「……え……? うわっ!?」
キラ・ヤマトはまったく唐突に意識が覚醒した。
いや、世界が揺れていたから無理矢理に覚醒させられた、というのが正しい。
いきなりの狭い空間に、身体を突っ張るようにして立っている自分に気付いたのだ。
振動により頭を天井にぶつける。
痛みによろけて思わず手を置いた先は、誰かの足元だった。
ここはどこなのか、いったい何が――。
「脇にどけてなさい! 早く!」
上から誰かに怒鳴られた。邪魔をしてしまったらしい。
反射的に謝ろうと目線を上げると、相手の顔と共に豊かな胸が目に入った。
そこにはよく見知った女性、オーブ軍の一等海佐マリュー・ラミアスがいた。
彼女が必死の顔でキラを押し退けながら操縦稈を握っていたのだ。
キラの目が丸くなる。
「な、何が」――起きているのか。
「フェイズシフト装甲をっ!」
関係は良好だったはずだが、まるで他人のような雰囲気だ。彼女はキラにまったく配慮してくる気配がない。
せっぱ詰まっている顔だった。
しかしキラもパニックだ。
(な、何が……何で? ここ……モビルスーツの操縦席? どうして)
キラは混乱しながらも周囲を見回す内に、自分が居るのがどこか見覚えのある機動兵器の中だと感じた。
妙に覚えがある造りだ。
何処だったか、これは……。
しかし落ち着く前、思い出す前に震動が激しくなる。
マリューがコンソールに手を伸ばすのが、揺れとほぼ同時。
考える暇がない。
キラはマリューともに酷い揺れに耐える事になった。
激震する空間で、とにかく身体を保持するのがやっと。
まるで攻撃を受けているかのような強烈さだ。
どうなっているのか?
なぜマリューがいるのか?
自分は撃たれたのではないのか? 彼女が助け出してくれたのか?
技術者上がりで艦長職にあるはずのマリューが、なぜ今モビルスーツで? ……作業着姿なのも謎だった。
いや、昔……3年前に。これとよく似た体験をした事がある。
しかし、だからこそ、尚更混乱していた面がキラにはあった。
「マリューさ……」
「退いてなさい! 死にたいの!?」
よく見れば、マリューは怪我を負っているようだった。それでも構わず前を向いている。
それにつられてキラも目線を前に動かした。
モニターを向くとそこにはあり得ない光景があった。
モビルスーツ・ジン。
それがライフルを仕舞い、近接武器の重斬刀を構え、今まさに襲いかかってくるところだった。
「なっ……」
「くぅっ……!」
驚くキラを無視してマリューは機体の頭部にあるバルカン――イーゲルシュテルンによる迎撃を開始する。
しかし射撃の瞬間、この機体は各部の連動が上手くいってないと思える挙動をした。
照準とは完全にずれてる位置へ放たれるイーゲルシュテルンの弾道、ジンは何の障害もなくこちらの懐に飛び込んでくる。
それを見てキラは二重の意味で絶句した。
マリューの操縦技能は知っているが、ここまで酷いものではないはずだ。ましてや近接武器の距離で正面から突っ込んでくる相手に射撃を外すなど。
何がどうなっているのか。
これではまるで出会った頃のようではないか。
(なんで……この機体、故障機……!?)
「……うぐぅっ!」
マリューの操縦は拙いが、モビルスーツに防御させる事はかろうじて成功したようだ。
しかし、勢いに負けて機体が後ろに下がりはじめる。
振動がマリューの身体を叩いていた。傷に響くのか、歯を食い縛っている。
キラにはまったく話が見えなかった。
もしこの時点で、ジンの後方から離脱をしていく赤いモビルスーツが見えていれば、少しは事態を把握するきっかけにはなっただろう。
混乱しながらも、思い至ったはずだった。
だが残念ながらキラには見えなかった。見落としたのだ。
赤いモビルスーツに乗っている人間が、何を感じているのかもこの時点では分からなかった。
だからキラはただ単に、モビルスーツによる攻撃を受けているのだ、と考えるに留まった。
キラを殺害した……いや、しようとした人々は旧式とはいえモビルスーツ・ジンまで用意したらしい。
街中で無茶苦茶をする、と。
そしてそれをマリューに助け出してもらったのだろう、危ういところで。
色々な矛盾があるが、キラは無理矢理にそう納得した。
次いで自分が嫌になる。恨まれすぎだ。
そしてここは逃げるべきだと。
自分が乗っているのが何かは知らないが、おそらくはオーブ製のモビルスーツで、ならばジンに速さで負ける訳がない。
飛んで振り切れば終わりだ。
反撃は考えなかった。
泣きながら襲ってきた彼らを殺す事などできない。したくない。
戦争は終わったのだ。彼らの親しい人を殺めたのは自分なのだ。
だからとにかく、この場は逃げようとキラは考えた。周りの者達にも落ち着くように言わなければ、と。
話し合えばきっと。
「マリューさん、ここは逃げ……え!?」
キラは負傷しているマリューに変わって操縦しようとしたが、周りに見える風景がおかしい事に気付いて、固まった。
街中は街中だが違和感がある。
自分が居たのは地球のはずだ。
双子の姉と一緒に欧州の一国を訪ねていたはずだ。
なぜ、周りがこんなにも被害を受けているのか? あちこちから煙が上がっている。……目標は自分ではないのか。
いや、状況としては不思議ではない。
襲撃が起きて、その際に周りに被害が及んでしまったのかもしれない。
だから破壊された軍用車両や、建物の残骸がそこらに見えるのは理解できる。
立ち塞がったであろう兵士達の亡骸や、巻き込まれた民間人の亡骸があるのも納得がいく。
自分を殺害するために興奮して、見境なしに暴れてしまう者達が出たのかも知れないだろう。
しかし。
上に、街が見えるのは何故だ? 空。天井に、街があるのは何故か?
なぜ重力が一方向の地球上において、街が逆さまに存在するのか。なぜ天井が。
それにこの街並み、この光景ではまるで……。
自分の運命が変わるきっかけとなった、あの場所。
スペースコロニー……ヘリオポリスの中のようではないか。
ここがどこなのか分からず、しかし、似すぎている場所に思い至り、キラは固まった。
彼が静かになった事でマリューは操縦に集中した。
目の前に敵が、ジンがいるのだ。気を抜けばすぐにやられてしまう。
あれにはコーディネーターが乗っているのだ。
彼女が属する地球連合軍……ナチュラル達が戦っている、恐るべき相手が。
(5機のGの内、4機が奪われてしまった……せめてこの機体だけでも離脱させなければ……!)
苦戦している地球連合軍が、起死回生の為に作り上げた試作モビルスーツ。その最後の1機が今乗っている機体。 X105・ストライクだった。
なんとしても脱出をして、この機体を友軍の元へ。
ストライクを操り後退を続けるマリューは、目の前のジンしか目に入っていなかった。
操縦技能はできないよりはマシ程度。
動かすのに必死で周りに目が向かない。
モニターの一つに、街中を必死の表情で逃げる少年少女が映っている事など、気付ける訳もなかった。
モビルスーツのサイズと歩行能力からすれば、まさに足元。彼らはもう数歩で踏み潰される位置にいた。
瓦礫とモビルスーツに進路を挟まれて、真っ直ぐ走るしかない彼らが。
キラはそれが映るモニターが目に入り仰天した。
サイ・アーガイル、ミリアリア・ハウ、カズイ・バスカーク。そしてトール・ケーニヒ。
自分の大切な友人達。彼らが映っているのだ。
あり得ない。
こんなところにいる訳がない。
彼らはそれぞれ別の道を歩いているはずだ。
なによりトールは亡くなっている。戦死しているのだ。
キラがそれをはっきり見たのだから。生きている訳がない。
「何で皆が……トールまで……!」
夢を見ているのか。
トールが生きているなど、何度願ったか。
気の良い友人が、実は生きてたんだよと、いつものように自分をからかいにきてくれる事を何度。
現実にはあり得ない風景が目の前にあった。
だから思った。気付いたのだ。
これは昔の夢だと。
ここはヘリオポリス。
自分がまだ学生だった頃の夢だ。
戦争など他人事のように考えていた頃の、自分の夢だ。
死ぬ前の走馬灯という物だろうとキラは思った。
やはり自分は死んだのだ。
この夢が終わった時、自分の意識は無に帰るのだろう。
現実ではない。死の間際に楽しかった頃の夢など、たいした皮肉だ。
戦争など、中立のヘリオポリスには関係がないと笑い合っていた。
なのにいきなりザフトと連合の戦いが始まって。
宇宙に存在するコロニーでは有ってはいけない事態……コロニーの崩壊に突き進み。
逃げ込むシェルターカプセルを探し回って、何も分からないままにモビルスーツ戦に巻き込まれた、あの日の夢なのだ。
いや……夢、なのだろうか?
夢や幻にしては感触が生々しい。
コックピットの中の匂いや、マリューという女性の匂い。血の匂い。
何よりここには、嗅ぎ慣れてしまった戦争の匂いがある。
(……そんなまさか)
現実とでも言うのか? そんな事はあり得ない。
過去に戻るなど。
キラはこのストライクに乗り込んだ日から。
あの日から重ねてきた罪と、飲み込んできた後悔を思い出す。
夢だと思いたかった。
しかし現実だ、モビルスーツに乗ったのは紛れのない事実だ。今と同じように。
そして多くの命を奪った事も。
今からも同じように。……また、やれとでも言うのだろうか。
今さら何をしろと言うのか? 自分の行動に意味はないのだ。
人を殺してきただけの自分の人生には変わりはないのだ。罪を償おうとして人々から言われた言葉は、否定の言葉だ。
だから死んだのだ。死んで、ここにいるのだろう。
しかし、だから見ているだけなのか。
(……それで)
いいのか? ……よくない。それはよくない。
いい訳がない。
友達がそこにいるのだ。二度もトールを死なせるつもりはない。むろんサイもミリィもカズィもだ。
死の間際まで人を死なせるなど冗談ではない。何より自分は誓ったはずではないか。
明日のために戦うと。
夢だろうが現実だろうが関係はない。
他者を否定した自分には戦う責任があるのだ。
体が動く限り、戦う責任が。
キラの目から諦めが消え、代わりに意思の光が灯り始めた。