして。
「しょうがないなぁ。ふふっ、仕方ないから私が教えてあ・げ・るっ」
フランは前に向き直ると首を左右に振りながら、両の掌を天に向けてやれやれ、という仕草。それは子供っぽくて面白かったのだろう、新之助もフランに気付かれないように忍び笑いをしている。
と、そんな忍び笑いもつかの間、次はちょいちょいと手を振ってこっちに来い、と言うような仕草だ。新之助に耳打ちするつもりだろう。
ここまで見れば全く子供っぽい行動だ。
新之助もその仕草の意図に気付き、言われるまま腰を曲げて耳を近づける。フランも新之助の耳に顔をゆっくり近づけて行く。
だが新之助の耳にはいつまでたっても何も届いてこない。ただ一つだけ分かる事は新之助の顔のすぐそこにフランの顔があることだ。フランの体温が感じられるくらいに近い。フランの前髪が新之助の耳をくすぐり、そしてほのかに甘い匂いが漂ってきた次の瞬間、新之助の耳ではなく頬に柔らかく、少し湿った感触が押し当てられたのだ。
「へっ?」