その時さ、陳腐だけど「この世に女神が降りてきた」って本気で思ったんだよ。
一体何があったのかって言うとだな?ほら、僕がこっそり飼ってる小鳥いるだろ?あいつが夜中に隊舎の窓から飛び出して行っちまってな、近くの森の中まで追いかけたんだ。
で、捕まえた時に見たんだよ。池の端っこの岩の上で歌ってる、その“女神”を、さ。
月を背景にして、すごい綺麗な声で歌ってるんだ。ララ・ラララ~ララ……ってさ。池の水面が月の光できらきらしてて、そんな幻想的な雰囲気にその人はほんのちょっとも違和感が無いって言うか……むしろ、その雰囲気を作ってたのは彼女自身だったかも。
しばらく歌を聞いてたら見つかりそうになって。思わず隠れて逃げちゃったよ。勿体ない事したなぁ……。
今思い出しても、あの銀髪、綺麗だったなぁ。……そういえば、彼女の頭の辺り、なんか光ってたな……。うん、あれは人間でなくて女神だよな、やっぱり。ジョン……あ、小鳥の名前だぞ。ジョンも女神に惹かれたんだろうしな。なあそうは思わないか?
「おい、聞いてるか?イッル」
僕とエイラは基地の裏手に居た。ここは周囲が木々で囲まれていて、体裁上ウィッチと男性の接触が禁止になっているこの基地では数少ない、僕がエイラと気兼ねなく話せる場所だ。
せっかく僕が素晴らしい体験を聞かせてやっていると言うのに、エイラは話の途中から俯いてしまっていた。
……よく見ると、なんだか体をぷるぷると震わせている。泣いている様に見えないでもない。様子がおかしい。いったいどうしたのか。
「イッル?大丈夫か?」
「おいおおお前……そ、そ、それ、それは絶対……!」
僕がエイラの顔を覗き込むと、震えた声で何事か喋りだした。
なんだか僕の話に心当たりがある様子である。
「もしかして何か知ってるのか!?だったら教えて……」
僕がセリフを最後まで言う前に、突然エイラは顔を上げて僕に掴み掛かって来た!
肩を掴まれて地面に押さえつけられる。僕の後頭部が地面と接触して、ごちんと派手な音が鳴る。痛い。
そしてエイラは歯を剥き出しにしてドアップで迫ってくる。歯の隙間から「ううううう」と唸り声の様な声が漏れている。怖い。
「何すんだ!」
「うううるさい!いいか、サー……その娘!その娘にもう近づいたらダメだ!ダメだぞ!」
「その娘!?やっぱり何か知ってんじゃ……」
「えーいうるさいうるさい!ダメったらダメだ!分かったなーッ!」
最後に強烈に僕の頬を引っ張って、僕を開放するエイラ。
エイラは僕が態勢を立て直す前に、「ふん!」と鼻を鳴らして立ち去ってしまった。
「いてて……何だってんだ一体……」
後頭部と頬に痛みを感じる。ダメージが頭部に集中している事には悪意を感じた。
僕は立ち上がると体に着いた土埃を払う。
エイラが何か知っているのは間違いなさそうだが、あの様子では聞き出すのは難しそうである。となれば。
「もう一回!あの場所に行ってみよう!」
あの“女神”にもう一度会えるかもしれない。
今夜も行くつもりだが、いつも居るとは限らないだろう。今日からは出来るだけ毎日抜け出す事にしよう。見つからないよう同居室の人間に協力を要請しなければ。
会ってどうするでもないが、とにかくもう一度あの歌を聞きたいのだ。
「……と、そろそろ午後の訓練か」
僕は軍支給の腕時計で時間を確認する。
最近の腕時計の進歩には目を見張るものがある。この世の科学者と言うのはどうにも何でもかんでも魔力を込めればいい、と思っている節があるが、腕時計に関しては別なのだろう。ゼンマイと歯車の緻密な機械仕掛け。まるで魔法の様だ。
昼休憩が終わり、もう直ぐ午後の日程の始まりである。
しかし、エイラは一体何にあんなに怒っているのか。心当たりが無い。あの怒り方はさすがに理不尽であろう。
僕は答えの出ない問いに頭を悩ませながら、隊舎の方に歩いて行くのだった。
☆
時刻は夜。深夜を過ぎ、そろそろ空が白んで来るという頃合いである。月はもう大分傾き、斜めに地表を照らしていた。4日前、僕が“女神”を目撃した時と同じ時間帯である。
そう、4日。僕がエイラと話したのが3日前。この間毎日“女神”を探していたが、終ぞ見つける事が出来ていなかった。
今夜こそ、と僕は意気込むが、連日の睡眠不足が祟ってどうにも頭がぼんやりしている。
エイラもあの日話したのを最後にいつもの場所に現れないし、とにかく進展が無い。それ故に、今日がダメだったら……と言う焦りが僕の中にはあった。
僕は草枝を掻き分けて進んでいく。
と、その時。僕の耳に待ち望んでいた歌声が耳に届く。
やった!!
僕は思わずガッツポーズを取っていた。眠気が吹き飛んで、僕は軽やかに歩を進める。
果たして。小さな池のほとり、その岩の上。そこに“女神”が居た。以前とまったく同じ光景で彼女は目を閉じて歌っている。
僕は誘蛾灯に釣られる蛾の如く、ふらふらと“女神”に近づいて行く。
と、その時突然僕の視界の横から白い腕がにゅっ、と伸びてきて、僕を木の陰に引き摺り込んだ。
口元を抑えられ、木に押さえつけられる様に拘束される。ただ、僕をそうした下手人とはしっかり向き合っていて、誰かはすぐに分かった。なので僕は暴れることはしなかった。
その下手人――エイラは、鼻息荒く、3日前最後に見せた表情で僕を見つめている。と、エイラの唇が微かに動いて、いきなり僕を責めた。
「来るなって言っただろ……」
近くにいる彼女に気付かれないよう配慮しているのか、その声はとても小さい。
僕が口をもごもごと動かして、喋りたいという意思を示すと、エイラが「静かにしろよ」と言う。僕が頷きを返すと、やっと僕の口は解放されることと相成った。
「イッル……お前やっぱりあの娘の事知ってんじゃないか……」
「そんな事今はいいだろ。それより、なんでお前がここにいるんだ……!」
「イッルだって、ここにいるじゃないか」
僕が混ぜ返すと、エイラはまたもドアップで近づいてくる。最早僕とエイラとの顔の距離はお互いの息が掛かる程である。
「私はサーニャを守るためにここにいるんだ!」
「サーニャ?あの娘サーニャって言うのか」
「あっ!……今の忘れろ!ホラ!」
突然エイラは僕の頭を必死の形相で小突いて来る。
「痛い!何しやがる!」と僕が言うと「うるさい!私がサーニャを守るんだ!」とエイラ。
「暴れんな!」と僕が言うと「どこ触ってんだお前!」とエイラ。
そんな風にもみ合っていたものだから、その内にバランスを崩して派手に転び、木の陰から飛び出してしまった。
「誰?」
抱き合う様な姿勢で唸りあっている僕とエイラは、声を掛けられてぴたりと動きを止めた。
「エイラ?それと……?」
“サーニャ”と言う名前らしい少女は、岩を降りてこちらに近づいて来る。
最早状況はカオス。僕の手には負えない。
「あ、あはは……サーニャ……」
エイラが弱々しく声を出す。
「その人、男の人……?こんな所で何を……あ」
あ。あ、とは何だろうか。何かに気付いた様子だが。
改めて僕は自分の置かれている状況を確認する。時刻は夜、森の中、綺麗な池の近く、抱き合っている様に見える男女。
……あ。
「あ、あのごめんなさい!私、邪魔を……」
「ちっ、ちちちち違うサーニャこれは!」
僕はどう言い訳すればいいかも分からず、思考を停止させ、ただ流れるままに身を任せた。
☆
「エイラのお友達さんだったんですね」
「いや、サーニャ、エト……友達って言うか……腐れ縁って言うか……」
「なんだよ、友達じゃ不満か?」
そうなんだー、とサーニャさんが言う。
エイラの頑張りのおかげで誤解は解け、なし崩し的にお互いの紹介が始まっていた。これは僕にとって大変おいしい状況である。どうやらエイラはサーニャさんに対して強い独占欲を持っているようだから、上手く隙をついてサーニャさんと仲良くなるチャンスであった。
「サーニャさんはウィッチだったんですか……へぇ、夜間哨戒が任務。道理で見かけなかった訳だ……あ、僕ですか?僕は回収隊に所属しています。うだつの上がらない上等兵ですがね」
自然な会話を心掛ける。サーニャさんは口数こそ少ないが、どうやら聞き上手であるらしい。気付けば僕は自分の事をぺらぺらと話していた。
「あの、トゥイスクさんは、その、エイラと同じ出身なんですか?」
「そうです、同じスオムス出身……って言うか、実家は近所だったり」
そうなんですか、とサーニャさんが言う。
「そんな事教えなくていいって……」
先ほどからエイラの歯切れが悪い。どうやら僕とサーニャさんとの間にできつつある人間関係にどう関わっていくか決めかねているようである。
これは好都合と、僕はサーニャさんに質問を重ねていく。
「サーニャさんはどこ出身なんですか?」
「モスクワです。オラーシャの」
「へぇ、オラーシャ……」
しまった。話題を間違えたかも。
現在オラーシャはその領土を軒並みネウロイに占領されている。このまま話を続けても明るい話にはなりそうもない。
僕は話題を変えることにする。
「そうだ、さっき聞いたサーニャさんの歌。すごく綺麗でしたよ」
「ほ、ほんとうですか?ちょっと……恥ずかしいです……」
「恥ずかしがることありませんって。すごく上手だった」
サーニャさんの頬が赤くなる。元の肌がとても白いのでその朱はよく映えた。
褒められるのに耐えられなくなったのか、「ところで……」と話題を変えてくる。
「あのう、エイラとは……ほんとに、その……」
今度はサーニャさんの歯切れが悪い。よく見ると、さっきよりさらに顔が赤くなっているし、体をもじもじさせている。どうやら僕とエイラの関係が気になっている様だ。さっきは友達と聞いて納得していたはずだが……。
ここまで考えて僕は、ははん、と思い当たる。どうやらサーニャさんは僕とエイラが本当は恋仲ではないかと期待しているようだ。なるほど。恋に恋する乙女というところか。
ここは一発ビシッと「違います。今僕の目に入っているのはあなただけです」とでも言ってやろうか。
「サーニャ!私がどうかしたのか?」
しかし僕が気障なセリフを口にする前に横やりが入る。
どうやら自分の名前が出た事で元気が出たらしいエイラが、興奮した様子で話しかけてきたようだ。
「う、ううん、なんでもない」
サーニャさんはそれだけ言って黙ってしまった。
ちくしょう、せっかくの印象を上げるチャンスだったと言うのに。
「そ、そうだサーニャさん。僕に敬語は使わなくていいですよ。年は僕のが上みたいですけど、階級はサーニャさんの方が上でしょうし」
「そうだ!サーニャは中尉だぞ!もっと敬え!」
「もう、エイラったら……」
そんな風に話し込んでいると、だんだんと空が白んで来た。もう直ぐ夜明けのようである。
起床の時間に寝床に居ないのはまずい。名残惜しいが僕は二人に別れを告げる。
「僕はもう戻る事にするよ、そろそろまずいから」
そう言って立ち上がる僕に、エイラでもサーニャさんでもない第三者の声が掛かる。
「あら、いったい何がまずいのかしら」
背筋が凍りつく、とはまさにこの事。
僕は声をした方を見る。
そこにはとてもとても“優しい”笑顔をした、ミーナ中佐が立っていた。
「トゥイスク・イルヴェスニエミ上等兵!」
「は、はい!」
ぴしゃりと名前を呼ばれて、思わず気をつけの姿勢を取る。
「ウィッチと男性との接触を最小限にするように、と言う規則は知っていますね?」
「はい!」
「では、今の状況を説明して貰えるかしら」
「そうだそうだ!ウィッチと男は会っちゃいけないんだぞ!」
「……エイラさん、貴女もです」
ミーナ中佐の尻馬に乗ったエイラは、話の矛先を向けられてビクリと震えた。
「こ、こいつが私とサーニャに色目を使うからいけないんだろ!」
「はあ!?サーニャさんはともかくお前に女なぞ感じる訳ないだろ!」
「なんだと!私を追っかけて軍に入ったくせに!」
「は、はああああ?自意識過剰もこうまで来ると――」
「やめなさい!」
僕とエイラの口げんかをミーナ中佐が一喝する。
「夜間哨戒明けのサーニャさんはともかく……この場は解散しなさい、処分は追って伝えます」
時間が時間だからか、ほとんど小言は無かった。これ幸いにと僕は戦術的撤退を試みるが、その甲斐虚しく呼び止められてしまう。
「イルヴェスニエミ上等兵。貴方にはお話があります」
僕が項垂れていると、サーニャさんの背を押して行くエイラが、べーと舌を出してくる。
見送ることしか出来ない僕は拳を握りしめて耐えるのだった。
「さてイルヴェスニエミ上等兵……長いわね、トゥイスクでいいかしら」
どうぞ、と了承の意を伝える。
「ではトゥイスク上等兵」
「はい」
僕は居住まいを正す。
「そんなに畏まらなくてもいいわ。叱りはしません」
どうやら小言のために残されたのではないらしい。別件だろうか。僕は心の中で安堵のため息を吐いた。
僕が何も言わないのを見て、ミーナ中佐は言葉を続ける。
「と、言うのもね。貴方には、さっき言った規則はエイラさんに対してのみ、気にしないで貰いたいの」
……それはどういう事だろうか。つまり、エイラとだけは仲良くしろ、と言いたいのだろうか。僕がミーナ中佐にこの旨を伝えると、ミーナ中佐は言った。
「ええ、つまりそういう事です……貴方がここに配属になった経緯は聞かされた事があるかしら」
いいえ、と僕は答える。
別にさっきエイラが言っていた事では決してないが、僕は確かにエイラと同時期に志願して軍に入隊している。僕はウィッチでは無いので、かなり無理を言った事だった。
その時僕はスオムス軍で今と同じに回収隊に配属されていた。そして、エイラが501JFWに移るのとこれまた同時に僕もこちらに転属となっている。……別に僕は希望を出したりなどしていない。これは本当だ。
「経緯、といっても単純で、単にあなたの元上官――エイラさんのお姉さんに頼まれたからなのよ」
アウロラ・E・ユーティライネン。それがエイラの姉の名だ。僕がスオムスにいた頃大変に“お世話”になった人物である。スコップと手榴弾を手にネウロイを文字通り叩き潰す豪傑として知られている、とんでもない人である。
「つまり、アウロラねえさ……アウロラ大尉の口利きで僕はここに?」
「気を悪くしないでね。厄介払いとかでは全然無くて、『エイラの傍に置いてやってくれ』って」
初耳である。
この分では僕が軍に入れたのにもアウロラ姉さんが一枚噛んでいるかもしれない。
「大尉は理由を言っていましたか?」
「ええ。なんでも、エイラさんは貴方が傍に居ると調子が良くなるそうよ」
嘘くさい。というかまるきり嘘だろう。
あの人は昔から僕とエイラをくっつけたがっていた節があった。これもその一環だろうか。
ミーナ中佐もミーナ中佐である。そんな話を真に受けていて大丈夫だろうか。……いや、エイラを派遣して貰った手前、スオムス側の要求は断りづらかったのかもしれない。
「そう言う訳ですから、貴方への処分は、エイラ少尉との関係修復を命じます」
「はい」
まだ聞きたい事はあったが、今僕は叱られている立場である。根掘り葉掘り聞きたいがそれはまたの機会にするとしよう。
僕はミーナ中佐に敬礼をするとその場を立ち去った。
☆
トゥイスク上等兵を見送ってから、私はため息を吐く。覚えず眉間にしわが寄っていたので、指でほぐすようにする。
……ほんとは『調子が良くなる』なんて嘘。私がアウロラ大尉から聞かされたのは、エイラさんが彼と一緒に居ないと『危ない』と言う事。
しかし、流石にオーバーな表現じゃないかしら。エイラさんを見る限り、そんな不安定さは感じない。サーニャさんとの関係を考えると、少し他者に依存しがちな傾向はあるみたいだけど……。
私は頭を振る。
これ以上ここで考えても仕方ないわね。これはいくら考えても答えが出る問では無いでしょうし。
それに彼にエイラさんと仲良くするよう言ったのはそれだけが理由ではないわ。
彼がエイラさんのガス抜きになっているのは間違いないみたいだし、どうやらサーニャさんとも仲良くなれていたみたい。サーニャさんはお世辞にも交友関係が広いとは言えないし、彼との出会いをきっかけに成長してくれれば良いのだけれど。
「ふぁ……」
あらいけない。欠伸が漏れるなんて、気が緩んでいたのかしら。
まだ起床まで時間があるし、部屋に戻って休むことにしましょう。
☆
僕がサーニャさんと知り合って数日。エイラをだしにして足繁く彼女に会いに行ったのが功を奏したのか、僕と彼女の関係は概ね良好で、友人と呼べる程度の物にはなっていた。サーニャさんは夜間哨戒が任務のため僕とは生活時間が合わないが、彼女が非番の日などはよく話していた。
今日もそんな日で、僕とエイラとサーニャさんの三人は、基地の裏手のいつもの場所で話をしているのだった。
「そうだイッルお前、初め何で俺がサーニャさんに会うの渋ってたんだよ?」
「え、えぇ?そんな事言ったかな……」
目を逸らしてしらばっくれるエイラ。口笛なぞを吹いて見せるが、ひゅーひゅーと虚しく空気が漏れるだけで全く誤魔化せていない。
「エイラ、どうしてなの?」
「さ、サーニャ、私よりこいつの言う事信じるのか?」
「日頃の行いが悪いんだろ、くくっ」
「笑ったなこいつー!」
僕にアームロックを仕掛けるエイラ。悲鳴を上げる僕。そして僕らを見て微笑むサーニャさん。
僕らの関係だが、今のようにサーニャさんと僕とでエイラをからかって、僕が仕返しを喰らう、というなんだが妙な構図が出来てしまっていた。
ミーナ中佐に命令された関係修復だが、あの程度のいがみ合いはよくあることで、次の日には普通に話をしていたのだから、僕とエイラの関係の気安さも分かるというものだ。
僕はエイラとは、まあ……言ってしまえば幼馴染と言う関係だろうか。
軍隊としての階級では、僕は上等兵であるので本当ならば尉官であるエイラとは口も滅多に聞けないのだが「気にする必要はないゾ」と言って来たのはエイラの方からだ。普段高圧的である癖に、階級を盾にして僕にあれこれしてくる事はない。その辺りに関して僕はエイラに気を使わせっぱなしなので、僕も早いところ昇進したいものだ。
こんな事を言えばからかわれるのは目に見えているので、口には出さないが。
そんな事を考えていると、僕の胸ポケットからジョンがぴょこんと顔を出した。
「かわいい……小鳥さん?」
「あれ、まだ紹介してませんでしたっけ。こいつ、ジョンってんです」
そういえば、僕がサーニャさんと知り合えたのも元はと言えばジョンのおかげである。
僕は今晩の餌を豪華にしてやる事にする。
「へー、お前に生き物を飼う趣味があったなんてなー」
「イッル……こいつの話をするのは初めてじゃ無かったはずだぞ」
「え。ソーだっけ」
「そうだって……」
「あれー?」とエイラは首をかしげている。
するとないがしろにされたからだろうか、ジョンが突然ポケットから出たがって暴れ始めた。
「おっとと」
寸でのところでキャッチに成功する。
しかしジョンは僕の手の平の上でもなにやら鳴いて羽を動かしている。ジョンの視線の先を見ると、そこにはサーニャさんが。
……もしかしてこいつはサーニャさんに甘えたがっているのだろうか。
試しにと、差し出す様にサーニャさんにジョンを近づけ「撫でてやって下さい」と言ってみる。
サーニャさんはコクンと頷くと、おずおずとジョンに手を伸ばす。この時にはジョンは既に大人しくなっていた。やはりサーニャさんが目当てだったのだろうか。
サーニャさんの細長い指がジョンを撫でる。ジョンは気持ちよさそうに目を閉じ、されるがままになっている。……別に羨ましいなどとは思っていない。
ジョンはその内撫でられるだけでは満足出来なくなったのか、サーニャさんの指に頭をこすり付ける様にし始めた。どうやら抱いてもらいたいらしい。
「サーニャさん、抱いてやって下さい」
僕が言うと、サーニャさんは両の手でそっとジョンを持ち上げ、自身の胸で抱きしめる様にした。……別に羨ましいなんて思ってない!
僕は今晩のジョンの餌を減らしてやる事にする。
ともあれ、見目麗しい少女が小鳥と戯れている姿は大変絵になった。悔しいが、眼福とさせてもらう事にする。
「うううー、鳥公のくせに……!」
隣にハンカチを噛み締めて何やら悔しそうな顔をしたエイラが居る。どうやら同じ心持であるらしい。
僕はサーニャさんに抱かれているジョンを見続けるのが辛くなって、話題を変える事にする。
「そーだイッル、今タロット持ってるか?ちょっと占ってくれよ」
「ん?別にいいけど、何占うんだ?」
「あーっと、そうだなぁ。じゃあ俺のこれからの活躍について頼む」
「なんだそれ、曖昧だな」
エイラはぶつくさと文句を言うが、占ってくれるつもりはあるらしく、懐からタロットカードを取り出した。そして無造作にカードを一枚引く。
すると、さっきまでの表情は何処へやら、エイラはにやにやと笑いだした。
「おいなんだよ?何が出たんだ?」
僕が問うと「ほらよ」とエイラはカードを見せる。
「げ」と僕は思わず呟いた。
「タワー……」
サーニャさんが呟く。
そう。大アルカナ16番のカードである“塔”がエイラの手に握られていたのだ。
カードの意味は予期せぬトラブル、または破滅。僕の未来に対して占ったのに、これ以上ないほど最悪のカードだろう。
「んふ、日頃の行いが悪かったのはお前の方みたいだな?」
「なん、だと」
エイラはにやにやしながら僕を馬鹿にするように言う。エイラの占いは割とよく当たるので、僕は真面目に自分の未来が不安になっていた。
「大丈夫よトゥイスクさん、何かあっても私たちがなんとかするわ」
「サーニャさん……」
落ち込む僕にサーニャさんが優しく声を掛けてくれる。
サーニャさんはやはり女神ではなかろうか。美人だし、優しいし。
とにかく今まで僕の周りにはいなかったタイプの女性だ。もし彼女がウィッチでなければもっとアプローチを掛けているところである。
「ありがとうございますサーニャさん……僕、貴女の事、ずっと応援してます!」
僕は自然な動作でサーニャさんの手を包む。
「あ!さり気無くサーニャに触るなー!」
エイラが怒って僕の手をはたき落とす。
「なんだよ、嫉妬してんのか?」
「は?嫉妬?……て言うか、お前は……私を……」
「心配しなくても、サーニャさんの珠のお肌には傷なんか付けさせねーって」
僕がそう言うと、エイラは僕をぎろりと睨みつけて言った。
「サーニャをそんな目で見んなー!!」
☆
サーニャがトゥスクと仲良くなったのは正直あんまり嬉しくない。サーニャには私だけって思ってたから。でも、ニコニコ笑うサーニャを見ていると毒気を抜かれて、なんだかこっちまで嬉しくなってくる。やっぱりサーニャはすごい。
こうなると、サーニャと仲良くなったのがトゥスクで良かったかもしれないな。あいつの事は昔から知ってるから、サーニャを傷つけたりする奴じゃないのは分かってる。
それに万が一にもサーニャが取られる事も無いだろう。
何故かって?ふふふ、まあ聞けって。
トゥスクと初めて知り合った日の事はもう覚えてないな。ずっとずっと昔の事で、気付いたらあいつはいつも私の傍にいた。
遊ぶ時も、寝る時もずっと一緒だった……気がする。
ネウロイのせいでトゥスクの両親が“いなくなって”からは私の両親がトゥスクを預かった。それから私とあいつの関係は専ら兄弟だ。
でもそれはあいつには申し訳ない事をしたかもしれない。
なぜって?
あいつはいつも私の傍にいるんだ。それで、いつも私を気に掛けている。私が困ってたら助けてくれるし、私が泣いてたら飛んでくる。
……な?分かるだろ?
つまり、あいつは私が好きなんだろうな。
だってそうだろ?私がサーニャにするみたいに、いつも私と一緒に居ようとするんだ。
口には出さないけど、私がウィッチの才能を発揮して軍に入ったら追いかけてきたし、私が501に来ることになっても追いかけてきた。
まあ、なかなか健気な奴じゃないかな?サーニャと出会って無い頃の私だったら付き合ってあげてたかも。今は叶わない話だけどな。
そう言う訳で、あいつがサーニャにちょっかい出す心配は無いわけだな。
あいつが私に告白して来たらどうしようかなー、んふふ。
何でこんな話をしたかと言うとな、今日いつもの場所に「一人で来るように」って呼び出されたんだよ。こんな風に改まって呼び出すってのは、つまりそう言う事だろ?私とサーニャがただならぬ関係だって気付いたのかもな。
そう、私にはサーニャがいる。だからあいつの気持ちには答えられない。なんて言って振ってやろうか?
「お、来たか」
何でもない風を装って、私に声を掛けるトゥスク。
場所はこいつとサーニャが初めて会った場所だ。まだ夕方だけど、太陽の光で水面がきらきらしている様はいつも以上に綺麗に見えなくもない。
一瞬こいつの髪が靡いて、水面と同じように太陽の光を弾いた。
……なかなかやるじゃないか。ちょっとドキリとしたぞ。
「おい、なんか顔赤いぞ?太陽にやられたか?」
トゥスクは心配するような声を出して私のおでこを触ってくる。
「な、なんでもないって」
「そう?ならいいけど」
私は手を振り払う。あ、あざとい奴め。心臓がばくばく言ってるじゃないか。
と、私は胸の動悸が収まらない事に気付く。
あ、あれ?
「急に呼び出して悪かったな」
「き、気にすんなって」
「どうしても伝えたいことがあって。人前じゃ言えないからさ」
そうなのか?と生返事を返す。
……もしかして私は、緊張してるのか?どうして?こんな風に話すのは久しぶりだけど、初めてじゃない。これじゃ、私がなにか意識してるみたいじゃないか!
「実は……僕、お前に……!」
そう言って私の手を取ってくるトゥスク。自分でも顔が真っ赤になっているのが分かる。
私を見つめてくる目がいつもの10倍かっこよく見える。
だ、ダメだ!私にはサーニャが……。
私はそう言おうとするけど、唇がぷるぷると震えて、口からは息がひゅうと漏れるだけだった。
「お前に、僕がサーニャさんと付き合えるように助けて欲しいんだ!」
……。
……は?
☆
僕がエイラに一世一代のお願いをして、その後数日間。僕はエイラのアドバイスの元、サーニャさんに幾度となくアプローチを掛けているが、結果は思わしくない。
僕とエイラは作戦会議のため再びいつもの場所に来ていた。
そう、あのお願いに僕はエイラからOKの返事を貰っていたのだった。正直、ダメで元々と思っていたものだから了承の意を伝えられて驚いた。僕がお願いを口に出した後、エイラは下を向いてぼそぼそと何かを言ったと思ったら、何だか苦虫を嚙み潰した様な顔をして「しょうがないな」と言ってくれたのだった。
「で?改まって私は何をすればいいんだ?」
「イッルには、また占いと、情報の提供を頼みたいんだ」
「情報……?」
「ほら、サーニャさんが何が好きかとかさ」
エイラは腕を組んで考え込む素振りを見せる。
「サーニャの好きなものかー、えーと、何だろなー。それより、占いだろ?今日の運勢はだなー」
なんだかエイラの棒読みに拍車が掛かっている。誤魔化された様な気がしないでもないが取り敢えず今は占いを聞くことにする。
エイラはタロットをめくり終え、言った。
「きょ、今日は運勢が悪いみたいだから。そこの池で頭を洗ってサーニャには会わないでいた方がいいぞ」
「……本当?」
「う、疑うのか!?」
いやそういう訳じゃないけど、と僕は返す。
しかし池で頭を洗って一体どういう意味があると言うのか。僕は訝しがりながらも言われた通りに頭を洗う。あれか、悪い運勢を洗い流すみたいな?……なんだか胡散臭いな。
「ほんとにやるのかよ……」
そんな声がぼそりと聞こえたが僕は聞こえないふりをする。エイラも嘘を付いた訳ではないだろうし、変な占い結果も偶には出るものなのだろう。
エイラの協力は僕がサーニャさんと懇ろになるのに必要不可欠であるから、協力的な姿勢を見せて機嫌を取らなければならない。
……しかし、僕だけ濡れているのはやはり不公平ではあるまいか。スオムス程ではないがここの水も冷たい。
僕は片手に水を掬い込む。
「イッル、これでいいか」
「ああ、うん」
エイラはやはりどこか上の空だ。僕はあっさりとスオムス空軍エースの背後を取ることに成功する。僕は手の水をエイラの首筋に垂らした。
「ひゃうわっ」
エイラはびくりと体を震わせて飛び退いた。随分とかわいい悲鳴である。
「あははは!ひゃうわ、だって!」
「うー!何すんだ!」
僕は逃げる。エイラは追ってくる。
予知能力を持つエイラに僕はあえなく捕まり、引き倒された。マウントを取られた僕は肩で息をしながらエイラを見つめる。
「何悩んでるか知らないけど、元気だせよエイラ」
力になるからさ、と僕。
エイラに相談しているのは僕だが、今のエイラはどう見ても変だ。何か悩みがあるなら相談して欲しかった。
「――って……んだ」
「え?なんだって?」
「なんだよ、エイラって。私は、お前の、イッルだろ!」
エイラは突然スオムス語で喋りだした。
どうやら興奮しているらしいが、え、そこに食いつくのか。
「分かったよ、イッル。ほら、これでいいだろ?」
「……ん」
僕もスオムス語で返すと、エイラはそれだけ言って自身の顔を僕の胸に載せる様にしてくる。まるで抱き合っている様な姿勢だ――いや、エイラならいいか。
僕はエイラを慰めるように頭をぽんぽんと叩く。
エイラは昔から今のように理不尽に――と言うか、どこかズレた所に怒ったり、嘆いたりする事が時々あった。僕がエイラがどうしてそう感じているかを理解できた試しは無いが、そんなエイラを慰めるのはいつも僕の役目だったのだ。
「な、もういいだろ。どいてくれよ」
僕がそう言ってもエイラはどこうとはしない。むしろ自身の頭をぐりぐりと僕の胸に押し付けてくる。
エイラの胸好きはなにも今始まった事ではないが、最近節操無さすぎではないだろうか。
僕がエイラの頭から手を離す。と、それには機嫌を損ねたのか、ぷくりと頬を膨らませて僕の手を掴み、再び自身の頭に載せるのだった。撫でろ、という事だろうか。
僕はおとなしくエイラの髪の感触を楽しむことにする。
エイラのその性格に反して癖のない真っ直ぐな銀髪を梳く。エイラはくすぐったそうにして目を閉じた。
潰れて苦しかったのか、エイラの顔の下、僕の胸ポケットからジョンが窮屈そうにして這い出して来た。
穏やかな時間だった。静かで、お互いの息遣いと風の音しか聞こえない。こんな平和な時がずっと続けばいいのに。
そんな事を考えていると、傍に小鳥――ジョンではない――が近づいて来る。
ちちちち、とその小鳥が鳴くと、釣られたジョンが傍に寄っていく。どうやら同種の鳥の様だ。
ちち、ちち、とお互いを突っつき合っている。意気投合したらしい。
ジョンは巣から落ちて親からも見捨てられていたヒナだった。放っておけなくて拾ってしまい、僕のご飯を分けて育てていた。もう1年近い付き合いになる。
だけど。
「あ……」
「……」
ジョンは、飛んだ。初めて飛んだ。飛んで行ってしまった。
番いになるのだろうか、楽しそうに2羽で絡むように飛んでいく。
「なぁ……」
おもむろにエイラが話掛けてくる。僕は目で続きを促した。
「お前はサーニャのどこを好きになったんだ?」
「え、そりゃ……まず、歌声に惹かれたよ」
恥ずかしい話であったが、エイラの目が真剣なので僕も真面目に答える。
それで……、と僕はたどたどしく言葉を続ける。
「ちょっと話して、サーニャさんがすごく優しい子だって思ったんだ。なのに、誰かのために戦ってる」
僕は息を吐いて、吸い込む。話している内に自分の気持ちに整理がついて行くのが分かる。
「守ってあげたいって思ったんだ。そりゃ、今彼女はウィッチで、僕は守られる側だけど。いつか彼女が“あがり”を迎えてそうで無くなった時」
「もういい」
エイラはそう言って僕の独白を止めさせる。
今のはエイラなりに僕を試していたのだろうか?だとしたら、お眼鏡にかなえばいいのだが。しかしエイラが言った言葉は僕が予想していた物のどれでも無かった。
「私だって……歌は得意だぞ」
え?と僕は聞き返す。エイラの言葉がまったく脈絡の無いものに思えたからだ。
「私だって、戦ってる。私だって……」
エイラはまるでその器から水をこぼす様に言葉を発する。しかしその言い方ではまるでサーニャさんに嫉妬しているかの様である。
「エイラ、お前もしかして俺の事好きなの?」
「は、はあ!?そんなわけないだろ!」
「だよなぁ、俺ら兄妹みたいなもんだし」
僕は当然エイラが好きだ。しかしそれは所謂家族愛と言う奴で、恋慕のそれとはまるで違うものだった。
「兄妹……私の方が――私がサーニャだったら……」
エイラは再び言葉を紡ぐが、内容は判然としない。
「エイ……イッル、そろそろ戻ろう。じき夕食の時間だ」
「……そうだな、うん」
エイラの口調がいつもの棒読みに戻る。僕はそれに安心するとエイラの手を引いて宿舎の方向に歩きだすのだった。
ジョンは、もう戻ってこなかった。
☆
夜。就寝時間はもうとっくに過ぎてるのに、私はまだ眠れずにいた。
気温が極端だったりとか、何かしら騒音がするという訳じゃない。数時間前、私がトゥスクに言われた言葉が頭から離れないでいる。そのせいで眠れないのだ。
「なにが兄妹だ、ばか……」
いいさ、私にはサーニャがいるんだ。あいつと一緒に居られなくたって……。
「……」
ごろりと寝返りを打つ。
やっぱり眠れない。ふと思い立って、私はタロットを取り出す。
占うのは私とあいつについてだ。ワンオラクルでいいかな――と、一枚カードを置いてめくった。
「うげ」
出たカードは『吊られた男』……の逆位置。意味はこの場合、報われない片思い。
「うがー!」
なんだってんだよもー!
私は布団に倒れ込む。体重で沈み込むようになるベッドの感触が心地いい。私は枕を抱くようにして、ぎゅっと力を込める。
サーニャはまだ夜間哨戒かな?月の光の下で飛んでいるサーニャを想像する。
サーニャに会いたい。今日も部屋を間違えて来るかな?そしたら、サーニャの髪に触れて、匂いを嗅いで、体温を感じて――ああ、サーニャサーニャサーニャ……。
その時、コンコンとドアがノックされる。
「エイラ、もう起きてる?」
「さ、サーニャ!?」
私は慌ててブランケットで体を隠す。こんな姿は絶対にサーニャには見せられない。
私の声を返事と受け取ったのか、ドアを開けて入ってくるサーニャ。
さっきまで妄想していたサーニャがそこにいる。その事は何故だか私を異様に興奮させた。
「どっ、どうしたサーニャ?」
「エイラ、こんな時間にごめんなさい。エイラに相談したい事があって……」
「ううん!気にするなサーニャ!それで、相談って?」
うん、実はね……とサーニャ。
サーニャはドアを閉めて私が居るベッドに腰掛ける。
ギシリ、とベッドが軋む音に私はごくりと唾を飲み込んだ。
けどサーニャはなかなか続きを喋らない。少し顔を赤くして、もじもじしている。かわいい。
これは、もしかするともしかするんじゃ。サーニャが私の事を――。
思わず口元がにやけそうになるが、鋼の理性で押しとどめる。
「私ね――の事――ってるの」
小さな声でサーニャは言う。
「え?なんだってサーニャ?」
「だから、そのう――」
私の鋼の理性は早くも崩壊し、にやけが止まらなくなる。
しかし自分の膝を見つめているサーニャにはバレた様子は無い。
サーニャはぎゅっとシーツを強く掴んで――けれども声はさらに弱々しい――言った。
「私、最近。トゥイスクさんのこと、き、気になってるの……」
……。
……え?
☆
僕は隊舎から出る。
訓練を終え、シャワーを浴びた後に浴びる午後の柔らかい日差しは何物にも代えがたい。
僕はしばらく散歩することにする。まだ体に疲れが残っているが、歩いているうちに抜けてくれるだろう。
と、そんな時。
「オイ」
「お、イッル?」
まるで僕を待ち伏せしていたようなタイミングでエイラと出会う。
「ほら」
そう言ってエイラは僕に飲み物を渡してくる。もしかして、訓練を労ってくれているのだろうか。
「もしかして見てたのか?」
「み、見てねーよ。それより、これから何処行くんだ?」
ぶっきらぼうに言うエイラ。
「何処って言うか……散歩だな」
そう言って僕は歩き出す。エイラも付いてくる。どうやら散歩に付き合ってくれるらしい。
「あ!そっちはダメだ!」
僕が分かれ道を曲がると、エイラは突然そんな事を言い出した。
「ダメって、何が」
「ううう占ったんだ!今日は真っ直ぐの方がいいんだ!」
エイラは僕の背中を押してくる。
しかしそう言う事なら仕方ない。ちらりとサーニャさんの後ろ姿が見えた気がしたのだが。僕は後ろ髪を引かれる思いでその場を直進するのだった。
結局僕とエイラはいつもの二人が話す場所に着いた。
先日こっそり持ち込んだ椅子に座って、一息つくことにする。
「あ、おいお前。上着のボタン取れかかってるぞ」
「え、うそ」
「ほら」
エイラは急にそう言って僕と距離を詰め、ボタンに手を掛ける。
「ほ、ほらここ」
「まだ大丈夫じゃないか?」
「ええい!まだるっこしい!」
エイラはそう叫ぶと僕の服を脱がせに掛かってくる。
妙に手際のいいエイラの追いはぎ行為によって、僕の抵抗虚しく上着をはぎ取られてしまう。
「縫い直してから返してやるよ」
そう言ってエイラは僕の上着を抱え込んだ。
しかし太陽の光があるとはいえ、この季節に外で肌着一枚では少し寒い。
僕がそうエイラに訴えると、エイラは少し考えるように顎に手を当てた後、突然僕の背後に回り込む。そしてそのまま僕を背後から抱きすくめた。
「お、おい?」
「これならあったかいだろ」
「いやそうじゃなくて……」
「兄妹なんだから、別にいいじゃんか」
……そういうものか?
僕が悶々としていると、段々とエイラの力が強くなってくる。
「イッル?なあ」
エイラは答えない。むしろ力は強くなっている。聞こえていないのか?
そしてエイラはあろうことかそのままの姿勢で僕の首筋の匂いを嗅ぎ始めた。
「いたっ、おいイッル!痛いって」
「え?あ……ごめん」
そう言ってエイラは力を抜いた。しかし体を離すつもりは無いらしい。
どうにも窮屈だったが、僕はエイラの好きにさせてやる事にした。
「お前は、私の事好きか?」
エイラはおもむろにそんな事を聞いて来る。
一体どういう意味で、とは思うがそれを口にするのは憚られた。
迷った末、僕は「もちろん」と答える。エイラはどうやらナイーブになっているらしかった。
「……そうだよな。お前は、私が好きなんだよな」
エイラはそれ以上もう何も言わなかった。僕もずっと黙っていたので、僕とエイラは日が傾くまで二人でしばらくそうしていたのだった。
☆
「最近、エイラの様子が変なんだ」
「はぁ、そうなんですか?」
む、信じてないな?と僕が言うと、そんな事ありませんよ、とやっぱり気の抜けた風に返す少女。
僕が今話している少女――基地に“少女”がいる時点で分かるだろうが――はウィッチだ。名前は宮藤芳佳。階級は軍曹。最近基地にやってきた新米さんである。
階級は僕の方がずっと下だが、基地では先輩なので普段は偉ぶらせて貰っている。
芳佳も優しい子で、僕の下らない世間話とか愚痴とかにも付き合ってくれる貴重な存在であった。
芳佳はまだミーナ中佐が敷いた規則について知らないようであるが、教えてしまえば僕と芳佳の関係は終わってしまうので、僕はこれについて教えてあげるつもりは無かった。
「でもトゥイスクさん、私まだエイラさんとあんまり話した事ありませんから……」
「あっ」
それもそうである。
「すまん軍曹。ちょっと想像力が足りなかった」
僕がそう謝ると、芳佳は「いえいえ」と手を振ってくれる。
「それで、具体的にエイラさんがどうしたんですか?話してくれれば、きっと力になります!」
やはり芳佳は優しい娘である。この純粋さによっていつか怪我をしないか、と僕は偶に芳佳の将来が心配になる事がある。僕はありがたく相談を続ける。
「えっとな、最近やたらエイラと会うんだよ。偶然とかじゃ無くって、もうどこにでも居るって感じなんだ……それと」
これは運が無いだけかもしれないけど、と僕は前置いてから続ける。
「サーニャさんに全然合わないんだ。もう全く」
避けられているのかもしれないが、僕には心当たりが無かった。
「それは不思議ですね……」
うーん、と唸る芳佳。
「ごめんなさい。ちょっと分からないです……」
「そうだよな……わかんないよな……」
二人してうーん、と唸るがどうにも解決しそうに無い。
「もうエイラさんに直接聞いてみたらどうですか?」
「そうしたいのは山々なんだけどね……僕がそれを聞こうとするといつも上手くはぐらかせられるんだよ」
僕はここで「そういえば」と一つ気付いたことがあった。
「エイラの奴、最近いつも耳と尻尾出してるけど、何でだろうな……」
「なんででしょう……」
二人してうーん、と唸るがやっぱり解決しそうに無い。
「ありがとう芳佳。解決はしなかったけど、整理はついた気がするよ」
「そうですか?結局力になれなくて……すいません」
謝る事じゃないって、と僕。
「そろそろ訓練の時間じゃない?」
「あ、そうですね――あの、いつもの、お願いしてもいいですか?」
芳佳はそう言って、ぴょこりと耳と尻尾を出す。
僕は正直あまり気が乗らないのだが、今日は相談を受けてもらった手前断りづらい。
僕はわざとらしく「しょうがないなぁ」とため息をついて、芳佳の前で膝立ちになる。こうすると、丁度芳佳の胸と僕の胸の高さが同じくらいになるのだ。
「それでは……失礼して」
そう言うと芳佳はわきわきと怪しく手を動かし、躊躇いなく僕の胸を鷲掴み――そして揉み始めた。
芳佳の耳がパタパタと揺れ、尻尾に至っては激しく左右に振られている。これだけ見ればとても可愛らしい光景なのだが、口からはぐへへと言う声が漏れてしまっている。
「……っ――!」
芳佳の手つきは回を重ねるごとに巧くなって来ていて、正直今僕は声を上げない様に耐える事でいっぱいいっぱいだった。
芳佳は心優しい少女であるが、この瞬間だけは完全におっさんである。
エイラも相当の物好きだが、あいつだってもう少し恥を持って他人の胸を揉むだろうに。
さっきとは別の理由で芳佳の将来が心配になる。
僕は一度芳佳に『そんなに男の胸が好きなのか』と聞いたことがある。すると芳佳は『私は人類全ての胸を愛しています!』と即答した程の筋金入りであるから、もう何もかも手遅れなのかもしれなかった。
「やっぱり硬いのもいいなぁ……一回リーネちゃんと並べて一緒に……ぐふふ」
節操無さすぎである。
僕はリーネちゃんの将来も心配になっていた。開発とかされてないといいけど。
「まだ……?もうっ、終わって……」
「もうちょっと、もうちょっとだけ……さきっちょだけだから……!」
いったいどこの、そして何の“さきっちょ”なのか。
と、その時基地に警報が鳴り響く。
「警報!?」
「ネウロイが!?」
僕と芳佳は慌てて立ち上がる。……が、芳佳の手が僕の胸から離れない。
「うー……また後で来ますから!」
「ダメです今日は終わりです!」
名残惜しそうに最後に強く揉んでから、芳佳はハンガーの方に走っていった。
……もしかして僕はネウロイに貞操の危機を救われたのではなかろうか。
僕もそんな事を考えながら基地の待機室に走るのだった。
この時僕も芳佳も夢中だったので、近くに人の気配があったことに全く気付かなかった。
☆
「私はサーニャが好きで……サーニャはあいつが好きで……あいつはサーニャが……。あれ?違う。間違えた。あいつは私が好きなんだ」
だから三人で一緒に居られる。三人が三人を好き。その筈。
「警報!?」
「ネウロイが!?」
……あれ?でも、じゃあそこに宮藤がいるのは変だ。そこは私の場所だ。ここは私たちの場所だ。その筈。
「宮藤さん、エイラさん、早いわね。今すぐ動けるのは私、リーネさん、そして貴方たちだけよ」
三人以外はダメだ。三人でなくちゃダメだ。その筈。
「私とリーネさん、エイラさんと宮藤さんでロッテを組んで。――出撃!」
二人でもダメなんだ。その筈
「ネウロイ確認!中型が2!各隊各個迎撃!」
私が守らなくちゃいけない。あいつは戦えないし、サーニャは優しいから。その筈。
「はああああ!」
だから、ごめん宮藤。
「やりましたよエイラさん!――え」
またな。
「宮藤さん!宮藤さん応答して!」
「芳佳ちゃん!返事して!」
「宮藤ーっ!」
☆
回収隊に下された命令は2つ。
1つ。ストライカーの回収。
1つ。宮藤芳佳軍曹の捜索。
両命令を現地のウィッチと合流後、日没までに達成させる。
「芳佳……別に俺は怒っちゃいないから、帰って来いよ……」
僕はソナー、レーダーとにらめっこしながら水上バイクを走らせる。
芳佳はコアを破壊したネウロイの最後っ屁にやられたそうだ。ネウロイの破片のせいで僚機の救援も間に合わず海に落下。そのまま波にさらわれたのだろう。
インカムの故障か、それとも本人の意識が無いのか。芳佳からの応答は無い。
しかしここら辺の海はそんなに深くないし、潮の流れも速くないからまだ近くにいるはず。
「上等兵。捜索範囲を広げる。お前はそのまま直進しろ」
「了解、アウト」
インカムに通信が入る。
これ以上発見が遅れると捜索範囲が膨大になりすぎる。
僕はスピードを上げた。
しばらく走ると、視界に一瞬白いものが映る。
「……ん?」
すぐ波の陰に消えてしまったが、見間違いではないはず。僕は舵を切って確認に向かう。
果たしてそこにはストライカーが岩に座礁していた。……しかし芳佳の姿は無い。
「こちらイルヴェスニエミ上等兵、地点XXにてストライカーを発見。繰り返す。こちら……」
と、僕はここであることに気付く。ストライカーに数ミリの穴が開いている。それもいくつも。
……これ弾痕か?
僕はストライカーをひっくり返して叩いてみる。するとポロリと先の潰れた弾丸が落ちてきた。ぺろっ、これは9ミリパラベラム弾!
どういう事だ?まさか芳佳は誤射されたのか?いや、そんな報告は聞いていない。
今回出撃したウィッチで、9ミリ弾を使う武器を扱う者。
「エイラ……?」
エイラが誤射?いやいやそんなまさか。あいつはあれでもスオムス空軍最優秀のウィッチだ。
……じゃあどうして?
「上等兵。宮藤軍曹を確保した。ストライカーを牽引できるか?」
芳佳が見つかったらしい。良かった。
しかし、このストライカーはどうするべきだろう。このまま馬鹿正直に持って帰ってしまってはいろいろと不味いことになってしまうだろう。が、かと言って放置するわけにもいかない。
僕は迷った末、エイラに直接事情を聞くことに決めた。
「……問題ありません、しかし、ストライカーは片足のみしか見当たりません」
「構わない、じき日が暮れる。母艦にもどれ。アウト」
僕は無傷のストライカーにワイヤーを巻く。弾痕が残るストライカーは、その部分の装甲板を無理やり剥がして懐に押し込み、あとは捨ててしまった。
こんな事をしたのがばれたら、始末書じゃ済まないだろうなぁ。
それより、芳佳は無事だろうか。……生きているよな?
僕は岩を蹴って方向を変えると、母艦目指してアクセルを回すのだった。
☆
ネウロイ出現後数時間。
僕は今、エイラに呼び出されて夜のハンガーに来ていた。
芳佳は無事だった。しかし、海水に長いこと浸かっていたせいで体力を失い、今は治療室で眠っている。外傷は見当たらなかったらしいし、顔色は悪かったがじきに回復するとのことだった。
滑走路の方からハンガーに向かうと、ハッチが開いていて、真ん中に人影がある。エイラだ。僕に背を向けるようにぽつんと立っている。
僕からエイラを呼び出そうと思っていたので少々面食らったが、なに、相手はエイラだ。びびる事は無い。
僕はわざと足音を響かせてエイラに近づく。しかしエイラはこちらを向かない。
僕はエイラの肩を掴んでぐいと引っ張り、エイラと顔を突き合わせる。そして懐から装甲版と9ミリ弾を出し、声を荒げた。
「エイラ!これ、説明してくれ!」
「トゥスク……」
エイラは僕の名をぼそりと呼ぶ。しかし目を合わせようとはしない。その表情は何かに酷く怯えている様に見えた。
「お前……私の事イッルって……?」
「は?」
何を言っているんだ?そんな事を話しているのではない。
「今はそんな話をしてるんじゃ……」
「仕方無かったんだ!宮藤がいけないんだ!」
突然エイラは叫んだ。下を向いたまま絞り出す様に言う様は、まるで自分に言い聞かせようとしている風に見えた。
僕は息を呑む。その言い方ではまるで、わざと芳佳を撃ったという風に聞こえる。
僕がそう聞くと、エイラは更に声を荒げて言った。
「そうだよトゥスク!私たちは3人なのに……宮藤が入ってくるから!」
3人?芳佳が入ってくる?
僕はエイラが言っている事をちょっとも理解できなかった。
「何を言っているんだ……?そんな、そんな事で仲間を撃ったのか!?」
「そんな事?そんな事ってなんだよ!お前は私たちが大事じゃないのか!?」
僕の頭にはもうすっかり血が上っていた。そのことを自覚しているのに、エイラとの会話はもはや売り言葉に買い言葉でどうにも収まらない。
僕は激情のままエイラに言葉をぶつける。
「仲間を撃つエイラなんて大事じゃないよ!」
「うるさいうるさいうるさい!」
エイラはそう叫ぶと、耳と尻尾を生やして掴みかかって来た!
僕は慌ててエイラを突飛ばそうとするけど、エイラはその手をするりとすり抜けて僕の襟首を掴む。
あ、と思った時にはもう足を払われていて、僕は受け身も取れず強かに背中をコンクリートにぶつけた。
「ぐうう……」
呻き声が口から勝手に漏れる。僕に思考することを許さない痛みが広がって、僕はただ喘いだ。
視界がやっと安定する頃には、エイラが僕に馬乗りになっている。
何がなんだか分からない。エイラは怒っているのか、ただの癇癪か。そう思っていたのに、僕を見るエイラの目はさっきまでとは打って変わって一見穏やかなものになっていた。
しかしそれでも今のエイラが僕に対して害意を持っているのは間違いが無かった。
「……」
エイラは僕を見つめたまま、何も言わず再び僕の襟首に手を掛ける。
僕は恐怖した。こんなエイラは見たことが無い。ずっと一緒にいて、エイラの事は何でも知ってると思っていた。けど、こんなエイラは初めてだ。
「わああっ!」
気づけば僕は、情けない声を出して両の手を滅茶苦茶に振り回していた。
これがマウントポジションを取られた僕にできる精一杯の拒絶だったというのに、エイラは「ふん」と煩わしそうに鼻を鳴らすとあっという間に僕の両手を片手で掴んでくる。そのまま僕の手を地面に押さえつけたエイラは、空いたもう片方の手で僕の襟首を掴み、力任せに引っ張った。
ぶちぶちとボタンが取れて、僕の首元が露になる。
するとエイラは自身の頭を僕の首元に近づける。
「な、何を……あうっ!?」
鈍い痛みが走る。
噛みつかれたと気付くのに時間が掛かった。
僕の肩甲骨の辺りから血が流れ、傷口とエイラの口とに唾液の線が出来ている。エイラがぺろりと口元の血を舐めとった。
その光景が状況にそぐわずとても淫靡な物に見えて、僕はくらくらとした。
エイラはそのまま僕の耳元に口を寄せると言い放った。
「お前は、私のものだ」
僕はがむしゃらに暴れた。
こいつは本当にエイラなのか?今の僕には目の前に居るのがエイラではなく別のとても恐ろしい何かに見えていた。
体を魚のように跳ねさせると、元々体重の軽いエイラを体の上からどかすことに成功する。
僕は転がる様にハンガーから逃げた。エイラは追ってこなかった。
「トゥスクは私のだ……だから、一緒に居てくれたって、いいじゃないか……」
☆
僕は走った。何処をどう走っているのか周りも見ずに。呼吸はとうに乱れ、体に十分な酸素がいきわたっていないのを感じる。けれど、僕は走った。止まりたいと僕は思うけど、止まっちゃいけないと僕に言う僕も居た。走っているうちに、それは走ると言うよりただ足を交互に前へ出しているだけという風になっていく。それでも足を止めることは出来なかった。
とうとう足がもつれて転んでしまう。前のめりに転んで、手をつくこともできずに顔を擦り剝いてしまう。体の節々が痛んだ。
けれど僕は、止まれたことに安心して笑ってしまいたくなる。
「ひゅ……げほっ、げっ」
口から出たのは笑い声でなく咳だった。喉に何か詰まっている感じがする。それでなくとも息が乱れているのに笑おうなんて、無茶が過ぎたかもしれない。
「は、はは……」
今度は笑う事が出来た。
何だ、笑えるじゃないか。
僕は安心した。こうやって笑っていればさっきの事を思い出さずに済むからだ。
僕は転がって仰向けになる。地面が冷たい。
「う……」
安心したせいか、急に涙が溢れてくる。思い出すまいとしていたけど、瞼の裏にさっきのエイラが焼き付いて離れない。怖かった。恐ろしかった。
一度涙が流れると、もうあとからあとから溢れて止まらない。せめて、と僕は体を丸めて縮こまって声が出ないようにする。
そんな僕に、声が掛かった。
「あの、大丈夫ですか?」
僕はびくりと震えた。この時間に他に人が居るとは思っていなかったからだ。
恐る恐る顔を上げると、そこには心配そうに僕を覗き込むサーニャさんの顔があった。
これから夜間哨戒だろうか。
「さ、サーニャさん……」
僕がそれしか言えないでいると、サーニャさんは子供に語り掛けるみたいに優しい声色で言った。
「どうして、泣いているんですか?」
僕が何も言えないでいると、サーニャさんは僕の隣に腰を下ろした。そして僕の上半身を抱き上げるようにする。
そうすると僕とサーニャさんの顔の距離がとても短いものになって、僕はさっきまで怖くて震えていたのに、今は羞恥で顔が赤くなっている自分に節操の無さを感じてしまっていた。
「血が……けがを……?」
サーニャさんに言われてやっと僕の体は傷の痛みを思い出す。
それなりに痛んだけど、サーニャさんに心配を掛けたくなくて、僕は嘘を吐いた。
「大……丈夫です」
「嘘」
あっさりと見破られてしまったらしい。サーニャさんの口調は断定的で、何故か僕は見破られた事に嬉しさを感じていた。サーニャさんが今僕の事を見てくれている、という実感が持てたからだろうか。こんな事で喜ぶなんて我ながら情けない話ではあるが。
サーニャさんは僕を抱き上げながら、僕の手を取った。
「こんなに……震えています」
ばれている。見抜かれている。
普通他人に心を覗かれれば不快になるはずなのに、今僕は強い安心感を感じていた。サーニャさんにすべてを任せてしまいたい、とそんな少し乱暴な事も考えていた。
結局僕は泣いた。サーニャさんの胸の中で。その間サーニャさんは赤子をあやす様に僕の頭を撫でてくれていた。
サーニャさんの体温を感じている内、震えと共に涙も止まっていた。
「……」
「……」
握っている手は離さない。むしろ強く絡めるようにする。サーニャさんの指。細くてきれいな指。綺麗な音を奏でる指。ずっと触れてみたかった。
「サーニャさん」
「はい……」
今の状況ははっきり言って異常だ。さっきまでの事もあるし、僕は傷だらけ。さっきまで泣いていて、慰められている。
けれども、いや、そのせいかもしれない。今しかない、そう言う予感めいた物を僕は感じていた。
流されているだけかもしれない。場に酔っているだけかもしれない。でも。
「会いたかった」
「……私もです」
僕が言うとサーニャさんも少し顔を赤らめて――けれど目は逸らさずに――言った。
僕は少し頭を持ち上げる。
サーニャさんは拒まない。どころか、目を閉じて受け入れる様にしてくれている。
唇と唇とが触れあった。キスと呼べるかも怪しい、拙い口づけ。
僕はさっきあったことも忘れて、唇から伝わってくる感触にただ喜んだ。今僕は生まれて初めて“自分が幸せだ”と感じていた。この瞬間がずっと続けばいいのに、と。
しかし、僕は突然ひどい虚脱感に襲われ、そのまま意識を手放した。
医務室で目覚めた時、傍にサーニャさんはいなかった。けれど、手には彼女の温もりが残っているような気がした。
☆
カードをめくる音が、静かな部屋に響く。灯りはともしておらず、窓から差し込む僅かな月明りだけが唯一の光源だった。
そんな中私はベッドの上に座ってタロットを並べてトゥスクとのことを占っていた。最近の日課だ。これをする事で明日何をすればいいか大体の指標が立つ。
だけど、今日の占いはどうにも気色が変だ。カードを捲るたびに、私の手が震えていくのだ。
私は、怖がっているのか?どうして……。
この占いの結果を、見てはいけない。そんな予感が、足元から頭に這い登る様にする。気付けば耳と尻尾が出ている。
私は頭を振った。占い師が、占いを怖がってどうするのだ。
ぺらり。
六芒星を描くように配置されたカード。その中心に裏向きで置かれた最後の一枚をめくる。
まず目に入ったのはフードに覆われた骸骨。そして握られた大きな鎌。最後に13の数字と“DEATH”の文字。
それは、物事の終焉を意味する死神のカード。
「う、うう、ううううう」
なんで、なんでこのカードなんだ。
これじゃ、これじゃまるで私とあいつが……。
「っ」
私は自分の思考を払いのけるようにカードを裏返した。
配置したカードを山札に戻す。
大丈夫。
私は自分に言い聞かせる。『死神』のカードは何も悪い意味だけじゃない。新たな始まりも意味しているんだ。だから、大丈夫。
次は、サーニャとの関係を占ってみよう。
私はカードをシャッフルしてさっきと同じようにカードを並べていく。そして、同じように捲っていった。
「あ、れ……?」
さっきと同じように、六芒星の中心には『死神』のカードが鎮座していた。
……おかしいな、きちんとシャッフルした筈だけど。こんなの、変だ。やり直さないと。
私はカードをまた集めようと手を伸ばす。一瞬カードが蠢いて、骸骨が微笑んだように見える。髑髏の口が開き、無理やりに笑顔を形作る様はおどろおどろしい。
はたと気付く。『死神』のカードだけでなく他のカードも笑いだしている。
すると突然『星』のカードが喋りだす。「君には未来が見えていない」
次に『審判』のカードが喋りだす。「これは実らない恋だ」
次に『運命の輪』のカードが喋りだす。「君はチャンスを逃した」
「う、うそだ」
カードに描かれた口が蠢いて言葉を発する。怖い。恐ろしい。身が竦む。助けて、サーニャ。……トゥスク。
次に『月』のカードが喋りだす。「君は偽りの言葉に縋っている」
次に『愚者』のカードが喋りだす。「君は中途半端だ」
次に『節制』のカードが喋りだす。「君はわがままで、依存している」
最後に『死神』のカードが喋りだす。「君は彼らと別れる事になる」
「うそだああああ!」
私はカードを蹴散らした。床にカードがばら撒かれる。
すると、カードたちは一斉にケタケタと笑い始めた。それは、嘲笑の笑いだった。
「笑うな、笑うなよぅ……」
私は耳を塞いで目を閉じ、枕に顔を押し付けて何も聞こえないようにする。
だというのに、肩を叩かれた。
何だと思って見ると、『悪魔』のカードが立ち上がって私の肩を突っついている。私が見ている事に気付いたそいつは、黄色い目とヤギの口を歪ませて、ニタリと笑った。
私は部屋を飛び出していた。
会いたい。二人に会いたい。
サーニャの部屋を訪ねるけど、哨戒に出ているのかその姿は無かった。
トゥスクの部屋もこっそり覗くけど、いなかった。
私はとうとうあてが無くなって、基地をふらふらと歩き回った。
夜の基地は暗く、人気が無い。監視塔に行けば人はいるかもしれないけど……。
二人とも、どこにいるんだ?サーニャ、会いたいよ。トゥスク、さっきは怖がらせてごめん。だから……。
その時、私は医務室から光が漏れているのに気付く。もしかしたら二人かもしれない。そう思った私は医務室をこっそりと覗く。
果たしてそこにはサーニャがいた。ベッドにはトゥスクが寝かされている。
「!サー――」
私が声を掛けようとしたその瞬間、サーニャはトゥスクの唇にキスを落としていた。
「……ぇ」
何かに、足の裾を引っ張られる。何だと思って見ると、そこには私を見つめる悪魔がいた。
☆
僕は再びハンガーを訪れていた。
僕が医務室で目を覚ました時、枕元にここに来るように書いてある紙が置いてあったのだ。差出人は書いていなかったが、間違いなくエイラだろう。
僕はさっきの自分を思い出す。もうあんな無様はさらさない。今度こそちゃんとエイラを問い詰めるのだ。なんせ今の僕には支えてくれる人がいるのだから。……まあほとんど成り行きだったのは認める所だが。それに、まだきちんと言葉を貰った訳でもないし……。
あれ?これはまずいのでは?
「……」
僕は脱線した思考をぶんぶんと頭を振って元に戻す。
今は目の前の事に集中しなくては。
しかし。と僕はここで考え直す。
僕はエイラに罪を認めさせて一体どうしたいのだろうか?
わけを知りたい、と言うのが一番だ。だけど、僕がエイラから言質を取ったとしても憲兵に突き出すかと言われれば、僕は首を横に振るだろう。
エイラは大事な友達――いや家族だ。だが、私情で家族の罪を見逃すことが果たして正しいことなのだろうか。
だが、仲間を故意に撃ったなどと言う事が広まれば、もうエイラは太陽の光を堂々と浴びる事は出来なくなってしまうだろう。
そんな事は僕は望まない。
結果的にだが、エイラの未来は僕1人の手の中にあった。生かすも殺すも自由。聞こえはいいが、こんな事ははっきり言って楽しいものではない。僕は今まで感じた事のないプレッシャーを味わっていた。
――いやいや。
僕はかぶりを振った。
僕はいつからエイラを裁く立場になったのだ。調子に乗りすぎだ。
とにかく。エイラと話さなければ始まらない。さっきは僕も頭に血が上っていたし、あれでは話し合いなど出来はしない。それにエイラが仲間を撃つなんて考えられない。さっきエイラは頭に血が上ってあることないこと言ったのだ。そうに違いない。
今度こそ、エイラの真意を確かめるのだ。
そして、もし。もしエイラが本当に僕にこだわって仲間を傷つけたと言うのなら。僕はエイラを諭さなければいけないだろう。……家族として。
僕は意を決してハンガーに入り込む。
「……?」
ハンガーの中の様子はさっきと殆ど変わっていない。ハッチは大きく開け放たれ、中を月明かりが暗く照らしている。
だが、エイラの姿が見当たらない。さっきは月明かりに堂々と照らされて立っていたと言うのに、今のハンガーに人の気配は感じられなかった。
と、そこで僕は月の明かりが届かない奥、そこに作業用の机と椅子が出してある事に気付く。さっきは無かった……筈だ。
僕はそれに歩を向ける。
近づいてみて気付くが、どうやら誰かが座っている様である。
「イッル?」
声を掛けるが、反応は無い。こっちに来い、とそういう事だろうか。
僕は机を回り込み、人影の隣に立つ。この距離でもお互いの姿ははっきりと識別出来ない。
「なあ、イッル?」
僕はエイラの肩を叩く。これでも反応が無い。寝ているのか?
すると、バランスを崩したのか、エイラが椅子から落ちそうになる。
「おっ……とと」
慌てて支える。予想していたものよりもずっと軽い手応えだった。
その時、雲が晴れたのか、一際強い月明かりが差し込んで来る。
あっという間に月は元の明るさに戻ってしまう。しかし、僕はその瞬間に初めて目の前の人物が誰かを把握する。
「サーニャさん……?」
そう、どうやら意識を失っているようだが、僕が支えていたのはサーニャさんだったのだ。しかしどうして彼女はここに。今の時間では本来外を飛んでいる筈である。
嫌な予感がして、とっさに脈を取る。
すると、僕の予感は杞憂だったようで、弱々しくはあったが確かに血が流れる感触があった。
ふう、と僕は胸を撫でおろす。少し神経質だっただろうか。
「サーニャは何ともないよ」
背後から、声が掛かった。
僕は驚いて、慌てて振り向く。そこにはエイラが居た。
さっきからそこに居たのだろうか。全く気配を感じなかった。いつの間に点けたのか、手にランプを下げている。その明かりは薄ぼんやりとエイラの体を照らしていたが、表情はエイラ自身の体が陰になってしまっていて伺うことが出来なかった。
「イッル……話をしに来た」
「そうなのか?私もなんだ」
エイラは笑った……気がした。
「なぁ、私たちは……」
エイラは言いながら歩いて来る。ランプを机に置くと、エイラは椅子に座ったサーニャさんを挟んで僕と向かい合う位置に立った。
そのまま僕とサーニャさんの手を取る。
「一緒にいたいんだ。ずっと」
「俺だってそうだ。けど……」
それは理想だ。
僕はジョンの事を思い出していた。
僕はあいつを家族の様に思っていたし、あいつから僕への信頼も感じていた。それでも、あいつは行ってしまった。
どっちが大切とか、そういう話ではない。単に、“その時”が来たというだけなのだ。だから恨んだりなどもしていない。
「違うよ、トゥスク」
エイラは僕の言葉を止める。
「何が違うって言うんだ?」
「一緒にいたいって言ったじゃないか。サーニャもそう言ってくれたんだ」
「なあ……分かってくれよエイラ」
どこか話が通じていない。そんなエイラに僕は言い聞かせるように話す。
「ううん、いいんだ。そう思ってくれているなら――」
「は?あ――」
エイラは繋いでいた手を離す。と同時に拳を握り、僕の鳩尾に一撃を放った。
「う……」
僕は体をくの字に折った。魔力で強化された強烈な一撃だ。
「あれ、気絶してないのか?うーん……映画みたいにいかないなぁ」
まあいいや、と何でもないように言うエイラ。
唐突に僕はエイラの状態を理解する。エイラはもう“おかしく”なってしまっていたのだ。もう、手遅れなのだ。
「イッ……ル?」
「ごめんなトゥスク。でもこうすれば3人一緒だ」
エイラは僕を担いだ。体が痺れていて抵抗できない。
サーニャさんも抱えたエイラはのしのし歩くと、ストライカーユニットに足を通す。
「さ、行こう」
魔法陣が浮かび上がる。十分にエンジンを温めたエイラは僕らを抱えて夜空に飛び出た。
「う、あ……」
基地の光が遠くなっていく。全身に風を感じるが、シールドのおかげかその勢いは小さなものだ。しかし、どんどん下がる気温は防ぎようがない。
「イッル……今ならまだ……」
「ん?あ、忘れてた」
エイラがそう呟くと、唐突に寒さが払拭される。体に魔力を流されたらしい。体に新しい血が流れるような、その感覚は嫌に気持ちが良かった。
なんとかサーニャさんだけでも、と思うのだが、こんな高度まで来てしまっては最早エイラに身を任せる他無かった。
「ほら、雲を抜けたぞトゥスク。月が綺麗だろ?」
真っ暗だった視界が今度は白くなる。月に雲が照らされているのだ。
僕はなんとか顔を月へと向ける。満月だった。そして、今まで見た事もないほど大きい。
エイラの言う通り、とても綺麗な月だ。
「そう……だな。きれいだ……」
「だろー?あははははっ」
エイラは笑った。とてもとても楽しそうに。
僕は首から力を抜く。するとサーニャさんの横顔が目に入った。今は目を閉じて眠っているが、月のせいかいつも以上に美しく見える。
サーニャさんの横顔と、エイラの笑顔と、そしてこの大きな月を一緒くたに見られる。僕はなんだか今贅沢をしている気分になっていた。
「はは、はははは……」
「お?ほら、もっと笑えよー。あはははは!」
くるりと一回転するエイラ。
何故だろう、悪くない気分だ。もう戻れないと分かっているのに、どこか清々しい。
「サーニャも起きればいいのに」
「眠らせたのはお前じゃないのか?」
「あー……ソーだったかなー?」
「おいおい……」
強引な奴め。
エイラは機首を上げて、上昇を始めた。
「どうするんだ?」
「もっと近くで見てみようよ」
「月を?」
「そうさ」
いいかもしれない。サーニャさんもその内目を覚ますだろう。
僕は眼下の景色を眺める。今日は曇りだったらしく、一面雲の海が広がっている。そして、水平線の丸みがはっきりと見えた。
次に上を見上げる。大きな月と、輝く星。それしか見えない広大な空。
「広いな……」
「そうだろ?大丈夫、私たちなら何処へでも行けるさ」
「ああ――」
私たち、ずっと一緒だぞ?
もちろん。
☆エピローグ☆
「……はい。報告書、確かに受け取りました」
調査隊からの書類を受け取る。
私は手で隊員を下がらせると、書類にざっと目を通す。
エイラさんとサーニャさん、そして回収隊員であるトゥイスクさんが居なくなってもう2週間が経っていた。
この書類は、彼女らの失踪についての最終報告書、なのだけど……。
「ふぅ……」
報告書の中身は前回の報告内容と殆ど何も変わっていないみたいね。
私は書類を脇へと寄せてしまう。
「3人とも、どこかで元気にしているわよね……?」
最初は、誘拐が発生したのかとそれはもう騒ぎになった。
けれど、夜中に発進したウィッチが1人だけだった事、そしてエイラさんのユニットだけが無くなっていた事で、調査は混迷を極めてしまった。
「他にも……」
エイラさんの素行を調査したところ、いろいろと不自然な所が出てきてしまったのだ。例えば彼女は最近ウィッチ隊舎に殆ど居なかった。
だからどうした、と私は思うのだけれど、調査員はその時間を工作活動に費やしていた、などと言い始めそれを上に報告してしまった。
結局、上層部は誘拐説を却下。彼女らの失踪を脱走と断定し処理した。
しかし彼女たちに戦う理由は有っても逃げ出す理由は無いはず。
私は頭を抱える。
一体、貴方たちに何があったの……?お願い、無事でいて。
その時、ばたばたと慌ただしい足音が聞こえてくる。
「中佐!失礼いたします!」
「どうしました?」
基地の警備隊長が慌てた様子で駆け込んでくる。
「ほっ、報告します!付近の海岸で、ユーティライネン中尉のストライカーユニットと……を!発見しました!」
「何ですって!?」
私は思わず立ち上がってしまう。……いけない、この士気の中、基地司令として毅然とした態度であらねば。
私はわざとらしく咳をしてから椅子に座りなおす。
「詳しく、お願いします」
「はっ。15分前、警邏に当たっていた隊員が基地東2キロの海岸で発見しました。ユニットの状態は劣化が激しいですが、戦闘による損傷は見当たりませんでした、現在分かっている事は以上です」
どういう事だろうか。もし真相が誘拐なら、先端技術の塊であるストライカーユニットを捨てたりしないでしょうに。
「……ご苦労様でした、下がってください」
私は警備隊長に言う。
しかし、彼は何かを言いたげに、下がろうとしない。
「どうかしましたか?」
「それが、そのぅ……」
警備隊長は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「はっきりと、お願いします」
「は、はいぃ……その、損傷が激しく、判別が難しくなっているのですが、ユニットと一緒に……」
どうにも歯切れが悪い。
しかし警備隊長の今にも泣きそうな顔を見ると、何を言う事も出来なかった。
そして、さっきからぞわぞわと背中を蝕んでくるような悪寒がしていた。それはまるでネウロイと戦っている時のような、イヤな予感。
「あの、その、大変申し上げにくいのですが……何分腐食もすすんでおり、魚に啄まれた痕も。ただ着ている物から……」
3人とも、どこかで、元気にしているわよね……?
「失踪した3人の……」
『なぁ、トゥイスクはどうして私の事エイラって呼ぶんだ?みんなイッルって呼ぶのに』
『え?そりゃ、何て言うか……みんなと一緒は嫌って言うか、特別って言うか……』
『なんだそりゃ。小っちゃい奴ダナ』
『うっ……分かったよ、イッルって呼べばいいんだよな?』
『そーそー、素直が一番だぞトゥ、ス、ク、君?』
『うるせー!もう遊んでやんねーぞ!』
『あ!今の無し今の無し!謝るからさー……』
あとがき
読んで下さってありがとうございます。
感想、批評、ご指摘等ありましたらお願いします。
今回、すごく迷走しました。
プロットは6割も守れてません。
書いている内、キャラクターが勝手に動き出すって本当にあるんですね
この話はエイラが主人公だと思って書きました
二兎を追った愚か者がエイラです
病み成分は薄かったかもしれませんが、ヘタレキャラのエイラにつき、仕様です