コープマンが回避を叫べたのは、ナスカ級からの砲撃が開始されるのとほぼ同時だった。
後ろを取られている為に回頭している余裕が無い。
せめて距離は詰められたくないと、前進しながら迎撃態勢を整えようとする最中での叫び声だ。
彼が直接指揮するモントゴメリが回避運動を始める。
それに必死で付いていくように先遣隊の各艦も回避運動に入った。
後ろから飛んできた艦砲射撃がそれぞれの艦を掠める。
最も後方に位置していた1隻のドレイク級……カニンガムと名付けられた艦が集中攻撃を食らい、エンジン部に被弾した。
慌ててエンジン付近にある着脱可能な燃料タンク……将兵には弱点丸出しの設計と不評のそれを、そのタンクを切り離して誘爆を防ぐ。
まだ沈まない代わりに足と燃料を失って、カニンガムはまともな移動ができなくなってしまった。
容赦なくナスカ級からのビームが飛んでくる中、カニンガムは捨て鉢になったように回頭しつつ、ミサイルとモビルアーマー隊を吐き出し始める。
コープマンは申し訳ないと思いながらも、カニンガムに囮をやってもらう決断を下した。
その間にこっちの態勢を整えるしかない。
各艦のブリッジにおいて指示を下す艦長、下されたオペレーター達の声が響き渡る。
「モビルアーマー隊、発進まだか! ……違う、全機だ。全機体! 全部! 鹵獲ジンも全部だ! 全部出せ、急げ!」
「対空機銃、敵を近づけさせるな! 主砲、ナスカ級の足を止めろ、接近されたら終わりだぞ、弾幕!」
「直撃です! カニンガム中破! ジェンキンスが援護行動に入ります!」
「敵モビルスーツ部隊、なお増加中! 囲み込むように接近してきます」
回避運動とモビルアーマーの緊急発進を急いでいた先遣隊の各艦。
最初に足を止められていたカニンガムが、さらなる攻撃を受けブリッジにビームを食らい半壊する。
悪かったのは操舵でも運でもない、純粋な位置のせい。
その報告を聞いたコープマンは、カニンガムは完全に死んだ物と判断した。
もう援護は意味が無い。
オペレーターは中破と言ったが、既に大破、撃沈させられたような物だろう。
司令部たるブリッジを潰されたうえ、敵モビルスーツが近づいて来るのがモニターで見えているのだ。
瀕死の餌に集る蟻だ。
「敵モビルスーツ部隊の機種特定急げ! 正確な所を知りたい。まだか!」
周りの者達が慌てるなり騒ぐなりしていれば、逆にコープマンは落ち着いてしまう。騒いでも仕方ない。
とは言え、はっきり命令を聞かせようとすれば怒鳴るしかないのだ。
敵モビルスーツ部隊の機種特定、及び規模の報告が上がってくる。
指揮官機のシグーが1機。
エース用のジン・ハイマニューバが2機。
ジンの強行偵察型が2機。
ノーマルのジンが12……14……なお増加中との事。 おまけに、中には妙な装備を付けている機体もあるようだ。望遠モニターで捉える限り、フォルムがおかしいのが居る。
要塞攻略装備か追加装備とやらか。
強烈な数だ。質も高い。
更に、ナスカ級は6機を搭載できるスペックがある筈だ。最高で24機のモビルスーツが来る可能性がある。
艦隊を持って相手取るべき規模の数と言えた。たかが5隻では勝ち目などない。
それを理解している索敵班の声は絶叫に近かった。
接近してくるモビルスーツ部隊の隊形には広めの隙間があるが、その隙間からはナスカ級の砲撃がきっちり飛んで来ていた。
無難だが、手堅く嫌らしい攻め。敵艦側の錬度の高さも分かる。
コープマンは足を止めての戦闘を禁止した。
後退しながら回頭を少しずつでも進めて、武装の射角を確保しつつ粘るしかないとの判断だ。
敵モビルスーツに集られ始めたカニンガムの、自動制御の対空機銃……それが細々と弾を吐き出し始めるのがモニターに映った。
身を守る為のそれは断末魔の叫びにしか見えない。
「……カニンガム乗員の脱出状況を確認しろ!」
コープマンが叫ぶ。
酷いやり方だが、地球連合軍には相対しているザフト部隊の《凶悪度》を測る方法があった。
後退する艦や機体、離脱するしかない脱出挺などに攻撃をかけてくるかどうか、だ。
国際条約の観点から言えば絶句するような物だが、それが対ザフト戦の現実でもある。
そしてその意味では、目の前に展開するザフト部隊は最悪の部類に位置した。
息も絶え絶えに機銃やミサイルを放つカニンガム。
その艦体に完全に止めを刺して爆沈させ、さらに脱出挺までも根こそぎ捕捉……撃破していくジンの姿を先遣隊の各艦はモニターで捉えたのだ。
強硬派だ。それもかなりの。
戦術的に見た場合、脱出挺などは放っておいてもいいのだ。むしろその方が敵に手間として負担を与える場合もある。
それでもわざわざ根こそぎにしてくると言う事は。
ナチュラルに恨みを抱いているか、暴れたくて堪らない連中に他ならない。
カニンガムの散った証、二百人近い将兵を巻き込んだ巨大な閃光。
それに目を細めながらコープマンは歯を噛み締める。
「……アルスター次官の脱出は待て!」
少なくとも今は放り出せない。
逃げるか、勝ってからのどちらかしかない。
どちらも不可能だ。
せめて、アークエンジェルがこの宙域から離脱するまでの時間を稼いでやらねば……そう考える彼だが、完全に劣勢なモビルアーマー隊の被害が報告されていた。
近接防御の役目を果たせていない。
モントゴメリにはアルスター次官の護衛にと、鹵獲運用しているジンを2機積んではいる。
配属されたパイロットはもちろんコーディネーターだ。 それなりの実力者の筈だが……この戦力差ではどうにもなるまい。
むしろ保身からの裏切りを警戒しなくてはいけない。
コープマンは思わず椅子の肘かけを叩いた。
噛み締める歯が割れそうな程に軋むが、悪態も出てこない。
もはやいつまで持つかが焦点の戦いだ。
逃げ回ったとしても数時間かそれ以下か。
哨戒部隊ではない連中と遭遇したのが運の尽きだ。しかしこれ程の厚みがある相手がうろついているとは……。
「……アークエンジェルに第8艦隊の位置を打電だ! 戦域離脱急がせろ!」
ナスカ級が相手ではアークエンジェルも逃げ切れるか微妙な所だが、戦闘指揮に忙殺されるコープマンには、もはや向こうの行動を気遣う余裕がない。
高速艦だ、何とか逃げてくれるだろう。そう考えるしかなかった。
月から出迎えに来ている本隊の位置、それを打電させると彼は指揮に頭を切り替える。
コープマンがちょうど見たモニターの中で、またモビルアーマーが墜ちた。爆発。
部下を死なせてしまい頭が沸騰しそうになる。
努力して冷静になろうとしている所に、ゲストキーを使いブリッジに許可もなくアルスター次官が飛び込んできた。
彼の喚く声はさらにコープマンの神経を逆撫でした。
《敵モビルスーツ……に、20以上!? ちくしょう! くそったれ!》
《だから嫌だったんだ、こんな所に来るのは!》
《最低でもハイマニューバタイプが2機混じっています、D装備複数を確認!》
《哨戒部隊どころじゃねえぞ! なんだこいつらぁ!?》
先遣隊に配属されていたモビルアーマー隊のパイロット達は、悪態をつきながら死んでいた。
連合のモビルアーマー隊と、大きく違わない数の敵モビルスーツが展開してきているのだ。
モビルアーマー3機から5機に対してモビルスーツ1機。
それが現在の戦力比。
味方が敵の3倍居てようやく戦える計算だ。
こちらの弾は当たらず、敵の弾は回避できず。
次から次へと叩き落とされていく彼らは、コーディネーターかプラントか、または連合上層部の何れかに罵倒を遺してから散るか、選べる選択肢はそれしかなかった。
それを遠くから見ていたアークエンジェルもまた、対応に追われていた。
対応といってもこれまでの戦闘とは少々違う。
戦闘態勢に入るかどうか……それ以前の問題として、まず指揮官達が方針で対立しているのだ。
理由は簡単だ。
戦うか、逃げるかである。
「ナタル、もう今からでは! 彼らを見捨てても逃げられる保証が無いわ……! なら合流を……!」
「交戦すれば沈みます! 合流する頃には本艦しか残らないかもしれません、逃げるべきです!
中佐からも命令されたではありませんか! 離脱しろと!」
先遣隊と合流を試み、戦力を増強して対応するしかないと主張するマリュー。
一方のナタルは、ザフトの戦力は対応不可能なレベルと判断、距離が少しでもある内に逃げるべきと主張する。
この二人が真っ向から言い争っているのだ。
そんな事をしている場合ではないのを両者とも分かっているのだが、そんな事をしないと方針が定まらない状況だった。
互いに相手のやり方では沈むと考えているのだ。
フラガには既に連絡済みだが、「……逃げられるとは思えない」と彼が返してきたのが、マリューが引かず、ナタルの主張が通らない一因でもある。
上官命令が絶対……という基本原則に従うには、状況が微妙にすぎた。
その間にもチャンドラ、トノムラから報告が上がってくる。
「護衛艦ローが大破! 残数3隻です! モビルアーマーは残り11機!」
「モントゴメリより敵モビルスーツの詳細がきました!
敵は……シグー1、ハイマニューバが2!
強行偵察型が2! ノーマルジンは……じゅ、17!? しかも特殊装備複数……マジかよ」
モビルスーツの展開数を聞いたマリュー、ナタルは顔がひきつった。クルーも反応に変わりがない。
いや動揺が表に出ている。哨戒部隊の戦力ではない。
彼らの見るモニターには戦闘光が映っている。
唯一下がれる方向に向かって後退……いや前進に前進を重ねながら……つまりアークエンジェル側に寄ってきながら、激しい戦闘を行っているのがそのまま見えているのだ。
戦況は極めて悪い。
あっと言う間に2隻。護衛艦のロー、カニンガムが大破、爆沈だ。
先遣隊の残る3隻と残存モビルアーマー隊は、壊滅しながらアークエンジェルに接近してきている。敵の大部隊を引き連れてだ。
アークエンジェルに押し付けようというのではない。
ナスカ級4隻と、22機にもなるモビルスーツ部隊が包み込むように動いており、こちらの方向にしか逃げてくる道がないのだ。
分かっていてもこっちしかない。
死が寄ってきている。
マリューは、味方を見捨てられないと言う甘さからの考えが、引っ込んでしまう位に。
ナタルは、合流をした方が良いのかと思わず考え直す位の、数でもって。
互いに譲れなかった先程までのやり取りが、今度は互いに考え直す位の衝撃。
キラとフラガがあまりに強すぎた。アークエンジェル乗員の彼らは半ば忘れていたのである。
ザフトは凶悪な敵だと。
「レーダー波感知! 当艦の位置が露呈したと思われます」
「敵の動きがこちらに向きつつあります、いえ砲撃を確認!」
パルやトノムラの焦った報告を聞き、マリューとナタルが指示を下す。
「合流を……! い、いえ待って、合流は……これでは」
「離脱を……い、いや待て! 迎撃に」
技術将校と新米将校が決断するには状況が面倒すぎた。
決定しようとして、思い留まり、互いに目線が合って、また《相手の説得》という解決しない事に意識が向きそうになる。
それをノイマンが遮った。
「艦長! バジルール少尉! ヤマトは出せないんですか!? この状況では……!」
ノイマンは別に恐怖に駆られた訳ではない。ベテランの下士官だ。
対立している指揮官どもを遮ったのだ。
状況がよくない。敵が迫っている。対応しなければならない……そっちが先なのだ。
早く決断して欲しい。
キラ一人が出る出ないの変わりがあった所で、最早どうにもなるとは思えないが、それでも頼れる物があるなら全て使うべきだろう。
彼女達の言いたい事は分かるが……色々あるのは分かるが、ここは生き残る為にやる事をやってくれと、下士官を代表して言ったのである。
まだ戦闘配置も発令していないのだ。このまま戦闘機動をしたら死者が続出する。
戦うにしろ逃げるにしろ早く動いてくれと。
邪魔された形だが、実際には不毛なやり取りを止めてもらった事を理解したマリュー、ナタルの二人は一瞬だけ気まずげに沈黙する。
中佐から命令が下されたとはいえ、今この艦の責任者はマリューだ。彼女が決定を下さねばならず、ナタルはそれに従う他ない。
マリューは先遣隊との合流、救援を決断するようだった。
ナタルは反射的に反対したくなったが……ナスカ級の動き、こちらの逃げ道を限定させるような動きを見てとれば。
味方と合流しての戦力増強に賭けるしかないか、とも思えてしまう。……いや、迷っていられない。
アークエンジェルの全力でも足りないのだ。協力して対応するしかない。
「総員戦闘配置! ……保安部には民間人に慎重に対応するように伝えて、それと脱出の用意を急がせて!
いざとなれば民間人だけでも逃がさないといけなくなるわ。……ナタル、いいわね?」
「……了解いたしました。仕方ありません」
アラート切り替えで艦内は混乱するだろう。
ましてや、また戦闘中に脱出準備をさせる事になる。今度は、彼らは簡単に納得などしてくれまい。
下手をすると、保安部は民間人に威嚇射撃をする必要が出てくる。
ナタルもこの状態で逃げられるとは思っていない。だが戦って勝てるとも思えないのだ。
戦うと言うのであればキラを出す事になるだろう。
それが一番の不安の種なのだ。
あんな事を喋り出す人間を出撃させるのか。
一瞬錯乱して、こっちを撃ったらどうする。
何でこんな判断を迫られる事になっているのか。……キラに騙されたのではないか。
そもそも……まだ協力してくれるのか?
アークエンジェルのエンジン出力が慎重に、しかし明確に上げられていく。
クルーの見ているモニターの中でまた艦が沈んだ。
数百人の味方を飲み込んだ巨大な光がこれで3つだ。戦死はもう五百人を上回るだろう。
先遣隊が全滅する前に合流できるように祈るしかない。
だからと言って、キラ・ヤマトは……。
ナタルは迷いを持ちながらもCIC指揮官として迎撃に入る。
マリューが、キラを独房から出すようにと指示を下すのを止める事は出来ない。
それしかないのだ。
抱えている民間人、二百数十名を何とか守ろうと考えるのは二人とも同じなのだ。
彼らを宇宙に散らす事になるかもしれない。……マリューとナタルの足が震えた。
アークエンジェルのロッカールームでは、フラガが大きくため息をついていた。
艦内通信を終えた所だった。
少しだけ目をつむり、それから、後ろで座っていた二人の新兵に指示を下す。
二人とも出てもらう事になると。
「トール、お前はグレーに乗れ。
アサギはジンだ。ストライクからシールドを借りて装備して出ろ。機銃の弾倉を限界まで持ってけよ。 ……悪いが、お前らを当てにさせてもらう」
パイロットスーツに着替え、フラガからの指示を待っていたトール、アサギの二人。
彼らはフラガの妙に落ち着いた声に、むしろ危機感を強めた。
「俺が、いえ、自分がグレーですか?
てゆうか二人同時にですか。じゃあアサギを……」
「待った、見栄張ってる場合じゃなくてな。
お前よりはアサギの方がジンの扱いは上手い。言ったろ? 二人とも出さなきゃならんのよ。
ほらほら、細かい作戦は乗ってからだ」
細かい状況の説明も敵の数も何もない。まず乗れと。
新兵二人は、とにかく態勢を整えねばならない程の危険な状況なのがあっさりと分かった。
ついに初陣だ、と言う緊張より、自分達の乗っている船が本当に危険なのだと言う焦燥感の方が強い。
それでも互いに意地を張る形で平気な顔をしていた。足は正直に震えていたが。
フラガにくっついて格納庫に来てみれば、マードック達がブリッジから状況を聞いていたのだろう。蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
モルゲンレーテ技術者達がモビルスーツの出撃用意を手伝おうとしている。のだが、保安部員がそれを押し止めていた。
彼らに家族を連れてシャトルに乗り込むようにと、早口で案内しているのが目に入った。
トールとアサギはそれを見て、民間人が万が一に備え脱出の手配をされていると分かった。
負ける事が視野に入れられている。
初陣の二人には酷な空気だった。
二人はその空気に……これから負ける戦いをやるのかという、その圧力を持った空気に飲まれかける。
後ろからフラガに頭を撫でられた。
「ほらほらどうした、新米ども。びびったか? ……止めるか? お前ら」
冷たくはない、むしろ優しさを感じさせるその言葉は彼らを一気に現実に引き戻す。逃げるつもりはない。
トールは友人の為にという意地が、アサギにはオーブ軍人の意地がある。
自分達だけがまだ役に立っていない。
食事でも、待遇でも1段上の扱いをしてもらったのだ。パイロット候補だからと。
その恩を返せていないのだ。
若者特有の意地だが、だからこそ若者である二人には大事な事だった。
震えながらも精一杯の強がった表情を見せる二人に、フラガは苦笑する。
3人がモビルスーツに乗り込むと、フラガは説明を始めた。マリュー、ナタルに説明をさせると無駄に緊張をさせそうだと判断しての事だ。
ここは、自分が軽く喋るに限る。
アークエンジェルの甲板に立って、射撃をするだけでいいと。それだけを。
「俺が前に出て敵を引き付ける。
お前らは一人ずつ別れてブリッジとエンジンを……いや。あー、やっぱり二人でエンジン付近に配置だ。
近づいてくる敵を撃て。当てなくてもいいから相手の邪魔をしろ、それだけだ。簡単だろ?」
やるとしたら安全度の高いグレーでの一人ずつの出番、そしてフラガと組んでの運用……という当初の想定が崩れている。
二人で組めるとは言えアサギが問答無用でジンで出されて、いきなり防御を担当。酷い話だ。
フラガは意図的に明るく坦々と振る舞っているが、その意味を理解できるだけの頭を持っている二人には、自分達は信用されていないと映った。
「大尉、ヤバいんですか? ……俺、逃げませんよ」
「状況を教えてください。あたし達、できます」
多少顔色は悪いが、トールもアサギも落ち着いている……落ち着こうと努力している。
フラガはそれを見て、思ったより育っていたかと嬉しくなった。そして虚しくなる。
これで出撃中止にでもなってくれれば最高なのだが。……隠し事は止めるかと諦めたように笑った。
「……アークエンジェルはこれから敵に突っ込む事になる。味方を助けに行くんだ。
逃げられないから助けに行く。やられる前に合流しなくちゃならん」
フラガは現在のアークエンジェルの置かれている状況を、なるべくショックの少ない形で話した。
「初陣でやらせる仕事じゃないのは分かるが、やってもらわなくちゃならん。エンジン部を守ってろ。
ブリッジは俺が守る、敵を落とすのも俺の仕事。……理解できたか?」
強がろうとした二人だが、責任重大だ。流石に無茶がすぎる。
トールは黙って恐怖と緊張に耐えていたが、なまじモビルスーツを知っているアサギは違った。
敵の数が多い。担当する部分は失敗が許されない箇所だ。22対3だ。正気じゃない。
「ヤ、ヤマトさんは出れないん……ですか?」
「微妙な問題でな、キラもまあ……万全とは言えない状態って事もある」
フラガはそれに答えず誤魔化す、いや、答えられない。
トールが余計な口を挟んでくる前に、アサギの質問を封殺した。彼女の疑問は最もだ。
出すべきだ。この状況で、スパイの疑い程度なら。
だが精神錯乱は不味い。そういった事は本当に不味いのだ。
兵士にとっては正気ではない味方は余りに危険だ。周りも巻き込んで不幸な結果に終わる。
キラの精神面に問題があった場合、自主的な独房入り……そこで留めておかなければ、後々言い訳が立たなくなる。キラの立場を弁護しきれなくなるのだ。
一応の恩人を処刑台に送るのは遠慮したい。
心情的な問題もある。
キラがこちらに悪感情を抱いていたら、どうするか。
二人には妙な期待を持たせるべきか、逃げ道がないと尻を叩くべきか……。
フラガ個人としては、キラが錯乱していない方に賭けて早く出してしまえと言いたい所だが。いや、ナタルには実際そう言った。
もう味方が沈んでいるのだ。
敵の数を把握したナタルが「ヤマトを使うしかありませんか?」と確認してきた程だ。彼女も分かっている。
キラが真実錯乱していれば、絶対に終わりだ。しかしこのままでも手が足りずに終わってしまうのだ。
マリューとナタルの葛藤は半端じゃないだろう、自分ですらキラを出すなら自滅を覚悟しての勢いがいる。
アークエンジェルに価値を見出だしてくれているのだと、期待するしかない。
まったく。わざわざ未来から戻って来るなら、証拠なり根拠の一つなりと用意をしておけば、こんなに困る事もないのに。
フラガは頭をかくとヘルメットを被る。
何となくだが。キラの話を事実として想定している自分に気付いたのだ。……我ながら楽観的だなと。
「色々あるんだ、色々! ほらほら機体のステータスチェックにかかるぞ! もしキラが出るにしてもまだ時間がかかるんだ!
下手すりゃ俺達だけでやるしかないんだぞ!」
キラ抜きで切り抜けられるとは思えない……そうブリッジには伝えた、後はできる限り時間を稼ぐのみだ。
パイロットはパイロットの仕事に最善を尽くすしかない。
最低でも20機。
キラの話ではクルーゼが来るという話だが、いようが居まいが目の前の敵を撃つだけだ。
ザフトの友人という言葉が頭をちらつく。いや、それも関係ない。自分には迷っている余裕はない。
「よし、出るぞ! トール、アサギ。俺の機体に掴まれ。甲板の上まで引っ張っていくから慌てるんじゃねえぞ。
お前らは敵を散らせばいいんだ、下手に当てようとか欲張るな。
背中合わせで守るんだ。やられない事だけを考えろ」
聞こえたな。と言うフラガの声に、トールとアサギは強張りながらも何とか返事を返した。
トールは何故か、ミリアリアの拗ねたような顔を思い出した。
独房内に居るキラは、いよいよ疲れを覚えていた。
ここ数日、マリュー達から一切の接触を断たれてしまっていたからだった。
食事の支給に来る保安部員は完全に無反応で、待機は常に拘禁区画の外。徹底的だった。
拘束でもされていれば、誰かがその分手間をかけてくれる物だが、何もない。ただ入れられたまま。
独房内では自由。尋問も拷問も何もない。
代わりに会話がない、何も聞いてもらえない。何も教えてもらえない。
食事の時以外にも叫んで怒鳴ってはみた。喚いて鉄格子を叩いてもみた。
だが艦艇の中でもあるこの場所。隔壁にもなる分厚いドアは声も音も通さない。
鉄格子は映画やドラマのようにガタつく事もなく、微動だにしない。
自殺騒ぎを起こそうかとまで思ったが、保安部員の反応の無さは完壁だった。
キラが見る限り彼らは無言、無反応を貫いた。
結局、喉と手を痛めただけで、疲れてしゃがみこんでしまっている。不安だった。
何とかしなければ。このままではと。
自分の事を話してしまった以上は、もうどう思われようと構わない。やれる事をやるのみだ。
だが独房に入れられたままで、話を聞いてもらえず、外の状況も分からないのでは、これからの事に対処のしようがない。
床に座り込んでいたキラは苛立ちから床を叩いた。
拳が痛むがそんな事を気にしていられない。
勝手に心臓の鼓動が早まり、焦ってしまう。
アークエンジェル。そして先遣隊、フレイの父親だ。彼らの状況が分からない。
怖い。外が分からない。
自分が何もできない内に、また失っていくのではないか。
落ち着こうと思っても、嫌な思考が押し寄せてくる。
今考えるのはそんな事ではなく、ここから出れるのはいつなのか。そしてその後どうするかだ。
その位しかできない。
上手く進んでいて欲しい。
自分の記憶と違っていてほしい。
どうか何事もなく。フレイとその父親は無事に再会して欲しい。どうか無事で。
何度めになるか分からない、疲れた様なため息。
壁にもたれ掛かりながらそんな事を祈っていたキラに、不意に振動が伝わってきた。
艦が揺れた。
何かがぶつかってきた為の響きではなく、艦全体の運動による物と思われる揺れ。
キラはそれを微妙な進路の調整だと感じた。
ノイマン曹長の癖……戦闘に入る直前、または回避の為に彼がよくやる挙動、動き方だ。戦闘時の癖。
戦闘時。
それを認識した瞬間、疲労で鈍っていたキラの意識が明確になる。焦りと共に鳥肌が立った。
次いでアラートが切り替わり警報が鳴り響く。
戦闘配置だ。
何故。記憶よりも早くデブリベルトは離脱したはずだ。
何故ここで。何故だ。
このタイミングはあの場面しか思い当たらない。
先遣隊を襲撃するザフト部隊。アスラン達がやはり来たのか。何故だ。
何故来る。どうしてこんな時だけ記憶通りに。
「……ストライクで出ないと……!」
状況が分からないが、とにかくここで黙っている訳にはいかない。モビルスーツに乗らなければ。
自分が必要になるかは分からないが、少しでも可能性があるなら即応できるように待機しておくべきだ。
アラートが切り替わるなら、保安部の人間が一応の見回りに来てくれるかも知れない……そこで何とか説得を。
そんな事を考えたキラだが、いきなり拘禁区画に響いたアナウンスに驚いた。
《キラ君! 格納庫へ向かって!》
マリューの声だ。……格納庫? 行っていいのか?
《ごめんなさい、色々言いたい事があるでしょうけど、時間がないの! とにかく格納庫へ! 今すぐ人を行かせるわ!》
キラはその言葉を聞いて察した。
やっぱり何か想定外の状況が発生したらしい。しかもかなり際どい状況が。これから、ではなく、既に。
慌てて鉄格子に張り付いたキラの前に、必死で走ってくる保安部員二人の姿が映る……顔馴染みの二人とは違う別の者達だ。
「格納庫へ向かう」と独房から引っ張り出されるように出ると、走りながら手短に状況の説明を受ける。
あまり詳細は知らされていないらしいが、大事な事は聞けた。
救援に来た味方が襲われている。
キラの鼓動が早まった。やっぱりあの状況か。
不謹慎だが、アークエンジェルだけが狙われているならば、切り抜けて見せると考えていたのだ。
フレイの父親を心配する事なく、対応ができると。
まさか記憶よりも多くやって来た先遣隊が、既に壊滅しかけているとは予想しなかった。
ザフトの編成もおかしい。4隻なんて数が何処からやって来たのか……マリュー達は警告をしてくれなかったのだろうか? 警告はしたが、駄目だったのか?
あまり話した事のない保安部員からの、淡々とした、しかし焦りの色が強い状況説明は、むしろ想像力を掻き立ててしまう。
「……大丈夫、間に合う、間に合うはずだ……」
前回だって戦闘宙域には間に合ったのだ。
今度も間に合うはずだ。記憶通りならば、そうでないとおかしい。躊躇わずに撃てれば大丈夫の筈だ。
後は自分が迷いさえしなければ……余計な考えを抱かなければ絶対に大丈夫の筈だと、キラは自分に言い聞かせた。
キラ達が格納庫へ向かうべく、居住区に到達すると騒ぎが起きていた。
いや、多数の民間人がパニックを起こしていたと言った方が正しく、しかもそれは強烈な物があった。
緊張を解き、味方が来てくれていると聞いたところに、いきなりの戦闘配置。
それに伴い、兵士達が民間人達を脱出挺に誘導しているのだ。危険だからと。焦りを見せながら。
「落ち着いて! 静かにしなさい!」
「今すぐに! 貴重品だけを持って移動してください! 荷造りに時間のかかる物は諦めて!」
「勝手に離れないで! ご家族はこちらで把握しますから勝手に移動しないように! 離れるんじゃないっ!」
その態度に不審や怒りを覚える者が出るのは、ある意味で仕方のない事だった。
何が起きているのかの説明を詳しく求める者、これまでの不満をついにぶちまける者。
いいから早く脱出させてくれと家族の手を握り叫ぶ者。 指示通りに早く移動しようとする者が、混乱の収拾に対処する兵士に後回しにされて苛立ちを募らせる。
ショックで泣き出している子供は一人二人ではない。
誰かの罵声、誰かの険悪な雰囲気、それがまた新しい怒りや空気の悪さを呼び込んでおり、この空間全体を嫌な熱が包みつつあったのだ。
仮にも士官扱いのキラが、そこに通りががったのは不幸としか言えない。
「あ、キラ!」
何とか通り抜けようしているキラ達に気付いたのはサイだった。側にはフレイもいる。ミリアリア、カズイも一緒だ。
軍服を着ている為、民間人に詰め寄られて右往左往していた。
何が起きているのか分からず不安な中、健康を損ねていた友人の元気そうな姿を見て声をかけたのだ。彼の感情は当たり前の物だ。
「お前、身体大丈夫かよ、よかった元気そうで……けれど」
困り果てて不安そうなミリアリア、カズイ、そしてフレイの代わりに「この状況はどういう事なのか分かるか?」と、サイは聞こうとした。
いきなり脱出の準備と言われ、自分達も混乱していたのだ。説明なんてできない。
そこに自分達よりは話が分かっていそうな相手が来てくれたのだ。
ただし、サイ達よりも更に不安で堪らない人間が多数存在しているのも事実だった。
キラが、混乱した民間人に取り囲まれるのは自然の成り行きだった。
「話が違うじゃないか! 味方が来ているって言っただろう!」「責任者は!? 艦長は何してる! 説明しろ!」「こんな所で死にたくない……! 何とかしてくれ!」「子供が! 子供が居ないんです! 探しに行かせて!」「信用できないだろこんなの! だから嫌なんだ! お前ら地球連合は」
落ち着いて下さい……という言葉が響かない。
声の大きさと数が違いすぎるのだ。何人かが掴みかかってくる。
キラには二人しか付いていない保安部員も、とにかく早く進まなくてはと強引に進んでいるのが悪手と言えば悪手だった。
「道を開けて!」「下がりなさい!」等と、声を出しても意味がない位に騒がしいのだから、天井に向かって撃てばいいのだ。
乱暴だがそれで済んだ。
さすがに、他国の民間人に対しての威嚇射撃は躊躇いがあった。この場での上官の指示が聞こえづらい、保安部員の人数その物が足りない……そういう言い訳ができる状況でもある。
だが結果としてはやらなかった、その一言だけだ。
だからキラは進むしかないのだ、通してくれと声を張り上げながら。
まさか彼らを害する訳にはいかない。特に自分は。
ついに意を決したかのような威嚇射撃の音が響いた。悲鳴と共に群衆が一瞬収まる。
下士官らしき兵が青い顔で黙りなさいと叫んでいた。オーブ軍人の下士官のようだ。発砲した事に悔しそうな表情をしている。
不満はあれど、何とか収まる空気になりかけた。その直後に、キラの後ろから声が響いた。
「お前のせいでっ!」
キラが反射的に振り向くと男性の姿が目に入った。
何かを振ってきているような男性の姿が一瞬のみ。
左目の辺りに強烈な衝撃。
頭の中を鈍い音が通り抜けていく。視界が眩んで、半分飛んだように暗くなった。
キラ本人には何が起きたのかは分からなかったが、周りにいた者にはよく見えていた。
男が工具のような物で、コーディネーターの少年の顔を殴った。
人によっては刺したと表現できる程、キラは顔から血をばら蒔き、殴られた勢いそのままに壁にぶつかる。
そこで凍っていた周りの空気が動き出した。
「殺してやるっ! スパイめ!」
更に近づいてくる罵声と、新しく発生した幾つもの悲鳴が耳を叩く。
キラの耳はしっかり動いていた。
生きている。……自分は殴られた? らしい。と把握する。
痛みはない。まだない。
痛みも感じない程の致命傷か? 違う気がする。音がよく聞こえている。意識ははっきりしている。
大丈夫だ。
動揺はあるが、動けない訳ではない。まだ生きている。
銃を構える音がする。誰が? 自分のすぐ側からだ。
まずい。
「貴様っ!?」
「う、撃てっ!」
キラは側にいるであろう保安部の二人を怒鳴り付けた。撃たせてたまるか。
「撃つんじゃない!」
目を開けると激痛が走った。左は暗いまま。
右は無事のようだ。眩んでいるが、ちゃんと見える。
必死の顔で襲いかかってくる男性の顔も辛うじて見えた。……同じだ。
傷付けないように取り抑えたかったが。せめて逃げようとしたが身体が動かない。あの時の顔と同じなのだ。
身体が金縛りにあったように動かなくなった。
銃声が響く。
キラをもう一度殴ろうとしていた男が撃たれたのだ。悲鳴をあげ床に倒れ込み、もがき苦しんでいる。
キラの側にいた保安部員が撃ったようだった。彼は更に声を張り上げる。
「静かに!! こちらの指示に従いなさい!
今のはゴム弾です! ですがこれ以上の騒ぎを起こすのなら! 次は安全を保障できなくなります!!
今すぐに騒ぐのを止めなさい!!」
悲鳴より先に声をあげねばならなかった。
恐怖による声はそのままパニックを呼ぶ。
何としても静かにさせなければならない……撃った本人はかなり不本意そうな表情だ。
その横でキラは出血する顔を手で抑えながら、撃たれた男に近寄ろうとしていた。慌てて止める同僚の姿が映る。
「でも怪我していたら……」とぬかしたキラの悲しそうな顔を見て、彼は忌々しげに表情を消した。
自分の顔を見ろと言ってやりたい。お前のせいでこんな事になっているんだと怒鳴りそうになる。
保安部の者達とサイ達がキラの元に集まってきた。が、サイ達は近寄らせてもらえなかった。
保安部員は感情を殺して、職務に集中する方針に切り替えたようだ。
艦がまた揺れる。
「ちょっ……キラ! 大丈夫かよ! どいてくださいよ、友人です!」
「早く医務室に連れてってあげてよ!」
サイやミリアリアが叫ぶが、保安部員の苛立ちを感じたキラは、格納庫へ向かうと明確に主張した。
艦が危険だからと。
この空気は良くないとも感じたのだ。
それに対して、今度は保安部の一部から「自業自得だろ、コーディネーターが……」「逃げるためじゃないのか」等と聞こえてきた。
下士官の一人が顔をしかめながら叱責を飛ばす。
「貴様ら……今のは誰が言った!?」
無言で目を背ける者、舌打ちを隠さない者。
ついに不満の表面化した者の間で、睨み合いにまでなっていた。
その流れを聞いていた民間人の間にも、また、よくない空気が立ち上ぼり始める。サイ達もその空気に絶句した。
さっきとは別の意味で、ざわめきが広がりつつあった。
冷静な者達も居たが、それよりも不安と不満が燃え上がりそうな者の方が多かったのだ。
先程よりも、はるかに危険な雰囲気が漂い始める。
オーブ軍の下士官が、また威嚇射撃をするしかないかと思った瞬間、周囲を一喝した者が居た。
「いい加減にしてください!」と。
キラである。
また艦が揺れた。足元に響いてくるこの感じは、モビルスーツの発艦だ。
早く、何とかしなくては。
キラはゆっくりゆっくり、言葉を発し始めた。
多くの視線は恐ろしい……しかし顔の痛みが吐き気と恐怖を忘れさせてくれる。ありがたい。
「……皆さんの、不満は分かります。でも今は、自分達の命を守る為に、どうか落ち着いて下さい……必ず貴方達を守ってみせます」
沈静化の兆しを見せた空気だが、しこりの残る者は当然居る、キラの言葉に逆に腹を立てたように彼らが怒鳴り声をあげた。
床に倒れ、押さえ付けられている男が最初だ。
「お前がスパイなんだろうが! お前のせいで……! 過激派め!」
「そ、そうだ! 聞いたぞ! お前ザフトのスパイなんだろう! お前が敵を呼んだんじゃないのか!」
「殺人鬼め! 貴様らプラントのせいで!」
この流れは不味いと、保安部の人間が無理矢理キラと民間人の間に割り込もうとする。
キラはそれを無視して更に大きな声で前に出た。
その通りだと。
「これは僕の責任です! 皆さんの言う通り、僕の失敗からこんな状況になっています! 僕はスパイです!
だから僕が自分で責任を取ってきます!」
否定は聞いてもらえない。
誰かが悪者にならなければ、場が収まらないと判断しての事だった。
だったら全部肯定して、受け入れた上で、話を聞いてもらうしかない。
「皆さんの事を考えなくちゃいけないんです! ザフトは僕が何とかします。
皆さんが逃げる為の時間を稼いでみせます! だから万が一の為に脱出挺に乗って下さい! 指示に従って!
約束したでしょう! 僕は必ず貴方達を無事に地球に降ろしてみせるって!」
この艦は守ってみせます。キラに気迫のある声で言われれば、蔓延していた後ろ向きの空気は吹き飛んだ。
一度、頭と雰囲気が冷えてしまえば、後に残るのは顔から血を流している少年を、集団でリンチしかけた場面だけである。
激昂しかけた者程、居心地の悪い空気になった。
間髪入れずに保安部の下士官クラスが場を纏めに入る。
「さあさあ、聞こえましたね! 大丈夫です!
彼は極めて優秀なパイロットです。必ず安全を確保してくれます! 落ち着いて、こちらの指示に従って下さい!」
空気が変わった。
危ういところだったが、何とかなった。
手早く民間人をまとめ始めた何人かの兵士、彼らから感謝の視線を受けて、キラは気が抜けそうになった。
だが耐えた。次の仕事が待っている。
出撃だ。
アークエンジェルを守らねばならない。先遣隊もだ。
座り込んでいる暇はない。
なるべく平気そうな態度で格納庫へ向かおうとすると、保安部の人間が肩を貸してくれた。
さっき、キラに舌打ちしてきた兵士だ。
顔は背けているが、キラの身体をしっかり保持してくれていた。
「すみません、手間をかけちゃって……」
「……別に。気にすんな」
完全とは言えないが空気は収まったようだ。
ここはもう大丈夫だ。
だがその為にキラの顔に傷が生まれてしまった。彼らはキラの出撃態勢を整えなくてはならないが、どう見ても不可能だった。
パイロットが顔の半分……目をやられたのである。
医務室に行かずとも分かる。
キラが自分の顔、左目を抑える手の間から出血が続いているのだ。大量とは言えないが止まらないのだ。楽観などできない。
むしろ命の心配をする所だ。
頭部を直撃されず、顔面を掠めるように殴打されたのはまだマシだと、言えなくもないが、それとて即死するよりは程度だ。慰めにはならない。
数人がかりの応急処置で止血を始めたが、傷口を見た何人かが固まった。
彼らの表情を見たキラは、傷がどうなっているかを察する。
それでも言った。
「きつく血止めをしてください。出撃します、格納庫へお願いします」
潰れたのは片目だけだ。腕や脳が破壊されなかったのは運がいい。構うもんか。操縦はできる。
戦える。やってみせる。
走り始めようとしたキラを、下士官クラスの者が制止してきた。
「待て! ダメだ、戦える状態ではない、出撃は止めるように進言する。君は医務室へ……」
「待って下さい、ブリッジには連絡しないで! ……出撃するって言ってるでしょう!
じゃあ血だけ止めて下さいよ! 早くしなくちゃ、フレイのお父さんが危ないんですよ! 助けに行くんだ!」
側に寄ろうとしていたサイ達。それにくっついていたフレイも、当然キラに寄ってきていた。
今のキラの言葉が完全に聞こえる距離にだ。
保安部の人間は諦めたように医務室に連絡を入れる。
状況を説明して、格納庫へ来てくれと医務官を呼んでいた。
その間にも進もうとするキラだが、友人達と視線が合った。
「……あたしの、パパ……?」
フレイの声を聞いてキラは彼女に気付いた。サイの後ろに居たのか。
自分の発言をしまったと思ったが、取り返しはつかない。
どうするか。フレイの顔を見ながら悩んでいると、彼女の表情に見覚えがあった。記憶通りだ。
ああ、同じだ。
怯えた不安そうな表情だ。あの時と同じなのだ。
神様か何かは分からない。分からないが感謝したい。
あの時の約束を今度こそ果たせる。
痛みが激しくなってきた。お陰で意識ははっきりしているのだ。問題がどこにある。
キラは友人達に……フレイに向かって《いつも通り》笑って見せた。
「ごめん、ちょっと行ってくるね。……大丈夫、何とかしてみせるから」
もし助からない傷だと言うなら、それでも結構。
自分が死ぬまでに敵を全滅させればいいのだ。
「坊主! 出れ……お前、何だそのケガ!?」
「グレーと……ジンも? 1機ない……!
トールとアサギさんが出てるんですか!? 冗談でしょう! 何で出したんですか! ムウさんは!」
「ストライクからシールドを貸して、アサギの嬢ちゃんに持たせた……俺に怒鳴るな! ヤベェんだろ!」
「分かっ……ぐ、痛っ!」
医務室に来いと言う命令も、せめて横になれと言う指示も無視して、キラは格納庫で応急処置を受けていた。
出血さえ止まっていればいいと。医務官に強硬に頼み込んだのだ。
麻酔や鎮痛剤は拒否した。
副作用で意識が揺らげば終わりだ。指先の鈍りなど許容できない。
意識と感覚を明瞭にしておくためにも、薬は断固として拒否したのだ。
気絶したらどんな手を使っても起こしてくれと念を押した上で。緊急の輸血と止血のみだ。
おかげで信じられない位の痛みに倒れそうだった。
その傍ら、マードックにストライクの装備を頼んでいく。
キラが早く血止めが終わってくれと苛立っていると、艦が揺れた。
この揺れかたは……当たってはいないが、大きく攻撃を回避した時の動きだ。さらに揺れる。
連合でも屈指の操船能力を持つノイマン曹長の腕を持ってして、この揺れ方か。
「……敵がもう、射程内にいる」
ぞわりとした。
20機以上の敵がいる。それなのにトールとアサギさんが出てしまっている。
ムウがいてくれるとは言え数の差が大きい。トールが。
先遣隊はどうなっている。
何でそんなに居るんだよ。
「……マードックさん、ストライクの装備はエールで! ランチャーからアグニを、ソードパックからロケットアンカーを出して下さい!」
立ち上がろうとするキラを医務官が押し留めた。出れる状態ではない。左目が完全に損傷しているのだ。
血も止まらない。
戦闘行動なぞできる物か。
「待て! 冗談じゃないぞ、やはり無理だ。君は自分の目がどんな状態か、分かって……」
「時間がありません。行きます」
問答無用で動き出すキラの力は強かった。
医務官はその態度に腹を括ったのか、後少しだけ待てと声を上げる。
顔に包帯と凝固ジェルを巻き重ね、ギリギリと締め上げる。無茶苦茶なのは承知だ。
「……これで血は染み出さないと思う、保証はできんが」
「ありがとうございます、行ってきます。……ストライク発進します!」
保安部員の肩を借りモビルスーツのコックピットに向かうキラ。その背中には執念が宿っているように見えた。
本当に申し訳ありません。
途中で切ると、ストレスの溜まる展開になりましたので、何とか我慢できる所までと、弄っていたらとても時間がかりました。
詰め込みすぎたかな。
後々2話に分けるかも知れません。
次こそはー!
ご指摘を受けた部分を大急ぎで修正。ヤバかった……。