新緑の火星の物語(特殊な番外編シリーズ) 作:子無しししゃも
いつか書きたい本編時空の外伝のプロトタイプ、といった内容となっています。
本格的に続きが書かれるのは遥か先かと思いますので、とりあえずこんな事起こってたんだな&雰囲気を味わうくらいで楽しんでいただければと!
「出ろ。お前の為に払う金はねえってよ」
──悲惨。
エレイシア・キリエルヒの人生を一言で要約すれば、その言葉が最も相応しいだろう。
彼女の出生は、この出来事より11年前に遡る。
後に世界にその名を知られることとなるその赤子は、ドイツに拠を構える在りし日の名家キリエルヒ家に生を受けた。
既に身分による特権の時代も終わり衰退著しかった旧貴族系の彼らは、産声を上げるエレイシアに産まれる前から少しの失望と多大な期待をかけていた。
失望。家督を継げる男ではなかったという、旧態に基づいた家の考え。
期待。いずれ他家と婚姻を結び、かつて先祖たちが築き上げた富と名声を取り戻してくれるのではないか。
その後者は、エレイシアが先天性の病によってニ十歳は迎えられないだろうという事実が判明し脆くも砕かれる事となる。
幸いにも三年後には男児が生まれ跡継ぎに関しての問題は解決したが、結果エレイシアには一族を失望させたという悪印象のみが残された。
元々、没落して久しいにも関わらず分不相応な矜持だけを受け継ぎ続けていたような家だ。
エレイシアに待っていたのは、親戚の冷たい目とそれによって余裕を失った両親からの奴隷もかくやという扱いだった。
食事は残飯も同然、寝所はひとりだけ離れの別室。
修理しようにも金がなく諦めたため倒壊しかけている小屋で、冬には寒さに凍えないようこっそり鶏を連れてきて抱きしめ眠る。
そうでもしないと凍え死にそうだったのだとわかった上で、家族は鼻を摘んでまるで獣だと彼女を笑う。
最初は彼女を姉として慕い心配していた弟も、次第に周囲から吹き込まれ無邪気な害意に染まり、エレイシアを見下すようになっていった。
そんな彼女が外出する際に、手伝いやボディガードなどの気遣いがされることなど当然なく。
ある日、買い出しに行かされたエレイシアは驚くほどあっさりと身代金目当ての犯罪組織に誘拐された。
これが、語るだけでは短く体験すれば永遠に感じられる苦痛の中ただ蹲って耐えていた、彼女の半生である。
「薄情だよなぁ……娘の命より、紙切れの方が大事だってんだから」
黴臭く薄暗い部屋から三日ぶりに出たエレイシアの内心を埋めていたのは、開放感ではない。
身代金の支払いを拒否した場合、人質がどうなるか。
巨大に膨れ上がったマフィアが裏社会の全土を支配していた2609年当時のヨーロッパにおいて、その結末はほぼ一択であった。
──自分は、今から殺される。それも、尊厳を奪われあらん限りの苦痛を与えられた上で。
捕まった時から、そう聞いていた。
かつてはニュースの紙面を毎日のように飾り、今となってはもはや特筆して報道する程の価値もなくなった末路を、彼女は今から辿る。
エレイシアが伸びっぱなしの髪を乱暴に引きずられ連れて来られたのは、王宮か何かと見紛うような一室だった。
そのところどころを飾るのは、壁に立てかけられた絵画とそこかしこに並べられた壺や置物。
美術館もかくやというその中には、ニュースや新聞で騒がれたものもある。
いずれも、盗難や強盗によって失われたと報道されていた作品だ。
まるで典礼の来賓が如く、赤のカーペットが敷かれた奥行きのある部屋を彼女は俯いたまま進んでいく。
「安心しな、ちゃーんとパパとママのとこに帰してやるから。郵便でな」
「いや、この顔ならいい玩具になりそうじゃねえか。すぐには勿体なくねえか」
護衛か見物客か、カーペットの左右にはスーツ姿の見るからにガラの悪い集団が居並んでいた。
奥部へと引き立てられていくエレイシアを見て、彼らは思い思いに囃し立てる。
次々投げかけられる下卑た嗜虐的な感情が伺える声に、エレイシアは何も言葉を返さない。
これくらいの低俗な人間は、街の少し荒れた一角で買い物をする時にいくらでも見た経験があったからだ。
だから、エレイシアは彼らを見て改めて理解した。
口を開けば貴族だの家の誇りだの言っていた自分の家は、こんなチンピラが幅を利かせる治安の土地にしか住めない程度のものだったのだと。
「っ……」
何かの感情が溢れそうになり、ぎりぎりのところで堪える。
いままでずっと、こうやって心を殺して耐えてきたのだ。
だからエレイシアは、どうにか表情も足取りも変えず歩くことができた。
そうして数十歩を数えた後、先導と背後から追いやる動きが止まった。
状況の変化に顔を上げたエレイシアの眼前には、玉座があった。
むろんこの場所はあくまで犯罪集団の拠点であり、そのような格式高い場所ではない。
シックな印象を与える黒のデスクがひとつあり、革張りの椅子が座る主なく一つ佇んでいるだけだ。
だがエレイシアの本能と理性は、この光景を見て即座に“玉座”という表現を浮かび上がらせた。
「ご苦労」
その傍らには、スキンヘッドの男が独り。
鋭い目つきと鍛え抜かれた体躯が伺えるその男に、エレイシアは思わず息を呑む。
街で見かけたりここに揃っているチンピラ共とは根本から違う、近づいただけで本能が逃げろと叫ぶような気配。
「
「はい、主賓のお嬢様っす」
重低音の確認に、エレイシアの前後を歩いていた構成員が肯定で答えた。
今から行われる拷問と処刑の犠牲者を“最も重要な客人”と称する悪趣味な冗談に、げらげらと品のない笑い声が周囲から発せられる。
人間をまるでいい音の鳴る玩具としか思っていないような反応に、エレイシアはぐっと歯を噛みしめる。
堪えないと。いままでと同じように。
この男が、ボスのはず。
だったら、あと少し堪えればいい。
そう絶えず考え続けて、崩れかけた心をどうにか繋ぎ止めていた。
しかし直後、エレイシアは己の予想が間違っていたのだと心底から思い知る事になる。
「──少し、静かにしてくれるかしら?」
無秩序な笑い声の中で、決して大きくなかったその声は不思議とよく通っていた。
この場にはそぐわぬ上品な印象を与える穏やかな響きと同時、場に沈黙が走る。
「ようこそお越しくださいました、ボス」
一転した不気味な静寂の中で、スキンヘッドの男が恭しい挨拶と共に膝を折る。
同時に襲い来たのは、空気が、異様な重みを持ったかのような錯覚。
エレイシアがこの瞬間首を垂れて眼前の現実から逃れようとしなかったのは、ただ彼女の思考がショートしたからである。
「ええ、ご苦労さま。皆もごめんなさいね、待ったでしょう?」
奥部に備えられた扉のひとつから入室してきたのは、ひとりの老婆だった。
目測で2メートルを超えているかという異様な長身以外、その外見に特筆すべき点はない。
表情は柔らかく、所作は優美で洗練されているように見える。
だが──。
「──ひ」
その老婆は、しずしずとエレイシアに歩み寄ってきた。
途端、エレイシアの全身から汗が滲み出て、喉がひとりでに悲鳴を漏らす。
気のせいだと受け入れたくなかった。本能で認識に蓋をしていた。
しかし老婆が近付くにつれて、それは強くなっていく。
「エレイシアちゃん……だったかしら」
血だ。
側近と思われる男の時も似たようなことを考えたが、その比じゃない。
まるで虐殺の跡地に迷い込んだかと錯覚するような、濃密な血の臭い。
老婆の全身から、もはや洗い落とすことなど叶わない程の死の気配が漂っている。
たとえ肉食獣が目の前で顎を開いたとしても、これ程のものは感じ取れないだろう。
「今日はよろしくね」
その老婆は、優しくエレイシアに挨拶をした。
今から命を以て見世物になる玩具へと、当たり前のように。
「ふっ、ぅっ……」
繕う体面もなく、涙と鼻水で顔を汚したエレイシアの思考がぐちゃぐちゃにかき回される。
痺れたように、手が動かない。
恐怖。動揺。絶望。
思考が真闇に呑まれる中、エレイシアの中にはひとつの思考が残り続けていた。
ずっと、ある感情を貯めこみ続けていた。
何のために、自分は今まで我慢してきたのか。
自分は何も成せずに死ぬのか。
「う、あっ、ああぁぁぁっ!」
その切実な感情が、身を縛り付ける恐怖を一瞬だけ振りほどく。
金切り声を上げ、エレイシアは懐に隠していたもの──自ら剥がした指の爪を削って作った粗末な刃物を、老婆の喉目掛けて突き出した。
憎悪だった。
耐えていた。そうだ、エレイシアはずっと耐えていたのだ。
そうすればいつかは全てが良くなるのだと思っていた。
耐えて耐えて耐えて……その果てに待っていた苦痛の果てにある死という運命だった。
身代金、という言葉を聞いた時点で、エレイシアはそれを悟ってしまった。
その瞬間、彼女の内に沸き上がったのは諦めでも絶望でもない。
溢れんばかりの、理不尽な世界に対する憎しみだ。
助かる道なんて、もうない。
だったら、ひとりくらい道連れにしてやる。
そうして殺される前に、ざまあみろと笑ってやるのだ。
当然持ち物など何もかも没収された軟禁状態の中で自ら爪を剥ぎ、壁柱の鋭角を使って丹念に研ぎ澄ます。
小さく鈍く粗末な、身を削り痛みに耐えてまで作ったのに人を害せるかもわからない刃物。
まるで自分の人生の集大成そのものかのような凶器をエレイシアは懐に忍ばせて、今この瞬間の為に耐え続けた。
「あら」
狂ったような叫びと共に躍りかかるエレイシアに対して、老婆は小さな反応を見せるだけだった。
己に突き立てられようとしている凶器を目線で追ってなお、首を傾げるに留まる。
「驚いたわねぇ」
途端──エレイシアの凶器が指から失われた。
「え」
何をされたのか、全くわからなかった。
老婆が人差し指を軽く弾き、エレイシアの手から凶器を弾き飛ばした。
そんな児戯の如き動作で、エレイシアの命を賭した世界への反逆は無為に帰す。
「あ、あぁ」
勢いのまま老婆にぶつかり、弾かれたように飛び退くエレイシア。
そこで、恐怖の感情が揺り戻してくる。
「可哀そうに、痛かったでしょう」
絶望に震えるエレイシアへと、老婆は一歩で近付いてくる。
まるで怪我をした子どもの痛みを和らげてやるかのように、老婆は爪の一本が剥がれたエレイシアの右手を両手で包んだ。
「弱いから、こうなっちゃうのよねぇ」
「あ──う゛あ゛ぁ゛!?」
そして、そのままぐっと握り込んで骨を砕く。
バキボキというあっさりした音と共にあらぬ方向に曲がった指を唖然と見た直後、エレイシアは到来した激痛にカーペットを血で汚しながらのたうち回る。
「あなた、うちの子になる?」
激痛に泣き叫ぶエレイシアに、その老婆は先から変わらず、優しく柔らかく笑いかけた。
処刑する相手に慈悲をかけたかと思ったら暴力を加え、かと思ったら“うちの子”、つまり自分のところに迎え入れると言っている?
狂っている。支離滅裂で論理が破綻していて、理不尽極まりない。
痛みに明滅する思考の中で、エレイシアは老婆の行動を振り返り至極全うに恐怖する。
「死にたくないでしょう? この世界が、憎いでしょう?」
だが──目の前の怪物から垂らされたのは救いの糸であることを、エレイシアは認めた。
そうだ。自分は世界が憎い。だから、死にたくない。
必死に訴えてくる生存本能に、エレイシアは他の選択肢がないのを悟る。
でも、自分はまだ生きることができる。
気まぐれなのか何なのかわからないが、新しい生を送ることができる可能性が与えられている。
「は、い……」
痛みを堪えて、どうにか声を出してそれを掴み取る。
弱ければ、なにもできないと今教えられたから。
「だったら……壊す側に、回ったらどうかしらねぇ。楽しいわよ」
エレイシアの内に新たな目標が生じたのは、この瞬間だった。
生き抜いて、強くなって……そうして自分の目的を果たすのだ。
耐えることには、慣れている。
生きて、生きて、その果てに──
「よろし、く……お願い、します……」
──いつか、おまえをその座から追い落して屈辱の果てに殺してやる。
今から自分の養母となる老婆の顔を見て、エレイシアは声を絞り出した。
その瞳は深い憎しみと殺意に歪んでいて、見る者が見れば明らかだったが……。
老婆は、上機嫌で己が手を握り潰した少女を抱き上げた。
────
「……あの頃は、本当に地獄でした」
苦笑と共に古ぼけた日記を閉じて、エレイシアはしみじみと呟いた。
二年振りのこの場所は、最後に訪れた時と比べて随分と様変わりしてしまった。
かつて部屋を彩っていた芸術品の数々はもはや一つも残っておらず、砕けた欠片がいくらか転がっているのみ。
血生臭い刑罰の見物が行われる時もあったが清掃が行き届いていたあの頃と違い、そこかしこが血痕で見苦しく汚れてしまっている。
「だ、だったら! 今更こんな事をする必要などないはずだろう!」
変わり果てた部屋──かつてヨーロッパ全土の裏社会を支配していたマフィア『カラマーロ』の玉座で、エレイシアは床に転がされたローマ連邦の諜報員と言葉を交わしていた。
二年前──2615年。
その影響をいよいよ無視できなくなった諸国が連合し正規軍まで持ち出しての殲滅作戦の末、カラマーロは敗れ去った。
首領は捕らえられ迅速な処刑が下され、幹部の大多数は殺害され。
かくして平和が……と言いたいところであるが、国家間との戦争と見紛う程の戦いの傷痕は未だ深く、カラマーロの旧支配地域を新興のマフィアたちが相争う情勢は未だ予断を許さない。
「ええ、そうですね。私たちは敗れ、ある意味では自由の身になりました」
善悪問わず誰もがこのカラマーロという組織の軛から解放され、それは今こうして玉座に座っている少女も同じはずだった。
幸運にもある種の才能があったとはいえ、エレイシアは一般人の娘な上病弱だ。
そんな彼女がマフィアのボス直々の英才教育を耐え抜くのは並大抵の苦労では済まなかった。
失敗すれば容赦なく痛め付けられ、時に生死の境を彷徨ったこともある。
持病の悪化と過酷な日々の生活によって、今やエレイシアは車椅子に身体を預ける身だ。
そんな果てにたどり着いた幹部の地位など、自由の身になれたなら捨て去って新たな人生を送るのが当然の選択だろう。
「ですが──あなたにわかりますか?」
当然の理を説く囚われの諜報員に、エレイシアは艶やかに笑いかけた。
今の彼女を見て、かつて親に見捨てられた少女と同一人物だとすぐに気付く人間はそういないだろう。
くすんで痛み固まっていた金の髪は風になびいてさらりと揺れ、やせ細り骨が浮いていたその身は今では女性らしい柔らかな肉付きを得られている。
「真冬に凍えた身体を暖めてくれたのは、その地獄の火でした。本当の父母が触れようともしなかったこの髪を、身の毛もよだつような悪魔が気まぐれに梳いてくれることがありました」
エレイシアは生きて、美しい少女に育った。
百人が見れば、きっと九十人はそう評価を下し好感を覚えるのだろう。
ではどうして彼女が今そうあれているのか、という点を、外部の人間は誰も理解しようとしない。
きっと、聞いたところで理解できる者も殆どいないのだろう。
カラマーロというのは、それ程に恐れられた組織だった。
「何より──私はまた、生きる目的を世界に奪われた」
そして彼女のねじ曲がった感情を理解できる人間は、それ以上に少ない。
百人の内九十人が彼女に好意を覚え、残りの十人は、その瞳の奥に宿る暗い炎に気付いて目を逸らす。
世界はいつだって、彼女に何も与えてくれない。
家族に蔑まれ、犯罪集団の玩具という無為な終わりを突き付けられた。
そこから這い上がった後、新たな生きる意味となった憎しみが向かう先もまた、他者によって横取りされてしまった。
「なにを言っ」
「はい、そこまでー」
エレイシアの言葉を解さなかった諜報員は、その直後に永久に喋ることができなくなった。
ぱくぱくと口を動かすその首には、長い針が一本突き刺さっている。
「ごめんなさい、ついうっかり。でももう必要な情報は取れてたからいいですよねー?」
その下手人、給仕服に身を包んだ同年代の少女は針を引き抜き、反省の色なくあっけらかんと尋ねた。
許されて当然だろうという、不真面目な態度。
「許しません」
「うひぇー!? ちょ、お嬢様っ、あは、あははははっ!」
不敬な配下に対して、エレイシアはじとっとした目を向けその身をくすぐる。
じたばたと身を捩って暴れる彼女との場にそぐわぬ稚気じみた交流は、今に始まった話ではない。
自分の世話係として多くの時間を共にした一番の配下と呼べる存在を、エレイシアは盛大に弄り回す。
許さないというのはそもそも冗談であり、彼女を責める意図はエレイシアには無い。
事実、既に得たい情報は得られていたし、なにより自分を気遣っての行動だ。
「……ふう」
ひと仕事するまえの息抜きを終え、エレイシアは目を閉じ、開く。
それで、空気が変わる。
そこにあったのは私的な友人に対するものとはかけ離れた、どこまでも暗い、かつての彼女そのものの瞳。
「それではミーナ、“手足”に通達を……大統領府から、守りを引き剥がしなさい」
「……はいなー」
別人のように冷え切った声で指示するエレイシアに恭しく一礼し、侍従──ミーナはいくつもの通信機に連絡を入れ始める。
それを横目にエレイシアが目を向けたのは、もう一人の協力者。
「ディラン将軍、成すべき事はわかっていますね。かつて祖国で『気
ニタリと笑って立ち上がったのは、海軍の将校を思わせる装いの大男だった。
「おうともよ。こうやってまた戦争ができる……お嬢様がボスでホントに良かったぜ」
カラマーロにおいて組織間戦争の総指揮官であった彼の目には、狂気の光が見え隠れしている。
グランメキシコの麻薬戦争で活躍した紛れもない英雄であり、戦いの喜悦に味を占めて他国との軍事衝突を引き起こそうとした大罪人。
ただ戦いの為だけに再び馳せ参じた猛将は、エレイシアの命令に喜悦を隠せない様子で笑みを零す。
「それでは参りましょう、皆様。大陸の全てに腕を伸ばし、喰らい貪り、そして──」
ふたりの配下が準備を整えたのを確認し、エレイシアは玉座の隣で車椅子から体を起こす。
大きな作戦の前は、彼女が知る母はいつだってこうして音頭を取っていた。
時は2617年。
ヨーロッパ史にふたたびその名が刻まれると考えていた人間は、まだこの時には僅かであった。
「──
かつての殲滅戦を生き残った幹部たちによる、ローマ連邦首都の強襲作戦。
カラマーロ復興を唱え再びヨーロッパ全土を貪り喰わんとしたその戦いは、かつての本拠地から静かに始まった。
後世の評価、などというものが存在している事からわかる通り、この一幕は至極当然の結末に落ち着く事となる。
すなわち、失敗。
戦士たちの奮戦により野望は挫かれ、エレイシアは余命として伝えられていた二十歳を迎えることなく命を落とした。
彼女の評価は不明な部分も多いため難しく、人々の間でも二分されている。
多くの人間を巻き込んだテロを引き起こした主犯であり、再びカラマーロの名を掲げた大罪人。
生家に恵まれず悪の道を選ばざるを得なかった、運命に揺られ続けた悲劇の少女。
善とまでは言わずとも同情論、当然悪人、といった風に意見は割れ、一定に定まることはない。
故に、こう纏められる。
──悲惨。
少女、エレイシア・スノーレソンの人生を客観的に評価すれば、その言葉が最も相応しいだろう。
だが、当の彼女が己の運命とその末路、そして母と呼んだ人間に如何なる感情を抱いていたかは、少なくとも後世の書物には記されていない。