妖しく輝く石に、コスモスは見惚れていた。
手紙と同封されて送られてきたものであるが、手紙の内容を見ずとも貴重なものであることがわかる。内に込められた力は、その存在感が雄弁に語っていた。
日の光に透かすと、乱反射して部屋を照らした。
コスモスは、自宅の居間でその宝石を手に持っていた。広々とした空間の、無機質な壁に色がついた。
「お嬢様、それは?」
執事の問いに、コスモスは手紙の一節を確認してから答える。
「Zクリスタルと言うそうよ。アローラ地方にある、ポケモンの力を引き出す石ですって」
「アローラ地方……以前、ポケモンリーグが新設されたと話題になった列島のことですな?」
「そしてウルトラビーストという、不可思議なポケモンの見られた場所。古代からの伝統が未だ生きている地方ね。ラフエル地方が人の人による歴史を歩んだ地だと言うなら、アローラ地方はポケモンが歩んだ歴史に人が寄り添ったと言うのが良いのかしら。同じ世界だと言うのに、こんなにも違うのね」
仄かな憧れが、ないわけではなかった。
古の英雄ラフエルと獣の王、その伝説をいまに受け継ぐこの地においてコスモスは八番目のジムリーダーとして、彼を祀る機関でもあるポケモンリーグの門番を務めている。
それは、コスモスの家がラフエルと関わっていることを意味している。無論のこと、コスモスも家に伝わる話を聞いており、口外できないことだってある。さらに言えば、廃墟となった遺跡のように、時とともに風化してしまった事柄もある。こうであったのだろう、ということしかわからないことだってあった。
だから、未だに古い信仰や文化をそのままに残しているアローラ地方が羨ましく思えた。あの土地は、今もなお伝説の中を生きている。現に、ポケモンリーグの設立という伝説が生まれたばかりなのだ。
守るだけの立場というのは、退屈でもあった。同僚のジムリーダーのカエンのように、伝説を打ち立てるということを豪語する者もいない。
この石を通してアローラ地方のことに想いを馳せると、憧れを抱いてしまう。
「ジャラランガの潜在能力を引き出して、強力なワザが出せるのですって。私なら使えるのではないかと」
「それが、お嬢様にその石が渡ってきた理由ですか? いったいどなたが」
「ククイ博士。一回だけお会いしたことがあるのだけれど。ジャラコも、そのときにいただいたものよ。覚えてない?」
「その頃は、私は貴女のお父様についておりました。そういえば、そのようなこともありましたな」
執事はとぼけたようにそう言った。本当は覚えているくせに、ときおりこのようにして、コスモスの口から語らせることを好んでいた。
「……問題は、この石の使い方ね」
「アローラ地方のことであれば、アローラ地方の者に聞くのがよろしいかと」
アローラ地方の者、と言うときはだいたい一人のことを指し示す。
「ランタナさん、ですか」
シャルムシティのジムリーダーにしてひこうタイプを操るトレーナー、ランタナのことであった。
「いいか、コスモスちゃんよ。確かに俺はジムを留守にしがちだから何を思われても仕方ないし、可愛い女の子のやることだから大目に見ることだってある。ただ、ひとつ言わせてほしい」
シャルムシティの、ジムの前でコスモスはランタナと向き合う。彼の顔には呆れの表情が浮かんでいた。
「空を飛んで帰ってる背後を、カイリューで追いかけるのはやめてくれ! 心臓が止まるかと思ったぞ!」
「善処します」
カイリューに乗ってシャルムシティへと向かう途中でランタナを見つけたコスモスは、声をかけるべくその後を飛んだのだが、彼からしてみれば急に追いかけ回される状況になった。戸惑うのも無理もない。
ランタナは、三十路手前の体格の良い男性だった。ジムリーダーたちのなかでは兄貴分として慕われているが、その性格は自由そのもの。と言えば聞こえはいいが、奔放でいい加減な性格もジムリーダー内では随一であり、問題視もされている。
これはこのシャルムシティらしさとも言える。かつて戦火から免れてきた者たちか集まって出来たこの街は、人種や出身、しきたりに囚われない。外の者たちからは迷惑に感じることも、彼らは余裕をもって受け止める。
「それで、何の用だい?」
「これを」
コスモスがZクリスタルを差し出すと、ランタナは目の色を変える。
「どこで見つけたんだ? アローラ地方でしか見られないはずだが」
「ククイ博士よりいただきました」
「そうか、あの人か……。それで、用ってのはこいつにか?」
ランタナはそう言って、腕のリングを示した。
それこそがZクリスタルを使うための必須アイテム、Zリングである。
トレーナーのリング、ポケモンのクリスタルという二つの要素が噛み合って、ようやくワザは発動するのだ。
「すまんが、渡すことはできねえ。それどころか貸したところで、君に使えるはずもない」
「……どうして?」
「そのためには、アローラ地方のことを知ってもらわなきゃいかん」
ランタナはそう言うと、珍しく真剣な顔で講義を始める。だが、それはコスモスには思い出話のようにも、あるいは備忘録のようにも思えた。
「アローラ地方には、島巡りという習慣がある。子どもが大人になるための儀式だ。島の主に認めてもらうことで、一人前になるのさ。その子どもってやつがトレーナーで、主ってやつはそこで一番強いポケモンのことだ。その儀式を乗り越えたやつがまた次の子どもに、どうやって困難を乗り越えていくのか教えるのさ」
もちろん、できねえやつもいる。身体ばかりが大人になって、でもまだまだ子どもみてえなやつがな。ランタナはそう言う。
「それで、その困難を乗り越えるたびに、島の子どもたちはZワザを知っていく。どうやってやればいいのか、どうやれば大人になるのか……。わかるか? 大人になれるやつとなれなかったやつの差こそが、Zワザを使う条件だ」
ランタナはそう言った。だが、それだけでわかるほど甘くはない。
島巡り、という習慣は思ったよりも奥が深い。何をしているかだけを考えていては、決して答えにはたどり着けない。
いったい、なぜそのような習慣が残っているのか。意味があるはずなのだ。Zワザだって、ただ強力なワザだから残ってきたわけではないはずだ。
密かに、コスモスは確信した。この試練は、自分を大いに成長させるものであると。
「だが、島巡りをしなければならないところを、今回は特別に、俺が訓練をつけてやろう。なに、こう見えてアローラ地方でも特別なんだ、俺は」
「感謝します」
「そのまえに、だ」
ランタナはコスモスの服を見る。いま、コスモスは裾の長いワンピースを着ている。彼女の普段着であったが、ランタナは首を横に振った。
「動きやすい服にしてくるんだ。いますぐに」
* * *
「今日から俺のことはコーチと呼べ!」
この日から、ランタナによる訓練が始まったのである。
シャルムシティにまで服を買いに行ったコスモスはいま、運動用のウェアにスパッツという出で立ちである。彼女を知る者からすれば、驚きであろう。当の彼女はと言うと、防御力が低そうと言うのみだった。
場所はシャルムシティから少し外れた、森の中だ。街中にいるには、コスモスもランタナも目立ちすぎる。
サングラスをかけたランタナは、さっそくコスモスと、隣に並ぶジャラランガに向けて声を出す。
「いいか! 君たちは強い、はっきり言って天才だ。だが、努力をしない天才は自信をつけた凡才に劣る! ことZワザについては俺の方が使い手だ! 短い時間だが、俺の言うことを聞くんだぞ」
「はい、ランタナさん」
「コーチだ!」
急に気合を入れている彼の様子に、コスモスは戸惑う。普段のランタナはと言えば自分優先の自由人で、自分の興味のあること以外には無気力にさえ見えるほどだった。
だが、面倒見の良さについてはよく知っている。今回ばかりは甘えることにしよう。
「Zワザはポケモンと心技体、すべてを合致させることが重要だ。そのために大事なものはなにか。それはアローラ地方の誰もがよく知っている。そして、ジャラランガはその象徴とも言えるポケモンだ」
わかるか? とランタナは問うた。コスモスは首を横に振る。
「ダンスだ」
そう言い切ったランタナは、コスモスの前に立つと顔を覗き込んでくる。
「いいか、ダンスとはポケモンとの関係において、重要な役割を果たしている。それはまず、リズム。曲に合わせるというのは、お互いの呼吸を一致させるということ。これがいかに大切なのかはよくわかってるはずだ。次に動きを知ることだ。いったい自分に、相手になにができるのか。それを知ることがZワザへの道だ」
まずは見ていろ、と言ってランタナはコスモスとジャラランガの間に立った。
そして目を閉じて瞑想をすると、かっと開いて体を大きく動かし始める。腕を広げて、円を描いた。そして両手を大きく前へと突き出して、顎のように上下に開く。竜を象徴とする舞だ。
これがアローラ地方に伝わる、伝統の踊りなのだ。ラフエル地方で生まれ育った自分には、その舞にどのような意味があるのかはわからない。
「これが基本だ。まずはやってみろ」
「はい、ランタナさん」
「コーチだ!」
指示に従って、コスモスは踊った。
比較的器用な方であるコスモスは、ランタナの動きを一目見ただけである程度の動きが頭に入っていた。あとは細かい指摘で直していくだけ。そのはずだった。
「全然ダメだ」
ランタナはそう言った。
「コスモスちゃん、それは踊りじゃない。ただ言われた通りに体を動かしてるだけだ。それじゃ、ポケモンは応えてくれない」
「ですが、ランタナさん」
「コーチだ!」
「私にはその違いがわかりません」
正直に伝えると、ランタナははあとため息をついた。
「それを知るための修行が、島巡りというもんだよ。ほら、もう一回だ」
ランタナによるリテイク。コスモスは再び、踊ってみせる。だが、ランタナが首を縦に振ることはなかった。もう一回、もう一回。何度も繰り返されていくうちに、動きは冴えるどころか鈍ってきてさえいた。
なにを目的にしているのか、わからなかった。この動きにどのような意味があるのか。あるいは、意味をもたらしてくれるのか。
少しずつ、迷いが生まれてくる。このような感覚は久しぶりであった。
天才だともてはやされるが、コスモス自身にとって他者からの評判はどうでもよかった。ただ、自分と他人の景色は違って見えているのだろうと思った。
コスモスは色が見える。色で感じる。色で考える。そしてそれが間違っていたことはなかった。
だがいま、自分自身のことがわからないでいた。いま、自分は何色をしているのか。空色か、銀色か、あるいは青色か、赤か、黄か、緑か……。めまぐるしく回る思考に、体が追いついていない。
音を感じる。風を感じる。痛みを感じる。
ああ、身体が悲鳴をあげているのだ、と気づいたときにはランタナに支えられていた。
「ランタナさん……」
「コーチだ。ひとまず休め。がむしゃらにはやるんじゃない」
その言葉に、コスモスは心配をさせているのだとようやく気づいた。なにか言おうとするも、その気力もない。
木陰に座り込む。なにか食べ物でも買ってくる、と言ってランタナは街の方へと向かっていった。
後ろ姿は、果たして頼り甲斐があるのかないのかわからない人であったが、コスモスは不思議と嫌いじゃなかった。彼のような人が、一人くらいいてもいいだろうと思うほどには認めている。
そして、いまは悩んでもいた。ランタナにあって自分にないものとはなにか。それが鍵になるはずだと、考える。
上手く頭が回らない。意識もぼんやりとしている。
傍らに寄り添っているジャラランガも疲れているのか、うたた寝を始めていた。
自分もこのまま寝てしまおう。そう思って瞬きを繰り返すと、目の前に鮮烈な緑が通った。
「あ、起きてた。やっほー」
無邪気にそう言ったのは、コスモスと同い年くらいの少女であった。
* * *
新緑のような、光を浴びて育った緑の色の少女は、コスモスに妙な既視感を抱かせた。
会ったことはないはずなのに、思い出の中にいたような気がする。それを親しみやすさとでも呼ぶべきなのだろうか。
「もしかして、見てたんですか?」
「えっ、見てたって、なにを?」
その返答から、コスモスはさきほどの踊りの練習を見られていなかったとほっとする。
「いえ、こちらの話です。その、なにかご用でも?」
「ううん、特別に用事はないんだけど。ポケモンを捕まえてたら、妖精みたいな女の子がいて、どんな子なんだろうって」
「そうですか」
褒められているのかどうか、わからない言葉だった。だいたい、ドラゴンタイプ使いのコスモスからしてみれば、フェアリーは相性の悪い相手なのである。
「ごめんね、名乗り忘れてた。私はマサカ、ジョウト地方から来たんだ」
ジョウト地方、と言われてすぐに思い浮かべることはできなかった。確か、ワタルがチャンピオンを務めるリーグのある場所だ。歴史もラフエルに負けないほど古いと聞いている。
八重歯を覗かせて笑う彼女は、確かにラフエルの者らしくはない。
「私はコスモス。生まれも育ちもラフエルです」
「そうなんだ! あ、じゃあもしかして、伝説とか詳しい?」
「人並みには。ご興味がおありで?」
「ううん。でも、興味ある人を知ってるから、教えてあげようかなって。あー、でもあいつなら私より先に知ってそうだなあ」
「あいつ?」
「幼馴染でね。ま、いいのいいの。それよりコスモスこそ、ここでなにしてるの?」
「私は……」
コスモスは言い淀んで、そして答える。
「ポケモンと訓練を」
「へえ、トレーナーなんだ。確かに、強そうなジャラランガだね」
「マサカさんは?」
「私もバトルはするけど、コンテストとかの方が好きだなあ」
好き、と言い切った笑みが眩しい。自分にはなかなかできないことだ、という自覚があった。
「私は、これでもジムリーダーなんです」
「へえ? ジムリーダーコスモス。ううん、どっかで聞いたな……ごめんね。こっちのことは疎くて」
そう謝る彼女に、いいのです、とコスモスは頷いて言った。
仕方ない。なにせ、自分は一番最後のジムリーダーなのだから。何者をも受け付けると言えど、そこまでたどり着ける者の方が稀である。
知らなくたって、いいのだ。
「コスモスはさ、ジムリーダー、楽しい?」
「え?」
「私はね、楽しいんだ! 旅をするのが、とってもね。ポケモンたちと触れ合うのも、ポケモンと通して誰かを知るのも。みんなね、頑張ってるんだ。そういうのを見るのが、好きでさ。まあ、弟がその最たるものだけどね」
姉バカって言うのかな。などと言ってマサカは笑う。
それは素敵なことのようにも思えた。言葉を紡ぐ彼女の色は、いっそう輝いて見えていた。
そして、それこそが自分に足りないもののようにも思えた。
「ああ、なるほど、そういうことですか」
ちょっと賢ぶったり、背伸びしたりしているうちに忘れてしまうことがあった。
いまの自分は、ちょっとだけ、そういう人だったのだと思う。
服や脚に絡みついた草を払って、立ち上がる。ジャラランガもコスモスにつられて目を覚ました。
「マサカさん、アローラ地方には行ったことはありますか?」
「うん、あるよ。海がとても綺麗なんだけど、なにより、人もポケモンも伸び伸びとしてた場所だったなあ。それがどうかしたの?」
首をかしげるマサカに、コスモスはふっと微笑んだ。
「ちょっとだけ、教えてもらいたいことがあるのです」
* * *
「ずいぶん顔つきが変わったじゃねえか」
そう言ったランタナは、コスモスの前に立った。
食事と飲み物を買って戻ってきた彼に、コスモスは間髪入れず、告げたのだ。
自分はもう大丈夫、と。
「はい。ランタナさん、見ててください。私のゼンリョクを!」
「コーチだ! よし、来やがれ!」
コスモスは目を閉じる。そして息を大きく吸って、吐いた。
もはや恥じらいはなかった。いいや、なにを恥じることがあろう。自分はいまよりもさらに強くなりたいのだ。そのためであれば、歌も歌うし、踊りも踊ろう。
自分のできることはなんでもするし、一生懸命になったっていい。
きっと、アローラ地方に伝わる島巡りは、そういうものなのだと思う。どんなことにだって、打ち込める人になる。誰かの努力を認められる人になる。たぶん、そういう大人になってほしいという願いだったのだ。
コスモスは力強く舞う。それは竜を鼓舞する舞だった。身体に鈴をつけているように、しゃん、しゃんと音を鳴らすことを想像しながら、腕や脚を振るった。
力強い拳は、しかししなやかに。
軽やかな脚は、確かな実感を持って。
コスモスの舞が完成する。ジャラランガは、それに応えるように身体を震わせた。
パチパチ、とランタナは拍手をした。
「見事だ。本当に、天才だな。まあ実力からすれば、島のリーダー以上だから当然か」
「いいえ、ご指導ありがとうございます、コーチ」
「ランタナだ! あれ、合ってるのか?」
そう言ったランタナは、満足そうな笑みを浮かべている。
ラフエル地方にいながらアローラ地方のことを教えるというのは、並大抵のことではない。教わる側もさることながら、教える側も上手くなければならないのだ。
「よし、そしたら今度はこのZリングをつけて、やってみろ。俺が相手になってやる。まあ、もちろんゼンリョクで迎え撃つがな」
「ええ、もちろん」
珍しく乗り気の返事をしたコスモスは、自分の手首にZリングをつける。
ムクホークを呼び出したランタナを見た。いいや、正確には睨みつけた。
ぶるりと怯えるランタナは、恐る恐る口を開く。
「コスモスちゃん、どうした?」
「さっき、SNSを確認したのですが……ジムリーダーのグループに、私の踊りの映像を貼ってたでしょう?」
「ぎくっ、いや、あれはなあ、男子グループと間違えて貼っちまってなあ。俺も歳だから、最新機器の扱いは慣れねえっていうかなあ」
「いつの間に撮ってたんですか?」
「そ、それは」
「なにが目的で撮ってたんですか」
「お、おもしろいかなって」
「諸々を、いま、ここで、清算します」
コスモスは踊った。ゼンリョクの踊りである。主人の心意気に、ジャラランガは応える。
途端、シャルムシティの端で巨大な爆発が起こったのだった。
これは余談だが。
数日の間、ルシエシティのジムに挑戦したチャレンジャーは、奇妙な踊りをするジムリーダーを見ることができたのだとか。
だが、そのときのことを誰も覚えてはいない。目の前が真っ白になったからだ。