ああ、またこの色なの。
少女は目の前の者に、その色を見た。
相手は少女よりはるか年上の男性だった。歴戦のトレーナーなのだと、顔を見ればわかる。
その相手が見せてくれたのは「こんな小娘に」という色。戦う前にも似た色を見せてくれた。
威勢のいい色は、嫌いじゃない。それがたとえ愚かさから来ているものだとしても。
けれどもいまの色は濁ってしまっている。暗く、暗く沈んでいる。
「カイリュー」
ただ名前を呼ぶだけで、少女のポケモンは彼女の意思を理解する。
次の瞬間には、相手のポケモンは吹き飛んだ。
目にも留まらぬ攻撃。ただぶつかるだけではあるけれども、速度と技術が合わされば神速とも言われる域に達する。
圧倒的であった。いかにドラゴンが「最優」と呼ばれるタイプであっても、こうはいかないだろう。
それはひとえに、少女の技量であった。
がくり、と相手は膝をつく。審判から勝利のフラッグがあげられた。なんともあっけない幕切れだ。
相手にいま浮かんでいる色は、白。敗北した者が一様に見せる色であった。
退屈な戦い。ここまで来たというのなら、せめて一匹でも倒してみたらどうだろうか。
「また来てくださいね。門番は、常にここを守っておりますので」
少女の言葉は、相手に届いていないだろう。もし聞いていたとして、再び挑んでくる相手がどれほどいただろう。
背を向けて、去っていく。彼がどうなろうが、知ったことではない。
ただそこに在るだけで、すべてを圧倒する。
彼女を見た者は、断崖絶壁に咲いた花を思い浮かべるだろう。
手を伸ばそうにも、決して届かぬその花を。
少女の名はコスモス。
ラフエル地方八人目のジムリーダーにして、ポケモンリーグの門番だった。
* * *
少しだけ、コスモスの話をしよう。
彼女はポケモンリーグの麓であるルシエシティのジムリーダーである。それは血筋によるものであった。
代々ポケモンリーグに仕え、偉大なる挑戦をする者を選別する役割を担ってきた一族の末裔である。各地方に伝わるドラゴン使い……例えばワタル、イブキ、アイリスというような一族と同じく、コスモスの一族もドラゴン使いであった。
その中でも、わずか十七歳でジムリーダーとなった彼女の実力は折り紙つきと言っていいだろう。ラフエル地方のチャンピオンをもってして天才と言わしめ、他地方のジムリーダーと比較しても圧倒的な実力を持っていた。
しかし、そんな彼女だからだろう。あらゆるものを超越してきたコスモスは、非常に表情が乏しい。それが余計に彼女に神秘性をもたせているのだが、ときにそれは凶器となって戦う相手を追い詰める。
彼女に負けて、夢を絶つ者も少なくない。コスモスは、それさえも門番の仕事だと思っているようではあるが。
そして、そのコスモスの唯一の趣味……あるいはライフワークと呼べるものがあった。
絵画である。
海辺にある家のバルコニーで、油絵を手がける。
楽しい色を重ねていくのが楽しみであった。
ジムで彼女を見た者にはおおよそ想像できないだろう光景であるが、コスモスが筆をとる姿は実に様になっていた。
名家の者として、音楽や運動にも手を伸ばしてはいたものの、長続きしたのは絵画のみである。ときおり四天王のアドニスなどは運動に誘ってくるものの、突っぱねる毎日であった。
「お嬢様、たまにはお休みなどいかがでしょうか」
執事からかけられた言葉に、コスモスの筆が止まった。
空の青を塗ろうとした矢先であり、少しだけ不機嫌になる。
「この通り、私はいつも休んでおりますが」
「ほっほっほ。コスモス様は真面目ですからなあ。絵画の趣味と言っても、いつでも挑戦者が現れてもいいようにでしょう?」
そんなもの、休んでいるとは言いません。
ぴしゃりと言われて、いよいよコスモスはむくれた。
「休むとして、その間のジムはどうするのです?」
「調べたところ、いまバッジを七つ持っている者はすべて倒しております。しばらく挑戦者も現れませんでしょう」
それはそれで退屈ね、とコスモスはため息をついた。
このところ、トレーナーの質が低下しているのではないか。そういう風な話題は好きではないけれども、手応えがないのは事実であるように思えた。
海を眺めた。キャモメが飛んでいる。この海の向こうには、もっと強いトレーナーが待っているのだろうか、と思いを馳せる。
そう、それはかつて、留学に出たときに出会ったトレーナーたちのような。
あのチャンピオンと四天王、ジムリーダーたちのような者が新たに現れてくれれば。
この世界に新しい色をもたらしてくれるような人がほしい。そんな者であれば、この
「ホテルもすでにとっていますので、出かけるのがいいのかと」
「……準備が良すぎるのも、考えものね」
コスモスは渋々、頷いた。たまにはこの苦労人に応えるのもいいだろう。
無理やりに生まれた休日を、コスモスは楽しむことにした。用事はなくはないのだ。
* * *
連絡船に乗って、ラジエスシティへと向かう。
コスモスがジムリーダーをしているルシエシティからラジエスシティへは一日に四回ほど往復する船が出ている。
それはこの街が、ラフエル地方の中心であるからだ。
中央には行政と司法の機関が集まっており、北には電波塔、南はビジネス街がある。ラフエルの機能を支えているのはこの街なのだ。
そしていま、コスモスはラジエスシティの西側、ショッピング街へと足を踏み出していた。
帽子に青のワンピース、白いカーディガンという出で立ちからは、ジムリーダーの気風は隠せているだろう。こうして歩いていれば、普通の女の子とは変わらないはずだ。
それにしても、人が多い。この日は休日だからか、特に人で溢れていた。
「買い物なんて、注文するだけでいいでしょうに」
思わずそう言いたくなってしまった。しかしそれはとんでもない贅沢である。
インフラがきちんと整っていないこの世界では、輸送できる手段というのは限られている。ときには整っていない道を行かねばならないし、ルシエとラジエスを繋ぐのは船のみである。
頼めば届く、というのは多くの人の労力と費用がかかっているのだ。
それを承知の上で使うと言っているのが金持ちの証拠だ、とコスモスは理解している。けれども使えるものは使うべきだ、とも考えている。
買い物もほどほどにして、ラジエスシティのジムリーダーであるステラの元へと行こうかとも考える。育て屋の彼女と会うのは、明日の予定であった。
「おっと、失礼」
ばたり、とぶつかりそうになった。
ふらっと揺らめいて、倒れるより前に壁にぶつかってしまう。
「大丈夫かい? ごめんね、人を探していて」
コスモスはぶつかってきた人を見た。男の人で、自分より少し年上。
その人に見た色が面白かったから、覚えてしまう。
鋼の色だ。それも、磨いて研いで、輝きを放とうとしている人だった。磨かれたペインティングナイフが、銀色の光を返すように。
この人が挑戦者として現れたら、どうしようか。そう思うも、この人の持っている色は戦う人の色ではなかった。むしろ何かを探し見つけようとする者のものである。ジムリーダーの中にもこういう者はいる。自分の道をひたすら進んでいく者が。
「ええ。怪我はありませんのでお気になさらず」
「本当かい? ならよかった」
ついでと言ってはなんだけど。とその男性は言った。
「女の子を見なかった? 君と同じくらいの年齢で、身長もちょっと高めかな」
とは言っても、それくらいの者ならここにはいくらでもいる。ヒントになっていないも同然であった。
コスモスは好奇心から、少しだけ尋ねる。
「その人は、どんな色ですか?」
変な質問だから、怪訝な顔をされるかと思ったが、男性は首をひねるまでもなく答える。
「赤だね」
「……赤、ですか」
「うん。まぶしいくらいの赤で……でもあったかい感じがする。燃えているけれども、相手を焦がすようなことをしないというか」
これで伝わったかな、と彼は言った。
十分だった。そんな色を持つ人は、この街でも何人といないだろう。それも少し背のたかい女の子ということまでわかれば、見ればすぐにわかる。
「わかりました。では、会いましたら十八時にそこにある時計の下へ向かうように伝えておきます。期待はしないでください」
「丁寧にありがとう。十分だよ。たぶん、君もあの子と仲良くなれると思うから、よかったらご飯でも一緒にしようか」
……そういうことをさらっと言うタイプですか。
少し意表を突かれたコスモスは曖昧に頷いた。悪気がないから困るやつだ。
手を振って去っていく鋼の彼を見送った。
再び、人混みの中へと戻される。酔ってしまいそうになって、そこから外れた。
この中から人を探すのは大変だろう。彼の苦労がしのばれる。もちろん、自分も見つけたら見つけるつもりであるが、探すつもりはなかった。
ちらり、と目をやる。カフェのバルコニー席にはカップルが大勢いた。手にはカップを持って談笑をしている。
いったいどのようなやり取りが行われているのだろう。興味がないわけではなかった。年頃の女の子である。
羨むことはなかったが、それはどういう感覚なのだろうかと。異性と言っても、出会ってきたのは誰も彼もがバトルに関わることであったし、友人と呼べる者がいても深く関わることをしてこなかった。
自分があの席に座って、誰かと話す。そんな光景は、想像すらできなかった。
「ねえ、いま暇かな?」
「え?」
「寂しそうだからね、お茶でもしようかなって」
気がつけば、ひとりの男の人がいた。
嫌な色をしている。と思った。黒の中に、黄色やピンクが混ざっていて、気持ち悪い。ごまかしている色だ。
「それにしてもかわいいね。これからどう? ほら、オレってばジムバッジ三つ持ってるんだよね。たくさん冒険もしてきたし……あ、ポケモンバトルでもするかい?」
そう言って、バッジケースを見せてくる。
……いくら認定試験とはいえ、こんな人に負けるだなんてだらしのない。
コスモスはそう思ったが、口にはしなかった。今日はお忍びなのだから、騒ぎを起こしてバトルを挑まれでもしたら面倒なことになる。
それに今日、戦えるポケモンは一匹しか連れてきていない……。
「あ、れ?」
コスモスは自分のボールベルトを見て、驚いた。
連れてきたはずのジャラランガ——ニックネームはパシバル——がいない。ボールごと、どこかへ落としてしまったようだった。
もしかして、ぶつかったときに落としてしまったのか。
ポケモンを連れていないということは、バトルに応じることができない。
初めてのことで、気が動転する。元来、顔に表情が出ないが、内心では気が気ではなかった。
男の手が迫る。気持ち悪い。嫌な色だ。そんな色を塗らないでほしい。
「待ちなさい!」
声がした。
その方へ、二人で振り向く。
「バトルなら私が相手よ。覚悟しなさい」
赤だった。それは鮮烈で、力強い赤だった。
あのとき聞いた色と同じであったが……いまはその色は、激しさを伴っている。小さく、人を温める火が燃え盛っている。
ああ、この人のことだったのか。コスモスは場違いにもそう思ってしまった。
「なんだあ、お前。……結構かわいいじゃん。二人で相手してくれるってなら、いいけど」
「あんたなんて、私ひとりで十分よ」
黒の男の目は細められる。赤の少女も、その瞳に炎を灯していた。
似た人を知っている。けれどもこの子だけの色だ。
* * *
バトルは少女の圧勝であった。
ほのおタイプを駆使した少女は、既存の戦いに捉われない戦法をとっていた。
間違いなくトレーナーの才能がある。コスモスはジムリーダーとしてそう判断した。自分に届くかは別として。
さっきの男の行為は「ナンパ」というものだ、と赤の少女は教えてくれた。道すがらに女性を口説くことだ……と言われたが、よくわからなかった。
「大丈夫だった?」
「ええ。あなたのおかげで」
ほっとしたように、赤の少女は胸をなでおろした。
表情が豊かで、まるで自分と正反対だとコスモスは思った。
「ところで、あなたを探している人がいたのだけれども」
こんな偶然もあるのね、と思いながら言った。
少女はあっ、と声をあげる。
「そうそう! ジェリオってば、どこに行っちゃったんだろうね……」
「十八時に、そこの時計まで来るようにと言っていました」
「ほんとに? わかった! ありがとうね、ええと」
赤の少女は困った顔を隠しもしなかった。
助けてもらった礼もある。ここは素直に名乗っておくことにした。
「コスモスちゃんね! 私はキョウカ。よろしく!」
あらら、とコスモスは内心でつぶやいた。
もしかすると、この子は自分がルシエシティのジムリーダーだと気付いていないのかもしれない。トレーナーでは顔が通っていると思ったが、少しだけ残念だった。
「ところで、どちらかに向かわれていたのですか?」
「そうそう! この街のジムリーダーとバトルしようと思ってたんだけど、途中でジェリオとはぐれちゃってね。まったく、どこに行ったんだか」
ぷんぷん、と音が聞こえてきそうに怒ってるキョウカであったが、コスモスには嫌な予感がした。
「……ジムは東区にあります。ここは西区です」
「つまり?」
「まったく逆です」
ええっ、とキョウカは悲鳴をあげる。
だいたいであるが、コスモスはこの少女のことを理解できた。
少女の様子に、コスモスは手助けをしたかったが、いまはそれどころではなかった。
「すみません、モンスターボールをなくしてしまって……」
「それは大変! 一緒に探すよ」
即答するキョウカに、今度はコスモスが驚く。
「いいのですか?」
「いいっていいって。ジムはいつでも挑戦できるけど、コスモスのポケモンはいまいなくなったら、一生会えないかもしれないんだよ。そっちの方が大変だよ」
キョウカは真剣な顔でそう言った。
あまりにもまっすぐすぎて、コスモスは戸惑ってしまう。
とりあえずいまは彼女の助けを借りよう。そう決めると、行動は早かった。
「ポケットガーディアンズはすぐに動かないだろうから、まずは私たちで探そう」
キョウカは言った。コスモスが彼らを頼れば、すぐにでも動いてくれるとは思うが、せっかくのお忍びの休日である。ここはキョウカの案に乗ることにした。
まずはぶつかったところを捜索……するのだが、人があまりに多い。足元を見て歩くのは危なく、なかなか進まなかった。
一方で、これだけたくさんの人がいてモンスターボールに気づかないのだろうかという疑問も湧いてきた。足元にポケモンの入っているボールがあれば、すぐにわかりそうだとも。
「……いいかな、君たち」
声がかけられる。今日はよく声をかけられる日だ、と思いつつ二人で振り返る。
そこにいた男性は、コスモスの目から見て只者ではなかった。一見して、一般人のように装っているが、それは仮の姿であると滲み出ている。そういう色をしていた。
「もしかして、ここらへんに転がっていたモンスターボールを探しているんじゃないかと思ってね。声をかけさせてもらったが、違うかい?」
「ええ、そうです」
「それだったら、誰かが拾っているのを見たよ。あまりいい感じではなかった。三番倉庫の方へと向かったから、行くといい」
コスモスとキョウカは思わず、顔を見合わせる。
キョウカは嬉しそうにしていたが、コスモスの内心は複雑であった。
この人物は、信用できるだろう。けれども行く先で、何かトラブルがあってはことである。キョウカを巻き込むわけにはいかない。
ナンパをしていたあの男とは訳が違うのだ。
「わかりまし……あれ?」
キョウカが答えようとしたとき、すでにその男はいなくなっていた。まるで、最初からそこにいなかったかのように。
首をかしげる彼女に、コスモスは告げる。
「ここからは一人で大丈夫です。ありがとうございました」
「ううん、私も行くよ」
キョウカは、まっすぐな瞳を向けてそう言った。
ああ、この子はこういう子なのだ。馬鹿みたいに前を向いていて、でもそれを馬鹿にさせないだけの情熱を持って進むのだ。
御託は言わず、ただ己の意思を伝える。理屈はなくとも、やるべきことを理解する。
コスモスを助けた、そのかわりにキョウカを探していた人のことを伝えた。これで貸借りはなくなっているはずなのに。
どうしてこの子の色は、濁らないのだろう。
思わずそう言いたくなってしまうのを、ぐっとこらえた。何を言ってもついてくることには変わりない。だったら最初から来てもらった方がいい。
「わかりました。けれども、無茶だけはしないようにしてください」
「それはコスモスちゃんもだよ?」
しかも釘を刺されてしまう。参ったな、とコスモスは内心でつぶやいた。
* * *
薄暗くなった倉庫は気味が悪かった。
キョウカとコスモスは、その倉庫にあるコンテナの裏に身を潜めていた。
ラフエル地方の中心であるから、物流ももちろん多い。この倉庫もそのうちの一つである。
昼間であれば船乗りや倉庫を管理する者も多くいるのだが、夜になれば少なくなってしまう。
そこに、あやしげな人影があった。二つだ。何かを話しているが、その内容は二人がいる場所からでは聞こえなかった。
しかし、その手に握られたボールとやりとりされる紙幣の束から、彼らが何を行っているかは明らかであった。
二人の色は、赤黒。血の色であった。
「うーん……そうだ!」
キョウカはヒノアラシを呼び出す。この地方では滅多に見られないポケモンだ。確か、ジョウトでも、限られた人しか持っていないポケモンだ、とコスモスは記憶している。
彼女の作戦は、ヒノアラシに彼らの邪魔をしてもらうというものであった。確かに素早いポケモンであり、小回りの効くヒノアラシであればできるだろうが、相手の実力がわからない以上、危険も伴う。
けれどもいま、自分たちにできるのは、それくらいであった。
キョウカの指示に従って、ヒノアラシが駆ける。足音をたてずに、けれども敏速に。
しかし、それは失敗であった。
ゴルバットが飛んでくる。どうやら彼らも警戒をしていたようで、ヒノアラシの走りが止まる。それと同時に、やりとりをしていた二人もこちらに気づいてしまった。
「ああもう! やっぱりこうすればよかった!」
そう言って、キョウカは物影から飛び出していく。コスモスが止める暇もなかった。
「あんたたち! そこまでよ、ボールを返しなさい!」
キョウカはそう言って、ヒノアラシに指示を飛ばした。かえんほうしゃがゴルバットを襲う。かすったものの、ゴルバットはまだまだ元気であった。
やはり、彼らのポケモンは一筋縄ではない。トレーナーとしても、キョウカと五分に戦える実力があるのだろう。
こんなときに無力な自分が嫌になってしまう。ジムリーダーの八人目にして、ポケモンリーグの門番たる自分が、こんな失態か。
歯がゆい思いがする。いままでにこんな風に思ったことなどなかった。
……それはきっと、彼女がいるからだろう。
キョウカは戦う。それは絶対に負けたくないという思いからだった。
一方の自分はどうだろうか。コスモスは胸に手を当てる。自分に勝てる者がいるだろうか、などと何を傲慢な。
目の前にいる挑戦者が頑張っているのだから、自分も全力で応える。
それがジムリーダー、そしてポケモントレーナーのはずだった。
ふと、鋼の彼の言葉を思い出した。
「何が焦がすことがない、よ。……私まで、燃えてしまいそう!」
コスモスは一歩を踏み出した。たたたっと拙い走り。男たちの戸惑っている顔が見えた。その走りから、男へのタックル。
たくさんのボールが散らばった。その中から、自分のジャラランガを探す。
小さい状態ではいまいちわからない。種類も多いはずなのに、やたらと赤いモンスターボールが目に入る。
このうちのどれかが、と思ううちに自分の身に影が落とされた。
後ろを振り向く。男がそこにいた。怒りに血相を変えている。連れているポケモンはグレッグルだ。
赤色だった。でも、それはとても深い色で、不快な色だった。
キョウカの眩しい赤ではない。人を痛めつけるだけの色だ。
邪魔だ。自分の世界に、この色はいらない。
そのときであった。竜の咆哮が聞こえる。翼のはためく音も。
男が戸惑いの表情を浮かべた。新たなポケモンの出現に。
倉庫の壁を炎を纏って突き破ってきた竜がいた。
「リザードン!」
それはコスモスの持つポケモンであった。ドラゴン使いとして、ジムリーダーとして使うポケモンではなかったが、大切な思い出のポケモンであった。
自分と男の間に立って威嚇するリザードンの体は、前より大きくなっているような気がする。
……このリザードンこそが、コスモスの目的の一つであった。
育て屋のシーヴへ預けていたこのポケモンを受け取ろうとして今日はやってきたのであった。けれども、まさか自分から飛んでくるとは思いもしなかった。
その詮索はいまは不要だ。コスモスは、キョウカと肩を並べる。
「その子、とてもかっこいいね」
こんなときでさえ、キョウカは笑顔を忘れない。
それはどうして、と尋ねる。彼女はその表情を変えることなく、言った。
「だって、笑った方がいいでしょ!」
そんな単純なことで。コスモスは思った。けれどもキョウカが言うと、真実のように思えた。
「コスモスちゃんは可愛いんだから、もっと笑おうよ。こうね、頬をあげて」
そう言いながら、キョウカは頬を指で釣り上げた。
戦いの最中になんてことをと言いたかったが、コスモスは短く応える。
「善処します」
「もう、素っ気ないんだから」
しかし、二人がポケモンを持ったことで、赤黒の男たちはたじろぐ。
キョウカとコスモスは言葉を重ねる。
『かえんほうしゃ!』
二つの炎は、威力を増して突き進んだ。
* * *
それからの顛末を話そう。
ポケットガーディアンとジェリオ、シーヴがやってくることで倉庫は再び騒然とした。
男たちはバラル団であり、ポケモンを金銭で売買する裏取引をしていたそうだった。
被害が頻発していたため調査をしていたポケットガーディアンと、キョウカを探していたジェリオ、そしてコスモスと会うために前入りしていたシーヴとかそれぞれ情報を得て、この倉庫に踏み込んだということだった。
二人とポケモンたちは保護され、その日のうちに解散となった。後始末はポケットガーディアンがやってくれるそうで、コスモスは休日をどうにか取り戻すことができた。
「キョウカが世話になったね」
次の日になって、コスモスとキョウカ、ジェリオとシーヴの四人は船着場にいた。
コスモスは今回のことを受けて予定を切り上げて帰ることになり、連絡船の出航時間を待っている。
開口一番、ジェリオのセリフである。
「むむっ、失礼な。いなくなったのはジェリオじゃん!」
「全然違う方へ進んでいったのはそっちだろ」
「ついてこれない方が悪いんだもん!」
「子供か君は!」
言い合う二人を、微笑ましくコスモスとシーヴは眺める。
「いいえ、私こそ、いっぱいお世話になりました」
「あら?」
シーヴが面白そうなものを見た眼をする。
彼女は育て屋を営んでいる者で、コスモスは彼女にリザードンを預けていたのだった。それはある目的があったのだが、それはいまは置いておこう。
そして、名家の生まれであるコスモスは、当然として地方で唯一の育て屋とも縁があった。小さい頃から顔見知りであり、シーヴにとっては親戚のような存在でもあった。
コスモスは、面白そうな反応をしたシーヴの真意はわからない。けれども彼女がどこか嬉しそうだったから、深く追求はしなかった。
「そういえば、ジム戦はどうでしたか?」
「へへん、この通り!」
キョウカはバッジケースを見せる。オールドバッジ。歴史を重んじるこの都市のジムを制した証であった。
「まだ三個目だけどね! でも、しっかり進んでいってるよ」
「まあ。ステラさんは強かったでしょう?」
「それはそうだよ。でも、気持ちだけは絶対に負けないって決めてるからね」
朗らかに笑うキョウカに、コスモスはちょっとだけ意地悪をしたくなってしまった。
「たとえば、大きな壁が……決して開かぬ扉が立ちはだかったとしても?」
シーヴとジェリオが息を飲んだのがわかる。
十七歳の少女が出していい気配ではない。無表情から発せられる気は、明らかに強者のもの。頂点に立った者にしか許されないものである。
八つ目の守護者が、たかだか三つを破った同い年の少女を試しているのである。
どちらがどれだけの修羅場をくぐってきたのか、言うまでもない。
それを受けたキョウカは。
「当然! 何度だって、ぶつかっていくのみだよ。壊れない壁も、開かない扉もないんだからね」
あっけからんと、そう言った。
一瞬、言葉を失う三人。
その沈黙を破ったのは、シーヴだった。
「ふっ、ははははっ! これは楽しみだね、コスモス」
無表情のままコスモスは頷いた。一方、ジェリオはあいまいな笑みを浮かべるのみで、キョウカは笑っているシーヴに驚いていた。
「シーヴさん、あれはキョウカさんにお渡ししてください」
「いいのかい。貴重なものだよ? この地方じゃ、まず手に入らない」
「だからこそです」
そうかい、とシーヴは言うと一個のモンスターボールを渡す。
中にはポケモンのタマゴが入っていた。
「これは?」
「リザードン……ヒトカゲのタマゴです。そのタマゴから孵ったポケモンは、きっとこの先で役に立つでしょう。お礼と、三つ目のバッジを手に入れたあなたへの贈り物です。受け取ってください」
これこそが、シーヴを呼び出した理由であった。預けていたリザードンがタマゴを持っていたという報告があり、いつ受け取るかタイミングを図っていたのだった。
タマゴを持つキョウカを見て、ある光景を思い浮かべた。
火の力と竜の意思を持つポケモンだ。リザードンを指して、そう言った人がいた。
自分が戦ってきた中で、このポケモンを使う人は特に強敵だった。そう言う人もいた。
きっとこのタマゴから生まれたポケモンがいれば、いつか私のことを……。
いいえ、負けるつもりはない。
汽笛が鳴った。出発の時間だった。
コスモスは乗船する。最後に、敵役として捨て台詞くらいは吐いていってやろうと決める。
振り返って、笑顔を浮かべる。口角をなるべくあげて、だったかしら、と。
「さようなら、挑戦者さん。八つ目のジムリーダーとして、ポケモンリーグの門番はあなたを待っています。……立ちふさがる前に負けたりしたら、許しませんから」
ええっ、とキョウカは悲鳴をあげていた。
ドラゴン使いなのにマントつけてないよ! と叫んでるのが聞こえて、ずっこけそうになったのは秘密だ。
出航して、しばらく。デッキに座っているコスモスのそばに、気配があった。
「あなたですか」
答えることはない。けれども、その色でわかる。
灰色、その下に隠れているのは純白。すべてを塗りつぶしてしまうほどの力を持っている色だった。
あのとき、ボールの行方を教えてくれた男だった。
「だいたいどなたか見当はついてますけど、巻き込むのはやめてくださいね」
「見逃すつもりはないだろうに」
純白の男は言った。
きっとこの男は、ポケットガーディアンズの、裏の顔に属する者だ。噂には聞いたことがあり、むしろ彼らがいないと矛盾が起きてしまうようなことも多くあることをコスモスは知っている。
それは歴史の闇にも触れてしまうことである。お互い、このラフエル地方の表と裏の歴史を持つ者同士、わかることもあった。
「今回は偶然です」
「そうかね。まあ、いいが」
「……人を囮に使うような真似はやめてください。彼女は一般人です」
「そのわりにずいぶんと肩入れするじゃないか」
「友だち、ですから」
この言葉を口にするのはいつぶりだろうか。少し恥ずかしく、それ以上に誇らしかった。
そして怒ってもいた。きっと自分たちを囮にして、自分はこっそり裏取りをしていたのだ。あの取引は誰が操っていたのか。背景に誰がいるのか。
ポケットガーディアンが踏み込んでくるまで、あまりに早かった。シーヴとジェリオが倉庫の場所を理解するのも、早すぎる。そしてタイミングまであっていた。
あまりに出来すぎていて、疑ってしまうのを忘れるほどに。
はあ、とため息が聞こえる。
「天才っていうのは、本当に困るな。忠告だと思って聞いてくれ。君は早くに死ぬよ」
「お構いなく。我が一族はみな長命ですので」
返事は返ってこなかった。気配は消えて、いつの間にかいなくなっている。
一般人に偽装し、いまも船内で何かを調査しているのだろうか。それともルシエシティに、新たな影が忍びよっているのだろうか。
真相はわからない。けれども、それが表で生きる自分の役割ということである。裏で起こっていることを感知していても、知らんぷりをするしかない。
平和な世界になるといいのに。そう願わずにはいられないけれども。
* * *
しばらくして、久しぶりの挑戦者がやってきた。
コスモスは堂々と、受けてたつ。
自分の愛するドラゴンポケモンたちを操る、竜の魔女。あるいは門番、竜騎士。
決して墜ちない「不落の飛竜」と呼ばれる彼女は今日も戦う。
キョウカはどんなバトルをしてくれるのだろうか。
ここにやってくるまでに、どれほどの修羅場をくぐってくるだろうか。
この地は登竜門だ。
登りきったものは伝説となる。
その試練こそ、竜を倒すことである。
「さあ、見せてください。あなたはいったい、どんな色なのか」
今日も
伝説の日は、近い。