武士(もののふ)の魂   作:辰伶

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閑話2 万事屋八雲堂

 『目安箱』―――

 徳河吉音が八雲堂の一角に設置したそれは、元は彼女が街の住人達の困り事を解決したいという思いから、家主である相模宗十郎と秋月八雲両人の許可を得て設置したモノだった。但し、吉音はここの居候であり、従業員でもあり自称『秋月八雲の用心棒』となっている為、目安箱の相談事は基本店の休日か暇な時にやることにしていた。設置した頃は件数も少ない事もあって彼女一人で対処できたし、彼女では難解だったものに関しては宗十郎や八雲の手を借りて解決していた。

 だが、天狗党の乱、五人組事件によって彼らの活躍が明るみに出ると相談件数は一気に跳ね上がり、目安箱には依頼内容が記された紙が溢れかえるほどになっていた。加えて吉音の学力が超低空飛行だったことにより彼女は連日勉強のためにこの件から離脱していた。

 この為、宗十郎と八雲が学校と店の合間を縫って一つずつ片付けねばならない事態になってしまった。

 彼らの事情が分かっている依頼者は、相談用紙に「手すきの時でいい」とか、「急いでいないから時間があったら」という断りを入れているが、大体の用紙には「一週間以内」とか「今すぐ来て」といった期限を区切るものだったので、彼らはほぼ不眠不休で動き続けていた。日に日に(やつ)れていく彼らを見たクラスメイトが心配して声を掛けることも多かったが、彼らは決まって大丈夫、少し休めばなんとかなると言ってやり過ごしていた。

 しかし、ある日の帰り道に二人の身体はとうとう悲鳴をあげた。二人は意識を喪失して道のど真ん中で倒れてしまったのだ。幸いに近くにいた生徒達によって医者の刀舟斎かなうのもとに運ばれたので事なきを得た。彼らが倒れたと聞いて吉音は泣きながら飛んできて、同じく知らせを聞いた逢岡想、遠山朱音、子住結花らが駆け付けた。

 かなうの診断結果は、極度の疲労と睡眠不足で2週間の絶対安静を言い渡された。

「全く。どうすればここまで身体を酷使できたんだ?」とかなうがぼやいた。

「こいつらは私が見るからお前らは帰れ。学校にも連絡しておくから」

 帰したらまた無茶しかねんと思っての事だろう。しっかりと灸を据える気でいるようだ。

 すやすやと眠る彼らを彼女に任せ、吉音達は一旦帰ることにした。

 彼女達は八雲堂に戻ると、臨時休業の札を掲げていつも集まっている和室に入っていった。

 ここにいるのは、吉音、朱音、想、結花と知らせを聞いて飛んできた平良、それと彼の理解者である真崎甲斐と上泉真瞳である。

「それで、一体どういうわけだ?」

 朱音が口を開く。どういうわけであいつらがぶっ倒れたんだ、ということだろう。そこに、吉音が目安箱を持ってやってきた。

「多分、これのせいだよ」

 その目安箱は依頼であふれんばかりになっていた。それを見た皆が「あー」と納得した。一応、その内容を確認してみてまたもや「あー」と唸った。

 吉音はシュンとしていた。恐らく、この箱を設置した為に彼らが倒れたのだという責任を感じているのだろう。

「これは完全にあいつらのミスだな」

「そうですねぇ。吉音さんのせいじゃありませんわね」

 吉音が口を開きかけた時、こう言ったのは甲斐と真瞳であった。

「彼らは善意で貴方の事を手伝っていたのでしょ?」

「うん」

「で、貴方は理由があってこっちに時間を割けなかった」

 吉音が頷く。

「箱を見たらこの量だろ?」

 こくり。

「ペース配分も考えずに突っ走った結果ぶっ倒れたんだ。100%アイツらが悪い」

「でも・・・・・・」

「あの方々も、きっとそういうと思いますよ」

 まだ納得がいっていない吉音を想が優しく撫でる。

「さて、今後の事を考えませんと」

 甲斐が手を叩いて話を切り替える。普通ならこの件は彼らの問題であって他人が首を突っ込む必要はない。

 しかし、相模宗十郎という屋台骨がいない今、この問題を吉音一人に抱え込ませることはできなかった。

 甲斐は目安箱を叩いてある提案をした。

「まずはこれを期限別に集めてみませんか?」

 特に異論はなかったので彼女達は手分けして依頼書を期限毎に分けることにした。結果、1週間以内が50件、1月以内が10件、特に期限を設けていないものが103件あった。

「随分とまぁあの方達も見込まれたものですね~」

 のほほんとした口調で甲斐が言えば、真瞳がこれまた間の抜けた口調で続く。

「それだけあいつらが頼りになるってことだろ~」

 それに関しては誰も否定はしない。実際、二人―――特に宗十郎は何をやらせてもほぼ完璧にこなしてしまう奴だし。

 その中、想と朱音はその依頼書の中身を吟味していた。一体この町の生徒達は彼らに何を依頼しようとしていたのか気になったのだ。ある程度内容を見て、二人してそれはそれは深いため息を吐いた。

 屋根を直してくれ、とか壁に穴が開いてしまったのでどうにかしてほしいという依頼がいくつかあった。この類なんか左官に頼めばいい話だが、生憎と左官業を営んでいる生徒は少ない。故に彼らに頼むのは致し方なかったかもしれない。これなんか緊急を要したろう。また、十数件ほど彼らの手を借りないといけない案件もあったが、ほとんどは愚痴を聞いてほしいとか、いざこざの仲介をしてほしいとか金貸しを追っ払ってくれとかおよそお門違いな依頼ばっかりである。

 大体、愚痴ならこの店に来て言えばいいし(まぁ人に知られたくないものもあるだろうが)、いざこざとかそういった仲介なら奉行所に来ればいい話だ。

 そう思う一方で彼女達はこの依頼者たちの心情も理解できなくもなかった。片や器用に何でもこなせる転校生であり、片や心優しい転校生。つい、どうでもいい事であっても彼等に自身の傷心を癒してほしいと願ったのだろう。

「皆さん。ちょっとお話が」

 そういって想が皆を集めて先程見ていた依頼書を見せた。段々彼らの顔が青くなっていった。中には呆れた顔をしている。

 しかし問題はそれではない。彼ら不在のこの2週間をどうやって乗り切るかである。彼女達自身も仕事がありここにかかりきりになることはできないのだ。

「あたし達は特にやってることがないからいいんだけどな」

 真瞳はそういうも、八雲堂の味は彼ら二人にしか出すことはできない。彼女と甲斐二人にできることと言えばたまった依頼書の処理位である。

「私たちはこれに専従してもよろしいですよ?」

「それは有難いけど、根本が解決しないから」

「・・・・・・これさ、依頼者の身分で分けられないかな?」

 朱音が発言する。その意図を尋ねると、上を見上げながら訳を話し始める。

「さっきパッと見たらさ、商いやってる奴とか、武士もいたからさ。こいつらの代表交えてちょいと相談したらいいんじゃないかなと思ってさ」

 照れつつ言い終わった朱音は、場がしらけているのに気付いた。

「・・・・・・どうしたお前ら。あたしの顔に何かついてるのか?」

「いや、お前の口からそんな真面目な言葉が出るとは思ってなかったから」

「喧嘩売ってんか平良」

「はいはい喧嘩しない」

 険悪は空気が流れる前に想が強制終了させると、甲斐がほほ笑んだ。

「それを根拠に代表者にも一肌脱いでもらおうというわけですね」

「そう、それ」

 うんうんと朱音が頷く。こうなると、代表者を誰にするかというのが肝心となる。誰でもいいというわけでなく、信頼があり、それなりの力を持っていて中立の立場をとる人物がふさわしい。

「町人は桃子さん、商人は山吹さん、武士は詠美さんが宜しいのでは?」

「飲食関係はどうするよ? そっちからの結構依頼があったぜ?」

「そこは、私が受けます」

 そういって挙手したのは結花だった。子住屋のオーナーが当たるとなればまず安心だろう。

 次は、彼女達に集まってもらわねばならない。本来であれば皆の都合がつく日か、個別にやるべきなんだろうが、この件に限ってはそうはいかない。一堂に集まった場所で、聞いてもらう必要があった。

 今日はもう遅いので、明日一番に集まってもらうことにした。幸い、明日は休日だ。

「私が手紙を書いて集まってもらいます」

「山吹さんはそれでは動きませんわ。私が行って直接」

 言うや否や、甲斐は席を立ち越後屋へと急いだ。

「立ち合い人も必要だな。よし、ちょっくら呼んでくる」

 平良は立ち上がりどこかへと去っていった。

 結花の号令で、今日はお開きとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。八雲堂の和室に結花達と、彼女達に呼ばれた代表者、それと立会人として比良賀輝が集まっていた。

 想が今回の件を一通り説明すると、代表者は腕を組んで眼を閉じた。

「・・・・・・ごめん。アイツらにそこまで負担を強いていたなんて知らなかった」

 そう言って頭を下げたのは桃子であった。彼等への依頼が一番多かったのに対して責任を感じての事だった。

 頭を上げるように言って甲斐が続ける。

「あの方たちは私達にも知らせずに無理をした結果自滅したのです。謝る必要はありません」

 そうはいっても、実際彼らはそれによって倒れたわけで、責任を感じなくてもいいと言われてそうですかと納得するには少し無理があった。

 現に、桃子に同調するかのように代表者からは次々と意見が上がる。

「まぁあの人は何でもできるやん? やから、ウチもついつい頼ってしまうんよ」

「分かるわ。あの人、頼んだらまず断らないし、しかも簡単に解決しちゃうし」

「否定はしませんけど。ただ、頼りすぎちゃった感はありますね」

 とどのつまり、相模宗十郎という人物はあまりにもできすぎたのだ。

「じゃ、彼の感想が出たとこで本題に入りますね」

 想が先に進める。今日は彼の話をしに来たわけではない。

「これに関する解決策を考える、ちゅう訳やね?」

「えぇ、そうです」

「その前に、ちょっとええか?」

 そう言って、山吹は吉音の方に姿勢を正し、双眸をしっかりと彼女に向けて「幾つか、新はんに確認したことがあるんやけど」と前置きをしていくつかのやり取りを始めた。

「新はんがこれを設置したんは、この町をより住みやすくしたいちゅう思いからやったな?」

「うん、そうだよ」

「最初の頃はそういうことが多かったんちゃうか?」

「うん」

「それが、いつの頃から今のような状態になったんちゃう?」

「うん。確か、瑞野のおっちゃんを退治した後からかな」

「そ。ありがと」

 彼女はくるりと皆に向き直った。

「おい越後屋。さっきの質問は何だよ」

「今説明しますさかい」

 山吹は呼吸を整え話し始める。

「こん中に、『目安箱』のホントの意味知っとる人いたら手ぇ上げてくれへん?」

 その問いに挙手したのは甲斐と真瞳の二人だけだった。他の者は首を傾げるばかりである。

「なら、最初にそれから話ましょか」

 ふふんと微笑んで、彼女は続ける。

「ウチも後で調べて知ったんやけどな。本来の目安箱はや(まつりごと)や経済、日常の問題を取り上げて要望や不満を一般の人から聞くためのものや。ウチらの学園やったら、ウチら商人と、桃子はん達長屋に住んどる者らが、そこの朱音はん達『執行部』に意見するっちゅうのが本来の姿や」

「今回の場合は、その訴え先が新さんの所ってわけね?」

「そうや。で、最初の頃は正しい意味での陳情が入ってた。けど、宗十郎はんが“色んな意味でド派手に目立ちすぎて”本来の意味とした乖離(かいり)モノがどっさり増えたっちゅう訳や」

「んで、それが何なんだよ?」

 要領を得ない朱音が急かすと、山吹は呆れた。どこかの誰かにコミュニケーションについて講義を依頼しようか迷うほどだった。これでも、そこの遊び人奉行の為に簡単にまとめて話したつもりだったのにそれを理解できない―――単に話の要点だけを聞きたいだけかもしれない―――とは。

 この娘本当に奉行なのか疑っても罰は当たるまい。

「はいはい、そこのせっかち奉行様の為にささっと話しますわ」

 朱音がぎろりと睨んだが気にせず話を進める。

「ウチが言いたかったんは、『目安箱』の本来の意味を知ってほしかったんが一つや。んで、もう一つが、その意味を含んだ上でこの件をどうしようかっちゅうことや」

「話が戻るわけですね?」

「すまんな。想はん。けどな、必要なことやってん。分かってな?」

 こくりと想は頷く。

「新さん。貴方はどうしたいのですか?」

「私?」

「ええ。元は貴女が始めたことです。現状のまま話を進めるのか、本来の意味に戻してやりたいのか、思うことがあるでしょう?」

 問われた吉音は眼を閉じた。彼女が口を開くまで待つことにした。途中、じれったくなった朱音が身を乗り出そうとしたが、真瞳が小太刀をちらつかせて黙らせた。

「わ、私は皆が楽しく過ごせればいいと思って作ったんだけど、最近ちょっときついっていうか、私が思ってたのと違う方向に行っちゃったていうか……。頼ってくれて嬉しかったんだけど、これ以上は、正直無理」

「では、相談とか、要望不満だけを受けたいということですね」

 こくんと頷く。ただ、その顔は悲しげに沈んでいる。恐らく頼んできた生徒達の要望にすべて答えられなかったことに対する責任を感じているだろう。

「ごめんなさい、徳田さん」

 唐突に詠美が頭を下げた。戸惑う吉音に詠美は続ける。

「貴方に負担をかけすぎたわ。本来なら私達がやらなきゃならないことなのに」

「詠美も、攻めを感じる必要はないぞ。これはアイツに頼り切った私たちの責だ」

 静まり返った場。重苦しい空気が支配する和室は甲斐の一言で断ち切られた。

「彼らに責めを感じているならさっさと代案考える。話はそれから!」

 その鬼の形相に、真瞳以外の皆は謝罪して頭を思いっきり下げた。この場で彼女を怒らせるのはまずいと思ったのだろう。特に、彼女の実力を知っている山吹は身を震わせていた。

 因みに、普段うるさい輝がここまでの間一言も発していないのには理由がある。

 それは、彼女はあくまで立会人という事であり、今回の件が公正に決められたということを証明するためにいるのであるということ。加えて話し合いが始まる前、甲斐に「話の腰を折ったり横やりを入れたら明日の朝日を拝めないと思いなさい」と光を亡くした瞳で睨みつけられて涙したからである。過去に似たような経験があるからだ。

「まずは担当者を決めへんか?」

 山吹が言う。

「担当者?」

「せや。この大江戸には桃子はんのような町人、ウチらのような商人、想はん達武士がたくさんおる。その相談を一人で受けるんは、今と変わらへん。ぶっ倒れるのが関の山や。せやから、担当者を増やして負担を減らすんや。それに、もう一つメリットもあるしなぁ」

 メリットとは何ぞや?と言いたげな朱音や想の為に山吹が説明を加える。

 この学園都市は生徒として守らねばならない掟の他に、武士、町人、商人という身分別に守らねばならない掟がある。破れば奉行所にて裁きを受けるか、執行部にかけられて処分を受けるかのどちらかになる。

 しかし、ここで困ったことがある。この身分別の掟を自分のモノ以外全く知らないということである。故に、身分を超えたいざこざが発生し、その時になって初めて互いの掟を知ることがままあるという。この違いを知っているのは、執行部と奉行所に勤める者だけである。

 だから、その身分に応じた担当者を設けることでそのいざこざを減らし、かつ場違いな結論を出さぬようにするためだと山吹は説明した。

 成程と納得した面々は、次にそれを誰にするのかということになった。

「町人は桃子さん、商人は私と山吹さん、武士は……真瞳さんと詠美さんでいいのでは?」

 結花の提案に面々は異論を唱えなかった。商人担当者を二人体制にしたのは飲食関係と問屋では相談内容や訴えの種類が違うと踏んで二人体制、武士担当者は腕の立つ真瞳と絶対中立の詠美にすることで変な要求する輩が出ないようにしたようだ。

「じゃ、今度は時間とか決めようか」

 今まで無言で聞いていた平良が口を開いた。その意味は、今回のような事態を防ぐために予防策としての取り決めをしようとのことだ。

 あの二人は溜まっていた依頼を片っ端からこなしていた。解決してその手際に噂が広まり、目安箱には依頼が減るどころか増加の一途をたどり休む間もなく解決のために走り、そして身体が限界を迎えたのだ。

 人間の資本は何と言っても健康的な身体である。身体を壊しては何の意味もない。時には身体を休めて疲れを取らねばならないのだ。

 その為のルール作りと、窓口の設置場所が課題となった。この件は、あくまで本業の片手間でやるものであり支障をきたすわけにはいかず、更に言えば店先に窓口を設ければ混乱をきたすと考えられる。

 故に、その窓口を一般の客とは区別して設けることが必要ではないかと考えた。依頼者の中にはその内容を知られたくない者もいるだろうとの配慮だ。

「けど、今からそれ専用の窓口を作るのはキツいわぁ」

 この町の建物は、この町ができた当初からあるものがほとんどである。無論今日に至るまでに消えてしまった建物もいくつかあるが、近くの建物と一体になるか、新たな建物が建築されるので基本増改築はできない。新たに作ることができない以上、今ある建物にどうにかしてそれ専用の窓口を設ける他ない。

「秘密の暗号とか、何かあればいいのですが……」

 誰かがぼそりと呟いた一言に反応したのは甲斐だ。その手があるといえば、どういうことだと皆が首を傾げる。

「私達と依頼者だけが分かる暗号があれば、店内や町中にいてもやり取りはできます」

「でもよ、それどうやって伝えるのさ?」

「私が伝えます」

 甲斐が言うと、皆が一瞬固まった。そしてすぐに否定する。今、身分ごとに掟が違うということを聞いていなかったのか。町人である彼女が意味不明な発言をすることに対する反論にかかろうというところに、意外な援護が飛んだ。

「そうね、貴方なら適任ね」

 その人物は詠美だった。予想外の人物の賛成に、言葉が出なかった。しかも、彼女の隣にいる平良が笑いを堪えている。どうやら彼女はその辺の事情を知っているようだ。

「徳河さん。何故甲斐さんが適任なのですか?」

「だって彼女、宗十郎と一緒で全部の掟知ってるもの」

 至極あっさりとした答えに尋ねた想を含め開いた口が塞がらない。しかも、とんでもない一言も出た。宗十郎も全部の掟を知っている、と。

 改めて思う。アイツはいったい何者だ。

「まず私の所に依頼者を寄越すようにしてください。内容を聞いて振り分けるか否かを決めます」

 詳しく聞けば、相談者や依頼者を一旦甲斐の元へ向かわせ、そこで内容を告げる。甲斐は聞いた内容を掟と照らし合わせて吟味する。結果、依頼または相談と見なした場合当人をそれぞれの代表の元へやる。却下する場合は無下に返すわけじゃなく、彼女なりのアドバイスを伝え、解決できるようにする。奉行所案件と判断した場合は詳細な内容を聞き書面に記し各奉行所へ送付する。本人には当事者共々奉行所への出頭命令厳守と事実のみを伝えることなどを言い含める。

 この場合、当人には手間がかかる。最低2回は時間を割かねばならないからだ。だが、こうすることで直接訪れて門前払いを喰らう事象を防ぐ。また、話す内容が相談に値するか判断つかない者に対する方向性を示せるという利点もある。

「良いと思うわ」

 チラッと平良を見る。やっとかと言わんばかりに嘆息する。

「相談時間は基本各店舗、奉行所の営業時間。鬼島の所は夜8時まで。店舗休業日と各奉行所と鬼島の所は火・水は依頼を受け付けない。相談者の中にはこの条件に該当しない者もいるだろうから、学園内で相談することも可とする。但し、その際は二人っきりで且つ多忙な時期を除くこと」

 平良は甲斐が話している間、ただ黙って聞いていたわけではない。その間に自身が提案したことについて思案していたのだ。

 特に異論は上がらなかったので次の話題に移る。新の案件だ。現状彼女は補習をしている為に彼女がやりたいことができない状態だ。

 それについては、甲斐と結花が雪那と掛け合ってどうにかすることで解決した。

 それから、宗十郎と八雲が復帰した時の扱いだが、結花が面白い事を言った。

「さっき箱の中身を見せてもらったけど、意外と彼らの対するお願いって多かったのよ」

 そう言って彼女はいくつかの依頼を披露した。そのほとんどが、彼らにしか頼めない内容だった。

「『煎茶の淹れ方を教えてくれ』、『きんつばの作り方を教えて』ね」

「評判になれば、そうよねぇ」

 だから彼らにはそっちに専念してもらい、手が空いた時にこっちを手伝ってもらうことしする。無論、ちゃんと彼らも休ませる。

「期間は最長1か月。最後の数日は実際に八雲堂でお客に振る舞ってもらいます」

「そ、そこまでするのか?」

 唖然とする朱音に結花は本来なら足りないと言いつつもその訳を話す。

「学ぶだけで満足しては何の意味もありません。学び、他人に食してもらい評価してもらって初めて習得したと言えます。加えて、その者達の自信にもなりましょう」

 説得力ある言葉に、誰もが納得をした。職人として、妥協を許さず、さりとて人前に出ても恥ずかしくないレベルに達することを至上とする。その塩梅が上手いと思った。

「一月せいぜい5人くらいが妥当ですかね。一年で60人くらいがいいとこでしょう」

 そこでふと思う。この小さな店でひと月に10人も教えることができるのか。さらに、煎茶も一月もかかるのか、と。

「煎茶はせいぜい3日を見てます。道具はともかく、淹れ方が大事ですから」

 ふむふむと頷き、平良が口を開く。ここではあくまで骨子を決めれば良い。やっていく中で不具合があれば都度修正を加えればいいと。

「さて、決まったところで、どう伝えましょうか? できれば酉居という小者で武士の風上にも置けない犬畜生とそれに媚び諂う事しか能がない取り巻き共には知られない方法で」

 さらっと怖い事を言う甲斐はチラッと輝を見て固まった。他の者達も彼女の方を向いて額に手をやった。

 気持ちは分からなくはない。発言することもなく、ただ黙って自分がまるで興味もない話を延々と聞くだけ。途中で飽きて眠くなるのは無理もない。実際、輝は綺麗な鼻提灯を膨らませて爆睡している。普通なら、まぁ許すであろうし後でかいつまんで彼女に話して確認すればいいだけだ。

 しかし、甲斐は許さなかった。

 甲斐は輝の前に行くと、彼女の頬を力いっぱい引っ叩いた。乾いた音と同時に目覚める輝。

「いたっ!! ちょっ! 誰ですか引っ叩いたの!!」

 輝が怒るのは最もであり非難される筋合いはない。だが今回ばかりは相手が悪い。

「真剣な話をしている中惰眠をむさぼるとはいい度胸ですね?」

 すがすがしいほど満面な笑みで睨む甲斐に、小さな悲鳴をあげた輝はそれでも反論を試みようとした。

「もし、この先惰眠をむさぼったら――――ってこと、この場の皆さんのみならず学園全体にバラしますわよ?」

 そんな彼女のささやかな反撃を読んでいたかのように、スッと耳元に顔を寄せ、彼女にしか聞こえない程の声で脅した。みるみる顔色を悪くしたかと思うと、次の瞬間には土下座をして謝罪の言葉を述べていた。

 触らぬ神に祟りなし。他の面々はそのことに触れず、その後の方針などを決めて解散した。

 詠美は一人、夕焼けに染まる家路についていた。普段は平良と一緒に帰っているのだが、今日は所用があるとのことで彼女は先に帰っていた。一人で帰るのは実に久しぶりであった。

 彼女は物思いに耽っていた。

 本島から転校してきた彼に最初は嫉妬していたし興味を持っていた。彼らが住まう場所を狙っていた賊や、天狗党の乱で襲ってきた反乱分子を一撃で沈める実力を持ち、五人組の乱の時は影の首謀者として一団を先導して解決に導いた。嘘かホントかは知らないが、瑞野を“真剣”で成敗したと囁かれている。かと思いきや、甘味処を開店させると甘味が絶品ものばかりで、みとらんに掲載されてからは客がうなぎ上りに増えている。閉店間際が一番のピークで、その時の新と彼のやり取りを見て帰るのが常連たちの日常だ。かくいう自分もそうである。

 そんな彼だから様々な人に頼られる事が、詠美としては面白くない。その為の幕府であるのに、という思いが強かった。

 一方で彼に頼るのも仕方ないと思う自分がいた。今の幕府はそのほとんどが、酉居が私物化していて機能を有していない。相談や意見を言うモノなら酉居から後でどんな仕打ちを受けるかわかったもんじゃない。奉行所ならまだ独立しているからいいが、幕府に名を連ねる者には気が引ける。

 詠美であれば、と思う者は多いがどこにあの野郎が聞き耳を立てているか分かったものじゃない。だから頼みづらい。

 彼ならどうか。剣術に長け、料理も絶品、加えて各身分の掟にも明るいし頼れば断ることもなくやってくれるので受けもいい。頼らない者がいない方がおかしいのだ。

 今や彼は、この学園になくてはならない存在となった。彼と生徒達の為に、この事態を何とかしなければならないと思ったのだ。彼にはこれ以上の無理を重ねてほしくない。生徒達には、彼に過度に負担を掛けさせないように施策を講じることを約する。

 自然と微笑んでいた。彼の手助けができることが嬉しかった。

 生ぬるい風が吹き抜け、身震いし立ち止まった。ふと横を見ると、立派な門構えの平屋が佇んでいた。その門構えには木札で「診療所」と達筆で書かれている。

 ここは宗十郎達が「強制入院」させられている刀舟斎かなうの診療所である。どうやら、思い耽ながら無意識のうちにここに足を運んでしまったようだ。

―――別に、見舞いがてら今日の報告するくらいいいよね?

 まさかこんな夕方から見舞いに来る者などいないだろうし、自分一人だけならかなうも許してくれるだろうと結論付け、彼女は診療所の門をくぐった。

 ごめんくださいと断ってから引き戸を引くと、ちょうど玄関に主のかなうがいた。

「何だ、詠美じゃないか。どうした?」

「ちょうど良かった。宗十郎の見舞いにと思って」

 すると、かなうは途端に不機嫌になり「お前もか」と呟いた。

 それはどういう意味かと言われた途端、かなうの顔は溶岩の如く赤くなった。

「アイツらがここに来たと知った連中がここ2日間途絶えることなく見舞品とかたくさん持ってきて長時間だべるわ大勢で押しかけてどんちゃん騒ぎするわでこちとらろくに寝てないのよ! おまけにこっちが注意したら睨まれるわ邪魔すんな言われるわでな――――――」

 一度火が付いたかなうのマシンガン口撃が止まらない。溜まっていた鬱憤を全部吐き出す勢いで彼女は詠美に向かって叫び続けている。

 彼女の言い分は最もだ。診療所と言ったところは患者が静かに治療や療養する場所であってバカ騒ぎやどんちゃん騒ぎをする場所ではない。まして、注意した者に悪態を突くなど以ての外だ。

「先生。落ち着いてください」

 興奮したかなうを彼女は落ち着かせることにした。爆発寸前の火山のように真っ赤な顔をして息も絶え絶えになったかなうは、暫く呼吸を整えてから彼女は詠美を見た。

「……まぁ、お前ならいいか」と呟いて部屋の場所を告げた。廊下の突き当りにある大部屋がそうだという。

「あたしは明日の用意があるからもう行く。気が済んだら呼んでくれ」

 そう言って彼女は引っ込んでいった。

 彼女は言われた通りに突き進み、「邪魔するわよ」と言って引き戸を開けた。

「よお、詠美」

 手を挙げて呼ぶ宗十郎の一方、詠美は彼があてがわれた部屋を見て言葉を失った。

(・・・・・・一体ここはどこの店よ?)

 部屋は12畳ほどあるだろう大部屋であったが、それを感じさせないくらい多くの見舞品がそこかしこに置かれていてさながら小さな商店のようだった。見舞品も、果物から積まれた書籍、花束に使途不明なものまで実に様々であった。

「・・・・・・色々ツッコみたいけど、まぁいいわ」

「あぁ、これか。見舞に来た連中が一杯持ってきてくれてな」

「いや、多すぎるし。それにかなう先生がそのことでかなり怒ってたわよ?」

「やっぱり? それで俺もなぜか怒られた」

 まぁ入れと彼に促され詠美は彼の病室に入った。

「すまねぇな。お前らに迷惑かけて」

 入って早々謝罪を受けた詠美は可笑しくなってつい笑ってしまった。笑われた彼は何が可笑しいと少し不機嫌になった。

「いつも助けてもらってたから、貴方に謝られるのが変に感じちゃって」

 不機嫌なまま暫く宗十郎は詠美を見つめ、やがて鼻を鳴らして上半身を起こした。

「ただ見舞に来たわけじゃ、ないだろ?」

 ホント鋭い観察眼だなぁと思った。元々、見舞は次いでだったのだ。

 彼女は今日の出来事を要点のみを説明した。かなうは気のすむまでと言ったが、彼の為を思うと長々といるわけにはいかなかったからだ。

 話を聞き終わった宗十郎は、嘆息して彼女の方に顔を向けた。

「悪くないな。俺も助かる」

「今までが働きすぎなのよ」

 恐らく彼の場合、この数か月間は昼夜問わず何かしかの事象に関わっていてろくに体を休めていなかったに違いないと思っていた。普通の高校生なら今頃ぶっ倒れているか最悪天に召されているはずである。彼の体力が化け物だったのか、それとも別の理由があるかは知らないがよく死なずにいれたもんだと感心してしまった。

「先生にもこってり説教喰らったしな。今後は自重するよ」

「そうして。アンタはこの学園に必要不可欠な存在なんだから」

 うむと頷く彼に、ホントかなと疑いをかける詠美。この男、結構な確率で無茶をしている。しかも自分達の与り知らぬところで。

 ―――ついでに、ちょっと相談しようかな。

 聞いてもらうだけなら、大した負担にはならないでしょう。

「ねぇ宗十郎。ちょっと話聞いてもらってもいい?」

「ん? いいぜ」

 彼女は今の悩みを彼に打ち明けた。理想としている自分に今の自分程遠い事。徳河の名を捨てた吉音が許せない事。その吉音が皆に慕われて嫉妬していることを。

 話を聞き終わった宗十郎は、ふむと頷いて眼を閉じた。

「・・・・・・悩むだけ無駄だ」

 数分後に彼の口から出た言葉は、彼女の予想に反したモノだった。期待していたことが裏切られたようでだんだんと顔が紅潮していく。

「待て待て。怒るんなら、俺の話を聞いてからにしろ」

 彼が宥めると、詠美も少しは落ち着いて腰を下ろした。彼は彼で近場にあった座椅子を引き寄せて、そこに腰を掛けた。これも多分どこぞの誰かの見舞品だろう。

「なぁ詠美。お前、俺の事どれだけ知ってる?」

 その問いに詠美は腕を組んで考えてみた。転校生で、剣の腕が立って、皆から好かれていて料理が一級品で・・・・・・。それ以上のことは出てこなかった。

「・・・・・・ごめんなさい。よくは知らないわ」

「別に謝んな。俺だってお前のことはよく知らん」

 しゅんとする詠美に宗十郎は笑って答えた。その一言で、何となくだが彼が言わんとしていることが分かった気がいた。

「・・・・・・私は、吉音さんのことをちゃんと分ろうとしてなかったのね」

「それに気づけただけ、成長している証拠だよ」

 宗十郎は彼女の頭を撫で始めた。最初は嫌そうに反論を試みたが、その撫で方が心地よすぎて、ついには彼の膝枕の中で享受してしまった。

「・・・・・・貴方ってたらしよね?」

「おい、その言い草はないだろう」

 わしゃわしゃと撫でる彼は、猫の笑顔でほほ笑む彼女を見てまぁいいかと彼女を撫で続けた。

「それとな、理想と程遠いというが、そう思うならゆっくりとそれに近づければいい。小さな一歩だが、確実に近づくからな」

「うん」

 撫でながら彼らは数時間雑談を交わした。楽しい時間というのはあっという間に過ぎる。一息ついて外に眼をやれば、陽はすっかりと落ちて綺麗な満月が闇夜を照らしていた。

 詠美としては一晩中でも話していたかったが、彼が病人であることとかなうにこれ以上の負担を掛けさせたくないとも思いから断念し、帰ることにした。

 詠美は「じゃあお大事に」と去ろうとしたが、宗十郎に呼び止められた。

「時間作って二人でちゃんと話してみろよ」

 詠美はこくんと頷いてそこを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日から彼女達は忙しなく行動し始める。吉音と甲斐達は新しい相談所の利用案内と注意事項の作成、朱音と想は相談所から流れてきた案件の対処について両奉行所全員で朝から一室借りて、時間をたっぷり使って話し合った。詠美と平良は結花と山吹、桃子と共にそれぞれの有力者を集めて今後の目安箱について説明をした。有力者の数が多いのと酉居一味の眼を盗んでやる手間から2日間分けて行う事にした。

 そして、3日後。各店舗ができるだけのことをしてその日を迎えた。甲斐の家は「よろず相談所」という真新しい看板を掲げ、相談内容を聞き適した場所に振り分ける。越後屋は予め山吹から全従業員に通達が言っており、相談者が来た場合は店の個室に通し山吹自身が応対する体制を整えている。ねずみ屋は特定のメニューを頼んだ客に対し会計時に黄色の紙を渡す。そこには時間が指定されており、指定時間に裏口から周りそこで相談を受けるシステムにした。長屋は特定時間を除き桃子が待機して相談を受ける。

 尚、療養中の八雲と宗十郎は療養が終わって暫くしてから煎茶と料理教室を開催することに決定し、事前に二人に話はつけている。基本月曜から金曜の5日間、2~3時間の範囲で一か月間、煎茶は5日の期間で開催、最終日の数日前から実際に店頭で販売する。また、宗十郎の料理に関しては和食・洋食・スイーツの種類を月ごとに内容を変えて開催することになり、月末に八雲堂に張り出すことにした。定員は1月合わせて10人。かなりの倍率が予想される為、月末までに詰める予定である。

 その八雲堂は店主不在であるが、彼らの復帰まで吉音と真瞳が給仕をやり、数人の有志が日替わりで茶菓子を提供する形で営業を再開していた。

 彼らは宗十郎や八雲に相談事を解決してもらった者で、二人がぶっ倒れた翌日に真っ先に見舞に行き「困ったことがあったら言ってくれ!」と言っていたそうだ。

 それを思い出した宗十郎が彼らを呼んで事の次第を説明すると「受けた恩を返す時!」と二つ返事で引き受けた。日替わりで菓子や茶を提供する、レジ前に自分達や宗十郎達の商品とレシピを置いたり、メニューを見やすくしたりと様々なアドバイスをしてくれたりそのアドバイスを素直に吉音達が取り入れたりと八雲堂は進化していった。

 数日回していくと、従業員がうまく対応してくれなかったとか、応対者が不在だったりと不備や改善点が見えてきた。彼女達は都度時間を作って集まり、解決策を捻り出して実行していった。それを彼らが復帰するまで休日返上で行っていた。無論、彼らの二の舞を避けるべく、1・2時間の短時間で話し合うだけにとどめた。

 その結果、少しづつではあるが、相談所などの施設の利便性が上がったそうだ。

 そして、あっという間に二週間が過ぎ、二人が復帰したのだ。

「あのなぁ。言い出しっぺが早速やらかしてくれてどうすんだよ」

「・・・・・・ごめんなさい」

「まあまあ宗十郎。あんまり彼女を責めないでくれよ」

「こっちがいくら言っても連中がきかなくてな。すまんな」

「いやいや別に責めているわけじゃねぇよ。しかし、参ったな・・・・・・」

 今日は八雲堂の定休日に当たり、宗十郎と八雲が診療所から帰宅した日である。閉店後に皆を集めて取り合えずの慰労会を開いた。その時に、宗十郎は彼女達からの話を聞いて嘆息した。

 それは相談所を開設して暫く経った頃の話である。

 甲斐がいつものように整列してくれた生徒達の相談を受けていた。そこに相談所の噂を聞き付けた生徒達が大挙して訪れ、列をなしていた者達を無視して甲斐の前で自分達の相談を先にやってくれと異口同音に捲し立てる。甲斐は「一人ずつちゃんと聞くから並んでくれませんか」とやんわり促すが、彼らは聞く耳を持たずそれを繰り返した。しまいにはルールを守って並んでいた生徒達とちょっとした喧嘩が始まってしまい、喧嘩に参加する者、仲裁する者入り乱れ場は騒然となった。たまたま近くを通った八雲堂の常連が知らせてくれたようで、詠美と平良が駆け付け騒動を収めようとしたが、興奮状態の連中にとっては火に油を注ぐ結果となり、彼らの一部は詠美達にも絡み始めた。

 そして、とうとう怒らせてはいけない人物を怒らせる結果となる。

 バン! と乾いた音が木霊すると、光を亡くした瞳で周囲を睨んだ女子生徒は、机の下から紙とマジックを取り出してトーンを落とした声で言った。

「今ここで騒いだ馬鹿共。ここに住所と名前を書きなさい」

 静まり返った場。普段彼女がキレた所を見たことがなかった一同の中には、唖然としていたり、恐怖に身を振るわせていたりしたが、やがて後からやってきた連中がまた騒ぎ始めた。なんでそんなことしなきゃならねぇんだとか私達だけってひどくないとかギャーギャー喚いたそうだ。詠美達が慌てて収めようとしたが、一人が邪魔すんな女のくせにと彼女を弾き飛ばした。

 その瞬間であった。女子生徒―――甲斐は腰の太刀で眼の前にある机を文字通り一刀両断した。その威力は一陣の突風となって皆を襲った。

「・・・・・・ルールも守れねぇクソガキが、偉そうな口叩いてんじゃねぇよ」

 それまでのお淑やかなイメージは見事に一遍した。怒髪天を突き、低いドスの効いた声と怒りの炎を宿した双眸に睨まれた全員があまりの恐怖に身を震わせた。中には「ひっ」と悲鳴をあげたりしたそうだ。あの平良達でさえも全身から鳥肌が立ったという。

 その場にいた平良が後に部下に当時を振り返りこう言ったそうだ。「彼女の後ろには、般若と阿修羅と不動明王と羅刹がものすごい形相で立っていたように見えた」と。

 ここから、甲斐の一人無双であったと詠美は語ってくれた。

 彼女は太刀を持ったままゆっくりと歩み寄り、それに合わせて皆が一歩後ろに下がった。

「アタシ達は自分の時間を使って生徒達の悩みを聞いてアドバイスしようとしてんだよ。んで、そこで並んでいる人達は自分の時間をわざわざ割いてアタシらに悩みを聞いてもらおうと来てくれてんだよ。分かるか? それをテメェらはシカトぶっこいてテメェ勝手なこと捲し立てて注意したら逆ギレして挙句先客といざこざ起こして、でもって難癖つけてくるとか何様だテメェら。んなことするテメェらのクソくだらねぇ悩みなんぞ聞く気もない!」

 近づくたびに背中から黒い炎が立ち上りその言葉の一言一句に怒りが籠っていた。その迫力に気圧されて騒いだ連中のほとんどが腰をに抜かして情けなく後退りしている。

 彼女はたった今詠美を突き飛ばした生徒の前に仁王立ちしたかと思うと、鳩尾に一撃を見舞い生徒が倒れる前に首に腕を回した。その手には短刀が握られていた。

「テメェさっき詠美を突き飛ばしたよな? それで何だっけ? 邪魔すんな女のくせに? その前に女に手ぇ上げて恥ずかしくねぇのかよ? てか男の方が女より偉いとか、いつの時代の事ぬかしてんだ? あぁん? テメェの頭に蛆でも沸いてんのか? 調子乗んのも大概にしとけや」

 彼女はがちがちに震えている生徒の首から腕を外すや後襟を掴み、片手で持ち上げるとそのまま振りかぶり彼を顔面から沈めた。醜い悲鳴や変な音が聞こえた気がするが、(とど)めと言わんばかりに背中を右足で踏みつけた。彼女は絶対零度の視線でそこに突っ伏した生徒を見下ろしていた。

 それから、甲斐は連中の中で一際騒いでいた男子生徒の前に立つ。傍にその生徒の者であろう刀が転がっていたので、恐らく武士だろうとその時彼女は思い、彼の喉元に太刀の切っ先を突き付けた。

「テメェも武士なら武士らしい行動しろやこのドクサレ野郎が!」

 その生徒は歯を震わせながら首を激しく上下させた。甲斐は胸倉を掴んで彼の顔を引き寄せた。恐怖に引き攣る彼に、甲斐はこれ以上ないくらいの低い声で告げた。

「武士の情けで今日はこれくらいで勘弁してやる。だがな、今後同じことしでかしやがったらアタシはテメェのそのくだらないプライドと人生を粉々に破壊してやるからな? 分かったな?」

 恐怖に怯える生徒は震えながら「はい」と返事した。しかしそれはあまりにも小さかった。

「声がちいせぇんだよ! テメェそれでも武士か!?」

 眼前で吠えられた為か、彼はビビりながらも大きな声で返事した。彼女は彼を突き飛ばすと、吊り上げた眼を周囲に向ける。

「テメェらも分かったな! 今後騒ぎ起こしたらテメェらの人生を未来永劫完璧に潰してやるからな!」

「は、はい!!!」

「分かったらさっさと住所と名前を書け! そしてこの場から失せろ!!」

 騒いでいた連中は我先に紙とマジックをひったくるや急いで住所と名前を書き甲斐に渡すや蜘蛛の子を散らすように退散した。という内容だった。

 それを聞いた宗十郎はやれやれと嘆息するが、手に持つ茶碗は小刻みに揺れていた。つまり、怒っているのだ。

「仕方ねぇ。リハビリがてら、ちょっくら仕事してくるか明日」

「お願いだから、大事にはしないでくれよ宗十郎」

「安心しろ。ちょっと『お話』してくるだけだから」

 それを聞いた面々は、『お話』で済むとは思っていなかった。恐らく一生もんのトラウマを刻み付ける気満々だ。中には本当に引きこもりになる者がいるかもしれない。

 今のうちに、警告しておこうと決心したのは桃子だけだった。他の者達はいい薬になるだろうと考え放置することにした。

 聞かない者が悪いのだ。宗十郎がかなりきつめの灸を据えれば今後あそこで騒ぐ馬鹿はいなくなるだろう。

「お前らも、手伝ってくれてありがとな」

 くるりと後ろを向いて頭を下げると、そこにいた4人は恐縮して慌てて手を振りまくった。彼らはこれまでこの八雲堂で宗十郎の代わりに店を開いてくれていた者達である。

「あ、頭上げてください進藤さん」

「わ、私達は好きでやったんです!」

「い、今までのお礼ですし!」

 口々にそういうので、彼はようやく頭を上げた。

「それに、八雲堂で働いてみて、結構楽しかったし」

 そういうのは、『ミラージュ』という洋菓子店の店主吉野英二だ。

「お客さんと自分の菓子をつまみながらお話ししてるって聞いて最初は『えっ?』て思ったけど」

「その場で評価を聞けるのは新鮮だった」

 和菓子店『美加戸』店主國代栄美と菓子屋『伊右衛門』店主会川陽次郎が続いて今日までの感想を述べる。

 その場で感想が効けるのは、開店以来宗十郎が客に伝えていたことであった。あれがダメこれがダメこれは良かったと言われるのは、職人としての励みになるというのが彼の持論だそうだ。客の声を聴いて自分の至らぬ点が分かる。それを改善につなげ次に活かすことができる。それがイイと宗十郎は言う。

「なぁ進藤。またここ来ていいか?」

 会川が言った。曰く、ここに来ることが楽しくなったという。

「そうだよね~。何かここ来ると、皆がほっこりしてるもんね~」

「ホントは客としてアンタと徳田さんの絡みを見たかったが、こっち側でほっこりするのもいいやと思ってきたよ」

 ふむふむと考えに耽る宗十郎の口元が意地悪く吊り上がった。

 その表情を見た全員が思った。あ、これはなんか悪いこと考えている。

「それなら、やるかい?」

 彼が言うや否や、そこに集まった者達が無表情となり彼に説明を求めた。また無謀なことしでかす気なら全力で止める為だ。

「・・・・・・こんな眼に遭って無茶なことする分けねぇだろ」

 嘆息する宗十郎は、暇な二週間考えていた案を披露することにした。

「俺が授業を開くとなれば、当然八雲堂を空けなきゃならんだろ? となるとここを誰かに仕切ってもらうか休業するほかないだろ。だから俺達が授業を開いている間、他の誰かにここに腕を振るってもらえばいいと考えたんだ。そうすりゃここに収入が入るから生活には困らんし、招いた職人も腕試しができる一石二鳥だと思うんだ」

 そこに誰かの意見が来た。別に教室開きながら商品を提供すればいいのではと。彼はその論に言い返す。教室に開くからにはそれに全神経を集中したい。そんな中受講生そっちのけで商品を出すなど、受講生に申し訳ないし第一職人としてのプライドが許さない。

「仮に、お前らがある教室で受講していて、講師が授業の合間にちょくちょく抜けて仕事していたらどう思うよ?」

 問われた時、皆が首を傾げた。言われてみれば、そんな人の授業、授業受けたくない。

「無論、授業がない日は俺が出る。日程等も、俺が考えてみた」

 そう言ってある紙を取り出した。同じく暇な二週間考えていた授業の日程だ。ただそれは、事前に話した内容と一部異なっていた。

 教室は火曜・木曜・土曜に開催。月曜と金曜は通常営業。日曜と水曜は定休日とする。講義は基本と実践の二種類。時間は基本が15時~17時で実践が18~20時の各二時間。内容として、基本コースは料理の基本で固定し、最終的に1品作ることができることを目標とする。実践は月毎に内容と講師を変え、デザートを含めた3品を作らせる。どちらも、最終5日前からは実際に八雲堂にて料理を提供し、客の判断を見て合否を決定するという。

 加えて、各週の日曜の午前中に補習を行う。これはその週に参加できなかった者の為に行う。いなければそのまま休みとし、補習をした場合は別日に時間分の休みを設けるとした。

 基本コース補習は彼が担当し、実践コース補習は結花を始めとしたプロ数人と彼が日替わりで見るという。その件はすでに彼女達に根回し済みである。

 報酬は彼の超絶美味のフルコースであるというのは秘密である。

 受講生は一月に付き10名。受講料は基本が1,000エンで実践が2,000エンとし、必要な道具を事前に用意してもらうが、用意できないものに関しては貸し出しも検討している。

 彼の意見として、5日間ぶっ通しでやるのは復習とか予習する時間を確保できない点から却下。一日おきであれば予習と復習する時間を確保できるだろうとのこと。

 尚、教室は八雲堂にほど近いところにこれから作るという。

 因みに、八雲の方は最初の案で行くという。暫くやってみて考えるという。宗十郎の作る教室には、八雲の煎茶教室も併設するという。

「・・・・・・アンタって、ホントとことんやるのな」

「職人ナメんな。これくらいやらんと気が済まん」

 こいつ、変なところで真面目だ。だから身体壊すんだよ。とは、口が裂けても言えない。

「話し戻すけどさ。お前が教室開いている間ほかの店の奴がここ切り盛りすんだろ? そいつの店とか、メニューとかどうすんの?」

 朱音の問いに彼は答えた。メニューはそこのメニューをまんま提供してもらうし『本業』の店の方は他の店員で回してもらうか、その期間はここでやっている旨を案内して支障がないようにするという。

「従業員の給料諸々保証もするしな」

 そう言いつつ彼は二枚の紙を取り出した。一枚には今回の案の概要と生徒への条件等が記されていた。無断欠席二回で強制退会などそれなりに厳しい内容が記されていたが、職人として最大限の譲渡とも取れた。

 もう一枚には今回参加してくれる者達への待遇が記されていた。現在勤めている店での待遇の保証、特別手当の内容と賄い付きと記されていた。

 彼は最初の紙を店頭などに設置し、後日説明会と抽選をして来月に開催するという。どうせ応募者多数になるだろうからだという。

「ま、とういうことだからよろしく頼むよ」

「はいよ」

 そういうことになり、散会することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、彼の予想通り件の紙を置いた途端武士・商人・一般含め多くの生徒が彼に料理を習いたいと押し寄せた。

 彼は急きょ説明会を数日に分けて開催することになった。基本コースは毎月同じ内容を、実践コースは月毎に内容を変えてやるということ。今回多くの人に集まってもらったので抽選をして受講者を絞らねばならないこと、今回漏れても、今後暫くこの教室は開くことを伝え、その場で応募者を募り、最終日に抽選を行った。

 彼らの講義は人気を博し、後代に『何回落ちても絶対に受けたい講義』として語り継がれたとかなんとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 余談だが、最初の講義生の中に酉居一味の神崎圭太がいたことに、自分で無造作に選んでなんだが宗十郎は驚いた。

 その神崎は講義初日にいの一番に彼に挨拶してきた。

「お前・・・・・・」

「安心してくれ。このことはアイツにゃ話してねぇ」

「けどまぁ、とっくにあの野郎の耳に入ってるだろうがな」

 自嘲したように笑う彼に神崎は苦笑して頷く。

「これを聞いた第一声が『武士もどきの事だ。ほっとけ』だとさ」

 宗十郎は笑い飛ばす。が、内心はいつかあの三下に士道についてその腐りきった心に徹底的に刻み込んでやろうと固く誓っていた。

「お前はここにいていいのか? 選んでおいてなんだが、ばれたらまずいんじゃ?」

 平気平気と神崎はひらひらと手を振った。一派と言っても一人一人の行動をあの野郎が把握しているわけじゃないし、こちらとしても私生活まで把握されるのは御免だという。

 そういうもんかと思い、準備に取り掛かろうとした彼は、不意に肩を掴まれた。

「なぁ相模。今日、時間あるか?」

 宗十郎が首を傾げると、神崎は相談したいことがあると真剣な眼差しで告げた。彼はその眼を見て、しばし考えて彼に告げた。

「分かった」

 歯車は少しずつ確実に動き始めた。

 


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