―それはまだ少年が救いのない世界でただひとり暮らしていた頃の話。
李静初は暗殺者として、殺す対象が逃げる可能性が高い“常夜”の調査の任務
につくことになった。
与えられたものはただこなすだけ、そんな李にとっては今回の仕事も今までや
ってきた千万の他の任務と何も変わらない。
そこに意味は求めない、ただ遂行するのみ。
結果に対して不安に感じることもとうの昔に忘れてしまった。
任務の成功には絶対の自信を持っていた。
しかし、入った瞬間李を迎えたのは異様な空気と数人の男達。
それらはまるで餌を見つけたハイエナのように群がってくる。
目は既に人間のそれではなかった。
ただその程度で気圧される李でもない。
くぐってきた修羅場はものの数ではないのだ。
冷静に武器を使って対処していくが……
(く……倒しても倒してもきりがない。)
数が多い上に一人一人の強さが半端ではない。
それはこの劣悪な環境下で生きるために培われたもの。
表の世界での武道の達人などの強さとはまるっきり違う。
洗練された技術とは対照的な荒々しく凶暴な殺しを目的とする強さ。
やっと異常さに気づいた李は倒すのを諦め逃亡をはかる。
暗殺者ゆえ姿をくらますことなどはお手のものだ。
なんとか李は大量の獣たちを振り切って少し開けた場所に出た。
そこには沢山の動物に囲まれた一人の男がいた。
(あれを狙いますか……。)
さっきまでの男達は群れて行動していた。
しかし、何故かここにいる男は完全な独り。
まわりに全く他の気配もない。
いるとすれば何の戦力にもなりそうにない動物たち。
ここまでやりやすい相手はいなかった。
李はこの男から常夜の情報を聞き出そうと戦う態勢に入る。
「少し聞きたいことがあります。」
「…………帰れ。」
無駄な戦いは避けようと交渉を試みた李に返ってきたのはその一言だった。
明らかに威圧がこもっている。
「ここは外の奴が軽々しく入ってくるところじゃない。命があるうちにさっさ
と元の世界に帰れ。」
「私はここの調査をしにきました。任務のため少々協力していただきます。」
「貸す力はない。」
「ならば、無理矢理にでも頷かせるまでです。」
言い終えると、どこからともなく数十の針を取り出す。
そして次の瞬間にはもう手から離れていた。
素早く広範囲に浴びせられる針の雨。
「……っ!?」
李は信じられないものでも見たようだった。
全ての針が男に突き刺さっていたのだ。
刺さっていないものといえば相手が両手で掴んでいる数本くらいのもの。
李は決して予想外の弱さなどに驚いているわけではない。
放たれた針は二、三ではないのだ。
“あれだけの広範囲の攻撃を全て受ける”
それは言い換えると攻撃を全て避けることにも等しい。
いや、それよりも遥かに難しいかもしれない。
それをなんなくやるほどの異常な実力を持っている。
ならば何故あえてそんなことをしたのか。
動揺でペースを乱されそうになるが、すぐに李は持ち直す。
「その針には一本一本に強力な神経毒が塗られています。早めの降参をおすす
めしますが。」
針治療患者のようになっている男に話しかけるが、何も答えない。
既に麻痺の作用が出ているのかとも思ったが、口くらいは利けるはずだ。
近づいて確かめようとしたちょうどそのときだった。
「おい、こっちで死に神が瀕死になってんぞ!」
聞こえたのは汚い叫び声だった。
その後に“本当かよ”、“嘘だろ”などの声が続き、ぞろぞろと柄の悪い男達
が集まってくる。
「うわ、まじで死に神の流川じゃねぇか。串刺しになってんぞ。」
「なんか隣に女がいるぞ、あいつがやったのか?」
「うぉ、結構美人じゃねぇか。流川を殺せるうえに上玉までおまけでついてく
るって最高についてんな。」
「とりあえずこれ以上の好機はねぇ。さっさと死に神に消えてもらおうぜ。」
口々に言い終え目つきが変わる男たち。
獲物を狙う目だ。
やはり例外などなくこの世界の異常な住人だった。
「くっ……邪魔を……。」
李もせっかく捕らえた情報源を殺されるわけにはいかないと暗器を構える。
群れを避けたいが故の標的だったのに本末転倒である。
やれやれとため息をつきながらもとりあえずこうなってしまえば、流れに身を
投じるしかない。
が、そんな李に戦うことは許されなかった。
突然肩をつかまれる。
そして、ぐいっと引っ張られその場に座り込まされた。
敵がいつの間に背後に、と思ったが……
「さがってろ。」
肩を掴んでいたのは針の毒で動けないはずのあの男だった。
己の身に刺さった針を一本一本抜きながら歩き出す。
「ちょっと怖いけどごめんな。」
死に神と呼ばれた男はさっきまでの無愛想な顔とは真逆の柔らかい表情で動物
たちにそう一言謝って、動物たちと李を庇うように前に出た。
初めて守られた背中は傷だらけのもので……。
しかし、それは確かな頼もしさを備えたものだった。