ブリッツを操るニコル・アマルフィは、旗艦から送られてきた緊急電文に目を疑った。
「撤退命令……ヴェサリウスが奇襲を受けた!?」
信じられない内容だった。
足つきとストライクは、まだ追えなくもない距離にいるが、とにかく命令が優先だった。
ヴェサリウスの損害が不明。
クルーが脱出するレベルなら、それを助力せねばならない。
撤退命令は出たが、足つきが戦域を離脱していく以上は撤退戦の必要はない。
こちらは黙って帰還するのみだ。
しかし。
《……ストライク!! まだ勝負は終わってない、戻ってこい! くそぉ!》
《マジかよ、何でヴェサリウスが……》
通信から聞こえる限り、イザークは頭に血が昇っていてディアッカは動揺していた。
特にイザークはかなり血の気が荒くなっている……負傷したのかも知れない。
ニコルには彼らを纏める自信はなかった。
アスランが話してくれれば、文句を言いながらも二人は動くのだが、イージスは損害が酷いのか通信機が故障しているのか、黙ったままだ。
ミゲルが居てくれてよかった……彼にイザークとディアッカの纏め役をお願いすると、ニコルはブリッツをイージスに接触させる。
接触回線だ。
「アスラン、大丈夫ですか! 怪我は? 通信は受けとりましたか? ……ヴェサリウスが奇襲を受けたそうです、撤退命令が出ました。帰還しましょう、動けますか?」
《……ああ。了解した》
ニコルは安堵した。
外から見てイージスの損傷はそれほどでもなく、アスランの声も沈んではいるが、しっかりしていた。
少なくとも酷い怪我はないようだ。
デュエルとバスターも、ハイマニューバに引きずられるように帰還コースに入っている。
目的は達成できなかった。
ストライクは片腕、片足を破壊してやったが、足つき共々逃げられた。
こちらは全機が損傷だ。ジンとパイロットも一人失った。
負けてしまった。
ものすごい腕のパイロットが居るものだと、ニコルは苦い思いを飲み込んだ。
足つきの戦闘能力もかなりの物だったが、あのストライクはさらに凄かった。
自機への攻撃を捌きつつ、艦への攻撃を妨害してついには離脱してのけた……モビルアーマーが来たとは言え、それでも5対2だ。
本当に同じシリーズの機体なのだろうか。 ブリッツにも搭載されていた滅茶苦茶なOS、それを積んでいたはずの1機とは思えない。
ストライクの動きを思い返すニコルに、アスランから謝罪の言葉が届いてきた。
《ニコル、済まない》
「気にしないで下さい、次は皆の仇を取ってやりましょう」
《……そうだな》
意識的に明るく振る舞うニコルだったが、アスランの声色は沈んだままだった。
ヴェサリウスでは、クルー達がダメージコントロールに追われていた。
メビウス・ゼロが砲撃戦とデブリに紛れて接近。奇襲を許し、艦に損傷を負ったのだ。
欲張る事もなく、一撃を与えてさっさと離脱をする動きは憎たらしい物だった。
艦内では火災や有毒ガスが発生し、その対処に追われていた。
アデスが状況の報告を行ってきた。
「クルーゼ隊長、火災の方は消火いたしました。
右舷側通路にて発生したガスは除去中。エンジンへの被害は修理可能です、ただし、艦の稼働効率は……」
「アデス、ヴェサリウスの方は一時任せる。モビルスーツ隊の収容もだ。私はシグーで出る」
沈みはしない。
それが確実になったところで、クルーゼが追撃にかかると言ったのだ。
足つきとの距離は微妙なところだ、それに搭載している戦力はストライクだけではなかった。
モビルアーマーとは言えゼロがいたのだ。ゼロなら乗るのはエースだ……さらに他にいないとも限らない。
いかにクルーゼと言えども単独では。
「危険かと考えますが?」
「モビルアーマーを抜けて、足つきのエンジン部を叩いてくるだけだ。デブリで動きは鈍っている、ここから更にデブリベルトに入り込まれるのも面倒だ。
通信を読む限り、ストライクは大破……には遠いか、推定で中破と見る。ならば、やれるだろう?」
アデスが苦い顔で見送る。
クルーゼがブリッジを出ようとした所で、オペレーターの一人がそれを制した。
少しばかり大きめな声での報告だった、ブリッジ全体に不足なく届くような。
「クルーゼ隊長、本国より入電です。
中立国の民間人に対しての攻撃は慎重を期する必要あり、攻撃は待たれたい。速やかに現作戦を終え帰還せよ……以上です」
聞こえないとの言い訳はできなかった。
クルーゼは立ち止まり、微笑を浮かべつつ無言でアデスを見る。
彼はどこ吹く風といった感じだった。
実際、アデスは別に何もしていない。
ただ、偶然オペレーターがこっちを見てきたので、頷いてやっただけだ。
そのオペレーターがどちらかと言うと穏健、和平派の考えに近く、頭の回るベテランなのも偶然だった。
連絡をしたのは穏健派の評議員かその辺りだろう。
クルーゼは笑みを浮かべたまま、指示を下した。
「……本国へ打電。
了解。本艦は現在、損傷により応急修理中。終わり次第帰還する。以上。……アデス、ガモフに打電だ。
ヴェサリウスと合流、周辺警戒に当たれとな。今度は送り先を間違えるなよ?」
アデスはクルーゼの皮肉に生真面目に返事をすると、指示を下し始めた。ベテランらしく揺るぎもしない。
クルーゼは平然としていたが、内心では舌打ちしていた。
ブリッジクルーは何が起きたのかを、何となく察している空気だ。
クルーゼの微妙な強引さを、アデスが止めた、と。
ここでクルーゼが本国の命令を無視して見せれば、信用が失墜する。
それが分かるから、クルーゼは攻撃中止を当然の如く振る舞った。……まだ、ザフト内での立場を決定的に崩してしまうのは早かった……正直、迷っているが。
(……温くなったなアデス、お前もそのうちに消えてもらう方がいいかも知れんな……)
クルーゼは次の戦局と、評議会への説明を考え直す。
足つきとストライクが今後、どれだけの損害を与えてくるかは考慮しない。
必要な事はいかに混乱させるかだ。
ザフトの将兵が今回のつけを、命で支払う事になってもクルーゼが知った事ではない。
本国からわざわざ命令が来たのだ。ここで止まるのはクルーゼの責任ではない……手札はまだあるのだ。
ヴェサリウス艦長のフレデリック・アデスは、この日、足つきとストライクをここで叩ききらなかった事を、死ぬまで後悔するはめになる。
ただそれは、ストライクの戦果が積み上がっていく前。
今の段階では分かりようがなかった。……アスラン達がもうすぐ持ち帰る映像を見て、背筋を凍らせるのが最初の後悔になる。
ヴェサリウスへの帰還、合流をしたアスランは、ストライクから受け取った文章データを抜き出して、イージスを降りた。
整備兵達からの視線が痛かった。気のせいではない。
前回の戦闘時の、通信ログの話が広まったのだろうと感じた。
言い訳は出来ない。
クルーゼから許可はもらったとは言え、それはアスランとクルーゼの間での話だ。
撃破命令での出撃。ところが説得の許可を……つまりは手加減の許可をもらっておいて失敗。1名戦死。
おまけに《敵》からメッセージを受け取って帰還。
疑われて当然だろう。
今回の件もまた、影響はあるはずだ。父に申し訳ないと感じた。
それでもメッセージを他人には見せたくなかったのだ。
クルーゼ隊はヴェサリウス、ガモフ共に本国へ帰還する。そう聞いて複雑な心境だった。
足つきの追跡の一時中止。
それにホッとしている自分がいるのだ。説得する機会はまだ有るかもしれないと。
今回の件が自分や父の立場に、悪影響をもたらしそうなのも分かってはいるのだが。それでも、まだキラを信じてみたいと考える自分もいる。
そしてそんな自分に腹も立つのだ。
イザークの顔に負傷の痕を見てからは更に。
アスランはイザークに謝罪したが、気が立っているらしく、意味の無い謝罪はするなと怒鳴られた。謝るくらいならストライクを落とすのに手を貸せ、と。
意味はあるのだ。
ブリーフィングルームでも、クルーゼには何も言われなかった。
他のパイロット達が、アスランとキラの事を聞いていないのも、クルーゼの言った通りらしい。
誰にも何も言われない。
君たちは『精一杯』戦ってくれた、だの『残念ながら』戦死した者の仇を討つために次は『一層の尽力』を……、だの。
パイロット全員を労う言葉をかけられた。
ミゲルやイザーク達は、データから吸い出され、分かりやすく編集されたストライクの動きに衝撃を受けていた。
だが、若者らしく、次は必ず落として見せると意気をあげていた。仲間の仇だと。
それらの言葉はアスランには辛かった。
いっその事、キラの方から明確に敵だと言ってくれれば迷いもなくなるのに……そんな考えが浮かんだ。
割り当てられた部屋に戻ってベッドに倒れこむ。
二人部屋なのにアスラン一人しかいない。
もう一つあるベッドの上には、まとめられた荷物が固定されていた。
《G》の奪取時に戦死した、ラスティの物だ……アカデミーの同期、いい奴だったのに。
キラからのメッセージを読み始めるのにも、しばらくかかってしまった。
何が書かれているのか、確かめるのが怖かったのだ。
読みたい気分と、読みたくない気分に挟まれる、期待と不安だ。
連合の兵として戦うと、書いていてほしい。
やはり、ザフトに来て一緒に戦うと書いていてほしい。
アスランはどちらかを期待した。
迷った末に読み始めると…………書かれていたのは、どちらでもなかった。
「……」
読み進めるアスランの表情が変わっていく、始めは困惑、次に疑念。そして怒り。
そこに記されていたのは、言い訳やただの思い込み、もしくは妄想とも受け取れる物だった。
オーブ国籍を持つ民間人である事。
戦争を避けて、両親とへリオポリスに移住していた事。
ザフトと連合の戦闘に巻き込まれ、偶然にモビルスーツに乗り、アークエンジェル……足つきに避難する状況になった事。
友人が一緒に乗っている事。
軍人になったのではない事。
自分の身を守る為と、友人達、見知った人達を見捨てられない為に、モビルスーツに乗っている事。
けっして戦いたくて、戦っているのではない事。
そして、アスランの友を撃ってしまった事を申し訳ないと感じていると。
ここまでは分かる。ここまでは。
混乱しつつもアスランは……いや、正直理解しがたい。が、キラが何を言いたいのかは分からなくもないのだ。
何とか、理解は可能な言い分と、思えなくもない。
しかし、その後は。これは何だ。これは……?
コーディネーターとナチュラルの対立は煽られている。
ブルーコスモスが裏に居る。アスランの父親を止めてほしい。
プラントと地球は戦っても原因は排除できない。
溝は埋まらない、このままではいけない。和平を考えてほしい。力を貸してほしい。
プラント評議会の和平派と接触を持ってほしい。
ラウ・ル・クルーゼは危険な相手で、信用がならない。
L4のコロニー・メンデルを調べてほしい、アル・ダ・フラガという人物の事を調べてくれれば分かる。
こんな内容だった。アスランには全く訳が分からない。
何を言っているのか?
さらに、最後に書かれている最後の一文。
それは、本来であればアスランに考えを改めさせるのに十分な物だった。そのはずだったのだ。
だが、今の精神状態のアスラン・ザラには、それはある種の止めに近かった。
戦場で会いたくない。
友達だから。戦いたくない。
アスランは納得した。
キラは正常ではない、おかしくなってしまっている、と。
「……あの、大バカ野郎……!」
地球軍に志願したのではなく、オーブ国籍を持って地球軍で戦っている。……事実だとしたら犯罪だ。
オーブの民間人が何故、戦闘行為をするのか。
地球連合が、オーブ軍が責任を持って降伏すれば済む話ではないか。
友人や知り合いが居て放っておけない。
だからザフトの将兵を殺すのか?
民間人が民間人を死なせたくないから、モビルスーツに乗って戦闘行為を行うと? それも犯罪ではないか。
あげく、戦いたくないとはなんだ?
何を言っているんだ。散々撃っておいて戦いたくない? どれだけ身勝手な事を言っているのか、分かっているのか?
ブルーコスモスが戦争を煽っている。その程度は知っている。これでも評議員の息子だ。アカデミーでも散々習った。
だから開戦したんだ、奴等を排除するために。
父が煽られている? その通りだ、煽ったのは地球連合だ。
和平案? 話し合いができるなら、とっくにやっている。できないから戦争をしているんだ。
これはただの願望だ、人の立場を考えていない。
だいたい、さっき本人が言ってきたではないか。
自分の意思で戦っているんだと。
つまり連合を選んだのだろう、連合のモビルスーツでザフトと戦うと。
……アスランには分かる訳もないのだが、キラにも言い分はあった。
キラにしてみれば全く書き足りなかったのだ。
本当は、自分の出自や、それに関してのクルーゼの事。
ザフトの作戦の過激さを増すやり方や、それに応じていく地球連合のやり方への疑問。
確かに存在している和平派、穏健派の事など沢山あった。
核とジェネシスの撃ち合い、激化していき、取り返しがつかなくなる戦況。
加速度的に増える死者。翌年にまた始まる戦争。
その後にやって来る、火種が無くなっていない、何も解決していない短い平和。
たくさん、あったのだ。
しかし、未来の情報は書けなかった。
いや、書けない事が多すぎたのだ。
キラはアスランにメッセージを送ろうと思った時に、余りにも自分に知識がないのを思い知ったのだ。
だから、書けなかった。
CE71年の、キラが知り得る情報と、どうしても伝えたい話を書くしかなかった。
そしてアスランの事を友として考えた。
ザフトのアスラン・ザラの事を考えられなかったのだ。
だから、アスラン・ザラにとってこれは、もはや敵の情報工作にしか見えなかった。
少なくとも未確認情報がある以上、そのまま信じる訳にはいかない。
アスランは若すぎた。
キラは《クルーゼの言った通り、連合の》兵士になってしまったと思ってしまったのだ。
待遇の酷い、民兵扱いだと。悪質な偏向情報に引っ掛かってしまったのだと。
自分が、自分も偏向的な情報に溺れている可能性を、思い至らなかった。
「キラ……ヤマト……!」
もし、これをへリオポリスで受け取っていれば。
メッセージをもっと早く読めていれば。
キラがアスランの立場をもっと理解していれば、もっと送る内容に気を回せば。
クルーゼの、アスランに対する精神的な縛りが無ければ。あるいは……。
だが、いずれにせよ。
いずれにせよ、許す訳にはいかなかった。
プラントを否定するものは、撃たねばならない……撃たねばならないのだ。
ザフトのアスラン・ザラは。
アークエンジェルの艦長室では、マリュー、ナタル、フラガ。そしてキラと、保安部員の下士官2名で話し合いが持たれていた。
フラガからマリューとナタルに、内密の話があると持ちかけたのだ。……内密と言っても、既に整備班や保安部には広まりつつあった話だが。
「友人って……」
「……」
マリューとナタルは絶句した。
さすがにフラガも言い方に気を使ったのだが、艦長と副長が知らなかったでは済まされない。
万が一を考えて拘束されたキラの前で、フラガは話を済ませてしまった。
キラの予想に反して、マリューからもナタルからも追求は甘かった。
いや、二人とも頭を抱えたと言うのが正しい。
アークエンジェルはアルテミスに入れなかった。
味方から見捨てられて、艦体に傷を負い、通信が困難なデブリ帯へ逃げ込んだ。
ここから独力で、最低でも地球連合軍の勢力圏まで行かなければならないのだ。
キラを排除してしまえば、頼れるのはフラガのみだ。
だが、当のフラガは「哨戒部隊でもジン4機は積んでいる」と言って、次か、その次のザフト艦と遭遇した際は、防御に責任は持てないと言ってきた。
ナタルですら無言で青くなっているのだ。
CIC指揮官の彼女は、現在のアークエンジェルのミサイル、近接防空火器の残弾の乏しさを思い知らされている。
彼らの救いは、キラが、アークエンジェルと敵対するつもりも逃げるつもりもない、と、明言している事だった。
保安部の下士官も心配そうにマリューを見ている。
キラと敵対すれば自分達も死ぬ可能性が上がるのだ。
悩みに悩んだマリューは、判断を一時保留にして、引き続き協力をお願いする。としか言えなかった。
キラは割り当てられたベッドにフラフラとたどり着いた。まだ監視はつくが独房ではなく、居住区にベッドをもらったのだ。
疲れた。
そういえば、ストライクのコックピットで目を覚ましてから、ろくに休んでいなかった。
目を閉じると、いろんな事が思い起こされた。
アスラン、フレイ、ラクス、カガリ、オーブ、父、母。
友人達、プラント、連合、ブルーコスモス、そしてクルーゼ。
たくさん考えねばならない事がある。
上手くやろうと思ったのに、状況が目まぐるしく動きすぎて、できたかどうか自信がない。
ここで眠り、次に目を覚ましたら、自分はやはり死後の世界とやらにいるのではないだろうか。
そう思えてしまう。
アスランはメッセージを読んでくれただろうか。
彼はあんなに頭が固かったか。何故……あそこまで。
不安が襲ってきた。
撃つか、撃たないか。紙一重だった。
次は……次があるなら、本当に撃たなきゃならないかもしれない。
他にも考えねばならない事は多かったが、さすがに疲れた。
うとうとし始めた頃、側につく保安部員達から、労いの言葉をかけられた気がした。
思考を放棄してキラは眠りについた。
キラはほんの少しだけ世界を知った若者で、アスランは少しだけ戦士になっていた子供だった。
それだけの違いだった。
長々とお付き合い頂きました。
これで何とかアークエンジェルは一息入れられます。
キラとアスランのすれ違いはちょっと強引でしたかね。
次は、プラントと連合の上の人たちのお話やら、(書かないかも……もしくはあっさり? オーブ国内とか? 書かないかも?)
アークエンジェル内部の態勢の建て直しの話になるかなー。
やっとフラガをモビルスーツに乗せる訓練ができる。
(゜д゜)ふー。