真剣で私たちに恋しなさい!S   作:黒亜

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空白の名前

「ここがお前の部屋だ。」

 

 

後に続いていって連れてこられた部屋の中は外の廃れた感じからは想像がつか

ないほど整っていた。

最高の設備と言っていたが、確かにほこり1つ落ちていないし、小さなベッド

まで用意されている。

常夜ではこれ以上ない贅沢と言っていいだろう。

 

 

「自由に使っていいからな。」

 

「あの……話が上手く飲み込めないのですが……。」

 

「俺は常夜のことならほとんど知ってる。わざわざまわらなくても記憶を探す

だけで情報をまとめるのは可能だ。けど、全てとなると数分で終わる規模じゃ

ない。だから、終わるまではここで待ってろ。」

 

「それはもしかして……」

 

「いいか?俺はお前に一刻も早く帰ってほしい。だから、お前の欲しいものを

書いてやる。それが終わったら帰れってことだ。何度も説明させんな。」

 

 

李はもはや何も言えなかった。

これほどまでに乱暴な口調なのに、限りなく優しい。

そんな妙なギャップに笑いそうになってしまう。

笑う……暗殺者として生きてきて失っていた感情。

そんな自分にまた笑いがこみ上げてくる。

 

――本当におかしい。

 

 

「じゃ、寝てるなり好きにしてろ。」

 

「ちょっと待ってください。どこに行くんですか。」

 

 

部屋から出て行こうとしたのを呼び止める。

 

 

「だから、書いてくるっつってんだろうが。」

 

「どうして部屋を出る必要が?」

 

「知らねぇ男と一緒で安心なんてできねぇだろ。俺はドアの前で見張りしなが

らまとめておくから、疲れてんなら休むなりなんなりしろ。」

 

 

そう言ってバタンとドアを閉めてしまった。

部屋の前で見張りということはあの冷たい廊下に座っているということだ。

なんだか優しすぎて李は申し訳なくなってきさえした。

これでは休もうにも違う意味で落ち着かない。

なので李はドアのそばまで行き、こんこんと叩いた。

 

 

「……どうかしたか?」

 

 

ドア越しにすぐ返ってくる声。

本当に一枚隔てたそこで見張りをしているのだ。

 

 

「一人では退屈です。話し相手になってください。」

 

 

李は早くも相手の人となりを心得ていた。

ただ部屋に入ってくださいと言ったところで俺のことは気にすんななどと返さ

れると思ったのだ。

だから、少しひねった言い方をした。

あくまで自分のために部屋に入ってほしいと。

 

 

「寝ないのか?」

 

「あいにくと仕事柄、そう眠くはなりません。」

 

「……そうか。」

 

 

李がドアを開けると入ってきてくれた。

やはり優しいのだ。

こちらがお願いすると断らない。

 

 

「別にお前の選んだ道を否定するつもりはないけどよ、そういう仕事は程々に

な。自分を大切にしろよ。」

 

 

寝ないと言ったのを気にしてくれたのだろうか。

……いや、全てを含めての言葉だろう。

実際男と出会っていなければあの場で李の一生は終わっていたかもしれない。

 

 

「善処します。あと、1つだけ話の前に聞きたいことが。」

 

「なんだ?」

 

「何故私の攻撃を全て受けたのですか?あれが今となっては意図的だったこと

は分かっています。あなたは避けきることもできたはずなのに、どうして?」

 

 

ずっと気になっていたことだった。

受けきったのを見てもそうだが、何よりその後の反則とも言うべき強さを見せ

られればあの行動にはどうしても疑問が残る。

 

 

「あんな数の攻撃をかわしたり、防いではじいたりしたら、動物たちに当たる

かもしれない。ただそれだけだ。」

 

「…………」

 

 

何も言葉が出てこなかった。

李はあの動物たちが男にとってどれだけ大切な存在かを知らない。

だが、少なくとも動物たちは男を完全に信頼していた。

その理由が今はっきりと見えた気がする。

 

 

「で、話題なんてあるのか?」

 

「そうですね……まず名前を聞かせてください。」

 

「別に必要ないだろ。」

 

「感謝してるんですから、名前くらい教えてください。」

 

「…………流川だ。」

 

「いえ、下の名前も。」

 

「ねーよ。」

 

「え?」

 

「だから下の名前はないって。俺が持ってるのは親の苗字だけだ。」

 

「自分でつけないんですか。」

 

「あっちの世界じゃどうか知らんけど、ここで暮らす分には名前なんてなくて

も困らないんだよ。」

 

「そうですか……。」

 

「それよりお前の名前は?」

 

「必要あるんですか?」

 

「聞いといてそりゃないだろ。」

 

「軽い冗談です。李静初といいます。」

 

「なら静初でいいな。」

 

「いきなり名前呼びですか……。あまり慣れませんね。」

 

「李なんて呼びにくいだろ。嫌か?」

 

「いえ、不思議と不快ではありません。」

 

「俺のことは流川でも死に神でもなんでもいいから。」

 

「それは流石に笑えませんが……私はあなたのことは呼びません。」

 

「は?」

 

「流川という呼び方もさっきの輩と同じということでしょう。ならば、私があ

なたを呼ぶのはあなたが自分自身で名前を手に入れたときです。」

 

「……変わってんだな。」

 

「あなたほどでは。」

 

 

会ったばかりだというのに、妙な心地いい沈黙が二人の間に流れた。

李もそうだが、流川にとっても初めての感覚。

こんなおかしな出会いも何もない世界で起こった1つの偶然だった。

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