そのフランのあまりにも大胆かつ甘い行為に、それを見ていた部下達だけでなく、通りを歩く人々も足を止め二人に注目している。
それもそのはずだ。夕暮れ、薄暗くなった道。雰囲気は申し分ない。
とはいえ公衆の面前で、恥ずかしげもなく頬に口付けをしているのだ。
まるでドラマのワンシーンのような場面に視線を向けるなと言うほうが難しいだろう。
幸いな事にまだ時間が早いため、酒が入っている者はいない。この場面に茶々を入れたり合いの手を入れるような高揚している者いなかった。
「げほっげほっ」
ワインを試飲していた霊夢だった。あまりにも突拍子もないフランの行動で、口に含んでいたワインを盛大に噴出し、興奮していた部下達にぶちまけたのだ。
集合写真を撮った後、フランがそれらしきことを話してはいた。しかしまさかフランがあんな事をするとは思わなかったのだ。霊夢はワインをぶっかけられた部下に背中をさすってもらい介抱されている始末だ。巫女と呼ばれる職業に、これ程縁遠い人間もそう居ないだろう。
だが新之助達はそんな事に全く気付かない。と言うよりも気付けないでいた。フランによるその行為の意図が分からない。しかし男としては可愛い女性にキスをされる行為自体は悪い気はしない。
戸惑い半分、嬉しさ半分といったところだろう。明示するように新之助の表情がまさにそれだ。おっかなびっくりといった具合にフランを見つめてはいるが表情が緩んでいる。
一方のフランはというと、機嫌の悪かった先程とは違い、目を細め、満面の笑みで新之助を見つめている。透き通るような赤い瞳は細められてつぶされてる。更にその反動で赤い色素が押し出され、頬に達して赤く染める。
大勢に人の注目の的なのだ。いくらフランでもやはり幾分かの気恥ずかしさがあるのだろう。
だがフランはたじろく新之助の袖を指でつまんで逃がさない。更には新之助を仰ぎ見ながら「お、思い出した?」と首をかしげながら一言。
フランはただ単に新之助に口付けをしたわけではない。新之助にした口付けをした場所。それはパーティがあった夜、フランが悪戯にした小悪魔な口付け。それと同じ場所だった。
永琳に聞いた、失った記憶を取り戻す方法の一つ。心に残った強い印象を再び与える事で思い出す、という治療法だ。
これで記憶を取り戻し、ハッピーエンド、ドラマや物語ならばその流れなのだろうが生憎これはその類ではない。そして新之助は記憶喪失ではないのだ。
「お、思い出すって……何を?」
当然、新之助は思い出すわけがなく、更にそんな新之助の的外れの台詞でせっかくのいい場面がぶち壊しだ。
周りの野次馬も興ざめとばかりに歩を再び進め始める。天に掌を向けてやれやれと首を振る向かいの店の店員達もいる。
「思い……出さない……?」
そのドラマのワンシーンから徐々に抜け出していく野次馬達と同様に、フランの手からも新之助の袖が解放される。
分かりきっている事だった。歴史は改ざんされたのだ。普通の方法では戻らない。
フランには分かっていなかったらしい。これで戻るだろうと軽く考えていたのだろう。みるみる内にフランの表情が曇っていく。期待が大きければ大きい程、落差は大きい。
フランの前髪が徐々に曇った表情の上から覆い隠していく。更に口に含んでいる飴玉はカラコロカラと不機嫌に音を立てている。
永琳の教えた方法が災いしたのだ。小さな拳は強く握られ、小刻みに震えている。前髪の隙間から見える紅の瞳は先程よりも真っ赤に燃え、そして鈍く光っている。
「なんで思い出さないの?」
もはや手段、手法の良し悪しではない。それを通り越し、口付けまでしてやったのになぜ思い出さないのかという怒りがフランの内に芽生えてしまった。
先程の明るい、期待で満ちた声とは打って変わり、低く不機嫌な声。俯いたままのフランの顔は分からない。分かるのは不気味に開いたり閉じたりする可愛らしい唇だけ。
「え?」
今のフランの声は消えそうなくらいに小さい。新之助は慌てて聞き返すがフランの返答はなかった。代わりにとばかりにフランの独り言が続く。
「あの時……に……あげたのに」
フランの声が小さく、新之助には上手く聞き取ることが出来ない。更に言っている事も分からないではどうしようもない。分かる事はフランの機嫌が悪くなったという事だけ。
だがいつまでもこの調子では何も変わらない。相手の言う事はしっかり聞いて理解し、行動する。新之助は曲がりなりにも酒蔵の当主なのだ。フランやレミリア、霊夢をかばったような命を張る啖呵も切った男だ。見た目軟弱の、ただ優しいだけの男ではない。
だからフランの真意を確かめようと新之助が口を開く。
「フランちゃん、一体何を言って――」
必死にフランの言葉を聞き取ろうとする新之助の言葉が不気味な音に遮られた。同時フランの顎が上下する。
それは先程まで口の中で転がしていた飴をフランが噛み砕く音だった。
ガリゴリゴリと硬いものを砕いてすりつぶすような音。フランの歯によって出される飴を砕く音はとても不気味で、更にフランの可愛らしい顔立ちから奏でられるその音はどこか神秘さを感じられる。それは神々しいものではなく、悪魔のように禍々しいもの。悪魔が骨だけになった人間の頭を噛み砕くようなそんな音だ。
先程とは逆の意味で周りの視線を吸い寄せてしまった。
目の前の新之助の口にはもう、堅牢な錠前がぶら下がってしまって開く事はない。
「何で……思い出さないの?」
もちろんそんなことを問われても新之助が答えることが出来るわけがない。答えることの出来ない質問は上等な錠前に他ならない。更にその鍵はフランの手の中だ。口の開かない新之助にフランは疑問を浴びせかける。暗く低い声で、新之助を威圧するように。
新之助は何とか飲み込んだその唾で喉で返事する事がやっとの様子。
「パーティに行ったでしょ? ……その帰りにキスしたじゃない……なんで覚えてないの?」
畳み掛けるようにフランの言葉が続き、一歩新之助に歩み寄る。前髪の隙間から新之助を燃えるような暗い紅の瞳で睨みつけながら。
永琳に聞いた最後の方法、ショック療法、それを実行せんとばかりに手に持っている日傘が折れそうなくらいに強く握られる。
「ねぇ」
フランは今にも飛び掛らんとする獣のように一瞬沈黙した。そしてフランがもう一歩踏み込もうとした時、新之助の目の前にフランとはまた別の紅白が飛び込んできた。先程までワインを噴出してむせていた霊夢だった。フランの過ぎた威嚇に見かねて飛び込んできたのだ。
今のフランは危険だ。逆上して何をしでかすか分からない。
霊夢はフランが少しましになったかと思って放っておいたのだが限界だった。このままでは大惨事になりかねない。フラン引率の身の霊夢としては事を荒立てたくは無いのだ。
だからその為に、二人の間に割って入るや否や、この場が丸く収まるに値する一言を新之助に言い放つ。
「新之助さん。これは連ドラにあった台詞よ」
「……連ドラ?」
フランがかけた錠前は二人の間に誰かいては成り立たない錠前だったらしい。ここに来てフランの間に入ってくれた霊夢のおかげで、新之助の口にぶら下がった錠前が外れたようだ。
そしてどうやら霊夢はこの非日常的な場面を、どこかのドラマのワンシーンとし、それただ真似しただけ、と言う事にしたいらしい。それでごまかそうというのだろう。
「そうっ、この歳の子はすぐに影響されるから。全く、困るわよねぇ」
更にフランの見た目は霊夢の言う「この歳の子」にぴったりだ。慧音も言ったように人間の頭は寛容に出来ている。これには新之助も周りの野次馬達も納得せざるを得ないだろう。
そしてこのような非日常を日常に変換するのに、あまり時間は掛からなかった。
「なぁんだ、そうだったんだ、あははは」
「おほほほ」
霊夢は笑ってごまかしているが、ひとしきり笑った後、愛想笑いの仮面のままフランを見下ろし睨みつけていた。
「下手なことをすれば殺す」とでも言いたげな霊夢の表情。
今のフランでは霊夢に勝ち目はない。能力は全てリングで封印されている。
だがフランには反省する様子もなく、しかしそんな霊夢が怖いのかそっぽを向いて口を尖らせる。
まるっきり子供のようなフランだが、次の霊夢の一言でその顔が子供とは思えないほど引きつった顔になってしまう。それはフランが一番恐れることだろう。
「さて、そろそろ帰るわよフラン」
「え?」
それは新之助の記憶も取り戻せず、尻尾を巻いて帰るということだ。この言葉には顔を引きつらせるフラン。
しかしこのままではいつフランが爆発するか分からない。せっかく人里から幻想郷を隔離したのに、フランと言う妖怪から人々を、主に新之助を危険に晒してしまう。霊夢としては一刻も早くこの場を離れたい気分なのだろう。
ただフランは自分がやりたいことが一つも出来ていない。
顔を跳ね上げて霊夢を睨みつけて一言。
「やだっ」
「はぁ? あっ! こらっ!」
新之助とフラン、両方の姿が見えるように横になって割って入っていた霊夢。そして聞き分けの無いフランをたしなめようと思ったその時だった。霊夢の背後をすり抜け、自分を捕まえようとする霊夢の手も回避しながらフランが新之助に向かって走り出したのだ。手に持っていた日傘をかなぐりすてて。
「新之助さん! 逃げて!」
霊夢はフランが新之助に殴りかかろうとでも思ったのだろう。
「え? うわっ!? フランちゃん!?」
だが結果的に「逃げて!」とは、フランに失礼だ、という事になった。
フランは新之助にタックル気味に抱きついただけ。殴りはしなかった。しかもそれは、小さな子供が嬉しさを抑えきれず親に抱きつくような強さで、だ。
「何で!? 何で思い出さないの!? 新之助は私にメロメロだったじゃない!」
もう後はない。そう感じたのだろう。フランはダイレクトに懸命に新之助に自分の思いを伝えようとする。
「め、メロメロ!?」
「そうだよ! あの時だってギュって抱きしめてくれたじゃない!」
フランの細く短い腕は新之助の腰に回されてしっかりと捕まえて離さない。しかしそれは新之助が痛くないよう、抑えた力加減で。霊夢の腕を掴んで危うく怪我をさせそうになってしまった事を覚えているのだろう。現に新之助は平気な顔で、しかし困惑顔だ。
思いっきり抱きしめたいだろうフランは腕の力を声に変えて、力いっぱい新之助に訴えかける。
「一緒に暮らそうって言ってくれたじゃない!」
「フランちゃん」
「思い出してよ! 新之助!」
またドラマのワンシーンのような光景が繰り広げられる。
しかし先程の、霊夢の一言でこれは小さな子供のお遊戯と化してしまっている。
周囲の野次馬も小さな子供のお遊戯に興味を持たないようだ。ただクスクスと笑って通り過ぎていく。
その視点から見ればフランの演技は迫真だ。その演技は演技ではなく本物なのだから。
迫真の演技をする女優。ならばその相手のはどうすればいいか。決まっている。その女優に負けないくらいの迫真の演技で返せばいい。
新之助はフランの細く震える肩を優しく掴み、ゆっくり引き放す。そして膝を地面に付き、中腰になって目線を合わせる。膝を付けばフランよりも少し低い視線の高さだ。
「お願いだよ、新之助ぇ……思い出して……」
今にも泣きそうな表情で訴えるフランを真っ直ぐに見つめて、新之助は瞬きを一つする。
何を思ったのかその新之助の表情が不思議な笑顔に変わる。そして
「思い出したよ」
と一言。
これにはフランだけでなく霊夢も唸って驚いてしまう。霊夢と、フランの「え?」が重なって一回だけ聞こえた。
「パーティの事もキスの事も何もかも全部」
突如、新之助はとんでもない事を言い始めてしまった。
まさか思い出してしまったのか。慧音の言うミスマッチがどこかで起きてしまったのか、などと霊夢は思案する。
「一緒に暮らそう、フランちゃん」
「新之助……」
フランは嬉しさのあまり今にも涙を流さんと一杯になった目の上に涙と笑みを浮かべている。
新之助は記憶を取り戻した。あとはそこで儚げに震えている少女の肩を抱きしめてハッピーエンド。となる予定が、やはり現実はそんなに甘くは無い。次の新之助の一言でバッドエンドにはや代わりしてしまう。
次に新之助の目に飛び込んできたのはフランの目からポロリと落ちた大粒の涙だった。
「……へ?」
それは新之助が、フランを抱きしめもせずに言った、心ない一言が原因だった。
フランは紅の瞳を見開き、そして耳を疑った。
それを理解するまで数瞬の沈黙を持ってフランはそう聞き返す。
まさか新之助が、あの優しい新之助がそんな事を言うなんて、と。
新之助が言った言葉、それは「これであってたかな?」だった。
それは部下や周りの通行人などから見れば、単に子供のお遊びに付き合ってやる優しい青年だ。新之助に対する部下の評価も上がったに違いない。だがしかし、霊夢やフランから見れば人の心を弄ぶ悪魔に他ならない。
「どういう……こと?」
覇気も何もないただの音。怒りや悲しみを通り越すとこういう声になるのだろう。
吸血鬼だからだろうか、未だに立っていられる事が不思議なくらいにフランの声がかぼそくなる。
「連ドラの台詞、違った?」
霊夢の一言があまりにも強い効果をもたらしてしまったらしい。
形としてはテレビに影響された小さな子供のお遊びに付き合ってあげた優しい青年、という構図になるのだろう。
「ち……ちがう……」
フランの声はもう涙声になってかすれていた。
「ちがうよ……ちがう……ちがうちがうちがう!」
フランは首を懸命に振って新之助に、自分の言いたい事はそうではない事を必死に訴えかける。
「あ、あれ……あはは、ごめんね、ボク連ドラ見てなく――」
「ちがう! ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう!」
必死に頭を振って否定するフランだが、霊夢の一言とその狂ったような行動のせいでその想いは新之助の心にかすりもしない。フランのサイドポニーが悲く空回りするだけ。
「ちがう!」
そう、ちがうのだ。根本的に違っているのだ。新之助の違うとフランの違うとでは全く違う。
フランが言って欲しい台詞はあっている。だが新之助の言う台詞はフランにとっては間違っているのだ。
「フランちゃん……」
自分の気持ちを、伝えたい思いを、全て、ありのまま伝える、という事はとても難しい。しかしフランは気持ちだけが先行し、その背景を上手く説明できないでいる。その背景を霊夢にドラマだ何だと塗りたくられたせいで更にそれが難しくなってしまった。
気持ちが伝わらない怒り、悲しみ、歯がゆさ、それ故の悔しさが更にフランの思いを空回りさせた。
互いの距離は触れようと思えば触れられる。抱きつこうと思えばいつで、いくらでも抱きつく事は出来るほどに近いのに、その思いは手の届かない所、はるか彼方にある。
段々「ちがう」と連呼するフランの声は、すぐそこにいる新之助にさえ聞こえないほど小さくなっていた。届かない声をいくら出したところで空しいだけ。
乱れて揺れていたサイドポニーも、静かな馬の尻尾にささやかな風を当てた時のようにわずかに揺れているだけ。
そしてとどめとばかりに新之助はそんなフランに追い討ちをかける。
「聞いてフランちゃん」
その新之助の声で馬の尻尾は完全に静止する。
「今度フランちゃんが来たときは分かるように見ておくね」
霊夢の言葉でもう帰ると予想したのだろう。駄々をこねて帰りたがらないフランを諭すように言い聞かせる。
「こん……ど?」
その言葉でフランの脳裏にある言葉が浮かび上がる。
新之助との「別れ」が近い。
「うん。その時はフランちゃんが欲しがっていた赤くて丸い物も探しておくよ」
それはただの別れではなく、今生の別れ。今後一切、新之助と再会する事はない。霊夢と約束した。次はないのだ。
「約束するよ」
「グスゥ……ひっぐぅ」
先程の悪魔のような仕打ち、そして残酷なまでの現実。それを突きつけられたフランはリズム悪く肩で息を吸っている。その吸った息で目からは大粒の涙が押し出されて次々と溢れこぼれて落ちてきた。
「ふ、フランちゃん!?」
新之助が声をかければかけるほどフランの息は荒くなり、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちてくる。これには新之助もどうしていいかわからず挙動不審だ。
フランの背後に居た霊夢は、そんな新之助の異変を感じてフランを後ろから覗き見る。すると霊夢は驚いた、と言うよりは顔を引きつらせると言ったほうがいい表情だった。こんな町中で大泣きされてはたまらないのだろう。
「あー! やめてよね新之助さん! こんな小さな女の子を泣かすなんて最低よ!」
「え? あ……ごめん」
そう大義名分を掲げ、怒鳴りながらフランを後ろから抱きしめて掻っ攫う。続けて反転し、新之助から遠ざけた。何もかもが上手く行かず、脱力しきったフランは容易に反転することができた。
その新之助を怒鳴る声には少し憎しみが込められていた。悪乗りし、フランにわずかな光を見せ、寸での所で消してしまうのだから少なからず怒りがわいたのだろうか。
しかしその「ドラマのワンシーン」と言う種を蒔いたのは霊夢だ。新之助が不憫と言えば不憫ではある。
霊夢は泣いている子供をあやすように新之助に背を向けた状態で中腰になっている。
優しい姉よろしく、ハンカチでフランの涙をぬぐってやりながら頭に手を乗せて、小声で新之助に聞こえないように囁いた。
「ほらフラン、泣かないの。約束したでしょ?」
泣いたら即帰る。霊夢はそう言った。
フランは涙がこぼれ落ちないように掌で目を拭いながら「ないでなんが……ない」と言い張っている。強気ではあるがぐしょぐしょの顔でそんな子といわれるとさすがに霊夢も同情してしまう。
「フラン……」
霊夢は頭を優しく撫でてやる。
子供扱いされると嫌がるフランだがこの時ばかりは霊夢の手を払いはしない。というよりもむしろ涙を拭い取る作業で忙しく、霊夢の手を払い除ける作業に移れないと表現した方がいい。
だがその作業は終わりが見えない。涙はとめどなく溢れ出してくるのだから。
その終わり泣き作業をいつまでも待てるほど霊夢も気が長いわけではない。更に周りにまた野次馬がたくさん集まってきていた。
興味深々に覗き見ている部下と泣き喚く子供、といった奇妙な光景。道行く人々も何事かと、また気になって足を止める者が出てきたのだ。しかも二人は巫女服でそれだけでも目を引く。
騒ぎになり、後で色々聞かれるのも面倒だ。噂は風よりも早く広がる。こんな小さな人里では明日には全体に行き渡るかもしれない。
霊夢は仕方なく、ため息をついて体を起こす。
少女を泣かしてしまい、ばつが悪そうに、どうしていいか分からず、頭をポリポリとかいている新之助の方へ振り返る。
「新之助さん、こんなわけだからこれで帰るわ」
とフランを掌で示しながら言う霊夢の表情は残念そうでどこか疲れている。
だが「これで帰る」、その言葉でフランの涙を拭く作業が手から効率のよい腕にスイッチする。
この機を逃せばもう二度と会う事は出来ない。
くくり付けられている巫女服の袖でごしごしと目を拭い効率よく涙を拭っていく。後で霊夢に怒られるかもしれないが、そんな事もうどうでもいい。それ程強くこすりつけたら後で赤くなって腫れ上がってしまうだろう強さで拭っていく。
「あ、うん……なんかごめんね」
霊夢にすごまれた新之助はすまなさそうな顔をして苦笑いする事しかできない。
「新之助さんが謝る事じゃないのよ。ごめんなさいね、怒鳴っちゃって」
霊夢も先程すごんだ事を反省したのか、すまなさそうに笑って軽く謝る。
その謝罪を霊夢と同じような表情で返した新之助は軽く首をかしげて、霊夢の背後にいるフランの方を覗き見る。
「フランちゃんも、またね」
「……」
新之助は涙を拭く作業で忙しいフランに別れの挨拶を投げかける。
新之助は、今度は「またね」と言った。
「また」、「今度」、これ程フランに辛い挨拶はない。それは今のフランにとって選択不可能な別れの挨拶なのだから。
霊夢のせいでこんな事になったのだからもう一回行かせてくれ、などと言っても霊夢が連れて行ってくれる可能性はほとんど無いだろう。
フランも分かっている。新之助の反応を見れば誰でもわかる。フランの様々なアプローチにもかかわらず思い出す気配が無い。
慧音の「歴史を操る程度能力」は完璧だった。打ち崩す隙は無かったのだ。
それに何度も人里に来てしまえば何のために人里から幻想郷を隔離したのか分からない。それが代々博麗の巫女が作った幻想郷と人里の理想のシステムなのだ。
「ほら、フラン。新之助さんがまたねって」
悲しいことだが、これが現実だ。そしてどんな現実であろうと向き合わねばならない。
「……」
だから霊夢も、そんないつまでも同じ作業から次の作業へ進めないフランを、次のステップへ促してやる。その作業は難しい事ではない。ただ単に新之助にされた挨拶を返すだけだ。
しかし肝心のフランが涙を拭い続け次のステップへ移る事が出来ない。
「あんた何のために来たのよ」
フランが霊夢に言った、里に行く大義名分は「けじめ」をつける事だ。後腐れなくお別れを言うために。
霊夢はフランを前から軽く抱きとめるとくるりと反転する。無理やり前に持ってこられたフランは泣き顔を見られるのが嫌なのか、急いで霊夢に抱きついて新之助に背を向けて振り向こうとはしない。
「あんたねぇ……」
「フランちゃん。またいつでも遊びに来てね」
新之助がそう声をかけるとフランはちらりと首だけ回して新之助を伺う。そこにはいつも自分に向けてくれたでれでれとした笑顔ではなく、すまなさそうに笑う新之助が居た。
「今度は絶対覚えとくからね」
「……ちがう」
そんな必死の新之助にまた「ちがう」と言う言葉がふってくる。しかしこの「ちがう」は先程の「ちがう」ではない。今度はもう無い、これで終わりなのだ。ここでフランが選ばなければならに言葉は「またね」や「今度」の類ではなく
「さようなら……だよ」
だった。
「うん、さようなら。またね」
フランは覚悟を決めたらしい。
新之助との別れの時。
今生の、別れ。
その時の新之助の表情は少し明るくなった。
「さようなら」の挨拶をしてくれたから少しは機嫌が直ったのだろう。とでも思ったのだろうか。
それがフランにとってせめてもの救いだろう。悲しそうな顔より笑顔で送られた方がいいに決まっている。
「うぅっ……ざよ……なら」
しかし当の本人の表情はさえない。というよりも泣いている。えずくように、上手く言葉を発せられずに。
新之助には後味の悪い物となってしまうだろう。
新之助が笑顔になればなるほど、フランの涙が急速に増加していくのだ。決壊したダムのように大粒の涙が頬を伝ってやがて地面に落ちていく。後は破壊されるダムの轟音がこだまするのを待つだけだ。
「じゃ、じゃあそういうことで……新之助さん、さよなら!」
霊夢は大事になる前にフランを担ぎ、集まってきた野次馬を蹴散らせながら一目散に逃げ出していった。
「あっ……さ、さよ……なら」
新之助は泣いているフランと、それを担いで逃げる霊夢の後姿を見送ることしかできなかった。
大島酒蔵
夜遅く、大島酒蔵では店じまいをしていた。その店じまいももうすぐ終わりそうと言う頃、新之助は一人廊下に腰を下ろし、フランと祖母がしたように足をぶらぶらさせて、ボーっと空に浮かぶ少し欠けた月を眺めていた。
「若ッやりますねぇ! もうお嫁候補みつけたんですかい!? でもあれは流石に早過ぎると思いやすが……いやしかしメンコイ娘でした! 将来が楽しみでさぁ!」
と、後ろから先程の一部始終を見ていたであろう部下が元気の無い新之助に気を使ってか声をかけてきた。
「ああ、そうだな」
新之助はそんな部下の方を振り返りもせずにそっけなく一言。
「どうしたんですかい? 何だか魂を抜かれたような顔してますぜ?」
するともう一人、先程の事を話していると気付いた部下がやってきた。新之助のちょうど後ろにある柱から顔を覗かせながらそんな事を言う。
「あの娘、確かフランドールって娘だっけか?」
「ああ、そうそう、呼子のバイトにそんな名前言ってたな」
「フランドール?」
そういえば新之助はフランのフルネームを聞いては居なかった。すねたフランがわざと教えなかったのだが。
「ええ、しらなかったんですかい?」
「え、あ、ああ……」
「なかなか変わった名前ですよえねぇ。髪は金色、目も赤ぇし、どこから来たんだか」
「もしかして妖怪だったりしてなっ」
「かもなっ! あっはっはっはっは」
「あっはっはっは! あんな可愛い妖怪ならいつでも歓迎だべ!」
「お前妖怪なんて見たことあるのかよっ?」
「て言うか妖怪なんて本当にいるべか?」
「どうだかなぁっ」
と、新之助をよそに勝手に盛り上がっている。
「お前達、無駄話してないで仕事しろ」
「「あ、はい! すいやせんでした!!」」
その部下達はまた自分の作業に戻っていった。
「全く……」
と、新之助は廊下に仰向けで倒れこんだ。こうすると一日の疲れが一気に体を駆け巡り、いい睡魔に襲われるのだ。
しかし目を閉じても睡魔はやってこず、代わりに天使のように可愛らしかった先程の娘が新之助の頭の中にやってくる。
「あの娘は一体……なんだったんだ」
演技とは思えないほどの鬼気迫るあの表情を新之助は忘れられないでいた。
一つため息をついて目を開ける。と、真正面に天井、右には薄暗い廊下、上には柱、そして左には祖母。
「ん?」
と、新之助はいつも見慣れていた物に何か違和感を感じた。何かが一瞬、視界に映りこんだような。
「全くはこっちの台詞だよ」
と、その思考を妨げたのは階段から降りてきたばかりの祖母だった。手には何も持ってはいない。その為転びもしないのだろう。今ではフランの呪いも無い。安全だ。
無事に階段を下りてきた祖母は腕を組んで新之助を見下ろしている。
「ばあちゃん」
「何腑抜けてんだい! 油売ってる奴らと変わりやしないよっ! いや腑抜けた雰囲気を出してる分あんたの方がやっかいさね!」
「ご、ごめん……」
新之助は体を起こしもせず、祖母から視線をそらし、また真正面を向いて天井を眺めている。
「なんだい、さっきのあの娘のちゅうがきになるのかい」
「ばあちゃん見てたの!?」
だかこれには体を起こさざるをえない。
「皆が扉に集まって外見てっから何事かと思ってねぇ」
「はぁ……」
新之助は頭痛がするように顔面を片手で押さえる。部下達が見ていたのは知っていたがまさか祖母まで知っているとは思わなかった。
これから町中に噂が広がり、友達やら商売仲間に冷やかされる事だろう。そしてそれは身内にまで及ぶのだ。頭が痛くならないわけが無い。
「まあ嫁にするなら霊夢さんに言ってもらってきな。もっとも、まだ若すぎる気がするけどねぇ。これだからろりこ――」
「ちがうって! ちょっと考え事してるだけだから、あっち行っててくれよ!」
「イッヒッヒ、何怒ってんだろうねこの子は」
祖母はそう言って茶化しながら退散していった。
「はぁ……全くもう」
そして新之助はまた背中を廊下に預け、うなだれるように天を仰ぎ見るのだった。
紅魔館
フランが人里へ行った次の日、日も高々になった頃だった。紅魔館にドンドンドンと激しく叩く音が響き渡る。更に女が叫ぶ声が聞こえた。
「おいフラン! 頼むからここを開けてくれよ!」
それは魔理沙だった。ドンドンドンと叩く音はフランが居る地下室の、頑丈な扉を叩く音。
「やだ! 帰って!」
フランをけしかけた張本人である魔理沙だが、昨日の結果が気になってフランの元を訪れていたのだった。
しかし困った事にフランは会ってくれないらしい。ずっと「帰れ」との一点張りだ。魔理沙が来てからずっとこの調子だった。
「頼む! フラン! 昨日何があったんだよ!?」
「帰ってって言ってるでしょ!」
昨日あった事。それはフランの様子から見ても失敗した事は明らかだ。
魔理沙は一応咲夜や美鈴からも軽く事情を聞いたが大泣きして返ってきたとの事。それを聞いて詳しい事情も聞かず、フランの所へ飛んでやって来ていたのだ。
何があったか話してくれれば魔理沙の知恵で何とかなるかもしれなかった。だが取り付く島が無ければどうしようもない。
「ならこの扉ぶち壊すぜ!?」
会って直接話しをすれば魔理沙の口の上手さでどうにかできるかもしれない。と思ったのだろう。が、どこからともなく咲夜が現れ、魔理沙の頭をグーで殴りつけるのだった。
「いってて……」
「馬鹿な真似はやめなさい」
魔理沙は唸って膝を突いてもだえている。
その咲夜の拳は魔理沙にただ突っ込みを入れるだけの拳にしてはやや痛かったらしい。
「ぐうぅ……何か今憎しみがこもってなかったか?」
「今までの憎しみを全て込めたらあんたの頭は爆発するわよ?」
「……指先一つで秘孔を突くようなことだけはやめてくれよな」
「……成程その手が――」
「ねぇよ」
「はぁ~全然ダメだ。フランが会ってくれないぜ……」
紅魔館から外へ延びる屋根付きの廊下。その先には真上にある太陽の完全に光を遮ってくれる大木が。その下にはティータイム用のテーブルが用意されている。
「あんたがけしかけたからでしょ」
その机の上にはティーカップが二つ。座っているのはレミリアと魔理沙。その横に咲夜が慎ましくたたずんでいる。
「私のせいかよ」
「あんたのせい」
魔理沙は飲み干したティーカップをかじりながら机に顎を乗せ、ブスッとしたまま咲夜を横目で睨みつけている。一方の咲夜はすまし顔でばっさり切って捨てる。
魔理沙はフランをけしかけた。それが無ければフランがああなる事は無かった。
と、それは皆承知の事だ。しかしその事で魔理沙を責める物は誰もいないだろう。咲夜も本気で言っているわけではない事は魔理沙だって分かっている。ただフランがああなってしまった事への不満を誰かにぶつけなければ気がすまなかったのだろう。
当の本人が目の前に居る。そしてそれがあのトラブルメーカーの魔理沙ともなれば不満をぶつけやすくて仕方が無い、といったところか。
「その内治まるでしょ。放っておきなさい」
魔理沙が目を向けると、実の姉であるレミリアもすまし顔で紅茶をすすっている。
この吸血鬼はこんな時に、しかも昼間に日の当たりそうな木の下で紅茶なんかすすっていられるな、と言わんばかりの視線を魔理沙はレミリアに向けてやる。
葉が風で揺れ、日光が当たれば大やけどだ。だがこの大木の葉の密度は相当な物で、葉の間から木漏れ日が射すことは無いだろう。
「アイツはああ見えて頑固だからなぁ。誰に似たんだか」
「全くね」
「……」
「何?」
「はぁ……いや……そうだな、ん?」
と、ここで魔理沙が何かに気付きピクリと首から上だけをもたげる。魔理沙だけでなくレミリアや咲夜も一瞬動きを止める。動いているのは風で舞う木の葉とその影だけ。
ガタッ
と、乱暴に魔理沙は席を立つ、と机に立てかけてあった放棄をおもむろに掴む。
「それじゃあ、私はそろそろ帰るぜ。またな」
「ええ」
魔理沙は箒を平行にして手を離す。すると箒はそのまま空中に静止した。そこにひょいっとお尻から飛び乗るとクッションのようにいい具合に少し沈んだ。
そのままスーッと上昇し浮かび上がるとゆっくりと前進し、魔理沙が帽子を手で押さえつける動作を合図に突如爆風に巻き込まれたような勢いで進み、空に消えていった。
その余韻でレミリアの髪や咲夜のスカートが揺れ木の葉が舞ったのだった。
魔理沙が居なくなり、レミリアと咲夜二人だけとなった静かな木陰。軽く風が吹いて木の葉が舞う。
大木に繋がる屋根付きの渡り廊下には風に吹かれて木の葉が舞い込んでくる。
石造りで硬い材質の廊下に木の葉が風に乗って着地した。そのまま風に引っ張られて引きずられ、ズズズと音を奏でている。ある物は転がって、またある物は宙に浮いて木の葉同士で戯れて演奏に興じる。
ただその音楽隊はいずれも音色が少なく、どこか寂しげだ。夜になれば夜の音楽隊がすばらしい音を奏でるのだが。生憎今は昼でもう秋だ。夏に居た昼の音楽隊はもう居ない。
影となっている大木の下は少し寒いくらいだろうか。
屋根付きの廊下もそうだ。ひんやりと冷たい廊下に寝そべりたいほど体も熱くは無い。
寒ければ日に当たればいい。だが吸血鬼であるレミリアには出来ない相談だ。
レミリアは未だ夏服だった。
咲夜は軽い毛布でも持ってこようかと紅魔館に繋がる廊下の方を見る、とそこにはこちらを伺う小さな少女が。
「妹様っ」
赤い目は俯きがちに冷たい廊下を見つめている。顔を隠そうと、風で色素の薄いサイドポニーが揺れる。
実は先程フランが出てきたということは三人とも分かっていた。フランは魔理沙に会いたくなかったらしい。だから魔理沙もそれを察してこの場を去ったのだ。
それは咲夜も気付いていた。しかし咲夜の顔には驚きの表情が見て取れる。
「魔理沙は?」
だがこれはフランが出てきたという事に気付いていた、と言う事を隠すための演技ではない。
「……魔理沙なら先程帰っちゃいましたけど」
「そう」
見ればフランの服装は昨日帰ってきた時と全く同じ格好だ。着替えもせずにずっと泣いていたのだろう。
しかし背中には綺麗な七色の羽がくっ付いている。
霊夢によって羽だけは戻されたらしい。巫女服に穴を開けられてそこからくっ付けられている。羽をやるから泣き止めとでも言ったのだろうか。それともまた神社に来て欲しくないからか。
どちらにせよその巫女服を脱ぐには羽を切るか服を切るかしなければならない。
「それより妹様、そのお顔……」
咲夜が驚いていたのは別にフランが息を潜めて出て来たことがばれていた、という事を隠していたわけではない。
咲夜が驚いた事、それはフランの顔だった。泣きじゃくった跡がよく分かるように痛々しく赤く腫れ上がっていたのだ。
フランは咲夜の心配をよそに、俯いて、レミリアの方へゆっくりと歩き出した。
廊下に吹く風は腫れ上がったフランの顔を冷やして痛みをやわらげる。しかし、舞い上がる木の葉が時折フランの頬を撫でて少し痛いだろうか。
そんな飴と鞭の廊下を渡りきるとフランはレミリアが座る椅子の横で止まった。
紅茶をすすっていたレミリアもティーカップを置いて、しかし体は動かさず、目だけをフランに向ける。
「たくさん泣いたようね。けじめはつけられたかしら?」
レミリアは昨日の事を霊夢に聞いたらしい。フランはしばらくの沈黙の後疲れたように頷いた。
「そう」
フランは顔を俯けたまま動かない。
何故今フランが出てきたのか。魔理沙が来てくれたのにいつまでも泣いてるわけにはいかない、とでも思ったのだろうか。
フランはレミリアの所へやってきた。そのフランの意図とは。
それは実の姉であるレミリアには分かっていた。
ポンっと不意にレミリアの手がフランの頭に乗せられる。そして優しく撫でてやるレミリア。フランが少し顔を上げるとレミリアは体をフランの方に向けて優しく微笑んでいる。
「よくやったわね、フラン」
レミリアが優しくそう言ってやると、フランは少し口の形を笑みに変えた。
事を成し遂げた後ならば特別な何かを要求しても罰は当たらない。
フランはけじめをつけた。別れを言った。それが不本意だとしてもそれを成し遂げた。精一杯がんばったのだから。
だからフランはその一言で勢いよくレミリアに飛びついた。その威力は咲夜も真っ青のすごい威力だった。
レミリアは椅子から突き飛ばされ、木陰の外へでてしまう。と、いうことはなかった。真後ろにはフランのタックルでもびくともしないような大木があったからだ。しかしその威力を物語るように大木の木が揺れて葉のかすれる音が聞こえてくる。
レミリアは背後にあった大木に助けられたが全身を叩きつけられてしまった。あやうく紅茶を吐き出すところだ。
「ぐっ」
「お、嬢様!」
咲夜は半分錯乱状態で駆けつけるがレミリアの掌を向けられ制止させられる。
「ふ、フラン?」
フランは何も言わずレミリアを抱きしめたままだ。自分に甘えてくれるフランが嬉しいのだろう。レミリアは笑ってはいるが段々顔が引きつってくる。
「うふふ、フラン……強く締めすぎよ……死ぬっ……死ぬかも……」
「お嬢様!」
フランは新之助にしたよりもきつくレミリアを抱きしめる。レミリアは強烈に締め付けられ、息も絶え絶えだ。
だが未だレミリアの腕は咲夜を制止している。咲夜は助ける事が出来ない。フランに絞め殺されやしないかと気が気でないだろう。
レミリアはフランの背中を軽くタップするが力は以前弱まらない。
「ちょっと……フラン」
レミリアはフランの顔を見て真意を確かめようとする。八つ当たりなのか、ただ甘えたいだけなのか。
だがフランは意地でも顔を上げまいと力を入れている。どうやっても表情は伺えない。
そのフランの肩は軽く震えている。そして続けて鼻水をすする音がきこえた。
それだけで表情ならずもフランの意図がうかがえるというもの。
「フラン……」
咲夜を制止している手を下げたレミリアは「ええい」と言う可愛らしい掛け声で、そのままフランを力の限り強く抱きしめてやる。
それが強すぎたのか、フランも少し唸って苦しそうだ。
互いに互いを抱きしめあう。その包容は互いの体温を強く感じられる程にきつい。
レミリアの力一杯の包容がしばらく続く。と、次に聞こえてきたのは唸り声ではなくフランの可愛らしい寝息だった。
「……寝ちゃいました?」
「ええ」
大きな木の下で、レミリアのお腹の上に顔をうずめたフランは眠ってしまったようだ。
夜通し泣いていたのだろう。泣くと言うのはとても体力を使うものだ。
少し寒いこの場所で、暖かい枕に大好きな匂いがあればそれは眠たくなると言うものだろう。
「そういうことか」
「そういうことよ」
そこへ上から声が聞こえてくる。それにレミリアは顔の向きも変えずにそう答えた。
「あんたにこんな顔見られたくなかったんでしょうね」
「ふふっ、モテる女はつらいわね」
家族になら晒してもいい。しかし大好きな友人には見せたくない顔、と言うものがあるのだろう。そしてフランにとってのそれは魔理沙だった、という事だ。
「こんな子供にモテても何も嬉しくないんだがな」
と、言う魔理沙の顔はどこかほっと一安心していて、更に少し嬉しそうだった。
魔理沙は空気を読み、一言「謝っておいてくれ」と伝言を残してまた空に消えていった。
咲夜はレミリアのお腹に抱きついて眠っているフランを恍惚の表情は見せず、優しい表情で見ている。全く、仲のよい姉妹だ。などと考えているのだろうか。
レミリアも自分に抱きついてくれているフランが嬉しいのか、軽く頭を撫でてやっている。
そして戦争の火種となった七色の羽についている、綺麗なランタンも手にとり、ポロリと水をこぼすように落として弄ぶ。
そんな光景を見て、咲夜の表情が段々と険しくなっていく。そしてふと、こんな事をレミリアに問いだした。
「妹様は……成長されましたよね?」
その問いにレミリアは目を細めて咲夜を見る。咲夜の表情を呼んで何故今そんな事を聞くのか、探っているようだ。
フランは一ヶ月の間ずっと人里にいた。無事に元気に返ってきたと思えば宴会の夜のような事が、沈んだと思えば意気揚々と人里に出向き、今度は大泣きして返ってきた。
そして現在、レミリアの腹に抱きついて眠っている。
慌ただしいスケジュールを終えてようやく落ち着いた感じだ。
ただ咲夜はどこか成長していると感じていた。しかしそれは「どこが?」と問われれば困ってしまうくらいに何も言えないくらい。
今のフランは悪魔と言われた面影はどこにも無いくらいに可愛らしい寝顔で眠っている。
しかし本当のところ何がどう変わったのかよく分からない。
だから不安だった。その不安をレミリアの口から聞く事でかき消し、確信に変えたい。咲夜はそう考えていた。
「どうかしら」
「え?」
だがレミリアの口から発せられた第一声がこれだ。咲夜の不安を解消するどころか、煽って波風を立てるようなことを言う始末。
「私には前より甘えん坊になったように感じるけど?」
眠っているフランを抱きしめながら、天使のような寝顔をお腹で感じてそんな事を言う。そのあやふやで、どちらかと言えば悪い結果の答えに咲夜は少し吹き出してしまう。更に「そうですね」と一言付け加えて。
以前の情緒不安定のフランからすればそれはきっとそういうことなのだろう。
「それにしても綺麗な羽ですね」
その流れで先程レミリアが弄んでいた七色の羽に咲夜が何気なく話題を振った。
「そうね」
フランの背中にくっついている羽。キラキラと七色に輝く美しい羽だ。
霊夢に包丁をゴリゴリと擦り付けられてくすぐったそうにしていた羽をレミリアはひと撫ですると「ううん……」とフランが体を少しひねって寝返りを打つ。
フランは少しこそばゆかったのだろう。レミリアと咲夜はそんなフランを見てクスクスと笑っている。
とても緩やかで穏やかな時間だ。
「そういえば、あなたに前話したわね。フランの七色の羽が人間達にどう思われているか」
「え? あ……はい、えと、不吉の象徴だと」
穏やかな雰囲気の中、突如レミリアが以前の話題咲夜に持ち出した。咲夜も一瞬気後れしたものの、記憶の引き出しを探り当て、慌てて返事をする。
「じゃあ私達、つまり吸血鬼からは、どう思われていたと思う?」
レミリアはフランの瞼に掛かっている前髪を、腫れた部分に当たらないように優しく撫でて払いながら問う。
「え、ええと……そうですね……神様の使い、とかですか?」
レミリアは以前、突然変異で指が六本生えている子供を神様の使いだ、という例を出した事がある。それになぞらえて神様の使いなどと言ったのだろうがレミリアにはお気に召さなかったらしい。
「無様な答えね。あなたのボキャブラリーの無さには呆れてものが言えないわ」
「ひぅ……」
(これは燃える方かしら? それとも燃えない方なのかしら?)
(ああ……これは私をゴミとしてみてますね……でもそんなお嬢様も素敵です!)
そんなレミリアのゴミを見るような目と、思わぬ酷い返しに咲夜は縮こまって小さくなってしまうしかない。
「でもいい線はいってるわ。良しとしましょう」
「は、はぁ……」(ならなぜあんな仕打ちを……でもそんなお嬢様も素敵でいらっしゃる)
そんなレミリアに反発し少し大きくなった咲夜は
「そ、それで答えは何なのでしょうか?」
まさか自分で調べろ、なんて言わないだろうなと、怖気づきながらも恐る恐るレミリアに聞いてみた。
レミリアはフフと笑って咲夜からまたフランに目を落とす。その落とした先は七色の羽だ。
「希望の光、ですって」
「それはまた……ファンタスティックな。て言うか人間とは全く逆ですね」
人間の不吉の象徴という否定的な呼称に比べて吸血鬼それは全く逆だった。
その咲夜のもっともな答えと、少しでもボキャブラリーを広く見せたいためにそんな事を言った咲夜がおかしいのとで、レミリアはまたクスクス笑って「そうね」と一言。
そして更にレミリアは口を開く。
「昔、ある詩人がいてね」
「吸血鬼に詩人……ですか?」
吸血鬼に詩人。その似つかわしくない二つの言葉に咲夜は首を傾げてしまう。
「吸血鬼なんて血を吸ったり光が駄目なだけで考え方や美学なんてほとんど人間と同じなのよ」
「そうですか、それでそんな発想がでたのですね」
「いいえ、それは吸血鬼の性質から、ちゃんと論理的な流れで行き着いた例えなの」
咲夜は分けが分からず首を傾げてしまう。そこでやっとレミリアは咲夜のほうに少し顔を上げて一つ問うように話を進める。
「私たち吸血鬼は太陽が苦手でしょ? でもそんな死と隣り合わせの太陽の光に皆憧れるの。吸血鬼の中には死に際に一目太陽を見たいなんて人もいるくらい」
「へ~なんでですかね」
ウンウンと頷いていた咲夜だが、これには分からずまた首を傾げてしまう。
「それは綺麗だからよ」
「え?」
レミリアの答えはとても単純でありふれたものだった。咲夜は疑問が疑問を呼んで分けがわからないという表情。
「言ったでしょ? 価値観なんて皆同じよ」
「は、はあ……」
「七色と言われて連想するものは何?」
咲夜は先程のこともあり、しかしいいひねりが浮かばないので恐る恐る「虹」と言ってみるとレミリアは少し笑って「よくできました」の一言だった。
「そう、虹なのよ。虹って太陽の光が分散されて見えるものらしいの」
「はい。ああ、だから」
「そう、七色は虹を示し虹は太陽の光を示す。太陽は私たちにとっては害。でもそれさえ平気で居られれば……」
レミリアは今度は顔を完全に咲夜に向ける。その顔はとても笑顔で心底楽しそうな表情、
「すばらしいと思わない? もし太陽の光と吸血鬼が共にあるのなら、吸血鬼は人間と同じ自由を手に入れることができる」
とても楽しそうな声調で咲夜に話しかける。レミリアには珍しく少し高揚しているようだ。
「人間も吸血鬼も無い、ただ共通の生物として。フランやダリスが望んだような」
ここでレミリアは言葉を切ってしまう。更に高揚していた自分を恥ずかしがるように俯いて、またフランに視線を落とす。
「……だからその詩人は、フランのような七色の羽を希望の光と呼ぶの」
そう言うレミリアの表情には笑みがこぼれていたが、それと一緒に寂しげな笑みもわずかに混ざっていた。
「いつか」
不意に言葉を放つ咲夜にレミリアは思わず顔を上げてしまう。
「いつかそうなれればいいですね」
自分を見上げるレミリアにそんな事を言い放つ咲夜。その表情はとても穏やかで、レミリアに微笑みかけている。その光景は全く、主従関係でありながら夢を語る子供を温かく見守る母親のようだ。
レミリアの語る理想はあまりにも困難で厳しい現実が付きまとう険しい道だ。だがその道を行く者の安全を祈願してくれる者が居れば、しかもそれが人間ならば少しは希望が見えるかもしれない。
その咲夜の言葉でレミリアの顔にこぼれていた寂しげな笑みはもうなくなっていた。
「どうかしらね。でもこの子なら……いつか」
少し強い風が葉を揺らして枝を揺らして木を揺らす。
「以前私は言ったわね」
「え?」
枝から木の葉が引き剥がされ空を舞う。
「この子の事を守る事を謝罪だって」
「そう、ですね。でもそれは」
そして舞った木の葉は自然の摂理によって落ちてくる。
「ええ、だからこの子を守るという事はもう止めようと思うの」
「え……で、ではどうするので?」
その時、フランの寝顔、柔らかそうな頬にまだ青さが残る落ち葉が舞い落ちた。
「これから私は……この子をものすごく」
そして少し強い風がまた吹いて、その落ち葉を舞い上げる。
「甘やかしたい」
落ち葉は空高く舞い上がり、更に強い風に吹かれて上がり、太陽の中へ消えていったのだった。
cast
■幻想郷
フランドール・スカーレット
レミリア・スカーレット
十六夜咲夜
パチュリー・ノーレッジ
紅美鈴
博麗霊夢
霧雨魔理沙
八雲紫
八雲藍
八雲橙(名前or描写のみ)
四季映姫
小野塚小町
西行寺幽々子
魂魄妖夢
射命丸文
犬走椛
八意永琳
鈴仙・優曇華院・イナバ
上白沢慧音
藤原妹紅
アリス・マーガトロイド(名前or描写のみ)
チルノ
大妖精
リグル・ナイトバグ
・忘れ去られた住人
小悪魔
■人里
大島新之助
小島雄大
祖母
町長
子供達
その他の皆
■回想
ダリス
アイリス
長
■脚本・スナイパー
天澤星次
■原作
ZUN(東方Project)
・・・
・・
・
天高く舞い上がった木の葉は嘲笑うように、今まで自分を縛り付けていた大木を見下ろしている。自由になった木の葉は風に吹かれて自分の道を進んでいく。風と戯れながら、ひらりひらりと回って揺れて。
やがて自然の摂理によって、最後は地面に落ちるだろう。
それが自然な流れであり、木の葉の運命である。せっかく自由になったその身はすぐに朽ちてしまう。
ひらひらと風に弄ばれながら、くるくると舞い落ちてきた木の葉は地面に、
パキッ
落ちはせず、運命に逆らい、途中で砕け散った。
「ふう……」
美鈴の手の中で。
そんな勢いでは埃すら飛びそうも無い、力の無いため息をついて。
蟻一匹追い払えそうに無い表情の頼りない門番。それもそのはずだ。昨晩、いつも元気に悪さをする悪魔のような天使が大泣きしながら帰ってきたのだから。
「浮かない顔ね」
顔を上げるとそこには昨日フランを担いでやってきた霊夢が居た。
「霊夢さん……」
「寝てても起きてても、あんたはろくな顔しないわね」
そして起きている時にはこうやって憎まれ口を叩いてくる。
「はぁ……しょうがないでしょう? 妹様があれほど大泣きして返ってきたんですから」
だが美鈴は反抗もせず、ただ流れに身を任せるようにそう言うだけ。
「寝ててくれていた方よかったのに……なんでこういう時だけ起きてるのよ。全く、面倒くさいわねぇ」
「こういう時ってどういう――」
「ん?」
美鈴が何かに気がついた。それに霊夢も気付くと面倒くさそうな顔でため息をする。
「あ、あの……そちらの方は?」
霊夢の背後、そこには魔理沙と文がニヤついて付いて来ていた。
だが美鈴が見つめているのはその後ろ。
「え? ああ」
手にはフランが忘れて帰ったレミリアの日傘。
「ええと……」
逆の手には赤くて丸い、林檎飴が一杯に入ったかご。
「紹介するわ」
それは大島酒蔵のとある場所に、とある悪魔がした天使のような悪戯が原因だ。
「こちらは――」
それはさながら、小さな悪魔の天使なメッセージだった。
木造の柱
シンノスケ 10
フランドール
「フランは成長するのか?」
完
第二話に出てきたあの文字の下、第十六話で暇をもてあましたフランがいたずらに書いたものですね。
その後、フランと新之助がどうなったのか……
ご想像にお任せします。
どうもこんにちは。天澤星三です。
以前のものからかなり改稿しているので改悪になっていたら申し訳ないです。
そして移転を希望して下さった方、ありがとうございます。
この嬉しさは今までで一番だったかもしれないです。
加えてお気に入りをしてくれた方や良い評価を下さった方にも感謝の気持ちで一杯です。
一度完結した作品とはいえ思わず舞い上がってしまいました。
更に感想を下さった方、更新毎に下さった方、本当にありがとうございました。
とても励みになり、改稿とはいえモチベーションを保つことが出来ました。
最後にここまで飽きずに読んでいただいた読者様、お疲れ様でした。そしてありがとうございます。
この作品を楽しんでもらえたなら幸いです。
楽しめなかった方々には申し訳なかったです。
これにて「フランは成長するのか?」の幕を下ろさせてもらいます。
ではでは~ノシシ
2010年12月 なろうで連載開始
2011年12月 完結
2012年08月10日 ハーメルンへ移転&改稿開始
2013年03月04日 移転完了