あそこで京介が『見る』を選択していたらどうなっていたかという話。
俺はこの時のことを思い出すたびに、「選択肢を間違えた」思うようになる。
それ自体は別にいい。
人生はゲームと違って、明確で分かり易い正解が用意されてるわけじゃないし、セーブ地点からやり直すこともできない。
間違えもせずに生きていけるやつなんて、きっと一人だっていやしない。
また、何一つ間違えることなく生きることができたとしたら、それはそれで問題があるだろう。正解しか知らないようなやつが、まともな人間性を持っているとは思えない。
だから別に後悔してるわけじゃない。
それでもやはり、こう思うことはある。
あの時、選択肢を間違えなかったらどうなっていただろう。
油断するなよ京介。これから飛び出すのは、全てが『スカトロ*シスターズ』に匹敵する暗黒物質だぞ。見るなら見るでちゃんと覚悟を決めておけよ?
俺が苦悩しているのに気付かず、桐乃はとっととアルバムを開けてしまった。
「……?」
そこにあったのは、警戒していたのがバカみたいに思えるような、ごく普通の写真たち。おかしなところは何もない。ただ……
「俺?」
このアルバムの写真には俺が写っていた。
もちろん全部に、というワケではないが、結構な割合で親父やお袋、もちろん桐乃とも一緒に写真の中で笑っていた。
「……俺の写真なんかあったんだな」
「いや、そりゃあるでしょ」
そうは言うけどな、親父もお袋も桐乃ばっかりで長男の扱いはホントぞんざいだぞ、この家。実際、俺の写真なんか今まで見たことなかったワケだし。
「だってあんた写真嫌いだったじゃん」
「そうだっけ?」
「うん。カメラ向けるとすぐ逃げちゃうし。お父さんたちも途中からあきらめちゃったし」
そういやそんな感じだったような。
「だからあんたの写真はここにあるやつで全部、だと思う」
なるほど。どうりで俺の写真が見つからなかったワケだ。
小学四年生くらいだろうか。写真の中の桐乃はくるくると表情を変えて、見るからにはしっこそうな印象をうける。
対して俺はいかにもアホガキといったツラだ。不愉快だがロックを笑えん。そりゃ親父たちも妹の方をひいきしたくもなるだろうよ。
だんだん思い出してきた。
この頃の桐乃は、いつもちょこまかと俺の後をついてくるやつだった。
そんな桐乃のことを、俺はウザがって邪険に扱ったりもした。
この年頃の兄貴なんざそんなものだろうと言ってしまえばそれまでだが、今考えればかなりひどい兄貴だったように思える。
「で、これがどうかしたのか?」
「ちょっ、そんな言い方……」
桐乃は不満そうに口をとがらせる。が、自分を落ち着かせるように大きく息をつき、そして、写真の一枚を指して聞いてくる。
「あんたさ、この頃のことって覚えてる?」
桐乃が指した写真には、たぶん十二から十三くらいに見える俺が写っていた。てことは四、五年前くらいか?
特に印象に残る事件とかはなかったと思うが。
「んー……、あんま覚えてねえな」
俺は正直にそう答えた。
すると桐乃は、これ見よがしにため息をついてみせた。
「ハァ……。たぶんそうだろうと思ってたけど、ヤッパリか……」
なんだよ。五年も前のことなんか覚えているヤツそうそういないだろうが。
「この頃になんかあったっけか?」
「……言いたくない」
「おい」
自分から話ふっといてそりゃねえだろ。
「そうなんだけどさ、ハア……」
本当に嫌なのだろう。桐乃はそう言って、また溜息をついた。
「あたしさ、昔は走るの、遅かったんだよね」
唐突に、そんなことを言い出す。
「これ見て」
そう言ってコレクションの中から取り出したのは、『ラブりぃ☆しすたぁえんじぇる』とタイトルの打たれたエロゲー(?)の箱だった。
「……これ、エロゲーだろ?」
とりあえず率直に聞いてみる。
「違う。これはゲームの特典が入ってた箱。中身は別のとこに飾ってあんの」
今は別のものが入っているらしい。クッキーの空き箱を小物入れに使うようなものか。
「そんな感じ。この中に入ってるのは、あたしが、陸上を始めた理由」
話の筋から外れているような気はするが、おそらく必要なことなのだろう。俺はおとなしく聞くことにした。
「……じゃ、開けるね」
そうして中から出てきたのは。
「通信簿?」
そう、通信簿。
小学一年の頃からの桐乃の通信簿がずらっと。
さすがにこの流れでエロゲー関連のアイテムが飛び出すとは思ってなかったが、これは予想外だ。
桐乃を見ると、小さく頷いてきた。見ろということだろう。
一年のものを開く。
桐乃の言っていた通り、体育の成績は『がんばりましょう』。
それだけではない。他の成績も総じて平凡、いや、むしろ悪いくらいだ。
二年も同じく。三年も。四年も。
だが、五年生になってから少しずつ成績が良くなってきた。『がんばりましょう』が『よくできました』に、『よくできました』が『とてもよくできました』に。
「こっちもそう。運動会の徒競走でもらったワッペン」
桐乃が示したのはのは、六位と書かれたワッペンだ。
こちらもやはり、徐々に順位を上げている。
「昔さ、超……ムカつくことがあってさ、それで走る練習始めたの」
ちらり、と俺の顔を見る桐乃。
「今まで人に言ったことないんだけどさ、落ち込んだときとか、スランプになったときとか、この箱の中見ると、すっごいムカついてきて……ナメんなバカって気になってくるんだよね……」
すげえ。
素直に感嘆する。
自分が凡人だからこそよく分かる。
平凡が一番、という考え自体は今でも変わらない。
だが、そこに一片の欺瞞もなかったか、普通という言葉を手を抜くための言い訳にしていなかったか、と言われれば、とてもじゃないが胸を張って『ない』と言い切ることはできない。
だけど桐乃は、平凡な自分に甘えることなく、「できるはずがない」とくさることもなく、何年もの時間をかけて今の自分を手に入れた。
誰にでもできることではない。
俺は今まで、桐乃の成績なんか初めから『とてもよくできました』ばかりなんだろうと思っていたのだが、そんなことはなかった。
持って生まれた素質というのはあるだろう。
コイツの実績が努力だけで手に入るなんて、それこそ『ナメんなバカ』、だ。
だけどそんなことは、コイツが積み上げてきた努力を否定する材料になんかならない。
俺の妹は、俺が思っていたよりずっと泥臭い人間だったのかもしれない。
「なあ、桐乃」
俺は知りたくなった。この凄い妹が、これだけがんばるようになったきっかけを。
「超ムカつくことってなんだか、聞いてもいいか?」
桐乃は一瞬、目を丸くして、不愉快そうに顔をしかめた。
「……ねぇ、ホントに覚えてないワケ?なんにも思い出さない?」
な、なんだ?もしかしなくても俺が関係あんのか?
桐乃はハァー、とため息をつくと、仕方なくといった感じで話し出した。
「昔さ、あたしがどうしてもいっしょに遊びに行くって言ったとき、あんた逃げたでしょ。「ついて来れたら連れてってやる」って言って。意地悪そうな顔してさ」
……ぜんぜん覚えてねえ。だけど、確かにその頃の俺ならやりそうだ。
「あたしは追いかけて、でもぜんぜん追いつけなくて、転んじゃって、なのにあんたは来てくれなくて……」
妹が転んだらさすがに助けるだろうから、きっと気付かなかったんだろうな。
だが当時の桐乃に、そんなことは分かるはずもない。
桐乃は、俺に見捨てられたと思っただろうか。
「気がついたらぜんぜん知らないとこに居て、怖くて、寂しくて、悲しくて、でも……」
桐乃は一旦言葉を切って俺を見る。睨み付けるように。
「でも、それ以上に、悔しかった。見てろよ、って思った」
「それじゃ、おまえが陸上始めた理由って……」
「あんたより速く走れるようになりたかったから」
なんてこった。
このとんでもない努力家が頑張り始めた理由が、よりにもよって俺なんかを見返すためだったとは。
思わず謝りたくなってしまう。ホントに謝ったりしたら怒るだろうけど。
「言っとくけど、これはあくまでもただのきっかけ。キモい勘違いすんな」
安心しろ。勘違いするヒマなんかなかったよ。
それに、釘を刺されるまでもなく分かってるさ。おまえが凄いのは、おまえが頑張ったからだ。
まあ、なんにしてもだ。
「大したもんだな、おまえは」
この短時間で、何度感心したかわからない。
「俺なんかじゃ、もう勝てないだろうな」
そう思った。
「……うな」
「え?」
押し殺したような声。
「俺なんかとか言うなっつってんの!!」
ちょっ!声でけえよ!?
今が深夜だって忘れてんじゃねえだろうな!?
「お、おい、落ち着け!親父たちが起きる!」
桐乃は立ち上がって、肩で息するほど興奮している。
どうにかなだめて座らせたものの、落ち着いたとは言い難い。
「どうしたんだよ、いきなり」
また大声をだされないかと、ビクビクしつつ聞いてみる。やや逃げ腰なのは見逃してくれ。
桐乃はうつむいたまま、先ほどとは対照的に、ぼそぼそと小さな声で答えた。
「……あんたが、自分のこと、なんかとか言ってたら、あんたのこと目標にして頑張ったあたしが、バカみたいじゃん……」
……ああ、そうか。
俺は知らずに、おまえのことを侮辱しちまったんだな。
「あんたが自分のことどう思ってんのか知んないし、今のあんたは嫌いだけど……。あんた、昔はすごいやつだったじゃん」
……おまえ、そんなふうに思ってたのか。
ゴメンな。すごい兄貴じゃなくて。
おれはただ、いいカッコしたくて粋がってただけで、おまえが言うような……
「あたしは、お兄ちゃんに認めてほしくて頑張ってたんだから」
俺は言葉を失っていた。
桐乃が、おそらくは無意識にこぼしてしまったであろう、『お兄ちゃん』の破壊力がすさまじかったから、ではない。
今夜の桐乃が、あまりにもらしくなかったからだ。
普段なら絶対に言わないようなことをぽろぽろ言うし、テンションの浮き沈みも激しい。
なんていうか、そう、やたら不安定に見える。
「桐乃、最後の人生相談ってのはこれだけなのか?」
桐乃はハッと顔を上げる。
「なんかまだ続きがあるんだろ?」
桐乃は観念したように口を開いた。
「……あたしね、アメリカ行くんだ」
「……は?」
俺は一瞬、言われたことが理解できなかった。
「……あー、海外旅行ってことか?」
桐乃は首を振った。否定の意だ。
「……もしかしてモデルの仕事とか?」
「違う。……陸上の、この前の合宿で、スカウトに来てた海外の有名なコーチの人が声かけてくれたの。やる気があったらいつでも来いって」
「な、なんだよそれ……」
「むこうに行ったら1年は陸上漬けで、高校入学までは帰って来れない、と思う。でも、あたしは」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ」
俺は慌てて桐乃のセリフを遮った。予想外すぎて頭が追いつかない。
「ええと、なんだ。その、留学?の話、親父たちは知ってんのか?」
「……うん。もう話してある」
「……よく許したな、あの親父が」
親父は桐乃のことを溺愛してるから、自分の目の届かないところにやりたがるとは思えないんだが。むしろ『どうしても行きたかったら自分の金で行け』くらいは言いそうだ。
「ううん。許してもらえなかった。どうしても行きたかったら自分の金で行けって。だからモデルのギャラと携帯小説の印税で払うことにした」
ホントに言ったのか親父。それでホントに払うのか桐乃。
つくづくとんでもない妹である。ホントに中学生かこいつは。
「それで?いつ頃出るんだ?」
「……明日、てか今日の朝」
「ハア!?」
あと数時間しかねえじゃねえか!?
窓を見ると、カーテン越しだがすでに空が白んできているのが分かる。
「なんで今まで黙ってた!」
「……ごめん……」
……素直に謝んなよ。これ以上責めらんなくなっちまったじゃねえか……。
ショボくれてる桐乃というのはレアではあったが、あまり見ていて気分の良いものでもない。つーか、
「携帯小説やめてまでやりたかったことってのはそれか」
「うん。スポーツの場合、あたしくらいの年だと、一年遅れただけですごいハンデになるって。あたしはもっと上に行きたい。だから、出来ることは全部やっておきたいの」
まあ、こいつのことだから適当に決めた、なんてことはないだろうとは思ってたが、やっぱりちゃんと考えて決めたことなんだな。
俺に黙ってたのも別にふざけてたとかじゃなく、何となく言い出せなかっただけなんだろう。
でもな……。
「おまえ、それ本当に大丈夫なのか?」
桐乃のいう、『海外の有名なコーチ』とやらがどうこうという意味ではなく。
親父に話してあるんなら、そっち方面の心配は必要ないだろう。
俺が言ってるのは桐乃自身のことだ。
「アメリカで、一人で、本当にやってけんのか?」
おまえはすごいやつだよ。それは疑いようがない。一人でだって高いパフォーマンスを発揮するはずだ。
だけど桐乃の力の源は友達だ。それがないところでどうするんだ?
言葉が通じないのも、おまえならなんとかしちまうだろう。新しい友達だってすぐに作れるだろう。
でもさ、おまえは、新しく友達ができたからって、それまでの友達をないがしろにするようなやつじゃないだろう?
桐乃はうつむいたまま、搾り出すように答えた。
「……あたしは、もっと頑張りたい。もっと上を目指したい。何より、自分で決めたことから逃げたくない」
でも、と続ける。
「やっぱり怖い。むこうじゃ好きなゲームも買えないし、日本のアニメもやってないし、友達にも会えないし、あん……家族も、いないし……。やっぱり怖いし、寂しいの……」
そう、それが本題。
「だから、最後の人生相談」
「……『勇気』、ちょうだい?」
桐乃の『最後の人生相談』に俺は――硬直していた。
どうする!?
一年前の俺だったなら、ごく単純に『勇気っつってもどうすりゃいいんだよ?』と戸惑うだけだっただろう。
だが今の、桐乃に押し付けられた数々のエロゲー(妹モノ)をクリアし、すでにいっぱしの猛者と呼べるレベルにまで成長してしまった俺には、もはや『そういう方法』しか思い浮かばない。
いやいや待て落ち着け俺。
相手は桐乃だぞ?
実の妹相手にそんな気色悪い……いや、気色悪いは言い過ぎか?だけどこんな可愛くないやつに……いや、顔は可愛いよ?下手したら世界一美人かもしれないし。でもこんな性格悪いやつ……まあ、最近はそんなでもないか?たまにだけど素直なこともあるし。
い、いかん!?否定材料がどんどん消えていく!?
つーかなんで俺はさっきから、桐乃が『そういうこと』を望んでいることを前提にモノを考えてんだ!?
ヤベエ……。俺、もしかしてかなり危険なレベルまで汚染が進んでるんじゃねえか?
肝心の桐乃はというと………。
ぎゃーっ!?何で目ェ閉じてちょっと上向いてんだよ!?その、見ようによってはエロゲヒロインの『受け入れ準備OKはあと』みたいに見える態勢をヤメロ!!
桐乃は、反応のない俺を不安に思ったのか、小さく身じろぎした。
「兄貴……」
蚊の鳴くような声。
その目の端には小さく涙が浮かんでいる。
それはまるで真珠の如く煌めいて……って、そういうのはいいから!エロゲがどうこうってノリがまだ残ってんな。
まあとにかくあれだ。俺はそれを見て、その……、桐乃を抱きしめちまった。
「……ん……」
桐乃は――――抵抗しなかった。
そのまま時が過ぎる。
随分長いことそうしていたような気もするが、たぶん錯覚だろう。
桐乃が抱きしめられたまま声をかけてきた。
「……ねえ、これだけ?」
「リクエストがあるなら可能な範囲で受け付けるぞ」
「…………ヘタレ」(ボソッ)
「? 聞こえるように言ってもらえんと対応しようがないんだが」
「べっつに!なんでもない!」
どうすりゃいいのかわからなかったが、上手くいったと思っていいのかね。取りあえず元気は出たらしいし。
そりゃまあ、『そういう』展開だって考えはしたよ?でもまさか実行するわけにはいかんだろ。
ゲームと現実は違う。桐乃だってよく言ってる。まあ、うっかり抱きしめちまったりはしたわけだが……。
こんなのはシスコンとかは関係ない。
妹が泣いてたら、苦しんでたら助けてやりたい、なんとかしてやりたい。
そう思うのは兄貴なら当たり前のことだ。そうだろう?
「……ん」
息が苦しかったのか、桐乃が身じろぎする。
「そろそろやめるか?」
「……もうちょっと」
「おう」
「……頭、なでて」
「おう」
桐乃の小さな『お願い』をいくつかきいて、またいくらか時間が過ぎた頃、俺はポツリと呟いた。
「やめちまえよ」
「え?」
「やめちまえよ、留学なんか。怖いんだったら無理してやることねえだろ」
そう、言ってやる。
「……そんなの、出来るわけない。お父さんに、あれだけタンカ切って、むこうの人たちにだって迷惑かけるし……」
「んなもん、俺が一緒に謝ってやる。親父のことは気にすんな。賭けてもいいが喜ぶはずだ」
「偉そうに……。ていうか何?そんな必死んなってさ。あたしがいなくなったら寂しいワケ?」
「当たり前だろうが」
「え……」
そう、当たり前だ。
たとえ嫌いなやつだろうがなんだろうが、それまで当たり前に居たやつがいなくなったら寂しいに決まってる。
ましてやそれが家族ならなおさらだ。
「おまえがいなくなったら寂しいよ、俺は」
「ふ、ふーん、あっそ。…………そっか、寂しいんだ……」
また少し沈黙が流れた。
「ねえ」
「ん?」
「ちょっと下向いて」
「おう、こうぶむぐ!?」
短い言葉にもかかわらず、俺は最後まで続けられなかった。途中で口を『柔らかいもの』でふさがれたからだ。
「?!??!!!??」
頭の中が大量の!と?で埋め尽くされてフリーズしてる間に、桐乃はするりと俺の腕から抜け出し背中を向けてしまう。
ようやく金縛りが解けた俺は、その背中を指差し、言葉にならない叫びを上げた。
「お、おおっおま、おまおまおま!?」
「……ちょっと、なんか下品なこと言おうとしてない?通報されたいワケ?」
言うか!下品なのはおまえだ!あやせみたいなこと言ってんじゃねえ!
「おま、おまえ!いきなり何しやがる!?」
「挨拶の練習。アメリカじゃ普通なんでしょ。ああ、一応あたしの初めてだから、そこは感謝しとくように」
「俺だって初めてだよコンチクショウ!!」
「えっ?何?あんたその年でまだキスもしてなかったワケ?うわダッサ」
「今さっき自分も初めてとか言ってませんでしたかねぇ!」
「あたしは良いの。中学生だから。女だから。あんたはダサいの。高校生だから。男だから」
くぅ!なにこの敗北感!勝手な理屈でめちゃくちゃ言われてるだけのはずなのに!
俺だってなぁ、彼女さえいれば……。
……分かってるよ。そもそも彼女作れるくらいならこんなことでバカにされたりしてねえよクソッ。
ハア……。もういいや。家族とのキスなんかノーカンだノーカン。
「つーか、いくらアメリカでも挨拶で口にはしないんじゃねえのか?」
「そうなの?」
「イヤ、知んねえけど」
「なにそれ」
バカじゃん、と。
背中を向けたままで言ってくる。
もしかしたら、笑ってくれてるのかもしれない。
「兄貴、ゴメンね」
唐突に、そんなことを言う。
「勇気、出ちゃった」
そう言って振り向いた桐乃の顔に浮かんでいたのは、自信に満ちた不敵な笑顔。
それは、俺のよく知るいつもの妹様のものだ。
「……そっか」
こいつはもう大丈夫だろう。
きっと向こうでもそれなりの戦果を収め、何かを掴んでくるはずだ。そう思っちまった。なら……。
「それじゃしょうがねえな」
なら俺に出来るのは、背中を押してやることだけだ。
そいつがそれを望んでて、大丈夫だと思えたなら、それがどんなにイヤでも、寂しくても、応援してやらなきゃならない。
それが兄貴の、家族の役目だ。
「うし!行ってこい、桐乃!」
「うん、いってきます。兄貴」
こうして、俺の妹はいなくなった。
妹がいなくなって二週間がたった。
だけど、それで俺の生活に何か影響が出たかというと、そんなことはない。
これまでだって、俺と妹の間に接点ができるのは、ときおり妹が切り出してくる「人生相談」とやらをうけているときだけだったんだからな。
それ以外では、基本的に会話をしないし、目も合わせないという関係が続いていた。
妹が家にいようと、いなかろうと、代わり映えなんてしやしねーのさ。
ていうかだ。
友達に心配かけてんじゃねーよ。あのバカ。
あいつはアメリカに渡ってから、こちらのだれとも連絡をとってないらしい。
俺はともかく、黒猫やあやせにさえだ。
こっちからメールを送ってもナシのつぶて。
まったく薄情な話である。
「お兄さ~ん!」
天使の声がした。
放課後、いつもの帰り道、いつもの丁字路であやせが声をかけてきたのだ。
あやせは、今にも踊り出しそうなほどの上機嫌で俺に走り寄って来る。
思わず後ずさる俺。
忘れてるやつもいるかもしれないが、あやせは俺のことを「近親相姦上等の変態鬼畜兄貴」だと思って毛嫌いしている。
ワケあって誤解を解くことも出来ないため、そのままにしてあるのだが……。
それが全開の笑顔で駆け寄ってきたときの恐怖が分かるだろうか。
えっ?何?俺とうとう殺されんの?
幸いにもその心配は杞憂に終わった。
あやせはごく単純に機嫌が良かっただけで、うっかり俺を嫌っていることさえ忘れていただけらしい。そんなうっかりがあるのかはともかく。
「誤解して抱きついたりしないでください!通報しますよ!?」
すでにやったみたいに言うなよ!まだなんもしてねえだろ!
「ったく、随分元気じゃねえか。こないだは「桐乃に嫌われたかも」とか言って泣きそうになってたくせに」
「あっ、そうなんですよ!今日、桐乃から電話があったんです!」
え?
「桐乃ってば留学するときに自分に縛りをかけたとか言ってるんですよ?むこうで一勝するまでこっちの誰とも連絡を取らないって。それで今日ようやく勝てたって、すごく嬉しそうにしてました!」
なるほど。連絡が取れなかった理由はそれか。らしいっちゃ確かにらしい。
そりゃ嬉しいだろうよ。大好きな友達とようやく話せるんだからな。あやせのはしゃぎっぷりを見ればよく分かる。
しかし、まぁ、なんだ。
べ、別に寂しくないけどな。俺には連絡ないからってよ。
「お兄さんのところにはもう連絡来ましたか?」
「うぐっ!?」
「あっ!もしかしてまだなんですか!?」
嬉しそうにしてんじゃねえよ!
ちくしょう……。
恨むような気持ちで携帯を取り出し睨み付ける。すると軽快な電子音が鳴り響いた。
「「え?」」
俺とあやせから同音異口に疑問符が漏れる。まさか……。
「桐乃からだ!」
びっくりした!タイミング良すぎだろ!
俺はあわててメールを開いた。中身を読み進めて……ボフッ!?
「お、お兄さん!?」
い、いかん。思わず吹いちまった。
つーかなんだこのメールは!?これホントに桐乃が書いたのか!?
なんていうか、あやせに見られると命に関わりそうな内容なんだが。顔に出てねえだろうな……。
なんかの間違いだろ絶対。でなきゃ悪質な冗談だ。
ていうかだな……
俺の妹がこんなに可愛いわけがない!
from 桐乃
Sub 無題
元気?
あたしはなんとか元気だよ。
今まで連絡とれまくてゴメンね?
詳しいことは今度説明するけど別に病気とかだったワケじゃないから。
ホントは電話したかったけど今日はもう消灯なんだ。
いっぱい話せると思って最後にしたら裏目っちゃった。
明日絶対電話するからたくさんお話しようね。
「ナニコレ……」
あたしは自分で打ったメールの文面を見て、呆然とつぶやいた。
アメリカに来て二週間が過ぎていた。
あたしは、自分の力ではこっちで通用しないと考え、自分に「縛り」をかけることでモチベーションを保つことにした。
一週間。
そのくらい頑張れば一勝くらいできるだろう。そう考えていた。
あたしとしては軽く見ていたつもりはなかったけど、それでも全然甘かったらしい。
結局、目標達成には予想の倍もかかってしまったけど、日本に心残りがあったら、これが一ヶ月でも勝てなかったかもしれない。
そう考えると、ここでどうにか勝てたのはあいつのおかげと言えなく、も、ない?……ような気がしないでもない。
だからまあ、ちょっとくらいお礼っぽいことを言ってやっても不自然なことはないだろう。
でも、これだと、なんか彼氏に宛てたメールっぽく見える、よう、な、気もする?
あのシスコンのことだからなんか勘違いするかもしれない。
ちゃんと注意しておくべきよね。
PS 浮気したら殺す。
アホか!あたしは!
なんだ浮気って!!
ゴロゴロと悶えていると、二段ベッドの上から怒声が来た。
「キリノうるさ~い!」
「わひゃい!?」
ヘンな声出た!
「もう消灯時間すぎてるんだからちゃんと寝てよ!」
「ゴ、ゴメンゴメン。もう終わるから」
その剣幕に、思わず携帯を背中にかくしてしまう。向こうから見えてるワケないんだけど、つい。
「むぅ~。明日もう一回勝負なんだからね!寝不足で負けたなんて許さないんだから!」
「分かってるって」
「ふんだ!」
このむちゃくちゃ態度悪いガキはリア・ハグリィ。
あたしのルームメイトで、多分世界一足の速い小学生。
今はこんな感じだけど、普段はもっと人懐っこい美少女だ。
それがこんなふうになってるのは、ようするにあたしに負けて気が立っているからだ。
同情なんかしないよ?明日はわが身、ていうか普段は逆なんだから。
それにリアが言っていたように、明日また勝負する、というか毎日勝負し続けているのだ。負けるつもりはさらさらないが……そう何度も勝たせてもらえる相手でもない。
こんなことを言うのはシャクだけど、次は多分負けるだろう。
まあ、明日のことは明日考えるとして、今はあいつに送るメールの内容を考えないと。
そう考えて再び携帯を覗き込むと、
「あ”……」
携帯には「送信しました」の一文が。
さっき背中にまわしたときにやってしまったらしい。
「ど、どうしよう……」
あんなメール見たらなんか勘違いされるかもしれない。ていうかPS……。
ふつうなら冗談だと思うところだろうけど、あのシスコンのことだ。万が一本気にして、しかもその気になってたりしたら……。
「……ま、いっか」
うん、大丈夫。全然問題なし。そうに決まってる。
さあ、もう寝よう。
リアに言われた通り、寝不足で負けたなんて言いたくない。
あいつはあのメールを見てどんな顔をするだろう。
「へへ……」
思わず笑みがもれる。
明日は練習が終わったらすぐに電話しよう。
きっとメールのことを聞いてくるだろうから、思い切りからかってやろう。
それですごく足速い子に勝ったって自慢して……。
明日も勝ったらもっと驚くかな?
その「ご褒美」があればまた勝てるかもしれない。
「おやすみ。京介……」
今日はいい夢がみれそうだ。