「でたな……悪ガキ」
ばつの悪そうな顔のダリス。腹にはフランが突いた剣が垂直に突き刺さっている。
「元気そうで何よりだ……」
いつも通りを装うダリスの表情は笑顔を装っている。しかしその裏側、と言うよりも装った仮面からはすでに苦痛な表情が見え隠れしている。
吸血鬼は刺されても、腕を切られたとしても出血は少ない。しかし人間は違う。じわりじわりとダリスの着ている服が刺さった箇所を中心に赤く染まっていく。
なにか不思議なものでも見るかのように、フランは赤く染まっていくダリスの腹部を瞬き一つせずに見つめている。そして恐る恐る顔を上げれば苦しそうに笑っているダリス。
「……どういう……こと」
フランは自分が一番大好きな、恋焦がれ、軽くあしらわれても決してあきらめる事のなかったその男を自分で、自分の手で今まさに刺してしまった。
しかしそんな事はよくあること。吸血鬼の間ではよくあることなのだ。
本物の槍と本物の剣で戦争ごっこをする子供達。体の一部を切り落としてしまったり、貫いてしまったりしたとしても、傷の度合いにもよるがすぐ元に戻ってしまう。
しかしダリスは人間だ。吸血鬼の中には人間を「血の詰まった皮袋」と侮蔑の意を込めてそう呼ぶものもいる。それは傷を付ければすぐに吸血鬼達の食料となる血がにじみ出てくるから。それを強く明示するようにダリスの服が真っ赤に染まっていく。
その時、フランは強烈なめまいに襲われる。服が真っ赤に染まっていくにつれて、それは強くなる。気分が悪くなり今にも吐きそうな、不快なもやが頭に流れ込んでいく。
フランにこの状況はあまりにも衝撃的過ぎたのだ。
「あ……」
視界が回る。ぐるぐると。
フランはもうどこが天井でどこが床なのか分からない。何か悪い夢でも見ているようなのだろう。視界が傾くにつれ体が徐々に傾いていく。続けて大きくぐらりと視界が傾いていく。このまま倒れ夢の中に落ちてしまった方が何百倍楽だっただろうか。だがそれをダリスが許さなかった。
「フランッ!」
倒れそうなフランの体をダリスがしっかりと掴む。
「ぐぅっ」
はるか上空から落ちてくるフランを難なく受け止めたダリスだが、今は腹部を貫かれている。小さなフランの体を支える仕草でさえ激痛で思わず声が漏れてしまう程にその傷は深い。
「う……あ……」
ダリスによって夢の中へ倒れる事を静止されたフランは頭だけが力なく揺れる。
意識が朦朧として今にも気を失いそうだ。
今、馬乗りになっているフランの体重はほぼダリスによって支えられている。
「フラン……すまない……」
朦朧とする意識から連れ戻せるのはもうダリスの声だけだった。
ダリスの、そんな悲しそうに謝罪の言葉を述べる声でフランの意識は徐々に引き戻される事になる。
フランは小さな両手をダリスの胸について何とか服を握る。体を固定させどうにか倒れないように。
しかしまだ意識は朦朧とし、未だ平衡感覚がつかめないでいる。そのせいで腕に力が入る。だからか、それとも悲しいからか、はたまたダリスへの怒りからか、フランの小さな手は小刻みに震えている。
「おじ……さま……」
朦朧とする意識の中でフランはようやく言葉をひねり出す。フランが悲しんでいるのか怒っているのか、何を考えているか分からない無表情な声。しかしダリスが着てくれたことへの喜びではない事は確かだ。
フランが返事した事で安心したのかダリスは少しほっとしたように笑う。そしてそのままの表情で言葉を続ける。
「こうするしかなかった」
「……助けに……きてくれたんじゃ……ないの?」
短く言うダリスの一言にダリスにしがみ付くフランの手に更に力がこめられる。
「俺はお前を……殺しに来た」
そして衝撃の一言。
それが気つけ薬となったかのように、フランの目が見開かれ一気に焦点が合う。
「何でよ、何で……」
フランは信じられないといった様に首を振る。目からは涙は出ていないがもうすでに声は震えてかすれている。
「おじさまは……おじさまは吸血鬼と人間が平和に暮らせるようにってっ」
ダリスの想い描く理想。それは奇しくもフランの両親が描いていた理想と同じだった。
フランの両親は実現している。その証がフランの存在。
「そう言ってたじゃない!!」
フランもダリスとそうなれればと願っていた。それがフランの理想だった。それはダリスの描く理想でもあったはずだ。
「なのに何でこんなことするのよ!!」
しかし現実は違っていた。ダリスは銀の杭を握りやってきた。
ダリスの理想は嘘だったのか、狂言だったのか、フランが語った理想を、心の中では嘲り笑っていたのだろうか。
「はは……」
もう豪快に笑う事はできないのだろう。それを聞いてダリスは力なく笑う。
いつの間にか、フランを支えていた腕すら床に寝そべって動かない。
「……今だから言うが、俺の家族は吸血鬼に殺された」
「へ?」
衝撃の事実を連続で聞かされるとこうなるのだろう。フランの顔は目元がピクリと動いただけ。後は口が空いて閉まらなくなったくらい。それ以上変化がなかった。
そして衝撃の事実の内容は驚いた事に吸血鬼であるフランや長と仲良く話しをしていたダリスの家族はその吸血鬼に殺されていたということ。
ダリスはそんな驚きの限界にあるフランに容赦なく更に言葉を浴びせかける。
「俺は……吸血鬼が……嫌いだった」
ダリスの口が開くたび、フランの中で今までの、自分の恋焦がれていたダリスが音を立てて壊れていく。目の前にいるのは一体誰なのだろうと思わせるくらいに跡形もなく。
「いや」
フランの中のダリスを壊していく言葉の行使は止まらない。あまつさえ勢いが増していく。
「大嫌いだった」
フランの知っているダリスはもういない。
「もうやめて! 聞きたくない!」
フランは頭を抱えてうずくまってしまう。これは悪い夢だ、早く覚めろと、そういう頃合はもうとっくに過ぎた。だからこれ以上、自分の好きな男の口からこんな事を聞きたくなかったのだ。
「……憎かった……憎くて憎くて……たまらなかった」
しかし、無情にもダリスの言葉は続く。フランが何度やめろと叫ぼうとダリスはやめなかった。
だからフランはダリスの胸倉を鷲掴みにする。更に引き寄せようとするがその体格差からフランが引き寄せられてしまう。
涙がにじみでる紅の目を見開いて、怒りと悲しみで染めた表情で。
「だったら! なんで!」
何故平和協定など結ぼうとしたのだろう。自分の家族を殺されて、大嫌いで、憎くて憎くてたまらないその吸血鬼と。
「俺が吸血鬼を殺したら……また……繰り返す……終わりが見えない……だから奴らと平和協定を結ぼうと……」
ダリスは口数少なくフランに語りかける。
憎しみは繰り返す。
ダリスが吸血鬼を殺せば、その吸血鬼の仲間がダリスやその仲間を殺しに来るだろう。そして殺された仲間の仲間がそれを許さず吸血鬼を殺すだろう。
それを繰り返せばどうなるか。
どちらかが死に絶えるまで、何人の人間と吸血鬼が殺されるのか。
そして一体何が残るのか。
だからダリスは仕方なく平和協定を申し出たのだ。
「そんな……」
ダリスの顔から血の気がだんだん引いていく。表情は笑みが辛うじて張り付いてはいるがもう限界が近いのかもしれない。
「家族を殺された俺の申し出を……奴らは受け入れてくれたよ」
ダリスとフランの理想は似て非なるものだった。二人は通じ合っているようですれ違っていた。そしてその事を知らなかったのはフランだけ。
それがフランはただ、ただ悲しかったのだろう。
その感情が溢れ出して止まらないかのように、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちていく。
フランはそれを拭う事もせず、ただ自然の摂理に任せて頬を伝わせるだけ。
「……泣くな……フラン」
そう言ってフランの頭をなでる代わりに微笑むダリス。
「……俺はなぁ……恥ずかしかった……お前を、ぐっ……お前を見てると……自己嫌悪に陥って……」
フランは純粋に平和を願っていた。両親を殺されたにも関わらずだ。
しかしダリスはどうだろう。もちろん平和を願っていた。絶望の淵で、自分が耐える事で、吸血鬼への憎しみを押さえつけることで。
同じ理想でもここまで違う。
ダリスはフランに会うたび、フランの事を想うたびにそう感じていたのだろう。自分は何て汚い人間なのだろうと、何て小さい人間なのだろうかと。さぞ思い悩んだに違いない。
「でも……俺は嬉しかった……うぐっ……がはっ」
「おじさま!」
ダリスは口から大量の血を吐き出した。もう喋る事すら辛そうだ。
しかしダリスの顔から笑みが剥がれ落ちる事はない。しかも先ほどよりも強く笑みを浮かべている。
「はぁはぁ……フラン、みたいにっ……心から……はぁはぁ……人間を好いてくれる者が……いることが」
これがダリスの本心なのだろう。絶望に打ちひしがれていたダリスの心に潤いを与えた、フランという吸血鬼の存在が、ただ純粋に嬉しかったのだ。
「違うっ……私は……私はおじさまが好きだったの! おじさま以外なんていなくたってよかった! おじさまだけいてくれればそれでいい!! それだけでよかったのよ!!!」
とどまる事を知らない涙がフランの叫びに呼応するように弾けて飛び跳ねる。そのきらきら光る一粒がダリスの頬に届く。
その涙は熱かっただろう。そしてその熱い想いはきっとダリスに伝わったに違いない。
「そうかぃ……それを聞いて安心した……死ぬな……フラン……」
それを機にダリスの目は閉じられる。まだ笑みが張り付いた表情のままで。
「おじさま?……おじさま! おじさまあああああああああ!」
ダリスは息絶えた。
もう動く事はない。
フランをからかう事もない。
フランの逆セクハラを受けることももうない。
「フラン……」
その動向を黙ってずっと見ていたレミリア。なんと声をかけたらいいのか分からず、ただフランの名前を呟くだけ。
「う……そ……」
フランはダリスの胸倉を掴んだまままるで人形のように固まっていた。唯一動きがあるといえば見開かれた目からとめどなく溢れる涙だけ。赤い月の光に照らされてキラキラと輝いている。
恋人を自分の手で殺してしまったのだ。放心するのも無理はない。
だが、残酷な事にそんなフランに悲しむ暇など与えてくれなかった。
タタタタタタタ、と多数の足音が聞こえてきたのだ。しかもだんだんとこの部屋に近づいてくる。
「くっ……フラン!」
気付いたレミリアがフランを呼ぶ、が、人形にいくら喋りかけても見向きするはずが無い。レミリアも肩を貫かれ更に満身創痍の体。もう飛ぶ事も戦う事もできないだろう。
無情にもその足音は止まる。フランとレミリアを取り囲むようにして。
それはもちろんハンターだ。しかも多数。
ハンタ-は剣を抜き取り、人形の様に動かないフランと満身創痍で動けないレミリアに剣の切っ先を向ける。それは訓練されているのか、綺麗に高さが揃えられている。
フランとレミリアはまるでエリマキトカゲにでもなったかのように鋼の剣を突きつけられ、完全に包囲されてしまった。しかし、不思議な事に攻撃してこない。
と、突然ハンターが口を開く。
「フランドール=スカーレット、並びにレミリア=スカーレットだな! 貴様らを教会の命により拘束する!」
ハンターはそんな事を言い出すのだ。
(拘束!? なぜ!?)
ハンターはレミリアとフランを殺さずに何故拘束などするのだろうか。
ここでレミリアは思い出す。ダリスがフランに何と忠告したか。
ダリスは言った。「殺される」と、もしく「実験体にされる」と。
実際そうなのだろう。珍しい羽が生えているフランを生け捕りにし、すぐ直る吸血鬼の体を利用し実験をするのだ。体を切り刻んだり、薬を試したり、日光に当てたりと。
そしてそれはどれだけ泣ないて喚こうと、いくら悲痛な叫びをあげようと、そ知らぬ顔で続けられるだろう。それはもう死んだ方がましだと思うくらいに。
ではなぜレミリアも生かされているのだろうか。吸血鬼の体ならばハンターならいくらでも手に入るはずだ。しかし殺されないのは一体。
「うふっ」
その時、動かない人形と化したフランが笑ったような気がした。レミリアからはハンターに遮られてよく見えないが足の隙間からフランの頬がつりあがっているのが見えた。
笑っているのだ。この状況で。
「動くな! 動くとこいつの命は無いぞ!」
「うぁっ!」
突如髪を引っ張り上げられて剣を首筋に突きつけられれるレミリア。
つまりそういう事だ。フランの家族はただ一人、実の姉のレミリアだけ。レミリアはフランを生け捕りにするための、これ以上ない人質だった。
「うふふふ……あはははは」
「くっ……フラン!?」
まるで聞こえてないかのようにフランは笑う事を止めない。そして真上にぽっかりと開いている、グングニルでぶち抜かれた穴をボーっと眺めている。そこには怪しく、赤く光る満月が。
それは赤いスポットライトとなって、ダリスとフランだけを照らしている。
「う、動くなと言ってい――」
キィイン!
ハンターのその言葉を遮って聞こえたその音は、フランを襟巻きのように取り囲む剣という剣が全て割れる音だった。それは不思議な事に、折れるではなく割れたのだ。ハンター達はガラス製の剣を落としてしまったかのような錯覚に陥っているに違いない。
続いて、そんなハンター達の背筋を凍らせるような出来事が起こった。
「うあああああああああああああああああああああああああああ!」
城中に、いや、町中に轟く程強烈で高音なフランの咆哮。
そんな小さな体の何処からそんな声が出るのか、びりびりと体を激しく震わせる。
レミリアは必死で耳を塞いで耐えているが、ハンターの鼓膜は全て破れてしまって使い物にならなくなっているだろう。
「ぐぅぅ! フラン!?」
耳を劈く音を遮るために放されたレミリアは苦痛に悶えながらもフランを視界に捉えた。
それは信じられない光景だった。レミリアはその光景に目を見開かずにはいられない。それはなんとも幻想的で神秘的な光景。
月の光に照らされたフランの小さな羽が月に向かってぐんぐん伸びていくのだ。それにつれて色鮮やかなランタンのようなものが生えていく。果実ができるまでを早送りしたかのように、伸びていく羽に次々に生っていく。
それが七色そろうと同時にフランの強烈な咆哮がやんだ。
背中にはこの世のものとは思えないほど綺麗な七色の羽を生やして。
フランの左手には今まで腋にでも挟んでいたのか、白い兎が握られていた。右手はというと天に向かって伸ばされている。あたかも月を掴もうとするかのように、掌を月に向けて。
キュッ
と不意にフランの手が握られる。
「へ?」
レミリアは急に無重力になった。
それは落ちていた。床が抜け落ち真っ逆さまに落ちていたのだ。
しかしレミリアは何か違和感を覚えていた。
何かおかしい。レミリアはこの違和感に周りの壁を見回した。それはさっきまで自分がいた部屋の壁であり天井への距離も一切変わっていない。これはつまり
(城が……崩れて)
ドゴォオオ!!
と、まるで積み木で作った城のように脆く、更に轟音を上げてフランとレミリアが住んでいた城が一瞬で崩れ去った。
後に残ったのはそれが城だったとは微塵も感じられない積み上げられた岩石だけ。
そのはるか上空、月に重なるように飛んでいるのは、大きな七色の羽を有し、真紅の瞳で地上を見下ろし、怖気の走るような、怪しい笑みを浮かべるフランだった。