それはわたしが自分の部屋で勉強しているときのことでした。
部屋の中心に突然穴が開きました。
何を言っているのか解らないかと思いますが、他に言いようがありません。
あ、申し遅れました。わたしは新垣あやせ、ごく普通の中学三年生です。
えっと、穴のことですが、完全に部屋の真ん中、床や天井ではなく空間に穴が開いてます。
その穴から手が出てきて淵を掴み(掴めるんだ……)力ずくで押し広げます。そして、そこに身体をねじ込むようにして妙な服装の女の人が姿を現しました。
少し狭いのか、彼女は身をよじりながらこちら側に抜け出ると、ビシィ!とポーズを決めて高らかに名乗りを上げました。
「愛の天使ラブやん!見~~参っ!!」
天使。
言われてみれば確かにそのように見えなくもありません。
白くヒラヒラしたギリシャっぽい服。背中から伸びた白い大きな翼。頭の上に浮かんだ輝く輪。若干、蛍光灯を思わせる輝きですが。
そんな天使が突然現れたなら、とるべき行動は一つです。
ピッピッピッ
「もしもしポリスメン?イエス犯罪者」
「ノウ!犯罪者!」
ラブやんと名乗る自称天使に携帯を取り上げられてしまいました。
「フゥ……。一瞬の迷いもなく通報とは中々やるわね、子猫チャン」
「返してください。なんなんですか、あなた」
「初めに言ったじゃない。人の話はちゃんと聞きなさいな」
やれやれ、と大仰に肩をすくめる不法侵入者。
よく分かりませんがムカつきます。なんなんでしょうこの人。ブチ殺されたいんでしょうか?
「もう一度言ってあげるからよく聞きなさい。あたしはラブやん!愛の天使!いわゆるキューピットってやつよ!」
なるほど。つまりはかわいそうな人ということでしょう。
「あたいはあなたの愛の波動に引かれてやって来たワケよ。さあ!あなたの恋を叶えてあげるワ!」
「間に合ってます。お引き取りください」
通報はしないであげますから、と付け加えてドアを指さしました。ですが、出ていく気配はありません。
「フッ。そういうワケにもいかないのよ。そろそろ点数稼いでおかないとお給料がヤバいし」
「……キューピットって職業なんですか?」
「そりゃそうよ。仕事でもなきゃ誰もやらないでしょこんなこと」
「純真な女子中学生になんてことを」
カップル作ると企業にどんなメリットがあるんでしょうか?
それはともかく困りました。どうやって追い出そうか考えていると、コンコンッとノックの音が響きました。
「あやせ、誰か来てるの?」
お母さんでした。
ちょうどいいのでお母さんに手伝ってもらいましょう。
警察を呼ばれるかも知れませんが気にしていられません。面倒ですし。
「お母さん。なんか変な人が勝手に入って来て……」
「? 誰もいないじゃない」
「えっ?」
逃げたのかと思って振り返ると、変わらずコスプレ女が立っていました。
「ムダよ。あたしの姿はあなた以外には見えないし、声だってあなたにしか聞こえないわ」
彼女はそう、悠然と腕組みして笑います。
確かにお母さんには彼女の姿が見えていないようです。ということは、わたしの脳が産んだ幻ということでしょうか?
「言っとくけど幻覚とかでもないわよ」
わたしの考えを読んだかのように言うと、机の上の参考書をひょいっ、と持ち上げました。
「えっ?」
お母さんが驚いたように目を丸くし、手の甲でゴシゴシと擦りました。その間に彼女は参考書を元に戻します。
「ねえ、あやせ。今、その本が浮かび上がらなかった?」
「き、気のせいじゃない?」
咄嗟に誤魔化してしまいました。
「……そうよね。疲れてるのかしら。あやせ、あなたも根を詰めすぎないようにね」
お母さんはそう言って出ていってしまいました。
「……」
お母さんからは姿が見えていないのに、持ち上げた本は見えていた。
つまり、彼女は本当に『居る』ということです。
「……えっと、ラブやんさん、でしたっけ?本当にキューピットなんですか?」
「フッ。ようやく信じる気になったようね。ま、あたしが来たからにはどんな恋だろうと楽勝よ。大船に乗ったつもり でいなさい。タイタニックとかそんな感じのヤツ」
「沈むじゃないですかそれ」
ラブやんさんはわたしの突っ込みを無視して話を続けます。
「敵を知り己れを知ればハクセン菌殲滅!まずは相手の男を観察よ!とゆーワケで、ラブ穴!」
「ええっ!?」
ラブやんさんは空中に手を突っ込んで穴を空けてしまいます。
「……これ、出てきたときのと同じやつですよね?どうなってるんですかこれ?」
「これはキューピットが標準装備してる能力でラブ穴というものよ。ラブ時空を経由して好きな場所に移動することができるのよ」
「さっきから思ってたんですけどそのネーミングは何とかならないんですか?」
「ならないわ」
「……じゃあ仕方ないですね」
「で、あなたの想い人は彼で間違いないわね?」
ラブやんさんは穴の向こう側を親指で指します。
なんで何も言ってないのに相手とか分かるんでしょう?キューピットってそういうものなんでしょうか?
とりあえず確認するためにも穴を覗きこんでみました。
「!!??」
穴の向こう側には、わたしの親友である高坂桐乃のお兄さん、高坂京介さんがいました。
わたしはお兄さんのことなんか別に好きじゃありません!みたいなセリフは出てきません。そんな余裕はありません。
お兄さんは、なんというかその……全裸でした。
「あら、おフロだったみたいね」
「なななななんですかこれ!?なんでおフロなんですか!?」
「いや、フロくらい入るでしょ。今日雨だし濡れて帰ってきたんじゃない?」
「そうじゃなくて!なんでわざわざ覗きなんか……!」
お兄さんは髪を洗っていてこちらが見えていないようです。
うわ……!お兄さん、意外とたくましい……!
「デバガメになっちゃったのはたまたまタイミングが悪かっただけなんだけど……。んなガン見しながら言わんでも」
「みみ見てない!見てません!」
「いーじゃん別に、裸くらい。減るもんでもなし。……おや、中々ご立派な」
「◎△☆※□◇×!?」
プチン
「せっ!!」
「目が!?」
「終了!」
目を押さえてゴロゴロとのたうち回るラブやんさんを尻目にラブ穴をふさぎます。(普通にできました)
まったく、なんてモノを見せてくれるんでしょうか。あんな………………………………………だ、だめですお兄さん!桐乃に見られちゃう!
「……なに悶えてんの?」
「せっ!!」
「効かぬわ!!」
チィッ!二度は通じませんか!
「で、あらためて聞くけど、彼があなたの想い人で間違いないわね?」
「違います。なにバカなこと言ってるんですか」
まったく。なんでわたしがお兄さんのことなんか。
あんなシスコンの変態を好きなワケないじゃないですか。
あの人の長所なんて、せいぜい優しくて真面目で一生懸命で誠実で努力家で頼りがいがあって友達想いで妹のためならどんな大変なことでも必ずやり遂げる程度しかないんですよ?
「……思っていた以上にデレッデレね」
「デレてません」
「フッ。そんな意地を張っていていいのカシラ?」
「……どういう意味ですか?」
「あなたのお友達、さっきの彼の妹さん」
「! ……桐乃がどうかしたって言うんですか?」
もし、桐乃に何かするつもりならブチ殺します。
「……なんで突然ターミネーター的な気配を放出しだしたのか分からないけど、このまま放っておけばどうにかなってしまうかも知れないわ」
「どういうことですか!」
「ちょっ!怖いんだけど!?刃物はナシで!」
……仕方ありません。一度落ち着きましょう。……死体からは何も聞き出せませんし。
「で?どういうことですか?」
「……あの、あたしが悪いわけじゃないからね?ここ大事よ?」
「さっさと話してください!」
「ヒィ!?」
なにか、見てはいけないモノを見てしまったかのようにビクンッと震えるラブやんさん。なにをそんなに怯えているんでしょうか。おかしな人ですね。
「え~と、あなたのお友達だけど、良くないものに取り憑かれているわ」
「良くないもの?」
「ええ、奴の名は凶獣カズフサ。キューピットの力を悪用する最悪の魔神よ」
「……それに取り憑かれるとどうなるっていうんですか?」
「おそらく奴はお友達を彼とくっ付けようとするでしょうね」
「な……!桐乃とお兄さんは実の兄妹ですよ!?」
「関係ないわね。奴のエロゲ脳にかかれば血のつながりなんて障害どころかエロスの加速装置に過ぎないわ」
「…………キューピットの力を使うってことはあなたのお仲間ってことですよね?」
「光彩の無い瞳で無表情に見つめるのはやめて!怖いから!」
「それで?どうすれば桐乃を護れるんですか?包丁で大丈夫ですか?」
「あ、いや、刺すのはナシの方向で。え~とね、つまりあなたが彼と先にくっ付いちゃえば奴も諦めるしかなくなるってことで」
……ようするにわたしに犠牲になれと?
とんだ天使もいたものです。
しかし気になるのは確かです。
カズフサというのがどういうものかは分かりませんが、お兄さんはシスコンだし、桐乃もなんだかんだいって怪しいですから。
なにかきっかけがあれば、本当に兄妹で付き合うなんてことになりかねません。
「でも、やっぱり、わたしがお兄さんと付き合うなんて……」
「踏ん切りがつかないようね」
ラブやんさんは、懐から糸を結んだ五円玉を取り出すと、わたしの前で揺らし始めました。
「いいこと?あなたと彼は幼なじみよ」
「あの……?」
「いいから。あなた達は親同士の仲が良くて小さな頃からよく一緒に遊んでいた。あなたは彼によくなついて彼もあなたに優しくしてくれた。」
「幼なじみ?」
「苦しいときには守ってくれて、辛いときには助けてくれて、いつも傍にいてくれる素敵な男性。親しみはやがて愛へと変わり、彼もまたあなたを意識し初める」
「わたしと、お兄さんが……」
「勇気を出しての告白。初めてのデート。互いに高まりあう二人の気持ち。そしてついに彼からのプロポーズ……!」
「……ぷろ、ぽおず……」
『あやせ、結婚しよう』
『通報しました♪』
「……いつもと変わらないような」
「アレ!?じゃ、じゃあ兄妹!あなた達は血のつながらない兄妹ってことで!」
「兄妹?」
「そう!幼い頃から共に育った男女!一つ屋根の下で過ごす近しい異性!」
「わたしと、お兄さんが……」
「いやが上にも高まるリビドー!そして二人はついに……!」
「……おに、いさん……」
『あやせ……!おまえが欲しい……!』
『ダ、ダメです……!だって桐乃もあなたのこと……!』
『あやせ!俺はおまえが!実の妹じゃなくて、義理の妹のおまえが……!』
『ああっ、そんな……!』
「お兄さんの義妹は、わたし一人で十分です…………!」
「ィよっしゃ――!」
「ラブやんさん!わたし、どうすればいいですか!?」
「ヨォ―し!まずはあなたの特技を教えてもらえるカシラ!?」
「ハイキックです!」
「ならば!そこを徹底して磨くわよ!」
「ハイ!師匠!」
そして特訓が始まった!
その訓練は壮絶を極めた!
早朝のランニングに始まり、各種筋力トレーニング、その辺の通行人を捕まえての組手に過酷な食事制限!
ラブやんはよくあやせを支え、あやせもまた愚痴を言うこともなくラブやんに付き従った!
二人の間には確かな信頼が芽生えていた!
そして一週間の時が過ぎた!
「ぐふぅ!」
大きく吹き飛び、ガクリと膝をつくラブやんさん。
「まさかこの短期間でキュピ道奥義『こども煉獄』までモノにするなんて……。どおやらあたいが見込んだ以上の逸材だったみたいね」
ラブやんさんはわたしを見上げて嬉しそうに、そして少しだけ寂しそうに微笑みます。
わたしはそんなラブやんさんの手を取って目の幅の涙を流しました。
「ラブやんさんのおかげです。あなたが居なかった、わたしはきっと……」
「フッ。泣いてる暇はないわよ。さぁ、行きなさい!あなたは、新垣あやせなのだから!」
「はい!ありがとうございます、師匠!」
わたしより、強いやつに、会いに行く!
いつもの放課後のいつもの帰り道。
わたしとお兄さんは時々ここで会うことがあります。
「お兄さん」
「おお、あやせ。こんなとこで奇ぐ『絶招・こども煉獄!』げフぅ」
「やりました!ラブやんさん、勝ちました!」
喜びにガッツポーズをとりながらラブやんさん(人間バージョン)に報告します。
「勝ってどーするんデスカ」
…………。
倒れたお兄さんを眺めてしばし考えます。
「ここからどうすればいいんでしょうか?」
「あたしに聞かれても。……あれ?どこで間違ったんだっけ?」
後頭部をポリポリかいて疑問符を浮かべるラブやんさん。
「とりあえず、その辺の路地裏にでも運ばない?その彼。ここじゃ人目につくし。その後はズボン下ろすなり何なりお好きなように」
「そうですね。獣欲ゴーセッ○スとも言いますし」
「エエッ!?ナニそのタフなリアクション!?そして何故そのフレーズを知っている!?」
お兄さんを抱え上げようと脇に手を差し込みます。
そこで不意に声をかけられました。
「……あやせ?何やってんの?」
「き、桐乃!?」
「それ、兄貴だよね?え、そいつ何で伸びてんの?」
ど、どうしましょう?桐乃に見られてしまいました。
「あ、あのね、これは違くて」
「……まさかと思ってたけど、ホントだったんだ。あやせが悪魔に取り憑かれてるって」
はい?
「あの、桐乃?なにを言って……」
「とぼけないで!無理矢理兄貴の妹になるつもりでしょう!?」
「なっ、何でそれを!?」
「そんなの許さない……!兄貴と添い遂げるのは実の妹であるあたしの役目よ!!」
「桐乃が壊れた!?」
いったいどうしてしまったのでしょうか?いつもの桐乃なら、例え内心がどうあれこんなことを口に出したりはしません。
と、そこまで考えてある可能性に思い至りました。
「桐乃、あなたまさか、カズフサにそそのかされて……!?」
「へぇ……。カズフサのこと知ってるんだ?てことはやっぱラブやんに取り憑かれてるのね」
なんてことでしょう。桐乃は悪魔にたぶらかされて完全に正気を失っています。しかもこの口ぶりだと、ラブやんさんこそが悪魔だと思い込んでいるようです。
「目を覚まして桐乃!ラブやんさんは悪魔なんかじゃない!カズフサの方が悪魔なのよ!」
「そんなことない!カズフサはあたしと兄貴のこと応援してくれたもん!」
「だからそれがおかしいでしょう!?兄妹での恋愛を応援とか!」
「おかしくないわよ!愛の天使がそう言ってるんだから!そっちこそ疑問に思わないワケ!?恋人ならともかくワザワザ妹になろうとか!」
「義理の妹なら結婚には何の支障もないじゃない!」
らちが明かず、桐乃としばし睨み合います。
なぜこんなことになってしまったのでしょうか。わたし達は親友なのに……!
哀しいことに今の桐乃にわたしの声は届きません。
ならば、桐乃の目を醒まさせるためには……!
「「!」」
わたしがお兄さんの腕を掴むのと同時、桐乃もまた反対側の腕を掴みます。
「桐乃……放して……!」
「あやせこそ……放しなさいよ……!」
わたしが選んだのは強行手段。
お兄さんを味方につければわたしの目的も達せられ、桐乃を開放することができるはず。
ですが桐乃も同じことを考えたらしく、身動きの取れない状態になってしまいました。
桐乃はすごい力でお兄さんを引っ張り、わたしもそれに負けないように踏ん張ります。
こうなったら徹底抗戦です。
「妹の座は、わたしのものです……!」
「兄貴の子を産むのはあたしよ……!」
一人の男を奪い合う二人の少女。
ラブやんはそれを眺めながらぼんやりと立ちつくしていた。
ついて行けない。
それが正直な感想である。
煽るだけ煽ったはいいものの、テンションについて行けずに置いてきぼりをくらってしまった。
もっとも、ラブやんにとってはいつものことと言えばいつものことだが。
「ラブやん、お疲れ~」
「あ、フサさん、お疲れ」
ラブやんに声をかけてきたのは長身に眼鏡の男だった。
彼の名は凶獣カズフサこと大森カズフサ32才。
一見キモいが中身はもっとキモい。
ロリ・オタ・プーと三拍子揃った、日本には掃いて捨てるほどいるタイプのダメ人間である。
「いやマイッタわ。あっちの娘、ターゲットと実の兄妹だっていうから、これはムリかな~って思ったらなんか超乗り気なんだもん。焦ったわ」
「あぁ、うん。そうみたいね」
「オレもさ、『お兄ちゃん』て呼ばれるのに憧れとかあったけどさ、ああいうのリアルで見ちゃうとさすがに引くわ」
「おおぅ、フサさんも実はまともな感性持ってたのね。でもそれ、普段アンタがリアル幼女にハァハァしてるのを見てあたしがいつも思ってることなんだけどその辺はどうなの?」
「んでさ、賭けてた焼き肉屋のビール飲み放題の券なんだけど」
「どしたの?」
「期限昨日で切れてた」
「うっそマジで?」
「ゴメン、ちゃんと確認しとくべきだった」
「あー、まあいいわよ別に。あたしもあの二人が兄妹だって黙ってたワケだし」
「やっぱ分かってて押し付けたのかキサマ」
要するに、この二人はしょーもない賭けのためにキューピットとして勝負していたわけだ。
あやせ達はたまたま二人に目を付けられて巻き込まれたのである。
気絶した京介に大岡裁きをかける二人の少女。
それを遠くに見やり、どちらからともなく口を開く。
「……しゃーない、帰るか」
「……そうね」
自分達で始めといて投げっぱなし。
それもやはり、二人にとってはいつものことだった。
「ちょっとカズフサ!手伝いなさいよ!?」
「ラブやんさん、力を貸してください!」
京介が目を覚ます頃には、二人ともどうにか正気に戻っていたらしいです。