ヨルハ学園から徒歩三十分(人類換算)。
廃墟都市の南端にある、鉄骨とコンクリートで造られた集合住宅。
更に南の砂漠地帯にある廃墟群の一部を研究し、当時の姿で再現されたその“レプリカ”は、絶滅した人類がかつて“団地”と呼んだ建造物だ。
そしてその“団地”には、今はこの地に満ちるアンドロイド達が住んでいた。
「ただいま」
言いながら、ペンキで臙脂色に塗装された鉄製のドアを開ける。
奥の居間にいるであろう同居人の
とにかく言うことが大事。
帰宅しての第一声というのはそういうものだと、旧世界の人類のデータにはあった。
狭い玄関で靴を脱ぎ、トイレや浴室に面した長細い廊下を歩いて行くと、台所のある居間へと辿り着く。
その扉を開くと、台所に立つその背に向けて、改めて帰宅を告げた。
「ただいま、
「おかえりなさい、9S」
振り返って応答してきたのは、エプロンを身に纏った女性型アンドロイドだ。
絹糸のような金髪。左のサイドだけを長く垂らした、アシンメトリのショートヘア。
きりっと冴えた切れ長の瞳、理知的な顔つき。
優等生、几帳面といった表現がしっくりとくるような佇まいをしている。
名をヨルハ二十一号O型、通称
9Sの姉である彼女もまたヨルハ学園の生徒で、一コ上の先輩にあたる。生徒会の役員でもあった。
「夕飯ができたところなので、運ぶのを手伝ってください」
彼女は事務的な口調でそう言うと、鍋で煮込んでいたホワイトシチューをおたまで皿に盛り始めた。
9Sも「わかった」と頷くと、その皿に加えて、スプーンやコップも食器棚からテーブルへ並べていく。
冷蔵庫の当番表には、今週の食事当番が21Oであることが示されている。
ほどなくして姉弟の食卓が整って、テーブルに向かい合って座ると――
「今日はシチューの味つけの配合を変えてみたのですが」
「へぇ、そうなんだ」
「……美味しいですか?」
「うん、具材に味が良く染みてる」
スプーンでシチューを掬って口へと運びつつ、訊ねてくる21Oに答える。
実際そこまで味の変化は感じられなかったのだが、それを素直に言うほど子供ではない。
21Oは頷いて、
「そうですか、人類のレシピデータを解析した甲斐がありました」
口調は堅いし、抑揚にも乏しいが、声音にはほんのりと満足感が滲んでいる。
彼女はその潔癖そうな見た目を裏切らず、弟の9Sに対しても敬語を欠かさない。が、それが姉弟の距離感の遠さを表しているかというと、そうではなかった。
食事を続けながら、21Oが問うてくる。
「学校はどうですか? 楽しいですか?」
「楽しいよ。姉さんは?」
「私も問題ありません。勉強の調子はどうですか? 難しいところがあればいつでも
「大丈夫、問題ないから……。スキャナーモデルはそういうの得意だし」
「そうですか……偉いですね」
「…………」
こんな調子で――少し過保護で、未だに子供扱いしてくるのには閉口するが――彼女は弟思いの姉だった。
学校生活の話をされて、「そういえば――」と思い出して9Sは言った。
「今日うちのクラスに転校生が来てさ」
「把握しています。たしか女子でしたね」
こともなげに、21O。
「どうして知っているのかな……?」
「生徒会役員ですから。弟のクラスの情報を入手するのは難しくありません」
「そ、そう……」
理由になっていない気がしたが、深く突っ込まないことにする。
彼女には少し過保護なところがあるから。
「……それで、その子がどうしたのですか?」
「うん、それがすごい美人さんだったんだけど――」
促されて話し始めた途端、向かいから“カッ!”と陶器と金属がぶつかり合う鋭い音が聞こえてきた。
9Sが一旦口を止めて、対面を見やると、どうやら21Oが皿にスプーンを激突させたらしい。
彼女はそのポーズで一瞬固まって、すぐに何事もなかったかのように澄ました顔で食事を再開して、「それで?」と続きを促してくる。
「その
言葉にトゲがあるような気配を感じつつも、9Sは続けた。
「う、うん。
カランッ!
再び甲高い音が鳴り、9Sが話を中断する。
見ると、21Oはスプーンを皿の上に放り出し、
テーブルマナーに厳しい彼女が食事中にそのような奇行に走るなんて、明らかに異常だ。
9Sの経験上、こういった場合この姉はろくなことをしていない。
「…………姉さん?」
「……なんでしょうか?」
手を休めずに返事をしてくる21Oに、内心ジト目になって9Sは訊ねた。
「なにをしてるの?」
「いえ、
「なぜ今!? というか、そもそもなぜ!?」
唐突に21Bになろうとしている姉を問いただすと。
彼女は手を止めて、こちらに視線を移すと、きっぱりと真顔で説明してきた。
「その女を始末します。世間一般的に、弟の貞操を守るのはお姉ちゃんの役目と決まっていますから」
「いや、意味わかんないよ!?」
……訂正しよう。
“少し”どころではなく。
21Oは9Sに対して、“かなり”過保護なところがある。
普段は冷静沈着という言葉が服を着て歩いているような彼女だが、9S絡みの案件では簡単に正気を失ってしまうのだ。
それに彼女はいかにも常識的なようでいて、どこか感性が“ズレて”いるところもある。
彼女は「ですから――」と真顔(に見えるが正気を失った表情)で続けた。
「お姉ちゃんはあなたが心配なのです。あなたははっきり言ってしまえばチョロいですから」
「チョロいって……」
「ちょっと優しくされたらすぐ懐いてしまうということです」
「いや、意味はわかるけど……」
「先ほどその女を“2B”と呼び捨てにしていましたね? あなたの性格から言って、普段ならば会って初日の相手を呼び捨てで呼んだりはしません。ということは、それは彼女によってそう呼ぶように差し向けられたということではありませんか?」
「その女て……いや、“差し向けられた”って言い方がおかしいよね……? 2Bは単にもう友達だから敬称は付けなくて良いって言ってくれただけで――」
「ほらご覧なさい。もうそんな風に丸め込まれて、チョロいにも程があります。良いですか? 登校初日にも関わらず、初対面の異性に自分を気安く呼び捨てにするよう差し向けるような女子は、相当な
「ビッチて! それは姉さんの基準がおかしいだけだと思うよ!?」
もはや過保護というレベルですらないかもしれない。
9Sのツッコミも虚しく、21Oは親指の爪を噛むような仕草をしながら、
「……ピュアな弟が食い物にされる前にアバズレは抹殺しなければ。しかし、相手はおそらく生まれついてのB型、私がB型に換装したとしても一筋縄ではいかないでしょう……最終的には
「なんか思い詰めてるし……」
ぶつぶつと呟き続けているその瞳の奥は、ぐるぐると渦を巻いているように見えた。
9Sは額に手を当て、「はぁ……」とため息をつく。
それから取り乱した姉を落ち着かせ、一連の流れをきちんと説明するのには、しばらくの時間を要した。
◆◇◆◇◆
食事が終わると、食器洗いは9Sの役目だ。
二人分の食器と鍋を洗うのにそれほど手間は掛からない。
すぐに洗い終わって軽く伸びをしていると、背後から「そういえば――」と21Oが話し掛けてきた。
脇にベランダから取り込んだ洗濯物のカゴを抱えている。それをテーブルに置いて、
「週末に東京デパートに買い物に行く予定です。貴方の
「いや、姉さん――」
9Sはその看過できない発言に対して即座に異議を申し立てた。
「僕ももう子供じゃないんだから、自分のパンツくらい自分で買うって前に言ったよね……?」
高校生になってまで姉に自分の下着を買われるのはある種の拷問だよ、と主張する。
実際それで前回から9Sが自分で下着を選んで購入し始めたのだから、もう姉の出る幕はない筈なのだ。
「いえ、9S――」
と、それに対して21Oが
「貴方が前回自分で購入してきた下着の柄について、“有り”か“無し”かネットで投票を募ったのですが」
「なんてことしやがる!?」
声を荒げずにはいられなかった。
そこには、
“最近弟の購入した下着の柄、有りか無しか?”というトピックで投票が行われていた。
もちろん下着数点の実際の写真も
「これもう拷問っていうか処刑だよッ!!」
あまりの仕打ちに頭を抱えて悲鳴を上げる。
21Oはなおも続けて――
「もちろん匿名で名前は伏せてあります。投票の結果ですが、およそ65%が“無し”という判定でした。お姉ちゃんとしては弟がマジョリティから“無し”とされるセンスの下着を身につけているのは心配で――」
「あああああーっ!! 聞きたくない聞きたくない!!」
投票結果を解説してくる姉に頭を掻きむしりながら。9Sはふとページのある部分に目を留めて、
「っていうか、投稿者名の“21お姉ちゃん”って、これ最悪特定まであるじゃないかッ!!!!」
絶叫した。
しかし、こちらの抗議がイマイチ伝わっていない様子で、21Oは写真のひとつを指さすと、
「特に、この“塔”をモチーフにした柄のものはどうなのでしょうか? この“姉ツー”さんというユーザーからのコメントでも指摘があるとおり、“塔”というのは太古の機械生命体が宇宙に向けて“方舟”を射出するために設置した発射台ですが、まさかこの柄は着用者の下半身からそういった類いの何かが発射されるという謂わば性的な
「わああああああああ――んっ!!!!」
追い打ちをかけてくる姉の声を、耳を塞いで声を上げるという旧世界より伝わる由緒正しきテクニックで打ち消しつつ、9Sは泣きながら自室へと逃亡したのだった。
◆◇◆◇◆
「うう……ぐすっ…………」
「……元気を出してください」
自室のベッドの上で膝を抱えていじけている弟のそばに屈んで、21Oはそっと声をかけた。
「もう文句はつけませんから、下着はあなたの好きな物を選んでください」
「もういいよ……もう一生姉さんが買ってきたパンツでいいんだ僕は……」
「そんなこと言わずに……」
恨めしげに呟く弟を宥めながら、まただ――と苦い思いに胸中が満たされる。
まただ。またやってしまった。
この世界にたったひとりの
今日はそれも二度目だ。
「……ごめんなさい、9S」
弟の隣に腰掛けて、21Oは謝罪の言葉を紡いだ。
悔恨の思いで眉をハの字にして、しゅんと
「お姉ちゃん、またやってしまいましたね。あなたを傷つけるつもりはなかったのですが……」
「……傷ついてなんてないし、もういいって言ってるじゃないか」
拗ねた声音で言い返してくる弟に、いよいよ意気消沈してしまった21Oの口からは、
「ごめんなさい、私……あなたが大切で…………だから……どうか……」
嫌いにならないで――と、そこまでは言葉にならなかったが、気がつけば縋るように9Sの袖をつまんでいた。
すると――
「…………あーもう!」
しばしの沈黙を挟んで、9Sが苛立った声を上げた。
びくんと肩を跳ねさせる21Oに、背けていた顔を向け直して、はぁっと呆れたようなため息をひとつ。
肩をコケさせて、気勢が削がれたように言ってくる。
「……姉さん、そういうのは無しだよ」
「え?」
「そんな風に悲しそうに落ち込まれて、お願いされて、なんだか僕が悪いことしてるみたいな気になってくるじゃないか。それに、怒ることはあっても姉さんのこと嫌いになんてな、る……わけ……が……ないのに」
最後は気恥ずかしくなったのか赤面し、そっぽを向いて、声が尻すぼみに小さくなっていったが。
「9S……」
21Oは感極まって、言葉をなくしてしまった。
目を潤ませて、今すぐ目の前の弟に抱きつきたいとうずうずする両腕の衝動を抑え込んでいる21Oを見て、「と、とにかくさ!」と9Sが照れ隠しのように声を上げて、
「姉さんはやっぱりどう考えても過保護すぎるからさ。少しは僕のことを信用して、子供扱いするのも減らしてくれれば良いと思うんだよ……うん」
ぽりぽりと頬を掻きながら言ってくる心優しい
「……わかりました」
しっかりと頷いた21Oの顔には、柔らかな微笑みが浮かんでいた。
そうして、しばらく二人してベッドに腰掛け、言葉も無く、ゆったりとした姉弟の時間が流れて。
やがて21Oは「そうだ――」とふと思いついて提案した。
「週末の買い物は一緒に行って、あなたの下着を私が選んで、私の分はあなたが選んでくれるというのはどうでしょうか?」
「…………それもかなり精神的に拷問じみてるよ」
姉弟の仲直り記念には良い案だと思ったのだが、9Sにはやれやれと首を振りながら却下されたのだった。
(つづく)
オペレーターモデルって井戸端会議的な物とか好きそうですよね、多分。
6Oのイメージもありますが、基本O型コミュニティは女子女子してそうだなーと思ってます。
書いて消してを繰り返している内に時間が結構経ってしまいました。
自分の中での期待値が高すぎるとこうなるんですね。
次回はもっと軽く書けたら良いなと思います。