ヤンデレウィッチーズ   作:きんたろう

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お姉ちゃん

「――リス、クリス」

 

 誰かが誰かを呼ぶ声が聞こえる。

 “聞こえる”という事を認識すると同時に、僕は僕の体が温かい海を漂う様な感覚を味わった。

 ここは何処だろう。全てが薄ぼんやりとした感覚は、僕に思考を許さなかった。

 

「クリス」

 

 しかし、再び聞こえてきた声がある種の衝撃を伴って僕の頭を揺さぶる。覚えず目を開ける。

 目に光が飛び込んで来た。そこでやっと僕は、自分が今まで目を閉じていた事に気付く。

 

「う……」

 

 眩しさに顔を顰める。

 体に流れる水分が全てゼリーになった様な、異様な感覚がする。

 どうやら僕は今まで寝ていて、そして起きたらしい。その事に気付いても体中のダルさは消えないし、頭もまだうまく回っていない様だ。

 有体に言って、僕は寝ぼけていた。

 

「クリス?起きたか」

 

 三度、声がする。

 僕は顔だけを動かして声の主を探す。

 特に苦労することもなくその人物は見つかった。

 僕の隣で裸の女性が寝転んでいる。その女性はじっと僕を見つめていた。

 どうやら彼女が誰かを呼んでいたらしい。僕は馬鹿正直に彼女の声に応える。

 

「大尉……?」

 

 僕の隣で寝転がる女性。茶色の瞳に茶色の髪。普段後ろで二つに纏められている髪は、今は下ろされている。いつもはきりりとした目も、どこか眠そうで、ぼんやりと僕を見ていた。

 そんな彼女の名前はゲルトルート・バルクホルンと言った。

 彼女はウィッチで、階級は大尉。

 ……あれ、どうして僕はそんな人と一緒に寝ているのだ?

 

「大尉って……クリス?寝ぼけているのか?」

 

 あ、と声を出しそうになって、僕は慌てて口を閉じた。

 大尉に言われて僕はやっと自分の“役割”を思い出したのだ。

 冷水を浴びせられたかの様に頭が冴えていく。慌てて誤魔化そうとするが、思考に対して体がまだ目覚めていない様で、もごもごと口が蠢いてしまって上手く言葉を発せない。

 

「慌てるな」

 

 そんな僕の様子を見て大尉は言った。そして、まるで微笑ましいものを見たという風に笑っている。

 それでも僕が泡を食っていると、大尉は見かねた様子で僕の頭を抱きしめた。

 人肌の暖かさと、後頭部を撫でられるくすぐったさが僕の心を落ち着かせてくれる。そうして貰って、僕はやっと言葉を口にする事が出来た。

 

「……お姉ちゃん、おはよう」

「ああ、おはようクリス」

 

 ところで。

 今僕と大尉の体位は“全裸の女性とその胸に抱かれている男”である。うら若い思春期男子である僕の起き抜けに、健康上大変よろしくなかった。

 

「お姉ちゃん、全裸で寝るのは止めてって言ったよね?また寝ながら脱いだの?」

 

 僕がそう言うと、大尉はばつが悪そうな顔をして頬を掻いた。

 

「あはは……まあそう言うな。私はこうじゃないと落ち着かないんだ」

「もう。たい――お姉ちゃんったら、もう一緒に寝てあげないよ?」

 

 僕がそう言うと、大尉はがばっと身を起こして、大げさに手を振り回し抗議してくる。

 必然大尉の裸が目に入るわけだけど、僕は努めて気にしない風を装う。

 

「待て待ってくれクリス!そんな事をしたら、私は死んでしまう!」

「おおげさだよ、お姉ちゃん」

 

 僕は言いながら、ベッド脇の椅子に掛かっている服を大尉に渡す。

 礼を言ってから――しかしぶつぶつと抗議の声を出して――着替え始める大尉を横目に、僕は部屋の中を見渡した。

 ベッドは一つしか置かれていないが、それなりに大きな部屋だ。もう一つベッドを置いても窮屈には感じないだろう。そんな大きな部屋だと言うのに、私物の少なさのせいか部屋の広さは開放感でなく寂しさを感じさせた。

 そんな部屋で一際目立つ、車椅子と棚の上の写真立て。写真には、大尉が車椅子に座った少女と仲睦まじげにしている様子が映っている。

 

「……」

「クリス、立てるか?」

 

 僕が写真をみて呆けていると、服を着終えたらしい大尉が声を掛けてくる。

 

「う、うん」

 

 僕はブランケットを払って立ち上がる。

 

「しかし感心したぞ。お前が軍の仕事を手伝うと言い出すとはな」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、おんなじ事言うの4回目だよ?お姉ちゃん」

「そうだったか?ははは」

 

 嬉しそうに笑う大尉。一瞬、僕の心臓辺りに突き刺すような痛みが走る。胸が苦しい。

 思わず僕は自分の心臓を掴む様にしてしまう。

 

「大丈夫か」

 

 慌てた様子で大尉が僕の体を支える。

 しまった、これではまた寝かされてしまうかもしれない。

 心配そうに大尉が僕を見る。けれど、こう言う時の大尉の扱い方はもう覚えてしまっていた。

 

「それじゃ、行ってらっしゃいお姉ちゃん」

 

 言って、大尉の頬にキスをする。

 すると、大尉は面白い程に顔を赤くしてあわあわと何かを口走った後、「行ってきます!」とだけ叫んで慌ただしく出て行ってしまった。

 直後廊下から派手な音がするが、僕は無視して自分の準備を始める。

 ぎぃと戸棚を開け、中からシャツを取り出して着る。ズボンは穿いて寝ていたので、最後に帽子を被って準備は終了である。

 簡単なものだ。

 僕はそう独りごちる。この部屋に鏡は無いので、道中トイレにでもよって身だしなみの確認を済ませるとしよう。

 正直行きたくないのだが、仕方がない。これも仕事だ。

 僕はドアを開けて、大尉が駆けていったのとは逆の方向に歩き出した。

 

 

 食堂の扉を開ける。

 食事の時間であればいつも人がごった返しているこの空間は、今はエプロンを着けた者が数人机を拭いているだけで、人影は少なかった。いつもは喧騒と熱気に溢れているので、今感じる静けさは若干の不気味さを伴っていた。

 

「すみません、遅れました」

 

 僕は大声でそう言って、厨房に入る。入ってすぐの所に掛けられている自分用のエプロンと帽子を取り、素早く着る。

 最中何人かと目が合うが、目を逸らされてしまって挨拶さえままならない。僕は自分に「忙しいから仕方ないのだ」と言い聞かせる

 食事を摂る事が目的の食堂スペースと違って、ここ厨房は食事を作る場である。故に夜中以外はいつも人影があり、食事時間の前の忙しさは目が回る程だ。

 そう、ここで炊事兵として働くのが今の僕の仕事だ。

 僕は昨日の夜から漬けておいたスープに火を掛ける。100や200ではきかない人数がここで食事をする。なので鍋は特大サイズ、それが何個も並べられていた。

 

「二等兵、今日も随分さっぱりしてるな?」

 

 後ろを通った炊事兵がそんな事をすれ違いざまに言ってくる。僕は聞こえなかった振りをした。

 この基地での食事はカールスラント式だ。三食きっちり出てくるし、ここが前線基地であることを考えると、厨房の設備はすごく豪華だと言えるだろう。リベリオンなんかではレーションを配ってハイ終わり、と言う所も多いと聞くので、ここに来たのは――この意味では――ラッキーだったのかもしれない。なにより、おかげで自分にできる仕事が有った。

 食事の準備を進めていると、その内に時間を知らせるラッパが鳴り響き、食堂の扉が開かれる。朝の訓練や仕事を終え、食堂前にたむろしていた兵士が一斉に雪崩れ込んできた。

 辺りがにわかに騒がしくなる。僕はこの空気が好きだった。僕に対する陰口を聞かないで済むから。

 

「上手く取り入っちゃって、よくやるよ――」

 

 だと言うのに、僕に聞こえる様にわざわざ言って行く者も居るのだから、堪ったものではない。

 無心で鍋をかき混ぜ、椀にスープを装う。

 礼を言って受け取っていく者、僕を無視する者、舌打ちを浴びせる者。反応は様々だったが、好意的なものは少なかった。

 僕は鍋を蹴倒し、お玉を振り回して暴れ回りたい衝動に駆られる。

 くそ、くそ、くそ。何も知らないくせに――。

 気が付くと、もう食事の時間は終わっていて、食堂は再び静寂を取り戻していた。

 この後はみんなが“やりたがる”後片付けの時間だ。机を拭いて、食器を洗って、次の食事の準備をする。いつもやっている事なのだが、今日は少し時間が押している。さっさと片づけてしまわないと。

 

「あ――」

 

 そんな風に考えていたから、焦ってしまったのだろうか。皿を落として割ってしまった。

 パリンと小気味いい音が響いて、周囲の視線が自分に集まるのを感じる。

 いけない、早く片付けないと。

 僕が破片を拾い集めていると、目の前に二枚の書類が差し出される。なんだと思って見ると、始末書と皿代を給料から天引きする旨を書いた書類だった。

 書類を持ってきた人物は、僕に書類を渡すだけ渡して何も言わずに行ってしまった。

 最悪の気分だった。

 

 

 小走りで基地を移動する。

 仕事が増えてしまったせいでもう時間に余裕が無い。早く部屋に戻らないと。

 ウィッチ隊舎と一般隊舎とは基地の管制塔を挟んでほぼ反対側にあるので、かなりの距離がある。道も一直線にある訳ではないので、どうしたって急ぐ必要があった。

 滑走路近くを走っていると、潮風が体を撫でた。海特有の生臭さが鼻を衝く。

 今日の食事はなんだろうか。朝っぱらではあるが、少し魚が食べたい気分だ。朝ご飯は何が食べられるかな。

 今僕の周りには誰もいない。気楽だ。

 僕は足を止めて、大きく深呼吸をした。潮の香りが肺いっぱいに広がって、むせる。さっきまで頭に上っていた血が冷えていくのを感じた。

 そんな僕に、後ろから声が掛かる。

 

「あ、お兄ちゃん」

 

 振り返ると、なにやら大量の洗濯物を抱えた芳佳がいた。いつのまにやらウィッチ隊舎近くに来ていたらしい。

 

「芳佳。何やって……って、洗濯か」

「うん、そうだよ」

 

 ざるに大量の洗濯物を載せて、よたよた歩く芳佳の姿は少し危なっかしかった。

 

「わわっ」

 

 案の定バランスを崩す芳佳。

 洗濯物が散らばり、芳佳が顔からこける様を僕は見守った。

 

「もー、助けてよお兄ちゃん」

「悪い悪い」

 

 いいながら、洗濯物を集めるのを手伝う。

 シャツやら、ズボンやら、布団のシーツやら。少し前の僕だったら赤面していただろう物も混じっていたが、もう――枯れた訳ではない――慣れてしまっていた。

 

「な、芳佳。バルクホルン大尉は今どこにいるんだ?」

 

 僕は問うた。

 

「バルクホルンさんなら、ミーナ中佐と食堂で話してると思う……」

「そうか」

 

 言って、洗濯物を抱える。

 

「いいの?急いでるんじゃ……」

「いいんだよ。中佐が足止めしてくれてるなら。それに、行先は一緒だ」

 

 隊舎の方に歩き出す。慌てたように芳佳が横に並んだ。

 

「……大丈夫?」

 

 おもむろに芳佳が聞いて来る。横目で見ると、心配そうに僕を見つめる芳佳と目が合った。

 僕は即答することができず、返事を少しの間考える。

 

「……大丈夫。ほら、これが“僕にできること”だから」

 

 僕がそう言うと、芳佳はハっとした風に僕を見た。この言葉は芳佳が好きな言葉で、半ば口癖のようなものだ。

 そして芳佳は清々しく破顔一笑して言った。

 

「うん!」

 

 一転上機嫌になった芳佳はステップを踏んで歩いて行く。

 しばらく歩くと、ひもが張られた日当たりのいい場所に着く。

 

「それじゃ、僕はここで」

「ありがとう、お兄ちゃん」

 

 大尉の部屋はここから目と鼻の先だ。走ったせいで少し汗をかいてしまったし、匂い出す前に乾かしていった方がいいかもしれない。まあ、大尉はそんな事を気にしたりはしないだろうが。

 大尉の部屋の前に立つ。どうやらまだ大尉は戻ってきていないようだ。

 僕は扉を開けるのをためらう。この部屋に入れば、僕に求められる役割は変わる。僕が僕でいる事は許されなくなる。なんてこった、この部屋は僕にとって拷問室と大差ない。

 

「はは」

 

 僕は自分の考えを鼻で笑った。

 扉を開ける。朝と変わらない部屋。窓を開けっぱなしにしていたので、すこし肌寒い。

 窓を閉め、上着を脱いでベッドに入る。ブランケットを被ると寒さは紛れた。大尉が帰ってきたら、何て言おうか。

 そう言えば、朝ベッドを出てから戻ってくるまでずっと立ちっぱなしだった。

 その事を自覚した途端、足に疲れを感じる。

 ベッドの上で足を目いっぱい伸ばしてみる。一般隊舎に設置されている物とは質も広さも違うベッド。一人で寝るには少し大きすぎるけど、二人では逆に手狭だ。

 そんな事を考えていると、コンコンとノックの音が響いた。大尉が帰って来たようだ。

 返事を待つことなく、大尉が部屋に入ってくる。

 

「ただいま、クリス」

 

 おかえり、と僕。

 手に食事が載ったトレーを持っている。ほかほかと湯気が立っていて、美味しそうだ。

 

「食事にしよう」

 

 大尉は空いている片手でひょいと机を持ち上げると、ベッド脇に置いた。相変わらずの怪力である。

 トレーに載った食事を見る。今日の献立は、ご飯、味噌汁、豆腐、たくあんに焼き魚と純和風だ。今朝の食事当番は芳佳だったらしい。

 

「安心しろ。宮藤の作る食事はうまい!」

「お嫁さんに欲しいぐらい?」

「なっ」

 

 僕がそう言うと、大尉は聞いてもいないことを慌てて取り繕い始める。

 

「何を言う!宮藤は、あの、その、妹みたいなもので……あ、いや!私は勿論お前の方が大事だぞ!」

「そんなこと、聞いてないよお姉ちゃん?」

「あっ……クリス!姉をからかうものじゃないぞ!」

「あはは、ごめんごめん」

「まったく……」

 

 大尉はごにょごにょと文句を言いながらも、味噌汁をスプーンで掬って僕の口の前に持ってきてくれる。

 

「ほら、あーん」

 

 和食であるのに、洋食器を使っているのはどこかちぐはぐであった。

 

「お姉ちゃん、いつも言ってるけど、自分で食べられるよ」

「いーや、そういう訳には行かないぞ。前にもあんな事があったし、それに……」

 

 そこで大尉は顔を赤くして俯いてしまった。そのまま口をもごもごと動かして何やら言っている。

 

「――折角一緒に住んで……もっと触れ合ってだな――ふふふ……」

 

 ……聞かなかった事にしよう。

 僕は大尉がトリップしている間にご飯を食べてしまう事にする。フォークの横に申し訳の様に置かれている木製の箸を取る。味噌汁は大尉が持ったままなので後回しだ。

 ベッドで物を食べると言うのはいつまで経っても馴れなくて、どうにも落ち着かない。だが、スープとパンが配られるだけの一般兵の食事の質素さとは雲泥の差と言えるほど豪華な食事だ。今はその贅沢を楽しむとしよう。

 まずご飯を口に含む。噛み応えが癖になる硬さで、しかも噛むほどに甘みが口に広がった。次にたくあんを口に放り込んでみる。ぽりぽりと音が口の中で響く。どうやらこのたくあんは冷凍品であったらしく、味があまりしない。が、ご飯の甘みとつり合いが取れていて、美味く感じるから不思議なものである。次は焼き魚に――

 

「はっ」

 

 大尉が正気に戻ったころには、もう僕はほとんど食事を済ませていた。

 最後に大尉の手から味噌汁を取って、一気に飲んでしまう。少し冷めてしまっていたが、濃い味付けだったおかげでするすると喉を通った。

 芳佳、わが妹ながら見事な料理の腕である。将来はいいお嫁さんになるだろう。

 

「あ、ああー!」

 

 大尉が嘆きの声を上げるが、僕は努めて無視。

 

「ごちそうさまでした!」

 

 僕がそう言って食器を纏めてしまうと、大尉はとうとう涙目になってしまう。

 少しやりすぎたかな?仕方ない。

 スプーンに載った味噌汁がぷるぷると震えて零れそうになっていたので、ぱくりとスプーンを咥える。

 そうすると大尉の煩悩の一部が満たされた様で、泣きそうだった顔が途端笑顔に変わった。

 

「よしクリス!今日は外に散歩に行こう!」

 

 脈絡なく大尉が言い出す。大尉はそのまま言葉を続けた。

 

「今日は天気が良いし、散歩日和だ……さ、車椅子に乗ってくれ」

 

 大尉はそう言って車椅子を引いて来る。散歩は構わない。しかし僕としては車椅子に乗せられるのはご勘弁願いたいところであった。

 

「足はもう治ったし、自分で歩いてもいいでしょ?」

「ダメだぞクリス。あんな事があったんだ。無理はさせられない」

「大丈夫だって。ほら、行こ!」

「あ、こら!」

 

 僕は大尉に止められる前にベッドから降り、大尉の手を引っ張って早足に部屋を出た。

 

 

 気の向くままに歩いていると、じきに中庭に出ていた。ここは一般隊員は入れないし、この時間は花達の世話をする人間以外は訪れる事が少ないので、風の音がする以外は静かな場所だ。

 大尉は最初こそ僕が歩いていることに渋面を作っていたが、途中愛しの妹と手を繋いでいる状況に気付いたのだろう、そこからは恐ろしい程機嫌が良くなった。

 ふんふんと鼻歌を歌ってステップまで踏んでいるその姿は、普段の大尉を見知っている者が見れば正体不明の恐怖を感じてしまう事間違いなしであった。逆に大尉を知らないものが見れば、その姿は“花に囲まれて上機嫌な少女”と映るだろうから、人の認識とは不思議なものである。

 

「あ、トゥルーデ……」

 

 そんな風にのんびりと歩いている僕たちに声が掛かった。

 見ると、近くにいつのまにやら人影があった。それも二人。

 

「む、ハルトマン。それにミーナも」

 

 エーリカ・ハルトマン中尉とミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐。大尉も含めれば、カールスラントを代表するウィッチの三人が偶然にも集っていた。

 

「あ、あらトゥルーデ……それに二等――クリスさんも」

「どうしたんだミーナ。こんな所で」

「それはこちらのセリフよトゥルーデ」

「私たちは散歩の途中だ……それよりミーナ、クリスが自分で歩くと言って聞かないんだ。お前からも何か言ってやってくれ」

「そ、そうね。ダメよクリスさん、無茶をしては」

 

 中佐と大尉はどこかぎこちない会話を続ける。しかしハルトマン中尉は苦い顔をしていて、会話に混ざろうとはしなかった。苛立っている様にも見える。

 ここ中庭は人通りが少ない。故に内緒話をするのに都合が良いのだが……僕と大尉がここに来るまで、中佐と中尉が何を話していたのか、僕には簡単に予想が付いた。

 

「こんなの、おかしいよ」

 

 声は聞こえなかったが、僕は中尉の口がそう動いたのを見逃さなかった。

 そして僕の視線に気付いたらしい中尉は、ばつの悪そうな顔をしてそっぽを向いてしまった。

 

「どうしたハルトマン。変な顔をして――」

 

 大尉が言いかけたその時、基地に警報が鳴り響いた。

 

「ネウロイ!」

「ミーナ、トゥルーデ、行こう!」

 

 緊迫した空気が流れる。ハルトマン中尉はここを離れる理由ができたからか、あっという間に走って行ってしまった。去り際ちらりと僕を見た目がまるで僕を非難している様で、僕はいたたまれなくなった。

 大尉はと言うと、繋いでいる手をきつく握りしめて言った。

 

「見てろ、クリス。お前のためにネウロイを叩き潰して来る!」

 

 僕は言葉を返すことが出来ず、ただ頷いた。

 大尉はおもむろに僕の額にキスをして、ミーナ中佐と行ってしまった。

 取り残された僕はと言うと、どうすることも出来ず、無意味に空を仰いだ。こうなってしまってはもう僕にできる事は無い。ただ帰りを待つことしか……。

 せめて戦いに疲れた兵士を労う事が出来れば。

 僕はそう考えて、お菓子でも作っておく事にする。この基地は物資が潤沢だから、常識的な量であれば勝手に砂糖や塩を使っても怒られない。

 それに、菓子作りは得手だ。きっと大尉を満足させられる。ハルトマン中尉だって。

 

「クッキーがいいかな」

 

 ウィッチ達が空に描いた飛行機雲を眺めながら、僕は一人つぶやいた。

 僕は隊舎に足を向ける。

 今ならウィッチ用の厨房を好きに使えるだろう。あそこは向こうの厨房と違って嗜好品が多い。せいぜいたっぷり使わせてもらおう。

 

 

 厨房に着くと、やはり誰もいない空間が僕を出迎えてくれた。ただ、遅めの朝食を摂っていた者がいたのか、いくつかの食器が机の上に放置されている。

 ついでだし、片づけてしまおうか。取り敢えず水に漬けておこう。

 僕は作業に取り掛かる。まず砂糖の甘さを確かめてから目分量で取り置いて――

 30分後、僕の前の大皿に完成したクッキーが山のように積まれていた。

 これだけ作れば全員に十分な量を渡せるだろう。冷やすのに時間が掛かってしまって、彼女達が帰ってくるのに間に合うか心配したが、杞憂だった。

 しかしやっぱり持ち歩くには多い。大体は冷蔵庫に入れてしまって、残りを包んで持っていこう。さっき戦闘態勢の解除令が出ていたのでそろそろ戻ってくるはずだ。

 僕はクッキーを冷蔵庫に入れ、『好きに食べて下さい』という旨を書き置いておく。そして包を持ち、滑走路に向かった。

 ハンガーに顔を出すと、そこでストライカーの帰りを今か今かと待っている整備兵の集団と出くわした。その姿はまるきり戦場を前にした戦士そのもので、その気迫に僕は気後れしてしまった。ハンガーの隅の壁に背を預けて、彼らの視界に入らないようにする。それでも幾人かは僕に気付いた様子で、僕は好奇の視線を感じた。

 わざわざここで待っていなくてもよかったかな……。

 幸いなことに、その状態は長くは続かなかった。ウィッチ達が帰ってきたからだ。

 複数のエンジンの音が聞こえ、それが近づいてきたと思うと、小さくなって止まる。ストライカーがハンガーユニットに戻るやいなや、整備兵たちは餌を与えられた魚の如くそれに群がった。

 ウィッチ達はと言うと、こんな事は日常茶飯事なのだろう、何でもないかの様に落ち着いていた。

 

「クリス!」

 

 隅で小さくなっている僕に気付いたらしい大尉が声を上げた。嬉しそうに小走りで近づいて来てくれる。

 

「待っていてくれたのか?」

「うん、これを渡したくって」

 

 言って、包みを開ける。甘い匂いが辺りに広がった。

 

「おお、クッキーか!どーれ、一つ――」

 

 大尉はクッキーを摘まもうと手を伸ばす。しかし横から伸びてきた別の手が大尉の手を掴んで止めてしまった。見ると、それはハルトマン中尉だった。

 

「トゥルーデ、報告が先だよ。後にして……」

「む、珍しいなハルトマン。そんな真面目な事を言うなんて」

「私だって、偶にはねー」

「あー、そういう訳だ。すまんクリス。また後で」

 

 大尉はそう言って行ってしまった。中尉も大尉を見送って、僕をちらりと横目で見たかと思うと、行ってしまおうとする。

 

「あ、あの中尉!お一つ、いかがですか?」

 

 僕は衝動的に言葉を放っていた。

 僕は何を言っているのだろう。今軍規がどうのという話をしていた人に向かって……。それに問題はそれだけじゃない。そもそも僕は中尉に避けられている身だし。

 しかし、僕が中尉によく思われていないのは分かっているつもりだ。それがどういう理由なのかも。

 だからこそ、僕は中尉に僕の作った菓子を食べてもらいたかった。僕は大尉と一緒に居るだけの価値の人間だとは思って欲しくなかった。

 

「自信作なんです」

 

 僕はクッキーをずい、と差し出す。しかし。

 

「――ないよ」

「え?」

 

 よく聞き取れなかった僕は間抜けな声をあげた。それが拙かったのか。

 

「いらないって言ってるだろ!」

 

 中尉は僕の手を払いのけた。それがまったくの予想外だった僕は、手に持っていた菓子を床にぶちまけてしまう。

 僕は慌てて回収するけど、クッキーはもう埃にまみれてしまっていて、とても誰かの口に入れられる状態では無かった。

 

「あっ、あ……」

「……っ、ごめん。でも、お菓子を食べる気分じゃないんだ」

 

 そう言って中尉は今度こそ行ってしまった。僕は呆然と中尉を見送る事しかできなかった。

 

「……」

 

 気付けば、また僕に視線が集まっていた。今度のそれは好奇の類ではなく、非難のそれだった。

 耐えられなくなって、僕はその場から逃げ出した。

 頭痛がし始めて、胸の動悸が収まらない。頭に血が上ってしまっている。

 ――なんでみんな僕を責めるんだ!僕は悪くないだろ!

 そう叫びたいのを我慢して走る。途中クッキーを思い切り海に放り込んでしまうと、少し気がすっとした。

 ……なんでこんな事をしているんだ僕は。どうして、どうしてこんな事になってしまったんだ。

 

 

 クリスティアーネ・バルクホルンが死んでしまったのは、今から二週間ほど前の事だ。

 新型のネウロイだったらしい。ステルス能力を強化されたそれは、ウィッチ達が駆けつける前にブリタニアの街を一つ廃墟に変えてしまった。大尉の妹、クリスが入院していた病院も瓦礫の山となり、程なく死体が見つけ出された。

 ネウロイは501が倒した。しかし、大尉は最後の肉親の死を目の当たりにしてしまった。これは芳佳から聞いた事なのだが、クリスだった物を見つけた時の大尉の顔は、涙を流すでもなく、すべての表情が抜け落ちてまるで能面のようだったらしい。

 その後、銃を頭に突き付けている大尉を僕が見つけてしまったのは、運が良かったのか悪かったのか。

 

 

「何やってんです大尉!」

 

 僕は怒鳴っていた。

 死のうとしている人物に対して適切な行動とは言えないだろうが、考えるより前に口が動いていた。

 幸いなことに、大尉は僕に見られたからと言って直ぐに引き金を引いたりはしなかった。それどころか銃を下ろしてゆっくりと僕の方を見さえした。

 しかしその表情は、激情に駆られている者のする顔ではなかったし、止められて迷惑しているだとかでもなかった。ただ僕に見つかった事で、死に場所を変えなくてはならなくなった、とでも言いたげな、面倒くさそうな顔をしていた。

 大尉はあまりにも自然に“生”を手放そうとしていた。

 

「大尉、その銃を渡してください」

「……どうして?」

 

 ぼそりと大尉が言う。小さな声量であったのに、底冷えのする恐ろしい声だった。

 

「言わなければ分かりませんか」

 

 大尉は僕の顔を一瞥した。その顔は、僕のよく知った、相手の事を何とも思っていない顔だった。

 

「……ふん」

 

 大尉は鼻を鳴らして、そのままどこかへ行ってしまおうとする。僕は慌てて止めようとした。ここで大尉を見逃せば、恐らく僕は一生後悔する羽目になるだろう。

 

「待ってください大尉!妹さんだって、貴女が死んだら悲しみます!」

 

 この言葉は今僕が言える精一杯の正論だったのだが、どうやら大尉の逆鱗に触れてしまったらしい。

 大尉は振り向いたかと思うと、あっという間に僕の胸倉を掴み上げた。

 

「貴様……!貴様にクリスの何が分かる!」

 

 鬼の形相で僕の首を絞める大尉。魔力も使っているのか僕の足は地を離れ、宙に浮いていた。首が閉まって、酸欠で顔がむくむ感触が気持ち悪い。

 僕は逃れたくて、夢中で喋った。

 

「し、知りませんよ!でもね、兄妹を大事に思わない人なんて!」

「知った風な口を聞くな!」

 

 僕が喋れば喋る程、大尉の力は強くなっていく。掴んでいるのが襟首でなければ僕の首はへし折れていただろう。

 当初あった大尉を死なせたくないという気持ちはいつの間にか消えていて、今僕はとにかくこの苦しみから解放されたいと思っていた。

 

「だったら話して下さい!貴女が居なくなったら、みんな、忘れちゃいますよ!」

「このっ、いい加減に――」

 

 大尉はとうとう僕の首に手を掛けて、気道を塞いできた。

 

「ぐう……ぅ……た、たすけて……」

「!」

 

 僕が懇願の言葉を口にすると、大尉はあっさりと僕を離してくれた。

 どさりと僕は地面に倒れ込む。

 

「げほっ、げっ、えっ」

「なぜ、こんな……クリス。どうして……」

 

 大尉はと言うと、自分の手を見つめて何事かをぼそぼそと呟いている。

 僕はふらふらと立ち上がった。

 人を呼ぼう。僕の手には負えない。

 けれども、息を吸うたびにせき込んでしまって上手く声が出せない。

 

「貴様、なぁ貴様……」

 

 僕はここに至って認識を改めた。大尉はもうおかしくなってしまっている。ふらふらと自身の体を揺らして喋る様子はまさに幽鬼のそれだった。

 

「貴様だよ……クリスは、クリスはなぁ!助けてって言う事すら出来なかったんだぞ!」

 

 大尉は突然僕の肩を掴んだかと思うと、そのままの姿勢でぼろぼろと泣き出した。

 

「クリス、うぅ、ううううう」

 

 異性の前で顔を崩すこともいとわず、大尉は泣いた。顔をくしゃくしゃにして、声を抑えずに咽び泣く姿は赤子を思わせた。

 情緒不安定なのか、押さえていた感情が爆発したのか。

 僕は目の前で泣かれ続ける事に罪悪感を感じ始めていた。元はと言えば僕のせいかもしれないし。

 とりあえず、と僕は大尉の肩をさすってみる。

 大尉の肩に触れると、その一瞬びくりと大尉の体が震えた。けれど、特に嫌がる様子は見えないのでそのまま撫でる。

 

「大尉。泣くのは自由です」

 

 言外に、死ぬことは許されないと言い含める。

 

「クリスさんってどんな方だったんですか?良ければ、教えてくださいよ」

 

 僕は、大尉が妹の事を思えばきっと早まった真似はしないだろう、と思ってこの言葉を口にしたのだが、この時の僕に言ってやりたい。なぜ見え見えの地雷を踏んだのかと。

 僕の言葉を聞いて、大尉は顔を上げて僕を見た。その顔は涙と鼻水とでべとべとで、見ていられなかった。

 

「クリスは、クリスは優しかった……」

 

 訥々と語り始める大尉。悲痛そうに喋る様は、自分の中の膿を掻き出そうとしている様にも見えた。

 

「元気で、やんちゃで、でも時々大人っぽくて――」

 

 僕は相槌さえ打たなかった。下手に遮れないし、また『知った風な口を聞くな』と言われてしまいそうだ。

 しばらく大尉の話は続いた。クリスさんの性格から始まり、二人の思い出や、故郷の記憶まで。堰を切った様に大尉は喋り続けた。

 僕はそれをずっと黙って聞いていた。

 

「――私なんかには、もったいない奴だった」

 

 大尉はそう言って話を締めくくった。

 顔を袖で拭う。話を終えた大尉はどこかすっきりとした顔をしていた。

 

「……」

 

 僕はやっぱり何も言わなかった。大尉はじっと僕の目を見ている。いつの間にか大尉は僕の肩から手を離していて、僕もとっくに大尉の肩から手を離していた。

 

「聞いてくれてありがとう――とは、言わないぞ」

「はい」

 

 もう大丈夫だろうか。少し頼られている様な気がして嬉しかったんだけど、なんて。

 

「お前が覚えていてくれるんだろう?」

「え?」

 

 大尉はそう言ったが、僕には言葉の意味が全く分からなかった。

 だが大尉は気にした風でもない。吹っ切れたような顔をして、おもむろに銃を取り出すと、また最初の様にこめかみに銃口を押し付けた。

 

「――」

 

 今度は叫ぶ間も無かった。

 大尉の指に力が込められるのを見た時、僕は大尉に飛び掛っていた。地面に押し付ける様に押し倒す。僕と大尉の体が地面に触れた瞬間、僕の肩で爆発が起きたような感触が走る。

 遅れて銃声が辺りに響く。

 ツンと血の匂いが鼻を衝いた。見ると、僕の肩の肉がごっそりと抉れてしまっている。怪我をした、と言う自覚を持った瞬間に、激しい痛みが僕の脳を揺らした。

 

「どうして行かせてくれない」

 

 大尉は僕を押しのけようとするでもなく、ぼうっと僕を見ている。

 僕は無性に腹が立って、大尉の顔をひっぱたいてやりたい衝動に駆られるけど、とてもそんな元気には動けそうもなかった。そして、手の力も入らなくなって、大尉の上に倒れ込んだ。

 死ぬなら戦場で死んでくれ、だとか、僕は死ぬ言い訳をあげる為に話していた訳では無い、だとか、言いたいことは沢山あったけど、大尉のまるで魂が抜け落ちた様な顔を見ていると、その気も失せてしまった。

 暫く、僕と大尉の呼吸の音だけが聞こえていた。僕の呼吸は荒く、大尉の呼吸は今にも消え入りそうなものだった。

 少しずつ僕と大尉の服を血が汚していく。頭も朦朧としてきた。

 かなりの出血だ。もしかしたら動脈を傷つけているかもしれない。

 僕はぞっとした。大尉も、僕も、ここで死んでしまうのか。……しかし、大尉はそれを望んでいる。どうして?クリスさんに会えるから?じゃあ、このままだと僕もクリスさんに会える事になる。おかしな話だ。ははは。

 僕はその時、揺れる視界の中に、その場にいない筈のクリスさんを幻視した。大尉と同じ色の茶髪で、活発そうな子だ。だけど、こっちを見て悲しそうにしている。

 

「大尉……クリスさんが、居ますよ」

 

 僕がそう言うと、大尉の目が震えた。どうやら大尉には見えていないらしかった。

 

「死んでなんか、いないじゃないですか。ほら、ここに居ます」

 

 僕は手で大尉の目を塞ぐ様にした。

 

「お姉ちゃん、今までありがとう……」

 

 僕にはクリスさんの口がそう動いた様に見えて、そしてそのままを大尉に伝える。

 

「寂しいけど、お姉ちゃんとはいつでも会えるから」

 

 だからお姉ちゃん、前を向いて生きて。そうクリスさんは言ったが、しかしこの時僕は急激な眠気に襲われ、その言葉を口にすることが出来なかった。

 と、同時に、銃声を聞きつけたのだろう、複数の足音が聞こえてくる。

 

「トゥルーデ、そんな!」

 

 ミーナ中佐の声が聞こえる。早く担架を、とか、銃を取り上げろ、とか、雑然とした声に混じっていたが、僕には大尉の嗚咽が聞こえていた。

 大尉の目を塞いでいた手で、彼女の頭を撫でた。よく泣く人だ。

 僕は誰かに抱えあげられて、担架に乗せられた。素早く止血帯が巻かれる。

 これで死なずに済むだろう。僕は安心して目を閉じた。後は中佐が何とかしてくれる筈。

 

「イヤだ、クリス、クリス行かないでくれ」

「トゥルーデ!暴れないで!」

「どいてくれミーナ!クリスが!クリスが居たんだ!死んでなんか……無かったんだ……」

 

 僕は眠気に身を任せて、今度こそ意識を失った。

 

 

 そんな事があった翌日から、大尉はよく僕の見舞いに来てくれた。

 自殺を図った人間とは思えない程大尉はよく笑うようになった。戦い方も大人しくなったらしい。

 けれど、その代わり大尉は、僕をクリスさんだと思い込んでしまうという致命的なバグを抱えてしまった。この事は中佐の命令でウィッチ隊以外には伝えられなかった。

 僕の生活も、ミーナ中佐から頼まれて――これは命令ではなく――クリスとしてバルクホルン大尉と一緒にいる事が多くなった。代わりにいろいろ便宜を図って貰っているが、その事が他の隊員と軋轢を生む結果になってしまっている。

 あれから2週間が経った。医者は「時間に期待するしかない」と言って匙を投げてしまった。

 基地は一見普段通りに稼働しているが、僕にはその事が恐ろしい事のように思えてならなかった。

 

 

 回想を終えた僕は、医務室の扉を開ける。アルコールの匂いが鼻を突いた。

 都合の良いことに、医者と看護師の姿が見えない。出払っているらしい。

 僕はいつもの様に薬品棚に向かい、ポケットから鍵を取り出すと、Tranquilizerと書かれた瓶を取った。蓋を開け、数錠を取り出すと、一気に口に含んで飲み込んだ。

 何度も使っている内、薬を飲むのに水が要らなくなる程度には飲み慣れてしまった。盗んでいる訳では無い。ミーナ中佐から許可は貰っている。

 ミーナ中佐は僕にバルクホルン大尉の精神安定剤としての役割を求めたが、僕はと言えば、こうして薬に頼る他無かったのだ。

 瓶のふたを閉めて、薬を棚に戻す――とその時、ぎぃと音がして、医務室の扉が開き、誰かが入って来た。

 医師だろうか、薬を勝手に使ったことに小言を言われるかも。

 そう思ったのだが、入って来たのは芳佳だった。

 

「お兄ちゃん!またそんなの使って……」

 

 勘弁してほしい。辛い時に薬に頼るのは悪いことではないはずだ。

 僕は話を逸らすことにする。

 

「芳佳、医務室に何の用なんだ?」

「お兄ちゃんを探してたの!」

 

 藪蛇だった。

 

「悪かったって……それで、何かあったの?」

「私、さっきハンガーに居たんだよ?」

「……」

 

 僕は返答に窮した。

 情けないところを見せてしまったらしい。肉親、それも妹に、自分の恥ずかしいところを見られたというのは、少なからずショックだ。

 

「大丈夫?」

 

 曖昧な質問だった。けれど、何が言いたいのかは分かる。芳佳は少し心配性なのだ。あんな事、薬を飲めばどうってことは無いのに。

 

「これが今の僕の仕事なんだ。大丈夫だよ」

「……本当に?」

 

 芳佳は尚も食い下がってくる。

 

「芳佳、つまり、何が言いたいんだ?」

「だってつらそうだよ。お兄ちゃん」

 

 僕が水を向けると、芳佳は堰を切った様に喋り始めた。

 

「いつもそうやって溜め込んじゃう所があるから、お兄ちゃんは」

「僕の事、よく分かるんだな、芳佳は」

「分かるよ!兄妹なんだもん!」

 

 そうか、と僕。

 僕は医務室のソファに腰掛ける。芳佳もそれに倣ってか、僕の隣に座った。

 僕は芳佳に自分の胸の内を少し話す気になっていた。芳佳はいつもこうやって、あることないこと心配して、僕の方が折れるまで頑固に僕を慰めるのだ。

 

「なあ芳佳。僕って、この基地に居ていいのかな?」

「どう言う事?」

 

 僕は言葉を選んで、ゆっくりと喋る。

 

「お前に付いてきてここまで来たのはいいけど、父さんについての手掛かりは結局見つからなかった。それで、次の船が出るまで、ここに置いて貰える事になった。それはお前のおかげだ」

「えへへ、それ程でも……」

 

 僕は一息で喋る。

 実際、こっちに来ることは都合が良かった。僕は最近、働いていた菓子屋をクビになっていて、する事が無かったのだ。

 

「でも、どうだ。基地にいる以上役割が与えられる。だって言うのに、お菓子も、料理もちゃんと食べて貰えない!大尉の事だって、あれは、僕じゃなくっても――」

「そんな事ないよ!」

 

 芳佳は僕の言葉を遮って、大声で言い切った。

 

「私はお兄ちゃんが居てくれて、本当に良かったって思ってるよ!料理も、お菓子だっておいしいし――」

 

 芳佳は僕の事を褒めちぎり始めた。

 僕は照れ臭くなって、芳佳の頭を乱暴に撫でて言葉を止めさせる。

 

「わ、あう、もー……」

 

 髪をくしゃくしゃにしてしまう。手を離すと、芳佳は抗議の目で僕を見てきた。その姿が、上目遣いで、わが妹ながらとても可愛らしかったので、もう一度頭を撫でてやった。

 

「ありがとうな芳佳、お前ならそう言ってくれるって思ってた」

「ホントに?そう、そうなんだ……」

 

 そうなのだ。芳佳はいつも僕の味方をしてくれた。芳佳は優しいから。

 だけど、違う。芳佳は家族だからこう言ってくれるが、他の人間はこう思ってはくれないだろう。

 味方してくれるのが家族だけなんて。何て情けないんだろう。

 

「元気だして!お兄ちゃん!私にできる事なら何でも言ってね!それに、お父さんの事だって、まだ諦めてないんでしょ?」

「ああ、勿論」

 

 と言うより、それがまだ僕がここに居たい一番の理由だ。芳佳はまだ子供だし、母さんだってまだ若い。とにかく、僕たち家族にはまだ父が必要なのだ。芳佳がどう思っているのかは知らないけど。

 それにしても、と思う。

 あの小さかった芳佳が。いや、今も身長は低いのだが、その芳佳がどこか大きく感じられるのだ。治癒魔法も随分上達したようだし。

 芳佳はブリタニアに来て、間違いなく成長した。その事に、僕は一抹の寂しさを感じていた。

 

 

 夜。バルクホルン大尉の部屋に僕は居た。

 大尉がああなって最初の方は病室で寝ていたのだが、怪我が治るや否やあっという間に部屋へ連れ込まれ、以来毎晩を一緒に過ごしている。

 別に変な意味は無い。“この”状態になる事を中佐が認めた時、散々に忠告された事だ。易い事では無いけど、耐えるしか無い。

 

「クリス、待たせたな。今日はもう遅いし、寝よう」

 

 今日の出撃の報告書を書き上げた大尉は、明かりを消してそう言った。部屋は暗くなったが、外から差し込む月明りのおかげで視界に困ることは無い。

 

「いいけど、また服を脱いでたら……」

「わ、分かってる。大丈夫だ。今朝のあれだって、寝相みたいなものでな……」

「そんな事言って……次やったら、今度から別々に寝るからね」

「な、何!?だ、ダメだダメだそんな事!お姉ちゃんは許さないぞ!」

「はいはい」

 

 大尉はベッドに入ってくる。

 この生活が始まるまで、ずっと誰かと一緒になんて寝ていなかった。未だに慣れないが、誰かの体温を感じて眠るのは、そんなに悪い感じはしなかった。

 あっという間に、隣から寝息が聞こえ始める。大尉の寝つきは良い。前からそうだったのかは知らない。

 

「……」

 

 翻って僕は、寝つきの良い方では無かった。今日あった事を思い出して、色々と考えてしまう。

 眠れやしなかった。

 ベッドで目を閉じてから、時計の長い針が一周した頃、僕は部屋から抜け出した。

 実を言うと、大尉の部屋で寝る様になってから、いつもこうやって夜の基地を散歩している。人目を気にする必要が無くて、静かで。良いこと尽くめだ。中佐にばれたら、大目玉だろうけど。このぐらいの役得は許して欲しいところだ。

 足音を立てない様、静かに歩く。

 一瞬、空気の流れを肌に感じた。風が吹いている。どこかの窓が開け放しになっているのかも。

 そう考えた僕は、深く考えずに、空気が流れてくる方へと足を向けた。

 曲がり角を曲がる。

 するとそこには、窓を開け、その前で髪を靡かせて外を見ているクロステルマン中尉が居た。

 

「……」

 

 僕は無言で踵を返す。と、そんな僕に背中から声が掛かった。

 

「お待ちになられたら?」

 

 気が付かれていたらしい。呼び止められてしまっては、挨拶もせずに立ち去るのは失礼か。

 

「こんばんは、中尉」

「こんばんは、二等兵さん」

 

 挨拶を交わす。僕はそうして立ち去るつもりでいたけど、聞いてみたいことを思いついて、中尉の傍に近寄った。

 近づいて、そして若干の後悔を覚えた。と言うのも、中尉はネグリジェ姿で、どうにも目のやり場に困ったからだ。

 僕は努めて気にしない風に、中尉と一緒に外を見る。

 

「眠れないんですか?こんな時間に」

「それはお互い様でしょう?」

 

 確かに。僕は思わず納得してしまう。

 

「とはいえ、感心は出来ませんわね。貴方の立場は特殊とは言え、男性がここをうろつくのは」

「……すみません」

「まったく、あなた方は兄妹揃って……」

 

 小言を言われてしまった。しかし、今の言い方では、芳佳も何かをやらかしたのだろうか。

 

「中尉は何を見ていらっしゃったので?」

 

 聞いてみても、中尉は答えようとしなかったので、僕は中尉の視線を追う。

 中尉の視線の先には、月明りに照らされた花畑があった。日頃中尉が世話をしている花達が、ゆらゆらと揺れている。

 僕がその景色に見惚れていると、クロステルマン中尉はその場を離れ、立ち去ってしまおうとする。

 

「待って下さい中尉!」

 

 僕は慌てて引き留める。こちらに背を向けていた中尉は、顔だけを僕に向けた。

 

「中尉に聞きたいことがあるんです。僕と、バルクホルン大尉の事について」

 

 そう言うと、中尉は僕の話を聞いてくれる気になったのか、僕と向かい合った。

 そして中尉はため息をついてから、言った。

 

「仕方ありませんわね。お話、聞いてあげます」

 

 それで、と中尉は僕に話を促す。僕は尚も中尉から目を逸らしたまま、話し始めた。

 

「兄妹、と言うモノを、中尉はどう考えますか」

 

 僕はずっと誰かに聞きたかった質問を口に出した。

 大尉の妹に対する愛情は、親愛のそれを超えている様に思える。もし、芳佳が死んでしまったとして――こんな事を考えていたと知れたら泣かれるだろうが――僕が大尉の様に後を追うか、と言われれば、僕は「いいえ」と答えるだろう。逆も然り。

 そして、大尉と僕。今の関係がいったいどうなるのか。他のウィッチ達がどう思っているのか。

 

「……兄弟と言うのは、特別な関係ですわ」

 

 中尉は暫く考え込んだ後、ゆっくりと話し始めた。

 

「それこそ、自分を産んで下さった両親よりも。そして、その絆を結ぶのは、時間と血です」

 

 中尉は何かを思い出す様に、遠くを見ながら話し続ける。

 

「貴方が大尉との事をどうお思いかは知りませんけど……」

 

 中尉はそこで一度言葉を切った。そして、僕に問いかける様な視線を投げてくる。まるで、この先を言っていいのか、決めかねている風だ。

 僕が頷いて見せると、中尉は締めくくりの言葉を放った。

 

「貴方たちの関係は、はっきり言って無理があると、私は考えますわ」

 

 その言葉は刃物になって、僕の心の防壁を搔い潜って、しっかりと僕に刃を突き立てた。――有体に言って、僕はショックを受けた。

 きついことを言われるのは、覚悟していたつもりだったけど、どこかでは慰めの言葉を期待していたのか。

 僕が何も言えないでいると、中尉は今度こそ行ってしまった。

 僕は暫く呆然としていたが、窓から吹き込む風に正気に戻された。窓を閉めて立ち去ると、後には質問をした後悔だけが残った。

 

 

 大尉の部屋の前に戻ってくると、すぐに異常に気付いた。中から啜り泣く声が聞こえる。

 僕は扉を開けるのをためらった。碌なことになる気がしない。……だけど、この間みたいに暴れられても困る。

 僕は口の中で悪態を吐きながら、ゆっくりと扉を開けた。

 部屋の中は暗い。月がその位置を変えてしまって、光が入って来ないらしい。後ろ手に扉を閉める。と同時に、何かが僕にぶつかって来た。

 

「クリス、ああクリス!どこに居たんだ?心配したんだぞ」

 

 扉に押し付けられる様に抱きしめられる。

 

「どこかで怪我をしてないか?」

 

 存在を確かめるかの様に、ぺたぺたと顔に触れてくる。大丈夫、と僕は言う。

 

「いなくなったり、しないでくれ……私は、お前が幻なんじゃないかって――」

 

 幻。その言葉は実に的を得ていた。そう、大尉は幻を見ているのだ。

 僕はクリスじゃありません。そう口に出してしまって、楽になりたいと思う。でも、そんな事をすれば、この人がどうなってしまうのか、分かったものではない。

 僕は大尉を抱きしめ返す。

 

「何処にも、行かないでくれ……ずっと傍に……」

 

 胸の辺りで、濡れた感触がした。僕は、子供を慰めるみたいに、大尉の背中をさする。

 

「こんな……!こんな、情けない姉で、すまない……」

 

 はい、とか、うん、とか、適当に相槌を打ちながら、僕は大尉をベッドに誘導する。

 ベッドに入っても、しばらく大尉は泣いていたが、その内泣き疲れて寝てしまった。それでもうわ言の様に、クリス、クリス、と呟く様は、あまりに痛々しかった。

 僕は中尉に言われた事を思い出していた。“無理がある”。まさしくその通りだ。こんな関係が長続きするはずがない。いつか破綻して、そしてその時こそ大尉は。

 そうなったら、僕がここに居る理由も、今度こそ、無くなるな。

 僕はこっそりと、ポケットにしまってあった薬を口に含んだ。

 

 

 あくる朝。憂鬱な朝。

 僕はいつも通りに厨房に居た。

 大尉の事を考えれば、他の仕事を無くしてもらう無理を通せるかもしれなかったが、もし大尉が僕を必要としなくなれば、僕はここに居られなくなる。

 ……どうして、僕はここに居たいんだっけ?

 僕は頭を振った。落ち着け。父のために僕はここにいるんだろうが。

 僕は疲れているのだ。目の前の作業に集中しなければ。

 

「やあ、あんたまだここに居たの」

 

 いつも通り、陰口が僕に降りかかる。

 

「お前はここに居なくていいって……なのに何で優遇されんだ?」

 

 知るもんか。

 もし中佐に銃の携帯を許可されていれば、今の僕は目の前の男達を一人ぐらい撃って見せるって言うのに。

 いや、銃なんて必要ない。目の前でぐつぐつ煮えている物を掬って、掛けてしまえば、顔に一生消えない傷が残るだろう。

 

「……っ」

 

 くそっ。そんな事出来やしない。僕にもうちょっと度胸があれば、暴れてやるのに。

 どうしてみんな僕につらく当たるんだ。お前らだって、大尉の事は好きだろうに。

 そう、大尉。大尉なら、僕を慰めてくれるだろうけど……。いや、もう誰だって良い。僕に優しくしてくれるんなら。

 朝の仕事が終わる頃には、僕の気分はこれ以上ない程沈んでいた。

 部屋に戻ろうかと思うが、大尉は今日編隊訓練の予定だ。かと言って宿舎に戻っても、辛い時間が増えるだけだろう。

 だったらどうするか。

 僕は急に宛てが無くなって、基地をうろうろとし始めた。

 

「しかし、僕は別に一人が好きって訳じゃ無いのに……」

 

 僕の心が休まるのは、一人でいる時と、芳佳といる時だけだ。

 基地の外周を歩く。空を見上げると、ウィッチ達の作った飛行機雲が見えた。

 二本の白い線が伸びて行って、糸の様に絡み合う。あんな風に飛べたら、もっと気楽になれるかな。

 だが今僕の周りには誰もいない。これも気楽だ。

 そう考えて、僕はハッとした。昨日も同じことを考えていた。一昨日も、そうだったかもしれない。今思えば、今日の僕は昨日の焼き直しをしているようなものだ。

 僕は身震いした。心が腐っていっている気がする。このままだと、こんな酷い一日を過ごしても何も感じないような、人形になってしまうんじゃないだろうか。

 そこで僕は、否、と思い直した。

 ……だから、何なのだ?心がどうなっていても、僕を取り巻く状況は変わらない。それならいっそ、気持ちを壊死させてしまった方が、却って楽になるかもしれない。

 僕は立っているのも面倒になって、草の上に寝転がった。しばらく訓練風景を眺めていると、僕の顔に影が落ちた。

 

「ちょっといいかな?」

 

 僕の枕元に立って、僕を見下ろしていたのは、ハルトマン中尉だった。

 

「昨日の事、謝りたくって」

 

 僕は中尉の言葉に驚いた。失礼かもしれないけど、正直謝って貰えるとは思っていなかったからだ。

 慌てて立ち上がって、僕は言った。

 

「こちらこそ、昨日は、少し強引でした」

 

 僕は、にへら、と愛想笑いを浮かべた。すると中尉も、にへら、と笑った。中尉の笑いは、僕のとは違って随分愛嬌があったが。

 

「クッキー、食べたよ。おいしかったぁ」

「それは……良かったです」

「……」

「……」

 

 一瞬で会話が途切れてしまう。

 僕はこの人との距離感が掴めずにいた。中尉はと言うと、何かを言いたいが、躊躇っている風に、口をもごもごとさせている。

 僕はそんな中尉の様子を見て、中尉の目的が僕に謝る事でも、世間話をしに来たわけでもないらしい、と察した。

 またイヤな目に遭いそうだ、と判断した僕は、「失礼します」と言って、逃走を試みる。しかし、そんな僕を見た中尉が慌てて声を上げてしまって、逃げる訳にはいかなくなってしまう。

 

「ねぇ待ってよ!トゥルーデは!……トゥルーデは……」

 

 はい、と返事をする。

 やっぱり大尉についての話か。

 

「最近、トゥルーデはどんな様子なのさ……?」

 

 どんな。どんなって言ったって。あんな様子です、としか。

 僕は誤魔化す様にそう言った。

 

「そうじゃない!君が一番トゥルーデの近くに居るんじゃないか!トゥルーデは、治り、そうなの……?」

「……」

 

 治るどころか、ますます僕に依存するようになっています、なんて事を、目の前で半泣きになっている少女にとても言えたものでは無かった。僕は適当な言葉を言う。

 ……そうだ、僕は大尉に依存されているのだ。でも、もしかしたら僕も大尉に……。

 

「答えてよ!ねえ!」

「大尉は、大丈夫ですよ」

 

 僕の言葉を聞いた中尉は、いきり立って僕の胸倉を掴んで来る。

 

「そんな風に言って……!君だって、ほんとは分かってるんでしょ!?」

「な、何を……?」

 

 僕は満足な抵抗も出来ずに、なすがままだ。

 

「トゥルーデの事を思うなら!お願いだよ、分かってよ!」

「そ、んな事言ったって……」

 

 中尉は、目に涙を浮かべている。

 僕は羨ましく思った。仲間が傷ついていると、それを自分の事の様に感じて、涙を流せる中尉を。

 そして中尉は、決定的な言葉を放った。

 

「君がいると、トゥルーデは立ち直ろうとする事が出来ない!ずっと前に進めないんだ!」

 

 君は邪魔なんだ。中尉はそう言った。

 一番聞きたくなかった言葉。めまいがして、頭の中で大銅鑼がいくつも鳴り響いているような感じがする。僕は邪魔。僕は邪魔。僕は邪魔……。

 何か反論してやろうと口を開くけど、中尉が言っていたことは正確で、僕に口答えを許さなかった。

気付けば僕は、「助けて、大尉」と口走っていた。

 勿論そう言っても、大尉は今遥か上空にいて、来てくれるはずが無かった。

 しかし、中尉は僕の言葉にますます怒って、

 

「そんなだから!二人とも!」

 

 と叫んだ。

 僕は耳を塞ぐと、体を振って中尉を引き剥がして、逃げ出した。

 

 

 再び夜の時間が訪れていた。僕はいつも通り大尉を寝かせて、基地を徘徊していた。

 いつも僕の心を落ち着けてくれる時間だが、今日はどうにも体が重い。昨日、クロステルマン中尉に言われた事と、今日の昼間にハルトマン中尉に言われた事とが耳に焼き付いて離れないせいだ。

 どうにも、この基地は僕に優しくない。どうしてあそこまで言われて、ここに居なければならないのか。

 

「父さん……」

 

 天国にいるのか、それとも何処かで生きているのか。父さんがここに居てくれていたら、きっと力強い言葉で僕を激励してくれるだろう。「その力を、多くの人を守るために」とそう言って。だけど、父さん。今の僕は誰を守れると言うんです。誰が僕を必要としているって言うんです。

 

「こんな所に居たって……もう、ここに居たくないよ……」

 

 気付けば、昨日クロステルマン中尉と話していた所に来ていた。中尉の姿は無かったが、窓からは相変わらず綺麗な花畑が見えた。

 このまま何処かに逃げ出してしまおうか。

 僕はそんな事を大真面目に考え始めていた。父さんの事は芳佳に任せてしまって、僕は何とかして扶桑に帰る。そうすれば、こんな状況も少しは……。

 

『君、クビだクビ。明日から来なくていいよ』

 

 一瞬、扶桑での事がフラッシュバックした。

 そうだった。扶桑に戻っても、僕に居場所なんて無いのだ。

 僕はふと思い立って、歩を食堂に向けた。

 食堂の扉を開けると、大窓から差し込む月明りが眩しかった。誰もいない食堂は、がらんとして物寂しい。けれど、月明りが斜めに差し込んで、机や食器、花瓶を照らしている光景は、どこか幻想的だった。

 僕は冷蔵庫を開ける。中には食材と、僕が先日作ったクッキーが入っていた。

 良かった、まだ残っていた。

 僕はクッキーを一つ摘まむと、口に放り込んだ。さくさくとした食感と、砂糖の甘さの中にほんのり感じる塩味。我ながら会心の出来である。

 

「あの店主、きっと今頃僕をクビにしたのを後悔してるぞ」

 

 まったく、あの店主ときたら。僕は接客とか、人付き合いが下手だからって、それだけでクビにしてくれちゃって。厨房に回してくれたらいいのに。

 2つ、3つと味わって、最後に水で流し込む。こんな事、他ではとても出来ない贅沢だ。

 ざまあみろ、と僕は誰に向けてでもなく、思う。

 

「あ、あのー」

 

 突然背中から声が掛かって、僕は盗み食いが見つかった子供みたいに、飛び上がって驚いた。

 

「わ、だ、大丈夫ですか?」

「び、ビショップ軍曹!?」

 

 いつのまにやら、僕の背後に人が立っていた。僕はその人物を、名前だけを知っていて、他はよく知らない。リネット・ビショップ軍曹。芳佳と仲良くしてくれているらしく、話には時々出ていた。

 

「リネットでいいですよ。えっと、芳佳ちゃんの、お兄さん」

「は、はぁ……」

 

 一体こんな時間に、こんな場所でどうしたのか。模範的な兵士なら、もうとっくに休んでいる時間の筈である。

 僕がそう聞くと、曹長は

 

「そ、それはお互い様ですよぅ!」

 

 と言った。確かにその通りである。

 昨日もこんな会話をしたな、と僕は今日二度目のデジャブを感じていた。

 

「それじゃ、どうしたんですか?」

「え、えっと、ペリーヌさんに……あっ!」

 

 そこまで言うと、軍曹は“しまった”と言う風な顔をした。どうやら、ペリーヌ、と言う名前は出すとまずいものだったらしい。

 それきり軍曹は顔を青くして黙ってしまったので、僕は助け舟を出す。

 

「えっと……すみません、よく聞き取れなくて。誰が、どうしたんです?」

「あっ……はい!えっとですね――」

 

 僕の意図をすぐに理解してくれたらしい軍曹は、話の続きを喋り始めた。

 

「私には、兄妹が沢山いるんです!」

 

 しかし、軍曹の第一声は僕を困惑させるのに十分だった。兄妹。軍曹は一体何が言いたいのだろう。

 

「その中には、養子として家族になった兄妹もいます」

 

 養子。血が繋がっていない兄妹。

 それは、まるきり僕と大尉の関係の事で。……いや、もっと悪いものだろうが。

 

「でも、私にはそのみんなを血が繋がった他の兄妹たちと比べてどう、何て事はありません!」

 

 軍曹は、頬を赤くして、少し興奮気味に喋る。緊張して、力んでいるのか、自身の服の裾をぎゅっと握っている。

 僕は軍曹のそんな姿に飲み込まれて、僕は相槌さえ打てずに、ただ軍曹の話を聞いた。

 

「血が繋がってなくても、兄妹で、家族なんです!」

 

 軍曹の言葉は、僕の頭の中に染みる様に広がった。

 僕は慰められていたらしい。血が繋がっていなくとも、家族。なんだかそれは、軍隊らしい考え方だな、と思う。

 しかしその言葉は、さっきまでやさぐれていた気持ちを、楽にしてくれていた。

 じゃあ、僕と大尉も兄弟で、だから、支え合うのも当然……?

 僕は、今の僕と大尉の関係に対する考え方に、前向きなものが見つかって、晴れやかな気分になり始めていた。

 

「そう、そう……ですか。兄妹」

「はい。そうなんです!」

 

 それに、最初軍曹が口を滑らせていた、ペリーヌという名前。もしかしたら、軍曹はクロステルマン中尉に言われて、フォローに来てくれたのかもしれない。という事は、僕はそこまで中尉に嫌われている訳では、無いのかもしれない。

 大分希望的観測が混じった、都合のいい考えだったが、しかし今の僕には、それが間違いなく正しいものだと思えた。

 

「ありがとうございます、リネット軍曹。何だか元気が出てきました」

 

 僕が礼を言うと、軍曹は花が咲くみたいに、にっこりと笑った。

 

 

 同じ頃、同じ基地の指令室に、二人の女性の影があった。

 一人は、この基地の司令である、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐。もう一人は、501部隊の戦闘隊長を務める、坂本美緒少佐だった。

 この基地の頭が、夜中に、二人だけで集まっている。小心な者が見れば、すわ何事かと枕を抱えて部屋で震える事になるだろう。

 

「それで、ミーナ。話と言うのは」

「……貴女も分かっているでしょう?トゥルーデの事よ」

 

 うむ、と坂本は頷いた。

 

「報告書は」

「これよ」

 

 坂本は渡された書類に目を通すと、思わずと言う風に、眉間に皺を寄せた。それを指でほぐす様に揉む。

 バルクホルンは今、別人を死んだ妹と思い込むことで心の平穏を守っている。正気に戻る気配は見られず、しかも、正気に戻ったとしても、安全は保障されないと来ている。

 バルクホルンの様子としては、“別人”を妹と思い込む事以外はまったく正常であり、また、その“別人”を引き離す事で、アプローチを掛ける事は可能であろうが、リスクは高かった。

 

「状態は相変わらず……か」

「そうね。けれど、いつまであの状態が続くのか……」

「手立てとしては、何か用意できたのか?」

「いいえ――何も……」

 

 とは言うものの、彼女達には最初から二つの選択肢があった。すなわち、バルクホルンを“治療”するか、このまま平常通り働いてもらうか、である。

 

「なまじ、彼のおかげで普段通りに動けているというのが……」

「ええ――そうね」

 

 “彼”――宮藤二等兵――の存在が、そのどちらの選択肢を選ぶにせよ、判断を難しくしていた。

 もちろん二人は、彼が居なければバルクホルンは死んでしまっていた訳だから、彼に感謝している。ただ、状況をややこしくしているのは間違いが無く、素直に喜ぶことが出来ないでいた。

 

「美緒……私は、どうすればいいのか……」

「……今バルクホルンは小康状態だ。下手に藪をつつく真似は出来ない」

「勿論。もちろん、分かってるわ、美緒。でもね――」

「待ってよ少佐!」

 

 ミーナがそのセリフを言い切る前に、ドアが大きな音を立てて開かれ、エーリカが割入って来た。興奮している様子で、夜半であると言うのに、憚ることなく大声を上げていた。

 

「フラウ!?」

「……聞いていたのか」

「ああ、聞いてたさ!坂本少佐。少佐はトゥルーデのあんな様子を見ても、そんな事が言えるの!?」

「むぅ……しかしな……」

 

 エーリカの言葉に、坂本は腕を組んで考え込む仕草を見せた。

 ミーナはそんな二人を不安そうな目で見つめている。最終的な判断は彼女に委ねられているので、慎重かつ的確な判断が彼女に求められた。そんな事は日常的にあることなのだが、その対象が仲間の今後を大きく左右するだろうという事になれば、彼女が及び腰になるのは仕方のないことだった。

 そして、坂本もエーリカも、そんなミーナの背中を押すために今ここに居た。

 坂本は、万が一を避けるために今の状態を維持する方針で、エーリカは、何が何でも元のバルクホルンに戻って貰おうと言う考えだ。

 ミーナと坂本の密談は、自殺未遂のあった日から連夜行われていた事だったが、保守を主張する坂本と、いつまでも煮え切らないミーナに、エーリカが痺れを切らした形である。

 図らずも、この部屋は今二つの主張がぶつかり合い、難しい判断を下す事に於いて絶好の場となっていた。

 

「今のトゥルーデは見てられないよ!ミーナだって、そう思うでしょ!?あいつ――二等兵だって、楽な事じゃないんだ!」

 

 エーリカがミーナを責めるような目で見た。その事が、ミーナの背中を押した。

 

「だが、もしもう一度自身に引き金を引くような事になれば――」

「いいえ、美緒……決めたわ」

 

 ミーナがそう言うと、二人の視線が彼女に集まった。

 

「一度、トゥルーデを戦線から離して、治療に専念させます。彼に関しては、専門家に意見を聞きましょう」

 

 ミーナの言葉を聞いたエーリカの顔が、ぱっと晴れた。

 ミーナは、トゥルーデに賭ける事にしたのだ。ミーナは今一度、トゥルーデの強さを信じたのだ。彼女なら、きっとクリスの死を乗り越えてくれる、と。

 

「そうか……ミーナがそう言うなら、私はそれに従おう」

「ごめんなさいね、美緒。私は――」

「謝ることなど無い。ミーナはバルクホルンを信じる事にしたんだろう?なら、私も信じてみるさ」

「それでこそ少佐だよ!」

 

 エーリカが調子よく言った。エーリカの最近の行動は強引なものが多かったが、それは、トゥルーデが苦しんでいる時に助ける事が出来なかったという悲しさと、まったくの別人がそれをこなしたという悔しさが入り混じった故の物だった。

 エーリカの瞼の裏には、もう、バルクホルンが妹の死を乗り越え、またいつもの様に自分を叱りつけている姿が見えていた。

 どこかずれてしまった、当たり前の日常。そのずれが、カチリと収まって、元に戻る。エーリカは、きっとそうなると強く信じていた。

 

 

 今、僕の手には一枚の書類が握られていた。

 上の方に大きく『辞令』と書かれた紙。僕は正式に軍属になった覚えはないのだが、どうやら書類上ではそういう風に処理されていたらしい。

 内容は、僕を扶桑に帰休兵という扱いで帰還させると言うモノで、ご丁寧に基地司令のサインが添えてあった。

 

「医師と相談した結果、貴方には一度バルクホルン大尉と距離を置いて貰う事に――」

 

 司令席に座ったミーナ中佐が何事かを言っているが、僕の頭には全くと言っていいほど聞こえていなかった。

 

「宮藤二等兵、聞いていますか?」

「あっ……はい」

 

 僕は咄嗟で生返事を返したが、中佐は特に気を悪くした様子もなく、話を続けた。

 

「船は都合の良い便が用意出来なかったので、貴方には航空機で戻っていただく事になります。出発は2日後です。なお、この事を大尉に伝える必要はありません」

「はい」

 

 2日後。随分急な話だ。荷造りと挨拶回りを済ませたら終わってしまうだろう。

 

「あの、中佐。大尉は、どうなるんですか」

「心配いらないわ。彼女は傷病兵として扱い、入院させます……これは命令として、貴方にお願いすることになるのだけど、大尉の状態については、他言無用です」

 

 それはそうだろう。カールスラントが誇るウルトラエースの一角が、おかしくなってしまったなどと。全軍の士気に関わる話だ。

 

「貴方には、迷惑を掛けっぱなしで、本当に申し訳ないと思っています。代わりにと言っては何ですが、貴方の兵役期間については、便宜を図ってもらえます」

「はぁ」

 

 またも僕は生返事を返したが、中佐は終始にこにこしていた。

 失礼します、と言って司令室を出る。

 僕はまず、ため息を吐いた。僕と年はそう変わらないと言うのに、雲の上の人であるミーナ中佐。

 僕は彼女と話すのがどうにも苦手だった。自分の劣等感が煽られるからだ。そして、そんな事でいちいち落ち込む自分を見つけて、さらに自分が嫌いになる。

 

「……」

 

 僕は近くに置いてあったゴミ箱を蹴り飛ばした。

 少しはスッとするかと思ったのに、ゴミ箱の中身は空で、それが僕に、まるでゴミ箱にすら嘲られた感覚を催させ、ますますイライラする結果となった。

 

「結局僕は、邪魔者かい」

 

 また居場所が無くなった。そう思うのに、強い喪失感は感じなかった。

 元々短い間の滞在の予定だったからか、居心地がすこぶる悪かったからか。だが、妹を、芳佳を一人で置いて行くと言うのは、少なからず抵抗があった。それに、父さんについての手掛かりも何も得られていない。

 ――しかし、芳佳なら、もう僕なんかが居なくても、立派にやれるだろうか。

 その事に思い当たると、僕は急に全部がどうでもいい、と言うような、投げやりな気持ちになっていた。

 

「そうだよ、父さんの事だって、芳佳が居る……僕が必要なのは、大尉だけ……」

 

 この時僕は、自分の思考に驚いていた。

 僕を必要とするのは、大尉だけ。

 僕と言う人間は、気付かぬ間に大尉に依存される事を心地よく思っていたらしかった。それが自分の存在理由の様な気がして、依存される事に依存していたのかもしれない。

 

「ふふ、はははは……」

 

 自分も、大尉も、他の人も、急に全部が可笑しく思えてきて、僕は笑っていた。

 自分の価値を他人の中にしか見出せない男と、生きる理由を他人の中にしか持つ事が出来なかった女。男が僕で、女が大尉。こう考えると、僕と大尉は似た者同士なのかもしれなかった。

 だが、そんな不健全な関係も、あと少しで終わるのだ。

 僕は廊下を歩いた。一歩歩く毎に、体から鎖が落ちていくような感じがする。僕は、不思議な開放感を感じていた。

 そんな時、どたどたとこっちに近づいて来る足音を僕は聞いた。

 

「ここに、居たのか……」

 

 僕を見るなりそう言ったのは、バルクホルン大尉だった。

 だが、その様子は尋常では無かった。

 相当走り回っていたのだろう、肩が大きく上下している。目も、泣いていたのか、真っ赤に腫れている。服も、普段の大尉からは想像出来ないぐらいに乱れてしまっている。

 

「お姉ちゃん、何が――」

 

 言い切る前に、僕は大尉に抱きしめられていた。

 両の手を背中に回されて、身動きが取れない。いつもの、労わる様な抱擁ではなく、肩の骨が砕けるんじゃないかと危惧するほどの激しい抱擁。大尉の指が背中に食い込んで、痛い。顔を僕に擦り付ける様にしてくるので、大尉の息がこそばゆい。

 

「ど、どうしたの?」

 

 僕は大尉の肩を掴んで、やっとのことで言葉を絞り出した。

 そうすると、大尉はやっと僕を離したが、直後大尉が言った言葉は、僕の思考を止めるのに充分過ぎる衝撃を持っていた。

 

「なぁ……クリス。お前は、クリスなんだよな……?」

「え……」

 

 

 十数分前。

 バルクホルンは愛しの妹を探していた。部屋に戻っても、その姿が見えなかったせいだ。普段なら取り乱していただろうが、散歩します、と書いた書き置きが平静を保たせていた。

 彼女の足取りは軽かった。食堂を覗いたり、花畑を歩き回ったりしている内、昔クリスとやった、かくれんぼを思い出したからだ。

 今彼女は、昔に戻ってクリスと遊んでいるような気分で、知らぬうちに鼻歌などを歌い始めていた。

 

「彼女の状態は――」

「――しかし前例が――」

 

 気付けばバルクホルンは、医務室の傍を通りかかっていた。その扉が僅かに開いていて、そこから声が漏れているのだ。

 この時、彼女の頭をある悪い予感がよぎった。まさかクリスが怪我をしてしまったんじゃ、という予感。

 その想像は彼女の頭を震わせ、動揺させた。先ほどまでの高揚した気分はどこかへ行ってしまって、訳もなく息が荒くなって、心臓の鼓動がうるさい。

 彼女は、恐る恐るといった様子で、医務室を覗き込んだ。

 

「本当に良かったのか?バルクホルン大尉から彼を引き剥がして」

「仕方が無いだろう。打てる手は打ったんだ。司令の気持ちも理解できる」

「しかし、難儀なもんだ。死んだ妹の亡霊を追いかけて、あれで本人は幸せなんだから――」

 

 バルクホルンは、耳に入ってくる会話を、ちっとも理解できなかった。クリスが怪我をして寝ている様子は無い。それはいい。けれど、二人の医師が話している内容は、まるでクリスの事を言っている様で。

 

「貴様ら……一体、何の話をしている?」

「たっ、大尉!」

 

 話を聞かれてしまった二人の医師は、これ以上なく狼狽えた。

 

「いえっ。大尉に関係のある話では!」

「うるさい!それを寄越せ!」

 

 バルクホルンは、医師が持っていた書類を引っ手繰った。

 医師は慌てて取り戻そうとするものの、バルクホルンの怪力であっという間にのされてしまう。

 バルクホルンは書類を一枚ずつ、ゆっくりと捲っていく。枚数が増える毎に、彼女の手の震えが大きくなっていく。とうとう書類を読み終えた彼女は、ぐしゃりと紙を握りつぶしてしまった。

 

「何だ……これは……?こんなの、嘘だ。嘘だ、嘘だ!」

 

 バルクホルンは走り出した。クリスを探すと言う目的は変わらないが、意味はまるで違ってしまっていた。

 彼女は全部を知ってしまった。自分の事。クリスの事。二等兵の事。これから自分が戦線から離される事。

 それでも信じ切れずに、縋る思いで、彼女はクリスを探した。

 

 

 僕は大尉の質問に答えあぐねていた。

 この質問の意味。大尉は正気を取り戻した訳では無く、何かしら自分を疑う出来事があったのだろう。

 どこまで知ってしまったのだろう。何とか誤魔化せないか。

 僕はそう考え始めて、すぐにその思考を止めた。大尉の、僕を見つめる目が、あんまりにもあんまりだったからだ。涙で潤んでいて、瞳は絶望で真っ黒に染まってしまって、それを、クリスを信じるという僅かな光で覆っている。そんな風に見えた。

 大尉はもう崖っぷちなのだ。

 しかし、ここでYESと言うのも、NOと言うのも簡単では無かった。

 

「……」

 

 僕がただ大尉を見つめ返していると、段々と大尉の手に力がこもって、背中に爪が突き立って痛かった。

 僕がYESと言えば、大尉はどうなるだろうか。

 きっと大尉は僕の言葉を信じるだろう。これからもずっと僕をクリスだと思って生きていく。もう後戻りはできないだろう。でも、少なくとも大尉は幸せかもしれない。自分の頭を撃ち抜いてしまう事もない。

 だけど、それが本当にいい事なのか、僕には分からない。

 僕がNOと言えば、大尉はどうなるだろうか。

 きっと凄く絶望する。そして怒るだろう。僕に、そして自分に。もしかしたら、殺されてしまうかも。そして、大尉は自分を殺そうとするだろう。でも、今度はきっとミーナ中佐や、ハルトマン中尉が止めてくれる。そして、大尉は大きく変わるだろう。そうすれば、それが良い方向にしろ、悪い方向にしろ、僕は晴れてお役御免だろう。

 本当に大尉の事を思うなら、きっとNOと答えるのが正しいはずだ。

 僕はそう判断して、「いいえ」と喋ろうとして――

 

『君は邪魔なんだ』

 

 僕は、半分開いていた口を閉じた。

 そうだ、そうなれば、僕は本当の邪魔者になってしまうんだ。

 今、僕を必要としてくれるのは、大尉だけ。その大尉が居なくなったら、僕は何になるんだろう。

 誰からも必要とされない人間。生きているのに、死んでいるのと変わらない。……亡霊だ。大尉に見捨てられたら、僕は死ぬんだ。

 嫌だ。死にたくない。

 僕は大尉を強く抱きしめた。

 そうすると大尉も、震えながら抱擁を返してくれた。

 僕がYESと言えば、大尉はずっと僕を見てくれる。僕も、ずっと大尉を見ている。

 なんだよ、どうして今まで気付かなかったんだ?こうすれば、僕も大尉も幸せじゃあないか。

 

「お姉ちゃん、心配しないで。私は、クリスだよ。お姉ちゃんの妹の、クリスだよ」

 

 僕は言った。僕の喉はからからに乾いていた。

 僕の中の片隅に、自分自身の行動に恐怖している自分がいた。こんな風に利己的に考えて、それを実行に移した事なんて無かったからだ。

 僕の言葉を聞いた大尉は、ぼろぼろ泣きながら、僕を跪かせると、自身の胸に僕の頭を抱いて、僕の額にキスの雨を降らした。

 

「行こう、クリス。もうここには居られない。みんな変なんだ。お前が別人だって言うんだ」

「うん、行こう」

 

 大尉は僕をお姫様抱きにすると、格納庫を目指して走り出した。

 ハンガーに着くと、都合よく誰もいない。

 大尉は僕を立たせると、銃やら燃料やらをごちゃごちゃとまとめ始めた。どうやら逃げ出した先でもネウロイと戦うつもりでいるらしい。

 準備を終えた大尉は、ユニットに足を通すと、僕に手を差し出して言った。

 

「クリス!掴まれ!」

 

 僕は言われるがままに手を伸ばした。

 しかしその時、僕と大尉の手の間を、銃弾が通り抜けた。

 遅れて銃声が響く。

 

「待ちなさい、二人とも!」

 

 見ると、銃を構え、僕達を睨んで、ミーナ中佐が立っていた。

 

「ミーナ、邪魔をしないでくれ!」

「トゥルーデ!目を覚まして!貴女の妹はもう居ないのよ!」

 

 ミーナ中佐の叫びは悲痛だった。微かに銃を持つ手が震えている。

 

「何を言っている!クリスは、ほら、ここに居る!クリス、さぁ来てくれ!」

 

 大尉は中佐から視線を外すと、僕を見た。再び僕に手が伸ばされる。

 

「ダメよ!貴方が行けば、トゥルーデは一生!」

 

 僕は迷わず大尉の手を掴んだ。大尉は僕を抱えあげると、そのまま一気に発進した。

 銃弾が飛んでくるんじゃ、と心配したけど、どうやらミーナ中佐は本当に味方を撃つことは出来ない人らしかった。

 少し高度を稼ぐと、大尉はおもむろにハンガーにパンツァーファウストを撃ち込んだ。屋根の一部が崩落して、とてもユニットを発進させることは出来なさそうだ。

 追手を防ぐためなのだろうが、やる事が派手である。

 

「お姉ちゃん、これから何処に行くの?」

「え?それは……えーっと、あはははは……」

「考えてなかったの……」

 

 誤魔化す様に大尉は大げさに笑った。

 速度が付き、高度が上がるにつれて、どんどん体感気温が下がっていく。寒さで、思わず大尉の服を掴んでしまう。

 

「ん?寒いのか。すまないが少しの辛抱だ」

 

 そう言って大尉は更に僕と体を密着させた。すると僕の顔が赤くなって、体温が上がり、寒さが和らぐのを感じる。

 けれど、大尉の髪が風のせいで暴れて、それが僕の顔に当たるので、僕はそれを嫌って大尉の胸に顔を埋めた。

 

「甘えん坊め」

「お姉ちゃん程じゃないよ」

「何を!こいつ!」

「わ!落ちる!落ちる!」

 

 僕と大尉は本当の兄妹じゃ、勿論ない。けれど、それはきっと時間が解決してくれる。

 僕は満足だった。大尉もきっと同じ気持ちだろう。僕はこれから始まるだろう生活に胸を躍らせた。

 

 

☆エピローグ☆

 

「ただいま帰ったぞ!」

「お帰り!お姉ちゃん!」

 

 私はお姉ちゃんを出迎える。最近ネウロイの数が多いから心配していたんだけど、今日も怪我無く帰って来てくれた。

 

「今日はどんなネウロイを倒したの?」

「聞きたいか?」

「聞かせて聞かせて!」

「ふふふ、仕方ないな。今日の相手は、やたらと足が遅い代わりに、ハリネズミみたいにビームを撃つ奴でな――」

 

 お姉ちゃんは満更でもなさそうに、話始める。

 私はこの時間が一番好きだった。お姉ちゃんの無事を確認できるのもあるし、自慢のお姉ちゃんがさらに戦果を上げる話は、聞いていて全然飽きない。

 でも、最近ユニットの整備には難儀しているし、武器も中々揃わなくて、本当言うとあまり無茶はしないで欲しかった。

 

「あれ、お姉ちゃん、MG42は?」

「ああ、あれ、とうとう壊れちゃってな……捨ててきた」

「えー!じゃあどうやってネウロイを倒したの?」

「いや、そのな、ちょっと丸太で」

「ま、丸太!?」

「いや、あれでもしっかり魔力を流せば中々の武器になるんだ!リーチだって――」

 

 お姉ちゃんは丸太の使い勝手を熱弁し始めた。

 私はこんな面白いお姉ちゃんが大好きだ。いつも優しいし、かっこいいし!それに、これは内緒だけど、偶にからかうとすごく可愛いんだ!

 それで、お姉ちゃんに、「ずっと一緒に居たい!」って言うと、お姉ちゃんは「私もだ」って言ってくれるんだ。

 だから、私は、幸せだ。

 だから、私は、後悔していない。

 

 







読んで下さってありがとうございました。


今度から、あとがきは活動報告に載せたいと思います。
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