短編ガラクタ部屋   作:武太珸瓏

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震エル紐 (前編)

 

 

 カッチカッチカッチ…

 

 何処からか、規則正しい音が聞こえてくる。

 それが時計の音だと気づいた途端、徐々に意識がはっきりしていき、やがて・・・・・・

 

 

「ヘークション!」

 

 一つ、大きなくしゃみをして目が覚めた。

 何か妙な夢を見ていたような気がするが、くしゃみと共に吹っ飛んで行ってしまったみたいで、どうしても思い出せない。ただ、頭がズキズキと痛む。何だか、深い海の底から無理やり一気に引きずりあげられた深海魚のような気分だ。

 

(う~、気持ちワリィ…。二日酔いか? 昨日は、そんなに呑んだ気はしないのだけど……)

 

 枕元の携帯端末で時間を確認する。いつも起きる時間よりも、やや早かったけれど、気合いを入れてこのまま起きることにする。

 

 幸い今日は休みだが、一人暮らしゆえ、ずっとこのまま寝ているわけにもいかない。溜まっている家事を、この貴重な休日中に片付けなければならないのだ。

 物事を放置すると、乱雑さは増大していく一方。その逆は有り得ない。ほんの少しの怠慢でも、積もり積もれば、でかくなる。必ずしも無理する必要はないけど、とにかく少しでも動かなくちゃ。

 

 とりあえず、薬でも飲もうかと立ち上がってみたら、クラッときた。目の前に火花が散ったようになり、耳鳴りがして、思わずうずくまる。

 やがて目眩から回復し、ゆっくりと首を動かす。すると、妙な物が視界に入ってきた。

 

 目の前の空間を漂う、一本の“紐”。

 白っぽい色で、太さは細引くらいか。

 まるで、水の中を揺蕩(たゆた)う藻のように、フワリ、フワリと空中を漂っている。

 そして、どうやらその紐はなんと、自分の額から伸びているようだ。

 もう片方の端は、この寝室の戸をまるで幽霊のようにすり抜け、どこかに向かっているらしい。

 

(はて、何だろう、これ?)

 

 寝ぼけた頭が見せている幻覚だろうか。

 なら、完全に目を覚ませば、これは消えるのだろうか。

 しかし、徐々に脳が覚醒して頭がはっきりしてきても、紐は一向に消える気配はない。

 

 好奇心から、ちょっと触ってみる。イヤイヤをするように震えた。心太(ところてん)のような感触だった。

 頭から異物が生えているのに、不思議と肉体的な不快感はない。

 

 さて、こういう場合には、どうすれば良いのだろう?

 火事なら消防、泥棒ならお巡りさん。でも、こんな現象に遭遇したら誰を呼ぶ?

 大抵の人なら困惑するところだろうけど、今の自分の頭には、こういう奇々怪々な出来事に詳しそうな人物が、一人心当たりがいる。とりあえず、その人に相談してみようかと、端末から電話をしてみた。

 

 ……。

 

 反応がない。

 相手が出ないのではない。

 発信動作そのものが出来ないのだ。

 圏外表示すら出ない。

 

 ほかの知人友人、身内、公共機関に連絡をとろうとしたけど、やはりどこにも通じない。

 固定電話でも同じ結果だった。

 

 

 ここは、何の変哲もない、殺風景な四畳半。今あるものといったら……

 種々雑多な書物が詰め込まれた本棚。

 表面がボコボコしていて、うっかり何も敷かずに書き物をしようものなら悲惨なことになる机。

 座るとガタガタして安定しない椅子。

 未だ敷かれたままの布団。

 どれも、見慣れたものばかり。

 唯一のイレギュラーな存在は、震える謎の紐のみ。

 

 途方に暮れて、目の前に漂う紐をぼーっと眺める。

 

 眺める……。

 

 

 

 どのくらいそうしていただろうか。

 ふと我に返って、部屋の壁にかけてあるアナログ時計を見てみる。

 

(あれ?)

 

 時間が進んでいない。

 目を覚ました時から、長針も短針も全く進んでいないのだ。秒針はカッチカッチと音をたてて動いているのに。

 放心して感覚が常時とは違う状態に変化していたことを考慮に入れても、これはおかしい。

 

(時計まで壊れたか?)

 

 しかし、携帯端末の時刻を見ても、同じように、表示が止まっている。

 

 一体、何が起きているのか?

 いくら考えても見当もつかない。

 

 

 そのうち、この紐の先がどうなっているのか気になってきた。

 自分の額に、紐の端っこがあるということは、これは輪っかのように閉じた紐ではなくて、開かれた紐のはずだ。ということは、必ずどこかに、もう片方の端があるはずだ。

 

 部屋の戸を開ける。

 紐は廊下に沿って、屋外へと続いている。

 そのまま、紐にならって、玄関を出る。

 

 外へ出てみて、思わず立ちすくんだ。

 

(オイオイ、何だよ、これは?)

 

 そこには、何もなかった。

 比喩ではない。

 地面と空以外、本当に何もなかった。

 

 見渡せば、辺り一面、草の一本も生えていない荒野。

 空に雲はなく、代わりに、深い闇を背景にして、暗めの赤、青、紫などの色の光が渦巻いている。美しくはない。少なくとも自分にとってこれは、何とも気持ちの悪いオーロラだ。

 時折、流星のような光が、地平の彼方へ向けて飛んでいく。そして同じ方向に、例の紐が伸びている。

 そして、よく見れば、紐の揺らめきと、空の色の揺らめきが同期しているように見える。

 

 地平線にも違和感がある。

 何かが変だ。

 何が?

 そうだ、自分の思う地平線よりも近くにあるように感じるのだ。

 

 盆地に住んでいるため、実際に地平線を観た経験はないが、水平線を観たときのことは、鮮明に覚えている。

 子供の頃に旅行で海に行ったとき、沖へ向かう船を、双眼鏡でずっと追っかけて観続けたことがある。

 水平線まで至った船は、やがて下の部分から見えなくなっていき、最後に帆柱が水平線に隠れていった。

 そのとき、幼心にも地球の大きさを実感したものだった。

 

 しかし、目の前に広がる荒野の地平線には、あのとき程のスケール感はない。

 何だか、写真や映像で見た、宇宙探査機に撮られた小さな天体(月だったり、ほかの惑星の衛星だったり)の地表の様子と感じが似ている。

 

 もしかしたら、ここは地球ではないのか?

 だとしたら、一体どこ?

 

 恐る恐る、一歩踏み出してみる。

 ジャリッと音をたてて、乾いた土の感触がした。

 赤みがかっていて、所々ひび割れている。

 

 数歩進んで、急に心細くなって振り返った。小さな一軒家が、頼りなげに佇んでいる。

 

(まさか、この家まで消えたりしないだろうな?)

 

 ボロい借家とはいえ、大事な我が家だ。

 無理してまで離れる必要はあるのか?

 紐の行き先は気になるが、思い直してひとまず戻ることにする。

 

 しかし、そのときは知らなかった。

 戻る先で、思いがけない苦難が待ち構えていることに。

 じわりじわりと攻めてくるそいつに、大いに悩まされることに。

 

 

 

 大したことではない。

 要は、途轍(とてつ)もなく暇になったのである。

 全くもって、することがないのだ。

 

 

 そのときになってようやく、電気、ガス、水道が一切使えないことが判った。

 食料は、今ある物が全て。腐るものから無駄にならないよう食べて、保存のきくものは節約していかねばならない。

 幸い、気候(と云っていいのか判らないが)は寒くも暑くもないから、エアコンが使えなくても、当面は困らない。

 

 PCは使えず、TVも観られない。ラジオだってうんともすんとも云わず、携帯端末も、何処もつながらず、それどころか、保存していたデータもなんにも出てこない。娯楽といえば、四畳半にある本くらいか。

 

 それでも、急迫した命の危機にさらされていない分、まだマシか。

 とにかく、こうして(しの)ぎながら、そのうちこの異変が収束するのを待つことにした。

 

 

 *

 

 

 さて、この奇妙なサバイバル生活が始まってから何日、いや、何ヶ月過ぎたのだろう?

 相変わらず、なんにも起きない。

 窓から見えるのは、気持ち悪いオーロラの舞う真っ黒い空と、荒野のみ。定期的に、TVを観ようとしたり、ラジオをつけたりするが、雑音さえも拾ってくれない。

 そして額からは、相変わらず変な紐が生えている。

 いい加減にして欲しい。

 

 ただ一つ、判ったことがある。

 水や食料が尽きてから、けっこうな時間が経つのに、全く喉の渇きも空腹も感じないということだ。おかげで、こうして長いこと何もしないで閉じこもっていても、飢え死にしないで済んでいる。

 

 とはいえ、このまま何もしないでいることは、精神的に苦痛だ。

 部屋にあるかつての愛読書、小説も漫画も雑誌も、全然おもしろくない。

 こんな異常な状況下では、どんな娯楽も芸術も気を紛らしてはくれない。

 

 いつも、何をしていても、窓の外には気味の悪い景色が見える。射し込んでくる光の揺らめきのリズムには、人間の心理に不安を呼び起こす効果があるのか、片時も落ち着かせてくれない。

 だからといって、カーテンや雨戸を閉め切ると、完全な闇と静寂。脳に何の情報も入ってこないことが、これほど辛いとは知らなかった。

 

 星空や青空、山の緑や川のせせらぎ、海の波、鳥や虫の声、あるいは街の雑踏、遠くに聞こえる電車のレールの響きなどが無性に恋しくなってくる。

 

 何もしなくて良い、究極の自由な時間。

 誰も傷つけず、誰にも傷つけられない。

 ずっと欲していた世界を得ることができたわけだけれど、望んでいたのはこういうことじゃない。

 

 このままでは、気が狂いそうだ。

 

 

 ある時ついに決心して、何の荷物も持たず外に出た。

 住み慣れた我が家を見上げ、軽く会釈する。

 そして、紐の伸びる先に向けて歩き出した。

 とにかく違う風景が見たかった。

 そして、この紐の正体が知りたくてたまらなくなった。

 

 

 それからはひたすら、歩く、歩く、歩く。ただ歩き続ける。

 周囲の景色が変わらないため、果たして自分が進んでいるのかどうかすら怪しくなることもあるが、振り返れば、我が家が彼方ですっかり小さくなっているから、一応は前に進んでいるようだ。

 

 案の定、いくら歩いても、疲れることはなかった。喉も渇かず、腹も減らない世界なのだから、もしかしたらとは思っていたのだ。

 

 紐は、いくら歩みを進めても、(たる)んだりせず、一定の張力(テンション)を保っていた。

 宿主の進行に合わせて縮むのか、あるいは宿主の額に吸い込まれていくのか、それとも進行方向に押し出されているのか。

 

 

 一体、どのくらいの距離を、どのくらいの時間歩いていたのか。太陽も月もなくて、時を計れないため、皆目見当がつかない。数時間のような気もするし、数日かも知れない。数ヶ月だと云われても驚かない。

 

 

 そうする内に、ようやく、待ち望んでいた変化が現れた。

 前方に、人を見つけたのだ。

 

 その人物もやはり、額から白い紐を生やして歩いている。

 この異様な世界で初めて出会う、自分以外の人間。そして、その人は知った顔であった。

 この異変に気づいた最初の日に、まず連絡をとろうとした人物だった。

 

「センパイ! センパイじゃないですか」

 

 声を掛けられたら人物は、一瞬驚いたようだったが、すぐに警戒を解いてくれた。

 

「やあ、君か」

「ご無沙汰してます。お元気でしたか?」

「そうだね、おかげ様で、こっちの方はまあまあだよ。この奇妙な現象を除けばだけどね。徹夜明けに仮眠をとって、目を覚ましたらこの有り様だよ。君の方はどうだい?」

「そうですね。私の方も似たようなものですよ」

 

 お互い、そうして再会を喜び合い、自分の額から生えている紐をツンとつついた。二本の紐は、ビヨヨンと震えて、その振動は荒野の上を伝わっていき、しばらくすると、再び通常の揺れ方に安定する。

 

 光がひとつ、地平線の空へ向けて飛んでいった。

 

 

 

(後編へつづく)

 

 

 

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