ポケットモンスター異聞録   作:奈良 青波

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 最初の一人

 

    Ⅰ

 

 無機質な診察台の上で、猫に似た生き物の角膜と結膜が覗き込まれている。そのまま瞳孔径の付いたペンライトを使われ、対光反射を見る為に目の外側から徐々に光を当てられた。

 猫に似た生き物の大きく螺旋を三重に描いた長い長い尻尾は、小さく細かく揺れて、制服のピンクワンピースにエプロンを身に付けた、診察補助にあたる女性看護師の頬をぱふんぱふんと、尻尾の先端、綿状の房毛で何度も叩いている。

 診察されている事が、この猫に似て、猫では有り得ない生き物にとって不服なのだ。嫌そうな感情を全身に露にして、診察してくる相手を見ている。

「……異物侵入に因る初期の結膜炎でしょう。眼軟膏を塗ります。そのままモンスターボールに入れ、ポケモンセンター回復装置で回復させた後、診察料をお支払下さい」

「はい。良かったね、ニャルマーちゃん!」

 診察台の傍らで、心配そうにニャルマーと呼んだ生き物を見ていた、飼い主であろうポニーテールの少女が安堵の声を上げた。

 その声を横に、患者の目、下目蓋に手早く眼軟膏が塗られ。

「もしもウィルス性でしたなら、ポケモンセンター併設病院での経過観察も有り得ます。様子を見ていて、また涙を流していたり、他の異常が見られる様でしたなら、直ぐに病院へ。そうでなくとも、また一週間後に来て下さい」

「はいっ! 先生、有難う御座いました!」

 少女はニャルマーと自身が呼ぶ生き物を抱き上げると、元気良く会釈をして診察室を出て行った。

 少女の溌剌さに当てられたのか、ふう、と一息吐いたのは、猫に似た生き物を診察していた医師である。

「お疲れですか、新城先生?」

 そう聞いた女性看護師の診察室をパッと明るく彩る制服と、それに似合う容姿とは対照的に、新城と呼ばれた白衣の医師は気怠げだった。

「疲れたと言うより、私にもあの様な時期があった。などと、そんな事が頭に過ったのだよ」

「まぁ。先生、そんな事を。先生だって、お若いのに」

「十代前半、成人したての少女程若くは無いさ」

 自嘲の様な当然の事をカルテを手にしながら、ゆったりとした裾捌きで椅子に座った医師は女性である。

 疲れたのかと問われて不思議では無い目の下の隈。不健康な青白い程の肌。それらが解消されれば、整っている中性的な顔立ちは十分に美しいと言えるもので。それに緩やかに波打った、肩に掛かる暗い色の髪が白い肌と白衣に強いコントラストを作る。

「先程のニャルマーを連れたトレーナーの子は、まだジムバッジ取得の途中」

 そう独り言ちる新城は白衣の懐へと手をやり、赤と白で上下半分づつをカラーリングされた鶏卵より一回り小さな球体を掌に取り出した。

 看護師の表情が、朗らかなものから僅かではあるが、張詰めたものになる。

「それが、新城先生の……」

「そう、私の最初のポケットモンスター……。初々しいトレーナーを見て、旅を始めた頃を思い出したよ」

 新城の口許は微かに笑みが形作られ、遠くを見る目許には、記憶を辿ったのであろう。懐かしむ風情が漂っていた。

 

 

 この世界には、不思議な命が息づいている。

 尾に生命の炎を灯した、円らな瞳の龍の仔。

 巻いた尾と堅固な甲羅を持ち、二足歩行を為す亀に似たもの。

 自身と変わらぬ程の大きさの花の種子を背負う、身体に斑模様のあるもの。

 そんな不思議な生き物達が人間達と共に在って、幾星霜。

 数多の命を抱えた星の大地は、その時々に合わせて姿を変え、時の流れの中に命を記す情報元をも変質して行き、人間達と混ざり合い、不思議な生き物達の中では一見して人間と殆ど変わらないものまで出現した。

 遥かな過去より尚一層の多様性を見せる命達は、睦み合い、生存に鎬を削り合い、譲れぬものの為に全てを賭し、そうして生きて行く。

 

 

 新城がポケットモンスター、略してポケモンが入っているモンスターボールを白衣の内側へと戻す。

 看護師の表情と同じく、ぴり、と張り詰められた診察室の空気が緩められた。看護師も緊張から開放されたかの息を吐く。

 その吐息に、新城が小さく苦笑した。するしか無いと言う体で。

「……様々な種族やレベルのポケモンを目にする、ポケモンセンターの看護師である君達ジョーイにとっては、私のモンスターボールの中身も珍しくは無いだろうに」

「いえ、それでも。新城先生のポケモン程のレベルは、早々には見ません」

 それもそうか。と、ジョーイの言葉に、所感を表情へと託して答える。

「先生の様なポケモンリーグを突破されている方は、あまり見掛けませんから……」

「そうだったか」

 (うそぶ)いた新城の言葉に、今度はジョーイが返答を顔に表した。やれやれ、と。

 矛先を変えて、更にジョーイは続ける。

「あのニャルマーを連れた女の子でしたなら、リーグを突破出来るかも知れませんわね?」

「……そう、だな。あの溌剌とした子だったならば、トレーナーとして踏み外さずに、ポケモンと向き合っても行けるだろう」

 診察室に、静黙が降りた。

 ジョーイの無言には、悩ましげなものが含まれていた。職業柄、真っ当なポケモントレーナー以外も目の当たりにしなくてはならない為もあろうが、それにしては些か重苦しい。

「さて、次の患者は?」

「はい。今、初診のポケモンが受付に」

 俄に、診察室の外が騒がしくなった。

 喚き立てる男の声が、新城とジョーイの耳にまで飛び込んで来る。

 ジョーイが決然と(まなじり)を上げて。

「先生……、来ました! よろしく、お願いします!」

 椅子から立ち上がった新城の手には、何時の間にか野球ボール程度に大きさの変わったモンスターボールが、開閉装置に親指を添えられて在る。

「ああ。経過観察、傷病簡易治療中でレベル50以下のポケモン達は、速やかにボールに戻せ。……それでは、作戦開始」

 ジョーイに背を向け、診察室から出て行く新城の顔は、無表情。

 白衣の裾捌きは、全く以て緩やかなものだった。

 

    Ⅱ

 

 午後の陽の光が差し込む、ポケモンセンターのエントランス。

 年齢、人種、職業問わず存在する数多のポケモントレーナー達に門戸を開く、街のホテルエントランス並に広々とした、治療、回復施設の顔であるそこは、時間帯もあって混み合っていた。

 その受付カウンター前、喚き立てる者が居る。

 厚い革ジャケットを羽織る柄の悪い男が、ポケモン回復装置を自分を最優先に使わせろ。と、受付のジョーイに凄み、自分が不良トレーナーであるとの自己紹介を行動で周囲に喧伝しているのだ。

 勿論、診察室にまで聴こえた声の主は、この男である。

「ですから、回復装置の受付は先に来た方からの順番です!」

 受付のジョーイが不良トレーナーに毅然と対応しているが。

「すっとれぇ事言ってんじゃねぇぞ!! 早く俺のポケモン共を回復させろ! 殴られなきゃ分かんねーのか、クソアマがぁっ!!」

 こうした輩に対し、毅然とした態度と言うものは往々にして間違いである。

 また、こうした場面には義憤を胸に食って掛かる人物も出て来るもので。

「何なのよアンタ! 皆は並んで回復を待ってるでしょおっ! そんな事も分かんない出来ないって、バッカじゃないの!!」

 至極真っ当な台詞を詰りと共に不良トレーナーに叩き付けたのは、ニャルマーを受診させていた少女トレーナー。高い位置に結ったポニーテールも威勢良く揺らしている。

「んだと!? クソガキがぁ!!」

 少女に殴り掛からんばかりに勢い付く不良トレーナー。

 が、睨み合う二人は、それぞれ色の違うモンスターボールを素早く取り出した。

 ポケモンセンターのエントランスホールが騒然となる。しかし、この騒がしさはお祭り騒ぎにも似た活気で。

 トレーナー同士の目が合ったならば、ポケモンバトル。それがこの不思議な生き物が生きる世界に於いての共通認識の一つ。

 育成し鍛え上げたポケモン達に指示を出して競わせ、こうした諍いに白黒付ける事は全く珍しくない。

 ましてや、筋の通らない事を喚き立てて居た柄の悪い男に、真っ先に食って掛かったのは十代に入ったばかりの少女。判官贔屓も加わって、エントランスに居た人々の賑わいに拍車が掛かる。

 警察組織隊員、ジュンサー達が不良トレーナーを取り押さえに来る前に、バトルで方を付けろと囃し立てる有り様で。

 そんな降って湧いた耳目引くバトルに沸くエントランスの観衆達の間から、するりと白衣の人物が、睨み合う二人へと横槍を入れる形で進み出た。

 闖入者に非難の視線が集まった、その時。

「ここは医療機関だ。騒ぎを起こす場では、無い」

 低い、人を真芯から氷らせる、声。

 戦端を開こうとしていた二人。観衆と化していた利用客。その声を耳にした全員が、氷水を浴びせられた心持ちへと突き落とされた。

 新城の三白眼に開かれた黒い瞳が、不良トレーナーと少女トレーナーを射る。

 先程までポニーテールも跳ねて威勢の良かった少女は、診察室で見た、不健康そうで何処にでも居そうな女医との余りの違いに、愕然とするしか無く。

 同じく視線を射掛けられた不良トレーナーはと言えば、たじろぎから立て直し、新城を睨め付け始め。

「何だ、テメェ……?」

 ボキャブラリーを求めるのは酷であろうが、柄の悪い素行そのままの捻りの無い問いを掛けた。

「このポケモンセンター、臨時のポケモン診察医とでも言えば、納得するのかね?」

 新城の返答は実に素っ気無く、不良トレーナーの神経を逆撫でするには、十分なもので。怒気の矛先を少女から新城へと向けさせるのにも、十分なものだった。

 眉を寄せ、歯を剥き出して悪罵を吐く寸前。

 新城の白い右手が、モンスターボールを掲げ持ってそれを遮る。

「私がバトルを受けようではないか。騒ぎにならない程度に、な」

 思ってもみなかった新城の申し出に、不良トレーナーは粗暴の笑みを浮かべ、自身のモンスターボールを持ち直した。

「良いぜ……。誰だって、俺がブッ倒してやる!!」

 罵倒の勢いと共に新城の前へと、ブン投げるとしか形容し難くモンスターボールを放ると、ボールを中心に閃光が弾け、エントランスに居る人々の眼を焼いた。

 観衆が目を開けた時、新城と不良トレーナーの間には、赤い鱗板に、横縞とサングラスを掛けた様な黒い斑が目立つ鰐に似たポケモンが鼻息荒く、そこに居た。

「はっはぁっ! ポケモン図鑑で調べる前に教えてやるぜ! 俺のワルビアルのレベルは73だ。そこらのトレーナーとは違うんだよ! オラッ、テメェもポケモンを出しやがれ!!」

 ポニーテールの少女トレーナーと共に、観衆が(どよ)めく。

 ポケモンのレベルが70を越えるとなると、警察組織隊員のジュンサー達が保有するポケモン達では、とても太刀打ち出来ない。

 不良トレーナーがポケモンセンターで蛮行に出る訳である。外見に似合わず、育成力は確りしたものだ。

 新城はと言えば、バトルを前に意気軒昂としたワルビアルをまじまじと見詰めている。未だ、自身のモンスターボールを放る素振りすらない。

「何してんだっ。早くポケモンを出せっ!」

 と、苛々とした声を掛けられ、ワルビアルから視線を不良トレーナーに移した新城は、ゆったりと口を開く。

「成る程、良いポケモンに育っている。センターが要請を発する訳だ。実に、勿体無い」

 我関せずと独り言ちるまま、綾糸の鞠を慈しむかの様に、新城は自身のモンスターボールをワルビアルの前へと投じる。

「攻戦開始」

 その声が観衆に、柄の悪い対戦相手に聴こえたかは不明であるが、投じられたボールが閃光を放つ。

 そこに現れたのは。

「相似、体類!」

 自身の予想外であった影に言葉を溢したのは、ポニーテールの少女トレーナー。

 気のせいだろうか。少女の背筋に、ぴり、と言葉にならない何かが走る。

 少女の目に写るのは、頭の天辺から爪先まで軍装の姿。

 星章の光る軍帽、黒染軍服、弾薬盒(だんやくごう)の付いた略刀帯、革脚絆。それらを自らの身肌であるかの様にして隙一つ無く立つ男が一人。

 目庇(まびさし)から覗く小さな三白眼は、金壷眼。鼻と口は目と反目する様に大きく、ごつい骨格の顔に無作為に在る。凶相そのものと言えた。

 相似体類。発生起源を人間と異にするが、殆ど同じ機能を持ち、形態、性質等が写した様に似ている、一見して人間に良く似たポケモン達の総称である。

 この不思議な生き物が息づく世界に於いて、相似体類の存在は全く珍しくない。

 身体の頑強さ、強靭さの点で人間とは一線を画し、ポケモンバトルでも、人間の姿では無い超常の力を振るうポケモン達とも戦いを繰り広げる。

「君は」

 軍装のポケモンの背後となった新城が、無表情に赤い唇を動かした。

「ここ以外のポケモンセンターでも似た様な騒ぎを起こし、ジュンサー達を返り討ちにして逃げ回っていたと聞く」

 図星を突かれたと言う顔をしたのは、不良トレーナー。

「対処要請が警察、そしてポケモンセンターからも出されるのは道理だろう。予期していなかった訳でも有るまい」

 不良トレーナーは、待ち伏せられていたのだ。どこのポケモンセンターに行ったとて、新城の様な人員が配置されていたのだろう。

 僅か、無表情から口角を吊り上げ。

「ポケモンの力を笠に着て暴れ回る、子供の相手」

 新城を睨む目に、獰猛な殺意が点った。

「詰まらない事だが……。さぁ、始めようか。僕?」

 溜め息と、幼児をあやし掛ける声音。

 それを向けられた男の反応は。

「クソッたれっ……、がぁぁぁっ!! ワルビアル! 地震だ!!」

 紅潮し切った顔で、激昂と共に繰り出す攻撃を指示した不良トレーナー。

 不思議な生き物、ポケモンは強烈な膂力と超常の力を組合わせ、地震を起こす事すら可能。それを対象への攻撃として使いもする。

 指示内容を聴いて観衆達は恐慌に陥った。

 こんな不特定多数の人々、ポケモンが集まる大規模医療施設で、ポケモンが地震を起こしたならば。

 完全に頭に血が上った不良トレーナーは、ポケモンセンターの崩壊諸共に新城を葬ろうとしているのだ。

 ワルビアルが両の腕を開き、地震を起こさんと筋骨隆々とした後脚でセンターの床を砕こうとする。

 間際。

 白刃が、ワルビアルの横腹を薙ぎ払っていた。

 抜き身の軍刀を手に、払った体勢で崩れ落ちて行く対戦相手をじっと見詰めているのは、新城の手持ち、軍装のポケモンである。

 どしゃり。

 意識を断たれたワルビアルが盛大な音を立て、砕こうとしていた床に倒れる。と、一拍の時を置いて歓声が上がった。

 ポケモンセンターは、ワルビアルから繰り出される地震に因って、崩壊する憂き目から逃れたのだ。

 不良トレーナーは倒れたワルビアルを見て、呆然となっている。体力万全では無かったとは言え、鍛え上げたワルビアルが、一刀、たった一刀の元に斬り伏せられた事実に、認識が追い付かないのだろう。

「まだ、続けるかね?」

 花弁雪が一つ、不良トレーナーの頬を叩くかの声。

「レベル70程度の練度では、相手にもならないのだよ」

 無表情な新城の、冷々とした宣告。

 レベル70のポケモンが相手にならない。と、聞いて、はたとポケモントレーナーの必需品、電子手帳形式のポケモン図鑑を起動させて軍装の相似体類に向けたのは、ポニーテールの少女トレーナー。

「種族名、えと、兵……、後の漢字読めないっ。レベル、は」

 少女は図鑑の液晶と対面しつつ、目を丸くした。

「レ、ベル……、488!? 何で、何でそんなポケモンっ!」

「種族名は、兵仗(へいじょう)と読む。それ以上は公表してくれるな。ニャルマーのトレーナーさん?」

 ひゃっ! と、吃驚の声を上げた少女に声を掛けたのは、軍装のポケモンだ。笑っていた。凶相だと言うのに、どこか人懐こさがある。

「ふゃっ、ひゃ、はいっ!」

 慌てふためいて図鑑をお手玉する少女。

 対戦相手でもない他人の手持ちポケモンを図鑑で分析するのは、眉を(ひそ)められるマナー違反。

 ポニーテールの少女トレーナーからは、どうにも直情的で粗忽な気質の匂いが感じられる。

 新城は僅かに苦笑しつつ図鑑のお手玉を視界に入れて居たが、視線を対戦相手に絞り直す。

「ワルビアルをボールに回収してやれ。続けるのなら、レベル差の上から理不尽に叩いてやろう。君がして来た様にだ」

 歯軋りの音が、不良トレーナーの青くなった顔、頬から一つ。

 軍装のポケモンが軍刀を鞘に収め、く、と腰と膝を落とす。

 張り詰めた沈静が、エントランスを否応無く支配する。

 少女トレーナーが漏らした相手のレベルが耳に入って居らずとも、今なら彼にも分かるだろう。

 元々興奮した神経で新城とのバトルに雪崩れ込み、散々に口上で挑発され、目の前のポケモンの強さを肌当たりで計る事すら失念させられて居たが、対戦相手の練度を。

「ぐ……」

 高く伸びた鼻っ柱を叩き折られたのだ。

 淡い光と共にワルビアルがボールに回収される。

 すると、床に拳を叩き付ける音が、何度も、何度も。地団駄を拳で踏んでいるとでも言えば良いのだろうか。

「自分では地震すら起こせないのが分かったかね? ポケモンの力を自分と混同するから、そうなる」

 まだ、煽るのか。この白衣のトレーナーは。

「……いつかっ、いつか必ずっ! テメェも同じ様にしてやる!!」

 その宣言を意に介す様子は、相手には無い。

 ポケモンセンターで不意に起こったバトルは、理不尽に終わった。

 後はジュンサー達が恙無(つつがな)く、不良トレーナーを連行出来れば良いのだが。

 そんな希望的観測を自らの手で握り潰したのは、他ならぬ彼自身だった。

「覚えてろよっ……! そん時は、必ずブッ殺し」

 し、の後に続く言葉は、吐かれなかった。いや、吐けなかった。

 目の当たりにしてしまったのだ。

 狂じた目を。

 燃え滾る溶鉱炉の赤。獄卒が亡者を責め苛む焦熱地獄の炎。

 それが爛々とした、目庇から覗く、両目。

 人間とは遥かに隔絶した暴威そのものである相似体類の目が、激怒に荒れ狂っている。

 相対した不良トレーナーの脳裏は、恐怖一色に塗りたくられ。彼の意識は泡が弾ける様にして途切れた。

 ワルビアルに続き、そのトレーナーまでもが倒れたエントランスは、水を打った様に静まり返る。

「と、当然でしょっ……。私のポケモン達だって、私の事を殺す、なんて言ってるのを聞いたら……、絶対、怒るもんっ」

 気絶した不良トレーナーへと小声で毒突くポニーテールの少女の膝から下は、ガクガク震えている。

「攻戦、作戦、共に終了。予定の処理に入る」

 新城が自身の手持ちへと言い渡すと、床に伸びた男の傍らへと緩やかに歩み。

 慣れた手付きで革ジャケットの内側をまさぐると、収縮状態のモンスターボール五つを取り出し、一つ一つを既に抜刀して居た手持ちへと投げる。

 ボールの開閉装置部分のみが斬られ、中身のポケモン達は、特殊な処置を施されなければボールから出られなくなった。

 破損させたボールを拾い上げ、抱えた新城の視線は未だに伸びた男にある。

 哀れみも怒りも何も無い、酷薄さすら漂う視線。

「新城先生」

 静まり返ったエントランスに、ポケモンセンターの日常を象徴する声が一つ。診察室で新城と共に居たジョーイであった。

「当センターからの要請遂行を確認しました。警察も、すぐにこちらへ到着する様です」

「有難う。では、私は診察に戻ろう」

「いえ。今日、これからの診察は、センター長が。このポケモンセンターを守って頂いた大仕事の後ですから、ゆっくり休んでくれ。との事です」

「分かった。センター長のご厚意に甘えさせて頂こう」

「警察への報告もこちらで。新城先生、お疲れ様でした」

「ああ……。では、今日は上がらせて貰う」

 新城がジョーイの提げていたモンスターボールケースへと、抱えていた五つのボールを納める。

 その手付きは何とも優しく、慈しみを感じられるものだった。

 ジュンサー達を乗せた警察車両が鳴らすサイレンの甲高い音が、エントランスに居る人々の耳に入る。直ぐにも床に伸びている不良トレーナーは連行されて行くだろう。

 私利私欲、または他を顧みない思想の為に、ポケモンを使う人間達。

 それを阻むのも、ポケモンを使う人間達。

 新城と軍装のポケモンは、既にエントランスから背を向けている。

「……貴方も、初めてポケモンをゲットした時は」

 万感の思いを不良トレーナーへと溢れさせたジョーイの表情は、実に残念だ。と物語っていた。

 大きく聞こえた警察車両のサイレンが止まり、代わりに車のドアが閉まる音が幾つも聞こえて来る。

 それを合図にエントランスの各々は、騒ぎの熱は冷めやらぬが日常へと、自分の業務と目的へと戻って行く。

 そんな中、カウンター内で受付と案内に勤しむジョーイに、早速と仕事が舞い込んだ。 

「あのっ。センターに勤務してる人達専用の出入口って、どこですかっ?」

 ピョコリとポニーテールを揺らし、興味津々を露にした少女トレーナーだった。

 

    Ⅲ

 

「何も、あそこまで煽る事はあるまい?」

「目標に食って掛かった少女から、私に意識を向けさせる為です」

「僕をボールから出した後だからとは言え、やり過ぎだ」

「場に出されたポケモンの身体能力を計算に入れての言動選択でした」

「危機管理の話では無い。君のリスク管理がなっていない。と、言っているのだ」

「……」

「相手が拳銃を持っていたとしたなら? 君の事だ。目標が育成したポケモンに絶対の自信を持っていると考えた上での事だろうが。気に入らないぞ、僕は」

 ポケモンセンターへと繋がる広い公道は、ジュンサー達の車両が有るぞ。と賑わう人々が行き交う。

 一仕事を終えたばかりの、白衣を脱いで開襟シャツにタイトスカート姿である新城と、インバネスコートを羽織り、装備を衆目から隠した軍装のポケモンが会話しながら歩んでいたが。

 元気が良いと言うか、威勢が良いと言うべきかの存在が、息急き切って二人を追い掛けて来た。

 ポニーテールの少女トレーナーである。

「待って! 待って、下さぁぁいっ!!」

 二人の前で急ブレーキを掛けたとばかりに忙しく立ち止まると、息を無理矢理調えて発したのは。

「お二人ともっ、センターでのバトルの途中で、横から図鑑を使ったりしてっ、本っ当ーに、済みませんでした!」

 勢い良く頭を下げるのも忘れずの、風圧を感じる様な謝罪だった。

 そんな謝罪をされた二人は、顔を見合わせ。

「あ、ああ。確かにマナーは良くなかったが、以後、気を付ければ問題ないよ」

 優しく諭したのは、もの柔らかな笑顔を作った新城で。

 許容の言葉を受け、あからさまに笑顔となった少女は。

「有難うございます! 今後は気を付けます!」

 二人は小さく苦笑を漏らした。

 苦笑を留めつつ、軍装のポケモンが、努めて優しく少女に語り掛ける。

「気を付けるのなら、他にも有ると思うが?」

「……え?」

「正義感が強いのは良いとしてだ。今日のポケモンセンターで暴れた様な男に対し、君はこれからも突っ掛かって行く気かな?」

 少女は、ぐむっと口をつぐむ。彼女なりに思う所は有った様だ。

「君達トレーナーの意地の張り合いに付き合わされるポケモン、僕達の事も考えて欲しい。回復装置で傷はどうとでもなるが。これ以上は、言わなくても分かるね?」

 震え始めた下唇を噛み、少女は自身の手持ち達のボールが入ったバックに手をやる。

 少女の瞳は、潤みながらも真っ直ぐに、軍装のポケモンの目を見詰めている。

 そうして一つ、首肯した。

 少女の真っ直ぐな瞳を受け止めていた相手は、少女が首肯した事で俯いた時、僅かに顔を(しか)める。

 その内心が分かったのは、隣に立つ新城だ。

 ああ、また卑怯にも欺瞞を口にした。しかも、こんな少女相手に。とでも、自己嫌悪をしているのだろう。この人は、全く、何時まで経っても……。

 等と思い巡らしながら、会話する二人を見ている。

 少女の視線が俯きから戻った時、軍装のポケモンの表情も元に戻っていた。

「もっと言うなら、僕達は君達トレーナーを心配するのだよ。相手のトレーナーに殴られたり、銃で撃たれたりしやしないか」

「……はい」

「今日だとて、僕のトレーナー、娘はあの輩を煽り立て過ぎた。君は真似をしてはいけないよ?」

「……む、娘っ!?」

 神妙に話を聞いて居たかと思えば、素っ頓狂な声を上げる少女。

「え? 娘って、娘って。全っ然、似てないっ!!」

 少女は目前に立つ、殆ど同じ背の高さで、中性的な顔付きに涼しげな目元の女性と、言ってしまえばゴツくて怖ぁい顔に、ギョロッとした目の男性を忙しなく見比べ始める。

 まるで似ていないのは確かに事実だ。

 診察室で少女の溌剌さに当てられたと同じ様に一息吐くと、新城は往来で仰天しっぱなしの少女を落ち着かせる材料を与える事にした。

「自己紹介しよう。私は人間の新城 (けい)。人間と携帯獣達の外科医をやりつつ、ポケモントレーナーをやっている」

 ぱた、と少女の忙しない挙動が止まる。目(まぐる)しい子だ。

「そして、こちら。私の手持ちでもある相似体類は、新城 直衛。似てないのも当然だ。私は養い子でね。血の繋がりは無い」

「あっ……、やっ、済みません……」

 養子と聞いて、流石に気が咎めたのか、ポニーテールもシュンとさせている。

 直衛は視線を横に外し、沁々と思った。この娘は昔の様に奉公に上がったとしたなら、間違い無く、奉公先でおきゃんな娘として扱われるのだろうな。と。

「さて、私達は自己紹介をしたのだが。そちらは返してくれないのかね? 元気の良い君?」

「はっ、はい!」

 少女が促された流れに乗る。

「私、ジムバッジを集める旅をしてるカンナと言います! まだバッジは三つ目ですけど、絶対に八つ以上揃えて、ポケモンリーグを突破するんですっ!」

 カンナの言うジムバッジとは、トレーナー自身と、引き連れている手持ちポケモン達のレベルの程を証明する物である。

 そして、人智の及ばぬ強大な力を振るうポケモン達がトレーナーのレベルを計り、人間に従うか否かの目安ともなる重要な物。

 バッジを得る方法は大凡(おおよそ)一つに絞られる。

 ポケモンジムで、ジムリーダーとのバトルに勝利する事だ。

 ポケモントレーナーを教導する目的で各地の都市等に設立されたのがジムであり、そのジムを代表し、統率するに相応しい強さを誇るジムリーダーと、挑戦者のレベルに合わせたハードル設定でのポケモンバトルを勝利した者に贈られるものが、ジムバッジ。

 それを集め、更なるステージとなるポケモンリーグに挑戦する資格を得る事が、一先ずの目標となる旅をポニーテールの少女、カンナはしている。

 日々をポケモンと共に生活している為もあるが、人間達は成人年齢とされる十歳にもなると、男女の区別無くポケモントレーナーの道を選択し、ジムバッジ取得の為に各地を回り、トレーナーとして手持ちポケモンと共に更なる高みを目指す。

「あのっ、それでなんですけれどもっ!」

 呂律も良く回ったな。と、思える勢いの台詞の後、カンナは恵の右手をひっしと取り。

「ポケモンセンターでのバトル! もう、もう、ヤッバい! 凄かったです! 先生のお父さんがワルビアルに攻撃した技って、神速ですよね!?」

 興奮を全身から吹き出させ、両の瞳を綺羅々々パチパチとさせ、捲し立てる。

「先生の迫力も凄かったですぅぅっ! やっぱりレベルが百を越えたポケモントレーナーってぇ!」

 あ、これは、いかんな。表情は変えていないが、困惑しているな?

 娘の表情にも注視を送っていて察した父が、カンナの往来での暴走を止めようとした所で。

「っと、違う違う! そうじゃなくて、先生っ。私と連絡先の交換をお願いしますっ! ご迷惑でしょうけど、先生と時々お話させて貰うだけでもっ、お願いしたいんです!」

 藪から棒な申し出である。が、カンナは真剣そのもの。

 確かに性急ではあるが、可笑しな申し出ではない。

 駆け出しのポケモントレーナーが、自分の目指すポケモンリーグを間違い無く突破しているだろう、レベルの高いトレーナー相手を前にして、指を咥えて見ているだけと言うのは頂けない姿勢だ。

 恵はと言えば、す、と目を細め、バトルで見せた様な冷然とした表情を滲ませる。

 冷々とした雰囲気を思い出し、取り付く島も無く断られる予感と悪寒に襲われたカンナは、逃走の二文字も頭に過った。

「……ポケモントレーナーとしての教えを乞う目的なら、君がこれから回るジムのリーダー達の様な適任が居る」

 ああ、やっぱり断られるんだ。五月蝿くしちゃったし、マナー違反もそうだし。と、カンナがポニーテールも萎れさせていると。

「なので、教導等と言うものには期待しないで貰いたいが。宜しく、カンナ君」

「へ?」

「連絡先の交換をするのだろう?」

「……はいっ!」

 みるみる生色を取り戻したカンナと恵のデバイスを介した連絡先交換を横目にする直衛は、内心でやれやれと一息吐いていた。

 そうして、次のジムへ挑戦する為に手持ちと自分を鍛えるのだと、目的を達したカンナは新城父娘に大きく手を振り振り、二人の前に現れた時と同じ様に忙しく去って行く。

 カンナの後ろ姿がすっかり見えなくなった頃。

 ポケモントレーナーと、その手持ちポケモンとしてでは無く、父娘はゆるゆると歩き出した。

「珍しい事もあったものだ」

「連絡先の交換、ですか?」

「今日の様な粗暴の輩の喧しさもあったからね」

「元気の良い女の子で、旅を始めたばかりでしたなら、あの活気の加減も珍しくは無いと思いますが」

「僕と君とで旅を始めたばかり、娘時分の君はとても物静かだったが」

「差を感じられると?」

「ああ。実に強く」

「カンナと言う娘、準となかなかに相性が良いかと思われます。交流する事で、互いに良い影響を与え合えるかと」

「成程。僕のトレーナーさんは、それを考えていたか」

「あの娘に言いました通り、トレーナーとして何かを教える等と言う心算(つもり)は有りません。良くなるやつは勝手に良くなる。何方(どなた)かが言っていましたが、そんなもの。ですね」

 その何方かが武骨な頬を掻く。照れているのか、それとも。

 どちらなのかを知ろうともしない恵は、隣で微笑んでいる。それは幾らか、ぎこちなくあって。

 月下に零れる白梅の様な微笑みである。

 往来の整然とした石畳に、二人の靴音が悠々と響く。

 暫くして。

「今日は、そうだな。小唄でも聞いて戻りたいが。どうかな?」

「お伴します。そうなりますと花より何とやらではありませんが、焚き合わせも楽しみです」

「よしよし。では行こうか」

 三味線の爪弾きに憩いを求めると成り行きを定めた二人の靴音は、心なしか弾んだ様にも聞こえるのだった。

 

    了

 

 





 登場人物紹介

 新城 恵 (原作、出典元 とある科学の超電磁砲より、木山 春生)

【挿絵表示】


 一番最初にGETした相似体類ポケモン、新城 直衛の正式な籍の入った養い子であり、養父のトレーナー。
 ポケモントレーナーとして高い実力を持ち、医師としても活動している。
 彼女の生家の姓は、木山と言ったらしいが……。

 新城 直衛 (原作、出典元 皇国の守護者より、新城 直衛)

【挿絵表示】


 人間に姿形が酷似した相似体類ポケモンの一種、兵仗の一体。
 相似体類は人間達と同じ国籍等の権利を有し、人間、相似体類の区別無く養子を迎える事が可能。
 養女である恵の強力な手持ちポケモンとしても、家族としても傍らに居る。

 カンナ (オリジナルキャラクター)

【挿絵表示】


 元気一杯の駆け出しポケモントレーナー。
 彼女の手持ちポケモンのニャルマーは、元々は平和に飼いポケモンとしてカンナの家で暮らして居た。
 しかし、ポケモントレーナーへの旅に出る事となった危なっかしいカンナを放って置けず、ポケモンバトルにニャルマーは身を投じる。
 賑やかに旅をしながら、恵達とも関わって行くのだ。
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